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2014年11月10日 (月)

「りふれは」稲葉振一郎氏に擁護の余地はあるか?

先日の本ブログエントリ

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-9c68.html (やっぱりこいつらは「りふれは」)

及びこれへの反応を受けて書いた

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-7e36.html (「ワシの年金」バカが福祉を殺す)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-97a1.html (ステークホルダー民主主義とクローニー資本主義)

に対して、労務屋さんがかなり長いコメントを書かれているのですが、一番重要な点において、いささかこじつけ気味の言葉で稲葉振一郎氏を擁護しようとしておられて、かえって事態を悪くする危惧すら感じられました。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20141110#p2 (「りふれは」の話)

労務屋さんは、駒崎氏に対する罵倒はけしからんとしつつ、クローニー資本主義呼ばわりは罵倒ではないというやや珍奇な解釈を提示されます。

・・・これは定義次第という部分も大きいのでしょうが、ここでの文脈から考えれば「クローニーキャピタリズム」とは「他人の負担を含む増税を財源に自らの利益・関心事に関係する支出が増えることは好ましいという考え方」を指しているのではないかと思います。だとすれば「子ども子育て支援の財源が消費税に紐づいているため、増税に賛成」という駒崎さんのツイートを「クローニーキャピタリズム」と表現することもそれほど不自然な話ではありません。要するに一握りの市場原理主義者を除けば世の中はクローニーキャピタリスト(?)だらけなのであって、ただその優先順位が違うだけなのではないでしょうか。・・・

寡聞にして、一握りの市場原理主義者を除けば世の中はクローニーキャピタリストだらけなのであり、ということはすなわちクローニー資本主義というのはいかなる意味でも侮辱語などではなく、世の人々にとってごくごく当たり前のことを当たり前に叙述しただけの価値中立的ないし正価値的な言葉であるというような用語法を、わたくしは知りません。

・・・結局は政治的に優先順位をつけざるを得ないわけですが、このような多数の・多様なクローニーキャピタリスト(?)たちの努力を通じて社会が進歩してきたのではないかとの思いは禁じえません。ということで、私はhamachan先生に較べると相当程度クローニーキャピタリズムに価値を見出しているという点に少し違いがあるように思われます。

ここで語られている政治的スタンスにおいては、わたくしは労務屋さんと全く一致するのですが、それをクローニー資本主義という名で褒め言葉として使っているような実例は世界中にただの一つも見いだすことはできないように思われます。わたくしはかかる利害関係者が明示的に利害をぶつけ合いながらその間の妥協によって政策決定を行っていく有り様を「ステークホルダー民主主義」という名前で呼んでおり、称揚する立場にありますが、それを既に予め極悪非道のインプリケーションがべっとりと塗りたくられたクローニー資本主義などという用語で表現しようなどと考えたことはありません。

上記「ステークホルダー民主主義とクローニー資本主義」というエントリで書いたのは、まさに侮辱語以外ではあり得ないクローニー資本主義という言葉で稲葉氏が描こうとした対象物は、侮辱語ではないステークホルダー民主主義という言葉で形容されるべきものであるということでありました。もし、労務屋さんが言うように、稲葉氏自身が侮辱語としてクローニー資本主義という言葉を使ったのでないのであれば、上記エントリは全くその存立基盤自体が崩壊することになります。

しかし、そのためには、世間一般である程度の頻度でクローニー資本主義という言葉が価値中立的ないし正価値的に使われている有力な実例を示す必要がありますし、さらに、稲葉氏自身が世間通常の侮辱的意味ではなくかかる価値中立的ないし正価値的な用法で用いたということを証明する必要があります。

稲葉氏の当該ツイートがまさに侮蔑的に駒崎氏にこの言葉を発した田中秀臣氏との共感をあらわにしながらなされたという状況は、その証明をほとんど不可能とするものと思われます。

稲葉氏は通常侮辱的インプリケーションを有さない(池田信夫氏は悪口としてこの言葉を使っている数少ない実例ですが(下記注参照))ステークホルダー民主主義という言葉ではなく、あえて見た人が通常侮辱的に感じると思われるクローニー資本主義という言葉を用いたのですから、それをみんなそうなんだから問題じゃないんだというような文脈で用いたと主張するのはきわめて困難な難題を抱え込んだことになるのではないでしょうか。

いずれにしても、労務屋さんがなぜここまで稲葉氏を擁護しなければならないと感じられたのかはよくわかりませんが、事態の推移を素直に見れば、稲葉振一郎氏は田中秀臣氏とまったく同様の「りふれは」としての本性を露わにしたと解するのが、もっとも事実に近いように思われます。

この解釈が自然であることは、これまで稲葉氏にはかなりの親近感を感じていたらしいRyoさんのこのつぶやきにも示されています。

https://twitter.com/knrjp/status/531524365624430592

しかし、ネットリフレ派のコアだけでなく、稲葉氏や、彼らのフォロワーまで駒崎氏を非難するのをみて、心底リフレ派に幻滅しましたよ。私自身が罵倒されたことを抜きにしても、です。

大変素直な反応であると感じられます。

(注)

上述のように通常価値中立的ないし正価値的なインプリケーションをもって用いられる『ステークホルダー民主主義』という言葉を、自らの特異なイデオロギーに基づいて、侮蔑的な意味合いで使った数少ない実例が、3法則こと池田信夫氏です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-a68e.html (ステークホルダー民主主義とは無責任なポピュリズムの反対)

こういう奇怪な実例も世の中にはあるので、クローニー資本主義を褒め言葉として用いる人が絶対にいないと断言することは困難ではありますが。

(追記)

上記エントリは、基本的に、クローニー資本主義という言葉をステークホルダー民主主義と同義と解する労務屋さんのエントリをそのまま前提としてもっぱらその価値判断レベルにおいてのみ論を進めましたが、本エントリにトラックバックを送られた「ニュースの社会科学的な裏側」のこのエントリが適切に指摘しているように、その意味内容においても大きな違いがあると言うべきことに間違いありません。

http://www.anlyznews.com/2014/11/blog-post_10.html (クローニー・キャピタリズムと言う用語は適切に使いましょう)

・・・しかし態度云々以前に、この縁故資本主義と言う言葉はもっと慎重に扱う必要がある。ある団体の代表者が、ある政策の支持や不支持を表明しても、全くクローニー・キャピタリズムにならないから。

もともとはアジア危機で注目された用語なのだが、主に政府権力者と企業の結託を批判する目的で使われてきた。フィリピンのマルコス政権が華人系企業を優遇していた事や、インドネシアのスハルト大統領の息子が大企業の重役になっていたりした事をイメージすればいい。また、上場企業などにおいて、企業統治が不透明で創業者家族の影響力が強く、外部投資家が企業経営から疎外されたり*1、縁故が無いと商談や就職や出世ができない事も入る。そう整理された単語でもないが、縁故が理由で組織の目的と合致しない行動や人事が観察されれば、クローニー・キャピタリズムと批判できる。

子育て支援が拡充されれば、駒崎氏のNPO団体の活動にプラスなのは間違い無い。しかし、代表する団体の目的と照らし合わせて、特定の政策に関して支持や不支持を表明するのは、自然な行為だ。関税や補助金の撤廃に反対する生産者団体を見て、縁故資本主義だと批判する人はいないであろう*2。元財務官僚やその家族が駒崎氏のNPO団体に多数在籍していて、それが理由で駒崎氏のNPO団体に有利な政府政策が取られれば話は別であろうが、そんな事があるのであろうか?

このクローニー資本主義という言葉を最も適切に使うべき対象は、Ryoさんが適切に指摘しておられます。

https://twitter.com/knrjp/status/531821394141540353

クローニーという言葉は、身内には甘く他には厳しいリフレ派にこそふさわしい。

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コメント

濱口さま

先日の書込みが濱口さんの意図をまったく誤解したものとわかりました。ただ、それをうけて考えたことは自分にとっては無意味ではないと思います。結果オーライです。

ですが、濱口さんには対応にこまったり、理解しがたい対応に思えたのではと思います。ごめんなさい。

この記事もふくめて、研究者なり教師なりの世間に対するコミュニケーションのあり方をきちんと考える必要があるのだと思います。

稲葉先生には、そんなに親近感は抱いていませんでした。別に嫌っても無いですが。著書も持ってますし。

ただ、一応リフレ派の中で左派の役割を担っていると思っていたので、そういう方の言動としてきわめて残念に思ったのは確かです。

twitterという媒体の性格からいって、安易に片言で
ポストモダン的な言辞を弄するには適しているが、重い話をするのに適していない。どうも、稲葉氏のような「りふれは」には最適のようだが。リベラル派に、あれほど期待されたネットワーク社会の「幻滅」・「失墜」を象徴しているように思われる。

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