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2014年11月 2日 (日)

読書サイトにおける拙著書評いくつか

ネット上には書評サイトがいくつかありますが、拙著がいくつかそれらの上で書評されていましたので、ご紹介。

その中でもとりわけこの「ランビアン」さんによるブクレコ上の書評は、大変詳細かつ深く分け入って拙著『日本の雇用と労働法』(日経文庫)を読み込み、現下の労働問題に引きつけて論じていただいている、すばらしい書評です。

http://bookrepo.com/book_report/show/372757二十四時間戦えますか?

112483 日本人、ことに男性の長時間労働があらためて問題となっている。解消が進まない待機児童の存在と並び、女性の社会進出を妨げる要因として、その解消が強く叫ばれているのである。

これが重大な問題であることに異論はないが、私が違和感を覚えるのは、一部のフェミニストによる主張、すなわち長時間労働が解消しないのは「男は職場、女は家庭」という性別役割分業意識のせいだという言説である。

仮にこの主張が正しいとするなら、日本の男たちが明日からでも心を入れ替えて、超過勤務をせず定時に退社するよう努めれば、諸般の問題はすべて解決ということになってしまう。

そんなバカなことがあるはずがない。日本の男性がみな仕事中毒だなどというのは真っ赤な嘘で、私のように残業が大嫌い(読書時間が減るから当然だ)な男も多いはずである。その私ですら、在京時には日々深夜どころか朝方までという長時間勤務に耐えねばならなかったのである。

男女を問わず、日本の企業で正社員として働いたことのある人ならわかるはずだ。そこではいわゆる付き合い残業でさえ、否応なく引き受けねばならない業務の一環なのである。それは総合職の女性たちにとっても同じことであって、現に私の職場でも、女性がほぼ男性同様に残業をこなしている。

だが、なぜ日本でだけ一向に超過勤務縮減が進まないのか。終身雇用制は理由にならない。終身雇用であろうがあるまいが、自分の仕事を片付ければ帰宅して構わないはずではないか。冒頭に述べた怪しげな見解も含めて様々な分析がなされているが、案外見落とされているのが根本の部分、すなわち企業と労働者との間で締結される労働契約のあり方だ。

実は、日本の労働契約は世界に類を見ない異様な代物なのだが、その事実を知っているサラリーマンは案外少ないように思われるのである。

日本以外の先進国においては、労働契約とはすなわちジョブ契約である。これこれの仕事をするから、これこれの給与を支払うという、きわめて具体的な取り決めが契約上で行われる。各人がなすべき業務の範囲は明確に決められており、それ以外の仕事をする必要はなく、やったところで評価もされない。

そして、企業の業績不振や事業分野からの撤退によってやるべき仕事がなくなれば、その業務に従事していた社員は解雇される。当の社員は特定の範囲のジョブとセットになっているのだから、しごく当然の話である。

対する日本でも、むろん各自の仕事の範囲は一応決まってはいる。だが、それは労働契約で規定されているのではなく、使用者の命令によっているにすぎない。つまり契約上日本の労働者は、その企業の中のすべての種類の業務に従事する義務があり、会社にはそれを要求する権利があるのだ。

だから日本では、各自がそれぞれの仕事をやっているのではなく、いわば社員全員で一つの仕事をやっているのである。同僚の多忙は他人事ではなく、付き合い残業という奇怪な現象が発生し、業務の繁忙期における相互応援が当然視されるのはこのためだ。

一方、その代償として、企業側には各社員をギリギリまで解雇しない努力が求められる。ジョブがないから社員も不要、というわけにはいかないのだ。ある工場を閉鎖したり、ある分野から撤退しても、別の工場や新たな分野への配置転換によって、企業は社員に新たな仕事を与える義務がある。

翻って労働者の側も、望まない仕事や遠隔地への転勤を甘受せねばならないことになる。勢い各人が辿るキャリアパスは多様となり、結果として特定分野のスペシャリストよりも、多様な分野への適応力を備えたゼネラリストが重んじられる傾向が生まれてくる。

要するに、日本の労働契約とは、社員が従事すべき業務とその対価を取り決めるジョブ契約ではなく、単に彼がその会社のメンバーに加わることを確認するにすぎない「メンバーシップ契約」なのである。新卒一括の採用方式も、特定のジョブの担い手を探すというより、その会社共同体に相応しい新メンバーを選定するための「通過儀礼」だと考えればわかりやすい。

かかる特異な労働契約のあり方から、長期労働慣行、年功賃金制度、企業別労働組合という、日本の労働法制における〝三種の神器〟が発生してくる。

しかし、社員全体で一つの仕事を、というメンバーシップ契約の建前を文字通りに適用した日には、とてもではないが各社員の身がもたないから、これをあたかもジョブ契約であるかのごとく運営していくための実務上のルールが必要となり、それが労働裁判において確立してきた判例法理ということになる。

以上、見てのとおり、日本の労働法制は現実と建前、契約と法と慣行とが絡み合った、複雑怪奇というほかない内容を有しているのだが、本書『日本の雇用と労働法』は、その構造と実態を簡明に解き明かしてくれる好著である。

著者の濱口桂一郎は、労働法制の実務に精通した元厚生労働官僚であり、現在大きな課題となっている雇用制度改革にも活発な提言を行っている注目の論客だ。

濱口は上述した日本の労働法制の構造を解説するにとどまらず、このユニークな制度が形成されてきた歴史的経緯も詳説しており、現下の労働問題に関心を持つ人ならば、最低限読んでおくべき基本書として推奨したい。

殊に現代日本人が知っておくべきは、この日本型雇用システムが確立するに際して、先の戦争が大きな役割を果たしたという事実である。国家総動員体制の中で、従業員の事実上の解雇禁止や年功賃金が企業に強制され、戦後の労働運動がこれを引き継いだ。

当時の日本国民の経済的平等への強烈な志向が戦争の遠因になったことは、坂野潤治や井上寿一ら政治史家も指摘している。終戦後に日本の高度成長のエンジンとなったのは、雇用制度の安定と戦中・戦後に味わった貧困への恐怖という、戦争の置き土産だったのかもしれない。

ここまでお読みいただければわかるとおり、実は日本人の長時間労働問題を解決するのは難しくないのである。ただ日本型の雇用制度を欧米流のジョブ型に変えさえすればいいのだ。そうすれば付き合い残業も転勤もなくなり、「社畜」問題も雲散霧消するだろう。

恐らく、多くの経営者や政治家がこうした欧米型労働システムへの転換を考えているはずである。新自由主義政党である日本維新の会はもちろんだが、日立による年功賃金見直しを安倍首相が好意的に評価してみせたことも、かかる潮流の強さを示しているといえる。

この転換が実現すれば、時短により家族とのゆとりのある生活が実現する反面、自社の業績が悪化すれば職を失うことになり、少数のエリートを除くほとんどの労働者が昇進や昇給と無縁になる結果、賃金水準は大幅に低下するだろう。

これは共働きの事実上の強制化によって対処するほかないだろうから、女性も絶対に仕事を止められない時代がやってくるが、働きたいという女性がこれだけ多いのだから、大きな問題とはなるまい。いずれにせよ、こうしたシステムの転換が日本の社会や文化にいかなる影響を与えるかをこれ以上推測することは、私の乏しい知的能力を超えている。

その他、読書メーターでは「Maho」さんによる『日本の雇用と中高年』の書評と、

http://bookmeter.com/cmt/42289903

26184472_1 日本はバブル崩壊までずっと年功序列型の雇用形態が叫ばれていると思っていたため、1960年代にジョブ型に移行しようとする動きがあったことを知って驚きました。また、管理職への昇進の仕方も日本は欧米からすると独特なのだろうなと感じました。年齢が上がって子育てや教育にお金がかかるようになったら社会全体で支えられるようになればいいなと感じました。例えば児童手当の他に、就学援助の拡大や住宅購入費や家賃の補助などもあればと思います。

「みい」さんによる『若者と労働』の書評がアップされています。

http://bookmeter.com/cmt/42415911

Chuko 日本の雇用システムはメンバーシップ型。非正規雇用者の不安定さ、正規労働者の働きすぎ、いろいろな問題を解決する方法として、ジョブ型正社員という働きかたの提案。なるほど。現実に即して、より働きやすく生活しやすく会社にとってもメリットを、ってことね。

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