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2014年8月17日 (日)

営利企業のくせに共産党みたいなノリで働かせるからブラックなの

どうも、基本的なところがよくわかっていないまま筋道がひっくり返った議論が展開されている悪寒・・・。

https://twitter.com/rakuslckita/status/258230084736020482

赤旗を含め、共産党と共産党員の活動は、市場原理を無視した安すぎる労働力によって成り立っている。みようによっては超絶ブラック、みようによっては理想的な公共の福祉。

あのですね、政治団体であれ宗教団体であれ慈善団体であれ、市場原理に基づいて営利活動をやっているのではない結社が、市場原理ではとうてい調達できないような安価な労働力を雇用労働力ではない「党員」や「信者」といった言葉の真の意味における「メンバーシップ型労働力」として駆使することによって、その目的を達成しようとすること自体は、何ら問題ではないのですよ。それは、同じ信念や信条を共有しない外部者からはブラックに見えるかもしれないけれど、定義上ブラック『企業』ではない。

問題は、Wであれ、Zであれ、その他問題となっている諸企業は、少なくとも現行法制上、信念に基づく結社として結成されたわけではなく、れっきとした株式会社たる営利企業であり、労務と報酬の交換契約たる雇用契約とは異なる結社員としての労務提供で労働力をまかなっているわけではない、ということです。

これは、口先で「アルバイトは労働者にあらず」などと寝言を口走ればいいわけではなく、そもそもはじめからお前は労働者ではなく。それゆえ給料というのは存在せず、WなりZなりという信念に基づく結社のために「党員」として、あるいは「信者」として、全身全霊を挙げて献身するんだよ、まさか「就職」するとか、「バイト」とかと思っていなよね、と、きちんと確認して、その完全なる同意の上にやらなければなりませんし、当然のことながら労働者であることを前提とする健康保険にも入れないということですが、まあ、そんなつもりもないのでしょう。

問題なのは、市場原理に基づく営利企業として活動しながら、「市場原理を無視した安すぎる労働力によって成り立っている」ことです。それは、もはや「理想的な公共の福祉」どころか、言葉の正確な意味での「ブラック企業」になるのです。

この話の筋道が、そもそも信念に基づく結社と営利企業の区別が付いていないと、上記ツイートみたいなねじれた反応を導くことになります。

(追記)

このエントリに対するもっとも頭の悪い反応

https://twitter.com/OIShihi/status/501216893936476160

営利企業敵視がかいま見える。宗教団体やNPOなど”広義の組織”の一員の地位を保障する観点はないようだ。既存の法律ありきだとこうなる。

普通の市場経済の中で、普通の雇用契約で、普通の労働法に従って働くのがまっとうだよ、といっている記事を、何をとち狂ったか、「営利企業敵視がかいま見える」と勘違いし、

しかも、「宗教団体やNPOなど”広義の組織”の一員の地位を保障する観点はないようだ」とか奇妙なことを口走る。いや、変な宗教団体や政治団体に取り込まれて困っている人は結構いるだろうけど、それはそういう類いの社会問題であって、労働問題としてのブラック企業問題じゃないと言っているだけ。それに、少なくとも政治団体や宗教団体のメンバーの「地位を保障する観点」など必要ないと思うね。

ま、ブラック企業大賞やってる連中が、労働問題をはみだして東電だの東京都議会だのやっているんだから、こういうレベルの低い反応が出てくるのも仕方がないのかも。

ちなみに、宗教団体であれ何であれ、そこの信者や党員ではなく、そことの民法上の雇用契約に基づいて就労している労働者である限り、その信条や信教を理由に労働基準法の適用を除外される筋合いはないので念のため。

(再追記)

これに対して頭の良い反応

https://twitter.com/uncorrelated/status/501241767681720321

法律ではない面で濱口氏が言いたいのは、たぶん、こういうこと。

非営利活動の結社: 私とあなたは同じ目的を共有しているから自主的にタダで/安く仕事をしてください。

営利活動の企業: 私とあなたは違う目的ですが、所定の賃金を払うのでそれに応じた仕事をしてください。

で、ブラック企業は本当は営利活動の企業のくせに、非営利活動の結社と同じようなことを従業員に言っているので問題。非営利の結社の構成員は、そもそもそういうものだから(雇用契約でなければ)問題ない。

上で述べたように、組織の性格で分けるのは本当は不正確で、政治団体であれ宗教団体であれ、民法に基づく雇用契約という形で、「私とあなたは違う目的ですが、所定の賃金を払うのでそれに応じた仕事をしてください」といって人を雇っている限りは、その人に関する限り、「私とあなたは同じ目的を共有しているから自主的にタダで/安く仕事をしてください」なんていったらやはりブラック。一方党員が不眠不休で飲まず食わずで活動するのはブラックじゃない。

その意味では、営利企業云々は本質とは余り関係がない。どういう趣旨の労務提供かという問題ですね。

(再々追記)

と思ったけれど、それほどでもなさそうな件:

https://twitter.com/uncorrelated/status/501256389201653760

宗教団体や政党でも雇用契約がある場合は企業側に分類されるので、企業と言うよりは雇用契約を特別視しているのだと思いますが、突き止めると仕事の内容にやりがいを感じてはいけないことになりそうだから、難しいですね。

「やりがいを感じてはいけない」・・・・・・。

やっぱり、同類でしたか・・・。

やりがいを感じることを理由に、雇用契約の一方当事者としての権利をなくてもいいよねと取り上げることと、やりがいを感じることの是非とがごっちゃになってしまう。

まあ、これがごっちゃになるのが日本社会の常識的な水準であるからこそ、やりがい搾取はやり放題になるのかも知れませんな。

あと、「雇用契約を特別視」という台詞にも驚愕。

いや、民法上の債権契約たる雇用契約が普通で、そうじゃない党員や信者としての(非労働者的)働き方の方を特別視しているつもりなんだが、なぜか地と図が入れ替わる。

このあたりに、普通の資本主義社会の普通の雇用契約に基づく普通の労働者の在り方が特別なものになってしまう日本社会の姿と、その中で、自分では資本主義の使徒として社会主義者を叩いているつもりで、実はまったく逆向きの議論を展開して気がつかない特殊日本型「資本主義者」の姿が垣間見えるようです。

なにしろ、営利企業における雇用労働がデフォルトルールだと言ってるこのエントリを読んで、「営利企業敵視がかいま見え」てしまうんですから、病膏肓ですな。

(ついでに)

https://twitter.com/gelsy/status/501207251189649409

政党や宗教団体でも、生活に食い込むところまで搾取するのはやはりブラックなんじゃなかろうか。

それはそういう観点からブラック政党とかブラック教団と批判するのはまったく自由ですが、ブラック企業大賞に並べてはいけないというだけです

オウム真理教は他のあらゆる観点から見てブラック教団でしたが、だからといって、信者を安く使って作ったマハーポーシャのパソコンがけしからんわけではないし、そのカレー屋がブラック企業であるわけではない。ブラック教団への入口ではあるにせよ。

(もひとつおまけに)

その昔、全く違う文脈ですが、こんなことを書いたのを思い出しました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-ee80.html (低賃金にすればするほどサービスが良くなるという思想)

えっ!?それが市場原理なの???

ケインズ派であれフリードマン派であれ、およそいかなる流派の経済学説であろうが、報酬を低くすればするほど労働意欲が高まり、サービス水準が劇的に向上するなどという理論は聞いたことがありませんが。

でも、今の日本で、マスコミや政治評論の世界などで、「これこそが市場原理だ」と本人が思いこんで肩を怒らせて語られている議論というのは、実はこういうたぐいのものなのかも知れないな、と思わせられるものがあります。

労働法の知識の前に、初等経済学のイロハのイのそのまた入口の知識が必要なのかも知れません。あ~あ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/voiceexit-e577.html (voiceがないならexit)

不思議なのは、こういう新古典派経済学のごく簡単な応用問題であるような事案に限って、当該学派の応援団と目されるたぐいの人々が、なぜか経済合理性ガン無視の熱血派的感情論に肩入れしたがることなのですが、まあ心理学的分析はガラではないので。

まあ、本ブログに絡む人々にはよくあるタイプですが・・・。

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コメント

そういう意味では、「非営利」ってのが一番厄介だったりしますよね。「市場原理ではとうてい調達できないような安価な労働力を雇用労働力ではない『党員』や『信者』といった言葉の真の意味における『メンバーシップ型労働力』として駆使することによって、その目的を達成しようとする」訳ですから、美辞麗句に幻惑されて下手すりゃ営利企業より酷い搾取になっちゃう。

そうそう、かのオウム真理教もPC・弁当屋・ラーメン屋と色々「営利事業」をやってたりしていたんですよね。しかも株式会社の形態だったから、それこそ『ブラック企業』の先駆w

右翼団体も自民党もみな同じですね。

楽天ソーシャルニュースからしっきーさんの記事を読み、そこでこちらが紹介されていたので、読みに来ました。

しっきーさんの記事では、「日本の雇用はメンバーシップ性」「欧米の雇用はジョブ性」等が書かれており、こちらでは、「営利企業が度の過ぎたメンバーシップ性で人を動かすことで、ブラック企業になる」という趣旨。

いずれも、その通りだと思います。

とはいえ、ブラック企業に対する批判は、そういう「根っこ」というか「背景」にある「価値観」とか「文化」を考えずに、短絡的に「WやZのしていることが気に入らない」あるいは「W氏個人が気に入らない」こういう視点でなされていると思います。

これも問題でしょう。

それと、あと日本人の価値観として、「仕事と芸事」及び「事業と修業」あるいは「JOBとCALLING」の区別がついていないこともあげられると思います。

要するに、WやZの論理って言うのは、修業や芸事の世界で通用することで、これを営利事業でやると「ぐちゃぐちゃ」になってしまう。こういうことですが。

事業と修業の区別ではW氏の一連の発言から、彼は「修業の論理」を「事業」に持ち込んでいることが分かりますし。

あと、「CALLING」というのは、言ってみれば「自分の全存在と引き換えにしても、なすべき天命」というもので、欧米では医師や弁護士やメジャーリーガー、日本では古典芸能の能楽師や歌舞伎役者がそれに当たるでしょう。

共通して言えることは、それ等は高度に専門性が高く、その世界で「玄人(プロフェッショナル)」として認められるためには、それ相応の「修業(あるいは苦行)」が必要とされることです。それも、文字通り「人生と引き換えにする」ほどの。

例えば、能楽師の場合は「マイナス2度の屋外で2時間正座」の状況でお舞台を務める必要があるようですし。

そして、能楽師はそういう世界に、自ら進んで身を置いています。例えお能のあだ名が「拷問芸能」だとしても。

そして、そういう世界にいて、かつ「玄人」と認められいる人は、総じて高収入です。

そして、欧米では「CALLING」をする人と組織の歯車として「JOB」をする人は明確に区別されていますが、日本ではそもそもそういう発想がありません。

だから、組織の歯車として「JOB」をするだけのバイトに「CALLING」を要求する問題が発生するのだと思います。

これは、他のところでも書かれている「労働時間の配分」に関しても言えることですが。

そういえば、メジャーリーグ、あるいは日本のJリーグは完全な「メンバーシップ」の世界ですね。

あと、能楽師や歌舞伎役者もどちらかというと「メンバーシップ」ですし。

あと、思ったのは、WやSのバイトとショッカーの戦闘員との間にどんな違いがあるのかということです。

ていうか、過剰な「メンバーシップ」の論理でバイトを酷使する企業とショッカー等の悪の組織との間には、かなり共通点があると思います。

これは、さかのぼって言うと、日本における「お家」という概念に行きつくと思うのですが。

例えば、上記のバイトって、時代劇で出てくる「切られ役」の下級武士(普段は悪代官の屋敷に詰めていて、桃太郎侍や暴れん坊将軍が乗り込んでくると、「出会え」と言われて出てきて、結局、彼らに斬られる侍)に似ていると思いませんか? 彼らが転じて「戦闘員」になるわけですが。

そして、そういう下級武士は「お家」が断絶すると、路頭に迷うわけです。

最後のツイートは、経済学的にどう解釈するべきかと言う会話の一部でして、そこだけ切り出されると、ちょっと困る感じがします。

流れは以下になります。

https://twitter.com/uncorrelated/status/501249358231117824
https://twitter.com/OIShihi/status/501255600747991040
https://twitter.com/uncorrelated/status/501256389201653760
https://twitter.com/OIShihi/status/501259103721627653

一応、説明させて頂きます。

> やりがいを感じることを理由に、雇用契約の一方当事者としての権利をなくてもいいよねと取り上げることと、やりがいを感じることの是非とがごっちゃになってしまう。

ここの部分は、「市場原理を無視した安すぎる労働力」を、「労働の限界生産物>賃金」(完全競争モデルでは等号になる)と解釈するのであれば、その企業で働くことにやりがいを感じて低賃金を受け入れる人が出ると、安すぎる労働力が発生してしまうので、理論的な差異をつけるのが難しいと言う事です。

身体を壊したり、自殺したりするような状況であれば、やりがいではなくてブラックであろうと直観的には思うわけですが、一般に経済理論では人間の内面は観察できないことを前提にするので区分けが難しくなります。理論における技術的な話題と思ってください。


> あと、「雇用契約を特別視」という台詞にも驚愕。

ここの部分は、「企業だけなぜ特別視するのかなと思う訳です」に対する返事になっています。「特別視」と言う言い回しが良くないのですが、上の「営利企業云々は本質とは余り関係がない。どういう趣旨の労務提供かという問題」で、どこで趣旨を分類するかと言う話です。

言葉遣いの悪さはご寛恕ください。

uncorrelatedさんの発言が、OIShihiさんとのやりとりの流れで引きずられていることはわかります。

改めてはじめのエントリの記述から読み返してみると、私が営利企業といういささか誤解を招く言葉をキーワードのように使ったことが、実際に誤解を招いているようです。
営利であろうが非営利であろうが、雇用契約なのかそうでないかが重要でした。

また、逆に言えば、株式会社という典型的な営利企業であっても、雇用契約で働く労働者ではなく、法律上唯一『社員』という名に値する株主であれば、やはり不眠不休で飲まず食わずで活動するのは全然ブラックじゃないわけです。

上のやり取り出てきた、「やりがい」に関してですが、ある大学でこういう実験をしたことがあります。

10人の学生を5人ずつのA、Bの2グループに分け、Aグループでは時給1500円で皿洗いのバイトをさせ、Bグループには時給1000円で皿洗いをさせた。

その後、両グループのメンバーに「やりがい」の有無を確認したところ、時給1500円で皿洗いをしたAグループではなく、時給1000円で皿洗いをした、Bグループのメンバーがの方がより「やりがい」を感じたそうです。

これは「認知的不協和」に関する実験(詳細は「認知的不協和」で検索してください)なのですが、ブラック企業の問題点として、この認知的不協和に関することを、理解したうえで利用していることもあると思います。

また、ブラック企業の従業員の間には、「ストックホルム症候群」のような状況も、起こっているようですし。

これらも、過剰な「メンバーシップ制」の悪影響なのでしょう。

結局、日本は今現在も「お家」という概念(あるいは呪縛)に捉われているのでないでしょうか?

で、ここでの肝は、「なぜ日本企業はメンバーシップ型なのか」になると思いますが、その答えは、亡くなられた小室直樹さんの著作「偏差値が日本を滅ぼす」に書かれていました。

この本の詳細は、検索してください。

簡単に言うと、「戦後の高度成長により、伝統的な村落共同体が消滅し、本来機能的職能集団(ジョブ型の組織)であるべき「企業」の中に、共同体の構造がもぐりこんでしまった」ことが、原因と書かれています。

また、日本企業の特質だと思われている「年功序列」、「終身雇用」も「共同体の構造が企業に入り込むことで生み出された」ようです。

「共同体」は文字通り「メンバーシップ型」の組織であり、その最小構成単位が「家」です。

そして、「家」には「家族」によって構成されるものと、他人の集合として形成されるものがありますが、後者の例が吉良家や赤穂家などの「お家」です。

上で書いた、時代劇の斬られ役の侍は、よくよく考えると、「「出会え」なければ斬られずに済む人」なのですが、彼らは必ず「出会え」と言われれば、出て行って桃太郎侍に斬られます。

ではなぜそうするのかというと、彼らにとって「お家(共同体)から見捨てられること」が「死ぬ」ことよりも恐ろしいからです。

結局、ブラック企業問題は、日本の企業が戦後「共同体(お家)」になってしまったことで、発生した弊害である、こうなると思います。

その一方で、宗教団体などは元々「共同体」なので、組織内で理不尽なことが行われても、本文中で書かれているように、「ブラック企業」認定はされないわけですが。

そして、その企業共同体も今現在崩壊しつつあるわけで、その先の日本人の受け皿がどこにあるのか? それを考えるべき時が来ていると思います。

あるいは、その役割をネットが果たしているのでしょうが。

それと、内部崩壊した共同体は、ほぼ確実に「監獄」になってしまい、そこから「監獄実験」における、「看守役」と「囚人役」の構造が生み出される。

これも、ブラック企業で起こっていると思います。
というよりも、日本社会がすでに「監獄」なのですが。

クリックしてびっくりした、というかはまちゃん先生、コメント「言葉遣いの悪さは・・・」は、時として、いやある特定の対象にはにびっくりするほど今も修正されてないですねえ。
「AであるとともにAではない」Iさんと近似しておりますよ。
ブログ=支配者ですから、それでよろしいと思います。
が、読み手が「受動意識仮説」に基づき反応するとすれば、フーコーの統治技法を結果的に呼び込んでいることを・・・認識されておられるはずと思います。
ブログ=私、ですからこれが他者が今のレベルで認められる限界以上にこれをどうのこうのといえば、まさに予防原則に抵触してしまいますので、これがコメントを要求し、選別するブログ(コメント無差別掲載もありますが)がもつ全うに見えてそれはその主性向に依拠してしまう限界だなあと、いつもコメント・パラサイトですと云っておりました迷惑コメントの理由ですし、わざわざ遡り検証することも意味を見いだしませんので、たまたまクリックしての感想です。
語彙もあまり世情に敏なる必要はないのかなあ?せっかく必要不可欠な社会問題提起をされておられるのに残念と思っておりました。
よけいなお世話ですが、どうぞコメントが「受動意識仮説」に近似している理由の一つと考えられる選別性向の
帰結とお考えくだされば幸いです。
かの「広場」がいまやどういう論者と性向で占められてしまっているかは反面教師でもあると存じます。
わかっておられるはずです。

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