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「残業代ゼロという本音を隠すな」@『労務事情』9月15日号

Romujijou20140915『労務事情』9月15日号に「残業代ゼロという本音を隠すな」を寄稿しました。前号の「時間ではなく成果で評価される制度への改革?」の続きです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-758d.html (「時間ではなく成果で評価される制度への改革?」@『労務事情』2014年9月1日号)

前号で、

・・・読者諸氏には言わずもがなだが、現行法制上いかなる賃金制度を採ろうが基本的に企業の自由である。日本国のいかなる法律も成果主義賃金を禁止していない。労政審にも産業競争力会議にも、成果主義賃金制度の是非を論ずる権限もなければ、その導入を命ずる権限もない。言うところの「時間ではなく成果で評価される制度」は、もちろん現在でも導入可能である。・・・

と確認したことを受けて、こう続きます。

 では、時間ではなく成果で評価される制度を導入せよ云々という議論はことごとくナンセンスなのだろうか。論理的には、議論の筋道を素直にたどる限りナンセンスである。しかし、そのホンネのところを取り出せば、実はよく理解できる議論なのだ。それは、労働基準法第37条の残業代規制が、それだけが異常に厳しいということなのである。

 そもそも残業代とは何であろうか。その本質は単位を考えればわかる。残業代は時間や分で数えない。単位は円である。つまり、残業代とは労働時間ではなく、賃金である。従って、残業代規制とは労働時間規制ではなく、賃金規制である。こんな小学生でもわかるような当たり前のことを改めて書かなければならないのは、世のほとんど全ての人がここのところを理解していないからである。

 残業代という賃金規制をその本質で捉えれば、職能資格制度における高い等級にいて高い給料を受け取っている者を適用除外することはなんら不思議なことではない。そして、かつてはそれが少なくとも表面的には矛盾を生じないように、実質的には管理も監督もしていない者でも、管理職クラスに昇格したら管理監督者ということにして残業代は払わないという処遇がごく当たり前であった。

 1990年代以来、年功的賃金制度自体は基本的に維持しながら、年功的昇進には厳格な姿勢で臨む企業が増えた。その結果、壮年、中高年に達しても管理職にならないまま、しかし年功的高給に比例した高い残業代をもらう者が増えてきた。時給800円の非正規労働者が1時間残業したら1000円であるのに対して、年収800万円(時給換算4000円)の高給非管理職が1時間残業したら5000円であり、払わなければ違法である。どんな長時間労働にも口を出せない労働基準監督官も、サービス残業となれば押っ取り刀で駆けつけて是正勧告を切る。2000年代以来、膨大な額の不払い残業代の支払いが命じられ続けている。

 1990年代以来、企画業務型裁量労働制、ホワイトカラーエグゼンプション等々というラベルを貼って持ち出されてきた議論は、基本的に全て、高給の非管理職社員に高すぎる残業代を払いたくないという、それ自体としてはもっともな意図に基づいていた。しかしながら、世間向けには常に、その正直な意図の代わりに、自律的な働き方だとか裁量的な働き方だとか、挙げ句の果ては育児と仕事の両立が可能になる自由な働き方などという本音とはかけ離れたレトリックをまぶして提示されてきた。

 おそらく、労働時間規制と賃金規制の区別が付かない愚かなマスコミが、「残業代ゼロ法案」を目の敵にして攻撃してくることを恐れるあまり、残業代規制の緩和という本質を正直に持ち出すことを控えさせ、表面的にもっともらしい虚構の議論をまとわせようとしたのであろうが、その帰結が今日の混乱しきった姿である。

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