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女性活躍推進法?

WEB労政時報に「女性活躍推進法?」を書いたと思ったら、

http://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=288

 数ヶ月前までは、当の厚生労働省雇用均等・児童家庭局の人々も、こんな作業をすることになるとはおそらく考えていなかったであろう法律案が、現在労働政策審議会雇用均等分科会において着々と形作られつつあります。今のところ「女性の活躍推進に向けた新たな法的枠組み」というラベルで呼ばれていますが、来年中頃には女性活躍推進法が成立している可能性が大です。

 もちろん、男女雇用機会均等とか男女共同参画といった法政策はかなり以前から進められてきています。男女雇用機会均等法ができたのはもう30年近く前の1985年ですし、男女共同参画社会基本法ができたのも15年前の1999年です。この間、小粒の政策は色々と繰り出されてきていますが、ここに来て女性活躍推進法などという大きな玉が飛び出してきたのは、公労使事務局含めて誰にとっても意外だったと思われます。

 今回の動きの出発点は、・・・・

その労政審雇用均等分科会で、もう早、建議まで行っちゃったようです。

https://twitter.com/sawaji1965/status/516830524220772353

女性活躍推進新法(仮称)を議論していた雇用均等分科会が終わり、報告、建議まで進みました。4時間確保されていましたが、実際は約40分でした。

続き)女性登用の現状把握・行動計画の策定・公表ですが、大企業(301人以上)が義務、中小企業(300人以下)は努力義務です。それで、開示項目ですが、

続き)状況把握の必須項目は、①採用者中の女性比率②勤続年数の男女差③労働時間の状況④管理職中の女性比率、の4つ。情報公表は、この4つに省令で定めた任意項目を加え、その全体の中から企業が選択する、ということになりました。したがって、管理職中の女性比率の公開も義務ではありません。

続き)「何を公表するかは個別企業の自由にするべき。『公表しない』というのも、市場に対する情報の開示」という使用者側の主張が反映したものと思われます。

現時点では、まだ資料もアップされていませんが、程なくアップされるでしょう。

すでに資料はアップされています。

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12602000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Roudouseisakutantou/shiryou.pdf

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コメント

けっして面白半分にチャチャ入れるわけではありませんが、
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12602000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Roudouseisakutantou/shiryou.pdf
…>、①採用者中の女性比率②勤続年数の男女差③労働時間の状況④管理職中の女性比率<…

これ、(この「報告案」だと男女差だけが問題だ?と書いてあるわけで…)少々斜め読みすると、比率を相対的に男性に近づけるというのが目標となるのなら、男性も30代の就業率を減らしてM字型にすればいいわけです。子育て中の男性社員を冷遇すればよい、という考え方も出てきても不思議はないように思います。要は、企業としては、両性のどちらを雇うにせよ子育てとは無関係な人が良いわけです。
そもそも、労働者を雇用する企業は、自分の雇う労働者に「出産」や「子育て」なんかしてほしくはないわけです。子供は企業活動・職業生活にとっては邪魔なだけだという認識がある(実際、子育てが生産性低下や高い雇用コストの原因だと思っている、だからこそ法で解雇規制がある)わけですね。

果して制度が出来たとして、「男女雇用機会均等法」のように、男性並みに滅私奉公で働くことを強要される女性が増えたのと同じように、制度意志と反対に運用されるリスク、つまり、男性を含む子持ち労働者=生産性が低い→子育て世代全体の冷遇→子持ち世帯全体の収入減・貧困化とか…)はどうなんでしょう。

私は、国の政策として長時間労働規制が最優先されるべきだと思っています。子育てする余裕がない労働環境こそ問題なのに(時間に余裕を作ればこんどは家庭の収支が立ち行かないとか)、それをほったらかしにして、女性を無理矢理釣り上げようという魂胆がそもそもおかしいと思います。

投稿: endou | 2014年10月 1日 (水) 00時45分

誤解があるといけませんので追記させていただきます。
上に、長時間労働の是正こと必要だと書きましたが、当該「女性の活躍推進に向けた新たな法的枠組みの構築について
(報告(案))」の9ページ目に少しだけ書かれています、念のため。
要するに、今の制度では突発的残業命令も恒常的残業命令も、家政を分担すべき労働者が、人の親(=保護責任者)として、その責任や義務を果たせなくする正当な権力ですから、その保護する子供にきちんと晩御飯を食べさせるためには、その正当な職務命令に反してでもどちらかの労働者が帰宅しなければならないわけですね。

ですから、本当は、労働者各人の『子に晩御飯を食べさせる権利』とか、『腹が減ったら雇用主に労働者たる自分の親を帰宅させることを要求できる子の権利』…等と、子供の権利条約だけでなくて「労働法」にも書けばよいのだと思います。
そう書かなきゃ企業やだんせーせー社員は認識しないと思います。

投稿: endou | 2014年10月 1日 (水) 11時52分

「女性の雇用」という問題を、本来の「機能的職能集団であり、利益追求集団」としての会社の立場から考えると、必要なのは「自分たちの利益の追求のための活動に必要な部品」なのであって、「男性」でもなければ、「女性」でもないし、いわんや「人」ですらない。
こういうことに、なる気がします。

逆にいえば、自社の利益に貢献するのなら、男性であろうが女性であろうが、ロボであろうが問題ない。こうなるでしょう

さらに逆にいえば、利益に貢献しないのなら、いずれもいらない。こうなりますが。

で、endouさんの主張したいところは何かというと、会社側から見て「いらない」という宣告をされた人たちは、どうすればいのだろう。こうなると思いますが。

これを「会社」ではなく「社会」に反転して考えると、社会は人の集まりであり、その結果として人の存在しない社会は考えられません。

そして、社会の運営は、その参加者である人の性別を超えた相互協力があって初めて成立する物で、その社会を成立させるための手段として、経済がありその経済システムのパーツとして会社があり、その構成要素として、雇用がある。

こういう構造が浮かんでくるでしょう。
こういう前提から考えると、会社側の、「利益に繋がらない者は必要ない」という論理が、どこまで社会的に是認されるのか、を考慮すべきでしょうし、また、社会を構成するメンバーとして、「赤の他人の生活の面倒を見る(たとえ間接的にでも)」という発想が必要とされてくると思います。

なぜなら、他人の面倒を見ることが回りまわって、自分の面倒を見ることになるからです。
つまり、「情けは他人のためならず(他人にかけた情けは自分のところに帰ってくるから、他人に情けをかけなさい)」ということですが。

結局これは、「女性の社会参画」というレベルでは済まない問題だということだと思います。

投稿: 我無駄無 | 2014年10月 1日 (水) 13時42分

我無駄無さま、フォローありがとうございます。

結局、ただ今現在のサブシステムとしての生産機関の意志ないし認識認容の態度というのは、共有地のジレンマみたいな話で、社会に人間(子供を含む人)は必要(誰も人間の再生産を行わないと、社会がつぶれてしまうことは判っているから、そういうことはきちんとやるフリをしたい…)だが、しかし、自分の組織や機関でなくて、他所でやって欲しいわけです、本音は。
画して、利益集団というのは、人間の再生産については常にタダ乗りの機会を窺っているか、若しくはその応酬のし合いをしたい。これでは富を生む生産活動ではなくてゼロサムゲームです。ま、少なくとも『三方よし』にはなっていない。

そうではなくて、企業たるもの、利益を生むというのは、それをその利益集団に還元することであって、そこには子供を含む利益集団の家族にも利益を配分するような構造とか、さらに言えば、今存在していない未来の人間を名宛人とした利益とか、そういうインセンティブが働くようにすべきだと思います。

投稿: endou | 2014年10月 1日 (水) 18時47分

endou様
人にとって「利益」と何か、を考えてみると、それは「生存すること」に還元されるでしょう。

で、生存には「生物としての生存」と「社会的な生存」の二種類があるわけです。

そして、「雇用」は「社会的な生存」という利益に関わってきます。

一方で、会社の利益とは何かというと、それは会社が「存続」することです。

要は、「存在」することが双方にとっての利益なわけですが、会社というモノを、社会的に考えると「法人」という名前の「人」だったりします。

ここで考えるのは、「法人」という名前の人と「私人」という名前の人との、存在という名前の「利益」の対立が発生した場合には、どうすればよいのか? なのでしょう。

これは、おそらく法律や社会システム論だけでは、解決不能な問題ではないでしょうか?

むしろ、哲学や場合によっては宗教すらも、視野に入れて考える必要のある問題だと思います。

投稿: 我無駄無 | 2014年10月 1日 (水) 20時35分

またまたフォロー感謝します。

我無駄無の仰せの通り、国民性であるとか、農耕民族(民俗)独特の世界観の話にも引っかかってくる問題ということもあることもあると思います。
ただ、そうなると人の内心の問題ということにもなって、そういう内心の変更を国民に求めることの適否は、憲法の射程に入ってくるのでしょうね。尤も、外形的な作為・不作為であれば立法で規制することはできます。
かつて議論になった(もしかして今もあるのでしょうか?)被差別部落民の側からの問題提起も2つあったと思います。
その1は、差別をする人の認識認容の問題だから、それが故意になされたか否かは「確認→糾弾」という手続きを経て、その認識認容の態度を変えていかなければ社会が前に進まないし、差別もなくならない。…とする主張。
これに対し、2つ目の主張では、外形的差別は勿論是正されなければならないが、それはあくまで社会システムの問題だから、当該システムの中で差別一般を禁止すればよく、認識や認容の態度は内心の問題だから、それを変更させるのは不当である。…との主張です。
この議論はかなり泥沼化していった経緯があります(もしかすると今も相当根深い遺恨が残っているような…)。

ただ、外形的差別禁止が大事なのか?、それとも社会生活を営む人の内心に変更を迫るところまでが必要なのか?、というのは、相対的であって、何を考えてもそれを言説や行為・不作為につなげてしまうことは社会全体の無意識にもしばしばあるわけで、それが顕著な場合には、ありとあらゆる教育機会やプロパガンダを通じてなされるべきだとは思います。しかしながら、先の、前者のような、個別的な確認・糾弾までは必要ではないとは思います。
因みに(昨日バラエティー番組でやっていたんですが)ドイツでは指をそろえて手をまっすぐ上げる行為(ナチスの敬礼)は現在も法律で禁止されているようです。これは外形的行為を禁止することによって、もちろんその理由(立法意志)を理解させるという内心の変更にはなっているでしょうね。その法の適否はさておき。

基い、企業においても、例えば妊娠・出産、或いは育児によって労働時間との調整が不可能となり、結果離職を余儀なくされたような場合に、当該「労働者の救済」と「企業へのペナルティー」を科すことをセットで考えていくことによって、当該営利企業の存続と雇用の存続はセットであり、その職業生活を営みながら出産育児・この教育全般を支えるのが当該営利企業に課せられた責任でもある、…という認識認容及びその態度の醸成には役立つと思います。
「飴」と「鞭」によって、心もその一部なら変えられると思いますし、その限りで変えさせても不当ではないと思います(『踏絵』には当たらないんじゃないでしょうか)。

投稿: endou | 2014年10月 2日 (木) 12時10分

上記投稿中、敬称が抜けておりました。失礼いたしました。

×我無駄無の→〇我無駄無さまの…です。

投稿: endou | 2014年10月 2日 (木) 13時34分

endou様
とりあえず、「外形的差別」云々は、横において資本主義経済とは何かを考えてみます。

単純にいえば「資本主義経済は自転車操業」である。
この一言に尽きるでしょう。

そして、自転車は乗ってる人がペダルを漕がないと走ることができず、倒れてしまいます。

ここで、ペダルを漕ぐことを生産だと考えます。
しかし、ペダルを漕ぐだけでは自転車は走れず、道路を走るためのタイヤ(後輪)と、ペダルの回転をタイヤに伝達するチェーンが必要なわけです。

で、タイヤの回転を消費と考えチェーンを流通だと考えると、生産であるペダル漕ぎ、チェーンである流通、タイヤである消費の各段階で雇用が発生することが分かるわけです。

その一方で、資本主義経済の枠の中で生産され消費されるものの内、ほぼ確実に60%は人が生きていくためには、必ずしも必要でないものです。

ですが、実は、雇用というのはその必要のない60%のものが生産され流通し、消費されることで成り立っているのですね。

裏返していえば、消費が落ち込んでしまえばそれはそのまま、雇用の落ち込みになるわけです。

そして、タイヤの回転が止まって自転車が止まった状態が「不況」であると。そして、自転車が倒れたのが「大恐慌」であるわけで。

そして、消費の落ち込みによる雇用が落ち込んだ時に、会社が存続するために誰を解雇するのか? それが問題になるわけですね。

ここで、さらに逆を考えるとすると、自分の雇用を守るためにはどうするか? という問題が発生します。

すると、こういう考え方が自ずから、浮かんでくるのではないでしょうか、「会ったことものないどこかの誰かのために、とりあえず、使う必要ないものを買いましょうね」と。

つまり、必要のないものを購入することが、他の誰かの雇用に繋がり、その連鎖の中で自分の雇用も成立する。と。

また、会社の側も「利益に繋がないのを承知の上で、余剰な人員を、雇っておこう」こういう発想が出てくる(あるいは求められる)と思います。

つまりこれは、「損」をすることを意識的に選択するということです。

通常、資本主義においては、「得」をすることが是認されていて、「損」をするような真似をわざわざすることは、愚かだと思われるでしょう。

ですが、もう一度資本主義経済の本質が自転車操業であるという、原点に立ち戻ると、速度が低下して自転車が停止あるいは、倒れそうになったら、意識的にペダルを漕がなくてはならないことが分かるはずです。

つまり、それが不要であることを承知の上で、必要のないものを購入したり、余剰であることを承知の上で、解雇をせずに雇用を続けることなわけで。

これを、大岡裁き風に言うと、「三方一両損」になるでしょう。つまり、一両を無用な消費をすることで私人が損をし、一両を余剰な人員を意図的に雇用することで会社が損をし、もう一両を不況による税収などの落ち込みで国が損をする。

また、これを仏教的にいえば「布施」ということになると思います。

通常、「布施」というと、お葬式などでお坊さんに渡すお金を思い浮かべますが、あえて自分が損をすることを行うことで、功徳を積むことも「布施」だと言えるわけです。

そして、その社会の全員が意図的に少しずつの「損」をすることによって、社会全体で多くの「得」をする。
こういう発想が求められるのではないでしょうか?

リーマンショックなどで見えてくるものは何かというと、西洋型の価値観の限界でしょう。

そして、資本主義経済もその西洋型の価値観が生み出したものです。

ですが、日本には元々古来より受け継いだ、東洋的な価値観があり、資本主義を一次ルールとした場合、東洋的価値観を二次ルールとして一次ルールに結合させて、資本主義を新たなステージに移行させる、そういう時期に来ているのではないでしょうか?

しかし、本来の「女性の雇用」というテーマから、ずいぶんと逸脱した、話題なってしまいましたね。

投稿: 我無駄無 | 2014年10月 3日 (金) 18時15分

フォローありがとうございます。
>¥「三方一両損」<…なるほど、そういう発想(東洋的な決着手法)も必要かもしれません。
しかし、自治体や公務員の世界ですらかなりせちがない考え方で、「お前の存在はリスクか?、それともロスなのか?」と毎日言われ続けているような現状もあるそうですから、みんなが余裕のない状況に追い込まれているわけです。

さて話を戻して、国会を見ていると、首相の発言に中にも「短時間限定社員」であるとか「職務や地域限定社員の活用」という言葉が散見されます。
これは例えば、当ブログにも紹介されているようなhttp://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12602000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Roudouseisakutantou/shiryou.pdf
だとかがあるので、政府も少しは本気のようです。ただ、この「げんてー社員」なるもの、http://www.jtuc-rengo.or.jp/roudou/seido/kiseikanwa/02.htmlこういう批判もあるわけでして(尤も真偽のほどは不明ですが)、確かに、そのような運用わされてしまう余地はあるわけです。
「短時間限定せー社員」にしておいて、その後すぐに「『短時間限定せー社員』の職はなくなりましたよ!」ってことがないとは言えないわけです。
あと、現実には、そもそも只今現在育児介護中の人がどれくたい就活できているかというと、僅かです。これは、そんな余裕が労働者にないと言われればその通りですが、そもそも最初からこの人たちが入り込めるという期待値が低いから、という理由はあるわけです。
私見ですが、いっそ、従来のそういう荷を背負っていない求職者と同じ割合にするように、この入口を広げてはいかがでしょうか。

投稿: endou | 2014年10月 4日 (土) 05時56分

endou様
今の資本主義社会の問題点は何かというと、「己の得だけを求めること」その一点に帰着するでしょう。

要するに、「利己主義」であることです。

上に書いてある、「お前の存在はリスクか?、それともロスなのか?」という話にしても、その組織の運営者から見て、相手を「得にならない」そうみなしているから、こういう論法が出てくるわけですね。

また、育児介護中の人の解雇や本題の女性の雇用に関しても同じことで、会社にとって、「雇用しても得にならないから解雇する(雇用しない)」こういう話になるわけです。

そして、西洋的価値観では「利己主義」は是認されていて、それがゆえに資本主義も利己主義が土台になるわけですが。

そうやって考えると「得に繋がらない者は解雇する」これはある意味「普通」なわけです。

その一方で、個人の消費活動に関しても、「自分が得をしない物は買わない」これが、「普通」でしょう。

ですが、その「普通」が何をもたらしてるのか?
これを考えてほしいわけです。

これが、デフレであり消費不況であり、経営環境及び雇用環境の悪化をもたらしている。つまりそういうことでしょう。

要は、自分の得を求めることで、結果的に自分の首を絞めているわけです。

その一方で、元来仏教や儒教などの東洋思想(東洋哲学)の根本は「利他」あるいは「自利利他」です。

孔子の弟子に子貢という人物がいますが、彼は、商売人で拝金主義者であり、利己主義者でもあります。

そんな彼が、自分の商売に行き詰り、あるとき、孔子にこう質問しました「商売で成功するためにはどうすればいいですか」と。
すると、孔子はこう答えました「人を思いやって、自分がされたら嫌なことは他人にしないことだ」と。

この言葉を聞いて目が覚めた子貢はその後、自分の商売で得た莫大な利益をすべて、孔子とその弟子たちのためにつぎ込んだそうです。

自分から見て、「ホワイトカラーがー」とか「女性の雇用がー」とか「限定せーしゃいんがー」とか言うのは、枝葉末節の話でしかないんですよ。

そうではなく、もっと根っこの部分、あるいは全体の構造を見て物事を考えたらどうなのか、思っています。

あるいは、こういう話も有ります、「相(首相とか厚労相とかの相ですね)は元々、木の上に目が乗っていて、人が木の上に登って広く全体を見渡す様を描いている、だが木の上に目を書くと落ち着きが悪いから、木の横に目を書いたのだ」と。
これは、安岡正篤先生のお言葉ですが。

あと、蛇足ですが、以下のブログを読んでみてください、「MBAでは、八ッ橋は売れません」320年つづく老舗和菓子店が教えてくれた"京都の商い"
http://www.huffingtonpost.jp/2014/10/03/kyoto-shogoin-kanako-suzuka-_n_5925218.html

投稿: 我無駄無 | 2014年10月 5日 (日) 11時54分

上に書いたことと、矛盾することを書きますが、日本の雇用である、「メンバーシップ型」は上で書いた「東洋哲学」が土台になっています。

そして、東洋哲学を礎にしてきた日本の社会は、「共同体」としての性質を持っていて(単純化して言うと、中世や江戸時代とほぼ同じということです)、そのことの結果として「社会契約説」や「法の支配」など、いわば近代社会における「当たり前」が浸透しておらず、そのことが原因のトラブルが多発している面もあります。

これが、色濃く出ているのが、「雇用」なのでしょうが。

また、ブラック企業はある意味「利他主義」を徹底的に利用することで従業員を搾取していると言えるので、そういう意味でのマイナス面をどう是正するかが、とわれると思います。

なので、自分が言いたいことは「西洋哲学=×、東洋哲学=○」という話ではなく、例えば、原発を考えたとき、西洋哲学を原子炉と考えた場合に、東洋哲学を冷却装置や制御棒として、どう組み合わせていくのか。こういうことなのですが。

雇用も、これに基づく「コロラリー」として議論されるべきだと思います。

投稿: 我無駄無 | 2014年10月 5日 (日) 12時29分

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