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2014年11月 1日 (土)

同一労働同一賃金とは

民主党と維新の党が同一労働同一賃金推進法案を共同で提出するというニュースが流れてきたので、

http://www.sankei.com/politics/news/141029/plt1410290032-n1.html

民主党と維新の党は29日、政策責任者による定例協議を国会内で開き、維新の党がまとめた「同一労働・同一賃金」推進法案や、政府の「地方創生」関連2法案の対案を共同で国会に提出する方針で一致した。両党は安倍政権への対決姿勢を強めており、後半国会に向け、閣僚の疑惑追及だけでなく政策論議でも共闘を加速させる考えだ。

「同一労働・同一賃金」推進法案は、非正規労働者が正社員と同じ仕事をすれば待遇や賃金を同じとする内容。他の野党にも協力を求める。提出時期は、民主党が成立阻止を掲げる労働者派遣法改正案の審議状況を見ながら判断する。

改めてこの問題について真面目に考える上で必要な歴史的な経緯や近年の動向をまとめておきます。

一番詳しいのは『季刊労働法』に書いたこれですが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/equalpay.html「同一(価値)労働同一賃金の法政策」『季刊労働法』第230号「労働法の立法学」シリーズ第23回

もう少し簡略化したこちらの方が読みやすいと思います。海老原嗣生さんの雑誌『HRmics』に書いたものです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hrmics13.html「同一労働同一賃金はどいつの台詞だ?」『HPmics』8月1日号

はじめに

 非正規労働問題の一つの焦点が均等待遇であることはいうまでもありません。そしてその際にキーワードとして用いられることが多いのが「同一労働同一賃金」ないし「同一価値労働同一賃金」の原則です。なんといっても、政府自ら2010年6月の「新成長戦略」の中で、「「ディーセント・ワーク(人間らしい働きがいのある仕事)」の実現に向けて、「同一価値労働同一賃金」に向けた均等・均衡待遇の推進・・・に取り組む」と言ってますし、与野党問わず選挙マニフェストでは「同一労働同一賃金」を訴えています。

 今日では、同一(価値)労働同一賃金を主張し、正社員と非正規労働者の均等待遇を主張するのが労働側で、それに消極的なのが経営側というのが一般的な常識でしょう。実際、連合が2010年にまとめた「働くことを軸とする安心社会」では、「男性正社員中心の旧弊を改め、女性社員や非正規労働者を含めて、法律や労働協約による最低賃金規制の強化を基盤として、同一価値の仕事には同一水準の賃金を支払い、処遇全般にわたっても、均等・均衡待遇を実現していかなければならない。」と主張しています。これに対し、日本経団連は2011年度版「経営労働政策委員会報告」において、「わが国では産業横断的な職務給概念は確立しておらず」、「賃金のあり方は各国の歴史、労使慣行などによっても異なる」と、欧米型同一労働同一賃金の発想を退け、「わが国の「同一価値労働同一賃金」の考え方は、「将来的な人材活用の要素も考慮して、企業に同一の付加価値をもたらすことが期待できる労働(中長期的に判断されるもの)であれば、同じ処遇とする」と捉えるべき」と述べ、むしろ日本型職能給の考え方の堅持を主張しています。どちらに賛同するかはともかく、この労使配置状況自体に違和感を感じる向きはあまりないと思われます。

 ところが、今から半世紀前の日本では、労使の主張はまったく逆転していたのです。経営側が職務給による同一労働同一賃金の実現を声高に主張し、労働側はあれこれと理屈をこねてそれを嫌がっていたのです。ホント?ホントですよ。それをこれから見ていきましょう。

1 軍部から労組へ:戦中戦後を貫く生活給思想

 戦後日本で一般化した生活給思想の最初の提唱者は呉海軍工廠の伍堂卓雄です。1922年でした。労働者の思想悪化(=共産主義化)を防ぐ観点から、若い頃は高給を与える必要はなく、家族を養う壮年期以降に高給を払うべしと唱えたのです。この発想が戦時体制下において、皇国の産業戦士の生活を保障するという観点から、勅令や行政指導などによって企業に強制されていきました。日本の企業に生活給が普及したのはこの時期です。

 敗戦によりそれらの法令がなくなったので、賃金制度も元に戻るかと思いきや、そうはなりませんでした。今度はそれを支えたのは、急進的な労働運動だったのです。1946年の有名な電産型賃金体系は、本人の年齢と扶養家族数に応じて生活保障給を定める典型的な年功賃金制度でした。当時、GHQの労働諮問委員会や世界労連(国際自由労連が脱退する以前の西側中心の国際労働運動)は、そういう賃金制度を痛烈に批判していたのですが、日本の労働組合は断乎として同一労働同一賃金原則を拒否したのです。1947年に制定された労働基準法が当初案の「同一価値労働同一賃金」ではなく「男女同一賃金」にしたのも、労働側が「いはゆる生活賃金、生活をし得る程度の賃金を与へるといふ考へ方と、男女同一価値労働に対する同一賃金といふ観念とには矛盾がある」と指摘したためです。

2 経営側の主張する同一労働同一賃金原則

 これに対し、1950年代以降力を回復してきた経営側は、労働側の賃上げ要求に対して、構造論としての賃金制度改革論、すなわち職務給への移行の論陣を張っていきます。とりわけ1955年に当時の日経連が総力を挙げて刊行した『職務給の研究』という大著は、「賃金の本質は労働の対価たるところにあり、同一職務労働であれば、担当者の学歴、年齢等の如何に拘わらず同一の給与が支払われるべきであり、同一労働同一賃金の原則によって貫かれるべきものである」と高らかに宣言しています。また1962年の「賃金管理近代化の基本方向」という文書は、職務基準の原則、年齢別格差縮小の原則、社会的標準化の原則を提示し、「10年から20年の期間ではなく、目前緊急の課題」として職務給に移行することを打ち出しています。

 当時の賃金格差問題は主として大企業と中小零細企業の格差が論じられていましたが、日経連は「大企業における終身雇用制という封鎖的な雇用体系と、その中で形成されてゆく年功序列的な賃金体系」が規模別賃金格差の背景であり、これを解決するには「職務価値に応じた合理的な賃金体系」が重要であると主張していました。信じられないかも知れませんが、当時の日経連は日本社会近代化論の最尖兵だったのです。

3 労働側のリラクタントな姿勢

 これに対して労働側は、口先では同一労働同一賃金を唱えながら、実際には生活給をできるだけ維持したいという姿勢でした。この点で興味深いのが、1949年にマルクス経済学者の宮川實が唱えた「同一労働力同一賃金説」です。彼によれば、マルクス経済学では労働力の価値とは労働力が作り出す価値ではなく、労働力を再生産するために必要な労働の価値なのだから、賃金は労働の質と量に応じて支払われるべきというのは間違いであって、労働力の再生産費によって決まるべきであると唱えました。だとすれば単身の若者の賃金が低く、妻子のある中高年の賃金が高いのは経済学にまったく正当ということになります。さすがに労働組合が正面からこの理屈を掲げたことはないようですが、本音としてはかなり共有されていたのではないかと思われます。

 実際の組合の運動論では、賃金闘争はもっぱら「大幅賃上げ要求」一本槍で、労働者内部に対立をもたらすおそれのある賃金制度の問題は慎重に避けられていたようです。総評の1962年運動方針では、「職務給は同一労働同一賃金を実現するものだという宣伝によって労働者を巻き込もうとする。しかし、それは格差をちじめるだけで労働者の要求とはまったく違う」「われわれが要求しているのは、単に年功なり、男女なりの賃金格差が縮小すればよいということではなく、年配者、男子の賃金を引き上げながら、青年なり婦人なり、臨時工なりの賃金をいっそう大きく引き上げて短縮する。言い換えれば、同一労働同一賃金は賃金引き上げの原則であって、単なる配分の原則ではない」と、苦肉の表現をしています。

4 政府の積極姿勢

 では政府はどういう立場だったのでしょうか。これまた大変意外の念を抱かれるかも知れませんが、1960年の国民所得倍増計画を始めとして、当時の政府の政策文書は口を揃えて「賃金、雇用の企業別封鎖性を超えて、同一労働同一賃金原則の浸透、労働移動の円滑化」を唱道していました。特に1963年の「人的能力に関する経済審議会答申」は、「今後の賃金制度の方向」として「職務給のもとで職務評価によって公平に職務間の賃率の差を定めることができるとともに、個個の職務においては同一労働同一賃金の原則が貫かれる」と述べ、さらに「本来、本工、臨時工という身分差に基づく雇用条件の差は認められるべきではなく、将来職務要件に基づく人事が徹底すれば、同一職務における身分差は消滅するであろう」と、非正規労働問題の解決も展望に入れていました。

 労働行政においても、1965年の雇用審議会答申が「近代的労働市場の形成」を看板に掲げ、職業能力と職種を中心とする労働市場を形成することによって労働力の流動性を高めるとともに、「年功序列型の雇用賃金の改善」を示していますし、1970年の婦人少年局長通達はなんと「パートタイマーは労働時間以外の点においてはフルタイムの労働者と何ら異なるものではない」(婦発第5号)と述べていたのです。1967年に政府がILOの「同一価値労働についての男女労働者に対する同一報酬に関する条約」(第100号)を批准したのも、こういう時代精神を抜きにしては理解しにくいでしょう。

5 そして誰も言わなくなった・・・

 こういう60年代までの動きからすると、日本でも職務給が一般化し、同一労働同一賃金原則が確立する方向に動いていっても不思議でなかったように見えますが、あに図らんや事態は全く逆の方向に進んでいったのです。それを一言でいえば、仕事に着目する職務給からヒトに着目する職能給への移行です。これをリードしたのも、理屈もなく反対していた総評ではなく、職務給を推進していたはずの日経連でした。1969年に取りまとめられた『能力主義管理』は、「われわれの先達の確立した年功制を高く評価する」と明言していわゆる職能資格制度を唱道し、明確にそれまでの職務中心主義を捨てました。

 そして、大変興味深いのは、これを契機にしてこれ以後賃金制度の問題が労使間でもはや議論にならなくなってしまったということです。口先では同一労働同一賃金を唱えながら、本音では年功制を維持したいと考えていた労働組合側にとって、日経連の転換は好都合なものだったのでしょう。政府も石油ショックで遂に態度を転換し、内部労働市場中心の雇用維持政策を追求するようになります。

 これに対応するのが、労働経済学における内部労働市場理論の興隆であり、その結果、賃金制度について1930年代から1960年代半ばまで議論は盛んに行われたにもかかわらず、その後の20余年間は議論が途絶してしまいました。当時の最先端にあった小池和男の理論とは、総評が自力では展開できなかった職務給の理論的反駁を経済理論を駆使してスマートにやってのけた(ように見えた)のです。そして、ここで失われたのは、それまで曲がりなりにも口先では維持されてきた同一労働同一賃金原則でした。そんな「古くさい」代物は誰からも顧みられなくなってしまったのです。

6 「均衡」ってなあに?

 同一労働同一賃金原則が政策課題として復活するのは、パートタイム労働をめぐる議論のなかからですが、その道行きはなめらかではありませんでした。1970年の通達ではパートは身分ではないと言っていた労働行政も、1984年の労働基準法研究会報告では、採用基準や採用手続の違いからパート労働者を異なる身分として扱う日本的雇用慣行を所与の前提とする発想にどっぷりつかっていました。

 そうした中で1992年に成立したパート労働法には、国会修正で「その就業実態、通常の労働者との均衡等を考慮して」という一句が盛り込まれました。盛り込まれたのはいいのですが、この「均衡」がどういう意味であるのか、何をどうやれば均衡に扱ったことになるのか、どこにも答はなくなっていたのです。こうして、労働行政は何回も研究会を繰り返し、2003年に大臣指針、2007年に法改正と、10年、15年かけて「均衡」ってなあに?という問いに対する答を探し求めてきました。

 なぜ答を探し求めなければならなかったかといえば、かつて1960年代までであれば政府も経営側も当然のような顔をして提示したであろうはずの同一労働同一賃金原則が、今さら恥ずかしく表に出せない代物になってしまっていたからでしょう。

7 不合理な相違の禁止←いまここ

 昨年末から今年にかけて、非正規関係の立法提案に動きがありました。今年3月に国会に提出された有期労働契約関係の労働契約法改正案では、「労働条件の相違は、労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度、当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して、不合理と認められるものであってはならない」という規定を設けようとしていますし、パート法について審議している労政審の部会に提示された報告案には、「職務の内容、人材活用の仕組み、その他の事情を考慮して不合理な相違が認められないとする法制を採ることが適当」と述べています。こういう不合理な相違の禁止が現段階の法制のイメージのようです。

 これらの法案や提案が今後どうなるかは分かりませんが、労使のぎりぎりの妥協としてこういう苦肉の表現をせざるを得ないというところに、かつて主唱していた職務給型同一労働同一賃金原則とはかけ離れてしまった日本の経営側の立場がよく窺われます。しかし考えてみれば、労働側だってずっと日本型職能給の世界に生きてきたわけですし、そもそもかつては経営側や政府の職務給攻勢に対して必死で防衛していた立場であるわけで、自分たちの賃金制度をどうするつもりで「同一労働同一賃金」などという本当は大変なはずのことを軽々と主張しているのだろう、という疑問も湧いてきます。

 もしかしたら、連合にとって同一労働同一賃金原則というのは、女性とかパートとか非正規といった特別な人たちについて論じるときにのみ持ち出される非常用設備であって、自分たちの日常の賃金制度に直接関わるものとは意識されていないのかも知れません。

8  同一労働同一賃金はどいつの台詞だ?

 改めてこの数十年の歴史を振り返ってみると、「攻守ところを変え」という言葉が思い浮かびます。1950年代から60年代には経営側や政府が同一労働同一賃金原則を声高に主張し、労働側は正面から反論しにくいものだからいろんな屁理屈をこねていたのに、そんな問題が意識されなくなった時代を間に挟んで、1990年代から2000年代には労働側が(どこまで本気であるかはともかく)同一労働同一賃金原則を声高に叫び、経営側は「同一価値労働かどうかは中長期に判断するのだ」などと苦肉の反論をしています。

 同一労働同一賃金という字面それ自体はまことにもっともな原則であるがゆえに、反論する側が屁理屈になる傾向があるわけですが、そもそも声高に主張している方が(かつての経営側にしても現在の労働側にしても)どこまで本気で言っているのかいささか疑問なしとしないというところも、かつてと現在の共通点かも知れません。

 なんにせよ、こういう経緯を眺めてくると、「同一労働同一賃金はどいつの台詞だ?」といいたくなりますね。どいつもこいつも本気じゃないのに・・・。

紆余曲折の結果、現時点で「同一価値労働同一賃金原則」をまともに導入することに対する明示的な最大の抵抗勢力は、かつてそれを主唱していたはずの経営者側であり、経営側がダメというものには政府もなかなかうんと言えないという皮肉な状況になっていると言うことですね。

それを維新の党と民主党というコンビで法案を出すというあたりに、今日の日本の政治状況の複雑怪奇さが現れていると言うこともできるかもしれません。

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どいつの台詞か・・・派遣労働者たちの声ではないのですか?

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