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2014年8月

2014年8月31日 (日)

社会政策学会第129回(2014年秋季)大会プログラム

今年10月11-12日に岡山大学で開かれる社会政策学会の秋季大会のプログラムがアップされています。

http://jasps.org/wp/wp-content/uploads/2014/08/129program-final-140818.pdf

今回の共通論題は「社会政策としての労働規制—ヨーロッパ労働社会との比較—」で、その第1報告は私が「EU労働法政策の現在」というタイトルでやります。

その報告要旨は以下の通りです。

報告1 濱口桂一郎(労働政策研究・研修機構)

「EU労働法政策の現在」

EU労働立法システムにおいては、EU運営条約という憲法的規範のレベルにおいて労使の関与とイニシアティブという形でコーポラティズムが規定され、それが立法における民主主義の現れとして位置づけられている。マーストリヒト条約以来、産業横断的及び産業別労使団体の間で労働協約の締結に至り、理事会指令として施行されているものも少なくない。もっとも、近年は経営側の意向を反映して、指令とならない自律協約が選好される傾向があり、その法的問題が指摘されている。

一方で2000年代半ば以降、欧州委員会はデンマーク型フレクシキュリティを推奨する方向性を明確にしてきたが、近年の経済危機により後退気味である。さらに2000年代後半の累次のEU司法裁判所判決によって、フレクシキュリティの社会的基盤である北欧型労使自治システムがEU市場統合の原則に追いつめられるという逆説的な事態が進んでいる。これに対してEUレベルでストライキ権について規定を設けようとするモンティ提案は、労使双方からの批判を浴びて撤回された。

その中で着実に進んできたのは欧州労使協議会を主たる舞台とするEUレベルの多国籍企業協約の締結であり、既に250件を超えるに至っている。欧州委員会は過去数年にわたってその立法化を目指して専門家グループの設置や労使への協議を行ってきているが、労働組合と従業員代表機関との役割分担など各国労使関係システムと衝突する法的問題が多数あり、その道筋はなめらかではない。

第2報告は田中洋子さんの「ドイツにおける労働への社会的規制」、第3報告は菅沼隆さんの「デンマークにおける雇用形態の多様化と労使関係」です。いずれも報告要旨は上記リンク先に載ってますので、ご覧ください。

その他の多くのテーマ別分科会の報告要旨も載っています。

小林良暢「新成長戦略の新しい労働時間制と休息時間」@デジタル『現代の理論』

紙媒体では廃刊してしまった『現代の理論』がデジタル版でネット上に刊行されていますが、その第2号がこれです。

http://www.gendainoriron.jp/vol.02/index.html

紙媒体時と同じくらいの盛りだくさんの記事が載っていますが、ここでは小林良暢さんの「新成長戦略の新しい労働時間制と休息時間」を覗いておきましょう。

http://www.gendainoriron.jp/vol.02/column/col02.php

・・・・そればかりか、当初の規制改革会議の案では、成果型の新しい労働時間制と労働時間・休日・休暇取得促進がセットの「三位一体改革」が提起されていたが、今度の成長戦略では上限規制と休日・休暇取得の二つが消えてしまった。

だが、ここにきて、長谷川主査も上限規制や有給休暇の取得推進など「加重労働対策とセットで」と発言、また甘利大臣が成果型の新しい働き方は秋からの「政労使会議の場で議論を」と言いだした。政府は、厚労省の労働政策審議会よりも政労使のトップ会議の場で正面突破を図ろうとしている。ならば、労働側は逃げないでこの土俵に上って、連合の古賀さんには議論の前提として、消えた「上限規制と休日・休暇取得」を俎上に乗せる提起をしてもらいたい。

労働時間の上限規制が欠落する形で成長戦略になってしまったのを批判する点で、小林と私は共通ですが、これからの戦略論として、小林さんは労政審よりも政労使トップ会議でいけという考え方のようです。

ここは政治戦略としてなかなか難しいところですね。基本的に経済産業省サイドが事務局を固める中でその方向で正面突破ができるのかというと、私は懐疑的です。6月の成長戦略に向けた虚実の駆け引きを見る限り、そういう財界の本流が断固嫌がることをやれる枠組みとは思えない。アベノミクスのために賃上げさせるという方向で政労使会議をやってたときとは文脈が違う。

これは、労政審という三者構成の中で、経営側が上限規制で妥協しない限り、エグゼンプションはびた一文出さないぞ、という労働側の弱者の恫喝が機能する場でなければ、上限規制は形だけ「俎上に載せ」ただけで、何の料理にもならないまま、いいとこ取りされてしまう可能性が高いと思います。ていうか、なんで組合出身の小林さんに向けて、そうじゃない私がこんなこと言わなくちゃいけないの?って感じですが。

あとその上限規制の具体的な数値について、小林さんが機微に触れるような数字をさらりと言ってますが、

労働時間の上限規制については、労働時間の「上限規制」の「抜け道」になっている36協定の特別条項の見直しが不可欠である。現状は1か月70時間超~80時間、年間800時間で協定している事業所が多く、なかには年間900時間とか1000時間超すらある。連合は適合基準として「月45時間・年間360時間」を主張しているが、これは絵空ごと。工場や事業所の現場を回ると、過労死認定基準の1か月100時間・2~6か月80時間という縛りが効いていて、年間800時間で協定しているところまで進んでおり、これだと日に3時間の残業となり、職場ではよく見かける。このあたりの実情を踏まえて「月55時間・年間650時間」程度の相場観で主張し、過労死認定基準の引き下げを提案することである。

いまひとつ、休日・休暇取得促進ではなく「休息時間11時間」を主張して欲しい。但し、いま連合内で先行しているインターバル時間ではなく、EU並みの11時間の主張に徹してもらいたい。その際、個別オプトアウト(適用除外)条項が必要となろうが、これもEU並みに個別労使協定に委ね、 その対象者を成果型の新しい働き方の労働者にすればいい

いやその数字は最後の最後に出すもので・・・・・。

労働政策審議会電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律のあり方に関する部会の設置について

一昨日(8月29日)に開催された労働政策審議会本審に、標記の資料が提出されています。

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12602000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Roudouseisakutantou/0000056038.pdf

1 設置の趣旨

「電気事業法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議」(平成26年5月16日衆議院経済産業委員会、平成26年6月10日参議院経済産業委員会)において、「電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律」(以下「スト規制法」という。)について、「電力システム改革に関する法体系の改革に併せ、所管省庁において有識者や関係者等からなる意見聴取の場を設け、その意思を確認し、同法の今後のあり方について検討を行うものとする」とされたことを受け、労働政策審議会に「電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律のあり方に関する部会」(以下「部会」という)。を設置する。

2 スケジュール

平成27年の通常国会への法案提出を目指す第3弾電力システム改革の法整備に併せてスト規制法のあり方について検討を行い、結論を得る。

念のため確認しておきましょう。

http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_rchome.nsf/html/rchome/Futai/keizai0A5DAF060033DE0E49257B89001EC45E.htm

四 電力システム改革の遂行に際しては、今日まで電力の安定供給を支えてきた電力関連産業の労働者の雇用の安定や人材の確保・育成、関連技術・技能の継承に努めるとともに、改革の過程において憲法並びに労働基準法に基づく労使自治を尊重するものとすること。また、当該労働者について一定の形態の争議行為の禁止を定める「電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律」については、自由な競争の促進を第一義とする電力システム改革の趣旨と整合性を図る観点から再検討を行うものとすること。

http://www.sangiin.go.jp/japanese/gianjoho/ketsugi/186/f071_061001.pdf

六 電力システム改革の遂行に際しては、今日まで電力の安定供給を支えてきた電力関連産業の労働者の雇用の安定や人材の確保・育成、関連技術・技能の継承に努めるとともに、改革の過程において憲法並びに労働基準法に基づく労使自治を尊重するものとすること。また、当該労働者について一定の形態の争議行為の禁止を定める「電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律」については、自由な競争の促進を第一義とする電力システム改革の趣旨と整合性を図る観点から、電力システム改革に関する法体系の整備に併せ、所管省庁において有識者や関係者等からなる意見聴取の場を設けその意思を確認し、同法の今後の在り方について検討を行うものとすること。

専門家の方々は「憲法並びに労働基準法に基づく労使自治」に「?」と思うかもしれませんが、それはともかく、その肝心のスト規制法ですが、

電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律 (昭和二十八年八月七日法律第百七十一号)

第一条  この法律は、電気事業(一般の需要に応じ電気を供給する事業又はこれに電気を供給することを主たる目的とする事業をいう。以下同じ。)及び石炭鉱業の特殊性並びに国民経済及び国民の日常生活に対する重要性にかんがみ、公共の福祉を擁護するため、これらの事業について、争議行為の方法に関して必要な措置を定めるものとする。

第二条  電気事業の事業主又は電気事業に従事する者は、争議行為として、電気の正常な供給を停止する行為その他電気の正常な供給に直接に障害を生ぜしめる行為をしてはならない。

第三条  石炭鉱業の事業主又は石炭鉱業に従事する者は、争議行為として、鉱山保安法 (昭和二十四年法律第七十号)に規定する保安の業務の正常な運営を停廃する行為であつて、鉱山における人に対する危害、鉱物資源の滅失若しくは重大な損壊、鉱山の重要な施設の荒廃又は鉱害を生ずるものをしてはならない。

周知の通り、すでに日本国内には(金属鉱山はありますが)石炭鉱山は一つも残っていませんので、第3条は空振りですが、第2条は東京電力はじめ全国にあります。

上に出てくる「第3弾電力システム改革」」というのは、

L_jiyuka2_sj

にあるとおり、送配電部門の法的分離とそれに必要な各種ルールの制定ということですね。

なんにせよ、占領終結独立回復直後の、今は無き電産や炭労のストを背景に、吉田内閣下で作られたスト規制法なんていうものが、ここにきて労政審の審議議題に甦ってきたというのもなかなか感慨無量なものがあります。

4623040720 (参考)『労働法政策』(ミネルヴァ書房)

5 その後の動き

スト規制法の制定

 総評が1952年の秋から年末にかけて行った賃金闘争における電産スト及び炭労ストは、社会全般に大きな脅威と損害を与えたため、両争議に対して強い世論の批判が起こり、各種産業団体、地方議会、消費者団体などは、この種の産業における争議行為の方法について必要な立法措置を早急に具体化するように求めた。特に電産の争議に対しては、停電を伴うストが需要者たる第三者に損害を与えるものであるため、その指弾非難は強かった。

 このような世論を受け、政府は1953年2月、電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律案を作成し、国会に提出した。これは電気事業については停電スト、電源ストのように電気の正常な供給に直接障害を生ずる争議行為を、石炭鉱業については保安要員の総引き揚げを行う争議行為を規制するものである。国会では衆議院で3年の時限立法とする修正が行われたが、解散のため審議未了となり、6月に再度提出、8月に成立した。なお3年後の1956年12月存続の決議が行われ、期限のない法律となった。

されど、もじれの日々・・・

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%82%E3%81%98%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%A4%BE%E4%BC%9A-%E6%88%A6%E5%BE%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9E%8B%E5%BE%AA%E7%92%B0%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%92%E8%B6%85%E3%81%88%E3%81%A6-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%9C%AC%E7%94%B0-%E7%94%B1%E7%B4%80/dp/4480067906/

もじれる社会: 戦後日本型循環モデルを超えて (ちくま新書) 新書 – 2014/10/6

だそうです。

バカの見本, 濱口桂一郎, ブクマがバカの見本市

先日の

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-705c.html (何でもパワハラと言えばいいわけじゃない)

に、こういうぶくまがつきましたが、

http://b.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20140830#bookmark-221917017

bogus-simotukare バカの見本, 濱口桂一郎, ブクマがバカの見本市

セクハラと呼ぶな、強制わいせつと呼べみたいな馬鹿話。問題は「被害者救済に役立つかどうか」であってそういうくだらない茶々入れするのが学者の仕事なのか?

私に対する罵倒は、池田信夫イナゴだの田中秀臣バッタだのでさんざん慣れてますので、今更気にもなりませんが、「セクハラと呼ぶな、強制わいせつと呼べみたいな馬鹿話」には驚きました。

上記エントリでも述べたように、労働基準法違反だの不当労働行為だのとれっきとした実定法違反を言っても気にならないけれども、パワハラという未だ実定法上には何らの根拠規定すらないものには感情を動かされるというのが今の日本の実態であるわけですが、なんぼなんでもそういう人でも、さすがにこれを示せばなるほどと言うやろ、と思って出したネタがあっさりと「馬鹿話」。

これがどれくらい馬鹿話かというと、

刑法

(強制わいせつ)

第百七十六条  十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、六月以上十年以下の懲役に処する。十三歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。

であるような犯罪を、

男女雇用機会均等法

(職場における性的な言動に起因する問題に関する雇用管理上の措置)

第十一条  事業主は、職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的な言動により当該労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。

2  厚生労働大臣は、前項の規定に基づき事業主が講ずべき措置に関して、その適切かつ有効な実施を図るために必要な指針(次項において「指針」という。)を定めるものとする。

3  第四条第四項及び第五項の規定は、指針の策定及び変更について準用する。この場合において、同条第四項中「聴くほか、都道府県知事の意見を求める」とあるのは、「聴く」と読み替えるものとする。

という事業主の措置義務の対象程度の話と一緒くたにするな、というようなとんでもない「馬鹿話」であるわけです。

まさに、これが「馬鹿話」と感じられる感覚。

なるほど、刑法上の恐喝、暴行、傷害その他の構成要件に該当する行為であっても、「いじめ」という穏やかな言葉で語ることで犯罪めかしさを消し去りたがる感覚とも通じるものがありますね。

2014年8月29日 (金)

リベサヨにウケる「他人の人権」型ブラック企業

みなみみかんさんの鋭い直感:

https://twitter.com/radiomikan/status/505024778688684034

たかの友梨もワタミもそうなんだけど、児童養護施設に寄付したり東南アジアの子供ために力を入れたりしてるんだけど、自社の社員に対する扱いがアレで、もうなんかアレという他ない。

だから、そういう「他人の人権は山よりも高し、自分の人権は鴻毛よりも軽し」って感覚こそ、あの赤木智弘氏がずっぽりとその中で「さよく」ごっこしていた世界であり、そんなんじゃ自分が救われないからと「希望は戦争」になだれ込んでしまった世界であるわけです。

自分の人権なんかこれっぽっちでも言うのは恥ずかしいけれど、どこか遠くの世界のとってもかわいそうな人々のためにこんなに一生懸命がんばっているなんて立派なぼく、わたし、という世界です。

そういうのを讃えに讃えてきたリベサヨの行き着く果てが、末端の労働者まで社長に自我包絡されて、こんなに自分の人権を弊履の如く捨て去って他人の人権のために尽くすスバラ式会社・・・というアイロニーに、そろそろ気がついてもよろしいのではないかと、言うてるわけですけど。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-3e81.html(自分の人権、他人の人権)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-baa7.html(りべさよ人権論の根っこ)

何でもパワハラと言えばいいわけじゃない

確かに、これまでの法体系ではなかなかどれにもぴたりと当てはまりそうもないある何かに「パワハラ」と名付けて、批判する根拠にしていくということそれ自体は、当然の戦略だと思うし、全然悪いとは思いませんが、それにしても、

http://withnews.jp/article/f0140828001qq000000000000000G0010401qq000010751A(たかの友梨氏がパワハラ?「あなた会社つぶすの」 録音データ公開)

エステサロン大手「たかの友梨ビューティクリニック」を経営する「不二ビューティ」(本社・東京都)の女性従業員が加入するブラック企業対策ユニオンは28日、同社の高野友梨社長(66)から、組合活動をしていることを理由にパワーハラスメントを受けたとして、宮城県労働委員会に不当労働行為の救済を申し立てた。記者会見も開き、「パワハラ時の録音」とされる音声記録を公開した。

・・・未払いが問題になった残業代については「残業代といって改めて払わないけれども、頑張れば頑張った分というのがあるじゃん。そうやって払っている」と、支払いが適正ではない可能性を認めた。弁護団によると、月間77時間の残業に対して12万円が支払われるべきところ、3万5千円ほどしか支払われないケースがあり、こうした事例が横行している可能性があるという。

 また、女性従業員が労働環境の改善を訴えてることについては「つぶれるよ、うち。それで困らない?この状況でこんだけ働けているのに、そういうふうにみんなに暴き出したりなんかして、あなた会社潰してもいいの」と迫った。

 さらに、残業や休日労働をさせる場合には、労使で書面による協定を事前に結ぶ必要があると定めた36協定(労働基準法第36条)については「みんな各店うやむや」「うかつだった。知らないもん」などと述べた。「法律どおりにやったらサービス業は上昇しない」とも話した。

これって、端的に、労働基準法をわかっていて平気で違反して、不当労働行為をしているということなんであって労働法の基本中の基本なんであって、なんでわざわざこれに「パワハラ」なんていう最近ぽっと出の言葉を使わなくちゃいけないのか、さっぱりわからない・・・、

というか、実はわかるので、要するにそれほど、「パワハラ」といえば何か悪いことだな、と世間もマスコミも感じるけど、労働基準法違反だとか、ましてや不当労働行為だとか言われても、何それ食えるの?おいしいの?というのが世間のフツーの感覚であると、みんなが思っているからこういうことになるわけです。

強制わいせつと言っても何も悪いことだと思っていない世間で、一生懸命これはセクハラだけしからんでしょと言ってるような、妙な徒労感を感じさせる記事ではありますな。

2014年8月28日 (木)

日本政府の醜態@ILO

昨日の労働法学研究会の講演を聴かれた方のつぶやきに、

https://twitter.com/tucan/status/504780893496422400

昨日のhamachan先生の講演面白かった。最後の「ILO創設当初に犯した、日本政府の醜態」の話は特に(テーマとの関係薄いけど)。この辺、もう少し文献探してみたい。>第2656回労働法学研究会「アベノミクスの労働政策をどう捉えるか」

実は、同じ労働法学研究会で、三者構成原則について喋ったときに、この話にもちょびっと言及しています。

2007年2月26日に講演し、その内容は『労働法学研究会報』2406号に載っています。

そこから、その日本政府の醜態に関わるところを引いておきますと、

国際労働機関の設立

そこで一般的な国際連盟を作るだけではなくて、労働条件を国際的に規制する常設の国際機関として、国際労働機関(ILO)を作ろうとこういうことになったわけです。

そこで問題になったのが、誰が国際労働機関の会合に出てくるのかということです。国際機関ですから、国際というのはインターナショナル、国の間というのだから当然それぞれの国の政府の人でしょうということになります。

そうするとほかの機関ですと外務省の役人、外交官が出てきてやるわけです。専門的な事項であればそれぞれ専門の役所、例えば労働省の人が出てくる。すべて政府だけでやるというのが一般原則なのです。

しかし労働問題というのは、労働組合と使用者の間で物事を決める、これが民法の私的自治とは違ったいわゆる労使自治の原則として19世紀から20世紀のはじめにかけて徐々にヨーロッパ諸国で確立してきたのです。

この人たちを入れずによくわかっていない政府の役人だけが勝手に議論して物事を決めるというのはまずいのではないか、なにしろ決める中身は何かといえばそれは国際的にこれでいこうという労働条件なのです。

それを決めるのに、直接の当事者である労働組合や使用者団体を入れないというわけにはいかないということで、パリ平和会議ではいろいろな議論がされました。

ILO条約

結果的に各国とも、政府が2名、労使それぞれ1名計4名がILOの会議に出席して物事を決めていくというルールができました。

逆にいうと、それまで国のレベルで、法律を作る際に公式的に労働組合や使用者団体が、事実上関与するという仕組みはありました。

国の中の仕組みというのは、民主主義の一般原則に基づいてやっていたのですが、ILOという特別な国際機関ができるということによって、国際的なレベルでの立法プロセスの中に明示的に労働組合や使用者団体が関与するという仕組みが明確に書かれた。これが三者構成原則の出発点です。

ILO条約を作るのが立法過程かというと、ILO条約というのは法令なのかという大変な議論になってしまうのですが、ここでは一応法令ということにしておきます。

さらに、各国の中で、ILO条約を実施するための労働政策について物事を決めていく際には、同じように労働組合や使用者団体をきちんと公式の意思決定過程に関与させていかなければいけないというルールができてきます。国内の労働法、労働政策の立法過程に対しても、こうして三者構成原則が要求されてくるのです。

日本の状況

これが国際的に見た時の、三者構成原則のそもそもの出発点です。ヨーロッパ諸国は第一次大戦後の時期からこういうものが国内的にも形成されていくのですが、わが日本は当時、大変な騒ぎになってしまいました。というのは、労働者の代表とは誰だ、労働組合と自称して旗を振っている変な連中が数人いるみたいだけれども、どう考えても労働者全部の代表とは思えないし、どうしようかという話になってしまったのです。

最初に大問題になったのはILO総会に誰を出すかということでした。ほかの国は労働組合の組織率が高いですから、そこの一番大きなところやいくつかの間で相談させて決めて送るのです。しかし日本にはまだしっかりした労働組合はありませんでした。

当時、鈴木文治が友愛会を作ってはいたのですが、本当にまだ小さな団体だったのです。これでは日本の労働者を代表するものではないと日本の政府は考えて、当時鳥羽造船所にいた技師の桝本卯平を労働者の代表だといって、第1回のILO会議に送り込んだのです。ところが、なんだこいつはといわれ、本人も政府から行けといわれたから行ったので、私はよくわかりませんといって、大恥をかいたのです。

そんなことが数回続いて、3回目か4回目には行った人が、私はそもそも日本の労働者代表ではない、私は資格が無いということを宣言するといい、日本政府が大恥をかいたということもありました。結局このドタバタ劇で、労働問題の主管官庁が、農商務省から内務省に移り、社会局が新設されました。・・・

いずれにしろ、昨日のメインのお話しとはあんまり関係がありませんね。

2014年8月27日 (水)

労災と健保の隙間@東京新聞生活図鑑

本日の東京新聞第13面の「生活図鑑」は、「労災適用外 雇用関係のない「労働者」、健保で保障」という、なかなか渋い、しかし極めて重要な問題を扱っています。

学生のインターンシップが盛んです。しかし、インターンシップ中にけがを負った場合、医療給付は受けられるのでしょうか?

従来は健康保険、労災保険のどちらからも受けられませんでした。シルバー人材センター経由の就業中にけがを負った場合も同様でした。

両制度の隙間で給付されない問題を解決するため、健康保険制度が改正されました。・・・

残念ながらまだHPにアップされていないので、この面白い絵もお見せできませんが、簡潔な解説は読む値打ちがあります。

ここには書かれていませんが、この問題、実は戦前、労災も含めて健康保険法が作られ、戦後労働者の業務上についてのみ労災保険が設けられ、健康保険は業務外だけになったことに淵源します。突っ込むと大変面白いネタがけっこうあります。

第2656回労働法学研究会「アベノミクスの労働政策をどう捉えるか」

本日、第2656回労働法学研究会「アベノミクスの労働政策をどう捉えるか」があります。

http://www.roudou-kk.co.jp/meeting/archives/2014reikai/006244.html

―注目される雇用制度改革等について押さえておきたいポイント―

 アベノミクスの成長戦略では、雇用制度改革の推進が強調され、雇用分野に影響する様々な話題が日々報じられています。政府が決定した新たな成長戦略において、多様な正社員制度の普及・拡大やフレックスタイム制度の見直しに加えて、健康確保や仕事と生活の調和を図りつつ、時間ではなく成果で評価される働き方を希望する働き手のニーズに応える、新たな労働時間制度を創設することとしました。また、「少なくとも年収1千万円以上」の高度な専門職を対象に、労働時間ではなく成果に応じた賃金制度を導入し、企業の競争力強化を目指す、いわゆるホワイトカラー・エグゼンプションと呼ばれる制度の導入も来年の通常国会をめどに予定しています。
     また、その他の労働政策においても、女性の活躍促進に向けた対策、働き過ぎ防止策、など、働く個人に大変身近な問題であり、高い関心が寄せられています。また一方で、産業競争力会議や規制改革会議の審議の在り方に対し、労働政策専門の議論の場を通さず規制緩和等が進められることへの強い懸念もあります。人事担当者はこの状況をどう理解し、また今後についてどのような対応を検討するべきなのでしょうか。
     そこで本例会では、労働政策研究・研修機構(JILPT)の濱口先生を講師にお招きし、アベノミクスの雇用制度改革を中心に、雇用をめぐる政策と今後への影響について解説いただきます。ぜひご利用ください。

日  時:平成26年8月27日(水)
    時  間:15:00-17:00
会  場:高田馬場センタービル 3F
      東京都新宿区高田馬場1-31-18

2014年8月26日 (火)

広田照幸・宮寺晃夫編『教育システムと社会』(世織書房)

Image広田照幸・宮寺晃夫編『教育システムと社会』(世織書房)をお送り頂きました。まだ版元に画像も何も載っていないので、とりあえず自撮り画像で。

これは、本ブログでも紹介してきた広田照幸さんの研究プロジェクトの成果を本にしたものです。

私も第一部の第一報告をやってます。「教育と労働の密接な無関係」てのは、ここで喋ったものです。

私の発言も相当にひねくれていますが、それをさらにひねくれた解釈をしているのが金子良事さんです。ひねくれ同士の見事な演技をご覧いただければ、と。


「時間ではなく成果で評価される制度への改革?」@『労務事情』2014年9月1日号

1167102_o『労務事情』2014年9月1日号に寄稿した「時間ではなく成果で評価される制度への改革?」です。全2回の1回目ですので、次号に続きます。

 政府は去る6月24日に『「日本再興戦略」改訂2014』を閣議決定した。ここでは、雇用制度改革に関しても多くの課題が挙げられているが,その中でも注目を集めたのが「時間ではなく成果で評価される制度への改革」というタイトルが付けられた項目である。しかしながら、この問題をめぐっては、この提案を行った政府の産業競争力会議自身をはじめ、多くのマスコミや政治家も含め、問題の本質を外した議論ばかりが横行している。

 まずもって確認しておくべきは、いったいこの「改革」は何を改革しようとしているのか,という点である。それはこの戦略が「新たな労働時間制度」を創設せよと言っている以上、労働時間制度に決まっているではないか、とほとんど全ての人は考えるであろう。しかし、「時間ではなく成果で評価される制度への改革」とは、いかなる意味でも労働時間制度の改革ではありえない。時間ではなく成果で評価されて決定されるのは賃金その他の処遇である。つまり、それは賃金処遇制度改革以外の何者をも意味しない。賃金制度改革のどこが規制改革なのか?

 これは難癖ではない。なぜならば、賃金処遇制度に関する限り、日本国の労働法体系はほとんど規制などしていないからだ。つまり、もし問題が賃金処遇制度改革にあるのであれば、それを規制改革という言葉で論じること自体が不当である。この肝心な点が,残念ながら日本のマスコミにはまったく理解されていない。そのため、この閣議決定後初めて厚労省の労政審労働条件分科会でこの問題が審議された翌日の毎日新聞は、「労働政策審議会:成果賃金制度に着手 成長戦略受け」などと報じて疑わない。それに先だってNHKが放送した番組も、成果主義の是非ばかりに焦点を当てていた。

 読者諸氏には言わずもがなだが、現行法制上いかなる賃金制度を採ろうが基本的に企業の自由である。日本国のいかなる法律も成果主義賃金を禁止していない。労政審にも産業競争力会議にも、成果主義賃金制度の是非を論ずる権限もなければ、その導入を命ずる権限もない。言うところの「時間ではなく成果で評価される制度」は、もちろん現在でも導入可能である。午後2時頃出勤して2時間ほど仕事をして4時にはさっさと帰る社員に、成果を挙げたからと言って50万円の月給を支払い、朝8時から夕方5時まで就業規則に定められた時間いっぱい働いた社員に、成果があまり上がっていないからと20万円の月給しか払わなくても、現行法制上まったく何の問題もない。もちろん、フルタイムで月10万円では時間当たり単価が最低賃金を割り込んでしまうのでアウトだが、それは最低賃金の問題である。最低賃金を上回る限り、どんな成果主義賃金制度も認められるのが日本の法制である。(全2回-①)

「家事使用人の労働基準法」@『労基旬報』8月25日号

『労基旬報』8月25日号に寄稿した「家事使用人の労働基準法」です。

 長らく労働法の関心事項から外れ、ほとんど忘れ去られていたある問題が、昨今いくつかの動きから注目を集め始めています。それは、「家事使用人」への労働基準法適用除外の問題です。

 周知の通り、現行労働基準法第116条第2項は「この法律は、同居の親族のみを使用する事業及び家事使用人については、適用しない。」と規定しています。これは、制定当時は適用事業の範囲を定める第8条の柱書きの但し書きでした。当時は17号に及ぶ「各号の一に該当する事業又は事務所について適用する」とした上で、従って事業や事務所に該当しない個人家庭は対象外であることを前提としつつ、適用事業であっても家事使用人には適用しないという立法でした。1998年改正で第8条は削除されたので、現在は単純に家事使用人という就労形態に着目した適用除外です。

 この規定の解釈が争われた珍しい事件の判決が昨年ありました。医療法人衣明会事件(東京地判平25.9.11労判1085-60)です。ベビーシッターを家事使用人ではないとしたその判断には法解釈的には大いに疑問がありますが、むしろ家事使用人であれば労働基準法を適用しなくてもよいという67年前の立法政策を今日なお維持し続ける理由があるのか?という法政策的な課題を突きつけていると考えるべきではないかと思われます。

 この問題を今日真剣に考えなければならなくなっている理由の一つが、今年6月に成立した改正出入国管理及び難民認定法において、高度専門職という在留資格を新設し、この高度人材外国人が外国人の家事使用人を帯同することを認めることとしたからです。帯同を認めること自体は出入国管理政策の問題ですが、こうして日本で就労することとなる家事使用人は、労働基準法が適用されないことになってしまいます。労働法の隙間をそのままにして外国人労働者を導入してよいのかという問題です。

 さらに、今年6月に閣議決定された「日本再興戦略改訂2014」においては、「女性の活躍促進、家事支援ニーズへの対応のための外国人家事支援人材の活用」というタイトルの下、「日本人の家事支援を目的とする場合も含め、家事支援サービスを提供する企業に雇用される外国人家事支援人材の入国・在留が可能となるよう、検討を進め、速やかに所用の措置を講ずる」という政策が示されており、家事使用人雇用の拡大が打ち出されているのです。

 一方、2011年のILO第100回総会で、家事労働者のディーセントワークに関する第189号条約が採択されているという状況もあります。全世界的に家事使用人の労働条件をめぐる問題が政策課題として意識されつつあるのです。

 この問題に対する関心は一般にはなお高くありませんが、東海ジェンダー研究所が出している『ジェンダー研究』第16号(2014年2月刊行)に掲載されている坂井博美氏の「労働基準法制定過程にみる戦後初期の『家事使用人』観」という論文は、『日本立法資料全集』(51-54)を利用して、家事使用人の適用除外規定がいかに、そしてなぜ設けられたのかを綿密に検証しています。これを見ると、労務法制審議会では労働側委員だけでなく学識経験者の末弘厳太郞や桂皋も「家事使用人に適用しないこと反対、別の保護規定を設けよ」と主張していますし、国会でも荒畑寒村が「日本の女中というものは、ほとんど自分の時間が無い。朝でも昼でも晩でも、夜中でも、命じられれば仕事をしなければならぬ。・・・これこそ私は本法によって人たるに値する生活を多少ともできるように、保護してやらなければならぬだろうと思うのであります」と質問するなど、問題意識はかなりあったようです。

 同論文で興味深いのは、米軍駐留家庭の日本人メイドをめぐる問題です。占領初期には他の占領軍労働者と同様日本政府が雇用して米軍が使用するという間接雇用でしたが、1951年にメイドは直接雇用となったのです。そうすると突然国家公務員から労働法の適用もない存在になってしまいました。彼女らは全駐労に加入して運動しましたが、適用除外を変えることはできませんでした。

 一方職業安定行政においては、1959年に神田橋女子公共職業安定所が「女中憲章」を作成し、次のような7項目の求人条件のガイドラインを示したそうです。
①労働時間は1日12時間を超えない。
②休日は月2日以上。このほか年間7日以上の有給休暇。・・・
 裏返せば、こうした最低基準すら保障されていないということです。

 一点余計なことを付け加えておきますと、労働基準法とともに施行された労働基準法施行規則第1条には、法第8条の「その他命令で定める事業又は事務所」として、「派出婦会、速記士会、筆耕者会その他派出の事業」というのがありました。派出婦というのは家政婦のことですから、家事使用人に該当します。派出婦会が適用事業であっても、派出婦が家事使用人である限り適用されないことになるので、わざわざ派出婦会を規定していた意味はよく理解できませんが、1998年に法第8条が各号列記でなくなったため、この規定も削除されました。それにしても、労働者派遣法が成立するはるか以前からその成立後もしばらくの間、「派出」という他の労働法令には存在しない用語が生き続けていたのも興味深いところです。この「派出」と職業安定法でいう「労働者供給」との関係はどのように整理されていたのでしょうか。 

久本憲夫さんの拙著書評@『JIL雑誌』6月号

Chuko『日本労働研究雑誌』9月号が出たので、3か月ルールで6月号の中身がアップされました。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2014/06/index.htm

それで、その6月号に載っていた久本憲夫さんによる拙著『若者と労働』への書評もネット上で読めるようになりました。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2014/06/pdf/088-089.pdf

 本書は,労働問題のオピニオンリーダーである濱口氏がほぼ「現時点で若者の労働について語るべきことはほぼ語りつくした」書物である。歴史的な経過などが的確に押さえられているので勉強になるし,説得力がある。具体的には,「社員」の採用の仕組み,「入社」のための教育システム,若者雇用問題の「政策化」,正社員の疲弊,そして最後に若者雇用問題への「処方箋」と,新書ながら,実に幅広い問題が議論の俎上にあがり,濱口流の明快な解釈が展開する。「入社」システムの縮小によって,排除された若者が増え,評者なりにいえば,不熟練労働者をターゲットとする企業が「メンバーシップ型」企業を装って,若者を採用することが増加し,社会問題化したことなどを指摘したうえで「処方箋」を示す。このテーマに関心がある人ならば一読すべき一冊である。

 本書の基本線は,雇用社会を「就職」型(ジョブ型)社会と「入社」型(メンバーシップ型)社会に分け,日本以外を前者,日本を後者に位置づけ,その問題点を検討することにある。こうした議論は,日本特殊性論以来,ある意味,わが国では最も古典的なものである(ただ,前者を単に「欧米」に限らず,アジア諸国にも拡大している点は異なる)。こうした分類,わが国の雇用慣行の特徴を浮き上がらせる観点からは有効であろう。ただ,分析が明確過ぎて,若者の雇用政策や職業教育に関する評価など,気になる点もある。

 まず,若者の雇用政策であるが,濱口氏自身が本書で述べているように,わが国で政策が必要であると認識されたのはわずか10 年前のことである。それまで,特別の政策は必要なかった。つまり,特段の政策が必要でなかったという意味で,わが国ほど若年者雇用政策が成功した国はほかにない。もちろん,近年問題となっているわけだが,それでも多くのほかの先進国ほどひどくなったわけでもない。とすれば,基本線を「ジョブ型」社会にもっていくという考えは,少なくとも若年者雇用政策という観点からすれば,齟齬がある。

 つぎに,「ジョブ型」正社員の議論である。そもそも正社員共稼ぎモデルの主流化を求め続けている評者にとって,コース別人事管理における「一般職」の男性への開放,あるいは契約社員の「期限の定めのない雇用」化など近年話題となっている「限定正社員」の議論は,評者も10 年ほど前から主張してきたことであり,違和感はない。現実には,正社員は多様であり,世間で論じているような「正社員」(全国転勤・長時間残業あり)は実は少数派なのだが,「正社員像」としては広く認知されている。それは「日本的雇用システム」のなかにいる人が一貫して少数派であるという事実と相通ずる点がある。

ここで問題なのは「ジョブ」とは何かということである。わが国の働き方で「職務」あるいは「業務」を確定することは困難であり,業務が明確に規定されているはずの派遣社員に対してでさえ,規定外の仕事を依頼する職場の長がいるのが現状ではないだろうか。この点への考察がないとすると,「ジョブ型」正社員とは,単に定期昇給制度のない賃金カーブがフラットな正社員ということになる。

 最後に,中長期的な「処方箋」としての「ジョブ型」社会の評価とそのための職業教育政策である。職業能力開発の仕組みがドイツのようになる見込みがほとんどないのではないだろうか。ドイツ型デュアルシステムは,「就社」(=雇用,濱口氏の表現では「入社」)のまえに「就職」(=職業)を決めるものである。

問題はわが国での実現可能性である。その導入には学校教育と企業システムにおける革命的変革が必要であり,文部科学省も厚生労働省はもとより,そもそも企業がまったく本気でない以上,あまり有望だとは思えないというのが正直な感想である。

正確に読み解いて頂いた上で、鋭い突っ込みを入れて頂いている、お手本のような書評です。

2014年8月25日 (月)

『若者と労働』への短評二つ

Chuko『若者と労働』への短評が二つ続きました。

一つはAmazonレビュー。「千人同心」さんの「わが身、わが子の就活ためにも、有益な一冊」。

http://www.amazon.co.jp/review/R2YG5ZKZ8VIYZG/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4121504658

hamachan先生の新書、3冊目です。
若年者就労問題を主題に掲げています。わたくしは若年者ではなく一介の「中年をとこ」ではありますが、40を過ぎたあたりから自分の就労環境の変化に敏感になっています。
若年層で起こっていることは、役員はおろかライン部長にすらなれなくてグループ企業や取引先企業に放り出される中年ビジネス・パースンにも身近な問題です。
出向転籍って、グループ企業人事での人物評が固まっているぶん、新卒採用や中途採用よりも厳しい就労環境にあると思います。hamachan先生の本やブログを読むと、不安な足元を明りで照らされるような、心強さを感じます。"

中年の方向けには、よりぴったりの『日本の雇用と中高年』もございますので、併せてお読み頂ければ幸いです。

もう一つは読書メーター。「Noriko Kawamura」さんです。

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/40625487

日本の雇用システムがどういった理由でこうなったのかまとまって勉強できました。 職能型と職務型、字は似てるのに教育から何から何まで違いすぎる! 今まで両者をごっちゃにして考えてたとこがありました。 海外サービスを参考にするにしてもこの土壌の違いを知った上で考えないとなと。また最後の解決策にはプラスで「人生こうしていきたい!」と自分自身で描けるような、それこそちっちゃい頃からの教育を変えないと、意思もなくただレールの上に乗るだけという状況が生まれて結局不幸せな若者を量産するんじゃないかと思いました。

職能型と職務型は、なまじ字面が似てる分、中身が正反対なので、よくわかっている人とわかってないくせにくっちゃべってる人を見分けるのに有効です。

現代日本社会の「能力」評価@『JIL雑誌』9月号

New『日本労働研究雑誌』9月号は、「現代日本社会の「能力」評価」という特集です。これは結構面白いですよ。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/new/index.htm

解題
現代日本社会の「能力」評価 編集委員会

論文
日本企業の解雇の場面における「能力」評価の合理性について 井村 真己(沖縄国際大学法学部教授)

タイプ別に見た限定正社員の人事管理の特徴──正社員の人事管理や働き方に変化をもたらすのか? 西村 純(JILPT研究員)

非認知能力が労働市場の成果に与える影響について 李 嬋娟(明治学院大学国際学部専任講師)

「人間力」の語られ方──雑誌特集記事を素材にして 牧野 智和(日本学術振興会特別研究員)

紹介
就活で求められる能力 西山 昭彦(一橋大学特任教授)

「スキルの見える化」とキャリア形成 笹井 宏益(国立教育政策研究所生涯学習研究部長)

PIAACから読み解く近年の職業能力評価の動向 深町 珠由(JILPT副主任研究員)

このうち、堀有喜衣さんによる解題は全文ネット上で読めますので是非。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2014/09/pdf/002-005.pdf

近年の能力評価をめぐる混迷した議論状況を的確に指摘しています。

・・・しかし実際の日本のホワイトカラーの職場では,必ずしも新しいタイプの「能力」や企業横断的な評価が必要とされたり,あるいは人事評価や賃金に反映されているわけではなく,いぜんとして「メンバーシップ型」(後述)の採用や雇用管理,人材育成が主流であることを示唆する様々な知見で溢れている。いわゆる「日本的雇用慣行」は大筋の部分では維持されており,「能力」評価の点でも同様だと言えよう。

 他方で,近年労働契約のあり方が議論される中で,例えば職務を明確にしたジョブ型のような働き方を導入するとすれば,「能力」の測定と評価への反映は避けられないという事態が生じつつある。また職務の明確化が,長時間労働の歯止めになることも期待されている。さらに「日本再興戦略」においては「職業能力の見える化」が論点のひとつとなっており,近年ではこれまでになく「能力」評価のニーズが高まっている。・・・

論文の中では、やはり井村真己さんの「日本企業の解雇の場面における「能力」評価の合理性について」が、おもしろいです。まだ本文はアップされていないので、堀有喜衣さんによる要約を引用しておきます。

井村論文は,法律学の立場から,現在の日本の人事管理制度において労働者の能力が,①潜在的な能力,②労働意欲,③コンピテンシー(高い成果を安定的に生み出す職務行動),から把握されているという前提のもとで,解雇をめぐる裁判例を検討している。
 労働契約における能力評価は,労働契約の形態や内容によって評価方法が変化する。日本でよく見られる職務を限定しない労働契約における評価は,結果よりもプロセスを重視することになるため,労働者の「能力」の不足を理由とする解雇は実質的には「勤務態度」が理由になっている。他方で職務を限定した労働契約の場合には結果を出すことが求められると解されるので,結果を理由とした解雇の可能性が生まれる。
 ただし職種限定の仕事の解雇に関わる裁判例においても,単に結果のみをもって解雇の有効性が肯定されているわけではない。医師であっても解雇の合理性が労働意欲やコンピテンシーにおける問題に求められたり,能力を焦点とする場合でも,研究者における研究業績や進学塾の授業アンケートなど明確で客観的な指標が根拠とされている。また中途採用された管理職においても,結果を出すまでの期間への配慮が求められている。すなわち,能力不足という理由で解雇が認められているというよりは,労働意欲やコンピテンシーなどを考慮した総合的な判断がなされている。
 したがって解雇に関わる能力評価の課題としては,各職種ごとにコンピテンシーを明確化すること,また就業規則上の解雇規定を精緻化することが使用者側に求められることを井村論文は提起している。
 ただし解雇という場面においては職務評価を明確にすることが使用者側にプラスに働くとしても,これまでのように職務評価を明確にしないことで使用者側が得てきたメリットも大きいだろう。このメリットを捨てて職務評価を明確化する方向に向かうかどうかは,個々の企業の判断に拠るところが大きいように思われる。

あと、西村純さんの「タイプ別に見た限定正社員の人事管理の特徴」も、昨今の限定正社員論議に一石を投ずる内容です。堀さんの要約の最後の所だけを。

以上のように,限定正社員は無限定正社員の働き方を変革する可能性を秘めているのだが,能力が社会的に可視化された労働市場への扉を開くものではなさそうである。しかし,従来の日本的雇用慣行を鑑みれば,限定正社員の導入それ自体を新しい動きとして評価すべきであるのかもしれない。

言説分析に関心のある方々には、牧野智和さんの「「人間力」の語られ方」。「「人間力」って言うな!」と言う代わりに、その語られ方を分析してやろうというわけです。

書評も充実してますよ。清家篤『雇用再生』に八代尚宏さん、大内伸哉『解雇改革』に有賀健さんを当てるというあたりに、編集者のにやにや顔が見えるようです。

ヘイトスピーチ対策というのなら人権擁護法案を出し直したら?

自民党がヘイトスピーチ問題でプロジェクトチームを設置するそうですが、

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS21H18_R20C14A8PP8000/

自民党は21日、人種や民族などの憎しみをあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)への対策を協議するため、政務調査会にプロジェクトチームを設置すると発表した。座長には平沢勝栄衆院議員が就き、月内に初会合を開く予定だ。安倍晋三首相はヘイトスピーチを巡り「日本の誇りを傷つけるもので、対処しなければならない」との認識を示していた。

そもそも、小泉内閣時代に、ヘイトスピーチだけでなく雇用におけるを含む差別・嫌がらせ全般について、また人種・民族だけでなく信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向と広く対象にした人権擁護法案をちゃんと出していたのですから、それをそのまま出し直せば十分通用するのではないかと思いますが。

http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g15405056.htm

 (目的)

第一条 この法律は、人権の侵害により発生し、又は発生するおそれのある被害の適正かつ迅速な救済又はその実効的な予防並びに人権尊重の理念を普及させ、及びそれに関する理解を深めるための啓発に関する措置を講ずることにより、人権の擁護に関する施策を総合的に推進し、もって、人権が尊重される社会の実現に寄与することを目的とする。

 (定義)

第二条 この法律において「人権侵害」とは、不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為をいう。

2 この法律において「社会的身分」とは、出生により決定される社会的な地位をいう。

3 この法律において「障害」とは、長期にわたり日常生活又は社会生活が相当な制限を受ける程度の身体障害、知的障害又は精神障害をいう。

4 この法律において「疾病」とは、その発症により長期にわたり日常生活又は社会生活が相当な制限を受ける状態となる感染症その他の疾患をいう。

5 この法律において「人種等」とは、人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向をいう。

 (人権侵害等の禁止)

第三条 何人も、他人に対し、次に掲げる行為その他の人権侵害をしてはならない。

 一 次に掲げる不当な差別的取扱い

  イ 国又は地方公共団体の職員その他法令により公務に従事する者としての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い

  ロ 業として対価を得て物品、不動産、権利又は役務を提供する者としての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い

  ハ 事業主としての立場において労働者の採用又は労働条件その他労働関係に関する事項について人種等を理由としてする不当な差別的取扱い(雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(昭和四十七年法律第百十三号)第八条第二項に規定する定めに基づく不当な差別的取扱い及び同条第三項に規定する理由に基づく解雇を含む。)

 二 次に掲げる不当な差別的言動等

  イ 特定の者に対し、その者の有する人種等の属性を理由としてする侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動

  ロ 特定の者に対し、職務上の地位を利用し、その者の意に反してする性的な言動

 三 特定の者に対して有する優越的な立場においてその者に対してする虐待

2 何人も、次に掲げる行為をしてはならない。

 一 人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発する目的で、当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報を文書の頒布、掲示その他これらに類する方法で公然と摘示する行為

 二 人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをする意思を広告、掲示その他これらに類する方法で公然と表示する行為

(参考)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo140725.html(「人種差別撤廃条約と雇用労働関係」 『労基旬報』7月25日号 )

・・・実は、2002年に当時の小泉内閣から国会に提出された人権擁護法案が成立していれば、そこに「人種、民族」が含まれることから、この条約に対応する国内法と説明することができたはずですが、残念ながらそうなっていません。

 このときは特にメディア規制関係の規定をめぐって、報道の自由や取材の自由を侵すとしてマスコミや野党が反対し、このためしばらく継続審議とされましたが、2003年10月の衆議院解散で廃案となってしまいました。この時期は与党の自由民主党と公明党が賛成で、野党の民主党、社会民主党、共産党が反対していたということは、歴史的事実として記憶にとどめられてしかるべきでしょう。

 その後2005年には、メディア規制関係の規定を凍結するということで政府与党は再度法案を国会に提出しようとしましたが、今度は自由民主党内から反対論が噴出しました。推進派の古賀誠氏に対して反対派の平沼赳夫氏らが猛反発し、党執行部は同年7月に法案提出を断念しました。このとき、右派メディアや右派言論人は、「人権侵害」の定義が曖昧であること、人権擁護委員に国籍要件がないことを挙げて批判を繰り返しました。

 全くの余談ですが、この頃私は日本女子大学のオムニバス講義の中の1回を依頼され、講義の中で人権擁護法案についても触れたところ、講義の後提出された学生の感想の中に、人権擁護法案を褒めるとは許せないというようなものがかなりあったのに驚いた記憶があります。ネットを中心とする右派的な世論が若い世代に広く及んでいることを実感させられる経験でした。

2014年8月24日 (日)

『新しい労働社会』第9刷

131039145988913400963 『新しい労働社会』(岩波新書)第9刷が届きました。

第1刷が出たのが2009年7月22日。

第9刷が2014年8月25日。

新書と言っても、出てはすぐ消えていくのも多い中で、5年間にわたって継続的に読者に支持され続けてきたことは、時代状況ゆえという面もありますが、本当にありがたいことです。

そして、5年経った今でも、そこに書かれたことのただの一つも意見を変える必要がないことを、たとえば、現在言われている労働時間規制の議論に、この5年前の本で述べたことに付け加えることはほとんどないことを、むしろ、そこで強調したことをさらに繰り返し強調しなければならないことを、喜ぶというよりもむしろ悲しみたい思いもあります。

改めて心より、読み続けていただいた皆様に感謝申し上げます。

道幸哲也『労働委員会の役割と不当労働行為法理』

06601道幸哲也『労働委員会の役割と不当労働行為法理』(日本評論社)をお送りいただきました。

http://www.nippyo.co.jp/book/6601.html

労働法研究と労働委員会実務の双方で活躍する著者が、その経験と多くの判例・命令を踏まえ、労働委員会における不当労働行為認定の法理を徹底分析。

というわけで、道幸先生のライフワークである労働委員会と不当労働行為についての専門研究書です。目次も次の通り、玄人向けの本ですが、

序文

第1部 労働委員会制度論

第1章 労使紛争処理制度としての労働委員会

 1 権利実現からみた労働組合の役割

 2 労働紛争の処理システム

 3 調整権限からみた労働委員会

 4 直面する課題

第2章 労組法の成立と展開

 1 労組法の立法過程

 2 2004年の労組法改正

第3章 労働委員会の機構と権限

 1 労働委員会の権限・役割

 2 労働委員会の機構

第4章 労働委員会手続き

 1 申立

 2 調査

 3 審問

 4 合議

 5 再審査申立

 8 命令強制システム     

第5章 救済命令のあり方

 1 事案に応じた救済命令の型

 2 救済命令の法理

 3 個別の救済命令をめぐる論点

 4 救済利益

第6章 司法救済と行政救済

 1 司法救済法理

 2 不法行為事案の特徴

 3 両法理が未分化な理由

 4 両法理の相違点

 5 行政救済法理の独自性

第7章 命令の司法審査

 1 並列的な審査システム

 2 労働委員会による判断の特徴

 3 命令の司法審査

第8章 岐路に立つ労働委員会

 1 直面する課題

 2 活性化委員会の提起したもの

 3 今後の課題

第2部 不当労働行為の法理論

第9章 不当労働行為法理の全体像

 1 法理形成の特徴

 2 判例法理の基本的特徴

 3 組合活動と不当労働行為

 4 7条の構造

第10章 不当労働行為の共通問題

 1 労働組合

 2 使用者概念 命令の名宛人

 3 使用者への帰責

 4 併存組合に対する中立保持義務

第11章 不利益取扱い

 1 不利益性の判断視角

 2 不利益取扱いの態様

 3 報復的不利益取扱い

 4 団交を媒介とする賃金差別

第12章 いわゆる不当労働行為意思

 1 判例法理の全般的特徴

 2 不当労働行為意思をどう考えるか

第13章 組合結成・加入・運営への妨害

 1 組合結成・加入妨害、脱退工作

 2 反組合的発言

 3 組合対策

第14章 便宜供与の中止等

 1 チェックオフ

 2 組合休暇・組合専従

 3 組合集会

 4 組合掲示板

 5 組合事務所

 6 協約の解約

第15章 団交拒否

 1 団交権の保障

 2 団交拒否事件をめぐる判例法理

 3 不誠実交渉をめぐる判例法理

第16章 組合活動・争議行為に対する抑制的行為

 1 組合活動の正当性

 2 ビラ貼り闘争等

 3 リボン闘争等

 4 街宣活動等

 5 争議行為

しかし、その淡々としていかにも学者的な記述のすぐ裏側に、日本の集団的労使関係制度に対するいろいろな想いが、じわりとにじみ出してくるようなところもあります。

本書で指摘されている日本の不当労働行為制度の変なところは、私が思うに、1949年改正がGHQ主導でアメリカ型システムを全面的に導入しようとして始まりながら、途中でそれが引っ込められてしまい、すごく中途半端な形でできてしまったところにあるのではないかと思っています。

もう10年くらい前に『季刊労働法』に寄稿した「不当労働行為審査制度をさかのぼる」では、そのあたりをかなり詳しく論じています。ご関心のある方はどうぞ。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/futouroudoukoui.html

解雇の金銭補償を論じるなら、EU諸国の状況をちゃんと踏まえて・・・

本日の日経3面に「不当解雇、金銭補償で解決 政府が検討着手 年収1~2年分 主要国と足並み」という記事が載っていますが、

http://www.nikkei.com/article/DGXLZO76084660T20C14A8NN1000/ (不当解雇、金銭補償で解決 政府が検討着手 年収1~2年分 主要国と足並み)

政府は裁判で認められた不当な解雇を金銭補償で解決する制度の検討に入る。解雇された労働者が職場に戻る代わりに年収の1~2年分の補償金を受け取れる枠組みを軸に検討を進める。労働者が泣き寝入りを迫られる現状を改めつつ、主要国と金銭解決のルールで足並みをそろえる狙いだ。2016年春の導入をめざすが、中小企業や労働組合の反発は強い。実現には曲折がありそうだ。

何回言ってもマスコミの頭は変わりませんが、「政府という名の人」はいません。

現時点では、政府の中の規制改革会議と産業競争力会議がこの方向の提起をしていますが、厚生労働省の労働政策審議会や研究会なりが検討を開始したという事実はありません。

ただ、厚労省でもかつて2003年改正時や2005年労契法研究会報告では解雇の金銭解決について検討していますので、否定的というわけでもありません。

いずれにしてもこの記事で書かれていることは、昨年来の産業競争力会議の動きとそこでの厚労省の対応を超えるものはないので、同会議の資料と議事録を見れば全部出てくる話で、このネタで今の時点で何か新しい動きがあったかのような記事を書くのは、いささかどうかという気がしますね。

せっかくこういう記事を書くのであれば、もう一歩進んで勉強して、EU諸国の解雇規制ではどうなっているかぐらい調べて記事に盛り込んだら、少しくらい付加価値がつくのではないかと思うのですが。

え?どこを見たらそういう情報があるのか?って?

Jil 今月、JILPTから出た『欧州諸国の解雇法制』には、EU諸国の解雇規制の姿がいくつかの表の形でまとまっていますよ。労働法関係で記事を書くのであれば、こういうのにもちゃんと目を配っておくことが重要です。

http://www.jil.go.jp/institute/chosa/2014/14-142.htm

http://www.jil.go.jp/institute/chosa/2014/documents/0142.pdf

・不当な解雇の場合の補償金

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2014年8月23日 (土)

「メンバーシップ型社会」と江戸時代

拙著の書評と言うよりは、拙著と與那覇潤さんの『中国化する日本』とを重ね焼きして、私の議論よりもずっと立体化したものを提示しているエントリです。

http://d.hatena.ne.jp/dokushonikki/20140823 ( 「メンバーシップ型社会」と江戸時代)

Chuko 著者の濱口桂一郎先生は、雇用の仕組みを「ジョブ型」と「メンバーシップ型」に分け、日本型雇用システムは後者と説明するが、他書と比較しても、本書はその説明が大変分かりやすい。

Img_89013af87436f85f20e78f7da41657a 與那覇潤氏の「中国化する日本」を読むと、まさに日本は「江戸時代化」した社会であり、これは「メンバーシップ型社会」そのものと感じる。

中華文明と日本文明の違いを、様々な観点から分析している。人間関係については、中華文明においては、「同じ場所で居住する者どうしの「近く深い」コミュニティ」よりも、宗族(父系血縁)に代表される「広く浅い」個人的なコネクションが優先される」が、日本文明においては、「ある時点まで同じ「イエ」に所属していることが、他地域に残してきた実家や親戚への帰属意識より優先され、同様にある会社の社員であるという意識が、他社における同業者(エンジニア・デザイナー・セールスマン・・・)とのつながりよりも優越する」のである。日本文明=江戸時代は、光と影がある。「ひとり占めせず己が分をわきまえる生き方をみんなが心得ていたことで、上位者も下位者も互いにいたわり慈しみあう日本情緒が育まれた、譲りあいの美徳ある共生社会」とポジティブに捉えることもできる。一方で「あらゆる人々が完全には自己充足できず、常に何かを他人に横取りされているような不快感を抱き、鬱々悶々と暮らしていたジメジメして陰険な社会」とネガティブに捉えることもできる。日本の歴史上、平氏政権、明治維新は「中国化」する動きだったが、結局「再江戸時代化」の力が強く、戻ってしまっているとのことである。

・・・こういった本を読んでいると、「メンバーシップ型社会」は、日本の社会・文化の奥深い何かに基づいているのではないかと感じる。濱口桂一郎氏が説くように、「ジョブ型」に移行するためには、相当なエネルギーが必要だろう。

私は、学生時代に文明史に熱中していた黒歴史もあるので、あまり安易にこういう議論には飛びつかないように、慎重の上にも慎重に、というスタンスでいるのですが、法社会史的観点からは、こういう議論はその通りだろうという感じもあります。

中国法における雇用のあり方ってのはローマ法とよく似ていて、日本の近世社会の「奉公」はゲルマン法的なんですね。それをもう少し、あるいはだいぶ広げて議論していくと、與那覇潤さんの議論と繋がってくるところがあるように感じています。

他人の手紙

Cudzelistyfotos2_large 『ワレサ 連帯の男』の付け合わせみたいな形で上映された『他人のCudzelistyfotos3_large 手紙』は、淡々と手紙が朗読されるだけの映画ですが、それだけに何とも言えない緊張感をあたえます。

ポーランドの社会主義政権下で行われていた検閲の実態と、当時の人々の暮らしを明らかにしたドキュメンタリー。1945~89年の社会主義下のポーランドでは、公安局が年間数千万通の手紙を開封し、検閲していた。40年以上にわたって行われていた検閲作業の様子を、当時の検閲官の証言と文献から再現した映像で描きながら、実際に検閲されたさまざまな内容の手紙や、当時の人々の生活を記録した映像も交え、厳しい統制下におけるポーランド庶民の心情を紐解いていく。東欧民主化の口火となった労働組織「連帯」の初代議長で元ポーランド大統領レフ・ワレサの伝記映画「ワレサ 連帯の男」(2013)の日本公開にあわせて特別上映。「ワレサ 連帯の男」にも、本作の製作過程で発見されたアーカイブ映像が使用されている。

2014年8月22日 (金)

「成長」をハードワークの同義語として擁護/反発する人々

またもなつかしのデジャビュシリーズですが、

https://twitter.com/alicewonder113/status/502440729743208449

ありす:世界はもうこれ以上経済成長しなくていいと言うのは、こういう女性たちをそのままにしていいと言ってるのと同義だと思ってる

スメルジャコフ:問題はどういう経済成長がいいのか、ということですよね。過労死と隣り合わせの経済成長がいいというわけではないでしょうし。

ありす:少なくとも経済成長は必要だということだと思っています。嫌な経済成長は嫌だからといって、成長を嫌がっていても何の世のため人のためにならない

ありす:いや…というか、過労死は経済成長と関係がないんですよ。過労死が成長をもたらすわけでもないし、経済成長してなくても過労死はあるので。

本ブログでも何回も指摘しているのですが、なまじまじめに経済学を勉強してしまったありすさんは、世間一般で、とりわけブラックな職場で人をハードワークに追い込むマジックワードとして用いられる「成長」という言葉が、厳密に経済学的な意味における「成長」とは全然違うことにいらだっているわけです。

でもね、その「成長」への反発は、そういう「成長」を振りかざす人々がいるからその自然な反作用として生じているのである以上、お前の用語法は経済学における正しい「成長」概念と違う、といってみても、なかなか通じきれないわけです。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-8159.html(何で日本の左派なひとは「成長」が嫌いか)

メモ書きとして:

ジョブ型社会では、経済成長すると、「ジョブ」が増える。「ジョブ」が増えると、その「ジョブ」につける人が増える。失業者は減る。一方で、景気がいいからといって、「ジョブ」の中身は変わらない。残業や休日出勤じゃなく、どんどん人を増やして対応するんだから、働く側にとってはいいことだけで、悪いことじゃない。

だから、本ブログでも百万回繰り返してきたように、欧米では成長は左派、社民派、労働運動の側の旗印。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-5bad.html(「成長」は左派のスローガンなんだが・・・)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-211d.html(「成長」は労組のスローガンなんだし)

メンバーシップ型社会では、景気が良くなっても「作業」は増えるけれど、「ジョブ」は増えるとは限らない。とりわけ非正規は増やすけれど、正社員は増やすよりも残業で対応する傾向が強いので、働く側にとってはいいこととばかりは限らない。

とりわけ雇用さえあればどんなに劣悪でもいいという人じゃなく、労働条件に関心を持つ人であればあるほど、成長に飛びつかなくなる。

も一つ、エコノミック系の頭の人は「成長」といえば経済成長以外の概念は頭の中に全くないけれど、日本の職場の現実では、「成長」って言葉は、「もっと成長するために仕事を頑張るんだ!!!」というハードワーク推奨の文脈で使われることが圧倒的に多い。それが特に昨今はブラックな職場でやりがい搾取するために使われる。そういう社会学的現実が見えない経済学教科書頭で「成長」を振り回すと、そいつはブラック企業の回し者に見えるんだろうね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-b066.html(決まってるじゃないか。自分の成長のためだよ!)

まあ、要すれば文脈と意味内容のずれによるものではあるんだが、とりわけ経済学頭の人にそのずれを認識する回路がないのが一番痛いのかもしれない。

(追記)

まあ、実のところ、「ニュースの社会科学的な裏側」さんのこの評言が一番的確なのかも、という気もしますが・・・。

http://www.anlyznews.com/2013/02/blog-post_13.html

さすがに経済成長を重視する人々も、不平等や外部不経済が自動的に解決すると主張する人々は少数だ。ただし、ブラック企業問題に取り組んでいるNPOに経済成長に着目しないのはセンスが悪いと高飛車に言い放ったりする経済成長万能派も現存するわけで、実証的・理論的な背景が脆弱な面もあって、特に根拠は無いのだが、左派には不愉快に思われるような気がする。つまり、左派は経済成長が嫌いなのではなく、経済成長と言う単語にうるさい人々が嫌いなのでは無いかと思われる。

いるいる。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-b066.html(決まってるじゃないか。自分の成長のためだよ!)

・・・・もちろん、本ブログにも現れたように、そういうのを崇拝する人々もいるようで、

>ところで、ベンチャー系チェーンの中には、経営者を崇拝する社員たちが、自らサービス残業を買って出るケースもあるようだ。

 ブラック企業の問題に詳しいNPO法人若者就職支援協会の黒沢一樹さんは、自身もベンチャー系の飲食店チェーンで働いた経験を持つ。

「1日の平均勤務時間は16時間くらいでしたね。サービス残業はあたりまえで、泊まりもありました。みんなけっこう自分から長時間労働をしているので、おかしいなと思い、『どうしてこんなに働くんですか』って聞いたことがあるんです。そうしたら『決まってるじゃないか。自分の成長のためだよ!』と……。

 その店では社長が神様みたいに思われていて『あの人はすごい』『社長様さまです』ってみんな言い合っていた。たしかに店員は一生懸命接客していて、サービスの質は高かった。でも、それだけ働いて、正社員でも月20万円の給料って、どうなんだろう、と。結局、その会社は僕が辞めてまもなく潰れてしまいました」

なるほど、いかにも。「決まってるじゃないか。自分の成長のためだよ!」ですか。

そういえば、

>だいたいこのような起業家の元には、同じような価値観を持った人たちが集まり、自分の意思で夢を叶えるために必死に頑張っているだけです。努力しているだけです。

>努力している人、頑張っている人を批判するのはよくない。
あなたの頭のレベル、低いね。

と罵倒した人もいましたっけ。

2014年8月21日 (木)

山本陽大「ドイツにおける新たな法定最低賃金制度」@『労旬』

Rojyun1822『労働法律旬報』1822号(8月下旬号)に、JILPTの山本陽大さんが「ドイツにおける新たな法定最低賃金制度」を書いて、その法律の全訳を載せています。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/934

[紹介]ドイツにおける新たな法定最低賃金制度=山本陽大・・・36

資料/協約自治強化法案(ドイツ)〔訳 山本陽大〕・・・38

なんとこの最低賃金法案、名前が「協約自治強化法案」というんですね。この皮肉さに対して、山本さんもさりげに触れています。

・・・ドイツにおいては長らく、全国一律の法定最賃制度は存在してこなかった。これは、ドイツの伝統的システムである、二元的労使関係が安定的に機能してきたためである。周知の通り、かかるシステムの下では、産業レベルで組織された労働組合と使用者団体との間で締結される産業別労働協約が、当該産業における最低労働条件を定立する機能を果たしてきた。それゆえ、産別協約が広く労働者をカバーしていた時代にあっては、法定最賃制度は必要とされてこなかったと言える。

しかし、東西ドイツが統一された1990年以降・・・・・

・・・ところで、法理論的に見て興味深いのは、本法案の内容はいずれも「協約自治の強化」という統一テーマの下に提案されている点であろう。・・・法定最賃制度の導入と協約自治の強化とは、果たしてどのように整合するのであろうか。・・・・・

なお、ドイツの産別協約体制については、山本さんの現地調査に基づく丁寧な報告書がありますし、

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2013/documents/0157-1.pdf(現代先進諸国の労働協約システム―ドイツ・フランスの産業別協約 ドイツ編)

この最賃法も含めたその後の動きも入れた概要は、JILPTの『ビジネス・レーバー・トレンド』10月号(9月末刊行)に載る予定ですので、ご覧ください。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-6527.html (ドイツ最低賃金導入は組合の恥)

ドイツの最低賃金導入を、脳天気にただもう良いことみたいに言うのはいかがなものかと。そもそも、なぜ今までドイツには最低賃金がなかったのかというと、日本やアメリカよりもひどい市場原理主義だから・・・じゃないですよね、もちろん。

実を言うと、現在でも最低賃金制度がない国はあります。スウェーデンとかデンマークとか、労働組合の組織率がすごく高くて、国家権力に最低賃金なんてやってもらう必要がない国々です。

ドイツも最近まではそういう国みたいな顔をして、最低賃金なんていらない、労働組合が自力でやるぜ、といってたのですが、組合の力がどんどん弱まって、今では組織率2割台。一般的拘束力すら使えない業種が出てきて、どうしようもなくて、恥を忍んで、最低賃金の導入に舵を切ったわけですよ。

本当に組合が強ければ、国家権力による最低賃金なんか要らないわけです。ドイツの最低賃金の導入は、本当は組合の恥なんですね。

そのあたりの感覚が、もう少しあってもいいんじゃないかと。

新経済連盟経営層向け有識者懇談会(7/31)

去る7月31日に、新経済連盟の経営層向け有識者懇談会にお呼びいただき、「雇用改革の課題」についてお話をしてきました。その時の画像が紹介されています。

http://jane.or.jp/topic/detail?topic_id=274

7月31日、株式会社ドリコム様の会場をお借りして、当連盟の「知識社会型新たな就労環境実現PT(プロジェクトチーム)」が主催する経営層向け有識者懇談会を開催しました。

Topic_1今回は、当連盟の経営者層の方にお集まり頂き、独立行政法人労働政策研究・研修機構労使関係部門統括研究員の濱口 桂一郎様をお招きして、「雇用改革の課題」をテーマにご講演いただきました。

Topic_4濱口様からは、日本型雇用システムと労働時間規制、限定正社員(ジョブ型正社員)、労働契約などの雇用法制についてご説明頂きました。

懇談の場では、メンバーシップ型の雇用システムからジョブ型に移行させるための方策や雇用の流動化を促進する場合の課題など、経営者ならではの視点から質疑応答が行われていました。

2014年8月20日 (水)

『若者と労働』書評

Chuko読書メーターに、『若者と労働』の書評が載りました。「山田シロ」さんです。

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/40489735

ずっと不思議だった労働法と現実の実態との乖離が、「ジョブ型」と「メンバーシップ型」という雇用形態の分類による説明で目から鱗が落ちるほど納得した。この二つの型を学べただけでも読んでよかった!それだけでなく、どうして日本はメンバーシップ型社会になったのか等の歴史から丁寧に解きほぐしてあったり、現在の歪な雇用構造を変えるための一応の(とはいえ割と現実的な)解決策も提案してあるなど、日本の労働問題の基本を一通りおさえることができるのも良いところ。

みずほ総研コンファレンス「雇用改革の課題を展望する」の議事録

去る7月3日に開催されたみずほ総研コンファレンス「雇用改革の課題を展望する」の議事録が公開されました。

http://www.mizuho-ri.co.jp/service/research/conference/index.html

http://www.mizuho-ri.co.jp/service/research/conference/pdf/conference_140703summary.pdf

【パネリスト】
濱口 桂一郎氏(独立行政法人労働政策研究・研修機構 主席統括研究員)
鶴 光太郎氏(慶應義塾大学大学院 商学研究科 教授)
森 周子氏(高崎経済大学 地域政策学部 地域づくり学科 准教授)
【モデレーター】
大嶋 寧子 (みずほ総合研究所 政策調査部 主任研究員)

ここでは、わたくしの発言部分をコピーしておきますが、他の方の発言も是非ご覧ください。とりわけ、鶴光太郎さんが、産業競争力会議の議論の展開に苦情を呈している部分は必読です。

【濱口氏】
 <日本型雇用システムとその変容>
・ 解雇規制や労働時間規制を議論する上では、日本型雇用システムとその変容を理解することが必要である。日本型雇用は1990年代以降に大きく変容し、メンバーシップ型の正社員が縮小する一方、その外にある非正規労働者が増大した。一方、正社員の中でも、「見返りのない滅私奉公」をさせられるブラック企業現象が生じている(資料4ページ)。
・ 今日の労働問題の根源は、働かせ方に関する企業の裁量が大きい「雇用内容規制の極小化」と「雇用保障の極大化」がパッケージになった正社員と、労働条件も雇用保障も極小化された非正規労働者の二者択一となっていることにある。現在の二極化した働き方は法規制でなく現場の労使が戦後50年以上かけて作ってきたものであり、まさにシステムの問題。そこに問題があるのであれば、「規制」改革ではなく「システム」改革として議論する必要がある(資料5ページ)。
<解雇規制の誤解>
・ 一般的に「解雇規制がある」と考えられているが誤解である。労働契約法第16条は「解雇は、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と述べているに過ぎない。「権利」は行使できるのが原則であり、「権利濫用」は本来極めて例外的なもの。しかし、システムの問題により本来例外的な「権利濫用」の部分が膨張している。正社員は職務、労働時間、勤務地が原則無限定であり、雇用契約に「社内の全ての仕事、全ての場所」と書いてあるようなものであるため、今の仕事がなくなった場合や今の仕事が出来ない場合には「他の仕事に回せるはず」ということになる。逆に言うと、今の職務がなくなったことは解雇の「客観的に合理的な理由」にはならない(資料7ページ)。
・ 「解雇に関する規制がない」ために、日本では現実の人事管理が判例に反映される形で解雇が規制され、どの場合に解雇が認められるかは法律で明らかにされていない。例えば欧州並みの解雇「規制」を設ければ、解雇が正当となるか場合が構成要件的に明らかになる。ただし個別ケースの正当性は、個々の状況に応じて判断されることになる(資料8ページ)。
・ 限定正社員にも誤解がある。労働契約で職務や労働時間、勤務地等が限定されることの論理的帰結として、当該職務の消滅や縮小が解雇の正当な理由となる。ただし、当該職務の消滅・縮小をもって自動的に解雇できる訳ではない。契約上許されないような配置転換をして解雇を回避する義務がないというだけで、欧州のワークシェアリング等、契約外の働き方だが集団的な枠組みで雇用維持を図るよう求められることは十分ありうる。また、「当該職務の遂行能力の欠如」も解雇の正当な理由になり得るが、それが認められるのは試用期間。長年当該職務に従事してきた人に「仕事ができないから解雇」と言えるものではない(資料9ページ)。
<労働時間規制の誤解>
・ 「使用者は労働者に1日8時間、週40時間を超えて働かせてはならない」という日本の労働時間規制は空洞化している。過半数組合または過半数代表との労使協定(36協定)を結べば、無制限の時間外・休日労働が可能である。36協定には厚生労働省の指針があるが、これは法的・絶対的な上限ではない。社会の実態として、働かせる側も働かせる側も、一定時間を超えたら違法とは考えていない(資料11ページ)。
• このような状況の日本で、労働基準監督官が監督指導を行う唯一の法的根拠が、労働基準法第37条の残業代規制。ただし残業代規制は、労働時間への規制ではなく賃金規制である。実際に、ブラック企業の摘発の大多数は、労働基準法37条違反である。「残業代規制をなくしたら過労死が増える」というのは、論理的な飛躍はあるが間違いではない(資料12ページ)。
・ 残業代規制によって労働時間を規制するのは筋が違っており、本来あるべき規制に戻す必要。現実的な上限規制のあり方として、国の過労死認定基準である残業時間(月100時間)の設定や1日ごとの休息時間規制が考えうる。欧州ではEUの指令で1日ごとの休息時間が11時間と定められている。賃金は最低賃金以上であれば集団的な枠組みの下で労使が決めるのが大原則であり、残業代をいつまでも国家権力に守ってもらうべきかを再考すべき(資料13ページ)。

《パネルディスカッション》
<労働時間制度改革>

【濱口氏】 現行法でも、法定労働時間内であれば賃金と労働時間を切り離すことは可能。法定労働時間を超過した労働には時間に応じた割増賃金の支払いが義務付けられるが、これは「労働時間と賃金はリンクしていなければならない」というイデオロギーに基づいている訳ではない。本来違法である時間外労働に、罰金的な意味で残業代の支払いを義務付けており、その支払いが結果的に労働時間にリンクしているだけである。「残業時間は月100時間まで」という上限は緩やかだが、第一歩としてそこから議論するしかない。その上限の枠の中で賃金と労働時間のリンクを外すことの是非は、労使が集団的な話し合いの中で決めるべき問題である。

【濱口氏】 「『日本再興戦略』改定2014」には、働き過ぎ防止のための取組強化として「長時間労働を是正するため、法違反の疑いのある企業等に対して労働基準監督署による監督指導を徹底する」とある。しかし、監督指導は法律違反に対してのみ行うことが可能であり、「何が違法か」が明確である必要がある。2014年4月、5月時点の産業競争力会議で提出された長谷川ペーパーは労働時間の上限を労使で決めるとしていたが、これでは36協定と変わらず、労働基準監督署が監督指導を行う際の根拠が不明瞭になる。ドイツでは残業代について法規制はなく、労働協約や企業内協定等の集団的枠組みの中で決定しているが、それが可能となっているのは法律で労働時間の量的上限が設定されているためである。残業代規制を取り除くことと労働時間の量的上限規制はワンセットであり、一方だけ都合良く行うことは難しい。

【濱口氏】 ワークライフバランスは個人の選択であり、システムの問題。無限定正社員の働き方がデフォルトであり、育児や介護をする人がフルタイムで働いていても、定時に退社すると謝らなければならないシステムに問題がある。この問題は労働時間規制の枠組みではなく、「限定正社員・無限定正社員の選択」の枠組みで考えるべき。日本では、ワークライフバランスのための法律(育児休業・介護休業・短時間勤務など)は完備されているが、これら制度の利用が終了した瞬間にオーバータイムになるため、いつまでも短時間勤務を続けるケースが少なくない。限定正社員の議論では職務限定型や勤務地限定型が議論されることが多いが、ワークライフバランス実現の観点からは労働時間限定の正社員を推進すべきと考える。

<労働移動の促進に係る環境整備>

【濱口氏】 日本の法律では解雇の金銭解決は禁止されていないし、現実に金銭解決が数多く行われている。自分が行った雇用終了に係る労働局のあっせん事例の分析では、解決しているのが3割で、4割は会社があっせんに参加していない。日本では金銭解決をしている人や金銭解決すらしていない人が主流であり、この事実を認識した上で解雇の金銭解決制度について議論すべきである。労働契約法制定以前の労働法の議論では、「解雇は自由であり例外的なケースにのみ権利濫用となる」という解雇権濫用法理ではなく「解雇は正当な理由がなければならない」とする正当事由説が有力だったと認識しているが、労働契約法では裁判に持ち込まれた一部の上澄みを反映した解雇権濫用法理が明文化された。しかし、本来は極めて例外的なはずの権利濫用部分が膨れ上がった結果、権利濫用法理が労働者を保護し、正当事由説に変えると労働者保護が弱まるという捻じ曲がった議論が行われている。労働局のあっせん事例を見ると、なぜこれが解決しないのかと思われる事案も多い。事案に応じた解決の水準を示すことで、多くの中小企業の労働者の保護につながるのではないかと考えている。多額の弁護士費用と時間をかけて解雇無効を勝ち取りたい労働者にとって有効な部分しか法律に明記されていないことで、それ以外の大多数の解雇を巡る紛争の現実がないかのように議論されることには問題がある。

【濱口氏】 2014年4月、5月時点の産業競争力会議の長谷川ペーパーでは、残業代規制の適用除外制度を導入できる職場について、「当初は過半数組合のある事業所」、「原則として過半数組合のある事業所」という記述があった。ここには、36協定と同様に企業と過半数代表で適用除外の対象を決定できる制度とすることには問題がある、一方で、過半数組合がなければ未来永劫導入できない制度とすれば中小企業から大きな反発が出ることへの配慮がみられる。日本で組合組織率が2割を下回るなかで、ドイツのような一定の法的権限を持つ従業員代表制度を導入するという方向がありうるが、これは使用者、労働組合双方にとって非常にハードルが高い。しかし、「当初は」「原則として」と書くだけで問題が解決する訳ではないので、従業員代表制の問題は今後、労働法を巡る大きな議論になっていくと考えている。

《フロアとの質疑応答》

【質問】  労働時間の上限規制に関して、総労働時間規制、絶対休日 の導入など様々な方法が提言されているが、日本の労働実態を踏まえるとどの規制を導入するのが適切であるか。また、導入することが難しいと考えられる規制などがあれば伺いたい。

【濱口氏】 前半の報告で、残業時間が月100時間までという上限を挙げたが、これは現在の議論に引き付けて考えた場合の規制。現在の日本では、物理的な労働時間規制の根拠は「健康確保」である。健康を確保できる労働時間は労災補償政策の中で長く議論されてきたが、現在は健康を確保できる睡眠時間に基づいて計算された残業時間(発症前1カ月に月100時間超、または同2~6カ月に平均80時間超等)が労災認定基準となっている。ゼロベースで考えれば様々な上限規制がありうるが、現在の日本で欧州並みの一日10時間、月48時間の上限を導入することは難しい。絶対休日は重要な話だが、これはもう少し細かい議論が必要だと考える。

公教育における集団的労使関係欠如の一帰結?

これ自体は、もちろん異常な行動としかいいようがありませんが、

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140819/crm14081914040012-n1.htm(「土曜授業やめないと庁舎ごと吹き飛ばす」 教諭が市教委を脅迫、逮捕 千葉・野田)

土曜授業をやめさせようと、千葉県野田市教育委員会に「庁舎を吹き飛ばす」などと書いた脅迫状を送ったとして、県警野田署は19日、脅迫の疑いで同市立七光台小学校教諭の薮崎正己容疑者(49)=同市春日町=を逮捕した。容疑を認めているという。

 逮捕容疑は7月12~14日、同市教委に「野田の教職員のために、お前らのような悪い連中を市の庁舎ごと吹き飛ばしてやる。準備はできている」という内容の匿名の脅迫状を送ったとしている。

 同署によると、脅迫状は6~7月に5、6通送っていたとみられ、「土曜日まで働かされて疲れがとれない」「日曜日に寝こんでしまう」などとも書かれていたという。薮崎容疑者の自宅から爆発物は見つからなかった。

 同市の公立小中学校では今年度に土曜日授業を導入した。薮崎容疑者は同小で教務主任を務めていたという。市教委は「子供を教える立場でありながら非常に残念」としている。

とはいえ、長時間労働による疲弊の不平不満を、庁舎爆破予告という個人テロまがいの行為でしか表出できなかった公教育部門における集団的労使関係の欠如ぶりには、頭を抱えたくなります。

長時間労働に対する不平不満を、現場から集団的な枠組を通じて集約して何らかの対応をするという回路がまったく働いていなかったということなわけですから。

もちろん、ここには山のように積もり積もったねじれにねじれきった諸問題がこんがらがっているわけですが。

戦前以来の、そして右翼も左翼も共有してしまっている「教師は聖職」だから労働条件如きでぐたぐた文句を言うな感覚。

日教組自身がニッキョーソは政治団体という右翼側の思い込みに乗っかって政治イデオロギーの対決ばかりに熱中してきた歴史。

そういう空中戦ばかりの教育界で、全てのツケを回す対象とされてきた国法が認めてくれている残業代ゼロ制度。

そして何よりかにより、他の全ての国における「教師=教育というジョブを遂行する専門職」が共有されず、学齢期の子供(ときどきガキども)の世話を(学校内外を問わず、いつでもどこでも何でも)全て面倒見るのが仕事という、典型的にメンバーシップ型の教師像。

の中で、こういう妄想型の噴出が含意している諸問題に、少しは思いをいたしても良いのではないでしょうか。どちらの皆様方も。

2014年8月19日 (火)

「結論がそれかよ」感はあるのですが、とにかく勉強になります

41mvhocvlAmazonカスタマーレビューに、「ib_pata」さんによる書評が載っています。

http://www.amazon.co.jp/review/R1SCFKJ0VPDY8Q/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=4480067736&channel=detail-glance&nodeID=465392&store=books

最近の「若者論」で、中高年が既得権にしがみついていい目をしているから、若者はその割を食っているという俗論に対して、日本では一貫して中高年失業が大きな問題となってきた、ということを戦後日本労務管理史、労働法制史の研究成果や判例なども豊富に引用しながら説明し、こうした問題を解決するために中高年期からジョブ型正社員のトラックに移行させようという提案しています。驚いたのは、60年代までは終身雇用制を特徴とするメンバーシップ型の日本型雇用制度を、ジョブ型に変えようという提言が行われていたこと。石油危機などの際には、重厚長大型産業の構造変化のために、雇用維持を目的とした社員の配置転換や出向なども認められるようになってきたんですが、そうした制度が、バブル崩壊時には配転や出向が特定社員を会社から排出するための手段として用いられた、というあたりは唸りました(p.114-)。

 ホワイトカラーの生産性が給与の上昇ほどには上がっていないというこに経営者がうすうす感じていたから、給与が年功序列で自動的に上がっていく「まず中高年から狙い撃ち」という解雇方針が効率いい、というあたりで引用されるのが『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』城繁幸。富士通の場合、ターゲットはバブル入社組。普通に残業していれば課長以上の月給を稼がれてしまうのを防ぐために、成果主義を導入し、目標管理で縛って、成果を上げない人間の給料を上げないという方向を目指していました(p.179-)。欧米では中高年向けに早めのリタイヤを優遇する政策がとられましたが、これが財政破綻を招く最悪の結果となり、今では「長く生き、長く働く」ことが合い言葉になっています。それにしても、個人が高齢化社会に立ち向かうには、明るく朗らかに「長く生き、長く働く」ことしかないのかも。そして、個人ができる貢献として、心身共に健康を維持するということは社会保険の支出を減らし、働くことで社会保障制度や税収を維持するという意味でも積極的な意味を持っていたりして…なんて思いました。

で、結論はタイトルにあるように「「結論がそれかよ」感はあるのですが、とにかく勉強になります」ということのようです。

いやまあ、結論はそれかよ、といわれましても、誰かさんみたいに空理空論の結論を売り歩くわけにも行きませんので。


専門実践教育訓練の指定講座を公表

今年成立した改正雇用保険法で一気に手厚くなった例の学び直し教育訓練給付ですが、その対象となる講座が公表されたようです。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000054653.html

【平成26年10月指定講座(8月決定分)】
       指定講座数(8月決定分)   284講座
           うち 10月開講分          16講座

(内訳)
(1)業務独占資格または名称独占資格の取得を訓練目標とする養成課程 183講座           (介護福祉士、美容師、柔道整復師等)

(2)専修学校の職業実践専門課程 78講座
           (商業実務、服飾・家政、自動車整備等)

(3)専門職学位課程  23講座
           (ビジネス・MOT等)  

大学院の学費を雇用保険が出してくれるという最後の(3)を見てみますと、こんなのが並んでいます。

Mot

2014年8月18日 (月)

篠田武司・櫻井純理「新自由主義のもとで変化する日本の労働市場」

『立命館産業社会論集』50巻1号に、篠田武司・櫻井純理「新自由主義のもとで変化する日本の労働市場」という論文が載っています。

EUのフレクシキュリティ政策について論じたあと、追い出し部屋とかブラック企業の話を取り上げ、最後にジョブ型正社員で締めるという、なんだか私に期待されている中身のような論文でした。

・・・ここで強調されるのは、正社員にも広がる雇用の質の劣化という状況である。その考察の上で、現在EUなどが強調する、新自由主義的な労働のフレキシビリティへのオルタナティブとしての「フレキシキュリティ」モデルを参考に、次のような改革を主張する。①「ジョブ型正社員」雇用システムを導入すること、また②内的雇用保障とともに、職業訓練を外部化し、外的雇用保障を実現すること、③「同一価値労働、同一賃金」原則のもとでの均等待遇を目指すこと、である。これらの政策によって新たな保障と柔軟化のバランスを目指すことが重要だ、と確認したい。

ふむ、多分、再来月の社会政策学会の共通論題の報告でわたしに期待されているのは、こういう風なEU出羽の守的な議論を展開してみせることなんでしょうけど・・・・。

でも、そうしません。

個別分野ごとであれば、個々の政策課題についてまともな方向に向かわせるために、たとえば労働時間制策などで、あえて出羽の守的な議論を展開することをためらいませんが、でもマクロ政策的にヨーロッパを褒めて見せるのはやりたくない。フレクシキュリティを取り上げるなら、やはりむしろその問題点をきちんと指摘するのが、社会政策学会なる場所で人にものを語る以上、やらなきゃいけないことじゃないか、と思うわけです。

労働審判では本当に「解雇の金銭解決」をしているのか

本日、WEB労政時報のHRWatcherに掲載した「労働審判における解雇の金銭解決」は、ある判決を素材に、標題の疑問を提起したものです。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=271 (体験版)

実は、来月、東大の労働判例研究会で報告する予定の判例ですが、ちょっとフライングでこちらに書いてしまいました。

結構重大な問題を提起しているのではないかと思います。

歴史観・世界観の貧困という点において、僕は濱口氏を全く評価していないけれど

26184472_1 拙著への短評なんですが、

https://twitter.com/numatarokurou/status/501328473328062465

濱口桂一郎『日本の雇用と中高年』(ちくま新書)を読む。年齢差別禁止を軸として戦後日本の雇用政策を丁寧にフォローしている有用な本。他人を見下すような下品な文体と、歴史観・世界観の貧困という点において、僕は濱口氏を全く評価していないけれど、この本のような議論をさせたら当代一流である。

「下品な文体」には反論しませんが(下記エントリを書いたばかりだし・・・)、「歴史観・世界観の貧困」には言いたいこともないわけではないのですが、まあこの本自体は褒めていただいているので、何も言わずに、暖かい書評に感謝申し上げます。

タイトル見ただけで頭悪い記事

日経新聞のセンスでは、こういうタイトルの付け方になるんでしょうな・・・。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ1600O_X10C14A8MM8000/伊藤忠など導入検討 労働時間規制の緩和制度

伊藤忠商事や富士フイルムなど主要企業が、働いた時間ではなく成果に応じて賃金を払う「ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入の検討を始めた。政府は欧米に比べて劣るとされるホワイトカラー層の生産性向上のために、同制度の導入に向け2015年の法改正を目指している。企業は国が今後、制度の詳細を詰めるのに合わせて準備を進め早期導入を目指す。

いうまでもなく、労働時間規制とは、国家が使用者に対して、これ以上働かせてはいけないぞ、と命ずるものであって、命じられる側の企業が勝手に規制緩和を『導入』したりできるものではないのですよ。

そう、労働基準法が定める労働時間の最低基準はね。

労働法が全然規制していないことであれば、そういかなる意味でも労働時間規制ではないことについては、いまだって企業が自主的に、やりたければいくらでもやれるのです。

そう、「欧米に比べて劣るとされるホワイトカラー層の生産性向上のために」「働いた時間ではなく成果に応じて賃金を払う」制度を導入したければ、労働基準法は何ら制限なんかしていないのだから、どうぞ好きにおやりください、としか言えない。

いままでだっていくらでもやれるにもかかわらず、企業が勝手にやってこなかっただけのものを、「労働時間の規制緩和」などというまったく間違ったタイトルでミスリードすることだけはやめていただきたい。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-d971.html(日弁連会長声明のどうしようもなさ)

いうまでもなく、日本国の法律制度において、「労働時間と賃金とを切り離し、実際に働いた時間と関係なく成果に応じた賃金のみを支払えばよいとする制度」は何ら禁止されていません。そういう賃金制度が良いかどうかは労使が決めれば良いことであり、導入して失敗しようがどうしようが、それをとやかくいう法規制はどこにもありません。

午後2時に出勤してきて、2時間だけ働いて4時にはさっさと帰っちゃう人に成果を上げたからといって50万円払って、9時から6時まで8時間フルに働いた人にあんまり成果が上がっていないからと30万しか払わないのも、法律上全く合法です。法定労働時間内というたった一つの条件のもとで。

日本国の実定法上、それ以上働かせたら違法であって、懲役刑すら規定されているような悪いことを、それでもあえてやらせるというような例外的な状況では、そうでない状況が出てきます。時間外労働時間に比例した時間外割増賃金を支払わなければならなくなります。ただし、何回も強調しますが、それはいかなる意味でも、特定の賃金制度が良いとか悪いとか、許すとか許さないとかいうような話とは関係がありません。本来悪いはずの時間外労働をあえてやらせることに対する罰金として課されているお金が、あたかも時間に比例した賃金を払えと命じているように勝手に見えるだけです。そんな賃金イデオロギーは、労働基準法のどこにも存在しません。もしあるというのなら、なぜ法定労働時間の枠内であればそれが全く自由に許されているのか説明が付かないでしょう。

こういう労働法の基本をわきまえていればすぐわかるようなことが、産業競争力会議やマスコミの人々に全然理解されないのは、そもそも日本国の実定法が法定労働時間を超えて働かせることを懲役刑まで用意して禁止しているということが、現実の労働社会では空想科学小説以上の幻想か妄想と思われているからでしょう。そう、そこにこの問題のコアがあるのです。

こういうことを一生懸命説明してきている立場からすると、労働法制の基本を全くわきまえない人々と全く同じ認識に立脚しているように見えるこの会長声明は、情けないの一言に尽きます。

日本の労働時間法制の最大の問題はどこにあると思っているのか、「このような制度が立法化されれば、適用対象者においては長時間労働を抑制する法律上の歯止めがなくなり」って、そもそも今の日本に「長時間労働を抑制する法律上の歯止め」があると思っているのでしょうか。残業代はそれ自体はいかなる意味でも「長時間労働を抑制する法律上の歯止め」ではありません。休日手当を払わせている現在において「休日を取らずに働くことを命じることも許される」という状況にないというのでしょうか。一種の間接強制であるとはいえるでしょうが、あたかもそれだけがあるべき労働時間規制であり、それさえあれば長時間労働は存在し得ないかのようなこの言い方には、今過労死防止促進法が成立することの意味が全く抜け落ちているように思えます。

こうやって、現行法上も(法定労働時間の枠内である限り)何ら違法でもなく全く自由にやれる「労働時間と賃金とを切り離し、実際に働いた時間と関係なく成果に応じた賃金のみを支払えばよいとする制度」を、あたかも現行法で禁止されているかのごとく間違って描き出し、それを解禁するためと称して、本来論理的にはなんの関係もない労働時間規制の問題に持ち込むという、産業競争力会議の誤った議論の土俵に、何ら批判もないまま、そのまますっぽりと収まって、ただ価値判断の方向性だけを逆向きにしただけの薄っぺらな批判を展開するのが、日本の法律家の代表の責務なのか、悲しくなります。

こうやって、日弁連会長の立派なお墨付きを得て、ますますよくわかっていないマスコミの議論は、「労働時間と賃金とを切り離し、実際に働いた時間と関係なく成果に応じた賃金のみを支払えばよいとする制度」を認めるべきか否かなどという虚構の議論にはまり込んでいくわけです。一番大事なことをどこかに置き忘れながら・・・。

(おまけ)

労働者に対する賃金どころか、外部労働力に対する報酬ですら、こういう「働いた時間ではなく成果に応じ」るとは正反対の企業感覚でやってるんだから、偉そうなこという前に、まずそっちからどうぞですな。

https://twitter.com/v_takahashi/status/499579408529620993

「社長が『直したら10万出す』って言ってるんだけど助けてくれない?」と元同僚が転職先企業から。訪問して管理者パスワードもらって1分で原因突き止めて5分で直した。友人は社長に掛け合うも5分の仕事だろと支払い拒否。友人は平身低頭して飯ご馳走してくれたけど、その会社はもう助けない。

2014年8月17日 (日)

営利企業のくせに共産党みたいなノリで働かせるからブラックなの

どうも、基本的なところがよくわかっていないまま筋道がひっくり返った議論が展開されている悪寒・・・。

https://twitter.com/rakuslckita/status/258230084736020482

赤旗を含め、共産党と共産党員の活動は、市場原理を無視した安すぎる労働力によって成り立っている。みようによっては超絶ブラック、みようによっては理想的な公共の福祉。

あのですね、政治団体であれ宗教団体であれ慈善団体であれ、市場原理に基づいて営利活動をやっているのではない結社が、市場原理ではとうてい調達できないような安価な労働力を雇用労働力ではない「党員」や「信者」といった言葉の真の意味における「メンバーシップ型労働力」として駆使することによって、その目的を達成しようとすること自体は、何ら問題ではないのですよ。それは、同じ信念や信条を共有しない外部者からはブラックに見えるかもしれないけれど、定義上ブラック『企業』ではない。

問題は、Wであれ、Zであれ、その他問題となっている諸企業は、少なくとも現行法制上、信念に基づく結社として結成されたわけではなく、れっきとした株式会社たる営利企業であり、労務と報酬の交換契約たる雇用契約とは異なる結社員としての労務提供で労働力をまかなっているわけではない、ということです。

これは、口先で「アルバイトは労働者にあらず」などと寝言を口走ればいいわけではなく、そもそもはじめからお前は労働者ではなく。それゆえ給料というのは存在せず、WなりZなりという信念に基づく結社のために「党員」として、あるいは「信者」として、全身全霊を挙げて献身するんだよ、まさか「就職」するとか、「バイト」とかと思っていなよね、と、きちんと確認して、その完全なる同意の上にやらなければなりませんし、当然のことながら労働者であることを前提とする健康保険にも入れないということですが、まあ、そんなつもりもないのでしょう。

問題なのは、市場原理に基づく営利企業として活動しながら、「市場原理を無視した安すぎる労働力によって成り立っている」ことです。それは、もはや「理想的な公共の福祉」どころか、言葉の正確な意味での「ブラック企業」になるのです。

この話の筋道が、そもそも信念に基づく結社と営利企業の区別が付いていないと、上記ツイートみたいなねじれた反応を導くことになります。

(追記)

このエントリに対するもっとも頭の悪い反応

https://twitter.com/OIShihi/status/501216893936476160

営利企業敵視がかいま見える。宗教団体やNPOなど”広義の組織”の一員の地位を保障する観点はないようだ。既存の法律ありきだとこうなる。

普通の市場経済の中で、普通の雇用契約で、普通の労働法に従って働くのがまっとうだよ、といっている記事を、何をとち狂ったか、「営利企業敵視がかいま見える」と勘違いし、

しかも、「宗教団体やNPOなど”広義の組織”の一員の地位を保障する観点はないようだ」とか奇妙なことを口走る。いや、変な宗教団体や政治団体に取り込まれて困っている人は結構いるだろうけど、それはそういう類いの社会問題であって、労働問題としてのブラック企業問題じゃないと言っているだけ。それに、少なくとも政治団体や宗教団体のメンバーの「地位を保障する観点」など必要ないと思うね。

ま、ブラック企業大賞やってる連中が、労働問題をはみだして東電だの東京都議会だのやっているんだから、こういうレベルの低い反応が出てくるのも仕方がないのかも。

ちなみに、宗教団体であれ何であれ、そこの信者や党員ではなく、そことの民法上の雇用契約に基づいて就労している労働者である限り、その信条や信教を理由に労働基準法の適用を除外される筋合いはないので念のため。

(再追記)

これに対して頭の良い反応

https://twitter.com/uncorrelated/status/501241767681720321

法律ではない面で濱口氏が言いたいのは、たぶん、こういうこと。

非営利活動の結社: 私とあなたは同じ目的を共有しているから自主的にタダで/安く仕事をしてください。

営利活動の企業: 私とあなたは違う目的ですが、所定の賃金を払うのでそれに応じた仕事をしてください。

で、ブラック企業は本当は営利活動の企業のくせに、非営利活動の結社と同じようなことを従業員に言っているので問題。非営利の結社の構成員は、そもそもそういうものだから(雇用契約でなければ)問題ない。

上で述べたように、組織の性格で分けるのは本当は不正確で、政治団体であれ宗教団体であれ、民法に基づく雇用契約という形で、「私とあなたは違う目的ですが、所定の賃金を払うのでそれに応じた仕事をしてください」といって人を雇っている限りは、その人に関する限り、「私とあなたは同じ目的を共有しているから自主的にタダで/安く仕事をしてください」なんていったらやはりブラック。一方党員が不眠不休で飲まず食わずで活動するのはブラックじゃない。

その意味では、営利企業云々は本質とは余り関係がない。どういう趣旨の労務提供かという問題ですね。

(再々追記)

と思ったけれど、それほどでもなさそうな件:

https://twitter.com/uncorrelated/status/501256389201653760

宗教団体や政党でも雇用契約がある場合は企業側に分類されるので、企業と言うよりは雇用契約を特別視しているのだと思いますが、突き止めると仕事の内容にやりがいを感じてはいけないことになりそうだから、難しいですね。

「やりがいを感じてはいけない」・・・・・・。

やっぱり、同類でしたか・・・。

やりがいを感じることを理由に、雇用契約の一方当事者としての権利をなくてもいいよねと取り上げることと、やりがいを感じることの是非とがごっちゃになってしまう。

まあ、これがごっちゃになるのが日本社会の常識的な水準であるからこそ、やりがい搾取はやり放題になるのかも知れませんな。

あと、「雇用契約を特別視」という台詞にも驚愕。

いや、民法上の債権契約たる雇用契約が普通で、そうじゃない党員や信者としての(非労働者的)働き方の方を特別視しているつもりなんだが、なぜか地と図が入れ替わる。

このあたりに、普通の資本主義社会の普通の雇用契約に基づく普通の労働者の在り方が特別なものになってしまう日本社会の姿と、その中で、自分では資本主義の使徒として社会主義者を叩いているつもりで、実はまったく逆向きの議論を展開して気がつかない特殊日本型「資本主義者」の姿が垣間見えるようです。

なにしろ、営利企業における雇用労働がデフォルトルールだと言ってるこのエントリを読んで、「営利企業敵視がかいま見え」てしまうんですから、病膏肓ですな。

(ついでに)

https://twitter.com/gelsy/status/501207251189649409

政党や宗教団体でも、生活に食い込むところまで搾取するのはやはりブラックなんじゃなかろうか。

それはそういう観点からブラック政党とかブラック教団と批判するのはまったく自由ですが、ブラック企業大賞に並べてはいけないというだけです

オウム真理教は他のあらゆる観点から見てブラック教団でしたが、だからといって、信者を安く使って作ったマハーポーシャのパソコンがけしからんわけではないし、そのカレー屋がブラック企業であるわけではない。ブラック教団への入口ではあるにせよ。

(もひとつおまけに)

その昔、全く違う文脈ですが、こんなことを書いたのを思い出しました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-ee80.html (低賃金にすればするほどサービスが良くなるという思想)

えっ!?それが市場原理なの???

ケインズ派であれフリードマン派であれ、およそいかなる流派の経済学説であろうが、報酬を低くすればするほど労働意欲が高まり、サービス水準が劇的に向上するなどという理論は聞いたことがありませんが。

でも、今の日本で、マスコミや政治評論の世界などで、「これこそが市場原理だ」と本人が思いこんで肩を怒らせて語られている議論というのは、実はこういうたぐいのものなのかも知れないな、と思わせられるものがあります。

労働法の知識の前に、初等経済学のイロハのイのそのまた入口の知識が必要なのかも知れません。あ~あ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/voiceexit-e577.html (voiceがないならexit)

不思議なのは、こういう新古典派経済学のごく簡単な応用問題であるような事案に限って、当該学派の応援団と目されるたぐいの人々が、なぜか経済合理性ガン無視の熱血派的感情論に肩入れしたがることなのですが、まあ心理学的分析はガラではないので。

まあ、本ブログに絡む人々にはよくあるタイプですが・・・。

2014年8月16日 (土)

拙著書評

26184472_1ここ数日の間にも、拙著『日本の雇用と中高年』を評するブログエントリやツイートがいくつかありました。

http://uenorio.blogspot.jp/2014_08_01_archive.html (上野則男のブログ)

「日本の雇用と中高年」は日本の雇用問題の大家である濱口桂一郎氏の最近の著書です。

本書は、以下の構成で、日本の雇用制度・法制の歴史と現状を解説しています。専門の方にとっては、その状況を簡単に把握できる解説書となっています。・・・・・

上野意見

現状でマネジメント職にならない団塊ジュニア世代の高年者は、大企業中心にかなり多く存在しています。

その多くは働きと給与が見合っていないで、会社にとって「お荷物」になっています。

しかし終身雇用の慣行があるため、解雇できません。

その面では、濱口氏の言われる「中高年層が犠牲になっている」という場面は限られています。

リストラに遭っているのは、企業が危機状態になっている場合だけなのです。

「犠牲になっている」という意味では、以下のような「恵まれない」状況に置かれていることの方が大きいのではないでしょうか。

企業の方針に従って働いてきたのに、現状では能力不足となって、今や会社が期待する仕事ができない、生き甲斐を感じられない毎日を送らざるを得ない。

窓際族とか、本書で紹介されている「追い出し部屋」への配属という状態に置かれている者も多い。

おそらくこの状態は、割増退職金をもらって失業している状態よりも悪い状態なのではないでしょうか。・・・

http://skky17.hatenablog.com/entry/2014/08/15/235601 (文人商売 「ソーシャルゲーム批判」の人です。)

日本って本当に変わった国だよね、と、濱口桂一郎『新しい労働社会』と『日本の雇用と中高年』を読んで思った。本書はEUなどと比較しながら、日本の労働、雇用制度の問題点を指摘する。わかりやすい雇用システムの対比として、欧米は「ジョブ型社会」、日本は「メンバーシップ型社会」という言葉が使われている。・・・・・

・・・・・・・日本型雇用の「幻想」は、年齢が上がるにつれ、「職務遂行能力」も同じように上昇していくというものだったが、実際、それは若くて色々な仕事を覚えられる時には当てはまるが、定年の60歳まで比例して能力が上がっていくわけでは必ずしもなかった。だからこそ、企業は不況になると「追い出し部屋」みたいなことして、高年齢で「不当に」高い給料の職員を退職させようとする。一度退職し、会社という枠組みの外に出た中高年は、再就職が非常に難しくなる。

 そういう意味では、日本の「メンバーシップ制」は基本的に若者に優しいシステムと言える。スキルがないことは採用の障害にならず、社内に教育システムを持っている。(もちろん、諸々の理由で現状若者に優しいとは言えないが)中高年の対立を煽る言説は強いが、世代間に格差があるのではなく、正社員という身分になれるかどうかに格差がある。

・・・・・・・日本の場合は、政府がやることを「会社」がやってきたのだが、問題は「会社」という身分が限られたものになり、そこから漏れた人は社会保障からも漏れててしまうことにある。日本型の「メンバーシップ制」は、悪い言い方をすれば「身分制」であり、その枠組から外れた人は必要な福祉を受けることができなくなる。実際に、正社員の待遇は厚いが、その「身分」を獲得できなければ、結婚して子供を育てるという「普通」とされることも非常に難しくなる。

 「メンバーシップ制」が「ジョブ制」に比べて良いとされていた時期もあったが、なまじ成功してしまったせいで、その制度がうまく働かなくなった後も発想を切り替えにくくなっている。良い身分を獲得した人は制度を変えたくないだろうし、「ジョブ制」もそれなりにメリットデメリットがあり、そのまま日本に適用すればいいという問題でもない。

ちなみに、この「文人商売」さんの少し前の別の本を評したエントリも、大変鋭く問題点を衝いていました。

http://skky17.hatenablog.com/entry/2014/08/12/233009 (『若者を見殺しにする日本経済』に見る絶望感)

こういうのって、自由化を進めて競争は促進するのに面倒くさい部分は都合よく「家」に任せようとする旧来の自民党の考え方そのものだよね。・・・

一見若者の味方をして結局は自分の幻想を押し付けてくるというのはよろしくない。

https://twitter.com/venturingbeyond/status/500563745005780995

昨日、濱口桂一郎『日本の雇用と中高年』(ちくま新書)読了。毎度安心の濱口クオリティ。これまでの新書シリーズ同様、現代の労働問題を考える上で必読の一冊。特に四・五章での整理は、問題の所在がよく分かる。当たり前のことだが、歴史的経緯をおさえることの重要性を改めて痛感。

https://twitter.com/ib_pata/status/500593239145975810

濱口桂一郎『日本の雇用と中高年』本当に面白い。戦後日本労務管理史でもあるし、労働法制史でもあって。石油危機などの際に、雇用維持を目的とした、産業構造変化に対応した社員の配置転換や出向が、バブル崩壊時には、会社からの排出のために用いられた、というあたりは唸る p.114-

2014年8月15日 (金)

女子マネージャは山のようにいるのに、女性管理職が少ないと嘆く国

タイトルで話は終わりです。

敢えて蛇足を付け加えれば、どちらもマネジメントの専門職という本来の意味ではない、という点で共通。会社でも野球部でも。

自分の人権、他人の人権

https://twitter.com/YuhkaUno/status/494839766626492419

人権教育というのは、まず「あなたにはこういう権利がある」ということを教えることだと思うんだけど、日本の人権教育は「弱者への思いやり」とかで語られるから、人権というのは「強者から弱者への施し」だと考えるようになるんだと思う。

もっというと、だから人権を目の敵にする若者たちがいっぱい出てくるわけです。

ということをだいぶ前から言い続けてきているわけですが・・・。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hirotakaken.html

 残りの3分の1の時間で、想定される小玉先生の話に対するコメントをします。本田さんの言い方で言うと、「適応と抵抗」の「抵抗」になります。
 
数年前に、若者関係の議論がはやった頃に結構売れたのが、フリーターの赤木智弘さんが書いた本です。その中で、彼は「今まで私は左翼だったけど、左翼なんかもう嫌だ」と言っています。彼がいうには、「世界平和とか、男女平等とか、オウムの人たちの人権を守れとか、地球の向こう側の世界にはこんなにかわいそうな人たちがいるから、それをどうにかするとか、そんなことばかり言っていて、自分は左翼が大事だと思ったから一生懸命そういうことをやっていたけど、自分の生活は全然よくならない。こんなのは嫌だ。だからもう左翼は捨てて戦争を望むのだ」というわけで、気持ちはよくわかります。
 
 この文章が最初に載ったのは、もうなくなった朝日新聞の雑誌(『論座』)です。その次の号で、赤木さんにたいして、いわゆる進歩的と言われる知識人たちが軒並み反論をしました。それは「だから左翼は嫌いだ」と言っている話をそのまま裏書きするようなことばかりで、こういう反論では赤木さんは絶対に納得しないでしょう。
 
 ところが、非常に不思議なのは、彼の左翼の概念の中に、自分の権利のために戦うという概念がかけらもないことです。そういうのは左翼ではないようなのです。
 
 もう一つ、私はオムニバス講義のある回の講師として、某女子大に話をしに行ったことがあります。日本やヨーロッパの労働問題などいろいろなことを話しましたが、その中で人権擁護法案についても触れ、「こういう中身だけど、いろいろと反対運動があって、いまだに成立していない」という話を、全体の中のごく一部でしました。
 
 その講義のあとに、学生たちは、感想を書いた小さな紙を講師に提出するのですが、それを見ていたら、「人権擁護法案をほめるとはけしからん」という、ほかのことは全然聞いていなかったのかという感じのものが結構きました。
 
 要するに、人権を擁護しようなどとはけしからんことだと思っているわけです。赤木さんと同じで、人権擁護法とか人権運動とか言っているときの人権は、自分とは関係ない、どこかよその、しかも大体において邪悪な人たちの人権だと思いこんでいる。そういう邪悪な人間を、たたき潰すべき者を守ろうというのが人権擁護法案なので、そんなものはけしからんと思い込んで書いてきているのです。
 
 私は、正直言って、なるほどと思いました。オムニバス講義なので、その後その学生に問い返すことはできませんでしたが、もし問い返すことができたら、「あなた自身がひどい目に遭ったときに、人権を武器に自分の身を守ることがあり得るとは思いませんか」と聞いてみたかったです。彼女らの頭の中には、たぶん、そういうことは考えたこともなかったのだと思います。
 
 何が言いたいかというと、人権が大事だとか憲法を守れとか、戦後の進歩的な人たちが営々と築き上げてきた政治教育の一つの帰結がそこにあるのではないかということです。あえて毒のある言葉で申し上げますが。
 
 少なくとも終戦直後には、自分たちの権利を守ることが人権の出発点だったはずです。ところが、気が付けば、人権は、自分の人権ではなく他人の人権、しかも、多くの場合は敵の人権を意味するようになっていた。その中で自分の権利をどう守るか、守るために何を武器として使うかという話は、すっぽりと抜け落ちてしまっているのではないでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-baa7.html(りべさよ人権論の根っこ)

2014年8月14日 (木)

家族制度の延長とも見做し得べき我国固有の雇傭関係

http://www.bengo4.com/topics/1910/(「労働組合は必要ない」 ワタミ社長の発言は「ブラック企業」の証拠というべきか?)

「ワタミには、企業理念の中に『社員は家族であり同志』という言葉がある。そういう人に対して、労使の関係は基本的に存在しないと思っている」――飲食グループを展開するワタミの桑原豊社長は「ワタミがブラックとは全然思っていない」と題した東洋経済オンラインのインタビュー記事でこう言い切った。・・・・・

「・・・社長が、社員を『家族』『同志』と思うことは自由ですが、これをもって、労働組合が必要ないとする論理は、飛躍も甚だしく、単なるごまかしにすぎません。

『労組は必要ない』と公言することは、それ自体が、労働者の団結権を侵害する『不当労働行為』となりうる発言です。桑原社長の今回の発言は、ワタミはブラック企業であるという評判を払しょくするどころか、逆に裏付けることになる発言であるように思われます」

佐々木弁護士は強く批判した。

いやまあ、そうなんですが、これはもう戦前から日本の経営者が言い続けてきていることでもあるんですな。

昭和4年(1929年)12月14日付け、濱口内閣労働組合法案に対する日本工業倶楽部意見書

我国に於ける労働組合は欧州に於て勃興したる社会主義の影響を受け発生したるもの多く、其の矯激なる者は勿論其の穏健なりと称する者と雖労資の両立すべからざるを高唱し階級闘争を以て新社会の建設を期するを目的とし資本経営労働三者の協調和偕に依りて産業の振興を図ることは敢て其の念とする所にあらず。此の故に労資相互の情誼を基礎とし家族制度の延長とも見做し得べき我国固有の雇傭関係に在る大多数の労働者は労働組合に属せずして労働組合の組合員は三十万人と称するも之を労働者総数五百万人に比するに僅に其の百聞の六に過ぎず。而して事業毎に技術の向上、相互救済、修養等の目的を兼ね工場委員制又は共済組合等を組織する者五十万人以上を算し此の外各種の修養団等に加入する者亦多く、是等は何れも労資間の信頼と理解とを昂め技術の向上と能率の増進とを助け労働者の幸福と利益とを齎しつつあると共に他方矯激なる思想の潜入を防止するに付多大の貢献をしつつあり。然るを若し是等各事業に自治的に発達したる団体の存在に顧慮することなく社会主義的思想の下に生じたる少数労働者の組合を対象とし漫然と之を保護する法律を制定する如きあらば、徒に労働者に階級闘争の意識を誘発し産業内に事端を繁からしむるのみならず大多数なる労働者が貴重なる試練を経て自治的に発達したる団体は根本より攪乱せられ我国固有の労資の関係は之が為破壊せらるるに至るべし。

その意味では極めて由緒正しいご意見と申せましょう。

管理職が職種じゃない国だから・・・

前々から問題として論じられていたのですが、最近になって急に女性の管理職登用問題が重要政策課題として上ってきているようです。

マスコミでもネット上でも、いちいち挙げませんが山のような論考やら批評やらが汗牛充棟ですが、にもかかわらず一番肝心なことが語られていないようです。

それは、女性管理職問題だけでなく、日本の人事労務問題の全て、とりわけ中高年問題に根っこにある問題ですが、

日本では、管理職が職種じゃない

ということです。

41mvhocvlこの問題は、近著『日本の雇用と中高年』でも詳しく取り上げたのですが、あまり理解されているようではありません。

・・・ここで、宿題にしておいた「管理職」の問題に触れておきましょう。問題の焦点は、なぜ中高年労働者の問題と管理職の問題が重なって現れるのか?ということです。
 というと、そんなのは当たり前ではないか、と思われる方が多いでしょう。若いうちは平社員として働き、年をとるにつれてだんだんと昇進して、中高年になると管理職になるというのが普通の職業人生というものだろう、と。しかし、日本以外のジョブ型労働社会の諸国では、そんなことは全然当たり前でもなければ普通でもありません。むしろ、管理職は若いうちから管理職であり、非管理職は中高年になってもずっと非管理職というのが普通です。つまり、管理職の存在形態がまるで違うのです。日本における管理職をめぐるさまざまな労働問題の根源は、つまるところここに由来します。

・・・「管理的職業従事者」とは、「事業経営方針の決定・経営方針に基づく執行計画の樹立・作業の監督・統制など、経営体の全般又は課(課相当を含む)以上の内部組織の経営・管理に従事するもの」と定義されています。これは、専門的・技術的職業従事者や事務従事者、販売従事者等々と、まったく同じ水準で存在する職種概念ですね。
 そして、職業安定法第5条の7に定める適格紹介の原則とは、この職種単位での労働能力に着目した求人と求職者との結合の適格さを求めるものです。私は旋盤操作という「仕事」のできる人です、私は経理事務という「仕事」のできる人です、私は法務という「仕事」のできる人です、というレッテルをぶら下げているのとまったく同じ水準で、私は管理という「仕事」のできる人ですというレッテルをぶら下げているのが管理的職業従事者、つまり管理職のはずなのです。

・・・ところが、日本でそんなことをいえば笑い話になります。おそらく読者もどこかで耳にしたことがあると思いますが、大企業の部長経験者が面接に来て、「あなたは何ができますか?」と聞かれて「部長ならできます」と答えた・・・という小咄です。
 これのどこが笑い話なのか?と欧米人なら聞くでしょう。ビジネススクールを出て管理職として働いてきた人が「部長ならできます」というのは、メディカルスクールを出て医師として働いてきた人が「医者ならできます」というのと、ロースクールを出て弁護士として働いてきた人が「法務ならできます」というのと、本質的に変わりはないはずです。しかし、日本では変わりがあるのです。なぜなら、日本の労働社会では、管理職というのはいかなる意味でも職種ではないからです。
 では日本型雇用システムにおいて管理職とは何なのか?その答えは読者の方が重々ご承知ですよね。少なくとも、上の笑い話をみておかしさがわかった人は知っています。それは、長年平社員として一生懸命働いてきた人にご褒美として与えられる処遇であり、一種の社内身分なのです。だから、その会社を離れた後で、面接で「部長ならできます」というのが笑い話になるわけです。
 そして、この感覚が21世紀になってもほとんど変わっていないことは、ごく最近の2010年になっても『7割は課長にさえなれません』(城繁幸、PHP新書)などというタイトルの本が売れていることからも証明されます。少なくともこの本の読者たちにとって、課長というのが職種ではなく社内身分であることはあまりにも自明のことなのでしょう。

欧米社会だってかつては大変女性差別的だったのです。女のくせに医者だと?とか、女のくせに科学者だと?とか、女のくせに管理職だと?とか。女はアシスタントしてればいいんだ、と。

そういう差別を是正するためにどうしたらいいか。そういう(男性向けとみられていた)職種に女性を養成して送り込もうというやりかたです。女だから看護学校へ、じゃなくて、医学部へ行って医者にしようということですね。女性の科学者を育てよう(リケジョ促進)的な発想は欧米でもあります。

管理職も同じこと。女性管理職を増やすには、はじめからエグゼンプトやカードルを目指す女性を増やさないといけない。ビジネススクールやグランゼコールに行く女性を増やさないといけない。

そういうジョブ型社会を前提とした、男性ジョブへの女性の進出促進というのが、欧米の女性政策なわけです。ざっくりいうと。日本でも一部ジョブ型労働市場のある分野ではそういうこともいわれたりしてますね。

でも、労働社会の大部分を占めるメンバーシップ型の世界では、そういう管理職という職種に女性を送り込む政策というのが上手く効かない。なぜなら、トートロジー的ですが、管理職が職種じゃないから。

山のように産出されるこの問題に関する文書のどれも、この一番肝心なことをスルーしたまま、ああでもないこうでもないと議論しているように見えるのが不思議です。

けんかをやめて

https://twitter.com/hahaguma/status/499576115808067584

知人A(♂)と知人B(♂)がどうやら犬猿の仲らしい(というかAがBを嫌っている)ので、何となく、「私のために喧嘩しないで!」という気持ちになっているが、全然「私のために」でないところに大きな問題があるのであった。

(参考)

2014年8月13日 (水)

ある有名な経営者の言葉だそうです

ネットは本当に勉強になります。

「マダム・ヒッキーのCEOへの道」というブログに、「メンバーシップ型とジョブ型」というエントリがありました。早速読んでみますと・・・、

http://hikida.freund.jp/2014/08/post-769.html

 「メンバーシップ型」と「ジョブ型」は、

就職の形態というか、最近earにする言葉です。

従来、日本の企業は新卒者を一括採用し、

組織内で育成していく。

ある有名な経営者の言葉だそうです、

「ある有名な経営者の言葉だそうです」・・・。

そうだったんだ!?私も知らずに使っていましたが。

で、その意味は、

「メンバーシップ型」とは、

「いつでも、どこでも、何でも、高いスキルで、最後まで」。

??????「高いスキル」?

いや、そういう意味でこの言葉を使っている「有名な経営者」って・・・?

さらに、

それに対して「ジョブ型」は、この仕事をあの上司の評価のもとで、

という働き方で、キャリアアップのために転職する。

上司が転職すると共に会社を変える。

「ジョブ型」を現す言葉は、

「昇進か、もしくは退職(up or out)」

??????????

上司と運命を共にするって、それこそ究極のメンバーシップじゃありませんこと、奥様?

(参考)

102275ちなみに、生粋のジョブ型労働社会がどんなものであるかを知りたい方には、この本がオススメです。

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2014/07/102275.html

第1章 アメリカ自動車産業―国際競争力と労使関係
第2章 アメリカの非能力主義・日本の能力主義
第3章 アメリカにも年功制がある?―先任権の及ぶ領域

第4章 チーム・コンセプトという日本化―トップダウン経営の限界
第5章 新生GMにおける経営改革の課題―国際競争力・労使関係・職長の役割
第6章 新生GMと日本への示唆

山下ゆさんの的確な書評もありますのでご参考までに。

http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52077998.html

2014年8月11日 (月)

正規AKBとバイトAKBの処遇格差の合理性について

2040819_201408110738045001407721125もう、アイドル好きの労働法関係者が舌なめずりしながらいろんなことを書こうとしているでしょうから、餌だけ投げ込んでおきますが、

http://www.oricon.co.jp/news/2040819/full/(AKB48、時給1000円で「バイトAKB」募集)

バイトAKBは、プロダクションに所属していない中学生以上の女性を対象(経験不問)に、書類による1次審査と2度のオーディション審査を経て9月下旬にメンバーが決定。合格者は運営会社AKSと時給1000円でアルバイト契約を結び、AKB48の一員としてライブや握手会などのイベント、テレビ番組やCM出演など現メンバーと一緒に活動するため、日常的に都内のレッスン場へ通えることも条件となる。

 勤務時間は午前7時~午後9時内で法定労働時間を遵守。中学生は法定労働時間(修学時間を通算して1週間40時間、1日7時間)以内、中学卒業後18歳未満は同(1週40時間かつ1日8時間)以内、18歳以上はその限りではなく、深夜業務も発生する。活動期間は来年2月末までの約5ヶ月間で、その後3ヶ月契約更新になるほか、社保完備、交通費支給、衣装貸与、食事補助がつく。

ふむ、さすがに労働基準法には違反しないようにと、細かく考えられているようですが、この有期雇用契約による非正規労働者たちの時給1000円という処遇については、正規AKBメンバーとの業務内容等の相違に基づき、合理的な説明がちゃんとできるようになっているんですよね、秋元さん。

(追記)

>そもそも芸能人と芸能プロダクションは雇用関係ではありませんよね?この記事では社保完備ともありますが、どういう扱いになるんでしょうか?

投稿: 通りすがり | 2014年8月12日 (火) 19時27分

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-8a7f.html(ゆうこりんの労働者性)

・・・この「実態は異なる」という表現は、労働法でいう「実態」、つまり「就労の実態」という意味ではなく、業界がそういう法律上の扱いにしている、という意味での「法形式の実態」ということですね。 そういう法形式だけ個人事業者にしてみても、就労の実態が労働者であれば、労働法が適用されるというのが労働法の大原則だということが、業界人にも、zakzakの人にも理解されていない、ということは、まあだいたい予想されることではあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-f75b.html(タレ・スポの労働者性と育成コスト問題)

これは、実は大変深いインプリケーションがあります。芸能人やスポーツ選手の労働者性を認めたくない業界側の最大の理由は、初期育成コストが持ち出しになるのに足抜け自由にしては元が取れないということでしょう。ふつうの労働者だって初期育成コストがかかるわけですが、そこは年功的賃金システムやもろもろの途中で辞めたら損をする仕組みで担保しているわけですが、芸能人やスポーツ選手はそういうわけにはいかない。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-d5d3.html(芦田愛菜ちゃんの労働者性)

ところで、それにしても、芦田愛菜ちゃんのやっていることも、ゆうこりんのやっていることも、タカラジェンヌたちのやっていることも、本質的には変わりがないとすれば(私は変わりはないと思いますが)、どうして愛菜ちゃんについては労働基準法の年少者保護規定の適用される労働者であることを疑わず、ゆうこりんやタカラジェンヌについては請負の自営業者だと平気で言えるのか、いささか不思議な気もします。 ゆうこりんやタカラジェンヌが労働者ではないのであれば、愛菜ちゃんも労働者じゃなくて、自営業者だと強弁する人が出てきても不思議ではないような気もしますが。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-a7a8.html(ボワソナード民法と労働者性)

実は、ここには書いていないのですが、現行民法の前のいわゆる旧民法(ボワソナード民法)には、こういうスポーツ選手や芸能人の契約が、雇傭契約であるとはっきり明言されています。・・・もちろん当時は「労働者性」などという言葉はありませんが、少なくとも「角力、俳優、音曲師其他の芸人」は、この後に出てくる「仕事請負契約」などではなく、「雇傭契約」であることは明らかであったわけですね。

なお、このほかにも、「~~の労働者性」というのは、本ブログで繰り返し繰り返し取り上げてきているペットテーマですので、ご関心あれば検索してみてください。 そんな単純な話ではないことがわかるはずです。

2014年8月10日 (日)

『日本の雇用と中高年』へのネット上書評あれこれ

26184472_1拙著『日本の雇用と中高年』(ちくま新書)に対しては、8月に入っても引き続きいろんな方々による書評がネット上にアップされています。

http://ameblo.jp/sr-aimjinzai/entry-11900181235.html社長と社員が仲良くなる労働関係法令の活用法

若者世代に偏った政策や議論は、日本のこれまでの雇用習慣や社会保障のシステムに照らして考えれば、新たな矛盾や社会問題を生み出すことになるのではないか?

そんなことを考えさせられるきっかけを、この本から得られたと思います。

他の方もいろいろなサイトで書評を書かれていますので、特に多くは付け足すことはありませんが、日本の労働の現場で中高年が味わってきた雇用維持の危うさや年功制が崩れたあとの賃金制度の悲哀を、海外の制度とも比較してわかりやすく解説されています。

http://ameblo.jp/restartsupport2014/entry-11904607965.html人事部で働く皆様とともに~人事歴30年の人事職人が日頃思うこと

高齢者の問題は、高齢者本人のモラルだけではなく、その立ち居振る舞い・勤労意欲などの影響が職場の”現役世代”にまでマイナス影響として及ぶ危険性があるところが大きな課題です。

若い管理職のマネジメント上の最大課題が職場の高齢者社員の労務管理になるようでは、日本の将来も暗いです。

http://ameblo.jp/feelworks-maekawa/entry-11904633680.html前川孝雄の"はたらく論"

日本は一部の論者が指摘するような若者に厳しい労働環境ではなく、むしろ中高年にこそ厳しい労働環境である。

それは、年功序列型賃金で外からみると、長く働くことで得しているように見えるから、ということが繰り返し主張されています。

昭和の時代までのメンバーシップ型の会社組織はもう維持できないため、欧米型のジョブ型の会社組織を目指すべきというご主張。

元労働省で法律制定に関わってこられた著者だけに、政治と法律制定の歴史がとてもよくわかりました。

ただ一点惜しむらくは、マクロの政治・法整備視点に終始し、実際の働く人たちや経営者個人の本音や思いをふまえた、現実的な未来志向に乏しかったことでしょうか。

確かに、欧米との横並びを考えると、そう収れんしていくような気もするのですが、欧米が正しく、日本が間違っている、欧米が進んでいて、日本が遅れているという前提には同意できません。

僕は個人的には職務分掌をはっきりさせたジョブ型、職務給的な仕組みは日本には適さないと考えます。

なぜならば、日本企業の強みは和とチームワークを重んじ、現場での工夫改善を経営力につなげるところだからです。

http://d.hatena.ne.jp/dokushonikki/20140808アランの読書日記

本書に趣旨をまとめると、以下のとおりか。「日本型雇用システムは、若者に有利で中高年に厳しい。50年前はこのことが政策課題として認識され、ジョブ型(職務給)への移行が叫ばれていた。しかし現実には各企業は職能給型になっていった。その後知的熟練論がその状況を理論武装したが、実は現実を冷静に見る企業によって、中高年リストラが進行した。なので、中高年以降はジョブ型とすべきであり、高賃金でまかなっていた育児・教育費用は社会が負担すべき。」

まさにこのとおりと思う。しかし、著者の主張どおりに事を進めるには、企業の人事制度を変えるのみならず、教育・社会制度等、日本全体が抜本的に変わる必要があり、それは容易ではないだろう。また、「中高年以降」だけジョブ型にするなんて、都合のよいことができるかも不安だ。

ちなみに、最近求められている「女性活躍促進」は、ライフイベントでキャリア(育成)が中断しても活躍を目指すという点で、日本型雇用システムへの最後の一撃になると考える。著者の言うように進めていかないといけない時代かもしれない。

https://twitter.com/hinasoyo/status/497052613255258112

『日本の雇用と中高年』(濱口桂一郎)という労働省やEUで長く働いた方の本を読んでいる。面白いし勉強になる。うなずく、うなずく。

さて来月、海老原嗣生さんのニッチモ主催のHRmicsレビューで、私も中高年問題についてお話しをいたします。

http://www.nitchmo.biz/

9月8日(月)東京、26日(金)大阪 第19回HRmicsレビュー開催

ミドル雇用が進む、これからの企業経営術
少子高齢化で労働人口が減少する昨今。一方では年金支給開始年齢の引き上げにより、雇用延長が図られ、今後ますますミドル・シニア層を社内で活用する必要性が高まっています。そうした意味で、1980年代に完成した「40代で管理職→55歳で役職定年→60歳で雇用終了」というモデルは成り立たなくなっています。労働人口減少と雇用延長がもたらす人事課題。それを解くカギをレビューにてお届けいたします。
≪プログラム≫
Part1
【テーマ】「錆びないミドルと転職の自由」へのパラダイム
旧来の日本型モデルと、新たなミドル活用モデルは、「入れ替え」ではなく、「接ぎ木」型。その結節点にエグゼンプションという関門を設けること。結果、自由・自律・ポストベースの働き方が実現でき、それは、転職の自由にもつながることになります。
【講 師】本誌編集長 海老原 嗣生
Part2
【テーマ(東京)】高度専門人材とは異なる、現実的なミドル雇用モデル
中高年雇用を考える場合、その高給に見合うように、能力の方を再教育・再設計し直す話が叫ばれます。そうすれば、企業も雇用を保障するし、転職市場で仕事も見つかる、と。ただ、現実的解決策は、もっと別のところにあり、日本人が気付かねばならない変革は、そちらにあるのではないでしょうか。濱口節をお届けします。
【講師】濱口 桂一郎氏(独立行政法人 労働政策研究・研修機構 統括研究員)
【テーマ(大阪)】日本型労働から脱皮するための条件
「誰もが課長」というキャリア観を廃し、ポスト数に応じた昇進を徹底させるとともに、スペシャリストとしての熟練を目ざすコースを新しく設計した場合、それに合わせて人事管理全般や働く人の意識も変えていかないと、ソフトランディングは難しい。本気で「脱日本型」を目指す場合、必要となる変更点について、明快に解説いただきます。
【講師】佐藤 博樹氏(東京大学社会科学研究所 教授)

若者を叩いたり、中高年を罵ったりというようなインチキな議論には飽き飽きした、真面目にこの問題に取り組みたい皆様のご参加をお待ちしております。

2014年8月 9日 (土)

女性登用推進で菊池桃子大臣誕生も!?@産経

Plc14080912000001p1_2 どこまで真面目なニュースと受け止めて良いのかよくわからないところもありますが、彼女が現在はれっきとした労働関係の研究者であり、キャリア権推進ネットワーク理事であることを考えると、本ブログで取り上げるのも、「何をとち狂って(元)アイドルなんて取り上げてるの?」というはなしでもなかろうと思われます。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140809/plc14080912000001-n1.htm

「女性の活躍推進」を掲げる安倍晋三首相が9月上旬に行う内閣改造を巡り、焦点の女性閣僚候補選びを本格化させている。そんな中、短大客員教授も務めるタレントの菊池桃子氏(46)が先月から、森雅子女性活力・子育て支援相との意見交換を活発化し注目を集めている。菊池氏は知名度に加え、子育てとタレント業を両立。女性の社会進出を体現しているだけに森氏の後任候補として急浮上しているのだ。往年のアイドルが大臣として活躍の場を広げる日は来るのか。

・・・菊池氏はNPO法人「キャリア権推進ネットワーク」理事に昨年春、就任。自分の働き方を主体的に選べる「キャリア権」の普及を目指し活動する一方で、母校の戸板女子短大客員教授として労働分野の講義も続けている。女性の労働問題への強い思いは、脳梗塞を患い左手足にまひが残る長女の子育てから培われた。平成24年には法政大大学院で雇用問題を専攻し、修士号を取得。学問や政策に対する関心は年々強まるばかりだ。

・・・果たして、首相や森氏サイドは閣僚就任の要請を菊池氏に行っているのか。今月上旬、菊池氏に直撃すると「そのような打診はありません」ときっぱり否定した。また、自身のブログでは政治家志望でないことも明らかにしている。どうやら本人は今のところ、及び腰のようだが、入閣すれば内閣支持率アップが見込める菊池氏だけに首相の対応が注目される。

この最後の記述からすると、女性閣僚に戦々恐々としている政治家諸氏の目線から書かれた政治部的記事のおもしろネタ以上ではなさそうですが、それにしても元アイドルとはいえ労働問題の専門家が閣僚候補として取りざたされるというニュースは興味深いものがありますね。

(続報)

スポニチが、菊池桃子さん自身の否定の言葉を報じています。

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/08/09/kiji/K20140809008716650.html

タレントの菊池桃子(46)が9日、自身の公式ブログを更新。安倍晋三首相が9月上旬に行う内閣改造で、菊池の入閣内定が一部で報じられたことを受けて「無い、無い、ありえないです」と否定した。

安倍首相が「女性の活躍推進」を掲げる中、短大客員教授を務めつつ子育てとタレント業を両立させている菊池が、森雅子女性活力・子育て支援相の後任候補として報じられた。「一部報道に驚きました 私が大臣候補?」と寝耳に水だったようで、「本当に打診も無いんですから」とありえない話であることを強調した。

「私が大臣候補とか、入閣するとか、そんな噂を聞いたら“本人が否定している”と、教えてあげてくださいね 」とファンに呼びかけた菊池は、「あ~、ビックリ」と最後まで驚きを隠せない様子だった。

(追記)

https://twitter.com/ryojikaneko/status/498691815365558273

菊池桃子はもっと勉強して数年後にやって欲しい(勉強が足りないという意味ではなく、勉強を始めてからまだ時期が短いので、期待を込めて)

数年後には、こうこういう話は消えてると思いますが・・・。

WEB労政時報で4人の競演 on 労働時間規制改革

WEB労政時報が「Open Discussion」と題して、4人の論者による「動き出した労働時間規制改革 専門家はこう考える」を掲載しています。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article_index.php?l_no=19

0000041_10000042_14人とは、鶴光太郎さん、大内伸哉さん、今野晴貴さん、それに私のおなじみの4人です。

規制改革会議が提案した三位一体の労働時間改革 鶴光太郎

なぜ、ホワイトカラー・エグゼンプションは必要か 大内伸哉

労働時間規制改革 何が問題なのか?何を改革すべきなのか? 濱口桂一郎

自由で多様な労働を実現するために、法律の改革が必要なのか 今野晴貴

0000006_1_20000017_1_2ぜひ読み比べていただきたい力のこもった論説です。

私の議論は、本ブログの読者にはおなじみですが、冒頭と末尾だけチラ見せ。

政府は去る6月24日に『「日本再興戦略」改訂2014』を閣議決定した。ここでは、雇用制度改革に関しても多くの課題が挙げられているが,その中でも注目を集めたのが「時間ではなく成果で評価される制度への改革」というタイトルが付けられた項目である。しかしながら、この問題をめぐっては、この提案を行った政府の産業競争力会議自身をはじめ、多くのマスコミや政治家も含め、問題の本質を外した議論ばかりが横行しているきらいがある。本稿では、できるだけ物事の基本に立ち返って、議論の整理をしていきたい。

1 そもそも何の改革なのか?

2 労働時間規制は既に極めて緩和されている

3 残業代規制という本質

4 改めて、何が問題なのか?何を改革すべきなのか?

・・・・・かつてキリストは、カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へ,と教えたという。いま労働時間と賃金に絡む混乱しきった議論を整理しようとするならば、まず何よりも、労働時間のことは労働時間として、賃金のことは賃金のこととして、きちんと分けて議論しようというその一点に尽きるのではなかろうか。そこをごっちゃにしたまま知った風な口をきく論者は、たとえ誰であろうがインチキと見なして差し支えない。

2014年8月 8日 (金)

『欧州諸国の解雇法制―デンマーク、ギリシャ、イタリア、スペインに関する調査―』

Jilfire

JILPTの資料シリーズとして、『欧州諸国の解雇法制―デンマーク、ギリシャ、イタリア、スペインに関する調査―』が刊行されました。

http://www.jil.go.jp/institute/chosa/2014/14-142.htm

近年、イタリア、スペイン等の欧州諸国における労働市場改革や解雇規制の見直しの動きが我が国でも大きな関心を集めている。解雇規制については、わが国においても規制を見直すべきとの主張が国会等の場でなされることがあるが、解雇規制の緩和は労働者及び国民生活に重大な影響を及ぼすことから慎重な対応が必要である。このような視点に立ち、デンマーク、ギリシャ、イタリア、スペインを対象に、これらの国の解雇規制の現状及び近年の見直しの動き等を把握することを目的に調査を実施した。併せてこれら諸国が加盟するEUにおける解雇規制の現況を概観した。

執筆者は以下の通りですが、

濱口 桂一郎 労働政策研究・研修機構統括研究員

猪木 祥司 デンマーク雇用省所管 労働環境改善・雇用安定推進基金 広報担当

Aristea Koukiadaki マンチェスター大学講師

大木 正俊 姫路獨協大学准教授

大石 玄 (独)国立高等専門学校機構 釧路工業高等専門学校准教授

事務局 労働政策研究・研修機構国際研究部

日本在住の研究者としては、イタリアを大木さん、スペインを大石さんと、いずれも若手が担当しています。あとは、デンマーク在住の猪木さんがデンマーク、ギリシャ人のコウキアダキさんがギリシャを担当。

いずれもそれぞれの国の解雇法制を語るのに適切な人々と言えましょう。

で、お前は何をして名前を連ねているの?とご疑念を抱く向きもあろうかと思われますが、

序章 欧州諸国の解雇規制の概観

第1章 デンマーク

第2章 ギリシャ

第3章 イタリア

第4章 スペイン

附章 『雇用関係の終了-EU加盟国における法的状況』(抄訳)

本体部分の前の序章と、本体の後ろの附章です。どちらも、EU諸国の解雇法制を概観していますが、附章は欧州委員会がまとめた報告書の抄訳です。

かつて、『季刊労働者の権利』に「解雇規制とフレクシキュリティ」を書いた時にごく簡単に紹介したものの原典です。

ヨーロッパの解雇法制については、よくわかっていないくせに知ったかぶりを振り回す御仁が後を絶ちませんが、そういう手合いにだまされないためにも、こういうちゃんとした情報をきちんと仕入れておくことが必要です。

2014年8月 7日 (木)

理念に共鳴して、逆に労をいとわず働いたからけしからんと・・・そこに悔しい思いがある

話題のゼンショーですが、小川社長のこの激白はまさに彼にとっての「真実」なのだと思います。

この地上から飢餓と貧困をなくそうということを(※会社の)憲章にも書いて、それをやりたいという人が新卒でも中間採用でも集まった企業ですから。

理念に共鳴して、逆に労をいとわず働いたからけしからんと・・・そこに悔しい思いがある。

これを空疎な言い訳を言っているなどと思うから、かえってこの会社の本当の問題が見えなくなる。

女工哀史だの蟹工船だのという批判は、利益至上主義の悪辣な資本家が云々という批判は、この会社の本当の問題点から外れるばかりです。

・・・前回の記者会見でも申し上げたが、ブラック企業というのは僕はあまり好きじゃない。

 他社でも言われてるところがあるようだけど(笑)。つまりレッテル貼りですから。ここが悪い、というところならいろいろあると思うんですが、一括して昔の「アカ」呼ばわりみたいなことは非常に・・・意味が人によって違うし、思考停止になってしまう。

 「あいつはコミュニストだ」「ああ、そうかアカだ」とこういう時代があったわけですから、それは僕はいちばん嫌いですから、生理的嫌悪感をもよおします。

 だけど、言われたということにおいては、メンバー全員悔しい思いをしてます。

これも言葉通り、100%本音を語っていると思います。でもだからこそそこに問題があるわけです。

「この地上から飢餓と貧困をなくそうという」「理念に共鳴して、逆に労をいとわず働いた」人々が、にもかかわらず、いやむしろそれゆえにこそ、外見上は超絶的なブラック企業の様相を呈するというこの逆説、いや20世紀の歴史はそういう逆説にこそ満ちているわけですが、その逆説を正面から見つめない議論は、私はやはり歴史の教訓を見ない議論でしかないと思うのです。

『HRmics』19号は「錆びないミドルキャリア」特集

1海老原嗣生さんのやってる雑誌『HRmics』第19号は、「錆びないミドルキャリア」を特集してます。

http://www.nitchmo.biz/

リンク先に電子版で全文読めますので、是非何よりも先にそっちを読んでください。

わたくしも登場していろいろ喋ってますが、読む値打ちがあるのは実際に「錆びないミドル」の人事制度を導入している会社の例です。

ちょっと目次から引用すると、

加齢と努力が熟練に結びつくミドルからの職務・勤務地限定正社員/野村不動産

「無限定に何でも」をやめ得意領域を担うプロ集団化/EPファーマライン

店舗と本部を結ぶ情報の結節点 ベテランならではの価値を発揮/セブン・イレブン・ジャパン

"誰もが上を目指す常識"を脱し腕一本で稼ぎ続ける世界へ/大東建託

子育て卒業の主婦も大歓迎 時差ダッチワークで家事との両立も/明光ネットワークジャパン

まさに、「中高年にこそジョブ型正社員」の雄弁な実例と言えましょう。

海老原さんによると、これ以外にも「情報収集までは行ったものの、掲載許可がいただけなかった企業が多数あった」そうです。都銀、信託銀行、損保、建設、GMSなど、いずれも超大手の人気企業だそうで、こういうところに載っけて変なところから文句言われたりするのを恐れたのかも知れませんが、残念なことですね。

無限定なまま追い出し部屋なんぞに送り込むよりはるかに社会にとって有意義なことをしているのですから、是非堂々と好事例を出していって欲しいと思います。

さて、それ以外の連載記事ですが、森戸厩舎の「感情的法理論」は安衛法のストレスチェックの話ですが、冒頭のロウアンエイホウをショウロンポウとかホイコーローと言い間違えるオヤジギャグは、発音が違いすぎてオヤ自虐になってますわよ。

マシナリさんの「公僕からの反論」は「公務員は「親方日の丸」でも「年功序列」でもない」。なんかどっかできいたような・・・。

わたくしの「雇用問題は先祖返り」は、いい加減ネタが尽きただろうという海老原さんの高笑いをよそに、工場法までさかのぼって「物理的労働時間規制の復活?」を持ち出すというしぶとさ。この先どこまで先祖返りするつもりなんでしょうか、と心配です。

「子育て支援」を「相続税」で拡充せよ@柴田悠

柴田悠さんがしのどすに「「子育て支援」を「相続税」で拡充せよ」という文章を寄せています。

http://synodos.jp/welfare/9673

いろんなデータ等も駆使した文章なので、是非リンク先でちゃんと読んでください。

結論は、タイトルにあるように、相続税及びそれとセットになる贈与税の拡大で子育て支援をまかなえば、国民生活や国内経済に悪影響を与えないばかりか、むしろ高資産高齢者の消費を促進し、経済に良い循環をもたらすというものです。ピケちゃんもいってるよ、と。

この論点自体、広い分野で議論を巻き起こすと思いますが、私が注目したのは最後のところでした。

今後私たちは、「現役世代向け社会保障」をしっかりと視野に入れた、「日本の社会保障のグランドデザイン(全体設計)」を考えていかなくてはならない。なぜなら、日本の社会保障にとって、その長期的な「持続可能性」を確保していくためには、税・社会保険料の収入を安定して確保していく必要があり、そのためには、税・社会保険料を収めてくれる「現役世代」を、「現役世代向け社会保障」(直接的には子育て支援・教育支援・就労支援など、間接的には介護支援など)によって、十全にサポートしていく必要があるからだ。

では、「現役世代向け社会保障」をしっかりと視野に入れた「グランドデザイン」は、どうしたら失敗リスクを最小化しながら設計していくことができるのだろうか。論理的に考えるならば、少なくとも、欧米諸国など他の先進諸国の近年(とくに低成長期以降)の経験から賢く学びながら、つまり、国際時系列データや国際社会調査データなどの統計分析をふまえながら(エビデンス・ベースドで)、設計していく必要があるだろう。

私が現在、刊行に向けて準備している『社会保障は日本をどう変えるのか(仮題)』(勁草書房)も、そのようなエビデンス・ベースドのグランドデザインを試みている。「現役世代向け社会保障を視野に入れた、エビデンス・ベースドの社会保障グランドデザイン」が急務となっている今、できるだけ早い時期での刊行を目指している。

おお!社会保障のグランドデザインを描いた本をもうすぐ出されるのですね。

2014年8月 6日 (水)

西村純『スウェーデンの賃金決定システム』

165217西村純さんの『スウェーデンの賃金決定システム』(ミネルヴァ書房)がようやく刊行されました。

http://www.minervashobo.co.jp/book/b165217.html

中央集権的であったスウェーデンの労使関係が、分権化しているといわれている。そうした状況の下で、スウェーデンの賃金決定システムには、いかなる変化が生じているのか。それとも、実はその要所において、大きな変化は生じていないのか。本書は現地調査をもとに、まず賃金決定システムの実態および変化の有無を捉える。その上で、システム形成の動力やスウェーデン労使関係の知られざる特徴を描き出すことを試みる

西村さんは今年5月に『スウェーデンの労使関係―協約分析を中心に』という報告書をJILPTから出したばかりですが、本書はそれよりも前に、西村さんが同志社大学の大学院で研究されていた頃に何回も現地に行ってまとめた博士論文を本にしたものです。

一部は紀要などに載っているので読まれた方もいるでしょうけど、全体まとめた形では世に出るのは初めてだと思います。

はしがき
第1章 スウェーデンの労使関係研究の問題点
第2章 労使関係の概観
第3章 中央体制下におけるスウェーデンの労使関係
    ——本当に集権的であったのか?
第4章 出来高給と賃金ドリフト
    ——中央体制下の労使関係が抱えていた問題
第5章 調整活動に関する一考察
    ——賃金交渉を通じて
第6章 現在の賃金決定システム
    ——産業レベルから企業レベルまで
第7章 賃金制度の個別化と企業内労使関係
    ——ボルボの事例を通じて
第8章 もう一つの企業レベルにおける賃金交渉
    ——オートリペアセクターの労使関係を通じて
終 章 スウェーデンの労使関係
    ——労使関係論的視点を通じて

本書、というか西村さんの研究のインパクトのあるところは、とりわけ序章で批判されているこれまでのスウェーデン研究が、コーポラティズムや福祉国家という視点からマクロレベルばかりに関心が向けられ、現場の労使関係がどうなっているのか、とりわけ一番大事な賃金はどこでだれがどうやって決めているのか、という重要な問題がスルーされていたのを、労使関係論の基本に立ち返ってとにかく事実をきちんと調べて明らかにした、というところでしょう。

上記西村報告書は:

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2014/0165.htm

で全文読めます。

なお、スウェーデンといえば、本ブログでだいぶ前に、こんなエントリを書いたこともありました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-ed81.html(スウェーデンモデルの実相)


2014年8月 5日 (火)

ほんまかいな

昨日紹介した、中川洋一郎さんの「なぜ、「新卒一括採用」は、外国人には理解不可能なのか」@『中央評論』288号ですが、現代の労働社会の構造分析としては、100%まったく同意する内容でありながら、後半の壮大な文明史論のところは、正直言って???と、いっぱい頭の上にはてなが付く内容でした。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/288-3cd3.html

その中川文明論のコアに当たるところを引用してみますと、

・・・日本型が容易に消え去るとは思えない本当の理由、それは、組織編成原理の二大対立において、日本型が「本家」の系統にあって、欧米型はむしろ派生型だからである。ヒトは、その誕生以来、およそ400万年間、バンドと呼ばれる親族組織(せいぜい数十人規模)で暮らしてきた。狩猟採集で生計を立てる限り、その小さな規模を超える食料を獲得することが不可欠だったからである。親族組織であるバンドにおいて、何をするにもまず「ヒト」が確定されていたこと、そして、、新しい仕事が生じたら、今いる組織構成員がその仕事を引き受けたことは疑いない。まさに、「人←仕事」の組織編成原理であった。

このバンド規模を超える組織拡大のきっかけ、それは、1万年前の農耕開始、8千年前の家畜化、中でも決定的であったのが7千年前の遊牧の開始である。・・・・・・牧羊犬は、多数の家畜を追い回して誘導するという、ヒトにはできない専門的な能力を持っていた。牧夫は、イヌのかかる「専門的な能力」に目を付けて、「外部調達」して、彼らの初期遊牧組織の中へと《割り振った》のである。まさに、牧羊犬こそ、史上初のプロフェッショナルであった。私の考えでは、この《牧夫→イヌ→ヒツジ》という三層構造の誕生こそ、人間の組織編成原理の真の分水嶺である。・・・

・・・しかし、人類史の99%以上を占める圧倒的な機関に存続したバンド(親族組織)の傍らに忽然と誕生した初期遊牧組織は、潜在的には組織編成史上、画期的な新規性を秘めていた。専門性あるいは職務という観念の獲得である。かくて、「職務」(この場合は、家畜の群れの管理)を対象化して、その「職務」の遂行に必要な専門性を持っているもの(この場合は、イヌ)を「外部調達」して、組織の中へと《割り振る》ことを意識的に実行した人々がいた。原インド・ヨーロッパ語族である。彼らの神話における《三区分イデオロギー》(デュメジル)こそ、「仕事←人」という《割り振り》の観念化、意識化に他ならない。彼らは、少なくとも言語系統的には、欧米人の祖先であることは、言を俟たない。

まず戦略を確定し、もっとも合理的に「職務」を限定して、その上で最適任者を「外部調達」するという組織編成史上の一大新規慣行は、かくて、7千年前に初期遊牧民とともに始まり、インド・ヨーロッパ語族によって類い希なる「武器」へと洗練された。・・・

ジョブ型労働者の先祖は牧羊犬かよ、という突っ込み以前に、何というか人類史におけるもっとも重要な農耕社会はどこに行ってしまったんだろうという疑問が・・・。

確かに人類史上最初の遊牧民はインド・ヨーロッパ系のスキタイ人ですが、その後はむしろモンゴル系が遊牧騎馬民族の中心だったし、なにより現代欧米社会の先祖たちは、長く数千年にわたって牧畜を伴うとはいえ定着農耕社会を営んできたわけで、欧米人がついこないだまで遊牧やってたみたいな言い方はあまりにミスリーディングだし、同様の牧畜を伴う農耕社会こそ、中国、インドはじめとする多くの古典文明の経済基盤だったわけだし。

そして、なにより、戦後すっかりメンバーシップ型労働社会になってしまったこの日本だって、戦前、ほんの100年近く前の時代には、氏原正治郎氏が繰り返し説くように、社員、準社員、工員、組夫という明確な身分の差があったわけだし、戦時体制ととりわけ終戦直後の労働運動などによってシングルステイタスに近づいていったわけで、その前の千年以上の農耕社会においても、上と下は明確に区別されていたという歴史からすると、そういうのを全部すっとばかして、突然狩猟採集社会のバンド原理が、現代日本のメンバーシップ型になっているという説明は、正直どう受け止めてよいか頭がくらくらする感じがします。

政府、外国実習生保護へ新機関 15年度から新法で立ち入り権限 

東京新聞に載っている共同通信の記事で、

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014080401002160.html(政府、外国実習生保護へ新機関 15年度から新法で立ち入り権限)

 政府は4日、外国人技能実習制度で、実習生を保護し、雇用する企業などに対する監督、指導を強化するため、立ち入り調査権限のある新たな機関を創設する方針を固めた。2015年の通常国会に新法案などを提出、15年度中の実施を目指す。

技能実習制度をめぐっては転職の自由がないなど弱い立場に置かれていることから賃金不払いや人権侵害などが絶えず、過労死が疑われる突然死も相次いでいる。安倍政権は人手不足解消のため、受け入れ拡大を目指しており、国民の理解を得るためには実習生保護に力点を置いた対策が必要と判断した。

技能実習制度は、安価な労働力として使われている実態がある。

これだけではよくわからないのですが、この記述だけからすると、実習生という名の労働者の労働条件を保護するという意味で、労働基準監督権限を行使する機関以外の何物でもないように読めるのですが、現在の労働基準監督機関以外に外国人実習生用の特別労働基準監督機関を設置するということなのでしょうか。

まあ、実習生じゃなくてもなかなかブラック企業にもグレー企業にも労働基準監督の手が回りかねる状況ではあるのですが、気になるのはこの「新たな機関」が一体どの官庁のどの部局に設置されるのかが全然書かれていないこと。

まさかとは思いますが、技能実習制度を運営している法務省が自ら労働基準監督までやろうなんていう、むかし鉱山業所管の通産省が業界保護の傍ら鉱山の労働基準監督まで無気力にやってたような利益相反話ではないと思いますが。

2014年8月 4日 (月)

『中央評論』288号「大学教育と就職」

中央大学が発行している総合雑誌『中央評論』の288号が「大学教育と就職」を特集しています。

http://www2.chuo-u.ac.jp/up/zasshi/chu-hyo-288.htm

編集委員をされている商学部の清水克洋さんよりお送りいただきました。ありがとうございます。

清水 克洋   [巻頭言]シューカツ批判から大学教育批判へ
北   彰    君はもう進路を決めているのだろうか?
中村  昇    私の知らない世界
平松 裕子    就職活動の今から見えるもの
松本 悠子    大学教育と就職
安井 哲章    シューカツ生を見守る大学教員
黒田絵美子   わたしの励まし方
松下  貢    理工学部教育と就職活動
渡辺 新一    寅さんの台詞から考える
友岡  賛    大学の国際化という文脈における就職問題
瀧澤 弘和    比較制度分析から見た大学教育と就職
都筑  学    大学から仕事へのトラジション
中川洋一郎   なぜ、「新卒一括採用」は、外国人には理解不可能なのか
鈴木  寿    コンピテンシー育成教育モデルの就活への応用
牧野 光則    中央大学「段階別コンピテンシー」の意義
松山 善男    大学教育と就職

巻頭の清水さんの軽妙なエッセイもなかなか面白いですが、読んでいって「あ、これ、こないだ読んだ」と思ったのは、中川洋一郎さんの「なぜ、「新卒一括採用」は、外国人には理解不可能なのか」です。

そう、先日、読売新聞のサイトに載っていたのを紹介したばかりです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-2cb0.html(よくわかるジョブ型とメンバーシップ型)

正確に言うと、読売のサイトに載っているのは『中央評論』のものをだいぶ短く縮めたバージョンですね。こちらには、ネット上のものよりももう少し詳しい記述がされています。でも、あのマンガもまったくそのままです。

ネット版で省略されている主なものは、人に仕事をあてはめる日本型は狩猟採集時代のバンド組織に源流を発する源基的組織であるのに対して、仕事に人を当てはめる欧米型はインドヨーロッパ語族の初期遊牧民に発する派生型組織だという、壮大な文明論ですが、いやあ、ここは山のように議論の余地があるでしょうね・・・・・・。

2014年8月 3日 (日)

都内某所で

本日、都内某所で、某学会の報告の打ち合わせ。

私自身、一般公衆向けには日本の労働問題をまっとうな方向に進めていくための参照枠組みとして、何かと言えばヨーロッパ「では」ってのを繰り出す「出羽の守」的な議論を敢えてしているし、それはそれで対世の中戦略的には必要不可欠だと思ってやっているわけだけれど、

とはいえ専門研究者が集まっているのを前に、そういう一般公衆向け用の「出羽の守」言説をしれっとやるのは、正直あんまり気持ちが良くない。ヨーロッパ社会自身がどれだけ矛盾に悩み苦しんでいるかという話を、微細な襞のレベルまでしなくては嘘になる、と思うわけだけれど、

さはさりながら、学会の共通論題を聞きに来る人々のヨーロッパの具体的な事象に対する知識水準は多分それほど高いわけでもないと思われるので、玄人向けの話ばかりやっちゃうと、かえって意図が通じない結果に終わりそうな気もしないではないこともこれあり、

なかなか難しいなあ、という思いを新たにした本日であったことよ。

2014年8月 2日 (土)

motoさんの拙著書評

motoさんがツイートで、拙著を簡潔に評していただいています。

https://twitter.com/motolion/status/495441808919248896

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『新しい労働社会』(濱口桂一郎著、岩波新書)を読んだ。日本の雇用システムの抱える問題点が簡潔に説明されている。

「会社」というメンバーシップが重要視される集団の中で、明確に職務を決めない雇用契約を特徴として成り立つシステムは今の時代にそぐわない。労使ともにその自覚が求められている。

 

https://twitter.com/motolion/status/491933877800169472

26184472_1_2

『日本の雇用と中高年』(濱口桂一郎著、ちくま新書)を読んだ。中高年世代として、切ない読後感が正直なところ。職務無限定的な雇用というのは、常に競争を迫られていることでもあり、ゴールが見える頃になると、ルールが変わってしまう。そんなインチキなゲームはない。いい加減目を覚まそう。

ご案内各種

Sapo

Jshrm1
Jshrm2
Gendai
Lib1
Lib2

濱ちゃんが峯岸みなみ(高橋みなみでも可)に語る労働法

https://twitter.com/tasano/status/495204866126790656

先のリンクについて。むしろ濱ちゃんが峯岸みなみ(高橋みなみでも可)に語る労働法の話を読みたいところ。

・・・・・・・・・・。

すき家の独裁者が目指した世界革命

山のような記事が溢れていますが、こういうときだからこそ、こういう事態をもたらした思想的根源をきちんと考えておくことが必要なはずです。

本ブログで、過去何回かこの会社の経営者を取り上げたエントリを再掲して、その素材としたいと思います。少なくとも、ただの悪辣な資本家とか、労働者を搾取する蟹工船だとかいうような単純な話ではなく、もう少し根が深い問題が潜んでいることが窺われるはずです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-6e9f.html (「アルバイトは労働者に非ず」は全共闘の発想?)

本ブログでも何回か取り上げてきたすき家の「非労働者」的アルバイトの件ですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_db8e.html (アルバイトは労働者に非ず)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-0c44.html (自営業者には残業代を払う必要はないはずなんですが)

そのすき家を経営する「外食日本一 ゼンショー」の小川賢太郎社長のインタビューが日経ビジネスに載っています。そのタイトルも「全共闘、港湾労働、そして牛丼」です。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100917/216295/

もしかしたら、このインタビューの中に、「アルバイトは労働者に非ず」という発想のよって来たるところが窺えるかも知れないと思って読んでみましたら、まさに波瀾万丈、革命家の一生が描かれておりました。

>世界の若者は矛盾に対して声をあげている。こういう時に自分は何ができるのか。こうした状況を打破しなければならない。世界から飢餓と貧困をなくしたいというのはこの時からの思いです。

>やはり資本主義社会であるから矛盾があるのであって、この矛盾を解決しなければならない。これは社会主義革命をやるしかないと学生運動にのめり込んでいきました。

―― 大学を辞めて、港湾会社に入社して、労働者を組織されます。

>社会主義革命というのは、プロレタリアと労働者階級を組織しなければならない。ですが、結構、日本の労働者もぬくぬくしちゃってきていた。

>そういう意味で底辺に近くて、故に革命的である港湾労働者に目を付けました。

―― その後、社会主義革命を断念する転機が訪れます。

>やはり社会主義革命はダメだ。資本主義は戦ってみるとなかなかだった。少なくともこれから300年ぐらいは資本主義的な生産様式が人類の主流になると考えました。

>今度は社会主義革命ではなくて、資本主義という船に乗って、世界から飢えと貧困をなくすんだと。

>しかし、自分は資本主義をまったく知らない。議論をすればマルクス・レーニン主義や中国の社会主義革命だとか、そういう勉強ばっかりしてきた。だから資本主義をやり直さなきゃならなかった。

―― 資本主義の第一歩として扉を叩いたのが吉野家です。

>資本主義の勉強をするうちに、外食業かコンビニエンスストアがいいのではないかと思うようになりました。

>世界から飢えと貧困をなくすことという、10代のころから命題は変わっていない。だから食のビジネスには興味があったのです。

その後吉野家が経営危機に陥るところまでが前編で、後編はその次ですが、ふむ、社会主義革命を志して港湾労働者を組織しようとしていた革命青年が資本主義に目覚めると、資本主義体制の下で生ぬるく労働条件がどうとかこうとか言ってるような中途半端な連中は、ちゃんちゃらおかしいということなのでしょうか。

この辺、学生時代に革命的学生運動に身を投じていたような方々が中年期にはかえって資本の論理を振りかざすという学者や評論家の世界にも見られる現象の一環という感じもしますが、いずれにしても、いろんな意味で大変興味深いインタビューです。後編が待ち遠しいですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-47c9.html(世界革命を目指す独裁者)

Hyoshi ネット上にはまだインタビューの後編は載っていませんが、雑誌『日経ビジネス』には「革命家の見果てぬ夢 牛丼に連なる運命」という記事が載っていますので、そちらから興味深いところをご紹介しましょう。

吉野家を辞めて自分の会社を立ち上げたところから、

>「資本は小川賢太郎100%、意思決定も小川賢太郎100%。専制君主制でやる。なぜなら議論している時間はないからだ」

牛丼という武器を手に革命を目指す独裁者が生まれた瞬間だった。

・・・

>小川はゼンショーを設立したとき、創業メンバーにこう語っている。

「俺は民主主義教育を受けてきた人間。東大全共闘の名においても、いつまでも専制君主でやっているわけにはいかない。憲法を定めて立憲君主制にし、いずれ民主主義にする」

一方で小川はこうも言う。

「最初の頃から民主主義的な会社というのは、成長しないと思うんです。やはり強烈なリーダーが、俺が黒と言ったら黒なんだということで、その代わり全責任を負って、失敗したら俺の命もないと」

小川にとって国内での成功は、世界革命への序章に過ぎない。だから民主主義へはまだ移行しない。

世界革命を目指す独裁者!

世界革命がなった暁には、お前たちにも民主主義が与えられるであろう。

だが、革命戦争のまっただ中の今、民主主義を求めるような反革命分子は粛清されなければならない!

まさしく、全共闘の闘う魂は脈々と息づいていたのですね。

そして、歴史は何と無慈悲に繰り返すことでしょうか。

一度目は悲劇として、二度目は・・・、すき家の外部の者にとっては喜劇として、しかし内部の者にとっては再度の悲劇として。

(追記)

この問題を取り上げたツイートの中には、私の問題意識とよく似たものもあります。

ktgohan(斬祓中)さんの「資本家としてのゼンショーと革命家としてのゼンショー」という連ツイです。

https://twitter.com/ktgohan/status/495532373224599552 

ちょいと気になること。すき家のことを蟹工船に例える人がわりといるような気がするのです。今年2月3月の労働実態は確かにもうひどいものでしたが、それの実態を「蟹工船」と例えるのはややまずい気がします。そんなところまで真面目に考えんなやと言われそうですが…

https://twitter.com/ktgohan/status/495533716479807488

「24時間、365日営業」の維持や良い商品をできるだけ安く提供することが顧客のためになるという強い信念。強い使命感と超人的な長時間労働で、すき家を日本一にしたという成功体験。第三者報告書は、経営幹部の意識がどこに在ったかについては、そう触れている。

https://twitter.com/ktgohan/status/495534473887227905

一方で報告書は『「収益の局面」では客観的な数値を積極的に活用するものの、「労働力の局面」では客観的数値に基づく合理的思考は姿を消し、精神論が幅をきかせていた。』と断罪する。ここで思い至ったのは、すき家は蟹工船ではなく、クメール・ルージュの民主カンプチアや毛沢東の大躍進運動だった。

https://twitter.com/ktgohan/status/495535495229628416

ここから透けて見えることは、すき家で起きていたのは資本家による収奪だけではない。資本家の姿をした、原理的理想論を口にする革命家による収奪でもある。

https://twitter.com/ktgohan/status/495536173566001152

正直に言うが、背筋が凍る。ゼンショーとは、資本家の皮をかぶった革命家の理想郷であるのだ。だから自分たちの24時間365日営業のことを「社会インフラだ」と嘯くし、フェアトレードにも(あれはあれで彼らなりに)本気に取り組んでいるのだ。

https://twitter.com/ktgohan/status/495536672092614657

だから、ゼンショーのことを単に「ブラック企業」と批判するだけでは、『資本家の姿をしたゼンショー』のことしか批判できないのだ。『資本家の姿をした革命家としてのゼンショー』のほうこそ本丸であり、これこそ何としてでもすり潰し、新生ゼンショーに生まれ変わってもらわねばならない。

そう、まさに大躍進運動であり、文化大革命の匂いが濃厚に漂うのですよ。

ただ、こういうメタファーを使うと、大躍進や文化大革命が終わったあとに来るものは、等しく独裁ではあるけれども、革命精神はかけらもない、社会主義市場経済という名のただの資本主義独裁でした、というオチになってしまうことなんですが。

2014年8月 1日 (金)

「きま給」

労働問題やってると、いろいろと変な言葉が山のようにあるわけです。正社員も雇用契約のはずなのに、正社員じゃないのが「契約社員」とか、フルタイムで働いているのに「パートタイマー」なんて言うのはよく知られていますが、やや玄人筋の用語として、「きまって支給する給与」略して「きま給」なんて言葉があります。労働経済系でよく使われる言葉ですが、これ、法律的に考えると実に妙。

あ、そもそも「きまって支給する給与」って、「労働契約、団体協約あるいは事業所の給与規則等によってあらかじめ定められている支給条件、算定方法によって支給される給与のことであって、所定外労働給与を含む。」とされています。これに当たらないのが「特別に支払われた給与」で、「調査期間中に一時的又は突発的理由に基づいて、あらかじめ定められた契約や規則等によらない労働者に現実に支払われた給与や、あらかじめ支給条件、算定方法が定められていても、その給与の算定が3ヵ月を超える期間ごとに行われるものをいう」とされています。

ふううん、と思った方。よく考えてね。所定外労働給与、つまり残業代や休日手当は、「きまって支給する給与」なんですよ。いや、実際そうじゃねえか、と思った方。現実社会では確かにそうですが、労働基準法の建前からすれば、時間外労働ってのは「一時的または突発的理由に基づいて」例外的に行われるはずなんですよね。

逆に、賞与なんか、額は変動するとは言え、支給しないことはないだろ、という程度には「きまって支給」するはずですが、そうなっていません。

もちろん、、上の定義は巧妙に書かれているので、うまく言い訳できるようになってはいますが、そもそも法律の建前上ないのが原則であるのが例外のはずの時間外手当が「きま給」という名で呼ばれて誰も不思議に思ってこなかった、というあたりに、単なる統計実務上の符丁と言うにとどまらない、日本の労働社会のある感覚が良く現れていると言うことができるのではないでしょうか。

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