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2014年9月14日 (日)

労働法教育の前にまず民法を

Coverpicてなことをいうと、一世代か二世代くらい昔であれば、せっかくブルジョワ市民法原理を克服する労働法を確立したのに、元に戻れというのか?と怒り心頭に発したおしかりを各方面から受けることになったに違いありませんが、いやいや昨今の労働者の相談なるものをみていくと、そんな先走ったあれこれの労働者の権利なんてものに行く前のもっともっと前の段階で、それこそブルジョワ市民法原理をもちっとしっかりと身につけてもらわんことには、どうしようもないという姿が浮かび上がってくるわけでごぜえますだよ。

http://www.rochokyo.gr.jp/html/2014bn.html#9

労働調査協議会の『労働調査』9月号が「個別労働紛争解決のために」という特集を組んでいるのですが、その中で、連合・非正規労働センター・次長の丸田満さんが書いている「連合「なんでも労働相談ダイヤル」にみる個別労働紛争の現状と今後の課題」の中に、こういう記述があるわけです。

http://www.rochokyo.gr.jp/articles/1409.pdf

(5) 辞めたいのに辞められない(辞めさせてくれない)

連合「なんでも労働相談ダイヤル」に寄せられる労働相談の中には、解雇、退職強要、雇い止め、契約打ち切りなど「辞めさせられる、辞めさせられた」系のものは依然として多い。この点はすでに触れた通りである。

しかし、ここ1~2年に増えてきたものがその正反対、「辞めたいのに辞められない(辞めさせてくれない)」系である。

労働条件や人間関係の悪さなどを理由に退職届を出した労働者に対し、会社が就業規則を盾に「退職は退職日の3カ月前までに申し出なければならない」といった事例。さらには「一方的に退職した場合は損害賠償を請求する」といった事例などである。円満退職ならいざしらず、わざわざ労働相談を寄せるような職場ならば、退職届を出してから3カ月も勤務させること自体が「パワハラ、いじめ・嫌がらせ」といっても過言ではないであろう。

また、正社員に限らず、アルバイトの学生が「辞めたい」と申し出たところ、「今すぐに辞められると穴が空く。次の人が決まるまで辞めないでほしい」と引き留められたあげく、辞められないまま勤務し続けているというものもある。

これら「辞めたいのに辞められない(辞めさせてくれない)」系の労働相談については比較的、対応が容易である。

相談者の雇用形態が期間の定めのない場合は、民法第627条第1項(期間の定めのない雇用の解約の申入れ)を基に、会社に「退職届」を出すように説明する。なお、このときに「退職願」とすると、「私は退職したいと思いますので、退職を認めていただけますでしょうか」という意味に取られ、会社の承諾なしには辞められなくなる可能性があることも考慮し、会社の承諾を必要としない「退職届」とすることもあわせて説明する。

一方、相談者の雇用形態が期間の定めのある場合は、詳細な状況を確認した上で民法第628条(やむを得ない事由による雇用の解除)に基づいて対応する。状況によっては明示された労働条件の相違を事由とする労働契約の解除に関する労働基準法第15条第2項を持ち出すこともある。

「辞めたいのに辞められない(辞めさせてくれない)」。その背景には、労働者には退職の自由があるという、働くことに関する基本的な知識が労使双方で不足していることが推測される。

人手不足が叫ばれる今日、「辞めたいのに辞められない(辞めさせてくれない)」系の労働相談がこれから増えることも懸念される。

まさに「働くことに関する基本的な知識が労使双方で不足」には違いないのですが、ここで問題なのはそれがいわゆる近代市民法を修正してできた現代労働法に属する部分における「知識の不足」じゃないということです。

それよりも、もっと根源的なというか、中世封建社会を否定してできた近代市民社会(そう言いたければブルジョワ社会とでも何とでも言えば良いが)の基本原理自体が、労使双方にしかと認識されておらず、ご主人様が駄目だと言ったら召使いは勝手に辞めることも許されないのが当たり前みたいな感覚があるらしいことです。未だに主従法の世界か!?

私もここ数年来、いろんな人々の驥尾に付して労働法教育が必要だの何だのと言ってきてますけど、なんだか事態はもう少し深刻で、いわゆる労働法学で教えているような労働法以前の、民法の雇用規定それ自体を改めてしっかりと教えておかなければいけないような状況なのかもしれないな、と感じる次第です。

第八節 雇用

(雇用)

第六百二十三条  雇用は、当事者の一方が相手方に対して労働に従事することを約し、相手方がこれに対してその報酬を与えることを約することによって、その効力を生ずる。

(報酬の支払時期)

第六百二十四条  労働者は、その約した労働を終わった後でなければ、報酬を請求することができない。

2  期間によって定めた報酬は、その期間を経過した後に、請求することができる。

(使用者の権利の譲渡の制限等)

第六百二十五条  使用者は、労働者の承諾を得なければ、その権利を第三者に譲り渡すことができない。

2  労働者は、使用者の承諾を得なければ、自己に代わって第三者を労働に従事させることができない。

3  労働者が前項の規定に違反して第三者を労働に従事させたときは、使用者は、契約の解除をすることができる。

(期間の定めのある雇用の解除)

第六百二十六条  雇用の期間が五年を超え、又は雇用が当事者の一方若しくは第三者の終身の間継続すべきときは、当事者の一方は、五年を経過した後、いつでも契約の解除をすることができる。ただし、この期間は、商工業の見習を目的とする雇用については、十年とする。

2  前項の規定により契約の解除をしようとするときは、三箇月前にその予告をしなければならない。

(期間の定めのない雇用の解約の申入れ)

第六百二十七条  当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から二週間を経過することによって終了する。

2  期間によって報酬を定めた場合には、解約の申入れは、次期以後についてすることができる。ただし、その解約の申入れは、当期の前半にしなければならない。

3  六箇月以上の期間によって報酬を定めた場合には、前項の解約の申入れは、三箇月前にしなければならない。

(やむを得ない事由による雇用の解除)

第六百二十八条  当事者が雇用の期間を定めた場合であっても、やむを得ない事由があるときは、各当事者は、直ちに契約の解除をすることができる。この場合において、その事由が当事者の一方の過失によって生じたものであるときは、相手方に対して損害賠償の責任を負う。

(雇用の更新の推定等)

第六百二十九条  雇用の期間が満了した後労働者が引き続きその労働に従事する場合において、使用者がこれを知りながら異議を述べないときは、従前の雇用と同一の条件で更に雇用をしたものと推定する。この場合において、各当事者は、第六百二十七条の規定により解約の申入れをすることができる。

2  従前の雇用について当事者が担保を供していたときは、その担保は、期間の満了によって消滅する。ただし、身元保証金については、この限りでない。

(雇用の解除の効力)

第六百三十条  第六百二十条の規定は、雇用について準用する。

(使用者についての破産手続の開始による解約の申入れ)

第六百三十一条  使用者が破産手続開始の決定を受けた場合には、雇用に期間の定めがあるときであっても、労働者又は破産管財人は、第六百二十七条の規定により解約の申入れをすることができる。この場合において、各当事者は、相手方に対し、解約によって生じた損害の賠償を請求することができない。

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コメント

以前も書きましたが、日本人には「社会契約説」や「法の支配」という考え方が定着しておらず、それによるトラブルがいろいろと出ていると思います。

例えば、民法上「「未成年者」は「制限行為能力者」であり「法律行為(契約行為)」を行うためには、「法廷後見人(親)」の許諾が必要である」。ことをどれだけの人が認識しているのでしょうかね?

また、携帯電話やインターネットを使うことそのものが契約行為であり、子供にネットをやらせたり、携帯を持たせることそのものが、「親である自分の許諾の元に、こどもに法律行為をさせている」という認識をどれだけの親が持っているのか? 大いに疑問ですし。

その結果として、昨年あたりの「ガチャコンブ」問題が発生するわけですから。

そう意味でも、労動関係だけではなく、民法全般に関する知識を啓蒙する必要があると思います。

結局は、日本人の頭の中身が、いまだに「江戸時代」から抜けきっていないことにも、原因があると思いますが。

お題の「労働法教育の前にまず民法を」という趣旨には全面的に賛成です。
理由は、多くの非正規労働者にあるように、労働契約が書面で交わされていない場合(労働条件通知書は交付されていても、使用者が労働者性を認めない場合もあるわけで…)があって、労働契約の内容が一部不明の場合があるわけで、このような場合、ただ今現在の労働契約があるのかどうか、や、契約期間がどのようになっているのかなどということは、裁判若しくは労働審判に付されない限り不明のままということもあるからです。
監督官に聞くまでもなく、労働基準監督機関は「労働契約」の存否や「実質的労働者性」について判断することはないわけですから、当事者の内どちらか一方が労働契約を否定するか、疑問を差し挟むような場合で、労働者としての何らかの保護を求めるには、自分が現在労働者であることについて保護を求める本人が証明しなければなりません。

つまり、一たび使用者から労働者性を否定されると、労働者としての制度保護は非常にハードルが高くなってしまいます。これは監督官への違反申告(労基法104条による)だけでなく、派遣法違反の救済、労働保険・社会保険未加入の救済など、凡そ労働者福祉に関する制度が全く無意味になってくると考えられます。つまり、元々、厚生労働行政は、労使が労働契約を争い無く認めない限り、外形だけの「労働契約」の存否については判断できない(手が出せない)わけです。
なので、先ず「雇用」という意味をしっかり押さえたいと思います。
要するに、たとえ法定三帳簿に記載されていようがタイムカードがあろうが、個別の労働契約に(書面が無いとか、期間がアヤフヤであるとか・・・)一部不備がある場合に、使用者が逆上して「お前はうちの労働者ではない!」と言われてしまうと、労働契約や賃金・社会保険適用などの保護を求めて駈け込む先は、監督官でも年金事務所でもなく、先ずは裁判所だということになるわけです。
概して、労働者という地位はそれほど薄氷に乗っっているようなものだと思います。

ああ…、労働契約法の法益保護の所管行政庁が欲しい・・・。

追記。
下記の、笹山弁護士の報告を見ても、不払い賃金や労働者が負担した売上金損害の奪還について、先ず「労働契約」の存否や「労基法9条の労働者該当性」のところですったもんだしてなかなか進まないことが見て取れます。

http://www.news-pj.net/npj/2008/sukiya-20080806.html
事件名:牛丼すき家 「偽装委託」 「名ばかり管理職」 事件
東京地方裁判所民事19部
事件番号 平成20年(ワ)9092号
裁判長「蓮井」→後に「渡辺」

おそらく、この裁判の前置として、当然不払い賃金や賠償予定の禁止違反については、監督官に申告か若しくは相談していたものと考えられます。
そこで監督官から「あんたたちは労働者なの?。そうじゃないでしょ?」という押し問答になったのだろうと思います。

労働法のテキストに民法の『雇用』の部分を入れたほうがよいでしょう。「民法」と聞いただけで引いてしまう人が多いからです。

野口悠紀雄さんの「超」勉強法のパラシュート式勉強法のように、関連部分だけ抑えておけばいいというのであれば抵当権とか制限能力とかいった民法すべてやる必要はありませんから。

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