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2014年9月

2014年9月30日 (火)

女性活躍推進法?

WEB労政時報に「女性活躍推進法?」を書いたと思ったら、

http://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=288

 数ヶ月前までは、当の厚生労働省雇用均等・児童家庭局の人々も、こんな作業をすることになるとはおそらく考えていなかったであろう法律案が、現在労働政策審議会雇用均等分科会において着々と形作られつつあります。今のところ「女性の活躍推進に向けた新たな法的枠組み」というラベルで呼ばれていますが、来年中頃には女性活躍推進法が成立している可能性が大です。

 もちろん、男女雇用機会均等とか男女共同参画といった法政策はかなり以前から進められてきています。男女雇用機会均等法ができたのはもう30年近く前の1985年ですし、男女共同参画社会基本法ができたのも15年前の1999年です。この間、小粒の政策は色々と繰り出されてきていますが、ここに来て女性活躍推進法などという大きな玉が飛び出してきたのは、公労使事務局含めて誰にとっても意外だったと思われます。

 今回の動きの出発点は、・・・・

その労政審雇用均等分科会で、もう早、建議まで行っちゃったようです。

https://twitter.com/sawaji1965/status/516830524220772353

女性活躍推進新法(仮称)を議論していた雇用均等分科会が終わり、報告、建議まで進みました。4時間確保されていましたが、実際は約40分でした。

続き)女性登用の現状把握・行動計画の策定・公表ですが、大企業(301人以上)が義務、中小企業(300人以下)は努力義務です。それで、開示項目ですが、

続き)状況把握の必須項目は、①採用者中の女性比率②勤続年数の男女差③労働時間の状況④管理職中の女性比率、の4つ。情報公表は、この4つに省令で定めた任意項目を加え、その全体の中から企業が選択する、ということになりました。したがって、管理職中の女性比率の公開も義務ではありません。

続き)「何を公表するかは個別企業の自由にするべき。『公表しない』というのも、市場に対する情報の開示」という使用者側の主張が反映したものと思われます。

現時点では、まだ資料もアップされていませんが、程なくアップされるでしょう。

すでに資料はアップされています。

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12602000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Roudouseisakutantou/shiryou.pdf

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自信たっぷりの時代だったから

金子良事さんのつぶやきから:

https://twitter.com/ryojikaneko/status/516903066423943171

日本って封建的という批判があった60年代より、むしろ、その後の時代に、経済以外の分野で欧米に遅れたよな。社会権思想とか、福祉意識の面で。いまだにスティグマを与える選別主義だもんな。

それはあまりにも当たり前。

政府が先頭に立って、日本はまだまだ前近代的だ、もっと欧米を見習って近代化しなければならないと力説していた時代なんだから、60年代というのは。国民所得倍増計画のあの「自虐史観」ぶりはすがすがしいものがある。

それが70年代のとりわけ後半以降、ジャパン・アズ・ナンバーワンと自らも思い込み、日本こそが超先進国なのだ、欧米なんぞに学ぶことは何一つないのだ、と自信たっぷりだった時代に、そんな経済競争力の劣った連中の社会権思想だの、福祉意識だの、愚にもつかねえことどもに一顧だにする値打ちはねえ、とふんぞり返っていたのは何の不思議もない。

そういう、日本人が日本型社会システムにやたらめったら自信を持っていた時代の遺産が、根拠の薄れた「自虐史観」嫌いの遺物が、今に至るまで社会のいろんなところにわだかまっていて、話が素直に進まない大きな原因になっているわけですよ。

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ジョブなき年功制の廃止とは?

昨日の政労使会議について、マスコミ各紙はもっぱら安倍首相が年功賃金の見直しを要請したという点に着目していますが、

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/seirousi/26-1st/gijisidai.html

現時点ではまだ、議事要旨も記者会見要旨もアップされていないので、新聞報道であれこれ論ずることは控えておきますが、提出された資料からそれに関係しそうな所をいくつかピックアップしておきましょう。

まず、内閣府提出資料の「経済の好循環実現に向けた政労使会議の再開について」に、こういう一行が含まれています。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/seirousi/26-1st/siryo1.pdf

2)労働の付加価値生産性に見合った賃金体系の在り方

これをパラフレーズするのが、高橋進さんの「政労使会議の方向性」という資料で、

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/seirousi/26-1st/siryo3-1.pdf

「2.労働の付加価値生産性に見合った賃金体系の在り方」というタイトルの下に、

賃金の絶対額のみならず、賃金構造(賃金体系)も合わせた議論が重要。

①少子化問題、 ②消費の拡大、 ③シニア層の雇用機会拡大、④非正規労働の正規化などの諸課題を解決するためにも、戦後形成された年功序列型賃金体系を見直し(賃金カーブの見直し)、労働の付加価値生産性に見合った賃金体系(職務内容・役割・成果等に応じた賃金)に移行することが必要ではないか。それにより、子育て世代の処遇が改善され、子育てしやすい環境の確保ができるのではないか。

また、賃金体系の見直しは、非正規労働者の正規労働者への転換及び非正規労働者の処遇改善につながるのではないか。

賃上げを考える場合も、子育て世代に厚くする機運を醸成することにもつながるのではないか。

これがまさに安倍発言の元シナリオですね。

年功賃金問題をそれだけでしか考えられない人は例によってそこだけ取り出してあれこれ言ってますが、言うまでもなく雇用システムはシステム論的に考えなければなりません。この問題を考える上では、5年前の拙著で書いたことですが、なぜ戦後日本で賃金制度が年功的でなければならなかったのか?をちゃんと理解する必要があります。

131039145988913400963年功賃金制度
 次に、年功賃金制度や年功序列制度について考えます。もし日本以外の社会のように、具体的な職務を特定して雇用契約を締結するのであれば、その職務ごとに賃金を定めることになります。そして同じ職務に従事している限り、その賃金額が自動的に上昇するということはあり得ません。もちろん実際にはある職務の中で熟練が高まってくれば、その熟練に応じて賃金額が上昇することは多く見られますし、それが勤続年数にある程度比例するという現象も観察されますが、賃金決定の原則が職務にあるという点では変わりありません。これが同一労働同一賃金原則と呼ばれるものの本質です。
 これに対して、日本型雇用システムでは、雇用契約で職務が決まっていないのですから、職務に基づいて賃金を決めることは困難です。もちろん、たまたまその時に従事している職務に応じた賃金を支払うというやり方はあり得ます。しかし、そうすると、労働者は賃金の高い職務につきたがり、賃金の低い職務にはつきたがらなくなるでしょう。また、賃金の高い職務から賃金の低い職務に異動させようとしても、労働者は嫌がるでしょう。これでは、企業にとって必要な人事配置や人事異動ができなくなってしまいます。その結果、職務を異動させることで雇用を維持するという長期雇用制度も難しくなってしまいます。そのため、日本型雇用システムでは、賃金は職務とは切り離して決めることになります。その際もっとも多く用いられる指標が勤続年数や年齢です。これを年功賃金制度といいます。これと密接に関連しますが、企業組織における地位に着目して、それが主として勤続年数に基づいて決定される仕組みを年功序列制度ということもあります。
 もっとも、現実の日本の賃金制度は、年功をベースとしながらも、人事査定によってある程度の差がつく仕組みです。そして、職務に基づく賃金制度に比べて、より広範な労働者にこの人事査定が適用されている点が大きな特徴でもあります。

企業側がどんな仕事でもやれと命令する強大な人事権を持っていることを大前提にすると、その下で職務給を採用するということは、企業にいくらでも好きなように賃金を左右する権限を与えることになります。

戦後、経営側があれだけ職務給にすべきだと論陣を張っていた時期もあったのに、それが結局尻すぼみになり、どこかへ消えていってしまったのは、無限定な配置転換の権限を失うことだけは絶対にできないという強い反発があったからでしょう。

逆に言えば、年功制というセーフティネットがあったからこそ、労働者側もどんな配置転換も素直に受け入れてきたわけです。

では今はどうなのか?企業側は本気で、年功賃金制の前提であった「空白の石版」型雇用契約の自由度を捨てる覚悟があるのでしょうか。欧米流に、一度契約で決めたら、合意がない限り中身を変えられないという「硬直的」な仕組みを受け入れる覚悟はあるのでしょうか。

今年初め以来の労働時間規制をめぐるドタバタ劇を見るにつけても、どうもその覚悟を決めたようには全然見えません。

しかし、雇用契約は「空白の石版」のままで、そのコロラリーに過ぎない年功賃金制だけ見直そうなんて都合の良いことがどこまで通用するのか、もう一遍じっくりと考えた方がよいように思います。

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X学園事件(さいたま地判平成26年4月22日)

先週、東大の労働判例研究会で報告した判例評釈です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/shukutoku.html

労働審判で「相手方は、申立人に対し、本件解決金として144万円を支払え」という審判が出たあと、雇用が継続しているか否かが問題になったという興味深い事案です。

先日の佐々木亮さんたちの本についてコメントしたことともつながる問題で、これは是非多くの人に論じて欲しい論点です。

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論者4類型

世の中に存在する論者と言われる人々には4つの類型があります。

1.自分の自信のある分野でのみ、まともなことしか言わない人(自信のないよその分野には余計な口出しをしない)

2.主として自分の分野でまともなことを言っているのに、たまによく知らないよその分野に口出ししてトンデモを露呈する人

3.たまに自分のよく知ってる分野でまともなことをいうのに、いつもやたらによく知らないよその分野にばかり口出ししていつもトンデモを露呈する人

4.自分のよく知らない分野で無知を露呈するだけではなく、自分の専門分野と称していることについてもトンデモなことばかり言ってる人

敢えて誰がどの類型に属するとはいいませんが、一人だけ誤解を避けるために申し上げておけば、本ブログでいろいろもめたこともある池田信夫氏は、本人の自己認識はともかく、私の認識では電波関係のみがその専門分野であり、それを前提とする限りにおいて、第4類型ではなく、第3類型に属します。

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2014年9月29日 (月)

和歌山労働局と和大経済学部が労働・雇用教育で連携

和歌山放送ニュースに、標記記事が出ています。

http://wbs.co.jp/news/2014/09/29/49239.html

3f04bb504813a8cc0126d16eab2b9389400 厚生労働省・和歌山労働局と和歌山大学経済学部が、労働や雇用に関する教育を進めるため連携することになり、きょう(29日)午前、和歌山大学で両者の代表が協定書に署名しました。

これは、いわゆる「ブラック企業」問題や、女性の労働環境の問題などに関心が高まるなか、学生に労働や法律の知識を学んでもらおうと、和歌山労働局と和大経済学部が連携するものです。

今年度(2014年度)後期に、15回にわたる「労働行政実務」の講座が開講し、和歌山労働局の楪葉伸一(ゆずりは・しんいち)局長をはじめ課長や課長補佐が講師となって、労働法の知識や女性の活躍促進、ワークライフバランスや労働者派遣など、労働に関するさまざまな問題や課題を、和歌山労働局が行っている施策や具体例を交えて講義します。

和歌山労働局によりますと、労働局と大学の連携は各地で行われていますが、定期的な講座を開くのは和歌山労働局が全国で初めてだということです。

出前講義みたいなのはけっこうされていますが15回にわたる講座というのは本格的ですね。

和歌山大学がそこまで熱心になる理由は、

また吉村学部長は「我々はこれまでに近畿税理士会や民間企業などと連携を図ってきたが更に拡大した。女子学生やアルバイトをしている学生が多いので、労働問題への知識を高めて欲しい」と期待を寄せていました。

ということにあるようです。これはしかし、全国の多くの大学にも共通のことでしょう。

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「学び直しはどこでやる?」@『全国労保連』9月号

『全国労保連』9月号に「学び直しはどこでやる?」を寄稿しました。

 今年3月に改正された雇用保険法により、教育訓練給付に専門実践教育訓練というコースが設けられ、大変手厚い給付が受けられることになりました。これは、昨年6月に取りまとめられた「日本再興戦略」において、「行き過ぎた雇用維持型から労働移動支援型への政策転換」の一環として、「若者等の学び直しのための雇用保険制度の見直し」が盛り込まれたことが直接の出発点です。そこでは、「非正規雇用労働者である若者等がキャリアアップ・キャリアチェンジできるよう、資格取得等につながる自発的な教育訓練の受講を始め、社会人の学び直しを促進するために雇用保険制度を見直す。労働政策審議会で検討を行い、次期通常国会への改正法案の提出を目指す。あわせて、従業員の学び直しプログラムの受講を支援する事業主への経費助成による支援策を講ずる。」と書かれていました。
 ただ、この考え方の発端は、それに先立つ4月に内閣府に設置された専門チーム(清家篤座長)が取りまとめた「成長のための人的資源の活用の今後の方向性について」で、「変化に対応するための学び直しの推進」という項目を立てて、「効果的な学び直しを行うための良質な教育訓練機会の確保とともに個人の意欲を喚起しつつ、意欲ある者に手厚い支援を行うた必要がある。ただし、その際には公的支援と自己負担を組み合わせるなどモラルハザードが生じない仕組みを工夫する必要がある」と述べていました。
 この動きを受けて、同年5月から労政審雇用保険部会と職業能力開発分科会で審議が開始され、同年12月にそれぞれの報告が出されました。翌2014年1月に法改正案を国会に提出し、同年3月に成立。その後指定基準の諮問答申を経て、今年10月から実施される予定です。
 この給付は、「受講者が支払った教育訓練経費のうち、40%を支給(年間上限32万円)。更に、受講修了日から一年以内に資格取得等し、被保険者として雇用された又は雇用されている等の場合には20%を追加支給(合計60%、年間上限48万円)。給付期間は原則2年(資格の取得につながる場合は最大3年)」と、大変手厚いので、対象となる講座がどのようなものであるかは極めて重大です。指定基準では「業務独占資格・名称独占資格の取得を訓練目標とする養成施設の課程」、「専門学校の職業実践専門課程」、「専門職大学院」の3つが挙げられています。
 最初のものは「○○師」「○○士」といった職業資格の取得を目指すコースなのでよくわかりますが、2番目と3番目は専門学校と大学院の授業料を雇用保険財政でまかなってあげるような制度になっています。これらが入っているのは、ここ数年来の政府の政策として、高等教育レベルでの職業教育機関を確立していこうという方向が打ち出されているからです。しかし、肝心の教育界自身がなかなかそれに踏み切れないために、専門学校と大学院というおかしなコンビになっているのです。
 実は、文部科学省の中央教育審議会は、2008年からキャリア教育・職業教育特別部会を設置し、審議を重ねて2011年1月に「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」を答申しています。ここでは、高等教育レベルで新たな「職業実践的な教育に特化した枠組」を設けることを提起しています。議論の過程では「職業大学」という言い方もされていて、日本の大学の位置づけを大きく変える可能性も秘めていました。しかし、その後文部科学省における検討では専修学校の枠内に職業実践課程を設けるということに矮小化されてしまいました。もともと職業実践的な教育機関である専修学校に改めて職業実践専門課程を置くというのはいかにも意味不明ですが、報道によると、これは大学・短大関係者の異論のせいだということです。
 ところが、皮肉なことに、その大学の上に位置する大学院の方は、既に2002年の学校教育法改正で、高度専門職業人養成のための修士課程を「専門職大学院」と称するようになっていました。大学院と専修学校は職業教育機関として位置づけられるようになっているのに、その間の膨大な(同世代人口の半数を超える)学生数を抱える大学は、いまだに「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させること」が目的で、職業教育機関ではないことになっています。
 昨年来の政策動向で、学校教育法上職業教育機関と位置づけられている専門学校の職業実践専門課程と、同じく職業教育機関と位置づけられている専門職大学院の二つが手厚い教育訓練給付の対象となったわけですが、職業教育機関なんかではないぞと虚勢を張り続けた大学は、その対象にはなれなかったということですね。しかし、大学を出てさらに大学院に進学するような社会的には相対的に恵まれた人々により手厚い給付を与えて、そんな余裕のない普通の大学進学者にはその機会がないというのは、社会の公平さという観点からするといささか疑問も湧きます。
 そんな中で、最近興味深い政策の動きがありました。官邸に設置された教育再生実行会議が、2014年7月に「今後の学制等の在り方について」という第5次提言を出し、その中で、「実践的な職業教育を行う高等教育機関を制度化する」とされているのです。曰く:「社会・経済の変化に伴う人材需要に即応した質の高い職業人を育成するとともに、専門高校卒業者の進学機会や社会人の学び直しの機会の拡大に資するため、国は、実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関を制度化する。これにより、学校教育において多様なキャリア形成を図ることができるようにし、高等教育における職業教育の体系を確立する。具体化に当たっては、社会人の学び直しの需要や産業界の人材需要、所要の財源の確保等を勘案して検討する。」
 今後、この「職業大学」が現実化していくと、そこでの「学び直し」についても手厚い教育訓練給付の対象として盛り込まれていくことになる可能性があります。

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金子良事『日本の賃金を歴史から考える』書評@大原雑誌がイミフ

13378『大原社会問題研究所雑誌』9/10月合併号に、金子良事『日本の賃金を歴史から考える』の書評が載っているというので、楽しみに読み始めたのですが・・・・・

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/671-672/index.html

正直、意味不明というか、いろんなことが書かれている割に、私が読んで面白いと思ったところはスルーされていて、どういう観点から何を言いたいのか結局よくわかりませんでした。

書かれた金子さん自身はよくわかっているのかどうなのか、ぜひ聞いてみたい気もします。

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hamachan先生がやっていること

金子良事さんが5年も前に見事に説明してくれているので、そんなことはみんなわかって読んでくれているものだと思っていましたが、そうでもなかったようです。

http://anond.hatelabo.jp/20140926094846(hamachan先生がやっていること )

研究とは通常、曖昧な二分法から出発し、正確なモデルの構築へと進んで行きます。しかし、hamachan先生の話がやっているのは、正確なモデルへと歩を進めていたものすべてを2つのブラックボックスにまとめ上げて、これはメンバーシップ型、これはジョブ型と言って喜んでいるだけです。何も予測しませんし、どんな出来事についてもほぼすべて説明を付けることができます。何でも説明できるものは何も説明していないものと同じ程度にしか役に立ちません。これは進歩とは言えません。

世の中のある種の学問をやっている人々にとっては、「これはメンバーシップ型、これはジョブ型と言」うところで話は終わりなんだな、と改めて感じ入りました。そこが終着点だから、そこに至るまでが、正確なモデルを構築するところまでが肝であり命であり、その先に残っているのは「喜んでいるだけ」の世界。スバラ式純粋学問の世界。

別のタイプの学問、というよりもむしろ実践においては、その分類が出発点で、そこからリストラだの労働時間規制だの女性問題だの様々な様々な現実課題に対する処方箋をどう書いていくかという本論が始まります。実戦用の分類だから、やたらめったら事細かに分類して見せたところで、現実の政策を動かす人々を動かすことはできないし、結局何の役にも立たない。ある程度ざっくりとしかし本質に触れる分類であることにより、処方箋の切れ味が冴えたり鈍ったりする。

これは別にどっちが優れているとか劣っているとかいう話ではないのですけれど、そこをごっちゃにすると話がワケわかめになりがちです。

そこのところを見事に説明した金子さんの5年前のエントリ:

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-48.html(単純な構図化とプロパガンダ)

・・・政策は設計する段階では、いろいろと複雑な事情をそれこそ十重二十重に考える必要があるが、訴える段になったら、単純でなければならない。その意味で本来、政策提言はその内容を問うまでもなく、少なからずプロパガンダ的性格を持たざるを得ないのである。まず、政策提言を読むときには、こうした性格を知る必要があるだろう。

ただ、ここで書いた注意事項は優れた現実感覚を持つ人の政策提言を読むときに限る。この点を次回、もう一つ、詳しく書いてみよう。

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-49.html(実現可能性のない政策論は意味がない)

昨日、書いたエントリで、「優れた現実感覚を持つ人の政策提言」という表現を書いた。では、私の考える優れた政策提言とは何かを書いておきたい。一言で言うと、実際の政策として実現する可能性の高いものが優れた政策提言である。・・・

世には政策論議が多いが、そのほとんどはこの規準に照らし合わせればゴミである。どうも政策提言を自分の使命のように考えて論文を書く人もいるが、自分の提言がどのようなプロセスを経て、政策として実現するのか、あるいは実際の政策立案者にダイレクトに影響を与える、というような青写真がなければ、画に描いた餅である。それでもその描き方が秀逸であれば、一つの作品としての価値があるが、それさえもないのであれば、存在価値自体に疑問を持たざるを得ない。学会などに行くと自分は何十年もこの政策を訴え続けてきたが実現していないと声高に主張する人がいるが、自分の政治的無能さを公言しているようなものである。まったく恥ずかしい話だ。・・・

もちろん、どっちを恥ずかしいと感じるか感じないかは、その人に依るわけですが。

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2014年9月28日 (日)

「ゆるい就職」?

なんだか、「ゆるい就職」なるものが流行っているようですが、

http://yurushu.jp/

ゆるいのは就職の形態であり、仕事そのものはそんなにゆるくありません

いうまでもなく、週3日勤務なんてのは、法律上全く自由にやれるものであり、やりたければやればいいだけのものでなんでそれが「新しい」だの「実験的」だのという形容詞がつくのかさっぱりわかりませんが、まあ人材ビジネスであるビースタイルの宣伝文句であるなら世にいくらでもある話なので、とやかくいう話ですらありません。そこに大学の名前を権威主義的に振りかざそうという変な思惑がなければ、ですが。

ちなみに、ずっと昔から、所定労働日数の少ない労働者への年次有給休暇の付与日数について、労働基準法に規定がされていますので、そういう(どこがゆるいのかよくわからない)「ゆるい就職」なんてのは法の前提であったわけです。

比例付与(図表2).png

そう、雇用契約に基づいて労務を提供し、報酬を受け取るという契約関係である限り、ゆるいも何も、その所定労働日数に応じた義務と権利を負うというだけですからね。

それはメンバーシップ型の「入社」ではないというだけの話。労働法の基本原理からすれば、立派な「就職」です。仕事の中身が決してゆるくもないのに、それを「ゆるい就職」などという看板で売り出そうということ自体が、いかがなものかと思いますがね。

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「働く」意味より「稼ぐ」価値

オバタカズユキさんのツイート:

https://twitter.com/obatakazu1/status/515897354122051584

自戒をこめて言うと、いつの頃からか「働く」ことの意味ばかり問うようになり、「稼ぐ」ことの価値がないがしろにされている気がする。「儲ける」じゃなくて「稼ぐ」ね。その価値を尊重してはじめて職業に貴賤がなくなるし、自分の身の丈も見えてくる。

これはすごく大事なことを言っています。

雇用労働者として働くということは、民法第623条に基づき、

雇用は、当事者の一方が相手方に対して労働に従事することを約し、相手方がこれに対してその報酬を与えることを約することによって、その効力を生ずる。

労務提供と報酬の支払いという権利と義務をお互いに持ち合う債権契約関係に入るということであり、それ以上の何物でもないのですが、

とかく「働く意味」を看板に掲げるもっともらしい変に人間論哲学めいた議論は、そういう権利義務関係としての雇用契約関係を軽視させたがる傾向にありますね。

「稼ぐ」という言葉を使うことで、労務の提供という経済的価値なるがゆえに、それに対応する報酬の支払いという経済的価値があるという、資本主義社会では当たり前のことが改めてきちんと認識されるのでしょう。

変に高級めかした「働く意味」論こそが、ブラックな労働条件に疑問を持たせずに会社の使命に「献身」させる培養土になる危険性があるわけです。

いやもちろん、そもそも党とか教団のような、そもそも最初からそういう「献身」を前提とした組織であればそれはとやかく言うべきことではありませんが、営利企業は基本的に「稼ぐ」ために雇われるものであるという原点を忘れないようにすべきでしょう。

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荒木尚志編『社会変化と法』

0113630荒木尚志責任編集『岩波講座現代法の動態3 社会変化と法』(岩波書店)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?head=y&isbn=ISBN4-00-011363

この講座自体錚々たる編集委員たちによる意欲的なものですが、この巻は荒木さんの周到な総論に続いて、下記のような中堅若手による論考が載っています(正確には、若手は二人か)。

I 雇用社会の変化と法

雇用社会の変化と法の役割  荒木尚志

非正規雇用と法  水町勇一郎

雇用社会の変化と新たな平等法理  富永晃一

雇用社会の変化とセーフティネット  菊池馨実

職場の変化と法  水島郁子

II 家族・ライフスタイルの変化と法

家族の変化と労働法  両角道代

高齢化社会における雇用と引退  森戸英幸

社会保障における「個人」・「個人の選択」の位置づけ  笠木映里

税・社会保障と情報  藤原靜雄

荒木さんの総論は、荒木さんらしくわずか25ページに本当にまんべんなく問題点を示しその方向性を簡述するものです。なにしろ、こんな一節もちゃんと入っています。

(3) いわゆるブラック企業の登場

さらに近時注目を集めているのが、いわゆる「ブラック企業」と指弾されている、コーポレート・ガバナンスの要諦である法令遵守意識が希薄で、過重労働・違法労働で労働者を使い捨てるような企業である。かつて正社員については長期雇用システムにおいて長期的な安定雇用の見返りとして使用者の指揮命令に柔軟に対応する雇用関係が認められてきたところ、そうした雇用安定の保障もなく、使い捨てるような働かせ方が批判を集め、厚生労働省も2013年9月には「若者の「使い捨て」が疑われる企業等への重点監督」を実施した。

以上のように、正社員を標準モデルとした長期雇用システムは、多様な労働者の多様な就業を前提としたシステムへと変容し、他方当事者である使用者もその性格を変容させつつある。こうした雇用システムの変化は、法にどのような変化を迫っているであろうか。

最後の結語の直前には、労働法教育の必要性への言及もされています。まあ、本当にまんべんない文章です。

で、その総論を受けて、上の目次のような各論がそれぞれの領域について詳しく論じているのですが、残念ながら荒木総論でかなり言及されているにもかかわらず、各論で受けられていない分野が労使関係の話なんですね。

昨年のJILPT研究会報告書をはじめとして、昨今の労働時間法制見直しの動きでも集団的労使関係システムのあり方が大きな論点になってくるであろうと思われることを考えると、この欠落はかなり残念です。

実は、昨日の現代の理論・社会フォーラムでの講演でも、終了後、労使関係の話がないじゃないかという質疑が出されまして、いやそれは単に時間の関係だったんですが、やはりその話なくては締まらないとは思いました。

今回の講座では、やはり労使関係に一章割いて欲しかったなとは感じます。

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2014年9月26日 (金)

中澤誠・皆川剛『検証  ワタミ過労自殺』

0259430

中澤誠・皆川剛『検証  ワタミ過労自殺』(岩波書店)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?head=y&isbn=ISBN4-00-025943

「体が痛いです.体が辛いです」.二〇〇八年,外食産業ワタミに入社して二カ月,二六歳の女性が悲痛な叫びを書き残して命を絶った.死後,両親の調査などにより,不正で過酷な勤務実態が明らかになる.早朝にまで及ぶ長時間労働,休日のレポート作成や早朝研修…….ワタミ内部の問題にも迫り,事件とその後の動きを検証する.

今やブラック企業の代名詞ともなったワタミの過労自殺事件を丁寧に追いかけたすぐれたルポですが、それとともに、労働問題には無知で、最初には弁護士に「サブロクって何ですか?」と尋ねるような状態から出発した新聞記者たちが、現代日本の労働時間法制の問題点を見事にえぐり出すような文章を綴るまでに至った成長のあとの記録でもあります。

目次とプロローグが「立ち読み」可能になっているので、ぜひ目を通していただければと思いますが、

http://www.iwanami.co.jp/.PDFS/02/1/0259430.pdf

読みでのあるところはそのもっと先ですので、ぜひ本屋さんでほんとに立ち読みして確認してください。

(追記)

というだけで終わると、言うことあるだろ、という声がかかりそうなので一言だけ。

彼女の死を無駄にしてはいけないと言いつつ、だから残業代ゼロケシカラン、という話に終わってしまうというのが、一番彼女の死を無駄にしてしまうたぐいの議論なんですよ。

天守閣が大事か、櫓が大事か。

何のことかわからない人は、数日後に出る予定の『POSSE』の渡辺輝人さんとの対談をどうぞ。

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駒村康平『日本の年金』

S1501p駒村康平さんの『日本の年金』(岩波新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。

駒村さんとは今まで何回か連合総研の委員会などでご一緒させていただいてきましたが、今回の本はタイトルからも決定版ということですね。

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1409/sin_k785.html

この本で紹介したように公的年金制度は、保険料、給付額のみならず支給開始年齢も変更されることがあり、これが加入者からは制度不信の理由にされることが多い。しかし、こうした調整ができるからこそ公的年金は社会・経済の急激な変化に対応できるということを忘れるべきではないであろう。公的年金制度は「生き物」であり、その時々の変化に迅速に対応する必要なのである。政治が世代間、世代内の利害調整を厭い、その場しのぎの近視眼的な対応、弥縫策をくりかえせば、それこそが公的年金制度にとっては最大のリスクになる。

版元HPに載っている上の文章は「あとがき」の一節ですが、実はその直前のパラグラフに、大変重要な言葉が書かれています。

・・・急激なグローバル経済の中、予期しない経済変動から市民のセーフティネットを守るために社会保障の役割は大きくなるべきである。しかし、高齢化社会の中、経済が沈滞化し、財政負担に余裕がない日本では、ナショナルミニマムを担う部分は普遍主義的な社会保障制度の構築、ナショナルミニマムを超える部分は市場メカニズムの活用、地域福祉は地域の互助を組み合わせた、「中庸の思想」で乗り切るしかないと考える。

そう、社会保障に限らず、労働問題についても、この「中庸の思想」をどこかに置き忘れてきたような、わざと極端な議論をもてあそぶ手合いが政策論の品質をどんどん落としていくのですよ。

ちなみに、岩波新書1500点ということで、字が大きくなったそうです。たしかに、そうなってますね。もしかして読者層の高齢化に対応したとか?


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2014年9月25日 (木)

欧州諸国の労働協約システム―労働条件決定と労使関係@『BLT』

201410『ビジネス・レーバー・トレンド』10月号は、「欧州諸国の労働協約システム―労働条件決定と労使関係」が特集です。

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2014/10/index.htm

巻頭コラム 労働条件決定システムの日欧比較の意義 石田 光男 同志社大学社会学部教授

いま、ヨーロッパ諸国の労働協約を分析する意味 濱口 桂一郎 主席統括研究員

ドイツにおける産業別労働協約システムの現在 山本 陽大 研究員

フランスにおける産業別労働協約システムの基本構造とその現状 細川 良 研究員

スウェーデンの労使関係―労働力取引の実態から 西村 純 研究員

山本、細川、西村各研究員によるそれぞれが執筆した報告書の要約版と、わたしの前書きみたいなのと、さらに巻頭コラムとして、西村さんの恩師でもある石田光男氏のエッセイが載っています。

これが絶品です。これが載るんなら、私がつまらん前書きを書く必要もなかった。

労働条件決定システムの日欧比較の意義 石田 光男 同志社大学社会学部教授

労働条件決定システムの比較研究の意義を書こうと思う。

日本に住んでいると賃金は企業で決定されるのが当たり前で、それ以外の決定があり得るのかなど考えもしない。あるいは、また、賃金は一人一人の働きぶりによって個人差が付くのは当たり前だと思いがちである。あるいは、大企業と中小企業では賃金の差があるのはやむを得ないことだと考えがちである。そんな我々にとってよくヨーロッパの賃金は産業別決定であると聞いても、あるいは、個人差がつかない賃金だとか、大企業も中小企業もさほど賃金の差がないと聞いても身にしみてその意味をよく考えることはない。よくわからないままに放置される。

私は若い頃、何の因果かイギリスの労働事情を勉強するはめになって、やむを得ず本や資料を我慢して読んだが、そこにはわからない言葉がちりばめられていた。・・・・・・・これを一つ一つ「ああ、何とわかりやすいことだったのか」と言えるためには、現地に行き、その実務に従事している人事の職員や労働組合役員や職場委員に具体的に説明してもらう必要があった。真理は細部に宿るという言葉通り、実務レベルまで降りてみないと、労働条件決定システムはわからないのである。

それがわかると、日本のシステムの見方が変わる。何故、日本は生産性交渉も所得政策も制限的作業慣行も無縁な国なのか。何故、職務柔軟性は当たり前の国なのか。そのことを説明できる私たちの言葉は用意されているのかを真剣に考えるようになる。日本だけ勉強していてもそういう必要に迫られることはまずない。・・・・・・・

集団的労使関係つながりでいうと、トピックスの欄に「 集団的労使関係/「過半数代表制」の適切な運用に向けた考え方を整理――連合」が載ってます。これは1か月経たなくても今から読めますので、目を通してください。

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2014/10/046-047.pdf

連合(古賀伸明会長)はこのほど、「『過半数代表制』の適切な運用に向けた制度整備等に関する連合の考え方」をまとめた。・・・

なお、三研究員のそれぞれの研究報告書はこちらから読めます。

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2013/documents/0157-1.pdf(ドイツ編)

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2013/documents/0157-2.pdf(フランス編)

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2014/documents/0165.pdf(スウェーデン編)

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なんだか最後が尻すぼみ

41mvhocvl人によっていろんな感想があるんだな、と。

https://twitter.com/JyunShibuya/status/514729046035296256

濱口桂一郎『日本の雇用と中高年』読んだ。知的熟練論というロジックの罠は 面白い指摘だった。

しかし、なんだか最後が尻すぼみだった。やはり、日本の雇用システムの問題は根が深く、それを解決する現実的な施策をだすのは難しいのだと感じた。

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職種無限定

職種無限定ゆえに、少子化で塾講師の仕事がなくなっても介護の仕事で雇用が維持できて良かったね、と見るのか、職種無限定ゆえに塾講師が介護までやらされる酷い話、と見るのか、そこが分かれ目。

http://www.asahi.com/articles/ASG9C4C8XG9CULFA00P.html(ベテラン講師を介護に配転 塾産業、少子化という難問)

埼玉県川越市のデイサービス施設「ココファン川越」。塾大手の「市進ホールディングス」が昨年7月、7階建ての自社ビル1階を改築して開いた。生徒が減って使い道がなくなったスペースと、人材を有効活用するためだ。

ビルには、小中学生向けの学習塾「市進学院」や高校生向けの「市進予備校」などが入る。1990年代後半には、生徒が入りきらず、近くのビルに教室を間借りしたこともあった。だが、今や生徒はピーク時の3分の1以下の400人に減った。

そこで考えたのが、一部のベテラン講師を介護などほかの事業に配置転換する策だ。下屋俊裕社長(61)は「講師は若ければ若いほど、生徒に慕われる傾向がある。雇用維持と企業存続のためには仕方ない」。

今日は塾の先生の話ですが、明日は大学の先生の話かも知れませんよ。

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2014年9月24日 (水)

日本の労働協約法制の話かと思ったら疎開先の芋の話だったり、ドイツの労働協約法制の話かと思ったら青島ビールの話だったり、というのは、よくわからないのは私だけなのかな。

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働かないおばちゃん問題

https://twitter.com/yamachan_run/status/514621723883237377

「働かないおばちゃん問題」って、労働言論界隈でほとんど聞かないよな。「男性・正社員・大企業」が問題構造の基本枠組みになっているからなんやろうか?

(参考)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/olgata.html(「OL型女性労働モデルの形成と衰退」 『季刊労働法』234号 )

住友セメント事件(東京地判昭41.12.20労民集17-6-1407)より会社側主張

 被告は、昭和33年4月、爾後採用する女子職員のみにつき次の制度を採用した。すなわち、女子職員を、専らタイプライターによる印書、電話交換業務のほか、比較的軽度の経験技能をもつて処理することができ高度の判断力を必要としない補助的事務のみに従事させることとした。ここに補助的事務とは、文書の発受信、コピーの作成、事務用品の配布、使い走り、来客の取りつぎ、清掃、お茶汲み、その他男子職員の指示による計算、文書の浄書整理、電話連絡等の事務を指称し、業務計画立案、調査、研究報告、物品保管受払等の事務を含まない。そして、後者は男子職員のみが取扱うものとした。よつて、被告は、それ以後職員に関して採用資格につき、男子は大学又は高校卒、女子は原則として高校卒に限り、採用手続につき、男子は本社採用、女子は事業場において欠員の生じた都度採用とし、採用後の身分につき、男子は当初最下級の雇員であるが以後逐次昇進して幹部従業員となり得、他の事業場へ配置転換され得る。女子は結婚までの腰かけ的勤務であるから雇員以上に昇進せず、他の事業場へ配置転換されないと定めるなど、男子職員と女子職員との差異を明確にした。特に、被告は右時点以降、女子職員の採用に当り、「結婚又は満35才に達したときは退職する」ことを労働契約の内容とする旨定めて、その旨の念書をこれらの者から提出させ、もつて被告はこれらの者が結婚したとき解雇し得ることとした。

 わが国においては、一般に賃金は男女の別によりかなりの格差があり、とくに高年層において顕著であるが、被告は男女同一賃金の原則に徹し、高校卒の職員については、初任給、爾後の昇給とも、成績査定により生ずる差を除けば、年令を問わず男女同一の賃金を支給してきた。その根拠は次のとおりである。被告において大多数の女子職員は、前述の補助的事務に限り従事せしめられるが、男子職員は前述のように女子職員に比し責任の重いかつ企業に対する貢献度の高い事務に従事せしめられるのであるから、むしろ男子職員の賃金を女子職員のそれより高くすることが合理的である。しかし、結婚前の女子は、既婚女子に比して家事等に煩わされず、したがつて、被告の業務に寄与する程度が比較的高いので、被告はこの点を考慮して、労働に対する対価のほか結婚準備金の意味も含めて、女子職員の賃金を男子職員のそれと同額と定めていたわけである。

 ところで、これらの女子職員は、補助的事務に従事する場合であつても、細かい注意力、根気、正確性を必要とするのに、結婚後において、託児施設その他結婚後も勤務を継続する諸条件が整つていないため、家庭本位となり、欠勤がふえ、前示の適格性を欠き、その他労働能率が低下するのである。それにも拘らず前記賃金制度のため、これら長期勤続の女子職員は、これよりも責任ある地位に就いている男子職員(ことに大学卒業者)に比しより高額の賃金を給せられるという不合理が生ずるに至つた。そこで、被告の男子職員らの多数から、この不合理の是正を求める要望が強まつていた。

 この要望に対処して、なお男女職員の実質的平等を実現するには、女子職員の賃金体系を男子のそれと均衡のとれるように低下させ、女子が他社なみの低賃金で永く勤められるようにするか、女子職員の賃金体系をそのままにして雇入条件につき男子のそれと別異の定めをなし、女子を高賃金で結婚までの短期間に限り特定の職種につき雇うかの二方法が考えられる。被告は、女子職員を比較的労働能率の高い結婚前のみ雇傭して企業経営の効率的運用に寄与させる方針の下に、原則として後者の方法を選ぶこととした。

 これは女子職員にとつてもその間他社に比し高い賃金を得ることとなり有利である。

東急機関工業事件(東京地判昭44.7.1労民集20-4-715)より会社側主張

 会社は、その業務のうち事務系の業務でしかも特別の技能、経験を必要としない補助的な作業(以下「軽雑作業」という。)に従事させるために、少数の女子従業員を採用しているがこのような女子従業員の賃金が他の本来的業務又は技術、経験を必要とする業務に従事している者の賃金と同様に毎年一律に上昇して行くような状態が継続することは、合理性に欠け従業員の士気を低下させるばかりでなく、経営の合理化を妨げることにもなるので、能率の点等も考慮し、女子従業員については停年を三〇才とすることによりこの問題を解決しようとした。

 昭和四一年度の賃金増額要求についても、組合は一律上昇方式を主張して来たので、会社が右の解決案を提案したところ、組合も右方式によれば、女子従業員について会社の主張するような弊害が生ずることを認めて、本協定を締結するに至つたものである。

 なお、会社が一般に女子従業員に担当させている軽雑作業とは、秘書補助業務、文書整理・受発信業務、人事労務関係手続業務、給与計算補助業務、和文タイピスト、出納補助業務、各種伝票等の整理・記帳・保管等の業務、事務用品等に関する各課々内庶務業務等である。

 右のように軽雑作業は、その性質上単純でしかも代替可能な作業であり、従つてまた業務上の判断を必要とせず、その責任の軽い作業ということになる。その結果、配置転換や昇進、昇格も少く、女子の職場内における地位は一般に低いが、殊に賃金については、平均して男子よりも低い上に、年令的な上昇の割合は平担であり、従つて男子との賃金の差は、年令が高くなる程大きくなるのが一般の例である。これに反し、会社における女子従業員の場合は、前述のように、職務は全く補助的であるのに対し、賃金のみは年令が高くなると共に高くなり、高度の熟練、技能を必要とする等の業務に従事している男子との間に殆んど差がないという不合理があつた。

 以上のような状況において、女子が結婚せずに又は結婚して勤務を継続すると、モラルと生産能率の低下を生ずることになる。すなわち、職務が特別の技能、経験を必要としないので、短期間にこれに習熟して能力的に伸びる余地がなくなり、また業務上の責任も軽く、昇進、昇格することもない為、責任感に乏しく、自主性がなく、積極性がなく職業意識に欠ける等々そのモラル及び生産能率は低下することとなる。殊に既婚者の場合には、自分が家事責任を負担することが多く、この為、家庭管理、家事労働、育児等について責任をもたなければならないこととなつて、勤務に支障を生ずることとなつている。

 会社においても、右のような事情は全く同様であるから、本協定に定める停年制は全く合理的なものであつて、何ら公序良俗に反するものではない。

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もともと共産党は反米民族主義だったような・・・

元日本共産党中央委員会常任幹部会委員の筆坂秀世氏が書いたこれが結構話題になっているようですが、

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41772(戦後「左翼」の罪深き思考停止)

私は相当前から、日本の政党の中で最も“親米的”な政党は、実は日本共産党ではないかと思ってきた。

・・・なぜ日本に、日本人に、もっと誇りを持てないのか。日本を貶めて何が嬉しいのか。朝日新聞や共産党、社民党、進歩派を自認する人々に言いたいのは、このことだ。

一見、元共産党幹部が「転向」したみたいですが、私にはむしろ「先祖返り」に見えます。

実際、ある年齢以上の人にとっては、むしろ日本共産党(やその周辺の人々)こそが、自民党政権が(内心持っていたとしても絶対に外向けには出せなかった)反米ナショナリズムを極めて素直に露骨に出していた政治集団であったように思われますが。

確かに、終戦直後(ほんとに直後だけ)は米占領軍を解放軍と思ったこともあったようですが、すぐに弾圧されてレッドパージとかの対象になり、その後長い間、いわゆる反米右翼が世間の表面に出られなかった間、民族の正義を掲げてアメリカを糾弾するという反米ナショナリズムの受け皿になってきたわけで、その辺の消息がかなりの程度忘れられてきたことが、こういう文章が受ける土壌でもあるのかも知れません。

Photoその辺の歴史を知らない人にとっては、こういう本を読むといいでしょう。

私たちは「戦後」を知らない
あなたは、共産党が日本国憲法の制定に反対し、社会党が改憲をうたい、保守派の首相が第九条を絶賛していた時代を知っているだろうか。戦後の左派知識人たちが、「民族」を賞賛し、「市民」を批判していた時期のことをご存じだろうか。全面講和や安保反対の運動が「愛国」の名のもとに行なわれたことは? 昭和天皇に「憲法第九条を尊重する意志がありますか」という公開質問状が出されたことは?
 焼跡と闇市の時代だった「戦後」では、現在からは想像もつかないような、多様な試行錯誤が行なわれていた。そこでは、「民主」という言葉、「愛国」という言葉、「近代」という言葉、「市民」という言葉なども、現在とはおよそ異なる響きをもって、使われていたのである。

本ブログの用語法に惹き付けていえば、左翼がまだ「リベサヨ」なんかじゃなかった時代ってのがあり、共産の若い連中はそれこそ「祖国と学問のために」活動してたわけです。

時は流れ日は移り、共産党までがまるでリベサヨめいたことをいうようになる時代は、りふれは近辺のネトウヨっぽい人々が支那朝鮮叩きでは飽き足らず、戦後保守派からしたら許されざるはずの宗主国アメリカを攻撃する時代でもあるわけで、そういう中で、昔の共産党風の反米民族主義を打ち出すと、なんだかやたらにネトウヨっぽく見えるという現象でしょうか。

これは、昔の諸君正論に書いていた人々が最近の産経まわりを見たら眉をひそめるだろうというのとちょうど対称をなしているわけですが、なんにせよ、戦後史が歴史知識に入っていない人々が多いと、こういう話もなかなか伝わりにくいわけです。

(参考)

民族の自由を守れ
蹶起(けっき)せよ 祖国の労働者
栄(は)えある革命の伝統を守れ
血潮には 正義の血潮もて叩きだせ
民族の敵 国を売るいぬどもを
進め 進め 団結かたく
民族独立行動隊 前へ前へ進め

民族独立勝ちとれ
ふるさと 南部工業地帯
ふたたび焦土(やけつち)の原と化すな
暴力(ちから)には 団結の実力(ちから)もて叩きだせ
民族の敵 国を売るいぬどもを
進め 進め 団結かたく
民族独立行動隊 前へ前へ進め

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2014年9月22日 (月)

「『日本再興戦略』改訂2014」施策の主な実行状況

先週18日に開かれた産業競争力会議の資料がアップされていますが、

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/skkkaigi/dai19/siryou.html

その中に「「『日本再興戦略』改訂2014」施策の主な実行状況」というのがあって、労働関係では次のようになっています。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/skkkaigi/dai19/siryou2_3.pdf

雇用制度改革・人材力の強化

【働き過ぎ防止のための取組強化】
→来年度に向け、労働基準監督官の増員を要求。長時間労働抑制策について労働政策審議会で検討中。

【時間ではなく成果で評価される制度への改革】
→次期通常国会への法案提出に向け、労働政策審議会で検討中。

【予見可能性の高い紛争解決システムの構築】
→「あっせん」事例について調査を開始。諸外国の関係制度・運用に関する調査研究を開始。

女性の活躍推進

【放課後子ども総合プランの策定】
→7月31日にプランを策定し、文部科学省と厚生労働省連名で地方自治体に通知を発出。本年秋に次世代育成支援対策推進法に基づく「行動計画策定指針」を定め、年度内に地方自治体に計画の策定を求める予定。

【企業における女性登用の「見える化」】
→8月22日、「企業内容等の開示に関する内閣府令」の改正案を公表し、有価証券報告書に女性の役員比率を記載する案のパブリックコメントを実施。次の株主総会シーズン以降、開示される予定。

【女性の活躍推進に向けた新たな法的枠組みの構築】
→次期国会への法案提出を目指し、8月7日から労働政策審議会において民間事業者に係る措置について議論を開始。

ちなみに最後の女性活躍推進法については、労政審雇用均等分科会に「新たな法的枠組みの構築に向けた論点(民間事業主関係部分)」というのが出されていまして、

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12602000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Roudouseisakutantou/04shiryou4.pdf

この方向で進むことは既に政府中枢からトップダウンで降りてきた既定路線ではあるのでしょうが、日本の労働現場の感覚をそのままにして突き進むと、現場レベルで様々なフリクションを引き起こす可能性も否定できません。

 なにしろ、大臣という本来その職責に相応しい政治家だけがなれるはずのポストでさえ、第二次安倍内閣で女性大臣が大勢誕生すると、「子供を産めたらオレだって大臣になれた」(『週刊現代』10月4日号)と不平不満を漏らす男性政治家が出てくる日本社会なのですから。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-5c63.html(子供を産めたらオレだって○○になれた・・・)

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「職」なき「雇用維持」政策のアイロニー

『労基旬報』9月25日号に「「職」なき「雇用維持」政策のアイロニー」を寄稿しました。

 日本の労働社会は、EU諸国の労働社会とはその構成原理が異なります。日本の労働社会の主流は、雇用関係が「職(job)」ではなく、「社員であること(membership)」に立脚しているのです。日本語で被用者を表す「社員」という言葉それ自体が「member of company」という意味です。会社は単なる営利組織ではなく一種の共同体的性格を有しています。雇用契約は原則として職務の限定のない「空白の石版」であり、企業の命令に従ってさまざまな部署に配置転換され、そこでさまざまな「職」を遂行することが労働者の義務と見なされています。このような社会では、教育から労働への移行は、「就職(job placement)」ではなく「入社(inclusion into membership)」です。

 この反面として、企業からたまたま命じられた「職」が景気変動や産業構造転換等によって消滅しまたは縮小したからといって、そのことが直ちに解雇の正当な理由とはなりません。企業内に配置することができる他の「職」がある限り解雇が正当とされる可能性は少なくなります。このような社会では、経済的理由による解雇は「失職(job displacement)」としてではなく「社員であることからの排除(exclusion from membership)」として受け取られることになります。日本語における「リストラ」という言葉が有する独特のニュアンスは、それが「職」に立脚した継続的な債権債務関係の解消というにとどまらず、共同体的な関係からの排除であり、メンバーシップの剥奪という性格を有していることに基づくのです。

 もちろん日本も市場経済であり、景気変動があり、また産業構造の転換によっても、個々の「職」に対する労働需要は変動します。しかし、雇用関係が「職」に基づいていないので、ある「職」の喪失は必ずしも雇用関係の終了の理由になりません。企業内に他に就くことが可能な「職」があれば配置転換により雇用関係を維持することがルールです。これは、日本の裁判所の判例法理においても、整理解雇法理の中に取り入れられている。所謂整理解雇4要件は、それだけ見れば欧州各国と比べて特段異例なものではありません。しかし、解雇回避の努力義務の中に含まれる企業内の他の「職」への配置転換の範囲が、雇用契約の条項や職業資格等によって限定されることがほとんどなく、やや極端にいえばどんな「職」であれ企業内に雇用を維持しうる可能性がある限り、解雇回避の努力義務を果たしていないと判断される可能性が高い点に特殊性があります。

 このような雇用慣行や、それに基づく判例法理、雇用政策は、「失職」(前述の通り、日本においては「社員であることからの排除」として現れる。)の社会的苦痛を減らすという意味では一定の意義があります。

 しかし逆に言えば、経済的理由からやむを得ず行われる解雇が、雇用契約で定められた特定の「職」の客観的な消滅・縮小に基づくものであるという意味において、自己の責任によるものではない「失職」としてではなく、企業内に彼/彼女が遂行しうるいかなる「職」も存在しないゆえの「会社からの排除」として、社会的スティグマを付与されてしまうことをも意味します。この場合、剰員整理解雇が労働者個人の能力不足による解雇として現れるのであり、その「能力不足」とは、特定の「職」の遂行能力ではなく、企業内の提供可能ないかなる「職」をも遂行しうる能力がなかったことを意味してしまうため、その社会的スティグマは極めて大きなものとなるのです。
 一方で、日本の裁判所が確立してきた整理解雇法理は、解雇回避努力義務に大きな力点があるのと対照的に、解雇対象者の選定についてはEU諸国のような明確な基準がありません。むしろ、中高年者を優先的に解雇することについても許容する傾向があります。

 このことがさらに剰員整理解雇への抑制効果として働き、大企業になればなるほど、雇用を縮小せざるを得ない場合でも、できるだけ解雇という形をとらないで、希望退職募集を通じて剰員整理しようとします。それは、「整理解雇」されたことが社会的に示す「能力不足」のスティグマがあまりにも大きいため、それを回避するための行動です。

 1970年代後半以降、日本の雇用政策は雇用調整助成金による雇用維持を最重要課題として運営されてきました。そのこと自体は必ずしも問題とは言えません。「失職」による苦痛を最小限に抑制することは社会政策として当然です。しかし、「職」に基づかない社会における雇用維持優先政策は、「社員であること」を維持するために「職」を軽視する傾向を生みがちです。

 日本的な「職」なき「雇用維持」政策は、助成金の援助によって企業が頑張れるぎりぎりまで失業を出さないという点においては、欧米諸国に比べて失業率を低水準にとどめる効果があり、雇用政策として有効であることは確かです。しかしながら逆に、企業がもはや我慢しきれずに不幸にして失業してしまった場合には、景気が回復しても簡単に復職することは困難となります。

 欧米では不況のため「職」が少なくなって「失職」したのであれば、景気回復で「職」が増えれば「復職」することは可能です。少なくとも当該「職」に技能のない若い労働者よりも有利です。欧米では多くの国で、いわゆるセニョリティ・ルールとして、勤続年数の短い者から順番に整理解雇されることとともに、解雇された者が再雇用される場合にもその逆順、すなわち勤続年数の長い者から順番に再雇用されるとのルールが確立しています。しかし日本では企業の中にあてがうべきいかなる「職」もなくなるところまで頑張ったあげくの失業ですから、失業者であること自体が「どの「職」もできない」というスティグマとなり、再就職が極めて困難となります。このため、失業率自体は比較的低水準であるにもかかわらず、1年を超える長期失業率はかなり高くなってしまうのです。 

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佐久間大輔『過労死時代に求められる信頼構築型の企業経営と健康な働き方』

Book04佐久間大輔『過労死時代に求められる信頼構築型の企業経営と健康な働き方』(労働開発研究会)をお送りいただきました。

http://www.roudou-kk.co.jp/books/book-13.html

企業防衛や危機管理の観点だけでは足りない、労働者との信頼関係を基盤にした有効な対処法を、企業責任が認定された実際の裁判例分析から考える。

労災認定件数が増加するのに伴い、労働者やその家族から企業が訴えられるケースも増えてきています。これに対応するためは、企業が危機管理という観点から予防策を検討するだけでは足りないように思います。労働契約は継続的な信頼関係に基づくものですから、「信頼」を基礎とした予防策が必要ではないでしょうか。

本書は、この考え方を踏まえ、裁判例から対処法を導いています。このような対処法が、結局は、当事者だけでなく、周囲の労働者の労働生産性を向上させ、収益に結びつくものと考えます。

本書が、「信頼」を基礎とした労使関係が構築され、労働者が健康に働く職場環境が整備される一助となれば幸いです。

佐久間さんは過労死事件を中心に活躍されている弁護士ですが、本書は過労死に関わる法令や判例の解説を中心にしつつ、経営論みたいなことも書かれているところが特徴です。

はしがき

第1部 経営戦略と労働法

第1章 ビジネス倫理と経営戦略
■1 利潤重視かステイクホルダー(従業員)重視か
■2 経営戦略
■3 経営計画への労働者参加
■4 組織マネジメント
■5 過労死の裁判例から予防策を学ぶ

第2章 労働法の基礎知識
■1 労働法の体系
■2 労働契約
■3 労働者の健康をめぐる労使の義務

第2部 従業員の健康を守る義務

第1章 使用者の補償義務
■1 使用者の一般的義務
■2 義務の根拠
■3 最高裁判例のいう義務の内容
■4 安全配慮義務の内容
■5 実態調査義務

第2章 使用者の義務違反
■1 労働時間
■2 日常業務
■3 管理職と自己責任
■4 営業業務
■5 出張
■6 配置転換
■7 業務内容の変化
■8 不規則な勤務
■9 交替制勤務
■10 環境的要因
■11 精神的緊張を伴う業務
■12 将来の業務予定に対する不安があるケース
■13 職場の支援・協力
■14 ストレスの相乗効果
■15 休職・復職の配慮

第3章 因果関係、過失
■1 義務違反と過労死との因果関係
■2 過失

第4章 使用者の予防義務
■1 一次予防(原因の除去)
■2 二次予防
■3 三次予防

第5章 パワハラ・いじめ
■1 近時の状況
■2 加害行為
■3 使用者が負う責任・義務の内容
■4 いじめと精神障害との因果関係
■5 過失

第3部 信頼を基礎とした人事

第1章 傷病による配置転換
■1 職種・業務内容の変更
■2 勤務地の変更
■3 管理職の配転
■4 長時間労働防止のための配転
■5 人間関係改善のための配転
■6 使用者の説明義務と事前調査義務
■7 配転撤回後の義務
■8 配転時の処遇
■9 配転後の配慮

第2章 傷病による勤務軽減
■1 勤務日数の変更
■2 職種・業務内容の変更
■3 傷病による降職

第3章 休職と復職
■1 受診義務
■2 休職
■3 復職

第4章 傷病による退職勧奨・解雇
■1 退職勧奨
■2 解雇

あとがき


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2014年9月21日 (日)

若者育成のための長時間労働はホワエグなしに可能

Ebi 海老原嗣生さんの新著『いっしょうけんめい「働かない」社会をつくる 残業代ゼロとセットで考える本物のエグゼンプション』(PHP新書)の紹介記事に、アランさんのトラックバックが付きましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-4e5a.html

http://d.hatena.ne.jp/dokushonikki/20140921

いささか誤解があるように見えるので、少し腑分けしておきます。

まず、アランさんの議論ですが、

企業がホワイトカラーエグゼンプションを導入しようとする背景について。「管理職になれない熟年ヒラ社員でも高給になるのを何とかしたい」のが本音と理解しているようだ。しかし違うのではないか。日本型雇用のメリットの一つである、若者の育成をするためではないか。・・・要するに、全員がストレッチした業務が与えられ、やり遂げる経験をすることで、育っていくということだ。一方、自分の能力を上回るので、簡単にこなせるはずもなく、試行錯誤・失敗を繰り返しながら、何とかやっていくことになるので、長時間労働になる。こういうやり方を続けていけるように、ホワイトカラーエグゼンプションを導入したいと考えているのではないか。ということで、私は、ホワイトカラーエグゼンプションは、若手育成のためという意味で、究極の日本型雇用維持・延命策と考える。

ここで言われていることは、ホワエグ導入という肝心要の話を抜けばその通りです。

言い換えれば、ホワエグなんかなくっても、今までまさにそういうやり方をやってきているのであり、これからも断固としてそういうやり方をしようとしているのであり、それゆえに、私などが主張している労働時間の物理的上限規制に対しては断固として反対しているのです。財界中枢の企業経営者たちは。

アランさんがここで言っているのは、労働基準法の本来想定する物理的労働時間規制なんかに煩わせられることなく、無制限に長時間労働を可能にしたいということであって、それはまさに現行法で可能であり、現に広範囲に実施されていることです。

そして、そういう『若手育成』のための長時間労働については、使い捨て型のブラック企業ではない伝統的日本型企業は、別段ホワエグにしたいなどと言っているわけではありません。そういう部分については、ある意味育成費として残業代を払うことを嫌がっていないのですよ。まあ、年功賃金制の下でもともと基本給が低いからというのもありますが、長時間労働を嫌がらせないためのインセンティブ効果を期待しているという面もあるでしょう。

なんにせよ、企業が実現したいホワエグというのは、若手育成局面の話ではありません。ここを誤解すると、話がことごとくひっくり返った理解に陥っていきます。

もはや育成局面を過ぎてしまった中高年であるにもかかわらず、管理監督者でないが故に「無駄な!!!」残業代を払わなければならないことに対する嫌悪感がホワエグ話の根っこなのであって、そういう人々を念頭に置いているが故に、(若手であれば嫌がるのを無理矢理にでもやらせたい)残業が、やらせたくないのに勝手にこいつら残業しやがって・・・という全く逆のコンテクストになるわけです。

このあたりの消息を、海老原さんのこの本に収録されたわたしのインタビュー記事で、簡単に喋っていますので、ぜひその部分を読み返していただければと思います。

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2014年9月20日 (土)

區龍宇『台頭する中国 その強靭性と脆弱性』

20140806g636_2 でかくて、分厚くて、おまけに税抜き4600円と大変高い本ではありますが、今や世界第2位の資本主義大国である中国の労働問題を、ルポとかではなく理論的に分析した本というのはほとんどない現在、それだけの代金を払ってでも読む値打ちのある本でした。

中国をめぐっては、あまりにも多くの解決すべき謎があり、中国を観察する人たちにとって、今後も驚くべきことが少なくなるのではなく、さらに多くなると覚悟しておく必要がある。本書の目的は、もっと限定されている。論争を活発化することのほかに、階級、国家、国家官僚の役割にもう一度焦点を当て、それらの相互関係が近年および将来を規定することを示すことによって、中国のジグソーパズルの欠けたピースを埋めようとすることである。

私の主な関心は第2部の「中国における労働者・農民の抵抗闘争」でしたが、中国の体制イデオロギー諸派を分析した第3部も、少数民族問題を取り扱った第4部も、大変興味深かったです。

日本語版への序文(區龍宇)

序 ジグソーパズルの欠けたピース(區龍宇)

第1部 中国の台頭とそこに内在する矛盾

 中国の台頭とそこに内在する矛盾(區龍宇)

 中国の対外経済進出(區龍宇)

 中国の台頭は不可避なのか、それとも没落の可能性があるのか(ブルーノ・ジュタン)

 毛沢東主義――その功績と限界(ピエール・ルッセ)

第2部 中国における労働者・農民の抵抗闘争

 中国における労働者の抵抗闘争 1989-2009(區龍宇、白瑞雪)

 「主人」から賃奴隷へ――民営化のもとでの中国労働者(區龍宇)

 社会的アパルトヘイト下での使い捨て労働――新しい労働者階級としての農民工(區龍宇)

 中華全国総工会の役割――労働者にとっての意味(白瑞雪)

 新しい希望の兆候――今日の中国における抵抗闘争(區龍宇、白瑞雪)

第3部 中国における新自由主義派と新左派

 中国――グローバル化と民族主義者の反応(區龍宇)

 中国の党・国家はいかに社会主義なのか? 書評 汪暉著『革命の終焉 中国と近代化の限界』(區龍宇)

 薄熙來と「一都市社会主義」の終焉(區龍宇)

 劉暁波氏と中国の自由主義者(區龍宇)

第4部 中国共産党の台湾・チベット・新疆ウイグル政策

 中台関係に関する両岸労働者階級の立場(區龍宇)

 自発的な連合か強制的な統一か――中国共産党のチベット政策(區龍宇)

 二重の抑圧――新疆短評(區龍宇)

 香港のオルタ・グローバリゼーション運動(區龍宇)

著者は香港のマルクス主義者です。中国に何千万人といる共産党員の中に誰一人いないと思われるマルクス主義者が、イギリスの植民地だったおかげで未だに何とか(よろよろしながらも)一国二制で守られている思想信条の自由の砦の中で生き延びていられるマルクス主義者ですね。

だからこそ、中国共産党という建前上マルクス主義を奉じているはずの組織のメンバーが誰一人語ることができない「王様は裸だ」を、マルクス主義の理論通りにちゃんと分析して本にできているのですから、ありがたいことではあります。

それにしても、資本家が労働者を抑圧するのに一番良い方法は、資本家自身が労働者の代表になってしまうことだというのは、マルクス様でも思いつかないあっと驚く見事な解法でありました。

なお、労働問題とかにあまり関心のない方々でも、せめて「日本語版への序文」だけでも立ち読みしてください。若い頃保釣運動(尖閣列島防衛運動)に参加していた素朴な民族青年が、マルクス主義の立場から資本主義的中国共産党のショービニズムを批判的に見るようになった話は、いろいろと思わせるところがあります。

今中国大陸でこういう文章が書けるのは、この香港のマルクス主義者だけなのでしょう。

1971年、14歳の私が最初に参加した社会運動は釣魚台(尖閣列島)防衛運動であった。その時は素朴な民族感情から参加した。このような民族感情は幼い頃から育まれたものであったが、それは学校で教わったものではなかった。・・・父親からは折に触れ、日本による「香港陥落」の物語を聞かされた。「ある日本兵は、彼に敬礼をしない通行人を見かけると、『サッ』と振り上げた日本刀で、背後から刺し殺してしまった」というように。

・・・しかし今日では、私は釣魚台防衛は支持しない。前述の二つの理由がなくなってしまったからである。中国は今日において反資本主義・反帝国主義でなくなっただけでなく、資本主義、しかも悪質な資本主義へ回帰してしまっている。中国共産党を中心とする官僚資本は、民衆を犠牲にして膨張している。それは一方で民族の利益を防衛するという表看板を掲げながら、一方では世界貿易機関に加盟して農民の生活を犠牲にし、農村破壊を加速し、他に生きるすべのない2億5000万の農民は都市に出て働くしかない。そして都市に出て働き出した農民(農民工)は、国家の暴力装置によって、ストライキと結社の自由を抑圧されている。中国共産党はこのように農民工に対する私的資本(膨大な外国資本を含む)の過酷な搾取を大いに手助けしているのである、・・・

そして、このマルクス主義者らしい最後の言葉:

・・・十数年前に日本を訪れた際に会った中国人らの言葉を思い出した。彼らは私にこう言った。日本で経営者や警察にひどい扱いを受けたときは、左翼の労働組合だけが手をさしのべてくれる、と。世界中誰もがみな兄弟姉妹というが、労働者人民にこそ、この言葉が最も当てはまる。

・・・「万国の労働者、団結せよ」。マルクスのこの言葉は、未だ時代遅れになっていない。

『人民日報』には絶対に載らないであろうこういう台詞が吐けてしまう香港のマルクス主義者に乾杯。

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2014年9月19日 (金)

子供を産めたらオレだって○○になれた・・・

1200960820_2いやもう、タイトルが全てで、中身を読まなくたって何が書いてあるか大体わかりますが、これは今は永田町界隈の大臣の話ですが、これからこれが各会社の中で

子供を産めたらオレだって管理職になれた・・・

とかぶつくさ言うレベルの低い男たちがわんさか出てくることを、先行型として予言しているわけですな。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/pdf/honbun2JP.pdf(「日本再興戦略」改訂2014)

⑥女性の活躍推進に向けた新たな法的枠組みの構築

「2020年に指導的地位に占める女性の割合30%」の実現に向けて、女性の活躍推進の取組を一過性のものに終わらせず、着実に前進させるための新たな総合的枠組みを検討する。
具体的には、国・地方公共団体、民間事業者における女性の登用の現状把握、目標設定、目標達成に向けた自主行動計画の策定及びこれらの情報開示を含め、各主体がとるべき対応等について、検討する。さらに、各主体の取組を促進するため、認定などの仕組みやインセンティブの付与など実効性を確保するための措置を検討する。これらについて今年度中に結論を得て、国会への法案提出を目指す。

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アンチブランドの行く着く先

元経産官僚の宇佐見典也氏が、とても面白く重要なことを語っているので、やや長めですが引用。サラリーマンが元いた会社を辞めた後のビジネス戦略なんですが、

http://usami-noriya.com/?p=4564(脱サラ後のブランド戦略について当たり前のことを言っておく)

・・・この時大きく3つの選択肢がある。第一に元いた組織とは全く関わらない新しいブランドを作り上げていくという方向性、第二に元いた組織のブランドの上に自分独自のストーリを積み上げてサブブランドを作り上げていく方向性、そしてもう一つは自分が元いた組織を徹底的に批判することで元いた組織のアンチブランドを作るという方向性だ。

第一の選択肢は自分がそれまで築いて来たキャリアを完全に捨て去ってゼロからチャレンジする、というものでこうした道を辿れるヒトは才能にあふれた「アントレプレナー型」とでも言える特別な存在である。 そういう人達に取ってはサラリーマンとして働いていた時間こそイレギュラーであって、元々自分というブランドがしっかり固まっていたのだろう。有名どころだと村上世影みたいなヒトがそういうタイプだ。

一方第二の選択肢は凡人の取るアプローチだ。自分が元いた組織の経験や「○○にいた」というブランドを根っこにしてその上に自分独自のストーリーを積み重ねて、徐々にオリジナリティを確立していくタイプだ。大きい組織であればあるほど社会との界面が多く、そうした立ち位置を取り続けて粘り強く自分の専門性に根付いた地に足の着いた情報発信を続ければ、ブランドが浸透して少しずつチャンスが与えられるようになってくる。私自身そういうタイプである。なおこういうタイプはリクルートなどに多い。(会社が無理矢理そうさせているところもあるらしいが)仮に「サブブランド型」とでも言っておこう。

第三の選択肢は悪魔の誘惑だ。大ブランドであればある程その対立する勢力は多く、そちらに組する誘惑は多い。そしてそちらの道を歩めば積み重ねが不要でそのまま「元○○」というブランドが最大限活用できる。日本では労働の流動性が低いため、特定の組織文化が育ちやすくまたそうした情報が人間の異動を通じて共有されない。また、一般に大ブランド側の反論は「権力の利用」と批判されてしまうため、アンチブランドは好き放題言いたい放題という状況がしばし続く。フィーバータイムだ。しかしながらアンチブランドの絶頂はまさに「辞めた瞬間」であり、その後正しい情報が徐々に伝わっていくなり、元いた大ブランドから情報が締め出されていくなりして信頼性を失い孤立していくので、衰えていくしか無い。こうして現実から途絶されるので、最終的にアンチブランドの行く着く先は非現実的な理論と歪んだ現実認識に根付く妄想の世界となる。こうして彼らは陰謀論に走ってカルト化していく

この第3の選択肢をとった人として、誰が念頭に浮かんでいるか、おそらく宇佐見氏の念頭とわたくしの念頭とでは、その関心分野のずれを反映して、違う人物像が浮かんでいるのではないかと思われますが、さはあれ、この宇佐見氏の形容があの人やこの人に見事に当てはまることは間違いないようです。

そして最後のこの哀切極まる言葉も・・・。

とても当たり前のことだけれど、非常に重要なことなのでなんとなく将来の脱サラを考えているヒトの心にとめておいて欲しいので書いておいた。友人もなく孤独にウソをはき続けるアンチブランドの末路は見るに哀れすぎる

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2014年9月18日 (木)

伊藤光利・宮本太郎編『民主党政権の挑戦と挫折』

9784818823396伊藤光利・宮本太郎編『民主党政権の挑戦と挫折 その経験から何を学ぶか』(日本経済評論社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.nikkeihyo.co.jp/books/view/2339

かつての自民党一党優位性を覆し少なからぬ国民の支持を得たにもかかわらず、民主党はなぜ失敗したのか。構造・理念・政策・言説・主体・戦略の相互作用の視覚から検証。

本ブログの関心からすると、特に第2章の「民主党政権下における雇用・福祉レジーム転換の模索」(三浦まり・宮本太郎)と、第5章の「民主党政権下における連合」(三浦まり)が興味深いです。

民主党へのシンパシーの残る文章をやや辛口に言い換えれば、 民主党の政策は雇用福祉レジーム転換を含意するものであったにもかかわらず、肝心の民主党の政治家たちにそういう意識があまりなかったために、あらぬ方向に迷走したあげく失敗に終わったということでしょうか。

それをアカデミズム的なユーフェミズムに載せると、同章「おわりに」の次の文章になります。

民主党は「コンクリートから人へ」のスローガンの下、「レジーム転換」の入り口には辿り着いていたが、それが本格的なレジーム転換へとつながらなかったのは、一つには「人」にこめられた内容を十分に膨らますことができなかったことがある。旧来のレジームは男性雇用の分配を通じた生活保障を実現してきたものであったが、それとは異なる新しい形とは、男女が安心して働くことのできる条件を整備することであるはずである。しかし、民主党の雇用政策や労働条件に関する関心は弱く、新しい働き方を公共政策によって支えることがアジェンダとして認識されることはなかった。結果的に、個人への支援は静態的な給付に偏り、再分配政策としては多少の改善が見られたものの、「レジーム転換」までには至らなかった。

もう一つの理由は、「官僚主導から政治主導へ」という目標が利益媒介のシステムの構築とリンクしていなかったことである。政治主導を狭く政官関係の中で捉えた時、マクロ・レベルでの政策リンケージを可能にする戦略部署を作り得なかったことは痛手であったが、それ以上に深刻な問題は、民主党という政党がどのように利益集約を担うのかに関する見通しもまた実践も伴っていなかったことである。政治主導という概念は、政官関係だけではなく、政官民関係として捉える必要があるが、民主党の政治主導には多様な「民」の利益や意見をどのように集約し代表していくのかに関する構想は含まれていなかった。

 このように考えると、民主党が政策空間に持ち込んだ新しい政策アイディアが必ずしも社会的支持を得られなかったのは、民主党が政官関係ばかりに照準を合わせ、政官民関係として政治主導を捉えようとしなかったことが原因である。

この、政治主導を政官関係ばかりで考えるということの、戯画的なまでの帰結が、厚生労働省というまさに政官民関係の結節点において、大向こうを意識して役人を叩くことばかりに専念する軽薄な「政治主導」を生み出したのでしょう。その辺の消息は、このもっぱら政策という視点に着目するアカデミックな書物ではほとんど触れられていませんが。

ちなみに、私自身も民主党政権ができたときと、かなりガタが来たときに、労働政策に着目して書いたり喋ったりしたことがあります。今読み返してみても、あんまり物事を外していないように思っています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/minshu.htm(「労働政策:民主党政権の課題」『現代の理論』21号)

1 労働政策評価の基軸となるべき認識枠組み
2 子ども手当と教育費補助
3 3層の雇用セーフティネット
4 最低賃金と均等待遇原則
5 非正規労働者の待遇改善
6 いのちと生活のための労働時間政策
7 年齢差別と新規学卒一括採用システム
8 重要なのは恣意的な解雇やいじめの規制

9 労働政策決定システムと三者構成原則

 最後に、民主党政権の最大の目玉として打ち出されている「政治主導」について、一点釘を刺しておきたい。政権構想では「官邸機能を強化し、総理直属の「国家戦略局」を設置し、官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する」としている。これは、小泉内閣における経済財政諮問会議の位置づけに似ている。

 政治主導自体はいい。しかしながら、小泉内閣の経済財政諮問会議や規制改革会議が、労働者の利益に関わる問題を労働者の代表を排除した形で一方的に推し進め、そのことが強い批判を浴びたことを忘れるべきではない。総選挙で圧倒的多数を得たことがすべてを正当化するのであれば、小泉政権の労働排除政策を批判することはできない。この理は民主党政権といえどもまったく同じである。

 労働者に関わる政策は、使用者と労働者の代表が関与する形で決定されなければならない。これは国際労働機構(ILO)の掲げる大原則である。政官業の癒着を排除せよということと、世界標準たる政労使三者構成原則を否定することとはまったく別のことだ。政治主導というのであれば、その意思決定の中枢に労使の代表をきちんと参加させることが必要である。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sekai1008.html(座談会 民主党政権の社会保障政策をどう見るか(宮本太郎・白波瀬佐和子・濱口桂一郎)(『世界』2010年8月号) )

濱口 新政権は、過去の政権から大きく変わったと言いたがるものです。たとえば、明治政府は、江戸時代は真っ暗で、明治になって明るくなったと言うけれど、よく見ると、かなりの部分は前の時代と連続しています。

自公政権の末期には、労働政策にしても社会保障政策にしても、ある意味で福祉国家を目指そうという方向性が出てきていました。例えば派遣法の改正についても麻生政権時代に既に規制を強化する改正案が出ていましたし、最低賃金についても、安倍政権の成長力底上げ戦略円卓会議で、それまで低く抑えられてきた最低賃金の水準を官邸主導で大幅に引き上げていこうという動きが出ていた。

むろん、一方で自公政権には、規制緩和など、さまざまな公的サービスに対して否定的な傾向がありました。ただしその点でいえば、民主党にも事業仕分けに見られるように、公的なサービスによって国民の生活を引き上げていくことに対して否定的な感覚がかなり強くある。民主党政権の左手が一生懸命新しい福祉国家を目指して充実させようとする一方で、右手の方はむしろそれを削減しようという傾向がある、という意味で、二重の意味で前政権との連続性があるのではないか。

もうひとつ、民主党がマニフェストで打ち出し、実現させようとした政策をどう評価するかという評価基準の問題です。目指すべき社会のイメージがまずあって、その全体的な社会モデルを実現するための一つの手段、部品として個々の政策が位置づけられ、その政策を実行しようとしているのかは非常に疑問です。全体像があれば、いろいろな問題や抵抗が起きたときに、その目的を達成するためにどのように修正していくかという議論も柔軟にできると思うのですが、全体像がないまま個々の政策がバラバラに絶対視されているのではないか。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/seikatsuzadankai.html(座談会 好循環社会のゆくえ――新成長戦略と民主党のアイロニー 『生活経済政策』2010年10月号)

濱口 それとからむのが「現状認識」とは何かという問題だと思います。雑誌『世界』での座談会でも申し上げたのですが、歴史の転換期には「前の時代は真っ暗で、新しい時代は明るい」と言いたがるし、「社会はすべて変わった」と言いたがるものです。でも、幕末政府にいた勝海舟や川路聖謨のように、その「真っ暗」とされた時代にも非常に開明的ですぐれた人がいて、次の時代を先取りする政策も打たれていた。逆に明治政府にも訳の分かっていない人間もいて、変なことも結構やっている。

 それが歴史の転換期の実態だとすれば、民主党政権にも同じことが言えると思います。間宮先生が指摘されたように、民主党の新成長戦略は確かに自公政権末期の与謝野さんの下で進められた政策とよく似ています。でも、これはある意味、当たり前のことです。なぜなら、少なくとも雇用・人材の分野について言えば、それがまさに正しい方向であったからです。・・・

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『菅井義夫オーラル・ヒストリー』

労働関係オーラルヒストリーシリーズからまた一冊、元ゼンセン同盟副会長の菅井義夫さんのオーラルヒストリーを送りいただきました。インタビュワは連合総研から東海学園大学に移られた南雲智映さんと香川大学の島西智輝さんの二人です。

ゼンセンの方のオーラルももうかなりの数に上りますが、菅井さんのは、ゼンセンでの活動ぶりも面白いとともに、むしろ労働戦線統一のプロセスを間近で見ていた人の証言という意味でも大変興味深いものがあります。

菅井さんが若い頃、広域移動第1号として愛媛県支部に行かされて、そこでオルグ活動していた頃、今治地繊のストライキ支援のために、ピケの現場で一つの詞を書き上げ、アカペラでその詞に曲を付けて唱い、自分で吹き込んだテープを持ち回ってみんなで声を張り上げているうちに、長引くストでだれ気味になっていた組合員が元気を取り戻した、というその歌:

潮満々の瀬戸の海

岸壁かむや来島の

しぶきに耐えてなお強く

明日を夢見て歩みたる

我ら同志今治地繊

吹上城の石垣に

歌声高くこだまして

職場に急ぐ乙女らの

声も弾みて軽やかに

我ら同志今治地繊

だそうです。

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2014年9月17日 (水)

『労働審判を使いこなそう!』

P705伊藤幹郎・後藤潤一郎・村田浩治・佐々木亮著『労働審判を使いこなそう!』(エイデル研究所)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.eidell.co.jp/book/?p=4645

労働審判制度にかかわる書籍はたくさん出ているが、手続の解説など入門書的なものが多い。本書は解雇、残業代請求などの典型的な事例にとどまらず、いじめ・ハラスメントなどの現代的事例、これまで労働審判ではほとんど扱われてこなかった派遣、偽装請負などの複雑な事例まで網羅した中・上級編となっている。巻末の事例一覧(全222件)など事例の豊富さは類書に例をみない。労働審判を多く扱ってきた4人のベテラン弁護士が、労働審判の面白さや魅力、将来への課題について本音で語る座談会も必見。

C2j4veys_400x400_3著者のうち、佐々木亮さんは

https://twitter.com/ssk_ryo

の人ですね。

さて、この本で大変興味深かったのは、実質的にはほとんど金銭解決している労働審判において、しかしながら請求は地位確認で行くという戦術論に関わるところです。

・・・申立人が必ずしも職場に戻るつもりがなくても地位確認で行くべきである。申立の趣旨を「相手方は申立人に対して金○○円を支払え」などとし、はじめから慰謝料等の金銭請求をするのでは、多くを得ることは望めないと知るべし。必ずしも職場に戻る意思がなくとも、そのように主張しないと多くの解決金は望めないからである。

これは、実務家として、現に争いの現場で当事者に寄り添って何をなすべきかを論ずる土俵においては正しい議論であることは間違いありません。

しかしながら、そもそも論として考えれば、心にもない原職復帰を口にすることで、獲得したかったそれなりの額の金銭補償を手にすることができるのに、最初からお金で解決したいと口にしてしまうとそれすらも得られないということ自体に問題があるわけで、現場の戦術論では所与の前提として論ずる必要のないそういう問題点に対して、一国の法制の在り方を考える議論においてはきちんと論ずるべきであることもまた言を俟たないところでしょう。

戦術論としての心にもない地位確認請求をすることのリスクは、それが通ってしまいそうになることです。

・・・万一、相手方が「それなら解雇を撤回して職場に戻す」と言ってきたら、原職復帰に徹底してこだわることが重要である。解雇して数ヶ月経れば職場には原職がないのが一般である。また、新規採用などで補充されている場合も多い。したがって、安易に解雇撤回論に乗ってはならず、徹底的に原職復帰にこだわって、相手方の解雇撤回論の虚偽(使用者は一旦解雇した者を戻したくないのが本音)を追求することを念頭に置くべきである。

これまた、現場の戦術論としてはまことに心配りの効いた絶品ものの指南ですが、なんというか、本当は原職復帰したくない労働者が多額の金銭解決を得るために心にもない原職復帰を要求し、しかも解雇撤回という甘い罠に引っかからないように細心の注意を払うという、まことに絶妙の心理戦を戦わなければならないわけです。

こういう高等戦術をやりきるためには、確かに弁護士の助力は必要不可欠であると思います。

しかし、再び一国の法制度の在り方のそもそも論としては、解雇は不当で違法だからきちんとそれを確認し、そのサンクションを与えたいけれども、もうあんな会社には戻りたくないという労働者が、その気持ちを素直にそのまま訴えることがなかなかできなくなってしまっている仕組みにも、問題があるのは間違いないようにも思われます。

はじめに―「労働審判制度」活用のすすめ

第1章 典型的な解決事例―解雇・金銭請求―
Ⅰ.解雇事件について
Ⅱ.整理解雇事件の留意点
Ⅲ.配転拒否解雇事件の留意点
Ⅳ.退職を巡っての留意点
Ⅴ.出向を巡っての留意点
労働審判申立書・補充書面サンプル
Ⅵ.金銭請求について
労働審判申立書サンプル

第2章 特殊な雇用形態の事例
Ⅰ.はじめに
Ⅱ.派遣、請負など三者の労働契約関係と労働審判の相手方
Ⅲ.違法派遣(偽装請負)関係と労働審判の対象
Ⅳ.改定労働者派遣法(平成24 年成立)施行後の課題
Ⅴ.その他の特殊の契約形態の労働者の事例と実際
労働審判申立書・補充書面サンプル

第3章 こんなふうにも使える労働審判の活用事例
Ⅰ.労働審判だから活用の工夫ができること
Ⅱ.事例紹介と検討
[事例1]定年退職を間近に控えた労働者の賃金請求の申立について退職金額の確定を含んだ調停が成立した例
[事例2]困難が予測された自己都合退職について、労働審判手続を利用して円滑に進めたケース
[事例3]同僚のセクハラ被害を告発し懲戒・配転させられた労働者の要望に基づき、セクハラ方針・規定の是正を行ったケース
労働審判申立書・補充書面サンプル

第4章 労働審判における手続上の工夫
Ⅰ.労働審判と土地管轄
Ⅱ.審判前の保全措置
Ⅲ.複数人の申立
Ⅳ.使用者からの申立
Ⅴ.審判申立による裁判中断効について
Ⅵ.異議後の訴訟審理について

第5章 〈座談会〉労働審判制度をどう活用するか― 労働審判は面白い!―
審判官、審判員など「人」の問題について
申立時の留意点について
陳述書について
代理人の心構えについて
申立書のボリュウム
証拠説明書をどう活用するか
第1 回審判期日にあたって
地位確認事案で金銭解決をはかるタイミング
解決金の水準について
労働審判にふさわしい事案とは
残業代や労災事件は不適切事案なのか
調停と審判、どちらを目的とするのか
労働審判制度をよりよくするために

第6章 労働審判事件受任の心構え
Ⅰ.労働審判事件を受任するにあたって
Ⅱ.〈座談会〉弁護士費用の問題について

おわりに

巻末資料
労働審判事例一覧
地位確認/普通解雇 地位確認/整理解雇 地位確認/懲戒解雇 地位確認/雇止め 地位確認/退職・その他 地位確認/内定取消 地位確認/配転・その他
金銭請求/賃金・残業代 金銭請求/退職金 金銭請求/損害賠償
人事/配転・降格 人事/懲戒処分
特殊/派遣 特殊/その他

労働審判調書
(1)労働契約終了に対応する労働審判調書
(2)いわゆる復職に対応する労働審判調書
(3)派遣先、派遣元を相手方とした労働審判調書

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2014年9月16日 (火)

今野論文@『季刊労働法』246号

Tm_mjq2x5vcmqさて、昨日の産経新聞の記事でチラ見せした今野晴貴@POSSEさんの議論を若干パラフレーズした論文が、先日刊行予告を紹介した『季刊労働法』246号に載っています。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/archives/006324.html

特集

近時の立法・改正法令の検討課題

改正労働安全衛生法の考察 京都大学大学院教授 小畑史子

改正パートタイム労働法と均等・均衡待遇 近畿大学教授 奥田香子

次世代育成支援対策推進法の改正と今後の課題 京都産業大学教授 高畠淳子

性差別解消の現在から見た均等法施行規則の改正―次なる法改正へ向けての考察 北海道教育大学教授 菅野淑子

過労死防止法の意義と課題 弁護士(過労死防止法基本法制定実行委員会事務局長) 岩城 穣

ブラック企業対策から見た近時の立法・改正法令の検討課題 NPO法人POSSE代表 今野晴貴

■論説■

NHK受託業務従事者の労契法・労組法上の労働者性 NHK前橋放送局事件・前橋地判平成25・4・2(労働法律旬報1803号50頁) 同志社大学教授 土田道夫

フランチャイズ・コンビニ加盟店主の労組法上の労働者性 山梨大学教授 大山盛義

非正規の正規化 その実態の法的課題 UAゼンセン会長 逢見直人

■研究論文■

配偶者のうち夫にのみ年齢要件を課す遺族補償年金の合憲性 地公災基金大阪府支部長(市立中学校教諭)事件(大阪地裁平成25年11月25日判決) 中央大学大学院博士後期課程 西 和江

働く児童と教育を受ける権利―労働法制における就業と就学の両立に着目して― 武蔵大学非常勤講師 常森裕介

■投稿論文■

社会的(保護的)就労への労働法適用を巡る考察 神奈川大学法学研究科博士前期課程修了 石原康則

■労働法の立法学 第37回■

労働人権法政策の諸相 労働政策研究・研修機構統括研究員 濱口桂一郎

■神戸大学労働法研究会 第29回■

派遣労働者に対するパワハラ行為と派遣先会社の損害賠償責任 アークレイファクトリー事件・大阪高判平成25年10月9日労判1083号24頁 弁護士 千野博之

■同志社大学労働法研究会 第12回■

複数就業者の労災保険給付―ドイツ法との比較法的研究― 同志社大学大学院 河野尚子

■北海道大学労働判例研究会 第34回■

公務員のした退職の意思表示の撤回と退職承認処分の有効性 豊富町事件・旭川地方裁判所平成25年9月17日判決・判例時報2213号125頁 琉球大学准教授 戸谷義治

■筑波大学労働判例研究会 第40回■

労災民訴(精神疾患)における業務過重性評価と過失相殺・素因減額の関係性 東芝事件(最2小判平成26.3.24 裁判所時報1600号1頁) 社会保険労務士 北岡大介

■文献研究労働法学 第13回■

労働契約論 北九州市立大学准教授 石田信平

■イギリス労働法研究会 第21回■

イギリスにおける「株主被用者(employee shareholder)」制度の導入―株の取得と引き換えにした雇用諸権利の放棄 久留米大学准教授 ・敏

■アジアの労働法と労働問題 第21回■

韓国の女性労働法制と課題 日本大学教授 神尾真知子

●重要労働判例解説

希望退職応募勧奨とその拒否した従業員に対する出向命令の有効性 リコー(子会社出向)事件(東京地判平25・11・12労働判例1085号19頁) 専修大学法科大学院教授 小宮文人

違法解雇と代表取締役の責任 I式国語教育研究所代表取締役事件(東京地判平25・9・20労経速2197号16頁) 小樽商科大学准教授 南 健悟

今野論文は、著書などで語られているブラック企業の話をした上で、最後の「雇用改革(日本再興戦略)とブラック企業」という節で、多くの労働法学者たちによるジョブ型正社員に対する批判などに対して、今までやや異なる観点からの議論を提示しています。

・・・だが、こうした雇用改革批判が見落としている(あるいは敢えて着眼していない)重大な論点がある。それは、実は既に「ブラック企業」の正社員は職種限定社員であるという事実である。この事実を踏まえると、単純に契約の明確化に反対することは難しくなる。

「ブラック企業」の多くは小売店や飲食店の店員・店長、IT企業のエンジニア、介護労働者などであり、事実上職種が限定された労働者たちである。実際にこれらの業態の企業では、職種転換をするだけの現実の「ポスト」が存在していない。即ち、企業組織の客観的な制約から必然的に職種限定正社員なのである。そして職種限定社員は自ずから雇用継続や賃金制度において従来型と異なった処遇にならざるを得ない。従来型の年功処遇はなじまず、具体的なポストで賃金が決定される。このため、「ブラック企業」の労働者は、はじめから「年功処遇」「終身雇用」を主張することは難しい。限られた職種に従事するにもかかわらず、その待遇は不明確で、職務遂行方法は「無限定」のままである。

こうした職種限定社員の客観的な広がりの中では、従来日本社会で許容されてきたような「契約内容が曖昧な正社員」はかえって不利な状況を労働差(「者」の誤り)にもたらす。・・・

この「事実上の職種限定社員」というのは久本憲夫さんが提起した概念ですが、今野さんはそれを現代型ブラック企業の原因論に上手く取り入れています。

なお、私の「労働法の立法学」は、「労働人権法政策の諸相」です。最近のヘイトスピーチ等をめぐる議論に同期させたわけではないのですが、人権擁護法案をめぐる推移の説明が、なぜか世の中の動きに波長が合っているようないないような。


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2014年9月15日 (月)

日本型雇用、深まる議論 機能不全…ブラックへ変質@産経新聞

Trd14091516000013p1 本日の産経新聞に、「日本型雇用、深まる議論 機能不全…ブラックへ変質」という記事が載っています。執筆は磨井慎吾記者。登場するのは、左の写真に本が積んである3人です。

先日のJSHRMでもご一緒した『働かないオジサンの給料はなぜ高いのか』の楠木新さん、おなじみPOSSEの今野晴貴さん、そして不肖私です。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140915/trd14091516000013-n1.htm

まず問題提起するのは楠木さん。

 「働かないオジサン」はなぜ生まれるのか-。長時間労働、正社員と非正社員の格差、ブラック企業などさまざまな問題が山積し、中高年が既得権層として指弾されてきた日本の雇用をめぐる論壇。だが近年は、根本原因がかつて称賛された「日本型雇用」の機能不全にあるとするシステム論的な議論が目立つようになっている。(磨井慎吾)

Trd14091516000013p3

 「“働かないオジサン”が生まれるのは、日本企業の構造的なものが大きい」

 日本企業の人事メカニズムを解説した新書『働かないオジサンの給料はなぜ高いのか』(新潮新書)を4月に刊行したサラリーマン兼著述家の楠木新(あらた)氏(60)は、大手生命保険で人事畑を歩んだ自らの経験をもとに、そう語る。

 書名は、多くの若手会社員が一度は不条理に思う事態。だが、これは長期雇用を前提にした新卒一括採用制度を取る以上、必然的に出てくる問題だという。「新卒者は能力や技能よりも、まず会社のメンバーとして一緒に気持ちよく仕事ができるかを基準に採用される」。白紙状態で入った後は社内で教育され、同期入社組と横並びの年功昇給を重ねながら全員が管理職ポストを目指して進んでいくモデルだが、「問題は管理職登用という選抜によるピラミッド構造が始まる40歳前後。ポストを得られなかった人が意欲を失ってしまうために“働かないオジサン”が発生してしまう」。

この問題提起を雇用システム論として解説するのが私の役割です。

Trd14091516000013p2  こうした日本型雇用システムは、世界的にみれば特殊だ。

 「日本の雇用は、まず会社の一員となる人を集め、そこから仕事を割り振っていく『メンバーシップ型』。対して欧米やアジア諸国は、最初に仕事があり、それができる人を採用する『ジョブ型』」。そう雇用モデルを2分類し、労働問題で論壇をリードするのが、『若者と労働』(中公新書ラクレ)などの著書で知られる労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎・主席統括研究員(55)。

 濱口氏は、日本型雇用システムの本質は、「職務の定めのないメンバーシップ型雇用契約にある」と指摘する。集団の一員として、無制限の残業など時に労働法に反する「滅私奉公」をしなければならない代わりに、長期にわたる雇用保障が受けられる。「このシステムは、かつてはうまく回っていた。経済は拡大し、女性は結婚退職するので、男性正社員は多くが管理職になれた。しかしバブル崩壊後の経済低迷で、管理職になれない中高年が大量に出てくることになった」

これをブラック企業現象につなげるのが今野さんです。

Trd14091516000013p4  こうした日本型雇用の行き詰まりは、劣悪な労働環境で社員を使い捨てるブラック企業の増加にもつながっている。若者の労働相談に取り組むNPO法人「POSSE」の今野晴貴(こんの・はるき)代表(31)は、近年大きな社会問題と化したブラック企業は「日本型雇用が変質したもの」だとみる。

 今野代表は、諸外国と比べた日本企業の特徴は、企業の命令権の強さだと指摘する。「命令権の強さはそのままで、手厚い福祉や雇用保障を切り捨てたのがブラック企業」

これを受けて、わたくしがもう少しそのあたりの消息を詳しく解説します。

Trd14091516000013p2_2  この分析に対し、濱口氏は「たしかに日本型雇用にはブラック企業になりうるDNAがある。ただ、(定年までの雇用保障や年功賃金といった)それを発現させないためのメカニズムがかつては働いていた」と語る。「無制限に働かせはしたが、決して使い捨てにはしなかった。社員を安心してフルに働けるようにするという点で、欧米よりも社会の競争力を高める効果があったのも事実。単純に日本型雇用が悪いという話ではない」

そして、最後のところの処方箋で、私と楠木さんが若干の違いを示しています。

Trd14091516000013p2_3  濱口氏は、維持困難になっている日本型雇用の改善案として職務や勤務地、労働時間などを限定した無期雇用契約である「ジョブ型正社員」の推進を提唱する。Trd14091516000013p3_2 一方、楠木氏は文化的な面からもジョブ型への転換には懐疑的だ。「やはり、日本人は自分が組織の中に位置づけられることで安心する。そうした人と人との結びつき方を、簡単に経営という視点で変えられるとは思わない。意欲を失った中高年の問題など改善点はあるが、日本型雇用システムは今後も主流として存続していくだろう」

 雇用制度の改革は、必然的に日本社会の人と人の関係のあり方にも影響を及ぼしていく。実は、社会や文化全体の問題でもあるのかもしれない。

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「労働法制」入門としても、きわめて良質

26184472_1amazonレビューに、拙著『日本の雇用と中高年』への書評が連投されています。

藤崎健一さんの「「労働法制」入門としても、きわめて良質」というレビューです。

http://www.amazon.co.jp/review/R1NTG68GG7WORS/ref=cm_cr_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=4480067736

この国の労働法制や雇用制度(結局は法律に拠るのだが)を知るには、その根幹を成す中高年向けの仕組みがどうなっているか?を理解すること、また変革することが最重要と説く。

では、その仕組みやどうしてそうなったのか?という変遷を、コンパクトに且つ分かりやすくまとめた一冊。

本書を読めば…

といくつも論点を並べて、最後に、

…なんてことが分かります。

加えて、学ぶという点では、労基法などの「労働法」分野を理解する一助にもなるでしょう。勤め人になって、または人を雇う立場になって、それぞれが「損」をしない為にも一読の価値ありますよ。

ちなみに文体は「…です・ます」です。これも読みやすさ向上につながっていると考えます。

と評価していただいております。

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『東アジア流行歌アワー』

Photo李香蘭(山口淑子)が亡くなったということで、この本を改めて読み返しています。

http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/7/0291150.html

20世紀初頭から,東京・大阪・上海・ソウル・台北・香港・ジャカルタなどでは,歌曲や音楽人が国境を跨いで交流し,歌謡曲の流行が同期化していた.流行歌をめぐる資本・技術・人物・メディアの動きを通して,ダンス・映画・ジャズなどからの影響を受け,世相を反映しながらうごめく,ポピュラー音楽の栄枯盛衰をたどる.

東アジア近代史という、揮発性の高いテーマを、ある程度の心のゆとりを持って客観的に眺める上では、流行歌という切り口はなかなか有用です。李香蘭はその中の、ある種狂言回し的なプリンセスキャラクターとして、いろんなところに顔を出しているのですね。

ありがたいことに、この本に掲載されている多くの歌が、youtubeで聞くことができます。

たとえば、1927年、中国で始めての流行歌である黎明暉の「毛毛雨」も、

そして、世間でよく知られている李香蘭も歌った夜来香とは全然違う1934年の周璇の歌う夜来香とか:

周璇の歌はyoutubeにいっぱいアップされてますね。

ついでに、李香蘭と鄧麗君の夜来香を

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2014年9月14日 (日)

『POSSE』 vol.24

Photo今月末に刊行されるようです。

表紙に名前の出ている人々の記事もなかなか面白そうですが、私は特集とは別の単発の対談に出ています。

労働弁護士のナベテルこと渡辺輝人さんとの、労働時間規制をめぐる対談です。

なかなか面白いやりとりになっていると思いますので、ご期待ください。

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労働法教育の前にまず民法を

Coverpicてなことをいうと、一世代か二世代くらい昔であれば、せっかくブルジョワ市民法原理を克服する労働法を確立したのに、元に戻れというのか?と怒り心頭に発したおしかりを各方面から受けることになったに違いありませんが、いやいや昨今の労働者の相談なるものをみていくと、そんな先走ったあれこれの労働者の権利なんてものに行く前のもっともっと前の段階で、それこそブルジョワ市民法原理をもちっとしっかりと身につけてもらわんことには、どうしようもないという姿が浮かび上がってくるわけでごぜえますだよ。

http://www.rochokyo.gr.jp/html/2014bn.html#9

労働調査協議会の『労働調査』9月号が「個別労働紛争解決のために」という特集を組んでいるのですが、その中で、連合・非正規労働センター・次長の丸田満さんが書いている「連合「なんでも労働相談ダイヤル」にみる個別労働紛争の現状と今後の課題」の中に、こういう記述があるわけです。

http://www.rochokyo.gr.jp/articles/1409.pdf

(5) 辞めたいのに辞められない(辞めさせてくれない)

連合「なんでも労働相談ダイヤル」に寄せられる労働相談の中には、解雇、退職強要、雇い止め、契約打ち切りなど「辞めさせられる、辞めさせられた」系のものは依然として多い。この点はすでに触れた通りである。

しかし、ここ1~2年に増えてきたものがその正反対、「辞めたいのに辞められない(辞めさせてくれない)」系である。

労働条件や人間関係の悪さなどを理由に退職届を出した労働者に対し、会社が就業規則を盾に「退職は退職日の3カ月前までに申し出なければならない」といった事例。さらには「一方的に退職した場合は損害賠償を請求する」といった事例などである。円満退職ならいざしらず、わざわざ労働相談を寄せるような職場ならば、退職届を出してから3カ月も勤務させること自体が「パワハラ、いじめ・嫌がらせ」といっても過言ではないであろう。

また、正社員に限らず、アルバイトの学生が「辞めたい」と申し出たところ、「今すぐに辞められると穴が空く。次の人が決まるまで辞めないでほしい」と引き留められたあげく、辞められないまま勤務し続けているというものもある。

これら「辞めたいのに辞められない(辞めさせてくれない)」系の労働相談については比較的、対応が容易である。

相談者の雇用形態が期間の定めのない場合は、民法第627条第1項(期間の定めのない雇用の解約の申入れ)を基に、会社に「退職届」を出すように説明する。なお、このときに「退職願」とすると、「私は退職したいと思いますので、退職を認めていただけますでしょうか」という意味に取られ、会社の承諾なしには辞められなくなる可能性があることも考慮し、会社の承諾を必要としない「退職届」とすることもあわせて説明する。

一方、相談者の雇用形態が期間の定めのある場合は、詳細な状況を確認した上で民法第628条(やむを得ない事由による雇用の解除)に基づいて対応する。状況によっては明示された労働条件の相違を事由とする労働契約の解除に関する労働基準法第15条第2項を持ち出すこともある。

「辞めたいのに辞められない(辞めさせてくれない)」。その背景には、労働者には退職の自由があるという、働くことに関する基本的な知識が労使双方で不足していることが推測される。

人手不足が叫ばれる今日、「辞めたいのに辞められない(辞めさせてくれない)」系の労働相談がこれから増えることも懸念される。

まさに「働くことに関する基本的な知識が労使双方で不足」には違いないのですが、ここで問題なのはそれがいわゆる近代市民法を修正してできた現代労働法に属する部分における「知識の不足」じゃないということです。

それよりも、もっと根源的なというか、中世封建社会を否定してできた近代市民社会(そう言いたければブルジョワ社会とでも何とでも言えば良いが)の基本原理自体が、労使双方にしかと認識されておらず、ご主人様が駄目だと言ったら召使いは勝手に辞めることも許されないのが当たり前みたいな感覚があるらしいことです。未だに主従法の世界か!?

私もここ数年来、いろんな人々の驥尾に付して労働法教育が必要だの何だのと言ってきてますけど、なんだか事態はもう少し深刻で、いわゆる労働法学で教えているような労働法以前の、民法の雇用規定それ自体を改めてしっかりと教えておかなければいけないような状況なのかもしれないな、と感じる次第です。

第八節 雇用

(雇用)

第六百二十三条  雇用は、当事者の一方が相手方に対して労働に従事することを約し、相手方がこれに対してその報酬を与えることを約することによって、その効力を生ずる。

(報酬の支払時期)

第六百二十四条  労働者は、その約した労働を終わった後でなければ、報酬を請求することができない。

2  期間によって定めた報酬は、その期間を経過した後に、請求することができる。

(使用者の権利の譲渡の制限等)

第六百二十五条  使用者は、労働者の承諾を得なければ、その権利を第三者に譲り渡すことができない。

2  労働者は、使用者の承諾を得なければ、自己に代わって第三者を労働に従事させることができない。

3  労働者が前項の規定に違反して第三者を労働に従事させたときは、使用者は、契約の解除をすることができる。

(期間の定めのある雇用の解除)

第六百二十六条  雇用の期間が五年を超え、又は雇用が当事者の一方若しくは第三者の終身の間継続すべきときは、当事者の一方は、五年を経過した後、いつでも契約の解除をすることができる。ただし、この期間は、商工業の見習を目的とする雇用については、十年とする。

2  前項の規定により契約の解除をしようとするときは、三箇月前にその予告をしなければならない。

(期間の定めのない雇用の解約の申入れ)

第六百二十七条  当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から二週間を経過することによって終了する。

2  期間によって報酬を定めた場合には、解約の申入れは、次期以後についてすることができる。ただし、その解約の申入れは、当期の前半にしなければならない。

3  六箇月以上の期間によって報酬を定めた場合には、前項の解約の申入れは、三箇月前にしなければならない。

(やむを得ない事由による雇用の解除)

第六百二十八条  当事者が雇用の期間を定めた場合であっても、やむを得ない事由があるときは、各当事者は、直ちに契約の解除をすることができる。この場合において、その事由が当事者の一方の過失によって生じたものであるときは、相手方に対して損害賠償の責任を負う。

(雇用の更新の推定等)

第六百二十九条  雇用の期間が満了した後労働者が引き続きその労働に従事する場合において、使用者がこれを知りながら異議を述べないときは、従前の雇用と同一の条件で更に雇用をしたものと推定する。この場合において、各当事者は、第六百二十七条の規定により解約の申入れをすることができる。

2  従前の雇用について当事者が担保を供していたときは、その担保は、期間の満了によって消滅する。ただし、身元保証金については、この限りでない。

(雇用の解除の効力)

第六百三十条  第六百二十条の規定は、雇用について準用する。

(使用者についての破産手続の開始による解約の申入れ)

第六百三十一条  使用者が破産手続開始の決定を受けた場合には、雇用に期間の定めがあるときであっても、労働者又は破産管財人は、第六百二十七条の規定により解約の申入れをすることができる。この場合において、各当事者は、相手方に対し、解約によって生じた損害の賠償を請求することができない。

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インチキ議論の見分け方

下の「残業代ゼロという本音を隠すな」のエントリに、次のような連続ツイートをしていただいています。「william yamin (仮)」さんです。

https://twitter.com/liam_y23/status/510984578589147136

濱口桂一郎氏のブログより。昨今の【時間ではなく成果で評価される制度を導入せよ云々という議論】の正体を解説してくれています。

https://twitter.com/liam_y23/status/510989071917658113

『現行法制上いかなる賃金制度を採ろうが基本的に企業の自由である。日本国のいかなる法律も成果主義賃金を禁止していない。』というのであれば、同じように正社員に年功賃金の支払いを義務付ける法律も存在しない。非管理職で高給な壮年・中高年社員の給料を引き下げれば良いだけでは?

https://twitter.com/liam_y23/status/510990743150673922

よく「正社員は固定費」と言われるけど、雇用保障の面はともかく、賃金に関しては正社員だからと言って法律的に何ら優遇はされてないと思うんだけど。

https://twitter.com/liam_y23/status/510991435210838016

正社員の給料を一度上げたらなかなか下げられないというが、そもそも上げないといけないという法律はないし、非正規雇用の給料を上げてはいけないという法律もない。じゃあその正社員は昇給するのが当たり前というのは何的に?という話になる。

まさにその通りで、何もわかってない経済評論家や人材コンサルタントが労働法規制が厳しすぎるだの何だのと言ってるのは、ほとんどすべて実定法上の労働法のこの規定が厳しいからこう変えろなどと具体的に提起することが不可能なたぐいのことどもです。要するに、実定労働法は何ら規制なんかしていないのに、企業の人事政策が勝手に、そう法が求めていないのだから言葉の正確な意味で企業の自発的意思により、(無制限な人事権の行使と引き替えに))終身雇用慣行やら年功序列慣行にコミットしてきて、そういう期待を従業員に抱かせてきたことの反射的効果として、いざ問題が裁判所に持ち込まれたら、現に企業がやってきたことのルールに従って判断されてしまうというだけのことです。

「雇用保障の面はともかく」と言われていますが、本質的にはこれも同じことです。ピンポイント的に特定のジョブに採用(就職)した人については、メンバーシップ型で無制限に働かせてきた人と同じ判断はされていません。

賃金ともなれば、まさに企業自身が(一切法によって規制されていない)最低賃金以上のいかなる賃金をどういう人に払うかという判断を、自分で都合が良いように年功的にやってきていることのツケを、あたかも労働時間にかかる法規制の責任であるかのようにフレームアップして、偉そうなことを口走るのですから、ほんとに始末に負えません。

ただ、一番始末に負えないのは、わかってないくせに知った風な記事を書く一部マスコミと、それをさらにどや顔で増幅してみせる一部経済評論家や人材コンサルといった連中でしょう。

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拙著の貸出状況

世の中には、「日本最大の図書館検索 カーリル」なるサイトがあって、日本全国の図書館に所蔵されている本の貸出状況がわかるんですね。

今、どの図書館で誰のどういう本が貸し出されているかがずらっと表示されるという代物です。

早速、拙著『日本の雇用と中高年』が東京都内の大学以外の図書館でどれくらい貸し出されているかを見ると、

http://calil.jp/book/4480067736/search?pref=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD

所蔵77館中、32館でただ今貸し出し中でありました。

ついでに、昨年の『若者と労働』を見ると、

http://calil.jp/book/4121504658/search?pref=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD

所蔵61館中、23館で貸し出し中でした。

こういうのを見ると、出版社にとって入ってくる売り上げ部数の情報だけではない、よのなかの人々にどれだけ読まれているかという情報もあるんだなあ、という思いがします。

上のリンク先からは各地の図書館の貸出状況もわかるので、関心のある方はどうぞ。

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就活生におすすめ!就職活動の内定が近づく、すごい本50選

112483 「賢者の就活」というサイトの「就活生におすすめ!就職活動の内定が近づく、すごい本50選」に、拙著『日本の雇用と労働法』(日経文庫)も取り上げられています。

http://kenjasyukatsu.com/syukatsubook#4

読書とは、私達よりもはるかに優れた専門家の、何年もの知恵の産物を、たった数時間で手に入れることができる、魔法です。本から知恵を取り入れれば、たとえどうすればいいかわからない時代でも、自分で正解をつかみとっていけるようになるでしょう。

ただ、本を読めばいいというわけではありません。役に立つ良書を読みましょう。そこで、学生が就活を乗り越え、社会で戦うために必ず役に立つ本を50冊まとめてご紹介します。

ということで、以下の6ジャンルに分けて紹介されていますが、

→就活の地力をつける

→就活対策をする

→キャリアを考える

→社会を知る

→社会人として生きるために

→本当に役立つ!ベスト教養書

この「社会を知る」の中に、『日本の雇用と労働法』についてこう紹介されています。

日本で働くつもりならば、日本の雇用慣行について知っておく必要があります。この本は、欧米と日本の雇用は何が違うのか?非常にわかりやすく解説してくれます。

この本によると、日本の会社は従業員に、「能力があること(ジョブ)」を求めるのではなく「家族の一員になれること(メンバーシップ」を求めるといいます。日本で働くためには、能力をアピールするだけでなく、「家族の一員になれる」こともアピールしなければならないのですね。

日本の『異様な』雇用慣行のあり方がわかる良書です。

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2014年9月13日 (土)

アクト・オブ・キリング

Poster2 近所の名画座で「アクト・オブ・キリング」という面白い映画をやっているらしいというので見てきました・・・。

http://www.aok-movie.com/

正直、絶句。リンク先の公式サイトを見てくださいとしか言えない。

これが“悪の正体”なのか―――。60年代のインドネシアで密かに行われた100万人規模の大虐殺。その実行者たちは、驚くべきことに、いまも“国民的英雄”として楽しげに暮らしている。映画作家ジョシュア・オッペンハイマーは人権団体の依頼で虐殺の被害者を取材していたが、当局から被害者への接触を禁止され、対象を加害者に変更。彼らが嬉々として過去の行為を再現して見せたのをきっかけに、「では、あなたたち自身で、カメラの前で演じてみませんか」と持ちかけてみた。まるで映画スター気取りで、身振り手振りで殺人の様子を詳細に演じてみせる男たち。しかし、その再演は、彼らにある変化をもたらしていく…。

実際の大量虐殺者に、カメラの前で自らの殺人を演じさせるという前代未聞の手法は、証言と資料のみで構成される一般的なドキュメンタリーとは大きく異なり、出演者と観客の両方に、大きな衝撃を与えることとなった。出演者は演技(=アクト)を楽しむうちに、自らの行いを追体験し、あるいは仲間たちが演じる様子を見ることで、彼らは人生で初めて、自分たちのした行為(=アクト)に向き合うことになる。過去に類を見ないアイディアと勇気を持ったこの映画は、長く恐怖に支配されてきたインドネシアの歴史に大きなインパクトを与えたのはもちろん、単なる告発ドキュメンタリーを超越し、「“悪の正体”とは、“悪”とは何なのか」、「人間の本当の恐ろしさとは」、という全人類にとって普遍の問題を、我々の眼前に突きつけた。それゆえに、世界中の至る所で、これほどまでに強く人々の心を揺さぶり続けているのである

何を語っても空回りしそうなので、、先手を打って莫迦なことだけ言っておくと、、主人公のアンワルさんはあのニカウさんそっくりの人格円満そうな老人。相方のエルマンさんはマツコ・デラックスを男にしたような(?)風貌で、それが女装して踊るものだから笑いを誘うんだけど、彼らは実際に多くの人々を殺した英雄なんだよね。

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「残業代ゼロという本音を隠すな」@『労務事情』9月15日号

Romujijou20140915『労務事情』9月15日号に「残業代ゼロという本音を隠すな」を寄稿しました。前号の「時間ではなく成果で評価される制度への改革?」の続きです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-758d.html (「時間ではなく成果で評価される制度への改革?」@『労務事情』2014年9月1日号)

前号で、

・・・読者諸氏には言わずもがなだが、現行法制上いかなる賃金制度を採ろうが基本的に企業の自由である。日本国のいかなる法律も成果主義賃金を禁止していない。労政審にも産業競争力会議にも、成果主義賃金制度の是非を論ずる権限もなければ、その導入を命ずる権限もない。言うところの「時間ではなく成果で評価される制度」は、もちろん現在でも導入可能である。・・・

と確認したことを受けて、こう続きます。

 では、時間ではなく成果で評価される制度を導入せよ云々という議論はことごとくナンセンスなのだろうか。論理的には、議論の筋道を素直にたどる限りナンセンスである。しかし、そのホンネのところを取り出せば、実はよく理解できる議論なのだ。それは、労働基準法第37条の残業代規制が、それだけが異常に厳しいということなのである。

 そもそも残業代とは何であろうか。その本質は単位を考えればわかる。残業代は時間や分で数えない。単位は円である。つまり、残業代とは労働時間ではなく、賃金である。従って、残業代規制とは労働時間規制ではなく、賃金規制である。こんな小学生でもわかるような当たり前のことを改めて書かなければならないのは、世のほとんど全ての人がここのところを理解していないからである。

 残業代という賃金規制をその本質で捉えれば、職能資格制度における高い等級にいて高い給料を受け取っている者を適用除外することはなんら不思議なことではない。そして、かつてはそれが少なくとも表面的には矛盾を生じないように、実質的には管理も監督もしていない者でも、管理職クラスに昇格したら管理監督者ということにして残業代は払わないという処遇がごく当たり前であった。

 1990年代以来、年功的賃金制度自体は基本的に維持しながら、年功的昇進には厳格な姿勢で臨む企業が増えた。その結果、壮年、中高年に達しても管理職にならないまま、しかし年功的高給に比例した高い残業代をもらう者が増えてきた。時給800円の非正規労働者が1時間残業したら1000円であるのに対して、年収800万円(時給換算4000円)の高給非管理職が1時間残業したら5000円であり、払わなければ違法である。どんな長時間労働にも口を出せない労働基準監督官も、サービス残業となれば押っ取り刀で駆けつけて是正勧告を切る。2000年代以来、膨大な額の不払い残業代の支払いが命じられ続けている。

 1990年代以来、企画業務型裁量労働制、ホワイトカラーエグゼンプション等々というラベルを貼って持ち出されてきた議論は、基本的に全て、高給の非管理職社員に高すぎる残業代を払いたくないという、それ自体としてはもっともな意図に基づいていた。しかしながら、世間向けには常に、その正直な意図の代わりに、自律的な働き方だとか裁量的な働き方だとか、挙げ句の果ては育児と仕事の両立が可能になる自由な働き方などという本音とはかけ離れたレトリックをまぶして提示されてきた。

 おそらく、労働時間規制と賃金規制の区別が付かない愚かなマスコミが、「残業代ゼロ法案」を目の敵にして攻撃してくることを恐れるあまり、残業代規制の緩和という本質を正直に持ち出すことを控えさせ、表面的にもっともらしい虚構の議論をまとわせようとしたのであろうが、その帰結が今日の混乱しきった姿である。

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2014年9月12日 (金)

図書館は著作権者の同意なく蔵書をデジタル化できる@欧州司法裁

労働法ネタではないんですが、EU法ネタということで。欧州司法裁判所のプレスリリースです。

http://curia.europa.eu/jcms/upload/docs/application/pdf/2014-09/cp140124en.pdf

A Member State may authorise libraries to digitise, without the consent of the rightholders, books they hold in their collection so as to make them available at electronic reading points

Member States may, within certain limits and under certain conditions, including the payment of fair compensation to rightholders, permit users to print out on paper or store on a USB stick the books digitised by the library

加盟国は、図書館に、著作権者の同意なく、電子読書ポイントで読めるようにするために、その蔵書をデジタル化することを許可しうる。

加盟国は、著作権者への公正な報償の支払を含む一定の限界と条件の下で、図書館によってデジタル化された本を紙にプリントアウトしたりUSBスティックに保存したりすることを利用者に許可することができる。

これは結構大きな意味を持ちそうです。どこにどれくらいのインパクトがある話なのかは、知財の専門家の解説を求めたいところですが。

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2014年9月11日 (木)

EUインターバル規制について@公明党厚労部会

本日、公明党の厚生労働部会にお呼びいただき、EUのインターバル規制を中心に労働時間規制について説明をしてきました。

早速、古屋範子議員のツイートでご紹介いただいております。

https://twitter.com/Noriko_Furuya/status/510021295040262146

労働政策研究研修機構の濱口桂一郎主席統括研究員に「EU のインターバル規制」(最終勤務時間から翌日の始業まで、一定の休息時間を確保する制度)について講演をして頂きました。働く人々の健康を守るため、更に勉強していきたいと思います。

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女性就労とオランダモデル@NIRA

Nira NIRA(総合研究開発機構)が『女性就労とオランダモデル』という小冊子をアップしています。

http://www.nira.or.jp/pdf/vision5.pdf

執筆しているのは5人。

1 権丈 英子 「参考となるオランダ型アプローチ」 

2 八代 尚宏 「多様な働き方が可能なパートタイム雇用」

3 マルセル・ウィガース 「パートの均等待遇で社会を変える」 

4 水島 治郎 「均等待遇は長時間労働の是正から」

5 デイヴィッド・バーンズ 「働き方をもっと柔軟に」

ここでは、八代さんの文章の一部を引用しておきます。ほとんどの点で私と同じことを言っていることがわかるでしょう。

オランダのパートタイム雇用モデルは、日本にとっても大いに参考になる。その基本的な考え方は、欧米型の職務の範囲を明確にし、同一労働・同一賃金の原則を確立することである。日本では、職務の概念が不明確であり、周囲の人の仕事との分担も曖昧で、個人の成果が不明瞭となりがちだ。また、労働生産性の低さを長時間労働で補っており、頻繁な転勤等、無限定な働き方となっている。・・・

オランダ型のパートタイム雇用によるワークシェアリングの働き方を、日本のシステムに取り入れるためには、「メンバーシップ型」の長期雇用保障や年功昇進・賃金体系を、唯一の望ましい働き方とする通念を変えなければならない。職務が明確な「ジョブ型正社員」を増やし、外部の労働市場からも人材を登用しやすくする。そうなれば、成果を明確に評価することも容易になり、「労働時間ではなく成果に応じた報酬」という、女性にとっても不利にならない、新しい労働時間制度の導入も容易となる。・・・

しかし、そのためにはまず実現すべきことがあります。それを指摘するのが水島さんです。

・・・日本でも、パートとフルタイムの均等待遇は実現すべきだが、現実には困難だ。日本は採用、待遇などが両者で異なり、何をどのように均等にすればよいのか、その基準が全くない。また、企業の間で顧客を優先する意識が強く、依頼に対して残業をいとわず対応する働き方が重視される。企業意識を変えなければ実現は難しい。まずは、男性中心の残業を前提とする長時間労働に網をかけ、働く時間をきちんと枠内に収める必要がある。それによって、すべての人が決められた時間で働く同じ環境が整い、ようやく何を比較するかという均等待遇に向けた議論も可能になる。

世にも奇怪なのは、メンバーシップ型の無制限の人事権を聖域よろしく抱きしめながら、それと不可分のメンバーシップ保護を目の敵にして首切れ首切れとうわごとのように口走る人たちですが、そういう手合いがいつまでもはびこるのは莫迦なマスコミが本物と偽物の区別がつけられないからなんでしょうね。

ところで、最後に登場するIBM人事担当副社長のバーンズさんは、オランダモデルとしてのパート促進にも疑義を呈しています。

オランダの労働市場のルールはオランダの歴史・社会・文化の産物であり、その文脈を抜きにしてパート労働という要素だけを別の国に移植することは適切とはいえない。ただし、より包括的な改革パッケージの一つとして取り入れるなら、うまく機能するだろう。例えば、職務ベースで契約し、従業員ごとに明確な職務記述書を定義することや、「時間」ではなく「成果」によって評価する制度などを導入して、より柔軟な働き方を取り入れるべきだ。こうした前提を踏まえずに日本でパート労働を推奨しても、非正規労働の比率が増えるだけという懸念がある。

いやそれはこれからのことについての未来形で語る話ではなく、10年ちょっと前に時ならぬワークシェアリングブームで、とにかく均等待遇なきパート促進がオランダモデルだというどこかの役所の宣伝の10年後の帰結そのものであり、現在完了進行形で語るべきことではないかと思いますよ。

バーンズ副社長とは、今年の2月に来日されたときに若干お話しをさせていただいたことがありますが、日本の雇用システムの問題について非常に的確な認識をお持ちだという印象を受けました。ジョブ型とメンバーシップ型の皮肉な実例として日本アイビーエム事件のことを話すと、面白そうに笑っていましたね。

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日経病、治癒の兆しなし

これだけ口を酸っぱくして語っても、日経病には治癒の兆しすらないようです。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS10H1H_Q4A910C1EE8000/働き方改革、「年収・職種」で割れる労使 厚労省が論点提示

政府は6月にまとめた成長戦略で労働、農業、医療など岩盤と呼ばれた規制の改革に取り組む方向を示した。労働分野で最も注目されたのが、時間ではなく成果で評価するホワイトカラー・エグゼンプションの導入だ。

長時間労働を助長するとして日本では規制されてきた。時間と成果が比例しにくいアイデア勝負の仕事をきちんと評価する制度を認めるべきだという発想に転換し、政府は「年収が最低1000万円以上の高度な専門職」を対象に導入するところまで決めた。年内に詳細を詰め、来年の通常国会で法改正する段取りだが、意味のある制度になるかどうかは今後の制度設計にかかっている。

この記事を書いた日経の記者も、これを紙面に通したデスクも、一体今の日本で、「時間ではなく成果で評価する」ことを、そういう成果主義的賃金制度を導入することを、どこのどういう法律が禁止しているというのか、明確に示していただきたい、と何回繰り返しても、わからない振りをし続けるんでしょうね。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roumujijo140901.html(「時間ではなく成果で評価される制度への改革?」(『労務事情』2014年9月1日号))

・・・読者諸氏には言わずもがなだが、現行法制上いかなる賃金制度を採ろうが基本的に企業の自由である。日本国のいかなる法律も成果主義賃金を禁止していない。労政審にも産業競争力会議にも、成果主義賃金制度の是非を論ずる権限もなければ、その導入を命ずる権限もない。言うところの「時間ではなく成果で評価される制度」は、もちろん現在でも導入可能である。午後2時頃出勤して2時間ほど仕事をして4時にはさっさと帰る社員に、成果を挙げたからと言って50万円の月給を支払い、朝8時から夕方5時まで就業規則に定められた時間いっぱい働いた社員に、成果があまり上がっていないからと20万円の月給しか払わなくても、現行法制上まったく何の問題もない。もちろん、フルタイムで月10万円では時間当たり単価が最低賃金を割り込んでしまうのでアウトだが、それは最低賃金の問題である。最低賃金を上回る限り、どんな成果主義賃金制度も認められるのが日本の法制である。

どこかの新聞の「虚報」を論難するのなら、まずこの毎日のように繰り返される虚報中の虚報こそ、真摯に反省していただきたいところです。

(おまけ)

全く異なる文脈で語られた言葉ですが、上の「日経病」にあまりにもぴたりとはまりすぎていたので・・・。

https://twitter.com/roumuya/status/510273595130404864

私が関心があるのは「社の主張に沿う記事を書く人が高く評価される」ことが行き過ぎると思い込み記事や検証・ウラトリ不十分な誤報の確率が高まるという人事管理の話です。

そして結論は、

https://twitter.com/sugawarataku/status/510603004030881792

自説に都合の良い事実の解釈や歪曲をしてはいけませんというのが今回の教訓であるというのに、「敵」を叩くために牽強付会になっている人をみると、やはりそんな本筋はどうでもよいんだなと、わかりきったことを確認してしまう。

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そう人口の大きくない地区の小さな図書館で検索したところ、24名の予約が入っていた

41mvhocvl続けてamazonレビューです。

http://www.amazon.co.jp/review/R3943ZUZ69G26M/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4480067736(新書ではあっても真剣な議論が詰まっています 2014/9/11 )

中高年に焦点を当てた労働法、労働問題の概説書である。該当する人々の関心が高いのであろう、そう人口の大きくない地区の小さな図書館で検索したところ、24名の予約が入っていた。出版から4ヶ月もたっているのにである。

ぎゃ!!

これは、著者としてはそんなに多くの方が読もうと行列していただいているということで、心からありがとうございますといいたいところではありますが、版元の筑摩書房の編集者としては、24人もの行列で待つくらいならさっさと買ってよ、780円なんだから・・・・と、いいたくなるところかも知れません。

労働問題をめぐる筆者の論の鋭さは、同著者による岩波新書「新しい労働社会」でよく知られたところだ。日本の労働市場はメンバーシップ制であるとみてとり、様々な矛盾や問題点を歴史的経緯を踏まえつつ、かつ目先の損得論ではなく、社会システム全体にも目配りした広い視野から論じている。時折、「ガラパゴス評論家」や「お花畑の議論」に怒りを表明しているが、著者が本気であることが伝わって、私には好ましく思えた(無論、鼻白む人も多いだろう)。

この辺は好みの問題ですね。

この著者からは今後も学び続けたいと改めて思った。

はい、こういう真摯な読者の方々のためにも、これからも力の入った文章を世に問うていきたいと思っております。

(追記)

小さな図書館における一ヶ月における貸し出し状況のデータとして、日野町立図書館のこれを見ると、

http://www.library.town.shiga-hino.lg.jp/opw/OPW/OPWBESTREAD.CSP?DB=LIB&SID=z9EozEEgNp_HSDa6re6qw_Jvx7pd1lnjWYkRgM2J5A05&MODE=1&HOLDSEL=2

トップは5回の東野圭吾『虚ろな十字架』、次は4回の同じく東野圭吾『パラドックス13』など5点、そしてその次の月間3回貸し出しは山のようにあって、村岡絵理『アンのゆりかご』をはじめベストセラー作家の本がずらりと並んでいますが、なぜかその中に、大変場違いな感じを発散させながら、『日本の雇用と中高年』も並んでますな。

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合格する入試小論文を書けるようになる:week4

「合格する入試小論文を書けるようになる」という記事のweek4に、こういう問題が出ていまして、

http://orangeprose.blog.fc2.com/blog-entry-1231.html

問い:「新卒一括採用」という単語をさまざまな文献やインターネットで調べたうえで、自由に「論点」を設定しなさい。また、それについての意見(結論)も書きなさい。またその論拠も書きなさい。それぞれ、20字以上、200字以内とする。

この問いについて縷々いろんなことを説き聞かせていきます。かなり膨大です。しかしそこで書かれていることは、

・・・「ちょっとだけ情報を提供する」といっておいて、とてもたくさんのことを述べてしまったが、いちおう、重要な情報なので、知っておいて欲しい。

社会科学系の大学では頻出問題だし、そうでなくとも、社会的な一般常識として、どこの大学でも出題される可能性はあるから、知っていなければならない。

なのですね。ですので、

Chukoもし、今回の文章を読んで、雇用問題について興味がわいたら、濱口桂一郎『若者と労働』を読んでみるのもよい。

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2014年9月10日 (水)

お腹いっぱい 素人が読むには難しい本

26184472_1アマゾンレビューで、『日本の雇用と中高年』への書評がアップされています。

http://www.amazon.co.jp/review/R23MZ6JZDD4FVS/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4480067736お腹いっぱい

盛りだくさんの本である。内容的には大学の教科書として使えるだろう。法学部の学生が一学期で学ぶのにちょうど良い分量だと思われる。ただし新書という形式の本としては表現が難しい。内容を半分に絞り込んで、もっと平易に判例ではなく実例を使って説明すれば、世の中の人にたやすく理解してもらえると思う。著者の主張には同意できるだけに惜しい本である。前書きもなければ後書きもない。素人が読むには難しい本である。ちなみに終身雇用を前提とする正社員制度のかわりとして著者が提唱している「ジョブ型正社員」は、正確には「限定社員」である。アメリカなどの「仕事に人を付ける」方式を目指しているので、仕事や場所が限定された「限定社員」と呼ぶべきであり、あえて「○○型正社員」と名前に正社員を残すのは誤解の元である。この本を熟読すれば、日本の終身雇用、年齢差別、年功賃金が鉄のトライアングルになっている理由がよく分かる。そのスキマを付く形で日本の雇用が悪化している現状を見ると、個々の会社が人件費を減らすために部分最適を追求した結果、日本全体として全体不適になってしまった道筋がよく分かる。雇用問題が児童手当や住宅政策にまで関係するという指摘は鋭い。

「著者の主張には同意できる」けれども、「新書という形式の本としては表現が難しい」とか「前書きもなければ後書きもない。素人が読むには難しい本である」とか、かなり厳しい批判をいただいております。

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2014年9月 9日 (火)

文学部の職業的レリバンス(棚卸し)

この記事がなにやら話題になっているようなので、

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だいぶ昔に、本ブログで間歇的に書いたエントリを思い出しました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html哲学・文学の職業レリバンス

一方で、冷徹に労働市場論的に考察すれば、この世界は、哲学や文学の教師というごく限られた良好な雇用機会を、かなり多くの卒業生が奪い合う世界です。アカデミズム以外に大して良好な雇用機会がない以上、労働需要と労働供給は本来的に不均衡たらざるをえません。ということは、上のコメントでも書いたように、その良好な雇用機会を得られない哲学や文学の専攻者というのは、運のいい同輩に良好な雇用機会を提供するために自らの資源や機会費用を提供している被搾取者ということになります。それは、一つの共同体の中の資源配分の仕組みとしては十分あり得る話ですし、周りからとやかく言う話ではありませんが、かといって、「いやあ、あなたがたにも職業レリバンスがあるんですよ」などと御為ごかしをいってて済む話でもない。

職業人として生きていくつもりがあるのなら、そのために役立つであろう職業レリバンスのある学問を勉強しなさい、哲学やりたいなんて人生捨てる気?というのが、本田先生が言うべき台詞だったはずではないでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_bf04.html職業レリバンス再論

哲学者や文学者を社会的に養うためのシステムとしての大衆化された大学文学部システムというものの存在意義は認めますよ、と。これからは大学院がそうなりそうですね。しかし、経済学者や経営学者を社会的に養うために、膨大な数の大学生に(一見職業レリバンスがあるようなふりをして実は)職業レリバンスのない教育を与えるというのは、正当化することはできないんじゃないか、ということなんですけどね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_722a.htmlなおも職業レリバンス

歴史的にいえば、かつて女子の大学進学率が急激に上昇したときに、その進学先は文学部系に集中したわけですが、おそらくその背景にあったのは、法学部だの経済学部だのといったぎすぎすしたとこにいって妙に勉強でもされたら縁談に差し支えるから、おしとやかに文学でも勉強しとけという意識だったと思われます。就職においてつぶしがきかない学部を選択することが、ずっと仕事をするつもりなんてないというシグナルとなり、そのことが(当時の意識を前提とすると)縁談においてプラスの効果を有すると考えられていたのでしょう。

一定の社会状況の中では、職業レリバンスの欠如それ自体が(永久就職への)職業レリバンスになるという皮肉ですが、それをもう一度裏返せば、あえて法学部や経済学部を選んだ女子学生には、職業人生において有用な(はずの)勉強をすることで、そのような思考を持った人間であることを示すというシグナリング効果があったはずだと思います。で、そういう立場からすると、「なによ、自分で文学部なんかいっといて、いまさら間接差別だなんて馬鹿じゃないの」といいたくもなる。それが、学部なんて関係ない、官能で決めるんだなんていわれた日には・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_8cb0.html大学教育の職業レリバンス

前者の典型は哲学でしょう。大学文学部哲学科というのはなぜ存在するかといえば、世の中に哲学者という存在を生かしておくためであって、哲学の先生に給料を払って研究していただくために、授業料その他の直接コストやほかに使えたであろう貴重な青春の時間を費やした機会費用を哲学科の学生ないしその親に負担させているわけです。その学生たちをみんな哲学者にできるほど世の中は余裕はありませんから、その中のごく一部だけを職業哲学者として選抜し、ネズミ講の幹部に引き上げる。それ以外の学生たちは、貴重なコストを負担して貰えればそれでいいので、あとは適当に世の中で生きていってね、ということになります。ただ、細かくいうと、この仕組み自体が階層化されていて、東大とか京大みたいなところは職業哲学者になる比率が極めて高く、その意味で受ける教育の職業レリバンスが高い。そういう大学を卒業した研究者の卵は、地方国立大学や中堅以下の私立大学に就職して、哲学者として社会的に生かして貰えるようになる。ということは、そういう下流大学で哲学なんぞを勉強している学生というのは、職業レリバンスなんぞ全くないことに貴重なコストや機会費用を費やしているということになります。

これは一見残酷なシステムに見えますが、ほかにどういうやりようがありうるのか、と考えれば、ある意味でやむを得ないシステムだろうなあ、と思うわけです。上で引いた広田先生の文章に見られる、自分の教え子(東大を出て下流大学に就職した研究者)に対する過剰なまでの同情と、その彼らに教えられている研究者なんぞになりえようはずのない学生に対する見事なまでの同情の欠如は、この辺の感覚を非常に良く浮かび上がらせているように思います。

・・・いずれにせよ、このスタイルのメリットは、上で見たような可哀想な下流大学の哲学科の学生のような、ただ研究者になる人間に搾取されるためにのみ存在する被搾取階級を前提としなくてもいいという点です。東大教育学部の学生は、教育学者になるために勉強する。そして地方大学や中堅以下の私大に就職する。そこで彼らに教えられる学生は、大学以外の学校の先生になる。どちらも職業レリバンスがいっぱい。実に美しい。

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ちくま新書ブックガイド

筑摩書房から『ちくま新書ブックガイド』が届きました。

ちくま新書が創刊されてから20年ということで、ちくま新書にものを書いた人が、自分の「この一冊」について小文を寄せている小冊子です。

私は、創刊時に刊行された島田晴雄『日本の雇用』を挙げましたが、

島田晴雄『日本の雇用-21世紀への再設計』

 創刊時の一冊だが長く品切れ状態。しかし、年功賃金や新卒一括採用など日本型雇用制度の見直しを訴えたその内容は、20年後の今だからこそ広く読まれる値打ちがある。労働市場改革論がややもすれば労働者の権利を否定する議論になりがちだったこの20年間を反省し、改革論の原点を確認するためにも、再刊を要望したい。

ほかの方々が挙げているのを見ると、なかなか面白いです。

本ブログの関係者で見ると、

今野晴貴:竹田茂夫『ゲーム理論を読み解く』

常見陽平:沼上幹『組織戦略の考え方』

仁平典宏:大澤真幸『戦後の思想空間』

古市憲寿:鈴木謙介『サブカル・ニッポンの新自由主義』

本田由紀:岩田正美『現代の貧困』

というラインナップですね。

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海老原さん自身による要約版

Ebi先週末紹介した

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-4e5a.html(海老原嗣生『いっしょうけんめい「働かない」社会をつくる』)

の、海老原さん自身による要約版がしのどすに掲載されています。

http://synodos.jp/economy/10616(経営が隠しているエグゼンプション導入の本音)

・・・企業「成果論争」の大騒ぎを隠れ蓑にして、いつの間にか、管理職を日本型雇用の不都合さから外すことに成功したのだ。

ただし、それはキャリアや家庭生活などを含めたトータルな脱日本型ではなく、給与構造のみの変革にとどまる。だから、日本型の労働環境は何も変わらず、いまだに日本の管理職は配転を余儀なくされ、過去にも増して、長時間労働にいそしむ。もちろん、企業側はそのトレードオフとして、整理解雇も能力解雇もままならない。高年収の成熟社員である管理職でさえ、そんな、なれ合いの非自律的労働を続けているのだ。

そう、全体設計を考えず、対症療法を続けてきた様がよくわかるだろう。

もう、こんな、経営都合の対象療法を続けてはいけない。エグゼンプションを残業論議にとどめず、日本型雇用変革の一大エポックに育てるべきなのだ。しっかり休み、むやみに想定外の指令は出されず、意に沿わない異動もなくなる。その分、定期昇給も残業代もなくなる。このトレードオフが成り立つ「欧米型就労」へ、一皮むける方向に、エグゼンプション論議が熟すのを心待ちにする。

ちなみに、昨晩はHRmicsレビューで、

http://www.nitchmo.biz/

海老原さんの講演は前半がほぼ本書の内容でした。

私は、海老原さんが軽妙洒脱に喋った後で、それを法だの政策だのとこねくり回すつまらぬ議論をする役回りでしたが、聴衆の皆さんはそれなりに面白く聞いていただけたようです、

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2014年9月 7日 (日)

マタハラ概念の法的意義は・・・

マタハラnetというところが、「「女性活躍推進新法にマタハラ防止のための一文を!」 ※9月9日までに署名のご協力をお願い致します。」というキャンペーンを張っているようです。

マタハラnet

「女性が輝く日本」。政府が掲げる、女性活躍推進のキャッチフレーズです。でも、女性の置かれている環境は、そんなに輝いていると言えるでしょうか?

国の平成20年の調査では、妊娠出産前後に退職した女性正社員は、その理由について、およそ1割が「解雇された、退職勧奨されたから」と回答しています。

妊娠、出産、育児を理由にした差別は、法律で禁止されているにも関わらず、実際には違法行為が横行しているのです。

政府は今、「2020年までに指導的地位に占める女性の割合を30%にする」という目標を掲げ、女性の管理職登用などを促す法案をこの秋の臨時国会に提出するため、労使が参加する審議会で議論を進めています。

しかし、管理職になれるような女性は一部。女性労働者の半数以上は非正規雇用で働いています。一部のエリート女性だけに対する支援がなされても、本当に女性が輝く日本になるとは思いません。

私たち「マタハラNetのメンバーには、妊娠中に無理な勤務を続けて2度の流産を経験し、会社に勤務状況の改善を訴えたところ、退職を促された女性もいます。

やっとの思いで子どもを保育園に預け、復帰しようとしたら、「社長の気が変わった」と解雇された女性もいます。妊娠や出産のさなかに会社と争うことは非常に難しく、ほとんどの女性が泣き寝入りせざるを得ない実態があります。

子育て中の女性は、働き方に制約があり、対応が難しい企業もあるとは思います。

しかし、政府が本当に「女性が輝く日本」を目指すのであれば、女性管理職を増やす以前に、こうしたボトムの問題こそ直視し、女性が安心して出産し、働き続けられる環境を整えることが不可欠であるはずです。

ですから私たちは、こう求めます。

新しい法案では、女性の登用を進める企業には、妊娠、出産、育児などを理由にした不利益取扱いを禁じた「労働基準法」「男女雇用機会均等法」、「育児介護休業法」の遵守を徹底することを明記してもらいたいのです。

法案の議論は、遅くとも10月はじめまでに結論が出る見通しです。

ですので、9月11日の審議会の場に、この提案を届けたいと思います。

私たちの、すべての働く女性の声を届けるため、皆様の賛同をお願いします。

ここで言われていることの実体面については、全面的に賛成です。そして、同じ思いを持っている方から見れば以下で述べることは、細かな法律談義で大事なことをおとしめようとする法匪の議論に見えるかもしれません。

でも、先日のたかの友梨事件のパワハラ談義と同じ話なのですが、現行法ですでに立派な違法行為であるような行為を、いまさら新法でマタハラという新たな概念で規定しようという話には、やはり尤もという話にはならないのです。

雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律

(昭和四十七年七月一日法律第百十三号)

(婚姻、妊娠、出産等を理由とする不利益取扱いの禁止等)

第九条  事業主は、女性労働者が婚姻し、妊娠し、又は出産したことを退職理由として予定する定めをしてはならない。

2  事業主は、女性労働者が婚姻したことを理由として、解雇してはならない。

3  事業主は、その雇用する女性労働者が妊娠したこと、出産したこと、労働基準法 (昭和二十二年法律第四十九号)第六十五条第一項 の規定による休業を請求し、又は同項 若しくは同条第二項 の規定による休業をしたことその他の妊娠又は出産に関する事由であつて厚生労働省令で定めるものを理由として、当該女性労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない。

4  妊娠中の女性労働者及び出産後一年を経過しない女性労働者に対してなされた解雇は、無効とする。ただし、事業主が当該解雇が前項に規定する事由を理由とする解雇でないことを証明したときは、この限りでない。

育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律(平成三年五月十五日法律第七十六号)

(不利益取扱いの禁止)

第十条  事業主は、労働者が育児休業申出をし、又は育児休業をしたことを理由として、当該労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない。

第十六条の九  事業主は、労働者が前条第一項の規定による請求をし、又は同項の規定により当該事業主が当該請求をした労働者について所定労働時間を超えて労働させてはならない場合に当該労働者が所定労働時間を超えて労働しなかったことを理由として、当該労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない。

第十八条の二  事業主は、労働者が第十七条第一項(前条第一項において準用する場合を含む。以下この条において同じ。)の規定による請求をし、又は第十七条第一項の規定により当該事業主が当該請求をした労働者について制限時間を超えて労働時間を延長してはならない場合に当該労働者が制限時間を超えて労働しなかったことを理由として、当該労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない。

第二十条の二  事業主は、労働者が第十九条第一項(前条第一項において準用する場合を含む。以下この条において同じ。)の規定による請求をし、又は第十九条第一項の規定により当該事業主が当該請求をした労働者について深夜において労働させてはならない場合に当該労働者が深夜において労働しなかったことを理由として、当該労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない。

第二十三条の二  事業主は、労働者が前条の規定による申出をし、又は同条の規定により当該労働者に措置が講じられたことを理由として、当該労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない

これらによって禁止されている行為に当てはまらないような、しかし労働者のマタニティに悪影響を与えるようなハラスメント行為をマタハラという概念でとらえて規制していこうという議論には法的な意味があります。

しかし、上で言われているマタハラ防止のための一文というのは、すでにれっきとした違法行為であることどもを「遵守を徹底することを明記してもら」うことなんですね。

すでに刑法で禁止され、罰則が用意されている暴行、傷害、恐喝等々といったことを、改めていじめ新法で「遵守を徹底することを明記してもら」うといわれれば、それはいかにもおかしいんじゃないかと思う人が多いのではないでしょうか。(実はそうじゃない可能性が結構高かったりするから怖いのですが)

もちろん、それは、世間の、とりわけ企業経営者たちの感覚が、これられっきとした違法行為を全然悪いことだなんて感じていないからであり、その現実の感覚を前提にしてのこのマタハラnetの訴えであるわけですが、にもかかわらず、こういう訴えは、現行法におけるれっきとした違法行為を、マタハラとかいう近頃ぽっと出の新しい概念に放り込んでしまう危険性を抱えていることも意識しておいた方がいいように思います。

まあ、こういうことを言うと、また「バカの見本」とか言われるわけですが。

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『DIO』296号

Dio連合総研の『DIO』296号は、「春闘〜過去・現在・未来」が特集です。

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio296.pdf

春闘の歴史と社会経済的課題 高木 郁朗 ………………4

賃上げをどうすすめるか 脇田 成 ……………………8

韓国人研究者から見た春闘−春闘は韓国型賃金決定制度になるのか 李 旼珍 …………………12

国民・市民目線から見た春闘 ~開かれた春闘へ~ 篠田 徹 …………………16

高木さんの概観論文は歴史を知らない労組の人たちにも役に立つでしょうし、脇田さんの論文は本ブログでも何回も取り上げてきた話ですが、今日の理論武装としてとても重要です。

視点としてなかなか面白かったのは李旼珍さんの論文で、

韓国と日本の主な交渉制度は企業別交渉制度であるが、日本における賃金決定は、韓国とは違って、企業別賃金交渉を越えて産業間、企業間で調整されることを明らかにした

著者が、近年のその調整機能の低下を分析して、

 前述した比較書は、「春闘の調整機能の弱化が続けば、日本の賃金交渉は韓国のような『調整されない企業別交渉』に変わるだろう。そうなると企業規模間賃金格差が拡大し、格差社会の問題はより深刻になるだろう」と付け加えている。調整の努力を続けるのか、それとも調整をやめるのか、どっちを選択するのかは、日本の労働組合が決めることであるが、調整の弱化が何をもたらすのかは上で検討してきた。日本の労働組合には調整の努力を続けてほしいと願うばかりである。

と、日本の韓国化(!?)を危惧しています。

あと、巻頭言で龍井副所長が、

・・・筆者自身はこの9月で「退役」の身となるが、連合総研の「中長期ビジョン」が、力と意志の凝縮として練り上げられることを期待したい。

と書かれていて、また一人労働界から名物が去っていくな・・・と。

本ブログで龍井さんが最初に登場したのは、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_f774.html (僕も非正規社員スタート)

読売の記事ですが、

http://job.yomiuri.co.jp/interview/jo_in_07101901.cfm

Jo_in_07101901

>龍井 葉二(たつい・ようじ)さん

連合の非正規労働センター総合局長に就任
>「非正規社員というだけで低い労働条件に置かれる労働者がいるのに、黙って見ていていいのか。とりあえず一緒に声をあげていこう。それがセンターの役目です」

 連合は先ごろ開いた大会で、非正規社員の労働条件向上を第一に取り組むことを決めた。結成20年目を前にした大転換で、その象徴と目される部署の初代責任者に座った。

 企業の業績こそ好転したものの、年収200万円以下の人が増え続けている。国税庁の調査では昨年、とうとう1000万人を超えた。パート、派遣労働者が急増したためとみられる。今や3人に1人が非正規社員の時代になった。

 ところが、連合傘下の労働組合はこれまで、同じ職場に非正規社員がいても「知らん顔」だった。正社員の権利確保を優先してきたからだ。

 そんな連合が、どこまで本気で突き進めるのか。

 「大言壮語はせず、身近の非正規社員と手をつなぐことから始めたい。そこで足元を固めたら、パソコンや携帯のネットを活用して連帯の輪を広げていきたいですね」

 団塊最後の世代で、学生運動が過ぎて最初に入った大学は中退。別の大学へ入り直し、大学院に進む予定が単位不足で留年した。組合ニュースを各加盟労組に配信する旧総評の“子会社”に職を得たのは30歳手前になってから。

 「僕も非正規社員から社会人をスタートさせた。奇縁でしょ」。ふっと笑った。

私より年長の組合の人って、わりと人生いろいろという感じの人が多い気がします。いい意味で人間の幅があるって言うか。時代の激動の中を生きてきましたという感じで。

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原論と応用編

金子良事さん曰く、

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-340.html (メンバーシップ型社会はジョブ型社会へ移行するのか)

今の労働問題をどう考えるのか、という風に聞かれるときに、メンバーシップ型とジョブ型という考え方が今やもう、かなりデフォルトになって来たなというのが私の実感である。おそるべきhamachanの影響力。

濱口新書四部作のなかで、原論とも言うべきは『新しい労働社会』と『日本の雇用と労働法』で、応用編が『若者と労働』『日本の雇用と中高年』ということになるだろう。

私としては、原論は『日本の雇用と労働法』であって、『新しい労働社会』は応用編です。応用編の総論。で、『若者』と『中高年』がその各論。そうすると、各論で欠けているのが女性ですね。

前に議論した中で濱口先生が説明されていたのは、労働法と社会政策・労働問題研究の架け橋になるような議論がない、という現状認識とそこに橋を架けるという問題意識のもとで、『日本の雇用と労働法』が展開されたと言えよう。そのときに私が書いたのは、それこそが法社会学のやるべきことではないか、ということであった。『日本の雇用終了』で展開された「生ける法」としての「フォーク・レイバー・ロー」はまさにこの問題への解決の道筋の一つであると言える。濱口先生の議論は、良い意味で厚生省以来の労働政策の伝統を継承している。それはどういうことかと言えば、社会的制度の狭間の中で社会的弱者として生きる以外にない人たちに対して、制度的なところで解決できるところを解決しようということである。

「厚生省以来」というより、「内務省社会局以来」ですね。

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2014年9月 6日 (土)

濱口らしいいつものアホぶり

池田信夫イナゴも田中秀臣バッタも、とんと姿を見せなくなって久しい今日この頃、私への罵倒をお約束通り投入しつづける「bogus-simotukare」氏の熱意には頭が下がります。

ブラック企業大賞やってる連中が、労働問題をはみだして/濱口らしいいつものアホぶり。「ブラック企業=労働法違反企業」と定義すれば「原発推進のブラック」は対象外だろうがそれ単に濱口の問題意識でしかない

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2014年9月 5日 (金)

海老原嗣生『いっしょうけんめい「働かない」社会をつくる』

Ebi 海老原嗣生さんの新著『いっしょうけんめい「働かない」社会をつくる 残業代ゼロとセットで考える本物のエグゼンプション』(PHP新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。

このタイトルから、海老原ファンの方は、「ははん、あれか」と思い当たるでしょう。そう、経済産業研究所のスペシャルレポートとして書かれた「日本型雇用の綻びをエグゼンプションで補う試案」を膨らませて一冊の本にしたものです。膨らませたというか、全体的な議論をするために、日本型雇用システムの基本的な議論にまでさかのぼって、その部分的修正の提言のキーストーンとしてのエグゼンプションを提示する本になっています。

労働時間の規制を適用除外とする「エグゼンプション制度」。

雇用の第一人者が「過労死促進法」といわれる制度の内実に迫る一冊。

amazonの内容紹介のこの台詞はいただけませんな。いやいやそんなちんけな本じゃありませんってば。

目次の項目を示しただけでそれが窺われるでしょう。

第1章 経営側が隠しているエグゼンプション導入の本音

第2章 なせエグゼンプションは必要になったのか?

1 そうして生まれた熟年ヒラの耐えられない軽さ

2 欧米型雇用は熟年・シニア・女性に優しい

第3章 なぜ欧米人は、しっかりと「働かない」のか

1 残業代をなくせば「家族団らん」というロクでもない話

2 「フランスでもエリートは日曜労働」が示唆すること

第4章 労働者都合でのエグゼンプション設計

1 米国法が示す「雇用を作り、待遇を上げる」エグゼンプション

2 ヨーロッパ諸国の「いかに休ませるか」という取り決め

第5章 どこまで日本型を変えるべきか

1 欧米では隣の席にも異動しないのをご存じ?

2 日本企業の持つ経営的自由と強権

3 日本型は教育などしていない、それでも若手が育つ

第6章 法律でできることと、企業が考えること

1 「日本型を変えるエグゼンプション」のための法律要素

2 社会が拒否せず、受け入れる導入プラン

第7章 みんなで歌う、日本型雇用へのレクイエム

1 入り口が日本型になることの諸問題をどう解決するか?

2 ジョブ型雇用の「上辺構造」を設計する意義

これを見ただけで、近年海老原さんが『HRmics』誌上などで展開してきた議論の集大成になっていることがわかります。

そして、その各章ごと、各節ごとに、私が『若者と労働』やとりわけ『日本の雇用と中高年』などで論じてきたことと共鳴し合っていることが読み取っていただけることと思います。

ちなみに、本書の第2章の章末に、私の小文がちらりと載っております。

また、本書の解説は鶴光太郎さんです。そう、規制改革会議雇用ワーキンググループで労働時間の三位一体改革を示したあの鶴さんです。

(追記)

本日、JSHRM(日本人材マネジメント協会)のコンファレンスで基調講演をしてきましたが、そこでこの本を宣伝してきました。

http://www.jshrm.org/event/cofarence_5698.html

ついでにamazonに苦情をいうと、海老原嗣「雄」じゃなくって、海老原嗣「生」です。

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六二郎さんの拙著書評

112483久しぶりに日経文庫『日本の雇用と労働法』の書評です。六二郎さんという方の「語り得の世界」。

http://rokujiro.blog.fc2.com/blog-entry-152.html

労働のありかたや労働法については、長年給与生活者として暮らしてきていながら、高校の社会科で習ったことと、仕事上での耳学問程度の知識しかない。
思えば、労働というのは人生のなかでもっともウェイトの高い活動だから、考えるべきことはいっぱいあるはず。しかし、労働の中身についてはいくらでも語れるのに、労働という行為を対象化して考えたことはあまりない。

この本では、日本の雇用・労働について、時代々々の、姿・慣行、法律、関係裁判例などを詰め込んだ本である。筆者にその解説や批評ができる力量はないが、要点をまとめると次のようになるだろう。・・・

と、拙著の内容を要約しつつ、

・・・労働をめぐっては、メンバーシップ型雇用にしろ、ジョブ型にしろ、社会の至るところに相互に関連する事象が多く、諸問題はいずれもインターロックのような状況になるようだ。

とまとめられます。本書の書評はここまでで、その先は、この一つ前のエントリである「歴史性と非合理なデザイン」にひっかけつつ、

前稿「歴史性と非合理なデザイン」では、歴史がデザインを規定する部分があることを書いたつもりだが、人間の社会は、それぞれの社会の歴史を背負っているわけだから、社会システムを考えるときには、その文化から独立に最適化を考えることはできないということになるだろう。

そういえば、ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」では、時給単価を引き上げた場合、労働意欲が増す国民と、労働意欲が減退する国民があることを、当時の統計に基づいて示したうえで、文化(この場合はプロテスタンティズム)の役割を指摘していたのだった。

と、話を広げています。

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2014年9月 4日 (木)

ホワイト企業って言ってるのは・・・

金子良事さんに一言だけ、

https://twitter.com/ryojikaneko/status/507421387485503488

ついでにいえば、厚労省はホワイト企業ではなく、グリーン企業といえばよかったのだ。そうすれば、ILOの「グリーンジョブ」、持続可能社会など一気に啓蒙できたのに。いろんな意味で失敗である。

ついでに言えば、私の知る限り、厚生労働省はホワイト企業なんていう奇妙な言葉は一度も使っていないはずですよ。

私の知る限り、ホワイト企業って言っているのは、霞ヶ関の中では雇用労働問題を直接には所管しない経済産業省だけであり、その他一般書の著者の中にそういう言葉を使っている人はいるようですが、少なくとも雇用労働政策の文脈でホワイト企業なんていう言葉は聞いたことはありません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-bf25.html (『ホワイト企業 女性が本当に安心して働ける会社』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-dfc0.html(ひな祭りのなでしこ銘柄)

さらについでに言えば、グリーン企業なんて言葉はどこをどうひっくり返しても環境に配慮したエコロジーな企業という意味合いしか持ち得ようがないので、環境省以外の役所が使うべき言葉とは思えません。

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常見陽平『リクルートという幻想』

506常見陽平さんから新著『リクルートという幻想』(中公新書ラクレ)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.chuko.co.jp/laclef/2014/09/150506.html

リクルートは「人材輩出企業」や「新規事業創造企業」等と賞賛され、「営業武勇伝」に事欠かない。「やんちゃ」な社風は賛否両論あるが、日本人の働き方に良くも悪しくも影響を及ぼした。論客として著名なOBが、自らの体験と新規取材の両面から、R社の実態に迫り、将来を展望する。

なんか記者会見までなさったようで、

28d83761

今までの本にもましてリキが入っているようです。

少し前に同じ中公新書ラクレから出た寺脇研さんの『文部科学省』と似た肌触りを感じました。

基本的にこの会社の「社風」に焦点を当てた本なのですが、私の関心からすると、日本の雇用システムに上手く波乗りしながらニッチを見る間に拡大してきたそのビジネススタイルの戦後史における意味を考えてみたいところもあります。

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乱読大魔王日記さんの拙著書評

41mvhocvl拙著『日本の雇用と中高年』に対する書評です。「乱読大魔王日記」さんというすごい名前ですが、とても丁寧に真摯に読んでいただいています。

http://we23randoku.blog.fc2.com/blog-entry-5087.html

女性の目から見ると

さいごのほうに、わずかばかり「中高年女性の居場所」という小見出しがたてられている。この小見出し部分に女性の話は尽きていて、この本でずーっと出てくる「若者と中高年」というのは、基本的に若いあんちゃんたちとおっさんたちの話なんやなーと思う。

と映るわけですが、いやそれは日本型雇用システムそのものがそういうまなざしでできているからで。

「中高年女性の居場所」で述べられている、「女性正社員は会社にとってどんな存在だったか」のところを読んで、母たちの世代で裁判を起こした人などはこういう女性観と闘ってきたのやなーと思った。とくに、女子の結婚退職制などを正当化してきた企業の主張が、あらためて読むとスゴイ。そこのところを、著者がコンパクトにまとめている。

▼…男女差別的労務管理を疑うことなき前提とし、にもかかわらず「男女同一賃金の原則に徹し」!「成績査定により生ずる差を除けば、年齢を問わず男女同一の賃金を支給してきた」ために、長期金属の女子職員の方が男子職員よりも高給となってしまうという「不合理」が生じてしまうことのないよう、結婚退職制を導入したというわけです。男女差別的労務管理と男女同一年功同一賃金を組み合わせると、こういう論理的帰結に至るという典型例とも言えます。(pp.217-218)

この節が短すぎるのは確かですが、それは日本型雇用システム自体が中高年女性に正社員としての居場所を与えないような仕組みであったからで、そこに着目して一冊の本を書くのであれば、また違った光景が浮かび上がってくることになるでしょう。

そして、中高年女性は、この本を読んでいても、どこか「飛び地」感があって、「ジョブ型」になったとして、どうかなーと考えた。とりあえず、この著者の本はもう一冊くらい読んでみたい。

はい、是非読んでください。

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八代尚宏「なぜ女性管理職は増えないか」@ダイヤモンドオンライン

ダイヤモンドオンラインで、八代尚宏さんが「なぜ女性管理職は増えないか 「30%目標」を遠ざける“日本的雇用慣行の疾患”」という文章を書かれています。全体としてほぼわたくしが言っている趣旨と同じで、しかも用語も共通のものが使われてています。

http://diamond.jp/articles/-/58617

・・・しかし、これは日本的雇用慣行における内部昇進を前提とした論理である。現行の仕組みのままで、あと6年間のうちに女性管理職比率を3倍にすることは、きわめて困難である。むしろ、企業内部に管理職に相応しい人材がいなければ、外部から登用すれば良い。そうなれば、企業経営に重要な役割を果す管理職を、男女、年齢、国籍にかかわらずオープンにすることにも結びつく。これは、もっぱら内部昇進で管理職になる、従来の人事管理のあり方自体の改革となり、それが実現してこそ、成長戦略に貢献するものといえる。

メンバーシップ型の人事管理を堅持して女性管理職を急に3倍にするということは、つまりメンバーシップ型の「正義」をそれとして維持しながら敢えてそれに反するごり押しを「女性活躍」という錦の御旗を振りかざしてしなければならないと言うことであるわけです。

問題はそのメンバーシップ型の「正義」自体が、マクロ的にみれは「女性の活躍」を阻害するという機能を果たしているということであって、そこから八代さんは明確に国家権力による介入を要求していきます。

・・・女性の管理職が少ないことの主因は、①長期継続雇用前提の年功的な内部昇進、②配偶者が専業主婦の世帯主を暗黙の前提とした長時間労働や頻繁な転勤等の働き方、③専業主婦世帯を優遇する税制や社会保険制度、等がある。これらが夫婦共働きと子育ての両立を困難にしており、管理職年齢に達する前に、多くの女性が脱落する要因となっている。

今後、人口の減少と高齢化が進むなかで、貴重な女性の労働力の量的な増加だけでなく、その質的な向上をも妨げている社会制度・慣行の改善は、政府の基本的な責任といえる。これに対し、日本の雇用慣行に対して、政府が介入すべきではないという「労使自治の原則」の考え方がある。しかし、市場主義の米国でも、「差別禁止」という大原則に使用者が反した場合には、政府が断固介入する。

ホワイトカラーの職種について、男女間で基本的な能力差がない以上、女性の管理職が1割に過ぎない日本の現状は、社会制度面での「女性に対する差別」の結果と考えられる。この「差別」という「社会的公害」の是正のために、政府の介入が必要なことは、経済学の入門書にも明記されている。

「社会的公害」とまで言っていますね。

正社員の雇用安定と、年齢に比例した生活給を保障する日本の雇用慣行は、その代償として、長時間労働や頻繁な転勤等の無定限の働き方とパッケージの雇用契約を労働者に強いている。企業にとって慢性的な長時間労働は、雇用保障のコストが高い正社員数を最小限にとどめるとともに、不況時に削減できる労働時間の余地を高め、雇用を守るための安全弁である。また、労働者にとっても残業代は追加収入の意味を持っている。頻繁な転勤は、事業の再構築や不況時に企業グループ内の雇用流動性を確保する手段であり、幹部候補生にとっては、地方支社や工場等での「管理職研修」としての意味もある。

こうした正社員の無定限の働き方を支えるために不可欠な存在が、世帯主を支え、家事・子育てに専念する専業主婦である。この意味で「男性は仕事、女性は家事」の性別役割分担は、日本的雇用慣行を支える根幹ともいうべき前提である。また、世帯主の生活給には、「家族ぐるみの雇用」という意味もある。

この辺は、拙著で繰り返し論じてきたところですし、

ワーク・ライフ・バランスの必要性が、長年、主張されているにもかかわらず、一向に実現しないのは、それが「男性の長時間労働と女性の就業率の低さ」という形で、「家族単位」ではすでに実現しているためだ。これを個人単位に改革するためには、女性ではなく男性の働き方を抜本的に変える必要がある。

これはわたくしの言う日本的フレクシキュリティですね。

さらに、こういう用語も使われます。

長期雇用保障を重視し、仕事能力に応じた正社員の入れ替えの可能性が小さいことが、日本の大企業の大きな特徴である。とくに低成長期には、どのような業務にも原則対応できるメンバーシップ型正社員の採用は新卒採用時に限定されており、ジョブ型の業務を行う派遣・パートタイム社員との雇用や賃金面の格差が大きいことが、労働市場の効率性と公平性を損なう要因となっている。

そして、この指摘は、まさに近著『日本の雇用と中高年』でかなり力を入れて述べたところでした。

日本企業にとっての管理職とは、長年、企業のために働いた中高年者を処遇する役職であり、「メンバーシップ型」正社員のゴールとしての位置づけであった。しかし、部下の業務の効率化を図り、適切な人事評価を行うためには、財務や企画等、特定の分野で、部下よりも優れた業務能力をもたなければならない。そもそも部下よりも高い仕事能力がなければ、部下にできる筈の仕事をできないといわれたり、短時間でできる仕事に長い時間をかけ、残業代を稼がれてもチェックできない。また、管理職の判断の誤りでムダな仕事をさせられたり、やり直しが増えれば、部下の負担は大きくなり、組織全体の効率性は低くなる。

欧米の管理職の日本との大きな違いは、管理のプロというだけでなく、「他に属せざる業務は管理職の仕事」という点である。これは、個々の社員が機械の部品のように、自らの職務しか果たさないジョブ型社員ばかりの組織では、急な欠員や、飛び込みの仕事に対応できないからだ。日本なら、管理職がだれかに追加の仕事として命じれば良いが、職務の範囲が明確に定められている欧米の平社員は、「自分の仕事ではない」と拒否するのが普通である。結局、追加の仕事は、管理職が自ら果たすしかない。その意味で、管理職とは、本来、どんな仕事にも対応できる能力が求められる「万能職種」といえる。

従って、欧米の組織では、ワーカホリック・タイプでない限り、「管理職お断り」の社員が多くなる。日本でも、管理職ポストが増えないなかで、社員の高年齢化が進む今後の社会で、社員の不満を抑えるためには、管理職の仕事をより厳しいものとして、それでも役職に就きたい者の中から選抜すれば良い。これは市場での需要と供給の原理を企業内部に持ち込むことと同じである。

なんだか、「女性活躍」大臣というのもできたようですが、本当に女性の活躍を目指すのであれば、

「社会の指導的地位にある女性比率の30%目標」を、単に女性管理職比率の名目的な引き上げという目標に矮小化してはならない。社会の指導的地位の人材の内で、女性の比率が1割に過ぎないことは、日本の社会制度の歪みの結果である。病気の際にでる熱を無理やり下げても、病気自体が治るわけではない。

という言葉にも耳を傾けるべきでしょう。

ただし、最後のこの一節は、いささか拳を振り上げる先を間違えており、メンバーシップ型人事管理を堅持しながら労働規制を緩和したいといういいとこ取りの議論に力を貸す結果になりかねないことも銘記しておくべきでしょう。

それにもかかわらず、8月29日の労働政策審議会に示された、今秋以降の「労働政策の重点課題」では、解雇の金銭補償ルールの制定は無視されており、女性の活用も企業の自主的な行動への支援のみにとどまっている。日本の成長戦略の大きな柱である労働市場改革に、担当省庁が熱意を示さないなら、社会保障制度改革と同様な専門家会議を官邸に設置して、総理のトップダウンでの改革を目指す必要があろう。

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2014年9月 3日 (水)

職務発明への労使の意見

朝日の今朝の報道について、

http://www.asahi.com/articles/ASG924QNWG92ULFA00K.html(特許、無条件で会社のもの 社員の発明巡り政府方針転換)

政府は、社員が仕事で発明した特許を「社員のもの」とする特許法の規定を改め、無条件で「会社のもの」とする方針を固めた。これまでは、十分な報償金を社員に支払うことを条件にする方向だったが、経済界の強い要望を踏まえ、こうした条件もなくす。企業に有利な制度に改まることになり、研究職の社員や労働団体は反発しそうだ。

政府が条件として検討してきた十分な報償金制度をめぐっては、経団連などが「条件の内容が不明確で使いにくい」などと反対し、無条件で「会社のもの」にすることを強く求めていた。方針転換は、こうした企業側の意見に配慮した。

「方針を固めた」とかいうリークだかなんだかの報道なのですが、とりあえずここに出ている労働団体(連合)と経団連の意見が公開されているので、それを貼っておきます。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/kenkai/data/20140717kenkai.pdf?0728(日本再興戦略等に対する連合の見解)

「再興戦略2014」には、「企業のメリットと発明者のインセンティブが両立するような職務発明制度の改善」の例として、特許に関する権利を「発明者たる従業者」から「企業」(法人)に帰属させることが挙げられている。法人帰属となり、企業が従業者へのインセンティブを自由に決められるようになると、従業者が現在受けている利益の切り下げにつながる可能性がある。そもそも権利帰属の原則を変える立法事実がないにもかかわらず、このような見直しが検討されていることは問題である。

わが国が、「技術イノベーションの推進/世界最高の知財立国」をめざすのであれば、何よりイノベーションを生み出す人を大事にしなければならない。そのような視点を欠いた制度の改善では、むしろ優秀な人材が海外に流出してしまうという本末転倒の結果をも招きかねない。発明を生み出す研究者・技術者の発明意欲の向上につながるよう、従業者のインセンティブが確保されることを前提とした制度の検討を行うべきである。

http://www.keidanren.or.jp/policy/2013/046.html(職務発明の法人帰属をあらためて求める)

(1)「特許を受ける権利の法人帰属化」の必要性

職務発明は、従業者が企業の有する設備や情報を活用しつつ、職務として行った業務の結果発生するものである。さらに事業化に至るまでは、発明者以外の他の従業者の貢献が不可欠である。

こうしたなか、発明者のみが「対価」を請求できる現在の枠組みは、従業者間の不公平感の醸成にもつながるものである。わが国の職務発明の法人帰属への改正は、この改善に資するものであり、早期に実現することが必要である。

われわれの提案する法人帰属への改正により、発明者への「対価」の支払いは法的義務ではなくなるが、職務発明は企業にとって極めて重要であり、引き続きその奨励に努めることは当然である。対価請求権のない職務発明の法人帰属への改正は、企業が自らの創意工夫によって、発明者を含めた全ての従業者のモチベーション向上のための施策を充実させる契機となる。

(2)「職務発明規定の廃止(=契約への移行)」の懸念

職務発明規定を廃止し、米国同様、雇用契約に規定する報酬のみ認める制度とすべきとの主張もある。しかし、職務の内容、報酬や職務発明に係る権利の帰属等が雇用契約の中で明確となっている米国とわが国の状況は異なっており、こうした契約を個々の従業者と取り交わすことは容易でない。また、これまでの職務発明制度の延長線上で取り決められる可能性も否定できないため、企業の訴訟リスク低減や予見可能性向上が実現できないおそれがある。

つまり、労働組合側が労働者個人個人の貢献と報酬を明確にするジョブ型のルールを求めているのに対して、経営側は会社のみんなが頑張ったんだから、独り占めせずにみんなのものにせよと、メンバーシップ型のルールを要求するという、まことに興味深い対立図式となっていることがわかります。

(追記)

上の朝日の記事はガセだったようですね。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS03H1X_T00C14A9EE8000/(社員の発明、特許は企業に 産業界が報酬ルールに理解)

正確に言うと、従業員の発明を会社に帰属させるという方針はそのままですが、「無条件で」というわけではなく、報酬は企業の勝手ではなく法で規定する方向ということのようです。

特許庁は企業の従業員が発明した特許について、条件付きで企業に帰属させる方向で検討に入った。いまは発明した従業員が特許を持つが、企業の設備や同僚の協力なしに発明するのは難しいためだ。ただ従業員に報酬を支払う新ルールを整備し、企業が発明者に報いることを条件とする。

 特許庁が3日に開いた有識者会議では、経団連の和田映一氏ら産業界の委員が「法律で発明者に報奨することを定めるのは、企業と従業員の双方に有意義」と表明した。

 これまで経団連は「発明の奨励に法的な介入はなじまず、会社側が自由に設定すべきだ」と主張してきた。発明の報酬は各企業が決めればいいとの考えだったが、産業界は発明者への報酬について法規定する考え方を容認する姿勢に転じた。

 新ルールは、発明者に報いる仕組みを各企業が整えるよう法律で義務付ける方向だ。早ければ秋の臨時国会に特許法の改正案を提出する方針だ。

 いまの特許法だと発明の取り決めがなくても構わないが、その場合は報酬額をめぐって訴訟になる可能性がある。2001年から青色発光ダイオードの発明で争った中村修二氏のケースでは、一審が200億円の支払いを企業に命じ、最後は8億円で落ち着いた。

 特許庁が13年に実施したアンケートでは、発明に対する報酬などの取り決めがある中小企業は76%にとどまる。事前に報酬のルールを定めておけば、企業にとってリスク低下につながる。

 今後は報酬額をどう定めるかが焦点になる。従業員が報酬を求める権利をなくして企業が特許を持つ制度にすると、「何らかの損害賠償請求がおきる可能性もある」(京大の山本敬三教授)。従業員も納得する報酬の算定ルールを特許庁が指針などで示せば、訴訟を避ける効果がある。

 一定の基準を満たす企業だけが特許を持つよう規制する案もあるが、すべての企業の規則を政府が調べるのは現実的ではないとの意見がある。

ただ、いずれにせよ、発明者帰属から企業帰属へという方向性は変わらないので、上で紹介した労使団体それぞれの意見の対立構造も変わりがあるわけではなさそうです。

これを極めてよく示しているのが、労務屋さんの意見で、かつてブログでもよく論陣を張っておられましたが、昨日も、

https://twitter.com/roumuya

(2)多くの技術者が研究開発に取り組んでいるとき、すべての人が同じように特許を得られるわけではない。それは能力による部分もあろうが、会社が決めた研究開発の分野がたまたま特許が得にくい分野だったりとか、たまたま競争が激しくて同業他社にタッチの差でやられたとか、さまざまな事情がある。

(3)ありていにいえば運次第という部分も大きいのであり、そんな中で安心して働けるよう、運良く特許がたくさんとれても賃金が大きく増えないかわりに、運悪く特許があまりとれなくても賃金が減らされたりするようなことがない賃金制度を労使で導入、定着させてきている。

(5)さらに現実には技術者個人がすべて単独で特許を獲得することはまずない。多くの場合は同僚の先行研究開発の成果を踏まえているし、端的に上司の助言や関係部署の協力などを得ていることがほとんどではないかと思われる。そのとき、最終的に特許を申請した人が権利をすべて得ることは妥当でない。

(6)報奨金の額が低すぎるという議論もあろうが、特許が商品化され、生産され、販売され、利益が実現するためには、非常に多くの人々の関与が欠かせず、傾向として特許が画期的であるほどにこれらの人々が要する労力も大きくなろう。もちろん個別事情だが特許の寄与度を過大評価すべきでないだろう。

と健筆をふるっておられます。

これはこれでまことに理屈のたった一つの議論だと思います。

ただ、発明という世界のことを、そういう会社員の共同体世界の感覚だけで論じていいのかについては、なまじ私がそういう世界とは縁遠い人間であるがゆえに、留保しておきたいところもあります。

そもそも、民法246条1項但し書きにもかかわらず、雇用労働者の加工による労働生産物についてはいかなる場合でも労働者の所有にならない所以については、19世紀ドイツ以来民法学における一つの論点であったわけですが、そのさらに例外として知的生産物については雇用労働者たる発明者に帰属するという二重の例外を設けていることの意義についても、必ずしもきちんと議論され尽くしているようには思えません。

そして、一番興味深いのは、何かというとメンバーシップ型は奴隷制だとか、ジョブ型正社員はメンバーシップ型を賞賛するものだとか、口を極めて罵っている評論家さんたち当の御仁が、こういう問題になると、あら不思議、成果を挙げた発明者なんかよりもそのまわりで貢献した従業員たちのためにというメンバーシップ型全開のイデオロギーを振り回して何の疑いも抱かないというところでしょうか。

この問題に関する限り、城繁幸氏の同志は労務屋さんであるようです。

(再追記)

上記朝日の記事を書いた記者の方のツイートによれば、「無条件に」というのは、原則を発明者帰属から会社帰属に変えることを指しており、報酬の決め方の話ではなかったということです。その意味では、必ずしも「ガセ」とは言えないことになります。ただ、若干誤解を招く書き方であったことは否定できない感があります。

https://twitter.com/KuniakiNishio

特許①)3日の「社員の発明」の記事は「誤報」ではありません。ただ、「無条件」をめぐり頂いた指摘を真摯に受け止め、誤った印象を与えないようにより分かりやすい記事を書く努力をしていきます。以下、「誤報」ではない理由を述べます。

特許②)私の記事が示す「条件」とは何かです。6月の政府の当初方針は、特許は「社員のもの」を維持しつつ、「十分な報償金制度」があるという条件を満たした企業だけが、特例として「会社のもの」にできるというものでした。3日朝刊1面と6面の記事から引用します。

特許③)1面「政府は6月、十分な報償金を支払う仕組みがある企業に限り、「会社のもの」にできる特例を設ける改正方針を決め、」6面「一律に「会社のもの」にすることは問題点が大きいと考え、「十分な報償金制度」がある企業に限って特例的に「会社のもの」にすることを認める方針を決めていた」

特許④)特例の「十分な報償金制度」に限るという「条件」が新しい方針では、なくなる。「無条件で「会社のもの」」は、すべて一律に最初から「会社のもの」になるという意味で用いました。

特許⑤)特許は誰のものかは、「社員のもの」を維持すべきだとする従業員側と、「会社のもの」に変えるべきだとする企業側が対立する最大論点です。大正時代から続く「社員のもの」を維持するとした6月方針から、経済界の要望で「会社のもの」に変える方針に転換したことに着目したのが3日記事です。

特許⑥)6月記事から要約。「特許法では、特許は「社員のもの」とされている。今回の改正ではこの原則は残しつつ、一定の条件を満たした企業に限り、「会社のもの」にできる特例をもうける。十分な報償金を支払う仕組みがあることを条件にする」

特許⑦)6月18日の委員会で「社員のもの」を維持する方針を示した特許庁に、経済界は反発します。6月20日の政府の知財戦略本部会議で、経団連の知的財産委員長は「一定の条件」と言及し、次のように述べています。議事録から引用します。

特許⑧)経団連知的財産委員長「最近の産構審における議論では、一定の条件を満たした場合には例外的に法人帰属を認めるなど、小規模な改正にとどめようとする動きがある(略)小規模な改正に終わるのではなく、職務発明を法人帰属とし、(略)抜本的な制度改正を進めていただきたい」

月の「社員のもの」(=従業員原始帰属)の方針から転換し、「会社のもの」(=法人原始帰属)になることがニュースだと考えました。また、「無条件」は、報酬についての法的な規定がなくなるという意味では用いていません。

特許⑩)3日朝刊で1面「社員の待遇が悪くならない規定を設ける」、6面「今後の具体的な改正案づくりのなかで、いまと同じように、何らかの形で社員が発明にみあったお金を得られるような工夫をする」と触れましたが、5日記事で、詳しく伝えました

特許⑪)私の記事が「無条件」を、特許を受ける権利が「会社のもの」になるという意味で使っているのに対し、他の報道は、従業員への報酬の法定を「条件」として使っています。「条件」が指し示すものが異なり、矛盾せず、①「会社のもの」の方針と②報酬の法定を伝え、ほぼ同じ内容です。

特許⑫)特許庁は「方針を固めていない」と公式説明しましたが、複数の政府幹部や小委員会関係者らへの取材から、方針を固めていると判断しました。

なんにせよ、労務屋さんのロジックからすれば、発明者というごく一部のエリートだけに莫大な利権を与えるのではなく、縁の下の力持ちとして貢献した名も無き組織の人々のことも考えろという、まことに共同体的連帯意識あふるる主張であるはずが、こともあろうに発明者保護を弱者保護だとかソーシャリズムだとかと罵る人によって主張されているというところにこそ、この問題の皮肉な構造が露呈していると思うわけです。

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『季刊労働法』246号

Tm_mjq2x5vcmq 『季刊労働法』246号の案内が労働開発研究会のサイトに載ったようなので、こちらでも紹介。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/archives/006324.html

●今号では、今年の通常国会等において動きのあった労働関係の新立法、改正法令に注目した特集となっております。労働安全衛生法、パートタイム労働法、男女雇用機会均等法施行規則、過労死防止基本法など、最新の動向を踏まえながら、意義は何か、課題は何かを論じます。

●その他、セブンイレブン事件(岡山県労委3月20日命令)、東芝(うつ病解雇)事件(最2小判3月24日)といった注目度の高い事件に関する論文を掲載しています。

目次は次の通りです。

特集

近時の立法・改正法令の検討課題

改正労働安全衛生法の考察 京都大学大学院教授 小畑史子

改正パートタイム労働法と均等・均衡待遇 近畿大学教授 奥田香子

次世代育成支援対策推進法の改正と今後の課題 京都産業大学教授 高畠淳子

性差別解消の現在から見た均等法施行規則の改正―次なる法改正へ向けての考察 北海道教育大学教授 菅野淑子

過労死防止法の意義と課題 弁護士(過労死防止法基本法制定実行委員会事務局長) 岩城 穣

ブラック企業対策から見た近時の立法・改正法令の検討課題 NPO法人POSSE代表 今野晴貴

■論説■

NHK受託業務従事者の労契法・労組法上の労働者性 NHK前橋放送局事件・前橋地判平成25・4・2(労働法律旬報1803号50頁) 同志社大学教授 土田道夫

フランチャイズ・コンビニ加盟店主の労組法上の労働者性 山梨大学教授 大山盛義

非正規の正規化 その実態の法的課題 UAゼンセン会長 逢見直人

■研究論文■

配偶者のうち夫にのみ年齢要件を課す遺族補償年金の合憲性 地公災基金大阪府支部長(市立中学校教諭)事件(大阪地裁平成25年11月25日判決) 中央大学大学院博士後期課程 西 和江

働く児童と教育を受ける権利―労働法制における就業と就学の両立に着目して― 武蔵大学非常勤講師 常森裕介

■投稿論文■

社会的(保護的)就労への労働法適用を巡る考察 神奈川大学法学研究科博士前期課程修了 石原康則

■労働法の立法学 第37回■

労働人権法政策の諸相 労働政策研究・研修機構統括研究員 濱口桂一郎

■神戸大学労働法研究会 第29回■

派遣労働者に対するパワハラ行為と派遣先会社の損害賠償責任 アークレイファクトリー事件・大阪高判平成25年10月9日労判1083号24頁 弁護士 千野博之

■同志社大学労働法研究会 第12回■

複数就業者の労災保険給付―ドイツ法との比較法的研究― 同志社大学大学院 河野尚子

■北海道大学労働判例研究会 第34回■

公務員のした退職の意思表示の撤回と退職承認処分の有効性 豊富町事件・旭川地方裁判所平成25年9月17日判決・判例時報2213号125頁 琉球大学准教授 戸谷義治

■筑波大学労働判例研究会 第40回■

労災民訴(精神疾患)における業務過重性評価と過失相殺・素因減額の関係性 東芝事件(最2小判平成26.3.24 裁判所時報1600号1頁) 社会保険労務士 北岡大介

■文献研究労働法学 第13回■

労働契約論 北九州市立大学准教授 石田信平

■イギリス労働法研究会 第21回■

イギリスにおける「株主被用者(employee shareholder)」制度の導入―株の取得と引き換えにした雇用諸権利の放棄 久留米大学准教授 ・敏

■アジアの労働法と労働問題 第21回■

韓国の女性労働法制と課題 日本大学教授 神尾真知子

●重要労働判例解説

希望退職応募勧奨とその拒否した従業員に対する出向命令の有効性 リコー(子会社出向)事件(東京地判平25・11・12労働判例1085号19頁) 専修大学法科大学院教授 小宮文人

違法解雇と代表取締役の責任 I式国語教育研究所代表取締役事件(東京地判平25・9・20労経速2197号16頁) 小樽商科大学准教授 南 健悟

特集に、POSSEの今野さんも登場しています。

私の連載は「労働人権法政策の諸相」です。人種差別撤廃条約を取り上げたのは、なんだか妙に時宜に合いすぎてしまった感もありますが。

参考までに、この論文の見出しだけ挙げておきます。

「労働法の立法学」36回
「労働人権法政策の諸相」

1 労働に関する基本法制における人権規定
(1) 労働基準法
(2) 職業安定法
(3) 労働組合法
2 人種差別撤廃条約
3 同和対策事業
4 人権擁護法政策
 (1) 人権救済制度の検討
(2) 労働分野における人権救済制度検討会議
(3) 人権擁護法案
(4) 労働関係特別人権侵害に対する救済措置
(5) その後の推移

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日本EU学会第35回(2014年度)研究大会

日本EU学会第35回(2014年度)研究大会の案内が同学会のHPにアップされたようなので、こちらでも紹介しておきます。

共通論題の「EU の連帯」において、わたくしが「EU集団的労使関係システムの課題」について報告をする予定です。

http://eusa-japan.org/newsletter/newsletter033.pdf

Japaneu

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2014年9月 2日 (火)

ワンポイントメモへの注釈

yamachan-blogに「労働法ワンポイントメモ:「公益通報」と「申告」」というエントリがアップされています。例のビューティなエステティックサロンの事案について、法律上の論点をまとめたものですが、

http://social-udonjin.hatenablog.com/entry/2014/09/02/111121

実は申告の多くの部分は公益通報と重なり合っている。

ことを指摘しつつ、その違いとして、

第一に、労働者を保護するルートが異なる。公益通報は民事上の保護であるのに対して、申告は刑罰を前提にした間接的な保護である。前者は訴訟になったときに保護されますという話で、事業者を罰するというのは後者の話。労働者保護ルールに関して、ここがごっちゃになることが多いので要注意。

第二に、公益通報は退職者を含まないが、申告は退職者を含むということ。例えば退職者による未払い賃金の申告は、最もよくある相談の一つであるが、賃金請求の時効にかからない限り、在職中であるか否かにかかわらず、申立てが可能である。(ちなみに賃金請求権の時効は2年。退職金の場合は5年。)

と述べています。これはこれで正しいのですが、厳密にいうと、労働基準法104条2項という根拠規定そのものは、「刑罰を前提にした間接的な保護」であると同時に、それ自体「民事上の保護」でもあります。

(参考)太洋鉄板事件(東京地決昭25.12.28)

第五、当裁判所の判断の要旨
 一、申請人一成が昭和二十三年十二月に就業中熱傷を負い、その結果身体障害を存しその後以前のように働くことができなくなつたこと、被申請人会社がその後労働基準法所定の災害補償金を支拂つていないこと、申請人らが、亀戸労働基準監督署へその旨を申告した結果同署が補償決定をしたことはいずれも疏明されている。
 二、よつて本件解雇の効力について考えてみる。
  (一) まず、会社の主張する申請人等に対する解雇事由をみるに、申請人斉が洗滌部副主任として鉄板の洗滌順位を適宜変更して操作したこと、申請人一成が本年に入つてから時折欠勤、早退したこと、職場の同僚と口論したことのあつたことなどは一應認められるが、右操作順位の変更は、材料の節約その他の必要から、通常この種の作業においては行われていることであり、また前記欠勤、早退等については責むべき点が皆無とはいえないが、これらをとりあげて直ちに前記就業規則に該当するものとはいゝ難いし、他に両人が特に職場の同僚から嫌惡され、又は作業能率を低下させ、その結果会社に損害を與えたような事情については疏明がない。
  (二) しかるに本件解雇が亀戸労働基準監督署の災害補償決定がなされた直後に行われたこと、及び会社代表者取締役及川武三が亀戸労働基準監督署から災害補償決定書の送附をうけて間もなく会社從業員の代表者及び申請人両名に対して、会社の機密を外部へ洩すような者を雇傭しておくわけにはいかないという趣旨の発言をしたことなどが疏明されており、これらの事実と前記(一)において一應認めることのできた事実を綜合すれば被申請人会社の本件解雇の決定的な理由は申請人らが、労働基準法に違反する事実を労働基準監督署に申告したことにあると判断せざるをえない。また申請人が予告手当を受領したことは認められるが、これによつて同人等が会社側の解雇の意思表示を承認して、以後このことについて爭はないことを約したものとは認めがたい。
 よつて本件解雇は労働基準法第百四條第二項の規定に違反するものであり、同規定は効力規定と解すべきであるから、これらの解雇の意思表示は無効なものというべきである。
 解雇が無効であるにかかわらず被解雇者として取扱われることは労働者たる申請人等にとつて著しい損害であるから申請人の從業員たる地位を保全する必要ありと認め主文の通り決定する。

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『月刊連合』9月号は「家事労働と女性の活躍」

201409cover『月刊連合』9月号は「家事労働と女性の活躍」が特集です。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/shuppan/teiki/gekkanrengo/backnumber/new.html

女性が輝く社会へ

眠れる「潜在力」の活用を!

■アベノミクスで女性は輝けるの?

竹信三恵子 和光大学現代人間学部教授、ジャーナリスト

■男性が家事労働に参画できないワケ

多賀 太 関西大学文学部教授

■アメリカで女性の活躍を支えるのは?

治部れんげ 昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員、ジャーナリスト

■実践! 家事シェア

三木智有 NPO法人 tadaima! 代表理事

■連合がめざす「女性の活躍」とは?

南部美智代 連合副事務局長

となれば竹信さんが出てくるわけですが、その最後のパラグラフで、

さて、どうすれば家事労働を考慮した労働時間設計ができるのか。

と問うて、

・・・そのためにまず「標準労働者像」の転換を図って欲しい。家事・育児は妻に任せ、残業も転勤も厭わない正社員から、仕事も家事労働も担っていける労働者をスタンダードに置いて、その視点で労働条件や労働環境の改善を考えていくと、今までとは違った世界が見えてくるはずだ。

と述べています。まったくその通り。でもね、

それなら、「解雇しやすい限定正社員はんたーい」とか「ジョブ型正社員ハンターイ」とか、今までの正社員像をひたすら正当化するような言い方はやめた方がいいと思います。

少なくとも、ここで竹信さんが言うように、そういう無制約の人事権と手厚い雇用保障の交換としての無限定正社員像こそが「標準労働者像」であり、それがゆえにパート法8条1項の「通常の労働者」像でもある以上、そういう言い方をし続けている限り、「家事労働を考慮した労働時間設計」は逃げ水のように遠くに去って行きますよ。

あと、先日の労働時間シンポジウムの記録も載ってます。

連合 緊急シンポジウム

「労働時間規制のあり方を考える」

[パネリスト]
圷 由美子 弁護士
安藤至大 日本大学准教授
川口美貴 関西大学法科大学院教授
吉田真之 自動車総連労働法制局長
才木誠吾 情報労連政策局長
[モデレーター]
新谷信幸 連合総合労働局長

この中で引用する値打ちがあるのは、経済学者たる安藤至大さんのこの言葉でしょう。

「労働条件の決定」は原則として労使の自治に任せるべきだ。しかし、労働時間の現行規制は、事実として健康被害をもたらすような長時間労働を抑止できていない。政府が直接規制をする必要があるだろう。

労働時間規制は経済学の視点からも正当化できる。第一義的には健康被害の抑止だが、少子高齢社会を迎え、労働力人口が減少していく中で、多大な時間やお金をつぎ込んで育て上げた貴重な働き手を長時間労働による健康被害で失うのは、余りに非効率だ。

100%同意。

なんか今日聞いたんだけど、一部で「hamachanは経済学者が嫌いだ」とか言う噂が広まっているらしいけど、全くの誤解というか悪意ある中傷です。この安藤至大さんとか神林龍さんとか、下手な法律学者の百万倍尊敬している経済学者は何人も居ます。馬鹿なくせに、知らんことをどや顔で偉そうに説教したがる馬鹿な経済学者が嫌いなだけで、それはどの分野であっても同じです。


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2014年9月 1日 (月)

日本の雇用制度の迷走は、我が事のように読むことができました

26184472_1拙著『日本の雇用と中高年』への読書メーターでの書評がまた一つ。

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/40803973

ほぼ中高年の私には、給与体系や就業時間の制限などを含めた日本の雇用制度の迷走は、我が事のように読むことができました。 20年近いサラリーマン人生の中で、唐突な成果主義や裁量労働制の導入に晒されて来ましたが、そこにどのような背景があったのかが、何となくですが理解できました。 戦後の日本社会が脱却を目指してきた所謂“日本型雇用システム”と言われる終身雇用&年功序列が、二度の石油危機やバブル崩壊などの度に、逆に強化されてきてしまった過程が良くわかる本でした。

20年近いサラリーマン人生というと、40代半ば。まさに90年代半ばの入社時から「唐突な成果主義や裁量労働制の導入に晒されて来」た世代ですね。

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これと対照的に、資本主義的なのは・・・

労働組合ほど資本主義的な存在はないのだよ

ありすさんのなにげないつぶやきに脊髄反射しますが、

https://twitter.com/alicewonder113/status/472916403386068993

日本の労組がまっとうに機能してないのは、取引や交渉が苦手というところもありそう。スウェーデンあたりは取引や交渉がうまそうだ。

https://twitter.com/alicewonder113/status/472918343914377216

一つには、あまりにも資本主義を否定的にとらえる言説が、世間に溢れすぎている。意識高い人はとりあえず「資本主義ガー」「新自由主義ガー」「経済成長ガー」と言っておけば、「弱者や環境にも配慮するわたしイシキタカイ」と感じられる風潮ができている。

もちろん、近現代史を一瞥すればわかるように、労働組合ほど資本主義的な存在はありません。資本主義以前の、権力関係と経済関係が一体であった時代には、自分たちの経済状況を集団的に改善するための労働組合など存在していませんでした。

資本主義以後(と自称する体制)においても、労働組合という看板を掛けた党の出先機関はあっても、労務と報酬の交換関係を前提とした上で、その交換条件を集団的に取引することを目的とした自主独立の団体などは存在していませんでしたし、現に存在していません。

団体交渉=集団的取引(collective baigaining)を行う労働組合=取引組合(trade union)が存在しうるのは、個別的であれ集団的であれ、権力行使自体と切り離された経済的取引がが可能な資本主義社会のみであって、その意味で労働組合ほど資本主義的な存在はないのです。

こんな、労使関係論の教科書の冒頭に載ってるような、イロハのイを改めて言わなければならないのは、いささか不思議な気がしますね。かつては、革命だの共産主義だのと叫ぶ人々が知識人の世界では盛んだったので、労働組合を革命のための道具扱いして、集団的取引を馬鹿にする風潮も強かったようですが、その頃過激に旗振ってたような連中に限って、今は市場原理主義の使徒になったりしているから都合がいいものです。

そういう反資本主義的であるが故に反労働組合的であるような議論がどんどん衰退していった挙げ句の果てに、集団的取引の意味自体も社会的にほとんど認識されないようになり、ありすさんが指摘するような訳のわからない知的状況が広まってしまったのでしょうか。

このあたり、知識社会学的観点からいろいろと分析してみると面白そうです。

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極左暴力集団と言えば・・・

若き日の池田信夫氏

池田信夫氏のつぶやき:

http://twitter.com/#!/ikedanob/status/206617042676224001

0713fe530fcea06ff35722211e39f7b9_40私の友人は2人、中核派に殺された。それも誤爆だった。これから反原発デモに参加する人は、鉄パイプで殴り殺されるリスクを覚悟したほうがいい。

というところだけみると、まるでまったく無関係の学生がやられたみたいですが・・・

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/87b82fb7d88e3e98eaf045b8401db2c7週刊誌だけがテロと闘う日本

私の学生時代にも、私が部長だったサークル(社会科学研究会)で、革マルのメンバーが内ゲバで4人も殺された。念のためいっておくと、社研は(東大教授の)吉川洋氏も部長をつとめたアカデミックなサークルで、私自身も党派と無関係だったが、当時は革マルが駒場を拠点にしていたため、中核と革労協にねらわれたのだ。

池田氏の学生時代の末期はわたくしが駒場にいた頃と重なっていますが、少なくともわたくしが入学した時に先輩からこんこんと教えられたのは、社会科学研究会は革マルのフロントだから近づかない方がいいよ、という忠告でした。

それがどこまで正しい忠告であったか否かを判断することは、関わらなかったわたくしにはできませんが、少なくともそういう認識が一般的であったことは事実です。

さらに、わたくしが入学してすぐ、駒場で開かれていた革マル派の集会に顔を出していた新入生が、襲撃してきた他のセクトに殺されるという事件も起こったりしていて、ますます命が惜しければ社会科学研究会には近づかない方がいい、という雰囲気がありました。

もとより、セクトと無関係だった当時の一学生の感想に過ぎませんが、若き日の池田信夫氏が部長を務めていた社会科学研究会のメンバーが4人も中核派に殺されたのが全くの「誤爆」と言えるのかどうかには、いささか疑問があります。

少なくとも、わたくしの同期生であったその殺された学生が「誤爆」であったのに比べると、社会科学研究会のメンバーであると目星をつけられて殺されたわけですjから。

(追記)

稲葉振一郎氏の絵解き

https://twitter.com/shinichiroinaba/status/379984971923853313

W5s524vo1bu0xf6v1dxv元から単なる転向マルクス主義者や。発想の根幹はかわっとらん。彼にとって資本主義は前から暴力装置で、それを批判する代わりにそれに額づくようになっただけのこと。

(※)

また自慢げにつぶやいていますな。

http://twitter.com/ikedanob/status/221432442223988736

自慢じゃないが、私は友人が4人も内ゲバで殺されて「革命」運動がどういうものか、よく知っている。官邸の前で騒いでいるのは、革命とは何の関係もない「反原発」というカルトに洗脳された子どものままごと遊び。

なるほど、さすが、「子どものままごと遊び」じゃない本当の「革命」運動を経験された方は違う・・・。

投稿: hamachan | 2012年7月 7日 (土) 17時46分

またもや(笑)・・・・・・

https://twitter.com/adidagoo/status/472260728359886848

池田信夫がまた内ゲバやってる! 左翼の本性丸出し。(爆笑)

https://twitter.com/adidagoo/status/472261252463341568

これぞ池田信夫!(爆笑)

RT“@ikedanob: 反論されたら謝罪したくせに、またデタラメなコメントを(私に@をつけないで)流している辻元(上智大学教授)は、振られた女にまとわりつくストーカーみたいなものだ。大学当局も、セクハラやってないか調査したほうがいい。”

https://twitter.com/adidagoo/status/472265079644098564

「内ゲバ=左翼」というシグナルだから、三段論法だと…。(爆笑)

@ikedanob: @galois225 『15時までに謝罪して、今後いっさいアゴラおよび私にコメントしないことを約束しないと、過去記事をすべて削除する。』

RT“@ikedanob: 「左翼=頭悪い」

https://twitter.com/uncorrelated/status/472282469371502593

アゴラの炎上が楽しみになってきましたね。 — 炎上するかは分かりませんが、もう少し左翼プロパガンダ手法と同様の異様さが広まればよいと思います。

https://twitter.com/uncorrelated/status/472287558475714561

アゴラの某氏とリフレ派の某氏が似てる気がしませんか

投稿: hamachan | 2014年5月30日 (金) 21時56分

人間年をとると、儂の若い頃はこうだったんじゃ、みたいなことを繰り返すようになるそうですが、この若い頃過激派に入り浸っていたとおぼしき御仁も、その傾向が顕著に現れてきているようですな。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51901121.html

「過激派」といわれた新左翼系セクトの友人が、突然アパートに泊まりにきた夜という記事でちょっと思い出したので、個人的メモ。
私も大学時代、サークルの部員4人が内ゲバで殺されたときは、さすがに恐かった。パン屋の前で公衆電話をかけていると私の前で30分かけてパンを買う客がいたり、喫茶店で前に見たことのある客が隣の席に座ったり、気持ちの悪いことが続いたあと、(大学に連絡していない)下宿の郵便受けに何かを通告するように某党派の機関紙が入っていた。身の危険を感じて、友達の家を泊まり歩いた。
当時、そういう話は珍しくなかった。キャンパスが血の海になったことも1度や2度ではないが、いま思えばひどい勘違いだった。

儂も若い頃はやんちゃをしたものじゃわい、とでもいいそうな口調ですな。

それは政治的にはナンセンスだったが、マルクス主義を乗り超えることで学生は大人になり、社会を客観的に見られるようになった。

池田信夫氏が「大人にな」ったかどうかについては、人によっては異見のあるところでしょう。「社会を客観的に見られるようになった」に賛成する方はさてどれくらいいることやら。
  

投稿: hamachan | 2014年6月12日 (木) 23時20分

革マル崩れが我が身を棚に上げてまっとうな労働者の運動を極左暴力集団などと誹謗するのだから、呆れてものが言えませんわ。

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「労働安全衛生法政策の現在」 @『損保労連GENKI』8月号

111 『損保労連GENKI』8月号に 「労働安全衛生法政策の現在」 を寄稿しました。

「労働安全衛生法政策の現在」
 
 今年6月に、改正労働安全衛生法が、国会での可決成立を経て公布されました。今回の改正では、化学物質管理のあり方の見直し、重大な労働災害を繰り返す企業への対応、外国に立地する検査機関への対応などが盛り込まれていますが、主たる論点は2011年に国会に改正案が提出されたときから論議が続けられてきたメンタルヘルス対策と受動喫煙防止対策の2つであろうと考えます。この2つとも、論議の過程において異論が続出し、紆余曲折を経ながら今回の法改正に至っています。
 
 まず1つめの、メンタルヘルス対策ですが、その出発点は自殺対策にあります。年間自殺者数が約3万人にものぼる状況に鑑み、2006年に議員立法で「自殺対策基本法」が制定されたほか、厚生労働省でも2010年に職域におけるメンタルヘルス対策などの検討をすすめる「自殺・うつ病対策プロジェクトチーム」が設置されました。
プロジェクトチームがとりまとめた報告書では、職場の定期健康診断を通じてメンタルヘルス不調者を把握する方向性が打ち出されましたが、報告書の内容を受けて開始された有識者による「職場におけるメンタルヘルス対策検討会」では、労働者のプライバシー保護や労働者への不利益な取扱いに対する懸念から、「医師は症状について事業者に伝えず、意見を述べる場合も労働者の同意を得る」との、やや消極的な姿勢を示しました。ところが、この内容の法制化に向けた労働政策審議会での論議では、再び方向が転換し、2010年12月の建議では事業者がメンタルヘルス対策に関して大きな役割を担う仕組みとなりました。
 こうした論議の末、国会への提出に向けた法案作成にとりかかろうという時に、東日本大震災が発生し、福島第一原発で炉心溶融対応に従事する原発作業員の被曝上限問題など、安全衛生上の大問題が生じたため、法案作成は延期されることになりました。その後、改正案は2011年12月にようやく国会に提出されることになりました。改正案には「精神的健康の状況を把握するための検査等」として、事業者は労働者のメンタルヘルス不調を把握するための検査を行わなければならないことと、労働者はこの検査を受けなければならないことが盛り込まれ、また、事業者は検査結果を通知された労働者の希望に応じて医師による面接指導を実施し、医師の意見を聴いたうえで、必要な場合には、作業の転換、労働時間の短縮その他の適切な就業上の措置を講じなければならないことも盛り込まれました。ところが国会では、2012年8月に趣旨説明までは行われたものの、結果として審議未了にて成立に至らず同年11月の衆議院解散により廃案となりました。
なおこの間、精神医療関係者などからは、事業者がメンタルヘルス対策を講じることにより生じる労働者のプライバシーの問題や事業主からの不利益な取扱いなどが生じる懸念があるとして、法案に対する批判の声が寄せられていました。
 
ここであらためて考えの筋道を整理しておきましょう。確かに、一日の時間のうち大部分を過ごしているのは職場であることから、事業主が精神健康状態をきちんと把握し対策を講ずることができれば、メンタルヘルスをこじらせて自殺に至るという事態を防ぐことができる可能性があります。しかし一方、精神の健康に関する情報というのは、個人情報の中でも特にセンシティブな情報です。使用者が労働者の精神健康情報を収集し、これに基づいて人事管理を行うというのは、労働者にとっては人に知られたくないプライバシーを強制的に暴かれるということでもあります。労働者の精神状態が不調となっていることを理由として、使用者側が不当な処遇を押しつけてくる懸念もあります。ここに現れているのは、企業と労働者の関係をどう見るかという哲学的な対立といえるのではないでしょうか。例えば、労働者は企業の一員であるとの考え方をすれば、企業はメンバーである労働者のことを配慮し、メンタルヘルス不調が自殺に至らないように適切な処遇をしてくれると期待できますが、企業と労働者は赤の他人だという考え方をすれば、メンタルヘルス不調に陥った労働者は配慮よりも排除の対象となるでしょう。現実の労働社会はその両方が混じり合っているため、事業主がメンタルヘルス対策に大きく関与することの是非については、一方の考え方だけできれいに説明することができないのです。
 この改正案はプライバシー保護の観点から、医師や保健師が労働者の同意を得ないで検査の結果を事業者に提供してはならず、さらに面接指導の申出をしたことを理由として不利益な取扱いをしてはならないといった規定を設けていますが、それでも精神医療関係者からの批判を免れることはできませんでした。これは使用者に頼らなければ職場のメンタルヘルス対策が実施できない一方で、使用者に頼ることのリスクも無視できない、という現在の状況をよく示していると言えるでしょう。
 その後2013年に労働政策審議会での審議が再び始まり、「精神的健康の状況を把握するための検査等」を「心理的な負担の程度を把握するための検査等」と言い換えて答申がまとめられました。すなわち、精神疾患の発見が目的ではなく、ストレスチェックであるとあえて位置づけなおしたわけです。しかし、2014年3月に法案を国会に提出する直前に与党自民党の審査で、「検査結果が悪用されるおそれがある」「企業に知られると労働者の不利益が大きい」と反対意見が出たため、労働者が検査を受けなければならないという義務規定を削除し、希望者のみが受けるよう改めるとともに、事業者の義務も50人以上規模企業に限定するという修正を施し、ようやく2014年6月に成立に至ったのです。
 
2つめの論点の受動喫煙対策についても紆余曲折を経ましたが、メンタルヘルス対策とは異なり理路は単純です。2003年に「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」が成立し、国際的に受動喫煙防止の気運が高まるなかで、2011年の安全衛生法改正案において、全面禁煙か空間分煙を事業者の義務としつつ、飲食店やホテルなどについては当分の間受動喫煙を低減させることを求めることとしたのです。ところがこちらは愛煙家の国会議員からの批判が強く、努力義務とする修正への動きが国会ですすめられ、2012年11月の衆議院解散により廃案となりました。その後、労政審で再審議して再提出された法案では、上記事業者の義務を全面的に努力義務とする内容へと変更されて今年6月の成立に至りました。
 さて、今回の改正には直接は盛り込まれていませんが、近年の安全衛生法政策における焦点の一つに過労死対策が挙げられます。この観点で注目すべき議員立法が今年6月に成立しています。それは、「全国過労死を考える家族の会」の運動がもとになり、与野党間で議論がすすめられた結果、成立した「過労死等防止対策推進法」です。その内容は、調査研究の推進等、国民に対する啓発、相談体制等の整備等、民間団体の活動に対する支援などで、直接、労働者に権利や義務が生じるものではありませんが、今後、労働時間法制の見直しの論議がすすめられるなかで、長時間労働と関係性の高い過労死の調査・研究をすすめていくことにより、長時間労働自体の上限規制など、新たな安全衛生法政策につながっていく可能性を秘めているものと考えます。

なお、この号には、中執セミナーとして、水町勇一郎さんの「ホワイトカラーの労働時間制度の在り方」という講演録も載っています。

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僕も創業間もないころは年間4500時間働いていたが@すき家

すき家ゼンショーの小川社長の「独白」というインタビュー記事が日経ビジネスオンラインに載っていますが、

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20140829/270555/

・・・すき家を「蟹工船」とか言っているメディアもあるが、無理にこき使っているわけではない。

まさにそうだと思います。すき家を蟹工船とか言うのはわかってない証拠。蟹工船は悪辣な資本の論理だけど、すき家はそうじゃないからこそ恐ろしい。

我々が掲げる「この地上から飢餓と貧困をなくしていく」という理念は、単なるお題目ではない。・・・

ES(従業員満足)という切り口で見ると、そういう事業をやっているんだというのが働く人の生きがいになっている。誤解を恐れずに言えば、だからハードワークでもやってこられたし、やってきた、僕をはじめとして。

・・・我々は母子家庭の援助などもしているが、彼らと話していると子供に牛丼を食べさせられないという。

 日本国民の年収を見ていると、低所得者が増えている。そういう方々も含めて国民食として気楽に高い肉を食べてもらいたい。・・・

これは、悪辣な資本家の口先のごまかしと思ってはいけない。小川社長は本気なのだ。だからできるのだ。

僕も創業間もないころは年間4500時間働いていたが、直近の6年間で労働時間を3000時間ぐらいまで減らしてきた。・・・

かくも気高い信念に燃えて「牛丼福祉」を全国津々浦々にまで均霑していこうという社会運動であればこそ、「年間4500時間働」けるのだし、思いを同じくする同志たちにも、同じ理念への献身を求めることになるのは不思議ではありません。

しかし、そういう「同志」たちは、もはやいかなる意味でも労務の提供と報酬を労働市場で交換する雇用契約という債権関係にあるものとは認識されなくなってしまいます。

かつて本ブログで紹介した日経ビジネスの記事もそうですが、小川社長は常に正直に語っていると思います。それをどう受け止めるかが問われているのでしょう。

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