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「メンバーシップ型社会」と江戸時代

拙著の書評と言うよりは、拙著と與那覇潤さんの『中国化する日本』とを重ね焼きして、私の議論よりもずっと立体化したものを提示しているエントリです。

http://d.hatena.ne.jp/dokushonikki/20140823 ( 「メンバーシップ型社会」と江戸時代)

Chuko 著者の濱口桂一郎先生は、雇用の仕組みを「ジョブ型」と「メンバーシップ型」に分け、日本型雇用システムは後者と説明するが、他書と比較しても、本書はその説明が大変分かりやすい。

Img_89013af87436f85f20e78f7da41657a 與那覇潤氏の「中国化する日本」を読むと、まさに日本は「江戸時代化」した社会であり、これは「メンバーシップ型社会」そのものと感じる。

中華文明と日本文明の違いを、様々な観点から分析している。人間関係については、中華文明においては、「同じ場所で居住する者どうしの「近く深い」コミュニティ」よりも、宗族(父系血縁)に代表される「広く浅い」個人的なコネクションが優先される」が、日本文明においては、「ある時点まで同じ「イエ」に所属していることが、他地域に残してきた実家や親戚への帰属意識より優先され、同様にある会社の社員であるという意識が、他社における同業者(エンジニア・デザイナー・セールスマン・・・)とのつながりよりも優越する」のである。日本文明=江戸時代は、光と影がある。「ひとり占めせず己が分をわきまえる生き方をみんなが心得ていたことで、上位者も下位者も互いにいたわり慈しみあう日本情緒が育まれた、譲りあいの美徳ある共生社会」とポジティブに捉えることもできる。一方で「あらゆる人々が完全には自己充足できず、常に何かを他人に横取りされているような不快感を抱き、鬱々悶々と暮らしていたジメジメして陰険な社会」とネガティブに捉えることもできる。日本の歴史上、平氏政権、明治維新は「中国化」する動きだったが、結局「再江戸時代化」の力が強く、戻ってしまっているとのことである。

・・・こういった本を読んでいると、「メンバーシップ型社会」は、日本の社会・文化の奥深い何かに基づいているのではないかと感じる。濱口桂一郎氏が説くように、「ジョブ型」に移行するためには、相当なエネルギーが必要だろう。

私は、学生時代に文明史に熱中していた黒歴史もあるので、あまり安易にこういう議論には飛びつかないように、慎重の上にも慎重に、というスタンスでいるのですが、法社会史的観点からは、こういう議論はその通りだろうという感じもあります。

中国法における雇用のあり方ってのはローマ法とよく似ていて、日本の近世社会の「奉公」はゲルマン法的なんですね。それをもう少し、あるいはだいぶ広げて議論していくと、與那覇潤さんの議論と繋がってくるところがあるように感じています。

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若者と労働」カテゴリの記事

コメント

>こういった本を読んでいると、「メンバーシップ型社会」は、日本の社会・文化の奥深い何かに基づいているのではないかと感じる。
>日本の近世社会の「奉公」はゲルマン法的なんですね。

焦点は江戸時代になってますが、メンバーシップ型を補足的に強化した要素として、(1929世界恐慌や、軍事による強引な状況打開といった時代背景を持つ)昭和初め以降の、「国家神道」の高まり・引き締め効果も無視できないように思えます。法より上位な、不可侵の価値が実質の点でも形成・共有されたことで、上から下までのメンバー意識が強く根付かされたと思われ、

一方敗戦後になって、GHQがやったことといえば、宗教結社としての「神社神道」の骨抜き、ということであり(島園進『国家神道と日本人』)、本丸を見過ごして手付かずにした(幹の部分に気づかずに枝葉末節にとらわれた)感は否めない。
(もちろん、「国家神道」の解体をどこまでやってしまってよかったのか、は別の問題。)

その文化・精神史的影響も(あくまで補足的なものとしてだが)、無視できないような気がします。

投稿: 原口 | 2014年8月24日 (日) 01時21分

いやですから、私は基本的には文化論的文明論的説明はできるだけ禁欲して、
明治時代の職工は欧米以上に移動していたのが、第一次大戦後に徐々に企業単位のメンバーシップ化が進んでいくという説明を主にしているわけですし、とりわけ戦時体制下や終戦直後の急進的な労働運動のインパクトを重視しています。

いわば、もともとどちらも同じ方向に行く可能性があった諸社会が、様々な置かれた状況の影響で異なったコースを歩んでいくという、比較経済史によくある説明です。

それは拙著や今までの諸エントリを読まれればおわかりと思います。

そういったことをすべて前提にした上で、しかしその背景にあるものとして、文化的文明的要素を無視しきれないであろうという話をしております。それを、横町のご隠居みたいな上っ面の議論にしないために必要なのは、本文で述べた法社会史的視点であろうという趣旨でありました。

そのあたりの消息をいちいち書かずに、ざっくりと書いたので、やや誤解を招いたかもしれません。

投稿: hamachan | 2014年8月24日 (日) 08時56分

私のエントリを取り上げていただき、またコメントも頂き、どうもありがとうございます。
実証研究として、日本型雇用の起源が、第一次大戦期、第二次大戦期、戦後高度成長期のいずれにあるか等は、綿道に検討すべき問題だと思います。
一方で、日本人に心奥深く根付いている文明・文化的要素があるならば、それも並行して検証すべきと思います。私のエントリは、その後者の視点でした。
ゲルマン法・ローマ法といったものは、私の視点から全く抜け落ちており、もっと勉強・思索を進めたいと思います。大学時代に学んだ、「民法出でて忠孝滅ぶ」という言葉を思い出しました。

投稿: アラン | 2014年8月24日 (日) 10時23分

アラン様、ようこそおいでくださいました。

與那覇さんの本は、本当に面白くて、全部それで説明できそうな気がしてくるくらいですが、そこをなんとか、こっちの土俵に引きつけて議論を進めるためには、多分與那覇さんの該博な知識でもあんまり手厚くなさそうな法制史とか法社会学的なあたりがキーになるだろうという話です。

法制史からすると、欧州社会における法の近代化とは、封建社会的ゲルマン法から市場社会的ローマ法への移行という面があるわけで、それと、中国社会における宋以降が近世という話とが、どこでどうつながり、繋がらないか、というあたりがポイントかな、と。

投稿: hamachan | 2014年8月24日 (日) 12時05分

ここ数日間か、「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」というテーマで、コメントを投稿しています、また、アラン様のところにも同様の趣旨のコメントを書いてきました。

で、思ったのはやはり、ゲマインシャフト型の雇用であるメンバーシップ型から、ゲゼルシャフト型の雇用であるジョブ型へ、切り替えていくというよりも、両者のバランスを考慮しながら両立させていく、「ゲゼルゲマインシャフト型」をどう構築していくか、だと思います。

例えば、シマウマは白黒で縞模様の動物ですが、なぜそうなのかは長年の謎だったそうです。

ですが、何年か前に意外なところから、その理由が明らかになったそうで、それは、アフリカに生息する「刺咬性のハエ」の存在です。

実は、シマウマの生息範囲と刺咬性のハエの生息範囲は、オーバーラップしていてかつ、刺咬性のハエは黒白の縞模様に対して、拒否反応を示すそうです。

つまり、白一色や黒一色の馬の場合にはそれだけで、刺咬性のハエの餌食にされやすいわけですね。

そのため、シマウマはその刺咬性のハエの餌食にされる確率を減らすために、ゼブラ柄になったのだと。

それと同じことが、雇用や社会のあり方における、ジョブ型とメンバーシップ型、あるいはゲゼルシャフトとゲマインシャフトにも言えると思います。

ただ、何も考えずに両者をチャンポンにした結果が、ブラック企業なのだもと言えるので、両者のバランスをどうとるかを、慎重に考える必要はあると思いますが。

投稿: 我無駄無 | 2014年8月24日 (日) 14時49分

>そういったことをすべて前提にした上で、しかしその背景にあるものとして、文化的文明的要素を無視しきれないであろうという話をしております。

そりゃそうですよね。ちょっと思いついた仮説を言ってみたかったもので・・・。
どうかあしからず。

>法制史からすると、欧州社会における法の近代化とは、封建社会的ゲルマン法から市場社会的ローマ法への移行という面があるわけで、それと、中国社会における宋以降が近世という話とが、どこでどうつながり、繋がらないか

中国宋代以降は、思想変革の影響で「民衆自身も統治の担い手として賢くあるべし」という傾向が強くなっていったように思われ(それまでは支配者層だけが賢ければいい)、その点、たしかに市場社会的な方向がうかがえるように個人的には思います。

またおっしゃるような繋がらない点としては、その「賢くあるべし」の中には“道徳レベルの向上”という意味内容も含んでおり、それに対し、道徳面はあくまでカトリック教会、のちに個人それぞれが受け持つとされた(あくまでざっくり言って)欧州社会、というところが一つの“みそ”なのかな、と思ってます。

投稿: 原口 | 2014年8月24日 (日) 19時30分

『日本の雇用と労働法』p.37のコラムを読んで、「なんだー、なるほどそういうことかー」と、理解できました。(このコラムのことをピンポイントに指摘していただいてれば、とんちんかんなコメントはしなかったのになぁ…、という思いは内に秘め)

ちなみに『中国化する日本』も未読だったので(それなのにコメントしたからずれちゃった…)読んで、「あーなるほど」と感心、あと関連年表のみならず索引までつけているのは、あまりにあっぱれというべきです。
ただ惜しむらくは、日本中世の記述に関しては「いやいや、ちょっとちょっと、」なので、アランさん、もしこのコメントご覧で日本中世に興味ありましたら、巻末の特別対談の中で宇野氏が取り上げた、本郷和人さんの一連の著作をおすすめしときますよー(残念ながらこの本の中では参照された気配がない…。さすがにそこまではめんどかったのかな)。

投稿: 原口 | 2014年8月26日 (火) 02時38分

原口さん、コメントありがとうございます。
『日本の雇用と労働法』p.37のコラムについて、最初読んだ時は、誠に失礼ながら、完全にスルーしていました。改めて読みなおすと、大変味わい深い内容で、とても勉強になりましたし、思索も深まりました。同じ西欧・東アジアの中でも、これ程違うんですね。当り前ですが、西欧を単純に一括りにするのは危険ですね。アングロサクソンの代表(?)たるイギリスのコモンローでは、雇用を「主従関係」と捉えていたというのも、とても不思議な感じがします。
日本中世については、このHPの趣旨から外れると思いましたので、小生HPに「中世を勉強する意義その2」というエントリを掲載しました。お時間があれば、是非ご覧ください。

投稿: アラン | 2014年8月30日 (土) 05時40分

いやー、尊敬する小谷野敦先生に、『中国化する日本』への、ちょっと厳しい評?が出てもうた。。。(ただこのエントリ内容には直接関係ない)

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20141013

投稿: 原口 | 2014年10月15日 (水) 22時57分

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