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2014年9月28日 (日)

「働く」意味より「稼ぐ」価値

オバタカズユキさんのツイート:

https://twitter.com/obatakazu1/status/515897354122051584

自戒をこめて言うと、いつの頃からか「働く」ことの意味ばかり問うようになり、「稼ぐ」ことの価値がないがしろにされている気がする。「儲ける」じゃなくて「稼ぐ」ね。その価値を尊重してはじめて職業に貴賤がなくなるし、自分の身の丈も見えてくる。

これはすごく大事なことを言っています。

雇用労働者として働くということは、民法第623条に基づき、

雇用は、当事者の一方が相手方に対して労働に従事することを約し、相手方がこれに対してその報酬を与えることを約することによって、その効力を生ずる。

労務提供と報酬の支払いという権利と義務をお互いに持ち合う債権契約関係に入るということであり、それ以上の何物でもないのですが、

とかく「働く意味」を看板に掲げるもっともらしい変に人間論哲学めいた議論は、そういう権利義務関係としての雇用契約関係を軽視させたがる傾向にありますね。

「稼ぐ」という言葉を使うことで、労務の提供という経済的価値なるがゆえに、それに対応する報酬の支払いという経済的価値があるという、資本主義社会では当たり前のことが改めてきちんと認識されるのでしょう。

変に高級めかした「働く意味」論こそが、ブラックな労働条件に疑問を持たせずに会社の使命に「献身」させる培養土になる危険性があるわけです。

いやもちろん、そもそも党とか教団のような、そもそも最初からそういう「献身」を前提とした組織であればそれはとやかく言うべきことではありませんが、営利企業は基本的に「稼ぐ」ために雇われるものであるという原点を忘れないようにすべきでしょう。

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