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2014年8月31日 (日)

バカの見本, 濱口桂一郎, ブクマがバカの見本市

先日の

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-705c.html (何でもパワハラと言えばいいわけじゃない)

に、こういうぶくまがつきましたが、

http://b.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20140830#bookmark-221917017

bogus-simotukare バカの見本, 濱口桂一郎, ブクマがバカの見本市

セクハラと呼ぶな、強制わいせつと呼べみたいな馬鹿話。問題は「被害者救済に役立つかどうか」であってそういうくだらない茶々入れするのが学者の仕事なのか?

私に対する罵倒は、池田信夫イナゴだの田中秀臣バッタだのでさんざん慣れてますので、今更気にもなりませんが、「セクハラと呼ぶな、強制わいせつと呼べみたいな馬鹿話」には驚きました。

上記エントリでも述べたように、労働基準法違反だの不当労働行為だのとれっきとした実定法違反を言っても気にならないけれども、パワハラという未だ実定法上には何らの根拠規定すらないものには感情を動かされるというのが今の日本の実態であるわけですが、なんぼなんでもそういう人でも、さすがにこれを示せばなるほどと言うやろ、と思って出したネタがあっさりと「馬鹿話」。

これがどれくらい馬鹿話かというと、

刑法

(強制わいせつ)

第百七十六条  十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、六月以上十年以下の懲役に処する。十三歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。

であるような犯罪を、

男女雇用機会均等法

(職場における性的な言動に起因する問題に関する雇用管理上の措置)

第十一条  事業主は、職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的な言動により当該労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。

2  厚生労働大臣は、前項の規定に基づき事業主が講ずべき措置に関して、その適切かつ有効な実施を図るために必要な指針(次項において「指針」という。)を定めるものとする。

3  第四条第四項及び第五項の規定は、指針の策定及び変更について準用する。この場合において、同条第四項中「聴くほか、都道府県知事の意見を求める」とあるのは、「聴く」と読み替えるものとする。

という事業主の措置義務の対象程度の話と一緒くたにするな、というようなとんでもない「馬鹿話」であるわけです。

まさに、これが「馬鹿話」と感じられる感覚。

なるほど、刑法上の恐喝、暴行、傷害その他の構成要件に該当する行為であっても、「いじめ」という穏やかな言葉で語ることで犯罪めかしさを消し去りたがる感覚とも通じるものがありますね。

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コメント

こういう話を見ると、日本人には物事を「草野球」のレベルでしか見ない人が、圧倒的に多いのだと思います。

昨日も書きましたが、「草野球が誰でも知っている野球の一次ルールだけで、成立するのに対してプロ野球は、一次ルールを補強する二次ルールも必要であり、さらに一次、二次ルールを明記した、ルールブックが必要だ、法律にもそれと同じ、一次ルールと二次ルールがあり一次ルールと二次ルールが結合していく」。
これが、「言語ゲーム」における法律の考え方になります。

言語ゲームとは、ヴィトゲンシュタインが言うところの、「人間のふるまいは「言語」によって決定される」という哲学のことです。

濱口さんがなんで「労基法」や「刑法」に基づいて、考えようとするかというと、ルールブックとして「労基法」や「刑法」が存在するからでしょう。

ブラック企業は、ある意味「組織犯罪集団」だと考えることができると思いますが、そう考えるためには、「ルールブック」を厳密に適用する必要があるでしょう。

感情論だけで、「ブラック企業がー」、「パワハラがー」という人は、ルールブックを無視して、プロ野球をやれと言っているのと、同じだと思います。

ハローワークの職員です。
窓口には日々「パワハラを受けた。」という訴えが後を絶ちません。
多くの相談者が、「パワハラを訴えれば、すぐにハローワークや監督署が会社に何らかのペナルティを与えてくれる。」と思っています。
しかし、ハローワークはもちろん、監督署でさえ、パワハラのような民事上の問題には、介入することが難しいわけです。公務員は、法的な根拠を背景にして、やっと権限を行使できます。パワハラをパワハラと認定し、会社に損害賠償を求める決定ができるのは、裁判官だけです。しかし、多くの労働者に身近な存在であるのは、裁判所ではなく、ハローワークや監督署などの、労働行政の出先機関です。そして、労働行政の職員が会社に対して何らかのペナルティを課すことができるとすれば、それは「パワハラ」ではなく「労働関連の法令違反」です。

この方は、「被害者救済に役立つかどうかであってそういうくだらない茶々入れするのが学者の仕事なのか?」と述べています。それは、発想が全く逆です。その事象が、「パワハラ」なのか、「労働法令違反」なのかをきちんと峻別することが、被害者救済にとって非常に重要な分岐点になるわけです。

hamachan先生は、「確かに、これまでの法体系ではなかなかどれにもぴたりと当てはまりそうもないある何かにパワハラと名付けて、批判する根拠にしていくということそれ自体は、当然の戦略だと思うし、全然悪いとは思いませんが」とおっしゃっています。窓口の実感としては、労働者自身が、パワハラと法令違反をきちんと区別しているとは思えませんし、それゆえに、残業代の未払いや、休日出勤の強要なども、全て「パワハラ」としてひとくくりにしていまい、会社と戦うための在職中の証拠保全についても、無知であったりします。パワハラという曖昧な概念だけが、実効性を伴わないまま一人歩きしているような気がしてなりません。

そうですね、今日も自衛隊の中のれっきとした暴行事件を、「パワハラ」と報じていますし。

http://www.asahi.com/articles/ASG913GQMG91ULOB009.html">http://www.asahi.com/articles/ASG913GQMG91ULOB009.html

問題は、「パワハラ」という用語の曖昧さにあると思うのですが、少なくとも、労働行政に携わる人や専門家の方はこの用語を広くとらえるべきなのではないでしょうか。つまり労働者が日ごろ感じたり訴えているパワハラには、最も重篤なものとして刑法犯(傷害罪・脅迫・強要罪・業過致死など)に該当するもの、労働関係法に違反するもの、或いは労働関係法と刑法の両方に該当するような罪数が複数のもの、私法関係による不法行為であるもの、違法とまでは言えないが不平等な扱いである場合、上司や同僚が労働関係外の私事を依頼してきて事業場の立場上断り切れない場合、その他意図せずに個別労働者の不快な言動・環境が存在している場合など、多種多様なわけです。
上記の内、後の方の問題でも、民事だとしてかたずけられる(行政不介入とすべきか)かどうかは、個別の労働者の置かれている立場、環境がどうであるか判別する必要があるでしょう。特に、性的暴力や脅迫強要については、犯罪構成要件の中に関係人の地位(身分類似性のもの)や行為の認識・認容、行為結果に対する反対動機の形成可能性などがあるわけです。
例えば、単純な例でも、借りたものを返さない行為(不作為)が民事なのか、1項詐欺罪なのか、2項詐欺罪なのかは、行為者の意志を確かめなければわからないわけです。同じように残業代の不払いでも、労基法違反なのか?1項詐欺罪なのか?、2項詐欺罪なのか?は、不払いという結果の既遂だけでは本当は判断できないわけです。他の、所謂パワハラについても同様の問題はあります。
労働行政はそこまで調査しているでしょうか。そうではないと思います。先ず端緒として労働者の訴えをよく聞かなければ問題の所在は分からないと思います。たぶん。

連投ご容赦ください。…追記…します。
欺罔による労働力の対価の移転については、最初から「2項詐偽」だと考えることもできます。
しかし、騙して労働力をタダで交付させた場合と、労働力を交付させた後に騙して賃金の支払いを免れる行為とは、区別されるべきではないかと思います故、1項詐偽罪(←騙して労働力を手に入れた場合はたぶんこれ)と2項詐欺罪(←騙して賃金の支払いを免れたという利益)とは区別されるべきで、行為者の当初の意志を確かめる必要があるのだろうと思った次第です。
細かなことですみません!

日本において、こういう問題が多発する理由というのは、ほとんどの日本人に「社会契約説」という概念がないからではないでしょうか?

この社会契約説というのは、ある意味近代社会の背骨と言うべき、考え方で「日常生活は、「契約(別の言い方をすると法律行為)」の連鎖として進んでいき、日常生活の7割方は契約行為として行われる」こうなると思いますが。

具体的に言うと、道路を歩くのは道交法に基づく法律行為だし、コンビニで弁当を買うのは民法に基づく法律行為です。

そして、「働く」ことは労基法などに基づいて行われる法律行為(契約行為)となるわけで。

そして、それ等には「ルールブック」が定められていて、法律行為は原則的に「ルールブック」に基づいて(従って)行われるわけですが。

その一方で、橋爪大三郎さんの「人間にとって法とは何か」を読んでみると、「日本人には「法律は自分とは関係ない、法律はない方がいい」。こう思っている人が多い」こういう趣旨のことが書かれています。

で、企業の側から見ると、「企業を経営するためには、労働関係の「ルールブック」に従う義務がある」。という観念が経営者側に欠落しているように思えますし、雇用される側にも、「「ルールブック」に基づいて働くんだ」。という意識がない。こう思えます。

それで、何かあると「ルールブックに何が書いてあるか」を調べるのではなく、「あれが気に入らない、これが気に入らない」と言って非難するか、安易に「専門家」に任せればいいと思っている。

tomoさんの言われるように、「専門家」である、ハローワークや労基署にも、「法律上」の限界があるにもかかわらず。

なので、こういう問題を解決するためには、まず、自分たちの生活の基盤に「法律」があって、法律があるから個人の生活や権利が守られている。ということを浸透させていく必要があるのだと思います。

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