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2014年11月20日 (木)

坂野潤治『〈階級〉の日本近代史』

9784062585897_obi_l 本日は、大阪で労働政策フォーラムが開かれ、労使それぞれの弁護士の皆さんと一緒に、わたくしもパネリストとして、改正労働契約法について議論してきました。

帰りの電車の中で読んでいたのが、坂野潤治『〈階級〉の日本近代史』です。

近代日本史が専門の坂野さんは、とりわけ近年、現代政治の姿に大きな危機感を感じて、繰り返しメッセージ性の高い歴史書を送り続けていますが、本書もその一冊です。

本ブログでも結構繰り返し紹介してきていますので、わかっているよ、という方も多いでしょうが、やはり繰り返し語られるべきメッセージだと思います。

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?code=258589&_ga=1.50056038.1129985248.1416490298

武士の革命としての明治維新。農村地主の運動としての自由民権運動。男子普通選挙制を生んだ大正の都市中間層……。しかし、社会的格差の是正は、自由主義体制下ではなく、日中戦争後の総力戦体制下で進んだというジレンマをどうとらえればよいのか。

「階級」という観点から、明治維新から日中戦争勃発前夜までの七〇年の歴史を、日本近代史の碩学が描き出す。

折しも安倍首相が明日解散総選挙を宣言するという今、昨日の政労使会議で、またしても経営側に賃金引き上げを求めたというニュースが流れる今だからこそ、次の一節が身にしみる思いがする人が少なくないのではないでしょうか。

・・・一般の労働者が望むのは、雇用の安定と賃金の引き上げである。彼らにとって労働組合は、この二つを実現するための手段に過ぎない。しかし、当時の労働運動の指導者にとっては、一般の労働者の二つの期待を果たすためには、まず政府に労働組合法を制定させることが必要であった。

一見したところでは何の矛盾もない労働者と労働運動者の立場は、ある状況では正反対の立場に転ずる。労働組合法の制定に肯定的な内閣が、その健全財政主義から不況を悪化させ、失業者を増大させる場合がそれである。

同じことを反対側から見れば、労働組合法の制定に否定的な内閣が、積極財政によって不景気を克服して失業者を減少させる場合がそれである。

前者の場合には、組合指導者は内閣に好意的でも、一般の労働者はそれに批判的になり、後者の場合には組合指導者は内閣に批判的でも労働者全体はそれに好意的になる。・・・

この言葉が身に沁みない人は、労働者の権利に関心がないか、労働者の生活に関心がないか、その両方の人でしょう。

・・・筆者が机上で考えれば、労働組合に好意的なリベラルな政党が『積極財政』を採用すれば、普通選挙制という政治改革が、都市中間層と労働者の増大という社会変動を吸収できたと思われる。しかし、当時はもとより、2014年の今日でも、リベラル政党はいつも『小さな政府』を目指す。戦前の憲政会=民政党然り、戦後の日本社会党=民主党また然りである。反対に保守政党は、戦前の政友会から戦後の自民党に至るまで、これまた一貫して『積極財政』の名の下に『大きな政府』を目指してきた。

この100年近く変わらないアイロニー・・・。

総同盟が「政友会は常に社会政策を無視することにおいて特色がある」と敵視していた政友会が、1932年の選挙で掲げたスローガンがこれです。

景気が好きか、不景気が好きか。

働きたいか、失業したいか。

生活の安定を望むか、不安定を望むか。

産業の振興か、産業の破滅か。

減税をとるか、増税をとるか。

自主的外交か、屈従外交か。

嗚呼、80年前のアベノミクス!

・・・「平和と自由」だけを尊重し、「格差」に目を向けない場合の最悪の結果は1937~1945年の『8年戦争』である。・・・45年には見渡すばかりの焼け野原と敗戦が待っていた。

しかし、もちろん、坂野さんはそれが必然だったと言いたいのではありません。1937年に生まれ、戦争末期防空頭巾をかぶって空襲から避難した経験を語る坂野さんは、焼け野原にならないで平等を実現する歴史のイフがあったはずだと語るのです。

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コメント

結局「対決」にこだわりすぎなんだと思います。

相手が積極財政なら、とりあえずばら撒き批判していれば、わかりやすく対決できる。財政政策で恩恵を受けてきた層は、相手の支持者に決まっているから締め上げてやれば良い、と思っている。実際には民主党政権ができるぐらいには民意は流動的だったのに、要らない敵を作り景気もぱっとしなかった。

残念なことに、景気への悪影響の大きい消費税の増税だけは、恩讐を超えて一致団結できるみたいですが。

戦前における、保守政党=大きな政府志向、リベラル政党=小さな政府志向 の対立構造を、2014年の現在に(理念型としてであれ)当てはめて政情を考えるのは、適当とは思えないですね。例えば、民主党政権時代に生活保護における母子加算復活や高校無償化を実現させたことや、その前の小泉構造改革を思い起こすと、戦前の対立構造を現在に当てはめることに違和感を覚えます。

しかし何よりも大きな違和感は、坂野氏が戦前の政治状況から類推して、現代において将来の破滅を予感している点ですね。格差による不満が先の戦争の一因になったと坂野氏はお考えのようですが、より正確に言えば単なる格差ではなく生活できないほどの貧困が戦争の遠因ではありませんか(日本史の教科書に出てくる東北農村部の身売りのレベルの貧困)。生活保護法も整備された現代において、格差がどのような破滅を呼び起こしうるのか、疑問ですね。

>例えば、民主党政権時代に生活保護における母子加算復活や高校無償化を実現させたことや、

それ以外はネオリベだったでしょう。

>より正確に言えば単なる格差ではなく生活できないほどの貧困が戦争の遠因ではありませんか

実際、「希望は戦争」だとか言ってる人もいるのでは?
貧困というのは結局のところその社会での相対的水準が問題になるので。
俗な表現をすれば娘が「結婚したい」といった場合相手の経済水準で親がどう反応するか。そもそも「娘」が「結婚」をOKしてくれるかという問題なんじゃないかなあ。

>Executorさん

全ての政策において大きな政府にしろというなら、無理です。

税を払う側にも限度があるし、労働者がみんな「極端に大きな政府」を臨むわけではない。

この記事の民主党批判は批判のための批判だと思う。

何と言うのか、戦前以上に今の方が厄介になっているって気もするんですよね。

例えば孫崎享「戦後史の正体」 http://t.co/Mfv4NeVHg9 や、その企画・編集に関わった矢部宏治「日本はなぜ、『基地』と『原発』を止められないのか」 http://amzn.to/1pWRXUS など安倍政権とは違う方向から"戦後レジームからの脱却"を主張する言説がリベラルや左派に支持されてますから。しかも、それと支持層が重なっている格好で、内田樹や浜矩子などが賞賛してる「恵まれた層から庶民への閉鎖的なトリクルダウン」「固定化されて排外的なコミュニティによる(暴力装置的な側面を含めた)相互扶助(&相互監視)」ってのにリスペクトするのも少なからず存在しますし(こうしたシステムって沖縄では既に現実のものとなっていて、米軍基地へ依存せざるを得ない http://politas.jp/articles/327 社会状況を生んでいるって指摘さえあるのに)。

欧州の新右翼ですら社会政策に力を入れヘイトスピーチに厳しかったりするのに、「憲法第9条と(漫画やゲームなどの)表現の自由」だけを尊重し、「格差や生活苦」に対し往々にしてリベラルやソーシャルが目を向けない結果、欧州以上に排外主義な上に閉鎖的で階級も士農工商で固定されたまんま・貧乏人は連帯責任と相互監視を追って相互扶助してろっていう「日本型新右翼」への支持が広がった日には身の毛が弥立つ思いがします。

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