日本型雇用、深まる議論 機能不全…ブラックへ変質@産経新聞
本日の産経新聞に、「日本型雇用、深まる議論 機能不全…ブラックへ変質」という記事が載っています。執筆は磨井慎吾記者。登場するのは、左の写真に本が積んである3人です。
先日のJSHRMでもご一緒した『働かないオジサンの給料はなぜ高いのか』の楠木新さん、おなじみPOSSEの今野晴貴さん、そして不肖私です。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140915/trd14091516000013-n1.htm
まず問題提起するのは楠木さん。
「働かないオジサン」はなぜ生まれるのか-。長時間労働、正社員と非正社員の格差、ブラック企業などさまざまな問題が山積し、中高年が既得権層として指弾されてきた日本の雇用をめぐる論壇。だが近年は、根本原因がかつて称賛された「日本型雇用」の機能不全にあるとするシステム論的な議論が目立つようになっている。(磨井慎吾)
「“働かないオジサン”が生まれるのは、日本企業の構造的なものが大きい」
日本企業の人事メカニズムを解説した新書『働かないオジサンの給料はなぜ高いのか』(新潮新書)を4月に刊行したサラリーマン兼著述家の楠木新(あらた)氏(60)は、大手生命保険で人事畑を歩んだ自らの経験をもとに、そう語る。
書名は、多くの若手会社員が一度は不条理に思う事態。だが、これは長期雇用を前提にした新卒一括採用制度を取る以上、必然的に出てくる問題だという。「新卒者は能力や技能よりも、まず会社のメンバーとして一緒に気持ちよく仕事ができるかを基準に採用される」。白紙状態で入った後は社内で教育され、同期入社組と横並びの年功昇給を重ねながら全員が管理職ポストを目指して進んでいくモデルだが、「問題は管理職登用という選抜によるピラミッド構造が始まる40歳前後。ポストを得られなかった人が意欲を失ってしまうために“働かないオジサン”が発生してしまう」。
この問題提起を雇用システム論として解説するのが私の役割です。
「日本の雇用は、まず会社の一員となる人を集め、そこから仕事を割り振っていく『メンバーシップ型』。対して欧米やアジア諸国は、最初に仕事があり、それができる人を採用する『ジョブ型』」。そう雇用モデルを2分類し、労働問題で論壇をリードするのが、『若者と労働』(中公新書ラクレ)などの著書で知られる労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎・主席統括研究員(55)。
濱口氏は、日本型雇用システムの本質は、「職務の定めのないメンバーシップ型雇用契約にある」と指摘する。集団の一員として、無制限の残業など時に労働法に反する「滅私奉公」をしなければならない代わりに、長期にわたる雇用保障が受けられる。「このシステムは、かつてはうまく回っていた。経済は拡大し、女性は結婚退職するので、男性正社員は多くが管理職になれた。しかしバブル崩壊後の経済低迷で、管理職になれない中高年が大量に出てくることになった」
これをブラック企業現象につなげるのが今野さんです。
こうした日本型雇用の行き詰まりは、劣悪な労働環境で社員を使い捨てるブラック企業の増加にもつながっている。若者の労働相談に取り組むNPO法人「POSSE」の今野晴貴(こんの・はるき)代表(31)は、近年大きな社会問題と化したブラック企業は「日本型雇用が変質したもの」だとみる。
今野代表は、諸外国と比べた日本企業の特徴は、企業の命令権の強さだと指摘する。「命令権の強さはそのままで、手厚い福祉や雇用保障を切り捨てたのがブラック企業」
これを受けて、わたくしがもう少しそのあたりの消息を詳しく解説します。
この分析に対し、濱口氏は「たしかに日本型雇用にはブラック企業になりうるDNAがある。ただ、(定年までの雇用保障や年功賃金といった)それを発現させないためのメカニズムがかつては働いていた」と語る。「無制限に働かせはしたが、決して使い捨てにはしなかった。社員を安心してフルに働けるようにするという点で、欧米よりも社会の競争力を高める効果があったのも事実。単純に日本型雇用が悪いという話ではない」
そして、最後のところの処方箋で、私と楠木さんが若干の違いを示しています。
濱口氏は、維持困難になっている日本型雇用の改善案として職務や勤務地、労働時間などを限定した無期雇用契約である「ジョブ型正社員」の推進を提唱する。 一方、楠木氏は文化的な面からもジョブ型への転換には懐疑的だ。「やはり、日本人は自分が組織の中に位置づけられることで安心する。そうした人と人との結びつき方を、簡単に経営という視点で変えられるとは思わない。意欲を失った中高年の問題など改善点はあるが、日本型雇用システムは今後も主流として存続していくだろう」
雇用制度の改革は、必然的に日本社会の人と人の関係のあり方にも影響を及ぼしていく。実は、社会や文化全体の問題でもあるのかもしれない。
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確かに、雇用問題を考えることは、社会や文化のあり方を考えることだと思います。
とはいえ、実は、逆だと考えるべきで、今の社会に深刻な矛盾や問題があるから、その矛盾が雇用にも表れている。こう考えた方がいいと思います。
じゃあ、その矛盾は何かというと、「社会制度が近代化していったにも関わらず、日本人の頭の中身がそれに追いついていないこと」。ということに収れんされると思います。
以前、アランさんのブログが紹介されていて、「メンバーシップ型の社会のルーツが江戸時代にある」という話が書かれていましたが、自分もおおむね同意見です。
で、「メンバーシップ型」の基本は江戸時代の「家制度」に求めることができて、浪人がとある「お家」の「メンバー」として迎え入れられて「お家のために滅私奉公する」この構造が、そのまま今の企業にもぐりこんでいるわけです。
これは、企業の側から見ると、メンバーの「人生を「質」に取る」ようなもので、またメンバーとなった個人の側から見ると、「自分の人生を会社(お家)「貢ぐ」」ようなものでしょう。
その結果として、「年功序列」や「終身雇用」等の生活保障が担保される。
その成立過程が、「日本の雇用と中高年」や「若者と労働」に書かれているわけですが。
その一方で、近代社会は「社会契約説」や「法の支配」というルールに則って動いていますが、日本人にはコンビニで弁当を買うこと自体が法律行為であり、契約行為でいるという認識がない人が多いという現実があり、それが、雇用にも影響を与えたりしているわけです。
そのすきを突くのが「ブラック企業」でしょうから。
なので、雇用を改革するということは、そういう意味での日本人の頭の中身を、変えていくということそのものだと思います。
ただ、日本の社会が今現在安定しているのは、その大部分がある意味、日本人の頭の中身が「江戸時代」で止まっているからだということができ、その結果としての「絆」だと言えるので、安直に変えてしまうと、日本の社会が一気に崩れる危険があるため、慎重に検討を重ねる必要があると思います。
投稿: 我無駄無 | 2014年9月17日 (水) 04時27分