日本政府の醜態@ILO
昨日の労働法学研究会の講演を聴かれた方のつぶやきに、
https://twitter.com/tucan/status/504780893496422400
昨日のhamachan先生の講演面白かった。最後の「ILO創設当初に犯した、日本政府の醜態」の話は特に(テーマとの関係薄いけど)。この辺、もう少し文献探してみたい。>第2656回労働法学研究会「アベノミクスの労働政策をどう捉えるか」
実は、同じ労働法学研究会で、三者構成原則について喋ったときに、この話にもちょびっと言及しています。
2007年2月26日に講演し、その内容は『労働法学研究会報』2406号に載っています。
そこから、その日本政府の醜態に関わるところを引いておきますと、
国際労働機関の設立
そこで一般的な国際連盟を作るだけではなくて、労働条件を国際的に規制する常設の国際機関として、国際労働機関(ILO)を作ろうとこういうことになったわけです。
そこで問題になったのが、誰が国際労働機関の会合に出てくるのかということです。国際機関ですから、国際というのはインターナショナル、国の間というのだから当然それぞれの国の政府の人でしょうということになります。
そうするとほかの機関ですと外務省の役人、外交官が出てきてやるわけです。専門的な事項であればそれぞれ専門の役所、例えば労働省の人が出てくる。すべて政府だけでやるというのが一般原則なのです。
しかし労働問題というのは、労働組合と使用者の間で物事を決める、これが民法の私的自治とは違ったいわゆる労使自治の原則として19世紀から20世紀のはじめにかけて徐々にヨーロッパ諸国で確立してきたのです。
この人たちを入れずによくわかっていない政府の役人だけが勝手に議論して物事を決めるというのはまずいのではないか、なにしろ決める中身は何かといえばそれは国際的にこれでいこうという労働条件なのです。
それを決めるのに、直接の当事者である労働組合や使用者団体を入れないというわけにはいかないということで、パリ平和会議ではいろいろな議論がされました。
ILO条約
結果的に各国とも、政府が2名、労使それぞれ1名計4名がILOの会議に出席して物事を決めていくというルールができました。
逆にいうと、それまで国のレベルで、法律を作る際に公式的に労働組合や使用者団体が、事実上関与するという仕組みはありました。
国の中の仕組みというのは、民主主義の一般原則に基づいてやっていたのですが、ILOという特別な国際機関ができるということによって、国際的なレベルでの立法プロセスの中に明示的に労働組合や使用者団体が関与するという仕組みが明確に書かれた。これが三者構成原則の出発点です。
ILO条約を作るのが立法過程かというと、ILO条約というのは法令なのかという大変な議論になってしまうのですが、ここでは一応法令ということにしておきます。
さらに、各国の中で、ILO条約を実施するための労働政策について物事を決めていく際には、同じように労働組合や使用者団体をきちんと公式の意思決定過程に関与させていかなければいけないというルールができてきます。国内の労働法、労働政策の立法過程に対しても、こうして三者構成原則が要求されてくるのです。
日本の状況
これが国際的に見た時の、三者構成原則のそもそもの出発点です。ヨーロッパ諸国は第一次大戦後の時期からこういうものが国内的にも形成されていくのですが、わが日本は当時、大変な騒ぎになってしまいました。というのは、労働者の代表とは誰だ、労働組合と自称して旗を振っている変な連中が数人いるみたいだけれども、どう考えても労働者全部の代表とは思えないし、どうしようかという話になってしまったのです。
最初に大問題になったのはILO総会に誰を出すかということでした。ほかの国は労働組合の組織率が高いですから、そこの一番大きなところやいくつかの間で相談させて決めて送るのです。しかし日本にはまだしっかりした労働組合はありませんでした。
当時、鈴木文治が友愛会を作ってはいたのですが、本当にまだ小さな団体だったのです。これでは日本の労働者を代表するものではないと日本の政府は考えて、当時鳥羽造船所にいた技師の桝本卯平を労働者の代表だといって、第1回のILO会議に送り込んだのです。ところが、なんだこいつはといわれ、本人も政府から行けといわれたから行ったので、私はよくわかりませんといって、大恥をかいたのです。
そんなことが数回続いて、3回目か4回目には行った人が、私はそもそも日本の労働者代表ではない、私は資格が無いということを宣言するといい、日本政府が大恥をかいたということもありました。結局このドタバタ劇で、労働問題の主管官庁が、農商務省から内務省に移り、社会局が新設されました。・・・
いずれにしろ、昨日のメインのお話しとはあんまり関係がありませんね。
« 労災と健保の隙間@東京新聞生活図鑑 | トップページ | 何でもパワハラと言えばいいわけじゃない »
そう言えば、戦前の労働運動や左翼関係の機関紙類を見ると「ILOこそ資本家の手先」の如き団体って反発論が結構目についていましたね。
「権利は戦い取って得るモノ」って左翼の公理主義が「政府や経営者と話し合って成果を得るのは邪道」ってことになって、未だに尾を引いている様に自分には思えますが・・・・・
投稿: 杉山真大 | 2014年8月29日 (金) 21時59分
もともと、ILOは市場経済の中で労働組合の権利をきちんと保障するという考え方なので、社会主義では政府も経営者も労働者の代表だから利益の対立はないんだ、というイデオロギーには批判的で、逆にマルクスレーニン主義者から見ればILOなんて資本家の手先の世界だったのです。
戦後日本のアイロニーは、ソ連型社会主義における労働組合を批判する文脈で西側先進国のペットテーマであった結社の自由とか団結権が、日本国内では公労法の逆締め付け条項の不合理性を浮かび上がらせる武器になったという点でしょう。
投稿: hamachan | 2014年8月29日 (金) 23時55分
文献を紹介頂きありがとうございました。
確かに、ご講演の内容とはあまり関係ないですね。
投稿: 久保 英信 | 2014年8月30日 (土) 14時02分