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2014年10月

第100回全国図書館大会

今日から明日にかけて、明治大学で第100回全国図書館大会が開かれていますが、そのうち明日開かれる第18分科会では、「非正規雇用職員の今とこれから」というテーマで講演とシンポジウムが行われます。

http://jla-rally.info/tokyo100th/index.php/section18

公共図書館の非正規雇用職員は総職員数の7割にに近づき、他の館種においても過半数を越えている。これらの非正規雇用職員は不安定な雇用と低賃金など低い労働条件で今日も現場を支えて働いている。公共図書館と学校図書館の現場からその現状を報告する。 また図書館を発展させていくためには、今後これらの職員をより安定した雇用に切り替わらせて行かなくてはならない。そのためにはどうしたら良いのか、「ジョブ型(職務限定型)正社員」の考え方や各自治体の公契約条例、日本図書館協会の公契約基準を紹介することによって道筋を探り、共に考えて行きたい。

この分科会の基調講演をわたくしが行います。

基調講演:濱口桂一郎(労働政策研究・研修機構)

               テーマ 「ジョブ型(職務限定型)正職員について」

報  告  1:岩渕健二(荒川区立荒川図書館) 「現場の非正規雇用職員から」

報  告  2:松井祐次郎(国立国会図書館調査及び立法考査局国会分館) 「公契約条例の現況」

報  告  3:小形 亮(日本図書館協会図書館政策企画委員会) 「日本図書館協会の公契約基準」

報  告  4:佐藤千春(日本図書館協会学校図書館部会) 「学校図書館非正規雇用職員の現状」

スケジュール

9:00 ~ 受付

9:30 ~ 濱口氏講演(105分)

11:30 ~ 岩渕氏報告(30分)

14:00 ~ 松井氏報告(1時間)

15:00 ~ 小形氏報告(30分)

15:45 ~ 佐藤氏報告(30分)

17:00 終了

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女性の就労促進のための国家戦略特区というのなら・・・

政府が国家戦略特区法改正案を閣議決定したと報じられていますが、

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS31H0H_R31C14A0EAF000/?n_cid=TPRN0003政府、戦略特区法改正案を閣議決定

政府は31日、地域を絞って規制緩和を実施する国家戦略特区の追加メニューを盛り込んだ国家戦略特区法改正案を閣議決定した。女性の就労促進に向けた環境を整えるため、地域限定の保育士制度や家事支援の外国人受け入れを可能にする。来年4月に施行する予定で、今国会成立をめざす。

その法案はこれですが、

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/kettei/pdf/h261031_1.pdf

それよりも、日経新聞のいかにも日経らしい間違いを指摘しておきます。

国家戦略特別区域法の第1条は、

この法律は、我が国を取り巻く国際経済環境の変化その他の経済社会情勢の変化に対応して、我が国の経済社会の活力の向上及び持続的発展を図るためには、国が定めた国家戦略特別区域において、経済社会の構造改革を重点的に推進することにより、産業の国際競争力を強化するとともに、国際的な経済活動の拠点を形成することが重要であることに鑑み、国家戦略特別区域に関し、規制改革その他の施策を総合的かつ集中的に推進するために必要な事項を定め、もって国民経済の発展及び国民生活の向上に寄与することを目的とする。

と、「規制改革」と書かれていて、「規制緩和」とは書いていません。もちろん、やっている人たちは圧倒的に規制緩和しか念頭にないのでしょうが、「我が国の経済社会の活力の向上及び持続的発展を図るため」に規制強化が必要であれば、それを粛々とやるのが規制改革という言葉の本来の意味でしょう。

で、「女性の就労促進」です。

なんで、そのためにする「規制改革」が保育士や外国人家事使用人の規制緩和だけなのか。

それこそ、女性の就労促進のためには男性の働き方改革が大事だと山のように言われていて、しかしそんなに簡単にできないよ、ということでここまで来ているんですから、それこそ国家戦略特区の人たちのお得意の言い方をそのまま引っ張ってくれば、全国レベルでは色々と抵抗があってやりにくいことこそ、その特区で実験的にやってみたらいいじゃないですか。

それこそ、その特区内だけでは、男性も一定時間の時間外労働を禁止するとか、育児休業は半分は必ず男が取らなければならないとか、全国レベルでやろうとしても経営側が猛反対して到底できそうもないことこそ、そういう利害関係者の利害に基づく議論からフリーなはずの特区でやったらいかがですかね。

(追記)

保守おやじさんが

https://twitter.com/roumuya/status/528103142861197314

お気持ちはわかるもののそうだとすると反射的に経営者を労働組合に置き換えて労働官僚が死にきり抵抗している解雇自由特区とかもやりましょうという話になってしまってヤバいのではあるまいか。

いや、すでにそうなっているので、たまには違う方向でやってみたら、と、こういう嫌みを言ってみているだけです。

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昨日の講義で

法政大学公共政策大学院で秋学期の「雇用労働政策研究」という講義をやっているのですが、昨晩「労働人権法政策」の話で、学生たちと話しているうちに、在特会の言ってることはどうなの?みたいな話になっていったのですが、結局、戦後日本ではまともに人種・民族差別を論ずるという形にならず、その代替物として国籍差別という形で論じられてきたことの問題もありそうです。

終戦直後に労働基準法が制定されたとき、本来なら憲法と同様に人種が入るべきところで人種が入らず、代わりになぜか国籍が入っているのですね。

第三条  使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。

この点について、制定担当者の寺本廣作名著は、

我が国に於いては将来人種問題よりも労働問題としては国籍問題が重要性を持つと考えられた為である。戦時中に行われた中国人労働者、台湾省民労働者及び朝鮮人労働者に対する差別的取扱いは再建日本の労働立法に当たっては特に反省せらるべきところであった。

と述べているのですが、よく考えると戦時中の台湾人、朝鮮人は外国人ではなく、大日本帝国の中の民族差別であったわけで、やや概念が混乱しているようです。

そもそも世界的に、国籍による異なった取扱いは主権国家として出入国管理の観点から当然あり得るわけで、国籍による差別が問題となりうるのは合法的に居住就労する外国人労働者に限られるのですね。

在日問題は本来同じ国籍の中の人種民族差別問題であったものを一律に国籍問題にしてしまったことが出発点にあることを考えると、その出発点近くの頃の労働基準法の規定ぶりの変なところ、本来あるべき人種がなくて代わりに国籍がある、ということの問題に遡って考えていく必要があるような気がします。

このことと、1995年に一応人種差別撤廃条約に加入していながら、女性差別撤廃条約や障害者権利条約と違って国内法には一切手を付けていないままになっているということとを考え合わせると、戦後日本の国際標準からしてある種変なところが浮かび上がってくるように思われます。

社会学者だったら、人種民族差別禁止とか言っちゃうと単一民族国家幻想が崩れるから、国籍の問題にしておくという無意識の機能が働いたのではないかとか言うかも知れませんね。

(参考)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo140725.html(「人種差別撤廃条約と雇用労働関係」 )

 昨年6月に障害者雇用促進法が改正され、障害者に対する差別の禁止や合理的配慮の提供が規定されたことは読者周知のことと思います。同月にはより一般的な法律として障害者差別解消推進法も成立しています。これら立法が、2006年に国連総会で採択され、2007年に日本政府が署名した障害者権利条約の批准のためのものであることもよく知られているでしょう。
 このように国際条約の批准のための立法として最も有名なのはいうまでもなく、1979年に国連総会で採択され、1980年に日本政府が署名した女性差別撤廃条約とそれを受けた1985年の男女雇用機会均等法です。
 他にこのような例はないのでしょうか。国際条約としては障害者や女性よりももっと早く。1965年の国連総会で採択された人種差別撤廃条約があります。ところが、労働法の世界でこの条約が議論されることはほとんどありません。多くの読者にとっては意外な事実かも知れませんが、実は日本政府は1995年にこの条約に「加入」しており、1996年1月14日から日本について「条約」の効力が生じているのです。ところが、この条約を実施するための国内法というのは存在していません。
 アメリカでもヨーロッパでも、差別禁止法制といえばまずは人種差別と男女差別から始まり、やがて年齢差別や障害者差別に広がっていき、さらにこういった属性による差別とは異なる類型として雇用形態による差別的扱いも問題にされるようになっていったというのが歴史の流れなのですが、日本ではその最も根幹のはずの人種差別が、条約の効力はあるとはいいながらそれを実施する国内法は存在しないという奇妙な状況がずっと続いていて、しかもそれを(少なくとも雇用労働分野では)ほとんど誰も指摘することがないのです。
 かつては女性差別撤廃条約を批准するためには国内法整備が必要だと言って男女雇用機会均等法が制定され、最近は障害者権利条約を批准するために国内法整備が必要だと言って障害者雇用促進法が改正されたことと比べると、人種差別撤廃条約に対するこの国内法制の冷淡さは奇妙な感を与えます。実は、2002年に当時の小泉内閣から国会に提出された人権擁護法案が成立していれば、そこに「人種、民族」が含まれることから、この条約に対応する国内法と説明することができたはずですが、残念ながらそうなっていません。
 このときは特にメディア規制関係の規定をめぐって、報道の自由や取材の自由を侵すとしてマスコミや野党が反対し、このためしばらく継続審議とされましたが、2003年10月の衆議院解散で廃案となってしまいました。この時期は与党の自由民主党と公明党が賛成で、野党の民主党、社会民主党、共産党が反対していたということは、歴史的事実として記憶にとどめられてしかるべきでしょう。
 その後2005年には、メディア規制関係の規定を凍結するということで政府与党は再度法案を国会に提出しようとしましたが、今度は自由民主党内から反対論が噴出しました。推進派の古賀誠氏に対して反対派の平沼赳夫氏らが猛反発し、党執行部は同年7月に法案提出を断念しました。このとき、右派メディアや右派言論人は、「人権侵害」の定義が曖昧であること、人権擁護委員に国籍要件がないことを挙げて批判を繰り返しました。
 全くの余談ですが、この頃私は日本女子大学のオムニバス講義の中の1回を依頼され、講義の中で人権擁護法案についても触れたところ、講義の後提出された学生の感想の中に、人権擁護法案を褒めるとは許せないというようなものがかなりあったのに驚いた記憶があります。ネットを中心とする右派的な世論が若い世代に広く及んでいることを実感させられる経験でした。
 一方、最初の段階で人権擁護法案を潰した民主党は、2005年8月に自ら「人権侵害による被害の救済及び予防等に関する法律案」を国会に提出しました。政権に就いた後の2012年11月になって、人権委員会設置法案及び人権擁護委員法の一部を改正する法律案を国会に提出しましたが、翌月の総選挙で政権を奪還した自由民主党は、政権公約でこの法案に「断固反対」を明言しており、同解散で廃案になった法案が復活する可能性はほとんどありませんし、自由民主党自身がかつて小泉政権時代に自ら提出した法案を再度出し直すという環境も全くないようです。
 ちなみに、人種差別撤廃条約に国内法としての効力を認めた判決は、雇用労働関係ではまだありませんが、入店拒否事件(静岡地浜松支判平11.10.12、札幌地判平14.11.11)やヘイトスピーチ事件(京都地判平25.10.7)などいくつか積み重ねられつつあります。

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本日の朝日社説on派遣がまともすぎる

派遣法の審議が始まりましたが、世間の認識はあまりにもレベルが低すぎて話になりません。昨晩もNHKラジオの「私も一言!夕方ニュース」に生出演してきましたが、冒頭から「通訳、秘書などの専門業務は云々」と、インチキな議論を前提にした説明から入るので、それがいかに法律制定当時から現実と違うものだったかを説明しなければなりませんでした。

一方で、3法則氏やそのまわりをうろつくイナゴ諸氏のように、労働条件をひたすら引き下げ、雇用を不安定にすれば解決になるかの如き暴論があたりをうろつき、まことに情けない状況であるなあ、と思っていたところ、今朝の朝日新聞の社説があまりにもまともすぎる議論を展開していて、思わず、「あれ?これって、オレが書いたんだっけ?」と思ってしまいましたがな。

http://www.asahi.com/paper/editorial.html

労働者派遣法改正案の国会審議が始まった。

 派遣社員は、派遣会社と雇用契約を結んで、派遣先企業で働いている。派遣先で仕事がなくなると派遣会社から解雇されたり、賃金を安くされたりする問題がある。このため、派遣労働が広がらないよう、派遣先が派遣社員を受け入れる期間は上限3年に規制されている。ただし、専門的だとされる26業務では期間の制限はない。

 この「業務」による規制がわかりにくいという主張が、派遣業界や経済界に強かった。派遣労働者にとっても、上限を業務で決めると、例えば前任者が2年をこなすと、後任の派遣社員が1年しか働けない事態が起きてしまう。

 改正案は、業務による規制を見直し、派遣会社と派遣社員の間の契約期間によって区別することにした。期間を決められている有期雇用派遣と、定年まで働ける無期雇用派遣だ。同じ派遣先で働ける期間は、前者が上限3年、後者は無制限となる。

 派遣会社が無期雇用派遣を増やせば、派遣社員から見ると、解雇の不安は緩和される一方で、働き方が派遣というスタイルに固定される恐れもある。有期雇用派遣の場合は、3年ごとに派遣社員を代えれば良く、業務自体が派遣に固定化されてしまう可能性が残る。国会での論議も、この見方を巡って賛否が割れている。

 しかし、目指すべき方向ははっきりしている。同じ価値のある仕事をしている人には同じ待遇を義務づける「均等待遇原則」を導入することだ。

 この原則があれば、派遣会社に支払うマージンが必要な派遣労働は直接雇用よりも割高になり、コスト目的で派遣労働を使うことへの歯止めにもなる。

 改正案のとりまとめ過程で均等待遇原則の導入が提案されたが、経営者側の反対で見送られた経緯がある。確かに、いきなり賃金の均等待遇を実現させるには、無理もあるだろう。しかし、交通費などの手当や福利厚生面で待遇に違いがある。まず、そんな扱いをやめて、原則の実現を目標にするべきだ。

 改正案には、これまで一部の派遣会社に認められていた届け出制をやめ、全てを許可制にすることも盛り込まれた。条件を満たせば届け出だけですんだことが、不適切な業者がはびこる一因になっていたからだ。

 改正案に盛り込まれた改善の流れを太くするためにも、派遣労働者の所得が向上する道筋をつけること。その責任が、この国会にはある。

そう、国会にはありますし、国会議員が判ってない馬鹿な議論をしないように、ちゃんと物事の筋道を示す責任が、朝日新聞に限らず、マスコミにはあるのです。

(参考)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/genki1402.html(「世界標準に近づく派遣労働規制」)

 2014年1月29日の労働政策審議会(※1)において、労働者派遣法改正に向けた報告書が取りまとめられました。今回の見直しの出発点は、2012年(民主党政権時代)の改正の際に、いわゆる「専門業務」に該当するか否かによって、派遣期間の取扱いが大きく変わる現行制度のあり方について、「今後、検討・議論を開始すべき」とした国会附帯決議にさかのぼります。この付帯決議を受けて、改正法が施行された2012年10月に学識経験者からなる「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会」が設置され、この研究会において派遣法のあり方に関する論議が進められてきました(筆者も有識者としてヒアリングを受け、欧州の現状などを説明しています)。この研究会での論議は、2013年8月に研究会報告書としてとりまとめられ、これを受けて、直ちに労働政策審議会での審議が開始され、今日に至っています。
 この研究会の論議過程においては、これまで筆者が繰り返し主張してきた法制度の根本を左右するような論点が打ち出されています。それは、派遣法について、世界各国では、派遣労働者保護を主目的としているのに対し、日本では、日本的雇用慣行の中にいる常用労働者(いわゆる正規社員)を代替しないこと、すわわち「常用代替の防止」を主目的としている点についてです。
 このため、最初に派遣法が制定された当時(1985年)のロジックは、新規学卒から定年退職までの終身雇用慣行の中に入らないような労働者だけに派遣という働き方を認めるというものでした。それを法律上の論理としては、「専門的業務は、専門性が高いがゆえに常用代替しない」「特別な雇用管理だから常用代替しない」と言ったわけです。しかし、その専門性が高いとされた「専門的業務」の中身は、主に結婚・妊娠・出産などを契機に退職した元女性社員たちの「事務的書記的労働」でした。そして、「ファイリング」という職業分類表にも登場しない「業務」が最大の派遣専門業務となったのは、その間の論理的隙間を埋めるものであり、後には事務職なら最低限のスキルである「事務用機器操作」が専門業務としてその隙間を埋めました。このようなごまかしが世間で通用したのは、女性社員は新規学卒から結婚退職までの短期雇用という社会風潮のもと、女性社員の代替は常用代替にはならないと認識されていたからでしょう。
その後、ILO181号条約の制定を受けて行われた1999年の派遣法改正でも、常用代替防止の思想は維持されています。この時の改正において、専門業務だから常用代替しないというフィクションを維持したまま付け加えられたのは、専門業務ではなく、それゆえ常用代替する危険性のある一般業務について、派遣期間を限定するから常用代替の危険性が少なくなるという新たなロジックです。この期間制限は、欧州などで見られる「雇用契約は無期契約が原則であるから、有期契約の期間を限定して無期雇用への転換を図るべき」という発想によるものではまったくありません。これは単に、派遣労働者本人とは関係のない派遣会社による派遣先に対する派遣サービスの上限を定めているにすぎないのです。そして、こうした歪みが露呈したのが有名な「いよぎん事件(※2)」です。裁判所は、派遣法は常用代替防止が目的だからといって雇止め法理の適用を認めませんでした。つまりは、日本の派遣法は、派遣労働者を法の保護の対象外とすることを要求しているのです。
先の研究会報告では、この問題についても斬り込んではいるものの、常用代替防止という考え方を全面的に転換するのではなく、その中身を部分的に入れ替えることで対応しようとしています。それを研究会報告では、「再構成した常用代替防止」と呼んでいますが、常用代替の防止と派遣労働者の保護という異なる考え方のものを無理に同じ言葉の下に入れ込もうとしたきらいがあり、かえって混乱を招いているようにも見えます。
 具体的には、まず、無期雇用派遣については「派遣労働の中でも雇用の安定やキャリアアップの点で優位であること」から「常用代替防止の対象外」としたこと、くわえて有期雇用派遣については「個人が特定の仕事に有期雇用派遣として固定されないこと」を目的とするとともに、従来通り「派遣先の常用労働者が有期雇用派遣に代替されないことという派遣先レベルの常用代替防止」も維持するとした点です。少なくとも、前2者については、日本の派遣法が制定された当初に考えられていた「常用代替防止」ではなく、むしろヨーロッパで一般的な無期雇用原則の考え方であると言えます。それをなお「常用代替防止」という名で呼び、旧来型のものと一緒にしてしまうことが、議論の構図をすっきりさせない原因となっているのではと思います。
 その一方で筆者は、研究会報告や労働政策審議会での審議において、欧州諸国で派遣を論じるときには当然の前提がなおざりにされているようにも見え、物足りなさを感じています。それは、世界の派遣事業者団体であるCIETT(国際人材派遣事業団体連合)が繰り返し強調している「ディーセントワーク(働きがいのある人間らしい仕事)」と「労使パートナーシップ(協調型労使関係)」という前提です。残念ながら日本では、労使いずれの側からも派遣に関してディーセントワークと労使パートナーシップという言葉が語られることはありません。これは、派遣法において「常用代替防止」が議論の中心を占めてきたがゆえの帰結です。
 ここで、筆者はむしろ、労使パートナーシップを通じたディーセントワークの実現に向けて、近年非正規労働法制に関して繰り返し論じられてきている集団的労使関係システムの活用について、派遣業界が先鞭をつけることができないかと考えています。厚生労働省の「非正規雇用のビジョンに関する懇談会」や「今後のパートタイム労働対策に関する研究会」の報告書でも強調されている集団的労使関係システムを通じた均等待遇という新たな枠組みの設定にむけた試みです。それは、産別労働組合主導の形で派遣労働者を組織化していくという形でもあり得るでしょうし、派遣会社主導で派遣労働者代表制を構築するという形でもあり得るのではと思います。
 また、今回の論議の中で派遣業界にとって、大きな影響を及ぼす可能性があるのが、すべての派遣事業を許可制(※3)にするという方針です。ここに踏み込んだことは日本の派遣業界を先進諸国並みに透明かつ健全なものにしていくうえで極めて重要ではないかと思われます。くわえて、無期雇用の派遣労働者について個人単位及び派遣先単位の期間制限の例外とするという方針とが合わさることで、定期的な許可更新や無期雇用への対応などによる負担から、多くの零細派遣会社の経営が立ちゆかなくなることが想定されます。
 しかしながら、派遣法はそもそも派遣会社が使用者としての責任を負うことを前提として作られており、これは本来的には、相当程度の派遣先顧客企業を有することによって、個々の派遣の発生消滅をつなぎながら全体として派遣就労がおおむね継続されていけるような企業体力を企業に求めるものです。その意味では、過度に零細派遣会社が多い日本の派遣労働市場は、さらなる透明化、健全化が必要な状態にあるとも言えますし、もっと大手や中堅の派遣会社に集約されていくことが望ましいとも言えるのではないでしょうか。そして、そのような形で派遣会社が集約されていくことが、集団的労使関係システムの確立を通じた均等待遇をはじめとしたディーセントワークの実現をもたらす大前提ともなるはずです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/supportcenter14main.html(「特殊日本型派遣法を正道に戻す時期」)

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大坂洋さん on L型大学

かつて本ブログでも何回もコメントしていただいたことのある大坂洋さん@富山大学が、御自分のブログで「L型教員を目指しま」という冷静な文章を書かれています。

http://d.hatena.ne.jp/osakaeco/20141027/p1

冨山氏の悪口いう人が多いが、大学の外や学生の平均的な認識はこんなもんなんじゃないだろうか。要するに人文・社会系の大学の職業的意義は自動車学校以下。

ちょっとだけ、冨山さんに注文。(多分、読まんだろうがこんなブログ)G型教員ダメならL型教員みたいなのあったけども、これは絶対に反対。かつて、教養部が学部の下みたいな意識が、変な教養部改革に結びついて、教養教育をダメにした。L型がG型の下という位置付けでやれば、絶対に多くの教員はついてこないことが予想される。むしろ、君、L型だめなの?仕方ないから役にたたないG型でもやっとけ、くらいの感じで文科省が始めないとダメでしょう。(L型への反発に一部には、かつての学部の下僕のような教養部への扱いを思いださせる部分があるかもしれない。)

それに関連してだけど、まっとうな職業的な意義のある教育にはちゃんとした学問的裏付けが必要となるし、ちゃんとした高度なL型教育ができる教員は研究者であるかどうかは別として、関係分野の学問的動向くらいわかってないといけない。この辺りは本田由紀さんの本を参照のこと。

あと、こっちのほうがより真剣な注文なんですが、大学の職業的な意義のある教育を企業が評価することなしに、L型大学は成功しない。せめて、経済学部で簿記3級とか、ITパスポートとっている学生をTOEIC650点(ささやかすぎますか?)くらいにはみなしてくれないと。さらにいえば、今の職業的意義のない大学の現状であっても3年後期の成績、できれば、4年前期や卒論の準備もしっかりやっていることをしっかり見て企業が内定を出してくれるような下地がないと、L型への移行も難しくなるんじゃなかろうか。運動部やっているほうが、勉強やっているより評価されるようじゃ学生のほうも安心して勉強できない。そのあたりは、冨山さんがぜひ経団連にはたらきかけてもらわなければならない。

いずれにしてもL型の教育実績や教育成果、L型学問をちゃんとやった学生が社会や企業にちゃんと評価されないとうまくいかない。冨山さんの議論には、このあたりの危惧を感じている。

冨山さんが出した例はたしかにちょっと変だけど、逆に文句いっている(特に大学の教員)は職業的素養がないまま、労働市場に放置されている若い人のために何ができるか考えてんだろうか。専門学校化とかいうけど、専門学校以上のことを今の大半の大学は学生に提供できていなんじゃなかろうか。

ただ、大学の教員がこの手の話に気軽に賛成できない理由はよくわかる。自分のことでもあるし。私だって職業的意義のある教育なんてやれていない。この手の話は人文・社会系の教員は自虐なしにはきちんとした議論ができないのだ。それでもその自虐にたえることなしに、大学の状況を放置していれば、ますます、職業的素養がないまま、キャリア形成ができないまま、労働市場に若者が放置される状況がつづくのだ。

ほぼ全面的に同感です。職業的レリバンスのある教育が存立しうるためには、雇用システムの側がそれを重視するようになっていなければ意味がないわけで、この議論はまさにそういう雇用システムを含めた社会システムの転換を論ずる議論であるのに、そんなの今の世の中で受け入れないよ、と言えば反論したつもりになっているアカデミックな方々の水準は残念なものがありました。そういう、もはや維持しがたくなっている今の社会のあり方の上に乗っかって学生の卒業後の職業生活に関わらない教育をすることで生計を立てている人々を若干からかった表現に、異常なほどの反発があったのも、そのあたりの構造が浮かび上がる感じでした。

そこの冷厳な構造が見えている大坂さんは、「自虐」まじりにその姿を描き出すわけですが、多くのアカデミックな方々には、せめてこの程度の「自虐」的な客観的姿勢が欲しかったな、という思いがします。

冨山さんのペーパーのどうしようもないところばかりをあげつらえば、何かその冷厳な構造から目を背けていられるかといえば、もちろんそうではないわけですから。

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それは7、8年前からの持論です

労務屋さんが、読売新聞に載ったわたくしの見解について詳細な批判を書かれているのですが、

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20141029#p1 (hamachan先生、新しい労働時間制度で「高給の非管理職に高すぎる残業代を払わない」ことは難しいと思います。)

実体的な議論についてはそれとして議論する必要がありますが、それ以前に、私の繰り返し述べている主張について、若干認識が違うのではないかと思われる記述が・・・。

hamachan先生はこのところ(だと思うのですが)「実際は「高給の非管理職に高すぎる残業代を払いたくない」という、これはこれでもっともな理由があるのではないか」というご意見を述べられることが多く、おそらくは海老原嗣生さんあたりの話を聞いてそう思い込まれているのではないかと想像しているわけですが、これはおそらく間違いではないかと思います。

いや、海老原さんはいろんな点について共感するところが多く、最近は同志という思いを強く有してはおりますが、少なくともこの点に関しては、もう7,8年前から、それこそほかに誰もそういうことを言わなかった頃から、わたくしが一人孤軍奮闘するような思いで論じ続けてきた論点であるだけに、「おそらくは海老原嗣生さんあたりの話を聞いてそう思い込まれているのではないかと想像」されるのは少々心外の想いであります。

この論点を明確に述べた最初の論文は、『労働調査』2006年10月号で、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/rodochosaexempt.htmlホワイトカラーエグゼンプションの建前と本音と虚と実と

・・・・改めて、最初の「対立点」に戻ろう。使用者側は、労働時間にかかわらず成果で賃金を払いたいと考えている。物理的労働時間あるいは拘束時間そのものを健康確保の観点から規制すること自体を否定しているわけではないらしい。それに対し労働側は、少なくとも主たる主張としては、長時間労働によって過労死や過労自殺のリスクが増大することを問題としており、賃金と労働時間のリンクをゆるめること自体を否定しているわけではないであろう。とすれば、両者は何ら本質的に対立しているわけではない。

 現在テーブルに載っている「自律的」という虚構の上にでっち上げられた労働時間規制の適用除外の提案は一旦白紙に戻し、その代わりに、どういう要件をクリアすれば労基法第37条の時間外・休日手当を適用除外してもよいのか、労働時間とリンクしない賃金制度をどこまで認めるのか、という問題設定に造り替えて議論してみたらどうだろうか。そうすれば、今のような全くすれ違いの神学論争ではなく、年収がどれくらいのレベルであれば時間外手当がなくてもいいのか、という労使の利益論争になる。ここで具体的な数字を挙げるのは適当ではないが、昨年日本経団連の示した年収400万円と、モルガン・スタンレーの月給180万円の間のどこかに答があるに違いない。

 その際、労働側は「それはサービス残業の合法化で許されない」といった議論の仕方を控える必要がある。サービス残業であれ、手当の払われる残業であれ、長時間労働は長時間労働であることによって労働者の健康を害するのであり、健康確保という観点からは同罪なのだ。むしろ、実効性のある拘束時間規制(あるいは裏返して休息期間規制)をいかに構築していくかこそが、現実に長時間労働を余儀なくされている多くのホワイトカラー労働者にとってもっとも必要な施策ではなかろうか。 

その後『世界』2007年3月号で、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sekaiexemption.htmlホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実

その後も機会あるごとに繰り返し論じてきた論点でして、少なくともこの問題について過去7,8年間ずっとこういう議論の立て方をし続けてきた論者はわたくしだけではないかと思っているだけに、その論点そのものが根本的に間違っているぞという正面からの反論をされるのであれば結構ですが、最近になって人の影響で言い出したような言い方はいかがなものか、と。

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本日、NHKラジオ「私も一言!夕方ニュース」に出演します

NHKラジオで夕方流している「私も一言!夕方ニュース」で、本日、「派遣法改正案 どう変わる派遣労働」が特集され、わたくしも出演します。

http://cgi2.nhk.or.jp/hitokoto/bbs/form2.cgi?cid=1&pid=29109

リンク先に書かれてあるのはマスコミ一般と同レベルのNHKスタッフの認識なのでしょうが、それがいかに間違っているかを説明しますのでご期待ください。

Hyoshi22なお、派遣労働については最近では『POSSE』22号で今野晴貴さんと対談していますので、参考にしていただければと思います。マスコミも政治家も、派遣法の構造的問題は何も知ろうとしないまま、表層的な批判でわかったつもりになっている惨状はまことに酷いものです。

濱口:大筋で言えば、30年近く維持されてきた常用代替防止を中心的なコンセプトとする派遣法の構成そのものを見直そうという姿勢が出てきたところは、私は評価していますし、私が年来言ってきたことが初めてとり入れられたという意味ではむしろ率直に望ましい方向だろうと思っています。実は派遣法を攻撃する側も守る側も、日本的な常用代替防止というコンセプトを拠り所に議論をしてきたのですが、それ自体に疑問を呈するような政策の方向性が初めて打ち出された。今回の派遣法改正の発想というのは、「派遣と直接雇用であれば、直接雇用がよくて派遣が悪いとは必ずしも言えない。ただ無期と有期であれば反復更新するような有期というのは問題なので、無期にすべき」という、大まかに言えばそういった整理のもとに制度を設計しようとしている。
 「日本的な常用代替防止」というのは業種というよりは業務規制ですね。つまり、世の中には常用代替するような業務と、常用代替しない業務がある。後者は専門的・技術的な業務であり、それはそもそも労働市場が日本的な雇用慣行の中にいる正社員たちとは違うものである。したがって、そういう業務だけ派遣を解禁しても常用代替しないのだ、と、法律の上ではそういう発想で書いてある。ところがそれを政令に落とした具体的な業務なるものを見ると、職業分類表にも出てこないような、ファイリングなどといった変な業務が出てくる。この業務だから常用代替しないというロジックではあり得ないような、誤魔化しの上に成り立ってきたんですよ。派遣法ができたときは専門業務だけだったのに、後からそうじゃない業務を加えたからおかしくなったという議論を、派遣法を攻撃する人たちはしたがりますが、それは事実に反しています。当初は13業務だったわけですが、その頃から普通のオフィスワーカーの仕事を専門業務と称して、常用代替しないのだというロジックでもって派遣法を作っていたのです。そこのところを抜きにして、対象業務を拡大したからこんな風になったんだというようなタイプの批判でもって派遣法を論じようということ自体に、私は基本的にインチキがあると思っています。このことが弊害をもたらしています。当初から派遣労働者を保護しようなどという発想が無かった派遣法には、徐々に対象業務が拡大する中で、論理的には整合性のとれないまま少しずつ保護措置的なものが入り込んできたんですが、依然として根本が常用代替防止だということになっており、かつその保護措置を加えろと言っている側が一番大事なのは常用代替防止だと言っているという矛盾を解決しないまま今に至っている。これが先のインチキがもたらした弊害の一つです。もう少し具体的に言うと、研究会報告でも取り上げられていますが、派遣労働者が直用有期と同じように反復更新をされて、通常であれば雇用継続の期待を認められてしかるべき状態であったにも関わらず、派遣法の目的は常用代替防止なのだから、登録型派遣労働者は雇用継続期待を持つこと自体が許されない、というロジックがあります。これは有名ないよぎんスタッフサービス事件で、日本の最高裁判所はそういうロジックを認めてしまっている。・・・

(追記)

今出演してきました。

NHKについてから知りましたが、私のお話の間にPOSSEの坂倉さんが電話出演しました。

(再追記)

この放送の逐語的書き起こしが、ここにアップされています。

http://www.yomuradio.com/archives/4936

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遠藤公嗣『これからの賃金』

1337一見さりげなさそうなタイトルの本ですが,いやいやなかなか「熱い」本です。厚くはありませんが、熱い。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/947?osCsid=v0rn9ndb5nkrpjlq2kqphjkgl3

お送りいただいた本に挟まれていた送り状に曰く:

このたび『これからの賃金』を刊行いたしました。私には主張したいことがあり、そのため、一般向け書として刊行しました。ご笑覧いただければ幸いです。

私としては,「日本で働くすべての労働者」の側に立って、現在の日本の賃金制度を考察したつもりです。「日本で働くすべての労働者」とは、たとえば、正規労働者だけではなく非正規労働者も、男性労働者だけではなく女性労働者も、日本人労働者だけではなく外国人労働者も、これらすべての労働者を含む意味です。

そして、その背景にある日本社会の現状を、「1960年型日本システム」の成立と崩壊と理解した上で、今後は、同一価値労働同一賃金をめざす職務評価によって、これからの賃金制度に社会的規制を加えるべきだと主張しました。

本書は、遠藤さんがこれまで専門書や雑誌論文などで書かれてきたことを一般向けにわかりやすく取りまとめたものなので、目新しい知見はあまりありませんが(でもいくつかありました)、リーマンショック以来ややもすると伝統的日本型雇用システムの擁護に走りがちなプロレーバーな方々にとっては、大変いい清涼剤になるはずです。

はじめに
  第1章 日本企業における賃金制度改革の動向
    1 非正規労働者の職務基準雇用慣行と時間単位給
    2 時間単位給の範囲レート職務給への近似化
      パートタイム労働者の能力開発施策
      エコス社—もっとも精緻な能力開発施策の例
      スーパーモリナガ社——分解した課業をそのまま人事査定の評価項目とする例
    3 正規ホワイトカラー労働者の賃金制度改革
      「成果主義」言説
      「コンピテンシー」言説
      職能給「神話」の復活
      役割給の普及——範囲レート職務給への接近
    4 正規の生産労働者の賃金制度は?
   Column 小池和男「知的熟練」論の研究不正疑惑

  第2章 賃金形態の分類を考える
    1 「賃金形態」という言葉
      「賃金体系」と「賃金形態」
      「仕事給」と「属人給」の大分類の廃止
    2 賃金形態と雇用慣行の対応関係
    3 賃金形態の分類表
      属人基準賃金と職務基準賃金
       年功給——属人基準賃金(1)
       職能給——属人基準賃金(2)
      職務価値給と職務成果給
       職務給——職務価値給(1)
       職務価値給の労働協約賃金——職務価値給(2)
       時間単位給——職務価値給(3)
       個人歩合給・個人出来高給——職務成果給(1)
       集団能率給——職務成果給(2)
       時間割増給——職務成果給(3)
      賃金形態から日本の賃金制度改革をみる
   Column 電産型賃金体系

  第3章 賃金制度改革の背景——一九六〇年代型日本システムの成立と崩壊
    1 一九六〇年代型日本システムとは
      日本的雇用慣行と非正規労働者の必要
      男性稼ぎ主型家族からの労働供給
      おたがいに必要とする結びつき
      歴史上でかぎられた成立
      高い経済効率性と高い差別性
    2 一九六〇年代型日本システムの崩壊と労働者への影響
      存続する根拠の喪失
      崩壊の一現象——非正規も正規も労働者の階層分化がすすむ
      労働者にとっての問題
   Column 3歳までの子どもを持つ母親の就業

  第4章 新しい社会システムにむけて——同一価値労働同一賃金をめざす賃金制度を
    1 新しい社会システム—「職務基準雇用慣行」と「多様な家族構造」の組み合わせ
      職務基準雇用慣行とは
      新しい社会システムの利点
      米国の賃金制度が日本の賃金制度に近づく?という誤った主張
    2 同一価値労働同一賃金をめざす職務評価
      国際的な発展史の素描
      日本における研究開発
      現在の日本における到達点——自治労職務評価制度
    3 これからの賃金と社会的規制
      手前の一歩から
      企業内労働組合への期待
   Column 米国の人事管理担当者と雇用関連訴訟
   あとがき

遠藤理論の基本は、「職務基準」と「属人基準」で賃金制度と雇用慣行を大区分し、その中をさらに細かく区分けしつつ、職務基準賃金のうちのとりわけ職務給を唱道するところにあります。

別の所から本書とほぼ同じ図を引っ張ってきましょう。ちょっと用語が違いますが、

Endo_2

図の上が職務基準の世界、下が属人基準の世界。私の言葉で言えば、ジョブ型とメンバーシップ型ということになります。

ああ、ジョブ型ね、と簡単にわかった気にならないこと。

ジョブ派の中で遠藤さんの特徴は、昔の横断賃率理論が依拠する同じ職務価値給の中の労働協約賃金にもかなり批判的なことです。

遠藤さんは女性のコンパラブルワースやペイエクイティ運動と深く関わり、欧米伝統的な同一労働同一賃金が男性職務を高く値付けし、女性職務を低く値付けする男女差別的賃金であると批判する欧米のフェミニズムを踏まえて、職務分析、職務評価をきっちりとやるアメリカ型の職務給を唱道するのです。

とはいえ、本書での遠藤さんは、正面作戦として、属人基準賃金や雇用慣行、とりわけ小池和男氏の知的熟練論を主敵として戦っています。このモチーフは繰り返し出てきます。

また本書の新機軸は、冒頭からいきなり非正規労働者のジョブ型賃金の描写から始めていることで、そこに男性正社員しか眼中にないこれまでの労働研究に対する批判が込められています。

上で、「目新しい知見はあまりありませんが(でもいくつかありました)」と書きましたが、そこに着眼すべき点があったか、と気がつかされたのは、第一章末尾の「正規の生産労働者の賃金制度は?」です。

実は、遠藤さんが口を極めて批判する小池理論をはじめとして、かつては日本の労働研究の賃金理論は大企業の本工といわれる工場ブルーカラー正規労働者が中心だったのですが、いつのまにかホワイトカラー労働者が中心にイメージされるようになっているのですけど、それではそもそも昔中心だった正規ブルーカラー賃金はどうなっているのか、という問題です。

最近の日本経団連の本では、現業技能職は定型的職務で職務給がふさわしいといっているではないか、これは小池理論とはまったく逆であるというのですが、これは興味深い点です。

もっとも、とりわけ電機などをみれば、工場の生産ラインは一部を除いてほとんど非正規化、外部化してしまっているわけで、「ブルーカラーのホワイトカラー化」テーゼの存立基盤自体が極小化しつつあるのかも知れません。

装丁は昨年出た金子良事さんの『日本の賃金を歴史から考える』とそっくりですが、中身は極めて対照的な本です。


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山崎憲『「働くこと」を問い直す』が出るんだ 

岩波書店の新刊案内に山崎憲『「働くこと」を問い直す』が載ってますね。来月20日に刊行、と。

Ken

この説明では、どういうことが書かれているのか今一つよくわかりませんが、「迷走する労使関係の来歴をたど」っているということなので、是非じっくりと読ませて頂きたい本です。

(追記)

本人による目次の紹介

https://twitter.com/ken_jil/status/527045950250835968

目次の校正も終わり。

「働くことを問い直す」

はじめに

第一話「働くこと」の意味

第二話 日本的労使関係システムの成立

第三話 転機-日本企業の海外進出

第四話「日本の働かせ方」がこわしたもの

第五話「働くことのゆくえ」-生活を支える仕組みづくりへ

あとがき

という構成の校正

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健康面は分けて議論を@読売新聞「論点スペシャル」

本日の読売新聞13面に、「もう「労働時間=賃金」ではない?」と題して、3人の意見を並べた「論点スペシャル」が載っています。

一人目は経団連専務理事の椋田哲史さんで「創造する人材、成果給で」。次が全国過労死を考える家族の会代表の寺西笑子さんんで「過労死一層増えないか」。

この二人のテーゼとアンチテーゼを、アウフヘーベンすべく最後に登場するのが濱口桂一郎氏で、「健康面は分けて議論を」と題して,こう語っています。

現在、「残業代」が存在し、企業側としては可能な限り余計な賃金は支払いたくないため、結果として長時間労働を抑制する手段になっているというのは事実だ。労働側が「残業代がなくなれば、長時間労働を助長する」と主張するのはもっともだが、それでは今の仕組みを残すべきなのか。

 そもそも、残業「代」というとおり、これは労働時間ではなく賃金の話。賃金は本来、労使の交渉で決めるべきテーマだ。残業代の払い方も、本来は国が一律に決めるものではない。労働組合が使用者と交渉し、しっかりとした労働協約を締結することを条件に決めていくのが筋だろう。

 一方で、長時間労働の解消も喫緊の課題だが、これは賃金システムで抑制するのではなく、健康の観点から規制すべきだ。EU(欧州連合)は原則、残業を含めた労働時間の上限を週48時間と定めている。例外的に働く場合も、24時間につき連続で11時間の休息時間を設けることも義務づけている。日本でもこうした規制を導入すべきだ。

 それでは成果主義の導入の是非はどう考えるべきか。「時間ではなく、成果で評価される仕組みをつくる」というが、成果に応じた賃金制度はすでに多くの企業で導入済み。最低賃金を上回る限り、どのような賃金制度にするかは、基本的には企業の自由だ。

 経営側はなぜこの制度の実現に力点を置くのか。「自律的な働き方ができる」「ワーク・ライフ・バランスの実現を後押しする」と主張するが、これは「残業代ゼロ」という批判をかわすためのものだろう。実際は「高給の非管理職に高すぎる残業代を払いたくない」という、これはこれでもっともな理由があるのではないか。1990年代以降、管理職ポストが絞り込まれる中、こうした中高年の非管理職が増えているからだ。成果に基づく賃金の支払い方はあっていい。

 そもそも別の話である残業代という「賃金」と、長時間労働という「時間」を一緒に議論するから混乱する。賃金は、労使間で労働協約を締結することを前提に労使交渉で決める。時間は、健康の観点から絶対的な上限規制を設ける。分けて議論をすれば、労使双方が納得できる着地点を見いだせるだろう。

Photoここの論点を、対論で深く突っ込んだのが、『POSSE』24号における渡辺輝人さんとの「プロレス」(笑)です。

労働時間改革をめぐる実務家と政策論者の視点 濱口桂一郎×渡辺輝人

この対論は、自分で言うのも何ですが結構絶品ものです。

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実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議(第2回)配付資料

というわけで、週末のネット界を駆け抜けた「L型大学」でしたが、これは10月7日に開催された第1回会合の提出資料でした。

なぜか誰も関心を持たないまま2週間あまりほったらかしにされていて、先週木曜日にわたしが本ブログで取り上げたとたんになぜか大騒ぎになったわけですが、実はそれよりずっと前の10月15日に、第2回会合が開催されていたんですね。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/061/gijiroku/1352719.htm

と、この資料が本日始めてアップされたのですが、第1回会合での冨山さんの資料みたいなあらぬ方向に突進するようなものはほとんどなく、2011年の中教審の職業委教育答申や今年の教育再生会議の議論の筋道に沿いつつ、それぞれの職業教育機関の状況をせつめいするものになっているようです。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/061/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/10/27/1352720_1.pdf (「短期大学・大学における職業教育」と、「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関」に望むこと)

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/061/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/10/27/1352720_2_2.pdf (専修学校の質的整備と新たな高等教育機関)

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/061/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/10/27/1352720_3_2.pdf (新たな高等教育機関の検討に際し参考になると考えられる専門学校の特徴(職業実践専門課程を中心に))

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/061/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/10/27/1352720_4_2.pdf(本学の教育と「職業教育」)

とはいえ、はじめからこうした議論を紹介していたら、ネット上の誰一人関心を持つこともなく、「ふ~~ん」と読み捨てられていたであろうことはほぼ確実ですから、何とも見事なタイミングであったということができるかもしれませんね。

もしかしたら、教育学や教育社会学の方々は、すでにこうして議論が粛々と進んでいることをご承知であったので、大型二種免許なんて話にいちいちコメントする気も起きなかったのかもしれません。

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『日本労働研究雑誌』11月号

New『日本労働研究雑誌』11月号は、毎年の労働判例ディアローグは鎌田耕一、野川忍両氏です。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/new/index.htm

特集は「産業別労働組合の役割」で、

日本における産業別労使交渉と労使合意 川口美貴(関西大学大学院法務研究科教授)

「グローバル化」する労使関係と労働組合の対応─インドネシアの事例を中心として 山本郁郎(金城学院大学現代文化学部教授)

産業別労働協約システムの国際比較─ドイツ・フランスの現状と日本の検討課題 山本陽大(JILPT研究員)

過去の活動家に関心を向け始めた米労働総同盟・産別会議(AFL-CIO)─労働者の将来を安定させるために チャールズ・ウェザーズ(大阪市立大学大学院経済学研究科教授)

という4本。このうち、JILPTの山本さんの論文は、彼と同僚の細川さんがここ数年やっている現代先進諸国の労働協約システムの研究成果をまとめたものです。いや、『ビジネス・レーバー・トレンド』10月号でも、西村さんもあわせた3人のそろい踏みをしたのですが、JIL雑誌では山本さん一人で書くことになったようです。

本稿は、産業別労働協約を中心として協約システムが構築されてきたドイツおよびフランスの現状につき、検討を行ったものである。

(1)ドイツにおいては、伝統的に産業レベルで締結される産別協約が、当該産業における最低労働条件を定立し、使用者間での競争条件を同一化する機能を果たしてきた。もっとも、1990年代以降、産別労使団体の組織率低下を主な背景として、産別協約の直接的な適用率が低下している。そのため、最近では、伝統的な協約システムの機能を取り戻すため、「協約自治強化法」により、国家がより積極的な介入に乗り出しつつある。

(2)他方、フランスの協約システムにおいても、伝統的に産別協約がドイツにおけるのと同様の機能を果たしてきた。もっとも、フランスの特徴は、低い組合組織率にも関わらず、EU内で最も高い協約適用率を実現してきた点にある。これは、フランスにおいては、労使交渉の促進のため国家の強いイニシアティヴにより諸制度が整備されてきたという経緯に由来する。現在においても、かかる状況に特段の変化は無く、組合組織率がわずか8%でありながら、フランスの産別協約は98%の適用率を維持している。

(3)このようにみると、伝統的な協約システムを維持し、これを実効的に機能させるために、様々な形で介入を行おうとする国家の姿勢において、ドイツはフランスに接近しつつある。かかる両国の経験からすれば、我が国においても、労働組合の組織率が低下し、協約適用率はこれを更に下回るなかで、協約システムの機能を取り戻すため国家は何をすべきなのか(あるいは何をすべきでないのか)という問題について、改めて考えてみる必要がある。


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非大学型高等教育(再掲)

週末に荒れ狂った(らしい)L型大学騒ぎですが、昨日紹介しておいたドイツの専門大学に限らず、こうした職業専門高等教育機関への注目は現代先進世界共通のトピックなので、参考になる本を紹介しておきます。既に本ブログで頂いたときに紹介してあるのでその再掲ですが。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-37fe.html(非大学型高等教育)

9784750334875拙監訳『世界の若者と雇用』の完成本と一緒に、最近明石書店から出た『世界の教育改革4 OECD教育政策分析』も送られてきました。

http://www.akashi.co.jp/book/b95008.html

これ、非大学型高等教育、教育とICT、学校教育と生涯学習、租税政策と生涯学習、といった雑多なテーマが含まれていますが、このうち、第1章の「非大学型高等教育」は、アカデミックな大学イメージだけで高等教育を語りがちな知識人の偏見を破る意味で、広く読まれるべきと思います。

>今後の大学は高等教育を提供する唯一の機関としての独占的な役割を担うことはない。多くの国では、高等教育レベルの学生の3分の1以上は大学以外の高等教育機関に在籍している。またいくつかの国においてはそれは半数以上になっている。・・・

p32-33の表1.1を見ると、たとえばオランダでは高等教育全体の入学者のうち高等専門学校が62%、フィンランドではポリテクニクが42%といった状況です。

この表では、日本の高等教育入学者のうちご立派なはずの大学が75%を占め、短大が8%、高等専門学校がわずか1%、専修学校が16%となっています。それだけ。

ほほお、日本国の文部科学省がOECDに示している資料では、(まさしく高校卒業後の職業教育訓練を担当する)職業訓練(短期)大学校は、高等教育機関とは見なされていないようですね。変なのもある専修学校は高等教育なのに。まあ、学校教育法に書いてあるかどうかが境目なのでしょうけど。


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損をしない人材流動化へ@日経新聞「ニッポン動く」

本日の日経新聞の18面から23面にかけて、「ニッポン動く」という広告特集が組まれています。その19面に、私のインタビュー記事が載っていますので、こちらでもご紹介。

Nikkei

個を生かす新しい雇用システム

損をしない人材流動化へ

共通するモノサシを 女性・高齢者が契機

日本経済を活性化するために人材の流動化が必要と言われるが、流動化せずとも生産性高く働けるならば無理やり流動化する必要はない。大事なのは流動化ができる社会、流動化して損をしない環境を作ることだ。そのためには企業の枠を超えて共通する評価のモノサシや言葉を確立するなど、雇用の本質に関わる議論が必要である。

日本は1960年代の高度経済成長から安定成長の時代にかけて、人材が流動化しにくい雇用システムに競争力の源泉があった。社員は会社の指示に従ってどんな仕事もこなし、状況に応じて全社一丸となることが高い生産性につながっていた。それが社員への評価にもつながっていた。

潮目が変わったのは90年代半ば。女性の職場への本格進出が契機となった。女性が活躍できるようにするために、結婚や家庭の状況などを踏まえた仕事と評価の仕方が求められるようになった。

もう1つは職場の高齢化だ。労働力人口が変化し、職場で若年層が減り中高年層の厚みが増した。職場に多くの管理職を抱える余裕がなくなり、中高年にも能力に見合った仕事で生産性を発揮することが求められ始めた。

ジョブ型を増やす 技術者派遣が参考に

こうした時代の要請に応えるためには、働き方を根本から変えていく必要がある。その一つがジョブ型社員を増やすことだ。ジョブ型とは、仕事の内容や勤務地、勤務時間などと評価の仕方を明確にする仕組みである。仕事での活躍ぶりが明確になることが、流動化して損をしないことにつながる。

ジョブ型の数少ない例の1つが製造業における技術者派遣である。専門的能力を生かして仕事をし、その成果が評価され、専門的キャリアが形成されていく。製造業各社は独自のコアコンピタンスを獲得するため、社内外の技術者のより戦略的な活用を問われている。

今後はジョブ型で大きく後れを取る文科系社員への導入が重要だ。現状では社外に通じる「職歴書」すら書けるようになっていない。他社にも分かる言葉で翻訳し、マッチングを図ることが大切になる。この作業は人材サービス産業の得意とするところでもある。

外部の目を入れてジョブとスキルのラベルを作る。そこから人材流動化の基盤が構築されていく。

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L型大学のモデル

本ブログが先週木曜日に取り上げた実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議の冨山和彦さんの資料が、ネット上で大騒ぎを引き起こしているようで、すでにそのエントリへのツイート数が1000件を超えていますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-e593.html

冨山さんのプレゼンの変なところが増幅されて伝わっていることもあってか、批判的な意見が多数を占めて、池田信夫氏のような逆張り論者が褒めちぎるというあまりよろしくない状況に陥っているようです。

冨山さん自身、職業教育論におけるこの問題の経緯をあまりわからないまま、自分の経験と世間的常識論で論じているところがかなりあるようなので、そこをきちんと指摘していくことは必要なのですが、反応の大部分がその大学教育を受ける人々の立場に立ったものではほとんどなく、もっぱら(学生のその後の人生を豊かなものにするには効果を持たないけれども)その大学という名の職場で教授という名の安定した雇用機会を提供するという効果だけは間違いなくあることにしがみついたような議論であることは、正直この国のアカデミックな人々の姿を映し出している感もなきにしもあらずというところです。

なんにせよ、

Toyama

というような本来の議論からすれば枝葉末節のところのわけわかめな認識ばかりが増幅されていくと、話があらぬ方向にばかり転がってきかねませんので、本来ならば教育学や教育社会学の方々がきちんとその専門的知見を展開すべきところではありますが、その横の労働関係から見ているだけの私が、この騒ぎのもとを広げた責任をとって、冨山さんのいう「L型大学」の考えの元になっている欧州諸国の職業専門大学について、人の書いたものを引用する形で、せめてもの解説をしておきたいと思います。

これは、拙著『若者と労働』でも、

Chuko ドイツのデュアル・システムというのは、中世のギルド制度に起源を有するとも言われる仕組みですが、一言でいえば学校教育の枠組みの中で、学校における座学と企業現場における実習とを組み合わせる仕組みです。主としては後期中等教育つまり高等学校レベルですが、最近は高等教育つまり大学レベルでも結構盛んに行われるようになっているようです。

・・・なお、これまでデュアル・システムは主として高校レベルで行われてきましたが、近年の大学進学率の上昇に対応して、同じようにデュアル・システムで勉強しながら職業技能を身につける専門大学という教育機関が急速に拡大してきています。大学など高等教育機関の半分以上は、こういう専門大学なのです。

とちらりと触れていますが、教育学関係ではいくつも詳しい紹介がされています。

ここでは寺澤幸恭さんの「ドイツにおける「実務型」高等教育に関する考察」という5回にわたる論文の最初のところから、ドイツの専門大学についての図表をいくつか引いておきます。

http://ci.nii.ac.jp/els/110000963675.pdf?id=ART0001131836&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1414298427&cp=

Ter1

Ter2

Ter3

Ter4

より詳しい説明はリンク先論文、さらにその後続論文等を参照いただければと思いますが、なんにせよ、「法学部では大型二種免許」というたぐいの変な話ばかりが増幅して、ものごとの本筋が見えなくなってしまうことが心配されますので、老婆心ながら横から一応の解説をしました。

これで済む話でもないので、教育学や教育社会学の人々はちゃんとつとめを果たしてくださいね。

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金銭解決したくても復職を求めるパラドックス@『労基旬報』10/25

『労基旬報』10月25日号に掲載した「金銭解決したくても復職を求めるパラドックス」です。

先日本ブログに書いた、佐々木亮さんたちの本『労働審判を使いこなそう!』への感想を膨らませました。

 昨年来、アベノミクスの労働改革の一環として解雇事件の金銭解決問題が再び取り上げられるようになり、労働組合側からは「カネさえ払えばクビ切り自由化」などと反対する声が上がっています。しかし、不当な解雇であっても復職したい労働者ばかりとは限りません。実際、労働局のあっせんや裁判所の労働審判などでは大部分が金銭解決をしています。逆に、それらでは金銭解決しているのだからそれで良いではないか、という議論もあります。ある面ではもっともなのですが、いざ訴訟となれば金銭解決の道がほとんどなく、解雇無効による地位確認請求で行くしかないことが、少なくとも労働審判にも奇妙な影響を与えているようなのです。

 去る8月、エイデル研究所から伊藤幹郎・後藤潤一郎・村田浩治・佐々木亮著『労働審判を使いこなそう!』という本が出版されました。4人の労働側弁護士による労働審判の使い方を丁寧に解説した本ですが、その中にこんな記述があるのです。

・・・申立人が必ずしも職場に戻るつもりがなくても地位確認で行くべきである。申立の趣旨を「相手方は申立人に対して金○○円を支払え」などとし、はじめから慰謝料等の金銭請求をするのでは、多くを得ることは望めないと知るべし。必ずしも職場に戻る意思がなくとも、そのように主張しないと多くの解決金は望めないからである。

 これは、実務家として、現に争いの現場で当事者に寄り添って何をなすべきかを論ずる土俵においては正しい議論であることは間違いありません。

 しかしながら、そもそも論として考えれば、心にもない原職復帰を口にすることで、獲得したかったそれなりの額の金銭補償を手にすることができるのに、最初からお金で解決したいと口にしてしまうとそれすらも得られないということ自体に問題があるわけで、現場の戦術論では所与の前提として論ずる必要のないそういう問題点に対して、一国の法制の在り方を考える議論においてはきちんと論ずるべきであることもまた言を俟たないところでしょう。

 戦術論としての心にもない地位確認請求をすることのリスクは、それが通ってしまいそうになることです。実際、申立人から「もし戻ってこいといわれたら、どうしましょう」と相談されることもあるそうです。しかし、労働弁護士としては「辞めたくても地位確認はしなければならない」「日本の裁判制度はそうなっているのだ」と説得するのだそうです。

・・・万一、相手方が「それなら解雇を撤回して職場に戻す」と言ってきたら、原職復帰に徹底してこだわることが重要である。解雇して数ヶ月経れば職場には原職がないのが一般である。また、新規採用などで補充されている場合も多い。したがって、安易に解雇撤回論に乗ってはならず、徹底的に原職復帰にこだわって、相手方の解雇撤回論の虚偽(使用者は一旦解雇した者を戻したくないのが本音)を追求することを念頭に置くべきである。

 これまた、現場の戦術論としてはまことに心配りの効いた絶品ものの指南ですが、本当は原職復帰したくない労働者が多額の金銭解決を得るために心にもない原職復帰を要求し、しかも解雇撤回という甘い罠に引っかからないように細心の注意を払うという、まことに絶妙の心理戦を戦わなければならないわけです。こういう高等戦術をやりきるためには、確かに弁護士の助力は必要不可欠でしょう。

 しかし、再び一国の法制度の在り方のそもそも論としては、解雇は不当で違法だからきちんとそれを確認し、そのサンクションを与えたいけれども、もうあんな会社には戻りたくないという労働者が、その気持ちを素直にそのまま訴えることがなかなかできなくなってしまっている仕組みにも、問題があるのは間違いないようにも思われます。解雇の金銭解決制度を考えるというのは、こういう心にもない戦術をとらなければならない状態から脱却し、最初から金銭解決を要求してもちゃんとしかるべき補償を受け取れるようにするにはどうしたらよいか、という問題意識からも来ている面があるのです。

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単なるマタハラ裁判じゃなくって・・・

一昨日の最高裁判決については、マスコミもそろってマタハラががががが、という感じですが、すでにアップされている判決文を読むと、なかなかディープな問題が孕まれているようです。

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/577/084577_hanrei.pdf

現時点では踏み込んだ論評は労務屋さんのこれくらいのようですが、

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20141024#p1

「このあたりhamachan先生なら「メンバーシップ型雇用ががが」とおっしゃられそうな。」とけしかけられてますが(笑)、いやまさにそこが微妙なところだろうとわたしも感じました。

これは結局「降格」ってなあに?という問題なんですね。

純粋ジョブ型で、当該職務の難易度に基づいて値札がつけられているのであれば、妊娠中の軽易業務への転換によってジョブの値段が下がればもらう賃金も下がるのは当たり前。同一労働同一賃金とは異なる労働異なる賃金ということですから。

一方、ジョブではなく人そのものに値札が付いているのであれば、軽易業務に移ろうがハード業務に移ろうが(別途手当がでることはあっても)基本給は変わらない。これがメンバーシップ型の基本。

で、「降格」ってのは、一般的にはメンバーシップ型の基本構造である職能資格制における上の資格から下の資格へ下げることであって、仕事の中身とは直接関係があるとは限らない、というのが日本型システムにおける定義です。正確には、これは「昇格」の対義語としての「降格」ですね。ですから、仕事の中身ではなく、もらう賃金に直接関わる概念です。

ところが、「昇格」にはちょっと意味の違う類義語があります。「昇進」てことばです。実際にはほとんど同義語で使う人もいますが、正確に言うと、昇格と違ってこちらは仕事の中身に直接関わる。企業内の管理監督構造の中でより上のジョブに上がることであって、とりわけ日本ではだからといって昇格するとは限らず、つまり賃金が上がるとは限らないこともあります。

では、「昇進」の対義語はなあに?と聞くと、これが「降格」だったりするから話がややこしくなるのですね。

ううん、本当は「職位低下」とかそれ専用の言葉にした方が紛らわしくなくて良いのではないかと思うのですが、下げる方は一緒くたの言葉なんです。

そうすると、その「降格」って、実際の企業組織内における機能としてのジョブの位取りが下がるってことなの?それとも賃金決定基準である人の値札としての職能資格を下げることなの?という問題が出てきます。

この判決の事件って、そこがなんだか曖昧でごちゃごちゃしているんですね。要は「副主任」ていう資格から「降格」させられた、って話なんですが、軽易な業務に移るというのだから職位が低下するのはある意味当たり前。純粋ジョブ型ならそれに応じて賃金が下がるのも当たり前。

ところがメンバーシップ型を前提にすれば、仕事の中身と切り離されているはずの職能資格上の「降格を」させられる筋合いはないはずということになります。それなら仕事もろくにしてないのに高い給料もらっている「働かないオジサン」もさっさと「降格」しろよ、ってことになる。

この判決を読んでも、「副主任」という「資格」は、一方では実際のリハビリ科とかBとかの業務推進単位における機能的地位であるかのようにも見えるし、一方で管理職手当を出すためのまさに職能資格であるようにも見える、という大変曖昧な印象を受けます。

そこのところが、労務屋さんも気になったし、私も気になった、

一般に降格は労働者に不利な影響をもたらす処遇であるところ,上記のような均等法1条及び2条の規定する同法の目的及び基本的理念やこれらに基づいて同法9条3項の規制が設けられた趣旨及び目的に照らせば,女性労働者につき妊娠中の軽易業務への転換を契機として降格させる事業主の措置は,原則として同項の禁止する取扱いに当たるものと解されるが,当該労働者が軽易業務への転換及び上記措置により受ける有利な影響並びに上記措置により受ける不利な影響の内容や程度,上記措置に係る事業主による説明の内容その他の経緯や当該労働者の意向等に照らして,当該労働者につき自由な意思に基づいて降格を承諾したものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとき,又は事業主において当該労働者につき降格の措置を執ることなく軽易業務への転換をさせることに円滑な業務運営や人員の適正配置の確保などの業務上の必要性から支障がある場合であって,その業務上の必要性の内容や程度及び上記の有利又は不利な影響の内容や程度に照らして,上記措置につき同項の趣旨及び目的に実質的に反しないものと認められる特段の事情が存在するときは,同項の禁止する取扱いに当たらないものと解するのが相当である。

という大変微妙な表現の背後にあるのではないでしょうか。「一般に」として言っているのは、まさに日本型雇用システムにおける職能資格制における典型的な「降格」で、だからそれは均等法違反だよ、でおおむね済むわけですが、「又は」以下で書かれているのは、「副主任」ってのがそんな仕事の中身と関係ないただのラベルじゃなくって、実際にその職場における機能的地位を示すものである場合、つまりなにがしかジョブ型における職位を示すものである場合は、そうは簡単に論じられないよ、ということをさりげに示しているように思われます。

一般的には病院というのは人の配置の仕方においてはわりとジョブ型の世界ですが、しかし処遇制度は職能資格制度をそのまま取り入れていることが多いので、こういうことになるのでしょう。

この判決を、ただのマタハラ事件判決として消費してしまうのは、ですからいささかもったいない面があるのです。

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知的熟練論の功罪

昨日、文化勲章及び文化功労者の発表がありました。世間の関心は青色ダイオードの方ですが、ここではもちろん、この方に注目しています。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG2400D_U4A021C1CR0000/

小池和男(こいけ・かずお)法政大名誉教授。労働経済学や人的資源管理論の第一人者として、幅広い分野での著書、論文を著した。

労働関係者では誰一人知らぬ人のいない小池氏ですが、今年この時期に文化功労者に選ばれたということには、ある種の皮肉を感じる方々も多いのではないでしょうか。いうまでもなく、安倍首相自身が

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS22H1Y_S4A021C1EA1000/首相「年功見直しと賃上げ両立を」 政労使会議 

政府は22日、今秋2回目の「経済の好循環実現に向けた政労使会議」を開いた。安倍晋三首相は「経済の好循環を拡大するには、賃金の水準と体系の両方の議論が必要になる」と述べ、年功序列型の賃金を見直して全体の賃上げも実現するよう訴えた。日立製作所などの経営トップも出席し、政労使で若年層の収入を高める年功賃金の見直し策などを討議した。

と、年功賃金制の見直しに熱を入れているちょうどその時期にということです。

このあたりの消息は、労働関係者には常識ですが、未だにわかっていない人も多いようなので、簡単におさらいしておきますと、

もともと年功賃金制は生活給、つまり生計費のかかる中高年男性の賃金を高くしてその分若い人の賃金を低くするものですが、同一労働同一賃金原則とは矛盾するのでその説明は難しいものでした。

かつて1950年代から1960年代にかけて、政府や経営側が同一労働同一賃金原則に基づく職務給の導入を主張した頃、労働組合側の理屈は、主流派は賃金制度なんか議論せずにただ大幅賃上げだけ言っていれば良いんだ、というもので、反主流派はヨーロッパ型の横断賃率論を掲げていたのです。

ところが、1970年代以降状況はがらりと変わります。年齢とともに賃金が上がっていくのは、決して生計費のためなんかじゃなくって、実際に知的熟練が上がっていくからなんだという経済理論が学界を席巻し、みんなそれで納得するようになってしまったからです。

知的熟練とは、すごく単純化していうと、たまたま今やっている仕事のスキルじゃなく、会社のいろんな仕事を何でもやれるだけの幅広い能力ですね。まさにメンバーシップ型の雇用システムに適合した理論ですし、いろいろと部署を回されながらいろんな仕事を覚えていっている若年期には、実感にどんぴしゃりとくる理論でもあったために、みんなそうだそうだとそっちに奔ってしまい、それまでの賃金制度に関わる議論は放り捨てられてしまったのです。

70年代、80年代には、政府も労働組合も経営側もみんな小池理論の信奉者になり、終身雇用、年功賃金こそが日本の競争力の源泉であるという議論が労働経済学を覆い尽くしていたことはご承知の通りです。

ところが、90年代以降になると、知的熟練でいろんなことができるから高い賃金を支払っているはずの中高年に対して、リストラの嵐が襲うようになります。このあたりについては今年出した『日本の雇用と中高年』で詳しく書きましたので参照願えればと思いますが、一言で言えば、それまで信じているふりをしてきた知的熟練論のぼろが出た時期であったと言えます。

その後さらに二十年が経ち、議論は妙な輻輳を示すようになっています。そもそも年功制は子育て世代の労働者(正確には男性世帯主)の教育費や住宅費も含めた生計費を想定したものであったはずなのに、安倍首相の発言では逆に「子育て世代の支援のために」年功制を見直すという奇妙な話になっていたりするのです。

4月の消費増税後はとりわけ若年層など子育て世帯の負担増が懸念されており、会議で首相は「子育て世代や非正規労働者の処遇改善、労働生産性に見合った賃金体制への移行という大きな方向性は政労使で共通認識を醸成したい」と強調した。

これも、そもそも年功制の源流や、その理屈づけの変遷がちゃんと理解されていないからこういうことになるのでしょう。いずれにしても、今回の授賞を機に、こうした経緯がもう少しきちんと理解されるようになることが期待されます。

以下、拙著から小池和男氏に言及した部分を参考までに引用しておきます。

・・・・しかし知識社会学的にいえば、当時の日本は日本型雇用システムの正統性を論証する理論を必要としていたのであり、日本的内部労働市場論はその需要に応じるものであったのでしょう。実際、その後はむしろ小池和男氏の知的熟練論(たとえば『日本の熟練』有斐閣、1981年)が、内部労働市場論の代表として広く受容されていくことになります。やや皮肉な言い方をすれば、小池理論とは総評が自力では展開できなかった職務給に対する理論的反駁を、経済理論を駆使してスマートにやってのけた(ように見えた)もののように思われます。そして、ここで失われたのは、それまで曲がりなりにも口先では維持されてきた同一労働同一賃金原則でした。そんな「古くさい」代物は誰からも顧みられなくなってしまったのです。

 知的熟練論のロジックを展開した小池和男氏の『日本の雇用システム その普遍性と強み』(東洋経済新報社、1994年)から、職務給を評価できない理由を述べた部分を見てみましょう。

 知的熟練の向上度を示す中核的な指標は、(a)経験のはばと(b)問題処理のノウハウである。このふたつは、ふつうの報酬の方式では促進できない。多くの国の生産職場で最もふつうの報酬方式は、仕事給pay-for jobであろう。職務ごとに基本給をきめる。むつかしい仕事につけば賃金はたかく、やさしい仕事では賃金はひくく、しごく当然とおもわれよう。・・・だが、いずれも知的熟練の形成には役立たない。なぜか。

 知的熟練の第一の特徴、経験のはばの広狭が、仕事給では把握できない。仕事給とは、その時ついている仕事によって基本給がきまる。いまA、Bふたりの労働者が、まったく同じ仕事についているとしよう。しかし、経験のはばは大きくちがい、Aはその職場の他の14の仕事全部を経験し、いつでも欠勤者の代わりもでき、新入りに教えることも、問題処理も上手だとしよう。他方、Bはいまついている仕事しか経験がなく、当然欠勤者の代わりなど一切できない、としよう。それでも仕事給ならA、B両人はまったくおなじ基本給となる。それでは、Aの貢献にたいし、なんら報酬がはらわれない。変化や異常に対処する知的熟練という面倒な技能を、身につけようとするインセンティブがなくなる。

 議論としてはまことに筋が通っているように見えますし、実際白紙の状態で「入社」してジョブローテーションでいろんな仕事を一つ一つ覚えていく途上にある若年期においては、このロジックが当てはまる可能性も結構高かったのであろうと思われます。問題は、生計費がかさんできて年功賃金のありがたさが身にしみるようになる中高年期に至っても、このロジックがそのまま適用できるのか、という点でしょう。本音でそう思っているのか、それとも建前論に過ぎないのか。それは、現実の企業行動によってしか知ることは出来ません。好況期にはそのロジックを信じている振りをしている企業であっても、いざ不況期になれば、「変化や異常に対処する知的熟練という面倒な技能を身につけ」たはずの中高年労働者が真っ先にリストラの矛先になるという事実が、その本音を雄弁に物語っているように思われます。・・・・・

・・・・ ここまで本書で繰り返し述べてきたように、日本型雇用システムとは、スキルの乏しい若者にとって有利である半面、長年働いてきた中高年にとって大変厳しい仕組みです。不況になるたびに中高年をターゲットにしたリストラが繰り返され、いったん離職した中高年の再就職はきわめて困難です。しかしながら、その中高年いじめをもたらしているのは、年齢に基づいて昇進昇格するために中高年ほど人件費がかさんでいってしまう年功序列型処遇制度であり、その中にとどまっている限り、中高年ほど得をしているように見えてしまうのです。

 こうした年齢とともに排出傾向の高まる日本型雇用システムの矛盾は、1960年代から繰り返し繰り返し指摘され続けてきました。にもかかわらず、1970年代後半以降はむしろ、日本型雇用システムを高く評価する議論が労働経済学の主流を占め、それがきちんと現実に向かい合うことを妨げてきたように見えます。小池和男氏は『日本の雇用システム その普遍性と強み』(東洋経済新報社、1994年)で、「しばしば日本の報酬制度は、たんに「年功」、つまり勤続や年齢などと相関が高く、それゆえ「非能力主義的」とされてきた」としつつ、勤続20年を超えてもなお知的熟練は伸び続けるのだと主張し、それを形成するように日本の報酬制度は組み立てられていると述べています。つまり、とても合理的な仕組みなのだ、と。

 実際には、職能給制度を単に年功だけで賃金を決定する仕組みだと考えている人はいないでしょう。それが「能力査定」によって末端の労働者に至るまで微妙に差がつく仕組みであるという点で、欧米の一般労働者向けの賃金制度と異なるということはかなり知られているはずです。問題はむしろ、特定の職務と切り離された全人格的な評価による「職務遂行能力」なるものが、本当に企業にとってそれだけの高い給料を払い続けたくなるような価値を有しているのか、という点にあります。

 小池氏は同書で、ドイツと比べて「日本の方がコストの高い人たちを解雇している」と述べ、次のように非難の言葉を連ねます。

・・・この日独の差は、なにを意味するか。中年者の解雇は、本人にとってその損失がはなはだ大きい。・・・日本はどうやらコストの大きい層を対象にしているようだ。

 そのコスト高を承知で解雇を行えばまだしも、それをまったく知らずに実施しては、失うものが甚だしい。肝心の変化と問題をこなす高い技量の形成を妨げよう。それは、職場で経験をかさね、実際に問題に挑戦して身につける。長期を要する。雇用調整が早すぎると、その長期の見通しを壊してしまいかねない。いったん崩れると、その再建は容易でない。

 欧米よりも合理的な知的熟練を形成するような賃金制度を実施しているはずの日本企業が、肝心の中高年の取扱いになると、それがまったくわかっていない愚か者に変身するというのは、あまり説得力のある議論とはいいかねます。

 正確に言えば、白紙の状態で「入社」してOJTでいろいろな仕事を覚えている時期には、「職務遂行能力」は確かに年々上昇しているけれども、中年期に入ってからは必ずしもそうではない(にもかかわらず、年功的な「能力」評価のために、「職務遂行能力」がなお上がり続けていることになっている)というのが、企業側の本音なのではないでしょうか。その意味では、40歳定年制論というのは、その本音を露骨に表出した議論だったのかも知れません。

 「職務遂行能力」にせよ、小池氏のいう「知的熟練」にせよ、客観的な評価基準があるわけではないので、それが現実に対応しているのかそれとも乖離しているのかは、それが問われるような危機的状況における企業の行動によってしか知ることはできないのです。そして、リストラ時の企業行動は、中高年の「知的熟練」を幻想だと考えていることを明白に示しているように思われます。

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『多様な正社員に関する解雇判例の分析』

Jilpt

JILPTの細川良、山本陽大の両研究員による『多様な正社員に関する解雇判例の分析』が刊行されました。

http://www.jil.go.jp/institute/chosa/2014/14-145.htm

職務(職種)や勤務地等につき限定が付されている「多様な正社員」制度の導入が重要な政策課題となるなかで、その雇用終了、とりわけ解雇をめぐるルールの在り方に注目が集まっている。かかる多様な正社員の解雇ルールは、職務(職種)・勤務地等に限定が付されていない正社員における解雇ルールと異なるのか否か、異なるとすればそれはいかなる点において、どの程度異なるのかが議論の焦点であるといえよう。

このような問題を考察するに当たっては、従来、職務(職種)や勤務地に限定が付されている期間の定めのない労働者に対する解雇事案において、裁判所がどのような法的判断を行ってきたのかを検討してみることが有益であると思われる。しかしながら、現在のところ、この点を網羅的に分析・検討した研究は存在しない。そこで、判例において解雇権濫用法理(現在の労働契約法16条)が確立して以降の時期における、上記のような限定が付されている期間の定めのない労働者に対する整理解雇および能力不足解雇に係る裁判例を網羅的に収集するとともに、そこでの裁判所による法的判断の傾向につき、分析を行うこととした。

すでに、厚労省の『多様な正社員』の普及・拡大のための有識者懇談会報告書でも引用され、話題になっているものですが、冊子の形になりました。

主な事実発見は次の通りです。

1 整理解雇

限定性の有無について、裁判例は、職種(職務)の限定が問題とされる事案および勤務地の限定が問題とされる事案の双方について、契約書または就業規則といった書面上の記載よりも、採用の経緯(とりわけ、使用者側の当該労働者にかかる採用の動機・目的)または就労の実態(現に特定の業務に従事し続けてきているのか否か、他の業務に従事したことがあるのか否か、また他の業務にも従事していたとすればその頻度はどの程度であったか等)に着目して、当該雇用関係における限定性の有無・程度について判断する傾向がみられた。

限定性が法律判断に与える影響について、まず、限定があることのゆえに、整理解雇法理の適用を否定する旨を一般論として述べる裁判例は存在せず、むしろ、限定性がある場合についても、整理解雇法理またはこれに準拠した枠組みを用いて判断を行う裁判例が多いという傾向が見られた。これに関連して、「限定性が存在することのゆえに、いわゆる解雇回避努力義務が限定されるわけではない」旨を述べる裁判例もみられる。

個別の事例における具体的な判断において、限定性の影響が看取できる事例のうち、最も多く見られるのは、解雇回避努力の履行についての判断への影響であり、当該労働者にかかる限定性の帰結として、使用者の解雇回避努力としての配転等を検討すべき範囲を限定するというものであるが、こうした事例については、職務(職種)の限定から配転等を検討すべき範囲の限定を直截に導いているケースはむしろ少なく、多くのケースにおいては、客観的に配転が困難な事情の存在等と合わせて、解雇回避努力の範囲を限定する判断を導いている点に留意する必要がある。

c.で述べたように、職務(職種)を限定して就労していた労働者については、結果としてその職務能力等に限界が生じ、解雇回避のための配置転換等が客観的に困難となる状況が生じうるところであり、このような場合については、使用者がとりうる解雇回避措置としての配置転換等の余地が限定されることとなる。しかし、このような場合であっても、当該事案における人員削減の必要性の程度、あるいは当該企業全体としての経営状況等が考慮した上で、解雇回避のための配置転換を可能とするために必要な教育訓練等を行なう努力を使用者に対して求める裁判例も見られる。

上述のとおり、限定性が整理解雇の有効性判断に与える影響としては、整理解雇法理の枠組を用いるまたはこれに準じた判断を行なうことを前提とした上で、解雇回避措置に係る具体的な判断について影響が看取される事例が最も多い。他方で、人員削減の必要性、あるいは人選の合理性を裏付ける要素として限定性を考慮する事例も散見される。

加えて、少数ながら、当該労働者に係る限定性から、端的に解雇の合理性を裏付ける結論に導いている(限定されていた職務の消滅から、解雇はやむをえないという結論を導く)裁判例も見られた。但し、これらの事例については、「職務」あるいは「職種」が限定されているというよりも、さらに限定的な業務(任務)への従事を目的とした雇用であったことが判断の前提となっていると解しうる点に留意する必要がある(具体的には、子会社・関連会社・海外現地法人の代表取締役に就任する目的で締結された雇用契約であったケースで、当該事業からの撤退を理由に解雇された事案等)。

2 能力不足解雇

能力不足解雇事案では、もっぱら職務(職種)の限定が問題となっているところ、限定の有無・程度の判断にあたっては、整理解雇事案と比較すると、採用の経緯に係る判断要素に着目する例が多数を占めている点が特徴的である。とりわけ、労働者本人の学歴・職歴・能力、募集広告への記載内容、使用者側が当該労働者を採用するに至った動機・目的、当該職務(職種)に期待される能力についての労働者側の認識、労働者自らによる当該職務(職種)に期待される能力等を有していることについての説明等に着目して、労働契約当事者らにおいて当該労働者が行う職務(職種)を限定する意思を有していたか否かを判断する傾向にある。

能力不足解雇事案においては、整理解雇法理のような一般的な判断枠組が確立しているというわけではないことから、限定性が問題となる事案についても、特段一般論を述べることなく、端的に(就業規則上の)解雇事由該当性あるいは解雇権濫用の有無について判断を行う裁判例が圧倒的多数を占めている。

解雇事由該当性あるいは解雇権濫用の有無に係る具体的判断をみると、限定性の影響が幾つかのパターンにおいて看取できるところ、裁判例のなかで最も多く見られたのは、当該限定されている職務(職種)に求められる能力あるいは期待の高さに即して、就業規則上の解雇事由該当性を労働者側にとって厳格に(=解雇事由該当性が認められやすい方向で)判断するというものである。

職務(職種)の限定は、使用者が解雇に先立って講ずべき解雇回避措置の範囲についても、一定の影響を及ぼしている。すなわち、労働者が職務(職種)を限定せずに雇用されている場合には、整理解雇事案におけるのと同様、能力不足解雇事案においても、使用者には、解雇に先立って解雇回避措置を講ずることが求められるところ、職務(職種)を限定して雇用された労働者に対する能力不足解雇事案においては、解雇回避措置としての配置転換(あるいは降格)を不要とするものが散見される。また、職務(職種)の限定ゆえに、解雇回避措置としての配転が事実上不可能であるとの判断を行うものもみられる。ただし、労働者の行う業務の専門性が高度ではない場合には、使用者の解雇回避努力義務は縮減されないことを明言する裁判例も存在する。また、能力の低下が労働災害に起因している事案においては、職務(職種)について明示の限定があったとしても、解雇回避努力義務の範囲は縮減されないことを説く裁判例もある。

このほか、職務(職種)を限定して雇用された労働者に対する能力不足解雇事案においては、解雇回避措置としての教育訓練措置の実施を不要とするものがみられたほか、医師のように高度に専門的な職種に限定されて雇用された労働者について、使用者が事前の注意、指導や警告を行っていなくとも解雇の有効性を認める裁判例もみられた。

そしてそれを踏まえた政策的インプリケーションは:

上記の事実発見からは、(1)限定性は、契約書の記載のみによって認められるわけではなく、 むしろ、裁判所は、採用の経緯、就労実態に着目して限定性を認めていること、(2)「職務・勤務地限定=解雇ルールの緩和」ではなく、限定性そのものというよりも、当該雇用関係において、限定性の基礎となっている事実、あるいは限定性から派生する事実が解雇の有効性判断に影響している(能力への期待、可動性の範囲etc.)ことが看取される。

職務(職種)限定、あるいは勤務地限定を付した上で労働者を雇用する場合については、以上のような裁判例の傾向を踏まえ、契約書等の書面においてその旨を明示することが必要であることを当然の前提としつつ、第一に、その管理・運用にあたっても明確な措置をとることが必要であること、第二に、こうした限定を付した労働者の解雇にあたっては、当該事例に即した解雇回避措置を採ることが必要されうる点に留意すべきである。

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過重労働、違法とすべきだ@朝日新聞

本日の朝日新聞の生活面(28面)に、「脱・働き過ぎ」というシリーズの一つとして、私のインタビュー記事が載っています。

http://www.asahi.com/articles/DA3S11418283.html

Hama -日本の労働時間の実態をどう見ますか。

 「働きすぎです。ここ20年ほどで、過労死につながりかねない働き方が普通に見られるようになってきました。命や健康を守ることが喫緊の課題です」

-長時間労働はなぜ定着したのでしょう。

 「1970年代の石油ショックがきっかけです。景気が冷え込んだ際に、国が助成金を出して雇用を守り、企業は社員を解雇するのではなく、残業を減らして対応したのです。その代わりに景気が回復しても正社員は増やさず、少ない人数で長い時間働くことにしました。政労使ともに、解雇を避けることを最も優先した結果、終身雇用と長時間労働がいわばセットになった『日本型雇用システム』が確立したのです」

-長時間労働は、企業社会の成り立ちに深く関わっているのですね。

 「日本社会は、ある意味で長時間労働を合理的に選択したのです。ただ90年代以降、企業は景気変動に応じていつでも調整できる非正規雇用を増やし、正社員をさらに少数に絞り込みました。昔に比べ正社員の負荷は高まり、働きすぎはより深刻になっています」

-日本の労働時間の規制の仕方に問題はないのでしょうか。

 「労働基準法では、1日8時間、週40時間を超えて労働者を働かせてはならないと決められています。罰則もあります。例外として、労基法36条に基づく労使協定(36協定)を結べば、1日8時間を超えても労働者を働かせることができます」
 「しかし、『ノー残業デー』という言葉がよく使われていることをみても、日本企業では残業が当たり前で、『残業なし』は珍しいのです。そして日本の法律では、これ以上働かせたら違法になるという労働時間の上限は存在しません」

-どうすればいいのですか。

 「脳・心臓疾患の労災認定では、発症前の1カ月間に100時間または2~6カ月平均で月80時間を超える時間外労働は明らかに過重と基準が示されています。少なくとも、労災認定されるほどの長時間労働は違法とするべきです」
 「欧州連合(EU)では勤務を終えた後、次の勤務が始まるまでに最低11時間の『休息時間』を労働者に保障することを義務づけています。この制度を採り入れるのも一案でしょう。ただし、11時間では最低限の睡眠や食事、通勤などを確保するのが精いっぱいで、家事や育児、余暇などはまったくできません。それでも日本では、規制を嫌う企業から『そんなのできるわけがない』と反発を受けているのが現状です」

-政府は「残業代ゼロ」の新しい制度を検討しています。

 「法定労働時間以内なら今でも労働時間と賃金は切り離せます。新しい制度の本質は、残業や休日出勤しても残業代を払わなくて済むというものです。給料が高いホワイトカラーの労働者には、残業代割り増しの適用を外すという話自体は、合理的です」
 「問題は、こうした本質を隠し、仕事と家庭の両立を図るワークライフバランスの実現のためなどという議論がなされていることです。労働基準法は8時間より短く働くことを禁じていません。いまも自由な働き方はできます。長時間労働が問題だというならば、まず労働時間を減らすアプローチを考えるべきです」

取材は岡林佐和記者でした。私の話をうまくまとめていただいています。

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実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議

文部科学省に標記の長い名前の有識者会議が設置され、すでに10月7日に第1回が開かれていたようです。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/061/gijiroku/1352719.htm

ここに提出されている冨山和彦さんの資料が大変刺激的で、事務局提出の歯に衣着せた表現をぶちかますような生々しい台詞が満ちています。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/061/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/10/23/1352719_4.pdf

本番は6ページあたりからで、

職業訓練の高度化を専門学校、専修学校の看板の架け替えに矮小化すべきではない!

極一部のTop Tier校・学部以外はL型大学と位置づけ、職業訓練校化する議論も射程に!

大半の大学に、今後の雇用の圧倒的多数を占めるジョブ型雇用のおける職業訓練機能を果たさせることがこの議論の本丸

と、ある種の大学関係者が一番聞きたくなかったであろう本質を突いた言葉がこれでもかこれでもかと突っ込まれていきます。

冨山さんがいつも言ってるグローバル(G) の世界とローカル(L)の世界に、大学をこう分けるという話です。

Gの世界:極一部のTop Tier校学部に限定 グローバルで通用する極めて高度なプロフェッショナル人材の排出

Lの世界:その他の大学・学部「新たな高等教育機関」に吸収されるべき 生産性向上に資するスキル保持者の排出(職業訓練)

そして特にこれは、多くの大学人を逆上させるに十分な台詞ですな。

 教員の選定方法

 民間企業の「実務経験者」から選抜。

 民間企業との協働プログラムを中心化。

 社会に出てからの実践力を身に着けさせるため、現場力を基礎とした実践的な教育を行う。

 文系のアカデミックライン(Lの大学には、従来の文系学部はほとんど不要)の教授には、辞め

てもらうか、職業訓練教員としての訓練、再教育を受けてもらう

 理系のアカデミックラインでGの世界で通用する見込みのなくなった教授も同様

現時点ではまだ議事録は公開されていませんが、どんなやりとりがなされたのか、怖いもの見たさ半分で大変興味が惹かれます。

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考察はすごいが論文の本化だから・・・

26184472_1 『日本の雇用と中高年』にまたアマゾンのレビューがつきました。

「読書マン "読書"」さんの「考察はすごいが論文の本化だから・・・」という評です。

http://www.amazon.co.jp/review/R29DV0EUD9MFJR/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4480067736

濱口先生のこれまでの著作は、ほんとうに考察が深いし、官僚出身ゆえ法律を間近で見られてきたからこそのものがある。

ただ、前著『若者と労働』もそうだが、文体や表現方法は論文の本化と言ったほうがよく、雇用・中高年というキーワードに関連する前提知識・感覚に乏しいと理解は難しいと思う。それを込めて★4つにした。

けれども、雇用を体系的に理解し、働くことが難易度を増している現状を理解するにはうってつけの一冊だと思う。

とのことです。

書いた立場から一言付け加えておくと、やはり一冊の新書として出すだけに、論文の本化ではないような工夫を凝らしたつもりではあるんですが、想定読者層がある程度労働問題に関心を持っていろいろ読んでいる人になってしまっているのは否定できないのでしょうね。

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島田英昭さんの拙著書評

Chuko 島田英昭さんがfacebook上で、拙著『若者と労働』に対する的確な書評を書かれています。

https://www.facebook.com/shimadahideaki/posts/715855271827433

若者と労働―「入社」の仕組みから解きほぐす、浜口桂一郎、中公新書ラクレ、を読む。

転勤あり、職種変更あり、終身雇用であるメンバーシップ型、明確な仕事に応じて募集されるジョブ型の2つの雇用形態について、日本の戦後の歴史的な背景を含めて知ることができる。そこから、若年、中高年の仕事の問題を考えていて、深く理解できた。新書にしては骨があるが、すごくわかりやすいので、このあたりをざっと知りたい方にはとてもお勧め。

メンバーシップ型がうまくいかなくなってきたこと、グローバル化の影響、などにより、今後は制度的にも実態的にもジョブ型に移行するだろう。そうすると、相対的に仕事ができない若者が不利になるので、ここの支援が必要とのこと。いくつかのヨーロッパの国の若者雇用と同じ問題が起こる。問題解決のためには、大学がジョブ型雇用に耐えうる人材養成をしないとまずい、という話が印象的。確かにそうだと思う。

現在の大学改革もこの流れだと考えると、理解できる。では、教養的、学問的なものをどう守るか。守る必要がないと言われてしまうと困ってしまうのだけど、生涯学習、成人学習に移行していくのだろうと思う。大学はいつでも好きなときに、キャリアの中で利用される存在になる。

ということで、日本の雇用問題をざっと知りたい人にお勧めです!

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数字に注目 有給休暇の取得率47%

昨日の日経新聞のエコノ探偵団のページの右端の、「数字に注目」というコラムに「有給休暇の取得率 47%」という記事が載っています。

そこにわたくしがちょびっと登場してます。

・・・労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎主席統括研究員は「欧米の多くの労働者は自分が休む間に部署や会社が回るかを気にする必要はない」と指摘する。一方、多くの日本企業では一人一人の職務範囲が明確ではなく、みんなで仕事をする傾向が強い。その上「海外では会社が事前に日程を確認して有休を設定することが多いが、日本の有休は労働者の権利として自由に取得する形」(濱口氏)で、労働者が遠慮して休みを言い出しにくい面がある。

政府は労働基準法改正で有休未消化の社員が多い企業への罰則規定などを盛り込むことを検討している。欧州連合(EU)では1日当たり11時間連続で休むことを義務づける規定などもあり、日本でも有休を含めて長時間労働を是正する議論が活発になってきた。

なんだか途中から有休の話がインターバルになってる感がありますが。

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つぶやき

いやあ、あっせん事案ばっかり見てると、労働者って貧しくて弱くて、いいようにされている、って印象をついもってしまいがちだけれど、そうでもない人々も世の中におるんですな。高給もらって強くて、偉そうな、そういう労働者ってのも確かにいる。そして、弱い労働者がミゼラブルなはした金しかもらえないのに、こういう強い労働者は金にあかせて結構大金をせしめるんだな。

つぶやきはここまで。

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小陳勇一「働かないオジサン」考@朝日

本日の朝日新聞のオピニオン欄の「社説余滴」というコラムに、小陳勇一さんの「働かないオジサン」考が載っています。

http://www.asahi.com/articles/DA3S11412496.html

年齢や勤続年数に応じて給料が上がる年功賃金の問題は、「働かないオジサン」の問題ではないか。

安倍首相が提起した「年功制見直し」について社説を書こうとした時にそう考えたのは、『働かないオジサンの給料はなぜ高いのか』という本を読んでいたからだ。・・・

と、例の楠木新さんの本の話題から入り、真ん中くらいで私が登場します。

・・・「根本的な問題は、何に対して企業は賃金を払うのか、ということにある」。労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎主席統括研究員(56)はそう指摘する。

欧米の企業では一般的に、一つひとつの仕事の内容や責任、そして賃金が決まっており、その仕事を誰がやっても同じ賃金が払われる。

日本では賃金は仕事ではなく人に対して払われることが多い。担当の仕事が変わっても、賃金はそれほど変わらない。その賃金の決め方として発達したのが年功賃金だ。

「年功に代わる原則はないままだ」と濱口さん。だから、成果主義は中高年の賃下げの手段とみられ、個々の社員の納得は得られにくい。

仕事を元に賃金が決まれば、中高年も賃金に納得するかもしれない。しかし、多くの中高年は年功制を前提に人生設計をしている。「働かないオジサン」という言葉は、若者の就労問題も含めた日本型雇用の現状と、その改革の難しさを表している。

労働関係の記者の方々と違い、経済社説担当の小陳さんとは今回初めて取材を受けましたが、大変的確に物事を理解しておられました。

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教育と雇用の相互排除意識

ありすさんが、

https://twitter.com/alicewonder113/status/523959146732081153

教育が不要って話にはならんだろうに。

と言われているのは、あの「あごら」に載ったこれに対するコメントのようですが、

http://agora-web.jp/archives/1617016.html (マララ氏はテロ支援者―教育先行はテロを生みだす)

勿論、私は教育の意義を否定するものではない。が、マララ氏が指摘するような教育が第一とか先であるべきな議論は間違っている。彼女の勇気とレトリックは賞賛すべきだが、その主張の中身は陳腐な教育万能論でしかない。

問題は、現地の経済や社会が必要とする以上の教育を行うことにあるのだ。まさしく、モハメド・アタは、エジプト社会が必要とする以上の教育を受けたことで、就職もできず、認知欲求に悩み、最終的には西側に復讐するテロリストになったのである。

であるのならば、マララ氏の言うような教育なぞは不必要である。

必要なのは雇用である。

具体的には、茶碗工場でも玩具工場でも何でも良いので、確実な消費が見込まれるが教育はほとんど不要な雇用を沢山用意してあげることである。もしくは現地人の起業家をたくさん育てることである。何故ならば、経済成長すればそれに見合った教育システムは勝手に市場の要請によって作られるし、そうすればテロリストにはならないからである。

マララ氏は、立派な人間である。尊うべき人間なのは間違いない。だが、彼女の「本とペンはテロ打ち負かす」という主張は大きな間違いであって、正しくは「本とペンはテロを生みだす」なのである。

だから私は敢えて言いたい。マララ氏はテロ支援者であり、教育先行はテロを生みだすのである。

いかにも「あごら」な人々が言いそうな表層的な議論ですが、とはいえ、おそらくネット上でこれを読んでケシカランと義憤を感じている人の多くの考えていることも、この文章と大して変わらないくらいポイントを外していると思われます。

もちろん、少し前に本ブログで取りあげた安倍首相のOECD閣僚理事会での発言に噛みついている人々のことです。

これらの人々の思考法の特徴は、どっちを祭り上げてどっちを貶しつけるかだけは正反対であるだけで、教育と雇用を正反対のベクトルのものと思い込んでいる点においては、全く同型的であるのです。

本ブログで何年間も山のように書いてきたことなので、今更感が尋常じゃありませんが、そもそも教育訓練というのは、人々がちゃんと立派に働いていけるようにそのための様々なスキルを身につけさせてあげることなのであって、働くためじゃないそれとは全く切り離された純粋な「教育」サマなどという贅沢物は、少なくとも国際社会で「教育こそが必要」と口が酸っぱくなるほど言われている時に想定されているものの中では一番最後の最後に出てくるか来ないかくらいのものでしょう。

逆に、仕事だって、教育の欠如した人々のその状態をいつまでも前提にしてそういう低レベルの仕事しかやらないままでは、先進諸国や中進諸国に引き離されるばかりで、それこそテロの元になるばかりでしょう。

教育は雇用の前提であり、雇用は教育の目的です。両者は本来密接な関係にあり、一体的に論じられるべきものですらあります。

要するに、この日本でもっともらしい議論をする連中の多くが、教育と雇用を正反対のベクトルのものと思い込んで、ひたすらどちらかを祭り上げてもう一方を貶しつけるという下らない言動を繰り返している点にこそ、最大の問題点があるわけなのですね。

こういうのを見ると、安倍首相がOECD閣僚理事会で語ったこの言葉がまともすぎて、涙が出るくらいです。

http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0506kichokoen.html

だからこそ、私は、教育改革を進めています。学術研究を深めるのではなく、もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な、職業教育を行う。そうした新たな枠組みを、高等教育に取り込みたいと考えています。

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日本労働法学会第128回大会

本日、静岡大学で開催された日本労働法学会第128回大会に参加してきました。

明日からしこしこ作業があるので(謎)、本日は懇親会だけでさっさと帰宅。

本日の大シンポテーマは「労働組合法立法史の意義と課題」。次のような面々による力のこもった報告でした。

第1報告:「労働組合法立法過程にみる労働組合の規制の変容―昭和24年労働組合法の総則・労働組合関係規定を中心に―」(9:20~10:00)報告者:富永晃一(上智大学)

第2報告:「団体交渉過程の制度化、統一的労働条件決定システム構築の試みと挫折―昭和24年労組法改正における団体交渉、労働協約規定の検討を中心に―」(10:00~10:40)報告者:竹内(奥野)寿(早稲田大学)

第3報告:「昭和24年労働組合法の立法過程と不当労働行為制度――アメリカ化の圧力、反作用、断裂――」(10:40~11:20)報告者:中窪裕也(一橋大学)

第4報告:「昭和24年労組法における労働委員会制度の完成―その生成経緯から見た現代的課題―」(11:20~12:00)報告者:野田進(九州大学)

第5報告:「労使関係論からみた昭和24年労組法改正過程―アメリカ・モデルと戦後直後型労使関係の相克?」(13:50~14:30)報告者:仁田道夫(国士舘大学)

私も結構多くの質疑をさせていただきました。具体的な内容については、『学会誌』次号で。

Kaidai Shiryo なお、本日の書く報告の素材である『労働組合法立法史料研究』(条文史料篇・解題篇)(JILPT)については、こちらから全文ダウンロードできますので、ご参考までに。

http://www.jil.go.jp/kokunai/reports/report05.htm

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『若者と労働』第3刷

Chuko

さて『若者と労働』ですが、昨年8月の刊行から1年あまり経ちますが、今般版元より第3刷の連絡を受けました。

出ては消えるあぶくのような新書が多い中、着実に本書を読み継いでいただいている読者の皆様に心より感謝申し上げます。

最近も「Media Marker」という書評サイトで、「hori masa」さんによるこのような力のこもった書評がアップされていました。

http://mediamarker.net/u/masa-hori/?asin=4121504658

濱口氏がよく書かれている「メンバーシップ」型と「ジョブ」型の内容がやっと理解できた。「メンバーシップ」型で特定の仕事ができるとは言えない大卒を一括採用して育てる前提の日本の場合、新卒でメンバーになれないと経験を積む機会が減り、年齢が上がることで採用されにくくなり、さらに未経験のまま年齢が上がり、、という悪循環。

一方「ジョブ」型だと、特定の仕事に対して採用するから仕事経験の浅い若年層はそもそも採用されにくい。その雇用問題を解決するために教育機関にいる間に職業訓練などを充実させて採用されやすくしなければならない。採用はある「ジョブ」の空ができたときに経験のある人を採用するし、会社が仕事を減らしたら解雇される。若年雇用問題はあって当たり前の世界。逆に解雇については制限がきつい(仕事があるのに担当者をやたらと解雇できないとか、かな)。あと、同一労働同一賃金も成立しているのが前提。

また、ホワイトカラーエグゼンプションの話は「ジョブ」型の社会だと受け入れやすいが、日本の現状だとそういう会社が少数なので「ん?残業代払わない?」という話になっちゃうのは自然の流れかと。

一時期はやったギャップイヤーは、「ジョブ」経験のない大卒がとにかく経験を積むために仕事を探す期間ということだとすると、日本の学生が卒業後社会経験を積むための時間を得る、というのんびりした話ではなさげ。

とはいえ、日本の現代に限れば、就活のばかやろーといいながらしばらくは今の就活をやるしかないんでしょうな。みんな矛盾を感じつつも。

日本の労働法制が「ジョブ」型基本で書かれていて裁判判例が現実とのギャップを埋めている、というのはこの本で初めて知った。

ただ、せっかくここまで拙著を的確に読んでいただいているにもかかわらず、最後のパラグラフで、何の根拠も挙げないまま、私に対する「第3法則」的罵詈讒謗ばかりを投げかけている御仁の言葉を引用しているのは、残念の一言に尽きます。

濱口氏の経済政策に対する偏見については田中秀臣さんが批判していた。それを割り引いてもこの本は面白かった。雇用・労働の面からに絞って知識を得ればよいか、と。(失業率とインフレ率が関連しているように経済と独立した問題ではないので、それではいけないのかもしれませんが)

私の知る限り、この御仁の私に対する罵言は、私の出身組織と現に所属する組織に対する誹謗以外には見当たらないのですが、一体いかなる「経済政策に対する偏見」が指摘されているのか、せっかくこんなよい書評を書かれたのですから、きちんと根拠を挙げて説明されるとよいのではないでしょうか。

まさかとは思いますが、経済政策以外の面(労働政策など)でトンデモなことを言っている人々を、その面に着目して(リフレ派と区別して)「りふれは」と呼んだことを、誰かさんみたいに「経済政策に対する偏見」などといってるのではないでしょうね。

なお、「あんだんど」というブログでも、この拙著への詳しい書評を書いていただいております。

http://tech-and-race.blogspot.jp/2014/10/blog-post.html

・・・この本を読むと、仕事をする能力はない新卒を一括採用するという採用のやり方と、会社で人を教育して使える「社員」にするという考え方、新卒採用が毎年あるのでそれにしたがって定期異動もある、などなど全部はつながった話なのだなと(当たり前だが)理解できた。・・・

・・・「ジョブ」型社会で気になることとして、大学に必要とされる教育内容がある。職業に密接に結びついた教育ができる形にしないといけない。今の職員にそれが可能なんだろうか。そういえば、小幡績が、これからの雇用には大学ではなく、高専の強化だ、という趣旨のことを書いていた。・・・

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拙著@大内伸哉ゼミ

26184472_1 大内伸哉さんの「アモーレと労働法」に、学部の労働法ゼミの夏の課題図書の報告会の様子が載っています。10冊の課題図書の中に、拙著も2冊入れていただいています。

先週(10月10日)には、金子良事さんの『日本の賃金を歴史から考える』や児美川孝一郎さんの『キャリア教育のウソ』、清家篤さんの『雇用再生』と並んで、

http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-c263.html

4冊目は,濱口桂一郎『若者と労働』(中公新書)です。全員メンバーシップ型も,全員ジョブ型も無理だから,ジョブ型正社員を増やそうという提言です。これもわかりやすい話で,このゼミでも正社員の問題はずいぶんと扱っているので,学生には自然に理解できたのではないかと思います。濱口さんの本は,次回も扱います。

そして今日(10月17日)は、宮本太郎編『生活保障の戦略』や山本勲他編『労働時間の経済分析』と並んで、

http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-c263-1.html

本日のゼミでは,まず濱口桂一郎『日本の雇用と中高年』(筑摩書房)を報告してもらいました。前回の『若者と労働』と同様,学生にとってはたいへん勉強になったようです。日本の中高年に対する労働政策の転換,年齢差別禁止政策の流れなど,日本の雇用政策の歴史について勉強になる情報がたくさん入っています。大学院クラスで労働を研究する人には必読でしょう。ただジョブ型か否かという切り口でほんとうによいのか,私にはよくわかりませんが。

と、拙著が取り上げられています。

学生さんたちの目には拙著がどのように映ったのでしょうか。

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中野円佳『「育休世代」のジレンマ』

9784334038168中野円佳さんの『「育休世代」のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか?』(光文社新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334038168

昔に比べれば、産休・育休や育児支援の制度が整ったかに見える今、それでも総合職に就職した女性の多くが、出産もしくは育休後の復帰を経て、会社を辞めている。男性と肩を並べて受験や就職活動にも勝ち抜き、出産後の就業継続の意欲もあった女性たちでさえ、そのような選択に至るのはなぜなのか。また会社に残ったとしても、意欲が低下したように捉えられてしまうのはなぜなのか。

この本では、実質的に制度が整った2000年代に総合職として入社し、その後出産をした15人の女性(=「育休世代」と呼ぶ)に綿密なインタビューを実施。それぞれの環境やライフヒストリーの分析と、選択結果との関連を見ていく中で、予測外の展開にさまざまな思いを抱えて悩む女性たちの姿と、そう至らしめた社会の構造を明らかにする。

全体の構成についていうと、15人の高学歴女性たちのライフヒストリーが、3章から6章でトピックごとにやや切れ切れに語られた後に、7章でようやくその人ごとのストーリーが語られるために、途中ではいささか感情移入しにくいところがあります。

感情移入といいましたが、これは基本的に統計分析している本ではなく、ある属性を共有する人々の様々なライフヒストリーの質的研究なので、その一人一人のイメージがわかる形で語られる方が読みやすいはずなのです。

本書については山下ゆさんが「社会学(社会科学)の本としてはダメ」といささか辛口の批評をしていますが、それは社会学をやや狭く理解しすぎで、本書のような当事者の語りを前面に出した質的研究も立派な社会学だと思いますが、それならもう少し構成を工夫した方が良かったかなという印象です。

http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52082473.html中野円佳『「育休世代」のジレンマ』(光文社新書) 7点

さて、本書の提示する「ジレンマ」とは、

男性と同等以上に競争し、仕事へのやる気に溢れていたバリキャリ女性が辞めていく反面、ある程度自身が女性であることを意識し、いずれかの時点で意欲を調整できた助成の方が、仕事を続ける見通しが立っている-というコントラスト

です。言い換えれば

「男並み発想」の学生が「女ゆえ」に退職するパラドクス

ですね。

これは、後書きで自分自身のことであることが語られます。

大学時代、ジェンダー関連の発言をしている女性が理解できなかった。「女」を使わないと食っていけないような女になりたくなかった。いつも隣にいて肩を並べて、野心や将来について語り合い、励まし合ったりしてきたのは、男友達だった。

そう、ここに登場する15人はみななにがしかずつ著者の分身なのです。そういうのは社会学じゃないと思う人もいるでしょうし、それこそが立派な社会学だと思う人もいるでしょう。私はいかなる意味でも社会学アカデミズムとは縁のない人間なので、それがどっちでもかまいませんが、女性労働問題を真面目に考える上でとても重要なことが語られているテキストであることは間違いなく、私にとってはそれで十分です。

その上で、以下若干私の議論に引きつけて思ったことを書きます。

彼女は自分もかつてそうであった「男並み」の発想をマッチョ志向と呼び、それと「女々しさ」の二項対立を提示します。これは欧米社会にも広く見られるものであり、フェミニズムが繰り返し摘示してきたものでもあるのですが、この日本の労働社会における「男並み女性」の生きづらさの構造は、もう一ひねりしたものがあるのではないか、と思うのです。

欧米流のマッチョイズムは、いろんな小説や映画に見られるように、孤独なヒーロー型です。社会構造がそもそもジョブ型である中で、それをより純化したヒーロー像であり、だからこそ、女性的なケアの発想とは対極にあるものと位置づけられるわけです。そういう意味で「ケア」レスなマッチョモデルがわりと単純な批判の対象になるのでしょう。

ところが、日本型のメンバーシップ型社会では、「男並み」の先にある「男たちの世界」そのものが、組織の一員としてべったりケアし合う空間であり、多分欧米のマッチョからすれば「女々しい」とすらいわれるかもしれない世界であり、それゆえに時間無限定にいつまでも一緒にいることが重要な意味を持つ社会であり、そういう意味での職場のケアの過剰が家庭におけるケアの欠如の原因となるというやや輻輳した状況にあるように思われます。

つまり、日本における職場の女性の生きにくさには、欧米と共通のフェミニズム的問題と、日本独特のメンバーシップ型社会ゆえの問題が絡まり合っていて、そこの解きほぐしがなかなか難しいことが、本書もそうですが、なかなか話がすぱっと割り切れた感じがしない大きな理由なのではないかと思うわけです。

ちょっと違う観点から。

先日、都内某所で講演したときに、海老原理論(若いうちは日本型のメンバーシップで、あるところでジョブ型に転換)の最大の難点は女性であって、海老原さんはそこを高齢出産で切り抜けようとしているけど、やはり根本的に無理がある、というようなことを述べたのですが、本書を読んで、こういう高学歴夫婦といえども、実は結構「できちゃった」であるということを踏まえると、やはりそうだよな、と感じました。鼠だって猫だって生き物である以上に、人間だって生き物なんですから。

序 なぜ、あんなにバリキャリだった彼女が「女の幸せに目覚める」のか?

1章 「制度」が整っても女性の活躍が難しいのはなぜか?
      (1)辞める女性、ぶら下がる女性
    (2)どんな女性が辞めるのか?

2章 「育休世代」のジレンマ
     (1)働く女性をめぐる状況の変化
     (2)「育休世代」にふりかかる、2つのプレッシャー
     (3)「育休世代」の出産

3章 不都合な「職場」
     (1)どんな職場で辞めるのか?
     (2)どうして不都合な職場を選んでしまうのか?

4章 期待されない「夫」
     (1)夫の育児参加は影響を及ぼすか?
     (2)なぜ夫選びに失敗するのか?
     (3)「夫の育児参加」に立ちはだかる多くの壁とあきらめ

5章 母を縛る「育児意識」
     (1)「祖父母任せの育児」への抵抗感
     (2)預ける罪悪感と仕事のやりがいの天秤
     (3)母に求められる子どもの達成

6章 複合的要因を抱えさせる「マッチョ志向」
     (1)二極化する女性の要因
     (2)「マッチョ志向」はどう育ったか
     (補1)親の職業との関連
     (補2)きょうだいとの関連
     (補3)学校・キャリア教育との関連

7章 誰が辞め、誰が残るのか?
     (1)結局「女ゆえ」に辞める退職グループ
     (2)複数の変数に揺れ動く予備軍グループ
     (3)職場のジェンダー秩序を受け入れて残る継続グループ

8章 なぜ「女性活用」は失敗するのか?
     (1)「男なみ発想」の女性が「女ゆえ」に退職するパラドクス
     (2)企業に残る「非男なみ」女性と、構造強化の構造
     (3)夫婦関係を浸食する夫の「男なみ」
     (4)ジェンダー秩序にどう抗するか?
     (5)オリジナリティと今後の課題(意義と限界)

おわりに……わたしの経緯

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渡辺治・岡田知弘・後藤道夫・二宮厚美『〈大国〉への執念 安倍政権と日本の危機』

182477 渡辺治・岡田知弘・後藤道夫・二宮厚美『〈大国〉への執念 安倍政権と日本の危機』(大月書店)をお送り頂きました。ありがとうございます。

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b182477.html

改憲~軍事大国化と新自由主義改革の再起動という課題を自覚的に遂行する安倍政権の現段階を構造的に分析。対抗への道筋を示す。

第1章 安倍政権とは何か?(渡辺 治)
第2章 「富国強兵」型構造改革の矛盾と対抗(岡田知弘)
第3章 安倍政権の社会保障改革と労働改革──皆保険体制の解体と労働移動強制(後藤道夫)
第4章 安倍政権が走るグローバル競争国家化路線の国民的帰結(二宮厚美)

という執筆分担で、わたくしとの関係では第3章の後藤さんの書かれた部分がいくつか重要な論点を提起しています。

ここではそのうちとりわけ、

3 安倍労働改革──日本型雇用の最終的解体と経営独裁 

の節で述べられている限定正社員批判、というよりむしろ「無限定正社員」概念批判を取り上げたいと思います。

後藤さんはここで、ある種の批判者の如く、そもそも法律上正社員と雖も無限定じゃない、なんていう批判だけで済ませてはいません。そんなことはみんなわかっているわけです。にもかかわらず、現実の正社員が無限定的になっているという現実をどう説明するのか。

本書で後藤さんは、メンバーシップ契約そのものとそれをある程度前提とした経営独裁という概念を区別し、それを時間軸の上で次のように位置づけようとします。

・・・日本型雇用の雇用契約が「メンバーシップ型」の実質を持つようになったのは、おそらく1960年代であろう。製造大企業のブルーカラー採用でも職種別採用が後景に退き、一般的な学力テストを行って新卒一括採用が普通になった。就職でなくて就社といわれる状況への転換である。

とはいえ、これは、職務、勤務地、労働時間についての会社の無制約な命令権を意味してはいなかった。不払い残業が当然の「仕事が終わるまでが労働時間」という違法状況が広範に見られるようになったのは1980年代である。また、異動、出向、転属についての本人事情の考慮の要求、労働組合との事前協議の要求は、60年代、70年代には特別なことではなかった。そうした領域での「経営独裁」状況が成立してくるのは70年代中葉以降である。

したがって、「無限定」には、二つの意味あるいは段階を考えなければならない。現在の働き方の「無限定」問題の一側面は「メンバーシップ契約」であり、他の側面は「経営独裁」あるいは労働側の無力である。もっといえば、日本型雇用における長期雇用慣行も無視する、使い捨ての「無限定労働」(ブラック企業)が広がった段階はさらに区別すべきなのであろう。現状の「無限定正社員」を無批判に参照基準とすることは、メンバーシップ契約をカテゴライズすることではなく、実は、経営独裁を正常な状態と宣言しているだけのことである。

この歴史認識は、おおむね正しいと思います。ただ、若干のコメントをいえば、その「経営独裁」以前のメンバーシップ契約とは、企業別組合による終身雇用男性正社員の利益擁護をその一部として組み込んだものであって、そこに戻ればいいというものでもないわけです。また、この二つは独立した軸なのかというと、後藤さん自身も認めるように

「メンバーシップ契約」が「経営独裁」に対する労働側の抵抗力をそぎやすい、という事情は、労働組合運動論にとって極めて大きな意味を持つが、この二つが直接の論理的関係にないことは明白である。

という裏返しの表現にも表れています。

たとえば、労働時間の無制限性についても、ある時期までは女性は法律によって時間外規制や深夜業禁止が課せられ、もっぱら男性の時間外労働が時間外手当の権利と交錯しながら、36協定が確かに労使交渉の手段として活用されていたわけで、喉から手が出るほど時間外手当を欲しい気持ちを抱えつつ、36協定を結んでやらないぞ、さあどうだと交渉するという男たちの世界が確かにあったわけです。

このあたりをきちんと分析するためには、一つには後藤さんの指摘する集団的労使関係の絡み方、もう一つはそのジェンダー的性格という少なくとも二つの軸が必要になるでしょう。

その他の論点についてもいくつか重要な指摘がなされていますが、ここではこれだけにとどめておきます。

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出羽の守のちゃぶ台返し

一昨日の社会政策学会の報告では、冒頭、私は出羽の守のちゃぶ台返しをします、と申し上げたのですが、非常に多くの方々が何のことかよくわからなかったとのことですので、

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-347.html秋の社会政策学会 初日

追記 そういえば、ちゃぶ台返しっていうけれども、難しくてちゃぶ台がどれか分からない、という話を今日のお昼にしてたな笑。

洒落の解説をするというのは大変無粋なことではありますが、伝わらなければ意味がありませんので、無粋を覚悟で:

今回の共通論題、「社会政策としての労働規制-ヨーロッパ労働社会との比較」というのは、タイトルからもうすうす窺われるように、ダメな日本を導くモデルとしてヨーロッパを描き出すという志向性が濃厚にあります。

http://jasps.org/wp/wp-content/uploads/2014/08/129program-final-140818.pdf

・・・こうしたヨーロッパの法規制・雇用動向をふまえて、日本の労働社会が目指すべき新しい労働規制のあり方について、その比較とのなかで課題を明らかにしていく。

そのために、EU総体を私、ドイツを田中洋子さん、デンマークを菅沼隆さんが報告するという役割分担ですが、いずれも日本と比較して、いかにヨーロッパが、EUが、ドイツが、デンマークがちゃんとしているか、それに引き替え日本は・・・、という志向性があらかじめ組み込まれているわけです。

こういう志向性のことを、昔から「出羽の守」といいます。「○○ではこうだぞ」てなことばっかり言ってる奴、というようなニュアンスで、「では」「では」というから「出羽の守」なんですね。

そう言われれば、私自身もいろんなところで「出羽の守」をやっています。最近も、労働時間改革の話では何かというとEU指令では時間外を含めた実労働時間が規制され、1日の休息時間も規制されているてなことばっかり言いつのっているわけで、典型的な出羽の守と言えましょう。

そうなんですが、しかしそれは政府の規制改革会議だの、経営団体だの、労働組合だの、マスコミだの、要するにそういう政治戦略的に出羽の守を演じることが重要であるようなシチュエーションにおいてはためらいなく出羽の守をやりますが、社会政策学会みたいなその道のプロの研究者が集まる場所にわざわざ出かけていって、そんな出羽の守をやってもつまらんじゃないの、というのが私の想いでありまして、だからわざとその期待を脱臼させるような中身にしようと思って、そのEUがなかなかつらい大変な状況にあるんですよ、ということを、これでもかこれでもかとてんこ盛りにする報告にしたわけです。

「EUではこんなすばらしい社会政策が・・・」みたいな出羽の守的報告を期待されている当の本人が、それをひっくり返すようなことをいうのですから、これこそ必殺技、出羽の守のちゃぶ台返し、と思ったわけですが、そもそも「ちゃぶ台って何?」という反応が結構あったりして、「ほら、巨人の星の星一徹がひっくり返しているあれですよ」という説明がなければなかなか伝わらないという状況を改めて確認した次第です。

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ミドルのセカンドキャリア 脱後ろ向きへ新提案@リクルート『ワークス』

W_126_0というわけで、土曜日に社会政策学会で報告するために岡山に行っている間に、リクルートワークス研究所の『Works』126号が出ていたようで、まだ紙媒体は手にしていませんが、HP上にはすでにPDFファイルがアップされているので、紹介しておきます。

http://www.works-i.com/publication/works/backnumber/w_126

といっても、メイン特集の「博士を採用できない企業の“病”」ではなく、第2特集の「ミドルのセカンドキャリア 脱・後ろ向きへ新提案」の方です。

http://www.works-i.com/pdf/w126-toku2.pdf

「追い出し部屋」という言葉に象徴されるように、「後ろ向き」なイメージが強いミドルのセカンドキャリア支援。だが成長領域への人材シフトを実現するには、より多くのミドルの「前向き」なセカンドキャリアへの転身が求められている。後ろ向きから前向きへの転換へ何から手をつけるべきか。3つの新提案をお送りする。

この記事に、私も顔を出しています。

正社員は会社のメンバーとして就職し、職務や時間・空間の限定なく働くことを受け入れる一方、定年まで年功賃金による生活保障を得る「メンバーシップ型雇用」。労働政策研究・研修機構の主席統括研究員、濱口桂一郎氏は、そこに日本の労働社会の特徴があると説く。中高年の雇用政策は、1960年代以降に確立が進んだメンバーシップ型雇用の影響を大きく受けたという。・・・・

・・・内部労働市場を重視するメンバーシップ型雇用のあり方は、外部労働市場の活用を視野に入れるミドルのセカンドキャリア支援に「後ろ向き」となることに、少なからぬ影響を与えたのだろう。

メンバーシップ型雇用が日本企業の主流となり、雇用政策もそれを前提とするように改められる一方、「不景気に中高年が排出される傾向は維持された」と濱口氏は指摘する。

1970年代の石油危機、1990年代のバブル経済崩壊、21世紀に入ってのリーマンショック……。不景気のたび中高年はリストラのターゲットとなってきた。このまま「後ろ向き」状態が続けば、次の不景気では中高年となったバブル世代が人減らしの対象となることは必至だろう。

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労働政策フォーラム「改正労働契約法」@大阪

今年3月に東京で開催した労働政策フォーラム「改正労働契約法への対応を考える」の大阪版が11月20日に開催されます。場所はナレッジシアター グランフロント大阪です。

http://eforum.jil.go.jp/event/ro_forum/20141120/info/index.htm

基調講演の菅野和夫JILPT理事長、調査報告の渡辺木綿子さんは同じですが、事例報告は

(1)全国生協労働組合連合会 北口明代 全国生協労働組合連合会中央執行委員長

(2)株式会社帝国ホテル 古谷厚史 株式会社帝国ホテル執行役員人事部長

のお二人です。

また、パネルディスカッションも、菅野理事長と私は同じですが、労使双方の弁護士は大阪の方々が出席されます。

パネリスト

北本 修二 北本法律事務所弁護士/連合大阪法曹団代表幹事

上原 康夫 井上・上原法律事務所弁護士/連合大阪法曹団事務局長

松下 守男 松下法律事務所弁護士/経営法曹会議常任幹事

竹林 竜太郎 竹林・畑・中川・福島法律事務所弁護士

濱口 桂一郎 労働政策研究・研修機構主席統括研究員

コーディネーター

菅野 和夫 労働政策研究・研修機構理事長

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原昌登『コンパクト労働法』

20149784883842162原昌登さんのテキストブック『コンパクト労働法』(新世社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.saiensu.co.jp/?page=book_details&ISBN=ISBN978-4-88384-216-2&YEAR=2014

本書の特徴は、とにかくわかりやすくということに徹底した本だと言うことでしょう。

本書は,学習のポイントを押さえた解説により,初学者が労働法の全体像をつかみ,その基本的な内容を理解することを目指した入門テキストです.平易な記述と「設例」を通して具体的なイメージを持ちながら読み進められるよう工夫しました.また発展的な内容についても「コラム」として紹介しています.勉強や仕事で労働法の基礎知識を身につけたい方に最適の一冊です.2色刷.

それはおおむね成功しているんですが、日本の労働法の複雑怪奇さがそれを困難にしているところもあります。

たとえば、はじめの方の「雇用関係における様々なルール」で、労基法を例に強行法規とはどういうことかということを説明しているんですが、そこで例に出されているのが、1日8時間を超えて働かせれば労基法違反になるのであり、これは本人が真に同意していても違反は違反だということを説明しています。

それは全くその通りで、法律の建前はそうなんですね。

ところが日本の職場の現実は、本人が同意していなくたって、36協定を誰か過半数代表者とかいう人がサインしていれば、そして就業規則にその旨の条項が入っていれば、1日8時間を超えて働かせていい、というだけではなく、働かなくてはいけないし、それを断ったりした下手をすれば懲戒解雇になっても文句は言えないわけで、そこまで話しをすると、なんていうインチキな仕組みだと感じるのが自然なものでもあるわけです。

もちろん、初心者用の中の初心者用のテキストブックに、そんな皮肉を書くわけにはいかないわけですが、この本の冒頭に、労基法の本来の原則論からすれば大変自然な例示が素直にそのまま出ていることの皮肉を感じるようになるのが大人になるということなのかもしれません。

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一番バランスのとれた朝日の社説 on 年功制見直し

安倍首相の年功制見直し発言に対する新聞各紙の社説は、日経など雇用システム論的観点をいささか欠いたものも散見されましたが、本日の朝日の社説は、ここ数年の学習の跡がよく示された、できのよい社説になっています。

http://www.asahi.com/paper/editorial2.html

もちろん短い社説ですから、専門家の目で細かいことをいえばいくらでもツッコミどころはあるでしょうが、この歴史認識はおおむね的確ですし、

年功賃金は終身雇用とともに「日本型」と呼ばれる雇用の仕組みを形作ってきた。企業は新卒の若者を一括採用し、仕事の仕方を教えていく。長く働き続けるほど賃金を上げることで、コストをかけて教育した社員を企業は囲い込める。働く側にとっては、将来の生活設計を安心して描けることが、配置転換や異動を受け入れてでも働き続ける誘因となった。

 この仕組みはもともと、経済が成長する時代に適しており、今ではひずみも目立つ。

 バブル崩壊後の1990年代以後、新卒の採用を抑えて中高年社員の比率が高まってくると、その「割高な賃金」が企業の重荷になった。リストラが必要になると中高年が標的になり、「追い出し部屋」をつくる企業さえ現れた。

 一方、正社員の終身雇用が優先されるため、卒業した時の景気が悪いと若者は就職が難しく、非正社員が増えた。

企業のやってきたことに対するこの評価もおおむね正鵠を得ています。

 企業も対応はしてきた。成果主義を導入するなどして、年功によって賃金が上昇する度合いを抑えた企業は多い。

 ただ、賃金制度を変更しても、年功的な要素を残している企業がほとんどだ。年功賃金は終身雇用など日本型雇用を構成する他の要素と深く結びついており、賃金だけを切り離して大きく変えるのは難しいからだ。

そして、一部の「ワカモノの味方」とは一線を画して、きちんとこの国際比較的な認識をきちんと提示していることも重要なポイントです。

欧米では一般的に、職務内容が雇用契約で決まっており、「同一労働・同一賃金」が基本だ。透明で分かりやすいが、未熟な新卒者よりベテランの方が職を得やすく、若者の失業率が著しく高くなりやすい。

その上で、首相発言の目指す方向性には好意的な姿勢を示しつつ、それが労使のすべき仕事であることを明確にしているこの一節は、未だになお、政府が法律で年功賃金制を強制してきたかのごとき誤った歴史認識を披露して全く恥じるところのない人事コンサルタントが平然と横行している現在、大変バランスのとれた社説として他紙の見習うべきところと言えましょう。

どんな賃金体系をとるかは、企業ごとに労使で協議して決めれば良い。しかし、日本全体として、どのような雇用制度を目指すのが望ましいのか。現在の仕組みが制度疲労を起こしている以上、政労使で目指す方向を議論することには意味がある。

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三井正信『基本労働法Ⅲ』

33270三井正信さんの浩瀚なテキスト『基本労働法Ⅲ』(成文堂)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.seibundoh.co.jp/pub/search/027953.html

三井さんのこのテキストのシリーズは、一昨年に『Ⅰ』をお送りいただいたときに本ブログで紹介しております。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-a669.html

この本は、ロースクールの授業をもとにしたテキストブックであり、Ⅰが総論と労働契約法、Ⅱが労働条件決定・変更システム、Ⅲが集団的労使関係と紛争解決という予定だそうです。ざっと通読してⅠが大変面白かっただけに、ⅡⅢを早く読んでみたいという思いが湧いてくる本です。

さて、本書のテキストブックとしての特徴としてわたくしが感じた点は、大きな枠組みに関するところと、コラムに表れる自分史表白的なところです。

まず前者ですが、Ⅰだけでも全編にわたって日本的雇用慣行との関係における労働法制という問題意識が強く示されていて、ある意味で拙著『日本の雇用と労働法』と通じるものも感じられました。いや、もちろん、素人向けの拙著と違って、ロースクールというプロ仕様のテキストですが。

あれ?Ⅰの次はⅡじゃないの?と感じた方、そう、Ⅱよりも先にⅢが出たのですが、その理由は、

・・・当初、Ⅱの執筆作業を開始したのであるが、2012年12月に自民党が政権に復帰し、アベノミクスのもと個別的労使関係法についても法改正などにより大きく変動する可能性が出てきた。それ故に、かりにⅡを刊行してもすぐに改訂の必要が生じるかも知れないような状態となっている。そこで、ひとまずはそのような動きを見守り、先に動きの少ない労使関係法の方を完成させることとした次第である。したがって、安倍政権のもとでの個別的労働関係法の動きが一定明確になった時点で、Ⅱの執筆を再開したいと考えている、ご容赦願いたい。

ということだそうです。

まことにもっともですが、逆に言うと、集団的労使関係法制がいかに動きがなく、いつ書こうが大して変わらないものになってしまっているということで、これはこれで問題のような・・・。

ここまで著者の個人史が色濃く描かれたテキストブックはあまりなかったのではないかと・・・

いう特徴はⅢでも健在で、冒頭いきなり、「お父さん、組合作りませんか」というコラムが

昔、まだ大阪に住んでいた頃の話である・・・

で始まり、

「企業別組合と事業場組合」というコラムでも

・・・筆者がかつて某鉄鋼会社に勤めていたときのことを思い出せば・・・

という調子です。

しかし、本書で特筆すべきはなんといっても、最後の第8章「労働組合の将来と労働者の利益代表システム―労使関係法の今後の方向性―」という部分でしょう。

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本田由紀『もじれる社会』

9784480067906_2本田由紀さんから『もじれる社会』(ちくま新書)を頂きました。ありがとうございます。

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480067906/

ざっと目を通した感じでは、いろんな所に書かれた文章を集めたもので、熱心な読者には余り目新しいところはないですが、こうやってまとめて通読すると、本田さんらしいところがいっぱいあります。

この本の最大のネタは多分そのタイトルで、前書きで自身こう書かれています。

・・・ブログ名にしていた「もじれ(る)」という言葉も、同様に社会のありようと、それを見ている自分の感情を、一挙に言い表そうとして、自然と頭の中に浮かんだ言葉であった。造語のつもりだったが、既に辞書にあることを、後になって知った。いわゆる「炎上」によって今は公開していないが、一時期は一所懸命に書いていたブログの名前を、書名として生き残らせることができたことが感慨深い。・・・

その「炎上」の当事者の一人であった身としては、そろそろブログの名前としても復活していただけるとうれしいという思いもありますが、いやこれは言い過ぎでしょう。

第1章 社会の「悲惨」と「希望」
「悲惨」について
「希望」の現場より
第2章 戦後日本型循環モデルの終焉
格闘する思想
激動する社会の中に生きる若者と仕事、教育
第3章 若者と雇用
若者にとって働くことはいかなる意味をもっているのか—「能力発揮」という呪縛
若者と雇用をめぐる現状—何が求められているのか
第4章 教育のアポリア
普通科高校における“教育の職業的意義”のあり方
専門高校の意義を再発見する
いじめ・体罰・自殺の社会的土壌
第5章 母親・家族への圧力
いま、家庭教育を救うには
不安の中で先祖返りする若者たち—「夫は外、妻は家庭」意識の増加
親としてのあり方
「人間力」の圧力—女性たちは何を求められているのか?


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メンバーシップ型社会では数合わせがやりやすい

引き続き日経の5面あたりで地味に話題を続けている女性活躍法案ですが、

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS07H2C_X01C14A0EE8000/?n_cid=TPRN0006女性法案、あいまい決着 数値目標は企業まかせ

厚生労働省の労働政策審議会(厚労相の諮問機関)は7日、政府が臨時国会に提出予定の女性活躍法案の要綱を承認した。従業員301人以上の大企業に独自の女性登用の数値目標を公表するよう義務付ける。

 法案は2016年度から10年間、数値目標を含む行動計画の公表を大企業に義務付ける。ただどんな項目について数値目標を定めるかが完全に企業まかせになっている。数字さえ入れば、従業員の意識調査といった目標であっても「法律上は問題ない」(雇用均等政策課)。法律に実効性が伴うかどうかは不透明だ。

 法案を巡っては、労使の代表が参加する労政審の報告をくつがえす異例の展開となった。経営側委員が数値目標の義務付けに「数合わせの人事になる」と強く反発したため、報告書段階では数値目標について「望ましい」との表記にとどまっていた。

 これは「普通は法案に落とし込むと義務化につながらない表現」(厚労省幹部)だったが、首相官邸との調整を経て一転して義務付けになった。

ここらで少し、本質的なことも言っておきましょうか。

そもそも欧米で一般的なジョブ型社会では、募集採用も昇進も同じことであり、あるジョブディスクリプションのポストが空席になったときに、それに応募してきた男女から適格な人を選び出すということですから、そのジョブディスクリプションに適合しているにもかかわらず差別的に排除したりすることが差別なのであって、それが出発点です。

次に、応募者の複数名がいずれも当該ジョブに相応しいときに、アンダーリプリゼンテッドな性(普通は女性)を優先的にそのポストにつけようというのが、ポジティブアクションとかアファーマティブアクションとか言われるものですね。欧米の裁判例なんか見るとよく出てきます。

どっちも昇進する資格があるけれども、オレの方が優秀なのに何であの女を昇進させるんだ、みたいな話ですね。

で、数値目標というのも、このジョブ型ルールを大前提にした上のことであって、ある病院で医者が男性ばかりだから看護師から女性を昇進させて数合わせしようなんてことはあり得ないわけです。

そういうジョブセグレゲーションを解消するためには、まずは女子が医学部にどんどん進学して資格のある女性をたくさん作らないといけない。日本も医療界はジョブ型ですからそういうことになります。

ところが、そういうジョブ型ルールで動いていない社会では、話がまったく違う様相を呈します。

そもそも同じ職業資格を持っているのに差別される云々というところがそんなもので採用しているわけじゃないので、はなはだ一般的な人間力になってしまい、差別を差別と立証しにくいという面が間違いなくあります。

その一方で、とにかく数合わせさえすればいいという無茶な要求でも、そもそもそのジョブに相応しいとか何とかいう基準で採用したり昇進させたりしてきていないので、何でもありでやれてしまう面があります。

実際には暗黙のルールとして年次昇進があり、いやいやまだまだ女性が育っていませんので・・・というのが言い訳になっていたわけですが、そもそも論としてはそれでなければならない絶対的な理由はない。ジョブ型社会で当該ジョブに応募できるだけの資格がないというのとは話が違います。

それに、ジョブ型にするという意図もないまま、年功制解消とかもてはやしている人や新聞もあることだし、そういう流行に素直に乗ってしまうと、女性活躍のためという大義名分で数合わせがやりやすいのです。

そう、かつては何回当選で大臣というそれなりにルールがあった閣僚ポストも、いまや何でもありでしょう。そこに女性登用という至上命題が来ると・・・。

ジョブディスクリプションなきメンバーシップ型社会は、ジョブ型からすれば不当な差別を差別と言いにくい社会であると同時に、ジョブ型からすれば信じられないような数合わせだってやれちゃう社会でもあるのです。

その辺のリスクをわかっているのかな・・・と。

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『ミッキーマウスのストライキ!』

201410_cover_lさて、昨日ノーベル物理学賞がらみで職務発明関係の座談会を紹介した『月間連合』10月号ですが、実はとても面白い本の紹介をしています。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/shuppan/teiki/gekkanrengo/backnumber/new.html

篠田徹さんの「篠田教授の労働文化耕論」で、『ミッキーマウスのストライキ!』という本を紹介しているのです。

版元の宣伝文を引用しておきますと、

日本ではほとんど語られることのない米国のアニメ界の労働組合運動。アニメーターたちの姿を20世紀初頭からさかのぼって追っていく。写真・イラスト・当時06111128_5397bedeedbb7の新聞記事など豊富な図版とともに紹介。
ディズニーやドリームワークスで世界的ヒット作に携わってきたアニメーターによる、米国・アニメーション界の裏側の歴史を伝える貴重な一冊!

ですが、篠田さんはとりわけ訳者の久美薫さんの腕前に感嘆の声を上げています。

・・・いずれもタフな専門書の訳書を短期間にこれだけ出しながら、一体どうやって原文の背景を、適切な文献とともにここまで簡潔明瞭に説明できるのだろうと脱帽するのが、先に紹介した膨大な訳注だが、それにもまして驚くのが、原著の事実関係の誤りを指摘する詳細な独自検証の数々だ。普通良質な翻訳者でないとそういうことはしないし、余程調べて確証がなければ原著の記述を訂正しはしない。確かにもともとアニメ関係が専門だったからできるところもあるかも知れないが、この本はアニメ労働組合の歴史を超えて、アニメ社会史であり、アニメ労働史になっているので、その検証の範囲は尋常ではない。

・・・だが最後の部分は、決して付録ではない。日本の読者がもっとも引き込まれるのは実は、日本史上の重要事項が併記された(だからこれは訳者が作り込んだ)13ページにわたる年表の前の「訳者解説 アニメーションという原罪"Drawing the Line"を訳しながら考えたこと」ではなかろうか。40ページという分量もさることながら、その内容からいっても立派な研究論文といえるこの部分は、日米のアニメ産業における比較労使関係論である。本書を手にして僕はまず、自分が米国労働運動史を研究しているというのは隠した方がいいかもしれないと思ったが、この訳者解説を読んだときには、これからは戦後日本の労働運動の専門家などと言ってはいけないし、ましてや労働文化などを語るのをおこがましいにもほどがあると猛省した。・・・

これだけでは、篠田さんが舞い上がっているだけと思われるかも知れませんので、その訳者解説の小見出しを並べてみますね。これを見るとさすがにすごいと思うでしょう。

組合(ユニオン)が力を握るアメリカアニメ界
組合が機能していない日本アニメ
あの人たちは「社員」ではない
大恐慌を母にし躍進したアメリカアニメ、高度経済成長を追い風に量産体制に入った日本アニメ
かつては日本でも「雇用」だった
1959年、切り崩された組合結成運動
1961年、東映動画労働組合ついに承認される
大川社長、USAテレビアニメの下請に活路を探る
さらに社員固定給から出来高賃金制への移行を提案
『アトム』の輸出もアメリカアニメ界の過渡期ゆえの結果
テレビアニメの時代を迎えて若手が入らなくなったアメリカ、新人を大量に集めた日本
テレビアニメ時代到来、日本では下請プロダクションが乱立
だがアメリカでは?日本のアニメ界にも産業別組合が誕生
東京ムービーで不当解雇、日本アニメ界初の解雇撤回闘争へ
同じ年に東映動画でも解雇撤回闘争の第二号は『サザエさん』のスタジオで
1970年代に入って各スタジオに組合発足-高度経済成長の終わりの始まり
とうとう社員アニメーターがゼロの会社登場
そして決定的事件が同1972年に
オイルショック前夜、虫プロ倒産
5年の間受注制作費は値上げがなかった
1970年代に海外下請が本格化
社員制の時代から、業界ぐるみの違法操業の時代へ
戦後日本で産業別、業種別組合が主流にならなかった理由
大恐慌と高度経済成長
宮崎駿も共犯者
アニメブームで育った世代が劣悪労働環境を「普通」にしてしまった?
「過保護」に育ったアメリカアニメ労働者への手痛いしっぺ返し
皮肉なことにユニオンの敗北は日本製アニメのアメリカ進出への追い風になった
1992年、銀座でデモを刊行したのだが・・・
「制作委員会」というリスク分散装置
「クール・ジャパン」の掛け声が結果としてアニメ産業論をいくつか生み出した
なぜ労働環境が劣悪なのかが論じられない不思議
デジタル化、3D化のしわ寄せも現場に
労働実態調査が行われたのは2009年になってから
2009年の実態調査から浮かび上がるのは
「動画は本来、金を貰えるような存在ではありません」
日本のアニメのもう一つのエネルギー源-まんが文化
もはや誰にもいじれないほど「成熟」してしまった
結び-アニメという「原罪」とどう向かい合うのか

宮崎駿がどう共犯なのかも知りたいでしょうが、ここでは最後のパラグラフからその「原罪」たる所以を:

・・・本書を訳していて一番感銘を受けたのは、アニメーションの分業化こそが全ての始まりであるという、地味な、しかし的確な指摘だった。絵画を描くのなら一人か、せいぜい助手が付くぐらいなので「著作者」は一人に絞られる。だがアニメーションは必然的に分業化、流れ作業化されていった。ときには数百人の絵描きが一つの作品に投入される。当人たちは己を芸術家と考える。けれども「著作者」ではない。芸術家でありながら著作権は与えられない、つまり法解釈上は職工と同じ「労働者」なのだ(しかも日本では「労働者」ですらない)。商業アニメーションは始原からこうした原罪を抱えたメディアなのである。

Mikky

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麻野進『「部下なし管理職」が生き残る51の方法』

08251437_53facb8a6daa6麻野進さんから『「部下なし管理職」が生き残る51の方法』(東洋経済)をお送りいただきました。ありがとうございます。

▼部下なし管理職とは?

参事、部長代理、副部長、課長代理、課長待遇、マネージャー、スーパーバイザー・・・呼び方は企業によって様々であるが、部下なし、権限なし、組織の業績責任なしでありながら、管理職の処遇をされている社員のことである。

このクラスは日本中の会社にあふれんばかりいるのが現状だ。

▼部下なし管理職は気楽?

どんなに景気が良くなっても、部下を持つポストはそうそう増えるものではない。ところが自分の後輩も、いずれは管理職になるので、ポスト争いは熾烈になる。出世を諦め、部下なし管理職で甘んじることはラクでもある。部下がいなくて権限もないが、所属部署の業績に対して責任なしであるから気楽なのだ。

▼力を発揮しなければ「戦力外」通告

このようなクラスは、景気が良く会社の業績も上がっているときはいいが、いざ会社の業績が悪化してくると、必要ない存在になる。つまりリストラのターゲットとされてしまうのだ。密かに実績を残していかないと、いずれは「戦力外」通告となる。

ではどうしたらいいのか? 部下をリストラし、そして会社からリストラされた著者が、組織で部下なし管理職が生き残る方法を説き明かす。

先日、都内某所で講演したときにご挨拶したことで、お送りいただいたようですが、拙著『日本の雇用と中高年』や楠木新さんの『働かないオジサンの給料はなぜ高いのか』、海老原嗣生さんの『いっしょうけんめい「働かない」社会をつくる』などで話題の、まさにその層の人々を真っ正面から取り上げた中身の濃い本です。

この本の中から、ホワイトカラーエグゼンプションのホントの本音をくっきりと出している一節を、

・・・ただし、そういう評価は35歳を超えたあたりから逆転する。

若手・中堅と見なされている間は「よく頑張っているな」という評価になるが、管理職扱いかどうかにかかわらず中高年になってくると、こういう評価になる。

「いつまでやっているんだ。何年この仕事をしているんだ」「生産性の低い奴だな」

しかし、これは決して理不尽な話ではない。ほとんどの日本企業は経験年数とともに給与が上昇していく人事制度運用をしている。

「成果主義」と言おうが、「実力主義」と言おうが、真面目に働いていれば昇給させている。それが定昇というものだ。

長い勤続年数の積み上げで高くなった給与は、課長級までくれば時給に換算すると3000円を超えているはずだ。

本人は若いときのパフォーマンスを維持するために長時間労働で何とか辻褄を合わせようとするが、会社はそんなことは理解しない。会社は若くて単価の安い伸び代のある人材には、残業代を投資と考えるが、中高年で単価の高い社員の残業代はコストと考える。

かくして、若い頃に長時間労働で高評価を得た者は、中高年になって働き方を変えなければ、“残業代稼ぎ”というレッテルを貼られることになる。

この問題の本質を言い尽くしています。

なのに、未だにホワエグでワークライフバランスと自由な働き方とか、ナンセンスな議論で通用すると思っている人々がいるからどっと疲れが出るわけですが・・・。

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ノーベル賞:物理学賞に中村修二氏ら日本人3氏

いや、もちろん、政治的思惑だけで授賞する平和賞なんかと違って、その学問的業績自体で授賞する天下のノーベル物理学賞ですから、素直にお祝いすべきことに一点の疑いもありませんが、

http://mainichi.jp/feature/news/20141008k0000m040028000c.html

スウェーデン王立科学アカデミーは7日、2014年のノーベル物理学賞を名城大(名古屋市)の赤崎勇・終身教授(85)、名古屋大の天野浩教授(54)、米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授(60)の3氏に贈ると発表した。

赤崎氏と天野氏は、窒化ガリウムを使った半導体結晶の加工技術を確立し、長年不可能だった青色発光ダイオード(LED)や青色半導体レーザーなどの開発に成功。中村氏はそれらの量産技術を開発し、世界で初めて製品化した。・・・

20141008k0000m040029000p_size5 それにしても、この日本で、職務発明をはじめから企業に帰属させようという法改正が進められているさなかに、当のその中村修二さんがノーベル賞を受賞するというのは、何とも見事なまでのタイミングではあります。

これからこの法改正についてマスコミが報ずるたびに、識者として中村さんの声が伝えられることになるわけですな。

ちなみに、これまた全く図ったわけではないのでしょうが」、『月刊連合』が「職務発明に関する権利の法人帰属化は発明のインセンティブを削ぎ、人材流出を招く」という座談会をやってますね。水町勇一郎さんが労働法サイドから出席しています。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/shuppan/teiki/gekkanrengo/backnumber/new.html

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しかし、私はメンバーシップ型に賛成である

Chuko拙著『若者と労働』への書評が、大学のゼミの記録らしい「マルクスのブログ」にアップされているのですが、

http://ameblo.jp/marxmarx/entry-11935536915.html(若者と労働 宇佐美)

しかし、私はメンバーシップ型に賛成である。メンバーシップ型の良い点は「人間性を重視している」という点ではないかと私は考える。これは、杉山ゼミでもテーマとされていることである。大学教育で自立した人格を形成し、企業でそれを発揮することによって企業に大きく貢献することができるのではないだろうか。それに対し、ジョブ型のデメリットとして、必要とされる仕事ができる人であっても、その人が自立した人格をもっていなければ、不真面目に仕事をやる可能性がある。大学でいう他人のレポートをコピーするといったような行為である。このような人材を採用してしまう可能性があるため、ジョブ型に私は反対である。
 しかし、大学ではいまだに「知識を伝える」教育が行われている。これでは自立した人格を形成することができず、メンバーシップ型の利点を生かすことができない。メンバーシップ型労働社会を成功させるためには、まず人格形成を主体とした教育改革が必要であるのではないだろうか。

もちろん、ジョブ型、メンバーシップ型それぞれにメリットデメリットがあるので、賛成とか反対とかで議論を戦わすのはいいことなんですが、ちょっと誤解があるような。

これでは、ジョブ型というのは自立した人格が欠如した連中が横行し、インチキ行為ばっかりやってるような感じですが、いうまでもなく、包括的人間性が判断基準になるメンバーシップ型に比べても、ジョブ型の方が当該仕事をきちんとやれる能力に対する厳格さは強いのであって、どういうゼミかはわかりませんが誤解は解いておいた方がいいような。

ただ、もちろん学生を含む若者一般にとって、スキルがなくても(むしろその方が)採用してくれるメンバーシップ型の方がハッピーであり、卒業とともに失業者になるのがデフォルトのジョブ型社会がつらいものであるのはいうまでもないので、若者がジョブ型社会に反対すること自体は利害関係的には自然ではあります。

ちなみに、メンバーシップ型であるからこそ、ジョブじゃなくメンバーとなるべき組織が重要なので、

また、学生自身が「就活」そのものの構造を理解しないまま就活に臨むことも問題であると感じた。就活を迎える学生の多くは、どの企業に就職するのかに気をとられ、「就活」そのものの本質を見抜こうとしない。

いやですから、日本の「シューカツ」の本質はまさに仕事の中身なんかではなく「どの企業に就職するのか」が一大事なのですから、これは完全に理解が逆転していますね。

繰り返しますが、そういう「就職」じゃない「シューカツ」ゆえに日本の若者の雇用状況は(ドイツを除く)欧米社会に比べて良好なのですから、ジョブ型社会に反対することが悪いと言っているわけではありません。単なる言説一貫性の問題です。


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毎日社説がある意味まとも

本日の毎日新聞の社説が「年功賃金見直し 政府が口を出すことか」と言っています。

http://mainichi.jp/opinion/news/20141006k0000m070136000c.html

いや、口を出してもいいんですよ。ちゃんと物事の仕組みがわかった上で、雇用システム論的な議論の上でなら。高度成長期の政府はまさにそうだったんですから。1960年の国民所得倍増計画はまさに、社会全体をジョブ型に変えていくという構想の上に、年功賃金の見直しを訴えていたのですから。

問題なのは、雇用がシステムであることを理解せず、社会がシステムであることを理解しようともせず、全体の中のある部品だけを取り出して、中高年が既得権にしがみついていると言わんばかりの奇妙なルサンチマンでもって、年功制を目の敵にする一部の愚かな議論に惑わされないことなのですから。

その意味では、社説のタイトルはともかく、次の記述はまさによくもののわかった人が書いていることが窺われます。

 諸外国では具体的な職務内容が雇用契約で決められ、職務ごとに賃金が定められる「同一労働・同一賃金」が一般的だ。一方、日本は雇用契約では職務が決まっておらず、経営者に社員の転勤や異動を命ずる権限が認められ、その代わり賃金は年齢や勤続年数によって決まる。年功賃金を廃止するのであれば、同一労働・同一賃金の実現に向けた制度改革も行わなければならない。

 一方、職務内容で賃金が決まる制度では、知識や技術の水準が低い新規学卒者より即戦力の労働者が有利になる。実際、欧米諸国では若年層の失業率が著しく高い。日本型雇用は新卒者を一括採用し、社内教育で高い生産性を身につけさせるのが特徴だ。若い時は給料を抑え、勤続年数を積んで生産性が高まるにつれて賃金を上昇させる一方、教育コストをかけて育てた社員が転職しないよう多額の退職金で終身雇用を維持してきた。これらの連動する慣行・制度をどう変えるかを示さず、政府が年功賃金の見直しを要求しても雇用現場は混乱するだけではないか。

 政府に言われるまでもなく、年功賃金の上昇率を緩める企業の動きも見られる。夫婦共働きが増え、正社員の夫が家族全員の生活費を担う割合は減ってきた。定年延長や定年を廃止して65歳までの雇用継続を経営者は求められている。最も高い中高年の賃金を減らし、その分を若年・高齢社員や女性の雇用確保、賃上げに回すことを模索しているのだ。

 やはり個々の雇用現場の実情に基づいた労使の自主的取り組みを尊重すべきだ。公共職業訓練や職業紹介、非正規雇用の改善など、政府が本来やるべきことはたくさんある。

実際、政府は雇用の在り方の見直しのために「公共職業訓練や職業紹介、非正規雇用の改善など」をそれなりに進めつつあります。むしろ、一次元的脳みそを振り絞って年功制だけを攻撃する手合いに限って、こういう年功制縮小のために不可欠な公共的な労働市場インフラの整備に対して、ムダだのなんのとケチばかり付ける傾向にあることは周知の通りです。

言うまでもなく、日本国の法律は年功制にしろなどと一文字たりとも書いていませんから、「労使の自主的取り組み」以外でやりようがないのはもちろんですが、外部労働市場インフラの整備をこれだけやっていくから、皆さん年功制の見直しもよろしくね、とメッセージを発すること自体は、政府の役割としておかしなことでもありません。

「口を出すことか?」。いや、口を出すことではあります。ただし、口以外は出せません。あとは労使がその方向に安心して進めていけるように、ちゃんと政策をやっているかどうかを論ずべきでしょう。

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20年前から問題は中高年

Photoちびちび小出しの『POSSE』24号。巻頭記事は稲葉剛さんの「貧困の現場から社会を変える」ですが、その中にこんな記述がありました。稲葉さんがホームレス支援に関わり始めた頃の状況ですが、

95年のホームレスの平均年齢がだいたい55歳程度でした。これは今でもだいたい変わりません。・・・層でいうと、45歳から65歳の方々が多かった。これは先述したように、まず労働と福祉の狭間にある人たちです。徐々に不況が進行してくると45歳以上だと仕事に就けないという話を聞くようになりました。もう一方で、福祉窓口では65歳以上にならないと駄目、と言われ、そのためにこの45歳から65歳という人たちが野宿をせざるを得ないという状況が広がっていったと思います。

そう、この失われた20年間に最大のひどい目に遭った年代層はまさにこの落ちこぼれてしまった中高年層であるわけですが、その時代に一番被害者だといわれ続けたのは、それまであまりにもいい目を見てきたためにそれが悪化した若者層であったわけです。

拙著で繰り返したこのアイロニーは、すでに20年前に段階で明らかであったのです。

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マタニティと「母性」の間

少し前に、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-99d2.htmlマタハラ概念の法的意義は・・・

というエントリを書きました。

・・・ここで言われていることの実体面については、全面的に賛成です。そして、同じ思いを持っている方から見れば以下で述べることは、細かな法律談義で大事なことをおとしめようとする法匪の議論に見えるかもしれません。

でも、先日のたかの友梨事件のパワハラ談義と同じ話なのですが、現行法ですでに立派な違法行為であるような行為を、いまさら新法でマタハラという新たな概念で規定しようという話には、やはり尤もという話にはならないのです。

・・・・・・

これらによって禁止されている行為に当てはまらないような、しかし労働者のマタニティに悪影響を与えるようなハラスメント行為をマタハラという概念でとらえて規制していこうという議論には法的な意味があります。

しかし、上で言われているマタハラ防止のための一文というのは、すでにれっきとした違法行為であることどもを「遵守を徹底することを明記してもら」うことなんですね。

論理的には、ここで書いたことに訂正すべき点はありません。しかし、その後よく考えてみたら、そもそも現行法ですでに規定されているマタニティ保護が、素直にマタニティ保護として世の中的に受け取られていないからかもしれないということに思い至りました。

いうまでもなく、マタニティとは妊娠・出産に関わる物事を指します。マタニティ・センターは助産院、マタニティ・リーブは産前産後休暇、マタニティ・ウェアは妊婦服、マタニティ・ベルトは岩田帯、マタニティ・ルームは分娩室。

ところがなぜか、マタニティ・プロテクションは「母性保護」と訳すんですな、これが。

いやまあ、おなかに子供を持つことを「母性」といって必ずしも悪いわけではないですが、それが保護しようとしている物事そのものとは、少なくともピンポイント的にはいささかずれたニュアンスを与えることは間違いないでしょう、

確かに労働基準法はしっかりと「母性」を保護しています。男女雇用機会均等法にも「母性」保護規定が含まれています。

でも、一般国民の感覚からすると、「母性」保護って、それこそ「3年間だっこし放題」みたいなイメージなのかもしれません。それがおなかに子供を持った妊婦の保護だという、マタニティの保護だということが、意外にきちんと伝わっていないのかもしれません。

これが言葉尻を捉えた戯言であってくれれば大変喜ばしいのですが、もし「母性」なる言葉がかえってマタニティ保護を引き下げるような効果を持っていたとしたら、このあたりの言葉遣いも再考した方が良いのかもしれません。

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遷移

世界革命浪人から反日武装闘争を経てフリーメーソンやイルミナティの陰謀に至り、最後は爬虫類人型異星人の侵略になった太田龍氏ほどではありませんが、さる3法則氏もそろそろ革命的マルクス主義から転んでネオリベラリズムの使徒になっただけでは飽き足りず、白人の人種的偏見を糾弾する反米ウルトラナショナリズムの旗を振り出したのでしょうか。

まあ、人様の商売ネタにあれこれ口を挟むのは余計なことです。

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自発的ポストノーティス?

例のたかの友梨の事件で謝罪した旨の通知がHPにアップされていましたが、

https://www.takanoyuri.com/20141004.pdf (弊社従業員への謝罪及び弊社の労務環境改善に向けた取り組みについて)

本日、たかの友梨ビューティクリニック仙台店において、当社代表取締役髙野友梨から、2014 年 8 月 21 日開催の食事会における不適切な発言等につき、組合員・従業員に向けて謝罪いたしました。

当社と致しましては 2014 年 9 月 25 日付けプレスリリースにてお知らせいたしましたとおり、同年 8 月 5 日に仙台労働基準監督署より是正勧告及び指導を受けた件、並びにエステ・ユニオンと団体交渉中の各案件の解決に向けた具体的な取り組みの一環として、労務改善計画の実行を進めるとともに、労務環境の改善に真剣に取り組んで参る所存ですので、皆様の変わらぬご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。

ユニオン側は「謝罪なんて受けてないぞ」と言ってます。

http://esthe-union.sblo.jp/article/104215405.html

 まず、最も重要な点としましては、10月4日に髙野友梨氏が「弊社従業員への謝罪」を行ったとされる場に、被害者である組合員や不当労働行為を受けた当組合の組合員は一人もいなかったということです。

 同社ホームページに公開されている文書では、「当社代表取締役髙野友梨から、2014年8月21日開催の食事会における不適切な発言等につき、組合員・従業員に向けて謝罪をしました。」とあり、被害者である組合員が出席していたかのように発表していますが、こうした記述は事実に反しています。

ふむ、いない相手に向けて、紙の上だけで謝罪するというのは、なんだか本来労働委員会に命じられて嫌々やるポストノーティスを自発的にやって「これで良いだろ」と言ってる風情がありますな。

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「休み」を理由の解雇も多いが・・・

Photoさて、ちびちびと小出しの紹介を続けている『POSSE』24号ですが、川村遼平さんの「労働相談ダイアリー」が結構面白かったです。

 「労働相談ダイアリー File.20 体調が悪いときの休み方」 川村遼平(NPO法人POSSE事務局長)

要は、休むに休めないブラックな会社でいかに休むかのテクニックなんですが、

・・・「ブラック企業」にありがちなのは、「休みたい」「休ませて欲しい」という労働者の感情を許さないことです。もともとオーバーワークが当たり前の会社では、「休みたい」という当たり前の感情を許してしまうと、その秩序が崩壊します。そうした会社では、「体調管理のために休む」とか「病院に行く」ということ自体が、「落ちこぼれ」や「さぼり」、あるいは「お客様に対する裏切り」などと受け取られます。

そうした会社に「体調が・・・」とか「病院に・・・」とか伝えても、通用しません。そんな場合は、もうとにかく理由をつけて休んでしまうほかありません。親類の冠婚葬祭とか、事故を目撃して警察署から呼び出しがあったとか、何でも良いので、「体調不良」や「病院に行く」よりも自分の意思ではどうしようもないような休む理由を探して休みましょう。・・・

これは、まさにもっともなアドバイスであるとともに、危ない話でもあるんですね。

確かに、

・・・「病院に行くために仕事を休む方法」に思考を割かなければならない日本の雇用状況自体がつくづく不当と言うほかありませんが・・・

この手の「休み」を理由にした解雇などの事案が結構あるのも事実です。

久しぶりに、『日本の雇用終了』からいくつか拾ってみますと、

Cover_no4 (6) 休み

 休みを理由とする雇用終了は10件(実質9件)ある。事案によっては(5)に含めるべき欠勤と区別することができるかどうか疑問な面もあるが、雇用契約の債務不履行に相当する欠勤が理由であると使用者側によって明確にされていないことから一応別項目とした。逆に、この休みが正当な年次有給休暇の取得を意味しているのであれば、労働法上の権利行使を理由とする雇用終了に含まれることになるが、その点は必ずしも明確ではない。より細かくいえば、使用者側に時季変更権の行使を不可能とさせる有休の当日申請は正当な権利の行使ではないとすれば、そのような有休取得は欠勤に該当するともいえる。その意味では、これら欠勤、休み、有休が明確に区別されにくい状況は、現実の労働社会における労使双方の権利義務関係の意識の曖昧さを示していると言うこともできるかも知れない。

 なお、これらのうち4件(実質3件)が試用期間中の者に係る事案であり、試用期間中の者については極めて広範な解雇権が留保されているという認識が一般的であることを示しているともいえる。

・10104(試女)普通解雇(不参加)(30名、無)

 支店長より「休みが多すぎるので、辞めて欲しい」と即日解雇された。面接時に、小さい子どもがいることを伝えており、有休はないが用事のときは休んでいいと言われていて、子どもが高熱を出したので病院に連れて行っただけである。

 会社側によれば、面接時に、子どもが小さいから勤めは大丈夫かと聞いたら、母親がすぐ来てくれるから大丈夫と言った。にもかかわらず、母親が法事で故郷に帰ったので来られないと言って、2日続けて休んだ。よって解雇した。

 そもそも面接時に「有休はない」と平気でいう会社なので、子どもの看護で2日休んで解雇というのも不思議ではないのかも知れないが、既に改正育休法が施行され、子ども看護休暇の権利が実定法上に規定されていることを考えれば、(本人に当該権利の行使としての認識がないとしても)正当な権利行使への制裁とも言いうるケースである。こういう悪質なケースほど会社側不参加となるのも、あっせんの性格上やむを得ないところではあるが、何らかの対応策が必要という感を抱かせるところがある。

・10111(正女)退職勧奨(23.3万円で解決)(不明、無)

 直属上司の課長に有休の使用や体調不良による半休についてなじられ、退職の意向を示さざるを得なくなった。翌々日、20時まで残業したのち、強制的に退職届を書かされた。

 これもまた、「有休の使用をなじられ」という点に着目すれば、正当な権利行使に対する制裁としての性格が相当程度強く感じられる事案である。会社側は「申請者の主張は、当社の主張と異なっており、当社として受け入れられるものではありません」と述べているが、どの点が異なっているかは資料からは明らかでない。

 判定的機能ではないので、あっせん員からの「解決しようという意思はないのか。問題が拡大することも考えられる」という説得に対し、会社側が「上層部と検討した結果、基本給23.3万円の支払いをしたい」と述べて解決している。

・20021・20023(試男)普通解雇(同一事案について労使双方からあっせん申請)(5万円で解決)(11名、無)

 労働者によれば、体調不良により4日間休んだため、社長から「一線を退け」と言われ、給料も精算されたので解雇を受け入れた。

 会社側によれば、試用期間中に、16労働日のうち4.5日欠勤するという勤務状況のため、話し合いを持ち、「勤務態度を改めるのかあるいは退職するか」を決めてもらいたい旨伝え、その結果、自己退職で合意したものと判断し、退職手続に入ったもの。

 会社側の提示の仕方は、(もとより労働条件等の変更ではないが)変更解約告知に近いやり方である。

・20129(試男)普通解雇、その他(1万円で解決)(60名、無)

 風邪や頭痛で、総務に連絡を入れた上で4回ほど休んだだけで、欠勤が多いことを理由に「試用期間を取り消します」と言われ解雇された。

 会社側によれば、1か月間に欠勤8回、遅刻7回、早退5回で、試用期間中の勤怠状況が非常に悪いため、従業員として不適格と判断した。

 申請人は入社前7か月間高血圧で治療に専念し、医師から「薬を飲んでいれば仕事をしても大丈夫」と言われて就職している。その意味では、「傷病」の中の体調不良に近い性格といえる。

・20136(正女)普通解雇、いじめ・嫌がらせ(18.1万円で解決)(10名、無)

 社長から「何でそんなに腹が出ているんだ。メタボ、豚、デブ」等と皆がいる前で言われ、ある日1時間にわたって「頑張っていない。評価はズタボロだ。かわいげのない女だ。時間内で仕事を終わらせろ。言い訳するな。どこへ行ってもダメだ。働く意味を分かっていない」等と言われた。この日を境に社長が怖くなり、思い出しただけでめまいがし、立っていられない状況になったため、会社を休み、「抑うつ状態」と診断された。そののち、解雇予告通知書が送られてきた。

 会社側によれば、暴言は一切していない。入社前からうつ病だったことを隠していたのは経歴詐称だ。よく眠そうにしており、休憩時間だけでなく就業時間にも居眠り、外出してもなかなか帰社しないなど勤務状況に問題。「仕事のミスが多いが、きちんとしてもらわないと困る」と言ったら、「頑張っているじゃないですか」と言い訳を繰り返すのが目に余り、「かわいげがないと言われるよ」と言ったのは事実。そののちは無断欠勤である。

 あっせん員より、「被申請人は暴言の事実を否定しているので、事実を明らかにするには裁判をもらうしかない。このあっせんで“けじめ”をつけるのもよい機会では」と示唆し、申請人も早く立ち直るため解決を望んだ。

 解雇の直接的な契機は会社を休んだことにあるのでここに含めたが、会社側からすれば無断欠勤であり、労働者側からすればむしろいじめ・嫌がらせによる追い出し型雇用終了である。あっせんは判定的解決ではないため、事実認識自体の正当性を論ずることなく「けじめ」としての解決が図られている。

・20184(非女)普通解雇(不参加)(40名、無)

 休みが多いということで解雇されたが、休みが多くなるという個人的事情を十分に考慮された上での採用であったはず。会社側によると、欠勤、遅刻、早退が非常に多い。採用当時の担当者が既に退職しており、確認はできないが、十分に考慮したものと判断している。

・30078(正男)普通解雇(不参加)(3名、無)

 建設作業員。休務したいと部長に伝えたら、社長命令で解雇された。会社側によれば、多忙期のみ外注として依頼するということを前もって告げてある。

・30270(非女)普通解雇(打切り)(4名、無)

 体調が悪かったが無理して出勤したら、社長から体調不良のときは休んでよいといわれた。そののち、体調不良で、会社に連絡した上で2日間休んだ。すると出社後社長から「身を退いて欲しい」と言われ、翌日社長に辞めろということかと問うと、解雇を通告された。

 会社側によれば、申請人は入社時より業務外のトラブルで遅刻早退が多く、勤務中も意味不明の大声を上げたり、体調不良による嘔吐を繰り返していた。申請人との口論の最中に口走った「身を退いてくれ」という言葉尻を捉えられ、即時解雇の書類を書くよう執拗に求められた。この口論は、申請人の勤務状況に対する指導が感情的になったもので、退職勧奨の意思は全くなかった。

 会社側の主張を前提とすれば、コミュニケーション不全型に近い側面がかなりあるようである。

・30315(派女)(対派元)雇止め(13万円で解決)(8名、無)

 体調不良で休んだら、次の契約はないと言われた。

 会社側によれば、以前急に体調不良で休み、上からの苦情で現場が困ったことがあった。そのとき、次回またこのようなことが起こった場合、契約を更新できない旨伝えた。今回、再び体調不良で休み、現場リーダーが「このままだと契約更新できない」旨伝えたところ、「別にいいよ」と言っていたこともあり、業務に支障があるので代わりの人を雇い入れた。

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amazonにまた拙著書評

26184472_1拙著『日本の雇用と中高年』への書評がamazonに載りました。 Tsukutahitoさんの「ジョブ型労働社会へのいざない」です。

http://www.amazon.co.jp/review/RDIIMAFMY1GIG/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4480067736

欧米のまず「職」ありきで、その「職」に対して求人する「ジョブ型社会」に対し、会社にふさわしい人を一括で採用し、適当な「職」をあてがい、スキルを習得させる「メンバーシップ型社会」。

本書の主題である中高年問題を解決するためにも、ジェンダーや外国人の就労の問題を解いていくためにも、「ジョブ型社会」への移行が望ましいという著者のこれまでの主張を、労働法制の推移や判例から丁寧に解説してくれる。

労働問題の責任ある唯一の答えは「長く生き、長く働く」を目指すことしかない。しかし、「メンバーシップ型社会」では、その特徴である年功的賃金故に、中高年の賃金が成果と比して釣り合わないという理由から、早期退職を促されたり、退職を強く促される境遇に追いやられることもしばしばである。これらを解決するためには、「ジョブ型社会」に移行せざるを得ないと著者は主張する。

そのとおりなのかもしれない。ジョブ型社会になることで継続雇用の矛盾という今後避けては通れない大問題の解消にもつながるように思う。とはいえメンバーシップ型社会では、安定雇用という名目から「生活のセーフティネット」という側面への注目が大きく、一気に転換するのは困難と思われる。

いかに折り合いをつけていくのか、考えさせられる。

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なるほど、こういうつながり(再掲)

いつも真摯なありすさんがこういうエントリを書かれていますが、

http://alicewonder113.blog.fc2.com/blog-entry-59.html左派リフレ派の悩み

私は左派であり、かつリフレ政策賛成派である。

・・・しかし昨今の状況を見ると、そう呑気に構えてもいられなくなってきたように思う。

・・・いままで、リフレ左派的な人はいたが、是々非々ということで、チャンネル桜で動画配信したり、「中国人ガー、韓国人ガー」といったりする連中を認めるような傾向がある。

・・・もちろん、非常に説得力のある経済学の見識を、必要時に取り上げるのは良いが、ふだんからなぁなぁな感じになってしまうのがまずいだろう。

なんだか百年前からそういうことを言い続けてきたのに、そのつど「反リフレ派」というレッテルをべたべたと張られ続けてきた身としては、今更感100%ではありますが、でもそれはその通り。

その「なぁなぁ」な人々にも、あんまり反省の色は見えませんしね。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-0adf.html (なるほど、こういうつながり)

http://jp.reuters.com/article/foreignExchNews/idJPTK819898020120918(オバマ米大統領の支持者は政府に依存、彼らの生活は気にかけない─共和党ロムニー氏=隠しImageカメラ映像)

ビデオによると、ロムニー候補は「彼(オバマ大統領)を支持する人々、政府に依存し、自らを被害者だと信じて自分たちを養う責任が政府にあると考える人々が47%いる。そういう人々のことを心配するのは私の仕事ではない。彼らに自己責任を求め、自分の暮らしの面倒をみるよう説得することは決してしない。私が説得すべき人々は、無党派層の中心にいる5─10%だ」と発言。

http://econdays.net/?p=7117(クルーグマン「労働者蔑視」(NYT,2012年9月20日))

現代の共和党は,他人のためにはたらく人たちに大して敬意を払わない.どれほど誠実にがんばって働いてようと関係なしだ.そればImage2かりか,共和党が心を寄せるのはひたすら「雇用創出者」たちのことばかりだ.つまり,雇用主と投資家のことばかり気にしてる.共和党の指導的な人物たちには,平凡な勤労者世帯を尊重してるってそぶりすら難しいみたい――その勤労者世帯こそがアメリカ人の圧倒的な多数なんだけどね.

言うまでもなく,共和党がこうして労働者を見下しているのはうわべのレトリックにとどまらず,もっと根深い.・・・

この労働者蔑視はどこからでてきたんだろう? 明らかに,その一部は政治で動いてるお金を反映してる:・・・

ここでの要点は,「ボカラトンの一幕」と世間で言われてるものは,ささいなヘマなんかじゃないってこと.この一件からは,いまや富裕層の富裕層による富裕層のための政党となったシロモノが本音でどんなことを思ってるかが垣間見える.お金持ち以外のぼくらのことなんて敬意を払うそぶりにすら値しないと思ってるこの政党の本音がね.

http://twitter.com/toshio_tamogami/status/248566605762658305()

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人権救済法案が閣議決定されました。弱者が権力を握ろうとしています。弱者救済が行き過ぎると社会はどんどん駄目になります。国を作ってきたのは時の権力者と金持ちです。言葉は悪いが貧乏人は御すそ分けに預かって生きてきたのです。「貧乏人は麦を食え」。これは池田総理が国会で言った言葉です。

http://twitter.com/smith796000/status/108338422514589696

Image4いま、田母神さんに電話しました。野田さんとは愛国者つながりがあるので、「増税は外国を利するだけ。いまは絶対やめなさい。」と説得してくれるそうです!今こそ勢力糾合です!



http://twitter.com/hidetomitanaka/status/169990048937283584

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田母神氏は相当前からリフレ支持だと聞いてます。

http://twitter.com/YoichiTakahashi/statuses/235795469333307393

99_2田母神さんと対談したとき日本経済がダメになると防衛費に影響が出て中国になめられるとってたけど、それは本当。韓国にもなめられている。

http://twitter.com/sunafukin99/status/248559805701177344

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リフレ界隈ではロムニーとかアメリカ右派のバカさ加減にあきれる人が多いのに、国内では右派系の政治家を推すような図が見られるけど、これも一種のねじれなのかな。

人権擁護法案を、他の理由ではなく、「弱者救済だから」という理由で批判する論理というのは、まさにアメリカ右派と共通の感覚でしょうが、そういう感覚を共有している人々をクルーグマンと共通の「リフレ派」と呼ぶのはいくら何でも気が引けるので、これはやっぱり「りふれは」と呼ぶべきなのではないでしょうかね。

それとも、「りふれは」ではなく、「リフレ派」と呼んだ方がいいでしょうか。「国を作ってきたのは時の権力者と金持ちです。言葉は悪いが貧乏人は御すそ分けに預かって生きてきたのです」と喝破するような御仁を。

私はどちらでも結構ですが、「りふれは」という用語を批判される方は、筋道の通った代替案をお願いしたいところです。

(追記)

そういう意味では、筋を通しているのはむしろこの御仁でしょう。

http://twitter.com/ikedanob/status/248344944320856065

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真実はしばしばpolitically incorrectである RT : ロムニー、国民の47%を「たかり」呼ばわり -

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レトリックとしてもそこまで言うたら嘘やろ

話の主眼がそこにはないのは承知の上で、それ故話を盛り上げるために盛った言い方をしていることを差し引いたとしても、それにしてもそこまで言うたら嘘やろ。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20141002/p1 (流れた研究会用のメモ)

結局バブル崩壊以降、労働プロパーの研究者の大半は、左右を問わず伝統的日本型雇用への回帰を呼びかける以上のことができない。

こういう嘘を言わんとリフレの宣伝がでけへんのやったらやめた方がええ。

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「みんながエリートを夢見る」(大学版)はとっくに終焉しているのに

ニュースポストセブンにオバタカズユキさんがこういう記事を書かれています。

http://www.news-postseven.com/archives/20141004_279882.html (グローバル大学事業 このままなら格差社会を助長しかねない)

文部科学省が発表した大学中退者の実態とスーパーグローバル大学の選定結果を取り上げて、最後にこう語ります。

立て続けに流れた2つの大学ニュース。それぞれ別個の話題だが、私には「格差」がさらに拡大する流れとしてセットで見えてしまうのだ。スーパーなんちゃらの余裕があるなら、貸与型ではなく給付型奨学金制度を作れ、保護者の所得と連動させた授業料免除制度を作れ、と言ったら野暮だろうか。少なくとも、5年ぶりとかじゃなくて、大学中退者の実体調査ぐらい毎年きちんとサクサクやれ、と言わせてもらってもいいのではないだろうか。

問題意識はよくわかるのですが、それを「格差」という言葉で語ってしまうことでかえって解決すべき問題の本質から遠ざかってしまうのではないかという気がします。

問題は、一方にスーパーグローバルな大学や学生がいて、一方にローカルな大学や学生がいることではない。むしろ、どう考えても半径数キロ以内しか知らないような大学が学部名だけグローバルとかつけているアイロニーに露呈しているような、大学といえばみんな同じ「学術の中心」という現実と乖離したイデオロギーが、こういう矛盾を生み出しているのではないかと問うてみる必要があるのではないでしょうか。

なぜ、同世代人口の半分以上が進学する、もはや普通の職業人として生きていくための基礎資格的な性格を有するようになった大学という教育訓練機関が、にもかかわらず学校教育法上の「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させる」機関だという位置づけのままに、今やかなり高額の授業料等を払わなければならず、しかも常勤の研究職に就かなければ高利の奨学金を返し続けなければならないという状況にあるのか、という問いと裏腹の関係にあります。

専修学校や、なんと専門職大学院までが、その授業料を雇用保険の金で面倒見てもらえるような仕組みができてきているにもかかわらず、大学は職業教育機関なんかではないから、貧しくて中退する人が出ても仕方がないということになっているのか、そういう問いと裏腹の関係にあります。

まことに残念ながら、アカデミアな方々の目にはそういう問題意識はほとんどなさそうです。

話を少し広げると、これは今まで卒業後に「入社」していく先であった日本型システムの企業社会のロジックと相似形であることがわかります。そう、海老原嗣生さんとの対談で語った「みんながエリートを夢見る社会」です。係員島耕作がみんな社長島耕作になれると信じて(信じたふりをして)無限定に働く世界。

その大学版としての「みんながエリートを夢見る」(ふりをしている)空中楼閣が崩れだしているのであれば、そこで学ぶ貧しい学生たちの将来の職業人生をどうするかということが最優先で考えられるべき課題でしょう。

アカデミアな方々の危機感というのは、全然逆の方向に向いているようですが。

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あんたら、インターナショナルだろ?では済まないから・・・

ありすさんと金子良事さんの掛け合いですが

https://twitter.com/alicewonder113/status/516816003041615872

移民を積極的に受け入れたら、この国の超安定性は崩れるのではないか?という懸念はあるかも知れない。しかし、超安定な超閉鎖的な国家が、他国から超然としてあるとしたら、なんというか奇妙な感じ…

https://twitter.com/alicewonder113/status/516816140111478784

懸念は乗り越えてでも、閉鎖性を打ち破ろうというのが正しい左翼の姿ではw

https://twitter.com/ryojikaneko/status/516816923917434880

あんたら、インターナショナルだろ?というw

「あんたら、インターナショナルだろ?」で済むんなら、労働運動は苦労しないのでね。

そんな単純な話ではないから、労働運動にとって移民問題は解くに解けない難問なんです。

Book_12889 五十嵐泰正編『労働再審』第2巻『越境する労働と移民』所収の「日本の外国人労働者政策-労働政策の否定に立脚した外国人政策の「失われた20年」の冒頭のところに、その辺の消息を簡単にまとめておきましたが、

(1) 外国人労働者問題の本質的困難性

 外国人労働者問題に対する労使それぞれの利害構造をごく簡単にまとめれば次のようになろう。まず、国内経営者の立場からは、外国人労働者を導入することは労働市場における労働供給を増やし、売り手市場を緩和する効果があるので、望ましいことである。また導入した外国人労働者はできるだけ低い労務コストで使用できるようにすることが望ましい。この両者は「できるだけ安い外国人労働者をできるだけ多く導入する」という形で整合的にまとめられる。

 これに対し、国内労働者の立場から考えたときには、外国人労働者問題には特有の難しさがある。外国人労働者といえども同じ労働市場にある労働者であり、その待遇や労働条件が低劣であることは労働力の安売りとして国内労働者の待遇を引き下げる恐れがあるから、その待遇改善、労働条件向上が重要課題となる。しかしながら、いまだ国内労働市場に来ていない外国人労働者を導入するかどうかという局面においては、外国人労働者の流入自体が労働供給を増やし、労働市場を買い手市場にしてしまうので、できるだけ流入させないことが望ましい。もちろん、この両者は厳密には論理的に矛盾するわけではないが、「外国人労働者を入れるな」と「外国人労働者の待遇を上げろ」とを同時に主張することには、言説としての困難性がある。

 ほんとうに外国人労働者を入れないのであれば、いないはずの外国人労働者の待遇を上げる必要性はない。逆に、外国人労働者の待遇改善を主張すること自体が、外国人労働者の導入をすでに認めていることになってしまう。それを認めたくないのであれば、もっぱら「外国人労働者を入れるな」とのみ主張しておいた方が論理的に楽である。そして、国内労働者団体はそのような立場をとりがちである。

 国内労働者団体がそのような立場をとりながら、労働市場の逼迫のために実態として外国人労働者が流入してくる場合、結果的に外国人労働者の待遇改善はエアポケットに落ち込んだ形となる。そして国内労働者団体は、現実に存在する外国人労働者の待遇改善を主張しないことによって、安い外国人労働力を導入することに手を貸したと批判されるかも知れない。実際、外国人労働者の劣悪な待遇を糾弾するNGOなどの人々は、国内労働者団体が「外国人労働者を入れるな」という立場に立つこと自体を批判しがちである。しかしながら、その批判が「できるだけ多くの外国人労働者を導入すべき」という国内経営者の主張に同期化するならば、それはやはり国内労働者が拠ることのできる立場ではあり得ない。いまだ国内に来ていない外国人労働者について国内労働市場に(労働者にとっての)悪影響を及ぼさないように最小限にとどめるという立場を否定してまで、外国人労働者の待遇改善のみを追求することは、国内労働者団体にとって現実的な選択肢ではあり得ないのである。

 この利害構造は、日本だけでなくいかなる社会でも存在する。いかなる社会においても、国内労働者団体は原則として「できるだけ外国人労働者を入れるな」と言いつつ、労働市場の逼迫のために必要である限りにおいて最小限の外国人労働者を導入することを認め、その場合には「外国人労働者の待遇を上げろ」と主張するという、二正面作戦をとらざるを得ない。外国人労働者問題を論じるということは、まずはこの一見矛盾するように見える二正面作戦の精神的負荷に耐えるところから始まる。

 労働政策は労使の利害対立を前提としつつ、その間の妥協を両者にとってより望ましい形(win-winの解決)で図っていくことを目指す。外国人労働者政策もその点では何ら変わらない。ただその利害構造が、「できるだけ安い外国人労働者をできるだけ多く導入する」ことをめざす国内経営者と、「できるだけ外国人労働者を入れるな」と言いつつ「外国人労働者の待遇を上げろ」と主張せざるをえない国内労働者では、非対称的であるという点が特徴である。

その辺をすっ飛ばして「あんたら、インターナショナルだろ?」ってのは、半分インテリ向けのからかい言葉としてよくできてるし、実際効果もあるだろうけど、あんまり生産的ではないと思いますね。

ちなみに、来る10月11日に岡山大学で開かれる社会政策学会の共通論題で私が報告する内容の一部は、まさにこの問題と関わるあるトピックを取り上げています。

http://jasps.org/wp/wp-content/uploads/2014/08/129program-final-140818.pdf

・・・一方で2000年代半ば以降、欧州委員会はデンマーク型フレクシキュリティを推奨する方向性を明確にしてきたが、近年の経済危機により後退気味である。さらに2000年代後半の累次のEU司法裁判所判決によって、フレクシキュリティの社会的基盤である北欧型労使自治システムがEU市場統合の原則に追いつめられるという逆説的な事態が進んでいる。これに対してEUレベルでストライキ権について規定を設けようとするモンティ提案は、労使双方からの批判を浴びて撤回された。・・・

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基本書

社会保険労務士の尾鼻則史さんが、ツイートで拙著に言及し、

https://twitter.com/obanano/status/516393076617515010

労働問題や人事労務という分野は、経験だけでモノを言える部分があるから、「基本」を押えて議論をするという意識が、経営者はもちろん、評論家、人事コンサルにも希薄。濱口桂一郎さんの著作はその「基本書」と言って良いものだと思います。

と評していただいています。「基本書」という評価はありがたいです。

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「研修」という言葉

Photoさて、『POSSE』24号ですが、なんと言っても特集は「ブラック研修」です。

◆特集 「ブラック研修 いじめ/体育会系/ヤンキー論/ポエム」

 「ブラック研修の事例紹介」 本誌編集部

 「いじめを生み出す人格を組みかえるしくみ」 内藤朝雄(明治大学准教授)

 「体育会系の教育が繰り返される研修」 内田良(名古屋大学准教授)

 「ブラック研修にも表れる承認という病とヤンキー化」 斎藤環(筑波大学大学院教授)

 「ポエム化する労働」 阿部真大(甲南大学准教授)

 「15分でわかるブラック研修 いじめ/体育会系/ヤンキー論/ポエム」

どれも興味深い記事ではあるのですが、ここではちょっと視点を変えて、そもそもその「研修」って何?というあたりを考えてみたいと思います。

というのは、「研修」をいったん英語にして、再び日本語に戻すと、少なくともこの特集で言われているような意味での「ブラック」という接頭辞の付くことはなさそうな言葉になるからです。

え?何のことかって?和英辞典と英和辞典を引いてみてください。「研修」を英訳すると「training」、それをもう一度和訳すると「訓練」です。

ブラック訓練て言葉はありませんが、あえて意味を考えれば、金だけふんだくって全然スキルも身につかないようなろくでもない訓練ですかね。少なくとも、いったん英訳して戻した「訓練」には、この特集で描き出されているような、やたらに精神主義的で、ポエム志向な「研修」という言葉に付着する独特の匂いは薄れています。

この流れを逆にたどっていくと、本来ジョブのスキルを身につけるという即物的でかつ功利主義的な意味合いを持つ「訓練」が、いつのまにかポエム漂う「研修」の世界に連れ込まれてしまっているという姿が浮かび上がってくるわけです。

特集記事では主として内田さんが取り上げている学校の世界において「教育」が生きていくために必要な知識を身につけるといういみであるよりはむしろまさに「教育病」になってしまっているということの延長線上なのでしょう。

まさに「学校と企業を貫くメンバーシップ主義」(@貴戸理恵)を象徴する言葉なのかもしれません。

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熱い熱い!メンバーシップ型の鑑 かな?

いや、要するに、昭和なメンバーシップ型感覚を全開にして怒っている、ということでしょ。

そのこと自体は。そう、そのこと自体は、その会社が、その社長さんが、メンバーシップ型のルールをきちんと守り、終身雇用、年功序列をきちんと守る代わりに、全人格的会社への包摂を要求し、無制限の忠誠心を要求しているのである限り、必ずしも非難されるべきことではない。

会社と言えば親も同然、社員と言えば子も同然、そういう堅い契りの信頼関係を平然と踏みにじって、さっさとライバル会社に奔るような下司下郎のやからは、天下の日経新聞で白昼堂々と罵倒するのも当然。

想いを同じくする日本型雇用萬歳の人々が我も我もと応援に駆けつけてくれるはず。

本当にそうであるなら、ね。

まさか、世の軽佻浮薄なマスコミやインチキ評論家どもの褒め称える今風のベンチャー企業だから、昭和な人事はやってません、なんて言ってないよね、というだけの話。

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有休消化、企業に義務付け@日経

日経新聞が1面トップで「有休消化、企業に義務付け」と書いていますが、

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS02H1V_S4A001C1MM8000/

厚生労働省は企業に対して社員の有給休暇の消化を義務付ける検討に入った。社員の希望をふまえ年に数日分の有休の取得日を企業が指定する。社員から有休取得を申し出る今の仕組みは職場への遠慮から休みにくい。労働基準法を改正し法的義務にすることで欧米より低い有休の取得率を引き上げる。「ホワイトカラー・エグゼンプション」など労働時間の規制緩和と並行して長時間労働の是正を進め、働き手の生産性を高める。

この記事自体の真偽のほどは不明ですが、この書きぶりからすると、現在労使協定により任意の制度である計画取得制度(39条6項)を、強行規定にするという案のようです。

労働者個人の発意に委ねているといつまで経っても取得率が上がらないというのは昔から言い古されてきていることでもあり、方向性としては間違っていないと思われます。

ただ、いささか歴史的な経緯をいえば、そもそも戦後労働基準法が出来た頃は、ある意味で企業側に義務づけるような規定が省令にあったのですよ。

労働基準法施行規則

第25条 使用者は、法第39条の規定による年次有給休暇について、継続1年間の期間満了後直ちに、労働者が請求すべき時期を聴かねばならない。但し、使用者は、期間満了前においても年次有給休暇を与えることができる。

つまり、本人がもじもじと言い出しかねている状態をただにやにやと眺めていると、この規定に違反するのです。会社側から積極的に「ねえ、いつ年休とるの?」と聴かないと違法だったんです。

1954年の一連の規制緩和でこの規定が削除されてしまったため、法律上にちゃんと権利はあるけれども、自分から積極的に言い出さない限り、とらないままでやがて2年で消えていくという状態が一般化してしまったわけです。

あまり知られていない本日の歴史秘話でした。

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山田・木下・五十嵐・今野鼎談@『POSSE』24号

Photoさて、昨日ちょっと触れた標記鼎談(正確には、「鼎談」というのは3人でやるものなので、4人のはなんといえば良いのか、暇な人は漢和辞典で調べてください)ですが、人手不足の分析から、生産性の話、限定正社員制度、女性の活用、メンバーシップからジョブへ、そして外国人労働と、広範なトピックを論じています。

その中で、私が結構以前から本ブログなどで力説していた、

まさに物的労働生産性/付加価値生産性の区別がないままに、生産性が上がらないから賃金が上がらないといった論調が横行しています・・・

といった論点が的確に提示されているのは、好ましいことです。

限定正社員/ジョブ型正社員をめぐっては、今野さんが刺激的な概念提起を連発し、山田さんも木下さんも五十嵐さんも見事に応答して、なかなかスリリングな議論の展開になっています。これはもう、いちいち紹介しませんので、ぜひ本誌を読んでくださいね。

(追記)

ちなみに、わたくしと渡辺輝人さんとの対談に対しては、金子良事さんが

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-345.html

hamachan対談、人を最初えーっ!と驚かせて、最後、常識的なところに落ち着く、というのは「つりばし効果」を利用した一つの手法なんだなという感想。

とコメント。

いや、吊り橋効果なんて全然意識していませんけど。素直な議論を余りにも素直に展開したらこうなるというだけで。

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前から言うてますがな

https://twitter.com/sunafukin99/status/517292626517557248

そもそも高橋洋一と池田信夫は本質的にはそんなに違わないという可能性も考えられる。

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/sunafukin99/status/517292626517557248

池田信夫氏かけるリフレ粉≒原田泰氏 池田信夫氏かけるリフレ粉≒安達誠司氏 に続いて 池田信夫氏かけるリフレ粉≒高橋洋一氏 も検討しろという提案がついに出てきたか

いやいや、「ついに出てきた」って、前から言うてますがな。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/bewaard-c57e.html(高橋洋一氏のインチキをbewaardさんが暴く)

まあ、池田信夫氏に

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51512394.html

著者(高橋洋一氏)とは経済産業研究所の同僚だったころからほとんど意見は同じ

といわれるぐらいですから、こういう第3法則の全開ぶりもそっくりということなのでしょう。

ある種の労働政策・社会政策憎悪型リフレ派に共通の性格類型なのでしょうね。

この二人が揃って絶賛したこの人も・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-9945.html(そうだよね!と共感できる、同じ視点のコメント)

結局、古賀さんたち「改革派官僚」なる方々の視野に入っている「公務員」とは、どこまでなのでしょうか。
被災地の現場で連日苦闘しておられる公務員の方々については、どのようにお考えなのでしょうか

考えてなんか、いないのでしょう。

古賀茂明氏にしろ、池田信夫氏にしろ、高橋洋一氏にしろ、こういう「改革」芝居型の人々の頭の中にある公務員改革というのは、霞ヶ関村の中の権力争いで、どういう人々が権力を握るかどうかということでしかないように思われます。

現に今、被災地の現場で日々苦闘している多くの正規、非正規の公務員たちのことなんぞ、これっぽっちも頭にはないのでしょう。

そして、もうひとつ、こういう「構造改革」派の人々が、古賀氏が自らの著書であっけらかんと証言している独禁法改正の裏取引に対して何も言わないのは、自分たちが考える「正義」を実現するためなら、どんな手口でも許されると考えているからではないかという気もします。

古賀氏の正体を知るためにも、池田氏や高橋氏の賞賛で読んだ気にならずに、ちゃんと自分でこの本を買って、じっくり読んでみることをお薦めします。それで古賀氏のやり口に感動したというなら、それはそれでけっこうですから。

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長時間労働削減推進本部

本日、厚生労働省で長時間労働削減推進本部の第1回会合が行われたようで、

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11201000-Roudoukijunkyoku-Soumuka/0000059842.pdf

「日本再興戦略」改訂2014(平成26年6月24日閣議決定)において、「働き過ぎ防止のための取組強化」が盛り込まれたところ。また、本年6月に「過労死等防止対策推進法」が成立し、長時間労働対策の強化は喫緊の課題。

こうした状況の中、大臣を本部長とする「長時間労働削減推進本部」を設置し、長時間労働対策について、省をあげて取り組むこととする。

この下に、「過重労働等撲滅チーム」と「働き方改革・休暇取得促進チーム」が置かれ、

過重労働等撲滅チームの下に、労働基準局及び労働基準監督署の若手職員からなる推進チームを設置

するそうです。

昨日の大臣記者会見で、このように述べられています。

http://www.mhlw.go.jp/stf/kaiken/daijin/0000059819.html

(記者) 今、大臣からお話しのありました長時間労働削減推進本部のことなんですけれども、具体的に企業に対して取組を求めるとか、具体的なものを現段階でイメージされているものがあれば教えていただけますか。

(大臣) 今、お話しがありましたように、具体的に何をするのかということでありますけれども、今、その内容を役所のなかでも詰めて、明日、第1回目の会合を開きますけれども、長時間労働の削減に向けて、例えば過重労働とか賃金不払残業等の撲滅に向けた厚労省としての監督指導、それから年次有給休暇の取得促進をはじめとした働き方の見直しに向けた企業への働きかけなどに取り組むことを考えておりますけれども、いろいろとこれから議論を深めて、出てきたことを実行して、できる限り皆さんが無駄な残業をしないようにということでいきたいと思います。

(記者) 今、発言のありました長時間労働削減推進本部なんですけれども、大臣のお考えとしては、そういった具体策をいつまでに取りまとめたいというお考えがあるんでしょうか。

(大臣) 明日の第1回目の会合で今後の進め方を決めようと言っているので、決めきっているわけではありませんが、そう長くかけてやるようなものでもないというふうに思っていますので、年内に何らかの形を作っていきたいかなというふうに思っておりますし、やはり中身を詰めていくことがまず先決ということで、それによってタイミングも決まってくると思います。

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これが大学か、これが高校か、ってか

これが大学か

と、言わんばかりの、被害者意識に満ちたこういう言説が流れてきているようですが、

http://news.livedoor.com/article/detail/9310435/ (国立大学から文系学部が消える!安倍首相と文科省の文化破壊的“大学改革“)

大学進学率が50%を超え、真理の探究にとりくむ象牙の塔という大学のイメージはすでに過去のものとなった。今や大学は、そのあたりの民間企業も真っ青な、徹底した経済の論理による支配が強まっている。・・・

時の政権の意志と経済的利害だけで大学が統制され、とりわけ人文社会科学という人間や社会のあり方を考察する学問がないがしろにすることは、知的営為そのものの否定である。

「大学改革」の名の下に進行する文化破壊と知的荒廃の様をもっと多くのひとびとが知る必要があるだろう。

かつて高度成長期には、こういうこともあったようです。

http://d.hatena.ne.jp/t1mannen/20141001 (神奈川県立高校と職業技術校が連携、体験講座や出前講義)

かって神奈川県は、兵庫県についで工業高校と職業訓練校を連携させて産業高校を設立し、若者の技術・技能の教育訓練に取り組みましたが、時、「高校全入」時代でもあったため、様々な批判が出され、教員からも『これが高校か』という告発報告書が出され、やがて廃止された事がありました。

「これが高校か」ですか。いかにもありそうな台詞です。

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『POSSE』24号

Photo『POSSE』24号が届きました。

特集は左の表紙にあるとおり、「ブラック研修」です。私にとって一番面白かったのは、表紙では一番下に名前だけ出ている、山田久、木下武男、五十嵐泰正の各氏に今野さんが絡んだ鼎談「労働市場の構造から分析する人手不足局面」です。

それらについては、改めて紹介するとして、ここではわたくしの絡んだ対談を紹介しておきます。

労働時間改革をめぐる実務家と政策論者の視点 濱口桂一郎×渡辺輝人

渡辺さんが、この組合せを「学者対実務家」と評したのに対して、いやいや労働法学者も労働弁護士も経営法曹もみんなそっち側ですよ、というところから私の話は始まります。


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