野村正實『学歴主義と労働社会』
野村正實さんより『学歴主義と労働社会』(ミネルヴァ書房)をお送りいただきました。ありがとうございます。
http://www.minervashobo.co.jp/book/b184828.html
畢生の大著『日本的雇用慣行』から7年、久しぶりの野村さんの本は、学歴社会がメインテーマ、自営業がサブテーマです。
しかし、開設当初の本ブログをお読みいただいていた方々には、そこで時々紹介していた、若き高専時代の野村さんの回想記が基調低音になっている本だと言った方が良いかもしれません。
近代における学校制度の整備によって、学校教育は労働社会の前提条件となった。労働研究において重要なテーマでありながら、これまで取り残されてきた「学校と労働社会」の関係は、いかなるものか。「初期高専生」としての著者自らの経験に照らすとともに、丹念に文献を精査しつつ学歴社会成立の淵源をたどり、産業構造および就業構造の変化がどのように「学校」とそれを取り巻く社会を変えたのかを問う。
[ここがポイント]
◎ これまで取り残されてきた労働研究からみた「学歴」「学校」の実証分析。
◎ 「初期高専生」としての自身の経験も織り交ぜ、学歴社会の成立の淵源を検証する。
本書における高専(高等専門学校)は、未だ学歴主義になっていなかった最後の世代の中の優秀な層であった著者らを美しい言葉で呼び込みながら、社会に出たら学歴主義の中で大卒未満の存在にしてしまった怨みの対象であるのですが、それはちょうど日本社会が全国的に学歴主義に飲み込まれていく最後の時代でもあったわけですね。
野村さんは高専の設立経緯を批判的に書かれているのですが、50年代から60年代初期にかけての時期、政府や経済界がそろって職務給や職務型労働市場の形成を訴えていたこと、通俗道徳的な「手に職」思想を、ドイツ型の職業資格社会にしていこうという志向があったことは確かなので、このまさに野村さんの世代が高専に進学した時期に、そうならなかったこと、つまり職業的意義なき学校歴主義が国民一般に広がっていったことは、当時の国民の選択であったとしか言いようがないのでしょう。
序 章 本書の課題と主張
1 「労働問題研究」における学校理解
2 「学校から職業へ」の研究
3 学歴主義研究、学歴社会論
4 本書の主張
5 「学歴主義」「学歴社会」の定義
第1章 学歴社会成立にかんする通念
1 中村正直訳『西国立志編』
2 福沢諭吉『学問のすゝめ』の主張
3 近世社会と明治社会
4 学歴主義の異常な高まり?
5 立身出世論と学歴主義論との融合
6 小 括
補論1 「労働市場」という用語
1 「労働市場」という用語の歴史
2 「労働」という言葉
第2章 学歴社会は「昭和初期」に成立したのか
――天野郁夫編『学歴主義の社会史』への初期高専生としての批判
1 天野郁夫編『学歴主義の社会史』への関心
2 天野編[1991]の内容
3 丹波篠山と遠州横須賀の類似点
4 私の中学生時代
5 進学先の決定
6 沼津高専での学生生活と中退
7 高専中退後
8 郡部における学歴社会の成立と未成立
9 学校の類型
10 初期高専生の意義
11 初期高専生と通俗道徳
12 小 括
第3章 学歴主義の局地的成立(男性)と特定的成立(女性)
1 男女別の学歴主義
2 「文官試験試補及見習規則」とその背景
3 「文官任用令」
4 「文官試験試補及見習規則」と「文官任用令」の意義
5 民間大会社における学歴と身分
6 女性官吏
7 男性学歴主義の局地的成立
8 女性学歴主義の特定的成立
補論2 近代初期の学校制度
1 男女別学の原則
2 男子の学校
3 女子の学校制度
補論3 逓信省の「雇」
1 『逓信省年報』における呼称
2 推測できるいくつかのこと
第4章 文官高等試験と女性
1 秦[1983]の主張の論拠
2 試験規則の変遷
3 中学校と高等女学校
4 「専門学校入学者検定」(専検)
5 文官高等試験予備試験の受験資格
――1905年改正と1909年改正の意味
6 戦前の法律における性差別
7 1918年「高等試験令」
8 女性の高等官への任用を否定する論理
9 小 括
第5章 自営業の衰退がもたらしたもの
1 自営業への注目
2 都市雑業層論
3 隅谷三喜男による「都市雑業層」概念の提起
4 二重構造論
5 自営業の理解
6 二重構造と経済発展
7 自営業の衰退と学歴主義
補論4 菅山真次『「就社」社会の誕生』の検討
1 菅山[2011]の内容
2 全体にかかわるコメント
3 第4章における菅山の主張
4 おわりに
第6章 資格制度と学歴主義
1 近代ドイツ=「資格社会」論
2 日本における職業資格
3 下方に展開しなかった日本の資格
4 技能検定=技能士
5 「資格社会」論からみる日本
本書のコア部分である高専時代の自叙伝的書評を紹介したエントリ:
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_8684.html (野村正實先生の自叙伝的書評)
野村正實先生のHPに、超特大級の書評、400字詰めで100枚という長大な書評が掲載されました。書評されているのは天野郁夫さんの「学歴主義の社会史」ですが、この書評の読みどころは何よりも、天野著書で描かれた丹波篠山との対比として、遠州横須賀の少年時代を描いた自叙伝的部分にあります。
本田由紀先生のいう「教育の職業的レリバンス」がいつの時代にどのように失われていったかを、細かい襞に分け入るように描き出した素晴らしい(書評という形をとった)文章だと思います。ちなみに、この中で、
>丹波篠山にかんするプロジェクト・メンバーは、天野郁夫を代表者として、吉田文、志水宏吉、広田照幸、濱名篤、越智康詞、園田英弘、森重雄、沖津由紀であった。これだけのすぐれたメンバーを集めながら、なぜ理解を誤ってしまったのであろうか。
というのがいささか皮肉になっています。
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この本は興味深くよみました。
労働問題については、何といっても、このブログですが、本書に言及されるとは、(失礼ながら)さすがです。なぜ、日本の教育社会学者は、この労働問題の気鋭の学者がいう程度のことに気づかなかったかとさえ思えます。その洞察は深いのですが、特に経済的にめぐまれたない地方出身者に内面化された意識を、うまく学術的に整理してくれています(皮肉を利かせて)。
ところで、よく高専関係者は、高専が独自の存在意義を持って、産業社会に大きな地位を占めているなどと言いますが、野村教授の分析は逆で、技術者不足が顕在化した時期に工学部が飛躍的に増設されたことが重なっていたため、実際は、高専は技術者社会でもマイナーな存在であるという分析をしています。おそらくは、高専の就職先(地位のことではな)がいいのは、比較的成績上位者に、中堅技術者枠を独占させた結果に過ぎないからでしょう。歴史的にも、日本の技術は、①終戦までにその礎ができたのであるし、②それが飛躍した高度成長にも、高専出身者はかんでいません。独自の地位ではあったが、大きなインパクトはなかったわけです。
以上の論は、高専についてやや酷な書き方と思われるかもしれませんが、野村教授やその同級生、そして、今もいるかも知れない、「学歴主義」社会のコースを、成績が原因ではなく、外れてしまった人たちが味わった思いに比べれば、何のことはない、とさえ思えてくるのである。
投稿: 光山保一 | 2016年2月15日 (月) 21時23分