どうも、基本的なところがよくわかっていないまま筋道がひっくり返った議論が展開されている悪寒・・・。
https://twitter.com/rakuslckita/status/258230084736020482
赤旗を含め、共産党と共産党員の活動は、市場原理を無視した安すぎる労働力によって成り立っている。みようによっては超絶ブラック、みようによっては理想的な公共の福祉。
あのですね、政治団体であれ宗教団体であれ慈善団体であれ、市場原理に基づいて営利活動をやっているのではない結社が、市場原理ではとうてい調達できないような安価な労働力を雇用労働力ではない「党員」や「信者」といった言葉の真の意味における「メンバーシップ型労働力」として駆使することによって、その目的を達成しようとすること自体は、何ら問題ではないのですよ。それは、同じ信念や信条を共有しない外部者からはブラックに見えるかもしれないけれど、定義上ブラック『企業』ではない。
問題は、Wであれ、Zであれ、その他問題となっている諸企業は、少なくとも現行法制上、信念に基づく結社として結成されたわけではなく、れっきとした株式会社たる営利企業であり、労務と報酬の交換契約たる雇用契約とは異なる結社員としての労務提供で労働力をまかなっているわけではない、ということです。
これは、口先で「アルバイトは労働者にあらず」などと寝言を口走ればいいわけではなく、そもそもはじめからお前は労働者ではなく。それゆえ給料というのは存在せず、WなりZなりという信念に基づく結社のために「党員」として、あるいは「信者」として、全身全霊を挙げて献身するんだよ、まさか「就職」するとか、「バイト」とかと思っていなよね、と、きちんと確認して、その完全なる同意の上にやらなければなりませんし、当然のことながら労働者であることを前提とする健康保険にも入れないということですが、まあ、そんなつもりもないのでしょう。
問題なのは、市場原理に基づく営利企業として活動しながら、「市場原理を無視した安すぎる労働力によって成り立っている」ことです。それは、もはや「理想的な公共の福祉」どころか、言葉の正確な意味での「ブラック企業」になるのです。
この話の筋道が、そもそも信念に基づく結社と営利企業の区別が付いていないと、上記ツイートみたいなねじれた反応を導くことになります。
(追記)
このエントリに対するもっとも頭の悪い反応
https://twitter.com/OIShihi/status/501216893936476160
営利企業敵視がかいま見える。宗教団体やNPOなど”広義の組織”の一員の地位を保障する観点はないようだ。既存の法律ありきだとこうなる。
普通の市場経済の中で、普通の雇用契約で、普通の労働法に従って働くのがまっとうだよ、といっている記事を、何をとち狂ったか、「営利企業敵視がかいま見える」と勘違いし、
しかも、「宗教団体やNPOなど”広義の組織”の一員の地位を保障する観点はないようだ」とか奇妙なことを口走る。いや、変な宗教団体や政治団体に取り込まれて困っている人は結構いるだろうけど、それはそういう類いの社会問題であって、労働問題としてのブラック企業問題じゃないと言っているだけ。それに、少なくとも政治団体や宗教団体のメンバーの「地位を保障する観点」など必要ないと思うね。
ま、ブラック企業大賞やってる連中が、労働問題をはみだして東電だの東京都議会だのやっているんだから、こういうレベルの低い反応が出てくるのも仕方がないのかも。
ちなみに、宗教団体であれ何であれ、そこの信者や党員ではなく、そことの民法上の雇用契約に基づいて就労している労働者である限り、その信条や信教を理由に労働基準法の適用を除外される筋合いはないので念のため。
(再追記)
これに対して頭の良い反応
https://twitter.com/uncorrelated/status/501241767681720321
法律ではない面で濱口氏が言いたいのは、たぶん、こういうこと。
非営利活動の結社: 私とあなたは同じ目的を共有しているから自主的にタダで/安く仕事をしてください。
営利活動の企業: 私とあなたは違う目的ですが、所定の賃金を払うのでそれに応じた仕事をしてください。
で、ブラック企業は本当は営利活動の企業のくせに、非営利活動の結社と同じようなことを従業員に言っているので問題。非営利の結社の構成員は、そもそもそういうものだから(雇用契約でなければ)問題ない。
上で述べたように、組織の性格で分けるのは本当は不正確で、政治団体であれ宗教団体であれ、民法に基づく雇用契約という形で、「私とあなたは違う目的ですが、所定の賃金を払うのでそれに応じた仕事をしてください」といって人を雇っている限りは、その人に関する限り、「私とあなたは同じ目的を共有しているから自主的にタダで/安く仕事をしてください」なんていったらやはりブラック。一方党員が不眠不休で飲まず食わずで活動するのはブラックじゃない。
その意味では、営利企業云々は本質とは余り関係がない。どういう趣旨の労務提供かという問題ですね。
(再々追記)
と思ったけれど、それほどでもなさそうな件:
https://twitter.com/uncorrelated/status/501256389201653760
宗教団体や政党でも雇用契約がある場合は企業側に分類されるので、企業と言うよりは雇用契約を特別視しているのだと思いますが、突き止めると仕事の内容にやりがいを感じてはいけないことになりそうだから、難しいですね。
「やりがいを感じてはいけない」・・・・・・。
やっぱり、同類でしたか・・・。
やりがいを感じることを理由に、雇用契約の一方当事者としての権利をなくてもいいよねと取り上げることと、やりがいを感じることの是非とがごっちゃになってしまう。
まあ、これがごっちゃになるのが日本社会の常識的な水準であるからこそ、やりがい搾取はやり放題になるのかも知れませんな。
あと、「雇用契約を特別視」という台詞にも驚愕。
いや、民法上の債権契約たる雇用契約が普通で、そうじゃない党員や信者としての(非労働者的)働き方の方を特別視しているつもりなんだが、なぜか地と図が入れ替わる。
このあたりに、普通の資本主義社会の普通の雇用契約に基づく普通の労働者の在り方が特別なものになってしまう日本社会の姿と、その中で、自分では資本主義の使徒として社会主義者を叩いているつもりで、実はまったく逆向きの議論を展開して気がつかない特殊日本型「資本主義者」の姿が垣間見えるようです。
なにしろ、営利企業における雇用労働がデフォルトルールだと言ってるこのエントリを読んで、「営利企業敵視がかいま見え」てしまうんですから、病膏肓ですな。
(ついでに)
https://twitter.com/gelsy/status/501207251189649409
政党や宗教団体でも、生活に食い込むところまで搾取するのはやはりブラックなんじゃなかろうか。
それはそういう観点からブラック政党とかブラック教団と批判するのはまったく自由ですが、ブラック企業大賞に並べてはいけないというだけです
オウム真理教は他のあらゆる観点から見てブラック教団でしたが、だからといって、信者を安く使って作ったマハーポーシャのパソコンがけしからんわけではないし、そのカレー屋がブラック企業であるわけではない。ブラック教団への入口ではあるにせよ。
(もひとつおまけに)
その昔、全く違う文脈ですが、こんなことを書いたのを思い出しました。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-ee80.html (低賃金にすればするほどサービスが良くなるという思想)
えっ!?それが市場原理なの???
ケインズ派であれフリードマン派であれ、およそいかなる流派の経済学説であろうが、報酬を低くすればするほど労働意欲が高まり、サービス水準が劇的に向上するなどという理論は聞いたことがありませんが。
でも、今の日本で、マスコミや政治評論の世界などで、「これこそが市場原理だ」と本人が思いこんで肩を怒らせて語られている議論というのは、実はこういうたぐいのものなのかも知れないな、と思わせられるものがあります。
労働法の知識の前に、初等経済学のイロハのイのそのまた入口の知識が必要なのかも知れません。あ~あ。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/voiceexit-e577.html (voiceがないならexit)
不思議なのは、こういう新古典派経済学のごく簡単な応用問題であるような事案に限って、当該学派の応援団と目されるたぐいの人々が、なぜか経済合理性ガン無視の熱血派的感情論に肩入れしたがることなのですが、まあ心理学的分析はガラではないので。
まあ、本ブログに絡む人々にはよくあるタイプですが・・・。
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