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« 公教育における集団的労使関係欠如の一帰結? | トップページ | 『若者と労働』書評 »

2014年8月20日 (水)

みずほ総研コンファレンス「雇用改革の課題を展望する」の議事録

去る7月3日に開催されたみずほ総研コンファレンス「雇用改革の課題を展望する」の議事録が公開されました。

http://www.mizuho-ri.co.jp/service/research/conference/index.html

http://www.mizuho-ri.co.jp/service/research/conference/pdf/conference_140703summary.pdf

【パネリスト】
濱口 桂一郎氏(独立行政法人労働政策研究・研修機構 主席統括研究員)
鶴 光太郎氏(慶應義塾大学大学院 商学研究科 教授)
森 周子氏(高崎経済大学 地域政策学部 地域づくり学科 准教授)
【モデレーター】
大嶋 寧子 (みずほ総合研究所 政策調査部 主任研究員)

ここでは、わたくしの発言部分をコピーしておきますが、他の方の発言も是非ご覧ください。とりわけ、鶴光太郎さんが、産業競争力会議の議論の展開に苦情を呈している部分は必読です。

【濱口氏】
 <日本型雇用システムとその変容>
・ 解雇規制や労働時間規制を議論する上では、日本型雇用システムとその変容を理解することが必要である。日本型雇用は1990年代以降に大きく変容し、メンバーシップ型の正社員が縮小する一方、その外にある非正規労働者が増大した。一方、正社員の中でも、「見返りのない滅私奉公」をさせられるブラック企業現象が生じている(資料4ページ)。
・ 今日の労働問題の根源は、働かせ方に関する企業の裁量が大きい「雇用内容規制の極小化」と「雇用保障の極大化」がパッケージになった正社員と、労働条件も雇用保障も極小化された非正規労働者の二者択一となっていることにある。現在の二極化した働き方は法規制でなく現場の労使が戦後50年以上かけて作ってきたものであり、まさにシステムの問題。そこに問題があるのであれば、「規制」改革ではなく「システム」改革として議論する必要がある(資料5ページ)。
<解雇規制の誤解>
・ 一般的に「解雇規制がある」と考えられているが誤解である。労働契約法第16条は「解雇は、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と述べているに過ぎない。「権利」は行使できるのが原則であり、「権利濫用」は本来極めて例外的なもの。しかし、システムの問題により本来例外的な「権利濫用」の部分が膨張している。正社員は職務、労働時間、勤務地が原則無限定であり、雇用契約に「社内の全ての仕事、全ての場所」と書いてあるようなものであるため、今の仕事がなくなった場合や今の仕事が出来ない場合には「他の仕事に回せるはず」ということになる。逆に言うと、今の職務がなくなったことは解雇の「客観的に合理的な理由」にはならない(資料7ページ)。
・ 「解雇に関する規制がない」ために、日本では現実の人事管理が判例に反映される形で解雇が規制され、どの場合に解雇が認められるかは法律で明らかにされていない。例えば欧州並みの解雇「規制」を設ければ、解雇が正当となるか場合が構成要件的に明らかになる。ただし個別ケースの正当性は、個々の状況に応じて判断されることになる(資料8ページ)。
・ 限定正社員にも誤解がある。労働契約で職務や労働時間、勤務地等が限定されることの論理的帰結として、当該職務の消滅や縮小が解雇の正当な理由となる。ただし、当該職務の消滅・縮小をもって自動的に解雇できる訳ではない。契約上許されないような配置転換をして解雇を回避する義務がないというだけで、欧州のワークシェアリング等、契約外の働き方だが集団的な枠組みで雇用維持を図るよう求められることは十分ありうる。また、「当該職務の遂行能力の欠如」も解雇の正当な理由になり得るが、それが認められるのは試用期間。長年当該職務に従事してきた人に「仕事ができないから解雇」と言えるものではない(資料9ページ)。
<労働時間規制の誤解>
・ 「使用者は労働者に1日8時間、週40時間を超えて働かせてはならない」という日本の労働時間規制は空洞化している。過半数組合または過半数代表との労使協定(36協定)を結べば、無制限の時間外・休日労働が可能である。36協定には厚生労働省の指針があるが、これは法的・絶対的な上限ではない。社会の実態として、働かせる側も働かせる側も、一定時間を超えたら違法とは考えていない(資料11ページ)。
• このような状況の日本で、労働基準監督官が監督指導を行う唯一の法的根拠が、労働基準法第37条の残業代規制。ただし残業代規制は、労働時間への規制ではなく賃金規制である。実際に、ブラック企業の摘発の大多数は、労働基準法37条違反である。「残業代規制をなくしたら過労死が増える」というのは、論理的な飛躍はあるが間違いではない(資料12ページ)。
・ 残業代規制によって労働時間を規制するのは筋が違っており、本来あるべき規制に戻す必要。現実的な上限規制のあり方として、国の過労死認定基準である残業時間(月100時間)の設定や1日ごとの休息時間規制が考えうる。欧州ではEUの指令で1日ごとの休息時間が11時間と定められている。賃金は最低賃金以上であれば集団的な枠組みの下で労使が決めるのが大原則であり、残業代をいつまでも国家権力に守ってもらうべきかを再考すべき(資料13ページ)。

《パネルディスカッション》
<労働時間制度改革>

【濱口氏】 現行法でも、法定労働時間内であれば賃金と労働時間を切り離すことは可能。法定労働時間を超過した労働には時間に応じた割増賃金の支払いが義務付けられるが、これは「労働時間と賃金はリンクしていなければならない」というイデオロギーに基づいている訳ではない。本来違法である時間外労働に、罰金的な意味で残業代の支払いを義務付けており、その支払いが結果的に労働時間にリンクしているだけである。「残業時間は月100時間まで」という上限は緩やかだが、第一歩としてそこから議論するしかない。その上限の枠の中で賃金と労働時間のリンクを外すことの是非は、労使が集団的な話し合いの中で決めるべき問題である。

【濱口氏】 「『日本再興戦略』改定2014」には、働き過ぎ防止のための取組強化として「長時間労働を是正するため、法違反の疑いのある企業等に対して労働基準監督署による監督指導を徹底する」とある。しかし、監督指導は法律違反に対してのみ行うことが可能であり、「何が違法か」が明確である必要がある。2014年4月、5月時点の産業競争力会議で提出された長谷川ペーパーは労働時間の上限を労使で決めるとしていたが、これでは36協定と変わらず、労働基準監督署が監督指導を行う際の根拠が不明瞭になる。ドイツでは残業代について法規制はなく、労働協約や企業内協定等の集団的枠組みの中で決定しているが、それが可能となっているのは法律で労働時間の量的上限が設定されているためである。残業代規制を取り除くことと労働時間の量的上限規制はワンセットであり、一方だけ都合良く行うことは難しい。

【濱口氏】 ワークライフバランスは個人の選択であり、システムの問題。無限定正社員の働き方がデフォルトであり、育児や介護をする人がフルタイムで働いていても、定時に退社すると謝らなければならないシステムに問題がある。この問題は労働時間規制の枠組みではなく、「限定正社員・無限定正社員の選択」の枠組みで考えるべき。日本では、ワークライフバランスのための法律(育児休業・介護休業・短時間勤務など)は完備されているが、これら制度の利用が終了した瞬間にオーバータイムになるため、いつまでも短時間勤務を続けるケースが少なくない。限定正社員の議論では職務限定型や勤務地限定型が議論されることが多いが、ワークライフバランス実現の観点からは労働時間限定の正社員を推進すべきと考える。

<労働移動の促進に係る環境整備>

【濱口氏】 日本の法律では解雇の金銭解決は禁止されていないし、現実に金銭解決が数多く行われている。自分が行った雇用終了に係る労働局のあっせん事例の分析では、解決しているのが3割で、4割は会社があっせんに参加していない。日本では金銭解決をしている人や金銭解決すらしていない人が主流であり、この事実を認識した上で解雇の金銭解決制度について議論すべきである。労働契約法制定以前の労働法の議論では、「解雇は自由であり例外的なケースにのみ権利濫用となる」という解雇権濫用法理ではなく「解雇は正当な理由がなければならない」とする正当事由説が有力だったと認識しているが、労働契約法では裁判に持ち込まれた一部の上澄みを反映した解雇権濫用法理が明文化された。しかし、本来は極めて例外的なはずの権利濫用部分が膨れ上がった結果、権利濫用法理が労働者を保護し、正当事由説に変えると労働者保護が弱まるという捻じ曲がった議論が行われている。労働局のあっせん事例を見ると、なぜこれが解決しないのかと思われる事案も多い。事案に応じた解決の水準を示すことで、多くの中小企業の労働者の保護につながるのではないかと考えている。多額の弁護士費用と時間をかけて解雇無効を勝ち取りたい労働者にとって有効な部分しか法律に明記されていないことで、それ以外の大多数の解雇を巡る紛争の現実がないかのように議論されることには問題がある。

【濱口氏】 2014年4月、5月時点の産業競争力会議の長谷川ペーパーでは、残業代規制の適用除外制度を導入できる職場について、「当初は過半数組合のある事業所」、「原則として過半数組合のある事業所」という記述があった。ここには、36協定と同様に企業と過半数代表で適用除外の対象を決定できる制度とすることには問題がある、一方で、過半数組合がなければ未来永劫導入できない制度とすれば中小企業から大きな反発が出ることへの配慮がみられる。日本で組合組織率が2割を下回るなかで、ドイツのような一定の法的権限を持つ従業員代表制度を導入するという方向がありうるが、これは使用者、労働組合双方にとって非常にハードルが高い。しかし、「当初は」「原則として」と書くだけで問題が解決する訳ではないので、従業員代表制の問題は今後、労働法を巡る大きな議論になっていくと考えている。

《フロアとの質疑応答》

【質問】  労働時間の上限規制に関して、総労働時間規制、絶対休日 の導入など様々な方法が提言されているが、日本の労働実態を踏まえるとどの規制を導入するのが適切であるか。また、導入することが難しいと考えられる規制などがあれば伺いたい。

【濱口氏】 前半の報告で、残業時間が月100時間までという上限を挙げたが、これは現在の議論に引き付けて考えた場合の規制。現在の日本では、物理的な労働時間規制の根拠は「健康確保」である。健康を確保できる労働時間は労災補償政策の中で長く議論されてきたが、現在は健康を確保できる睡眠時間に基づいて計算された残業時間(発症前1カ月に月100時間超、または同2~6カ月に平均80時間超等)が労災認定基準となっている。ゼロベースで考えれば様々な上限規制がありうるが、現在の日本で欧州並みの一日10時間、月48時間の上限を導入することは難しい。絶対休日は重要な話だが、これはもう少し細かい議論が必要だと考える。

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