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ステークホルダー民主主義とクローニー資本主義

駒崎さんをめぐる騒ぎで、も一つ重要な一言ツイートがこれ。

https://twitter.com/bn2islander/status/531262293359603713

縁故資本主義と仰っている方々とは、つまりステークホルダー型民主主義に反発している方々なのではないか、と言う主張でした

ステークホルダー民主主義を否定する人々のロジックについては、5年前に出した『新しい労働社会』の第4章で、こう述べました。

131039145988913400963 5 ステークホルダー民主主義の確立

三者構成原則への攻撃

 いささか皮肉なことに、日本で解雇の自由を唱える論者は、デンマークのようにマクロな労使関係を中心に国の政治を運営していくことに共感するどころか、労働者の利害を代表する労働組合を労働立法などの政策決定過程から排除することに大変熱心なようです。

 これを見事に示したのが、2007年5月に内閣府の規制改革会議労働タスクフォースが公表した「脱格差と活力をもたらす労働市場へ-労働法制の抜本的見直しを」と題する意見書でした。福井秀夫氏が中心となって執筆した同文書は、内容的にも解雇規制、派遣労働、最低賃金など労働法のほとんど全領域にわたって徹底した規制緩和を唱道するものでしたが、特に注目すべきは労働政策の立案の在り方として確立している三者構成原則(労働政策の意思決定において政労使の三者が参画すべきというILOの原則)に対して本質的な疑義を提起した点です。以下そのまま引用しましょう。

「現在の労働政策審議会は、政策決定の要の審議会であるにもかかわらず意見分布の固定化という弊害を持っている。労使代表は、決定権限を持たずに、その背後にある組織のメッセンジャーであることもないわけではなく、その場合には、同審議会の機能は、団体交渉にも及ばない。しかも、主として正社員を中心に組織化された労働組合の意見が、必ずしも、フリーター、派遣労働者等非正規労働者の再チャレンジの観点に立っている訳ではない。特定の利害関係は特定の行動をもたらすことに照らすと、使用者側委員、労働側委員といった利害団体の代表が調整を行う現行の政策決定の在り方を改め、利害当事者から広く、意見を聞きつつも、フェアな政策決定機関にその政策決定を委ねるべきである。」

 ここには位相の異なる二つの指摘が含まれています。一つは、原理的に利害関係者が調整を行う政策決定のあり方自体を否定し、(おそらくは福井氏自身のような?)法と経済学をわきまえた学識者の主導によって政策決定がなされるべきであるという次元です。もう一つは利害関係者による政策決定自体の正当性はとりあえず認めたとしても、現実の政策決定過程において労働者の利害代表者として登場する労働組合が、現実には正社員のみの利害を代表する者でしかなく、非正規労働者の利害を適切に代表し得ていないのではないかという次元です。この二つの次元をきちんと峻別して議論しなければ、問題設定が混乱するばかりで、意味のある議論にはなり得ないでしょう。

 後者については、本書が全体として論じてきたように、労働組合のみならず労働政策に関わる者すべてが真剣に取り組むべき課題です。派遣労働法制にせよ、有期労働法制にせよ、その形態で働く労働者の利害を組織的に代表し得ていない労働組合が利害関係者として立法に参加する資格があるのか?という問いに答えることなく、現実の三者構成のあり方をそのまま擁護することは困難になると考えるべきでしょう。ここまで述べてきたように、まさにこの点を改革して、正社員と非正規労働者を包括する公正な労働者代表組織として企業別組合を再構築することが、現実に可能な唯一の道であるように思われます。

 一方、そもそも利害代表者による政策決定自体の正統性を否定した前者の次元については、労働政策の基本原則に関わる問題ですので、歴史的経緯や国際的な動向にも目を配りつつ、突っ込んで考えてみたいと思います。

・・・・・・・

 このように見てくると、規制改革会議の意見書に典型的な利害関係者の関与を排除する考え方と三者構成原則の対立の背後には、民主主義をどのように捉えるかという政治哲学上の対立が潜んでいることが浮かび上がってきます。

 前者において無意識のうちに前提されているのは純粋な代表民主制原理、すなわち国民の代表たる議員は社会の中の特定の利害の代表者であってはならず、その一般利益のみを代表する者でなければならないという考え方でしょう。それをもっとも純粋に表現したものがフランス革命時に制定された1791年のル・シャプリエ法です。同法はあらゆる職業における同業組合の結成を刑罰をもって禁止しました。団結の禁止とは、個人たる市民が国家を形成し、その間にいかなる中間集団をも認めないという思想です。

 それに対してEC条約やEU諸国のさまざまな制度には、社会の中に特定の利害関係が存在することを前提に、その利害調整を通じて政治的意思決定を行うべきという思考法が明確に示されています。歴史社会学的には、これは中世に由来するコーポラティズムの伝統を受け継ぐものです。この考え方が、中世的なギルドや身分制議会の伝統が革命によって断ち切られることなく段階的に現代的な利益組織に移行してきた神聖ローマ帝国系の諸国に強く見られるのは不思議ではありません。コリン・クラウチはその著書の中で、中世の伝統と社会民主主義が結合して20世紀のコーポラティズムを生み出したと説明しています。

 大衆社会においては、個人たる市民が中間集団抜きにマクロな国家政策の選択を迫られると、ややもするとわかりやすく威勢のよい議論になびきがちです。1990年代以来の構造改革への熱狂は、そういうポピュリズムの危険性を浮き彫りにしてきたのではないでしょうか。社会システムが動揺して国民の不安が高まってくると、一見具体的な利害関係から超然としているように見える空虚なポピュリズムが人気を集めがちになります。これに対して利害関係者がその代表を通じて政策の決定に関与していくことこそが、暴走しがちなポピュリズムに対する防波堤になりうるでしょう。重要なのは具体的な利害です。利害関係を抜きにした観念的抽象的な「熟議」は、ポピュリズムを防ぐどころか、かえってイデオロギーの空中戦を招くだけでしょう。

 利害関係者のことをステークホルダーといいます。近年「会社は誰のものか?」という議論が盛んですが、「会社は株主のものだ。だから経営者は株主の利益のみを優先すべきだ」という株主(シェアホルダー)資本主義に対して、「会社は株主、労働者、取引先、顧客などさまざまな利害関係者の利害を調整しつつ経営されるべきだ」というステークホルダー資本主義の考え方が提起されています。そのステークホルダーの発想をマクロ政治に応用すると、さまざまな利害関係者の代表が参加して、その利益と不利益を明示して堂々と交渉を行い、その政治的妥協として公共的な意思を決定するというステークホルダー民主主義のモデルが得られます。利害関係者が政策決定の主体となる以上、ここでは妥協は不可避であり、むしろ義務となります。妥協しないことは無責任という悪徳なのです。労働問題に関しては、労働者代表が使用者代表とともに政策決定過程にきちんと関与し、労使がお互いに適度に譲り合って妥協にいたり、政策を決定していくことが重要です。

 現在、厚生労働省の労働政策審議会がその機能を担う機関として位置づけられていますが、政府の中枢には三者構成原則が組み込まれているわけではありません。そのため、経済財政諮問会議や規制改革会議が政府全体の方針を決定したあとで、それを実行するだけという状況が一般化し、労働側が不満を募らせるという事態になったのです。これに対し、経済財政諮問会議や規制改革会議を廃止せよという意見が政治家から出されていますが、むしろこういったマクロな政策決定の場に利害関係者の代表を送り出すことによってステークホルダー民主主義を確立していく方向こそが目指されるべきではないでしょうか。

 たとえば、現在経済財政諮問会議には民間議員として経済界の代表二人と経済学者二人のみが参加していますが、これはステークホルダーの均衡という観点からは大変いびつです。これに加えて、労働者代表と消費者代表を一人づつ参加させ、その間の真剣な議論を通じて日本の社会経済政策を立案していくことが考えられます。それは、選挙で勝利したという政治家のカリスマに依存して、特定の学識者のみが政策立案に関与するといった「哲人政治」に比べて、民主主義的正統性を有するだけでなく、ポピュリズムに走る恐れがないという点でもより望ましいものであるように思われます。

利害関係に基づいて政治を行うことを忌避する心性の根っこにあるのは、業種も職種もなく、個性も何もないのっぺりしたただ消費するだけの記号化された経済人こそを理想の人間像とする発想なのでしょう。上の福井秀夫氏の論調には明確にそれが見て取れますが、ある種の「りふれは」にも共通する感性なのかもしれません。

そういう具体的な利害を(自分のことは棚に上げて表面上)毛嫌いする心性が、一見具体的な利害関係から超然としているように見える空虚なポピュリズムの培養土となるという法則は、まさにその「りふれは」が「維新」大好きな人々と深く交錯しているという現実によってこの上なく実証されているようにも見えます。

ついでにいえば、そういう「一見具体的な利害関係から超然としているように見える空虚なポピュリズム」を振りかざす人々が、実は一番、クローニー資本主義とすら言えないような低レベルのお仲間意識むき出しの「身びいき」「情実」を平然とやりまくるという厳然たる事実についても、多くの心ある人々はもう嫌というくらい繰り返し目の当たりにしてきているはずですよね。

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コメント

クレクレ揶揄シリーズ

http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20120202/

エスピン=アンデルセンのこれまでの本は、なぜ女性の社会進出を進めるべきか、というきちんとした議論があった。そして進めたあとの見取り図もきちんと描けていた。でも、訳者たちにそれはない。この書評の冒頭で揶揄した、公共だのみの物欲しげなクレクレくん議論に終始している。
ご承知のように、現状の日本では、女性の進出は後退気味の面もある。そして彼女たちのその選択は、現在の日本のマクロ経済環境ではミクロな合理性を持っている。仕事の絶対数が少ないので、そこで激しい競争に参加するよりも退出を選ぶほうが楽かもしれない。だから現状の日本で女性の社会進出を図ろうとすれば、おそらくマクロな経済環境を改善させて経済を拡大基調に持っていく必要がある。それには日銀をなんとかして、デフレを解消し、景気回復をはかり、そこから企業の事業拡大、雇用の安定に伴う世帯収入の安定化と向上、それに伴う税収の確保、それを使った福祉改善、それに伴うさらなる事業機会の増加……というスパイラルを作る必要がある。その中で女性の社会進出もずっと強力に実現されるはず。そしてそれとあわせて、福祉拡大も含む公共支出拡大をやるのは、おそらく意味があるだろう。でもそういう全体像なしに、福祉予算を増やせ、手当を増やせというだけではおそらくかえって状況は悪化する。

投稿: お仲間 | 2014年11月10日 (月) 01時41分

職業的利益を主張すればポピュリズムにはならない←??

ポピュリズムと職業・業種は何の関係もない。労働者代表が政策決定に関与することは望ましいが、全ての労働者を代表しているというのは思い上がり。

中間団体から排除された人の意見を聞かないというのは民主主義に反する。

ポピュリズムでも賢人政治よりマシ。一人の理性で経済を統制することはできません。

投稿: 山本 | 2014年11月27日 (木) 14時53分

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最近、内閣府「子ども・子育て会議」委員である駒崎弘樹氏が、「財務省レク」を受けたこと、10%への消費税増税を予定通り実施することに賛同であることを表明し、ネットで騒ぎとなっている。 私は駒崎氏が「コミットメント」を重視していることを理解できるし、また彼が自分の立場と利害を明確にして意見を述べていることについて支持する。 これはこのエントリの本題ではないが、先に私の意見を述べると、...... [続きを読む]

受信: 2014年11月 9日 (日) 14時54分

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