(あのとき・それから)昭和33年 終身雇用 会社と従業員は共同体
本日の朝日新聞夕刊の4面の「あのときそれから」に「昭和33年 終身雇用 会社と従業員は共同体」という記事が載っています。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11239036.html
いったん入社すれば定年まで同じ会社で働き続ける「終身雇用」。日本独自とされ、日本的経営の中核だといわれた。だが、その四字熟語は、実は一種の外来語なのだ。
1958(昭和33)年、米国人のフォード財団研究員ジェームズ・アベグレンが「日本の経営」(原題は「The Japanese Factory」)を出版。その中で「会社は従業員を定年まで解雇せず、従業員は転職しない」雇用慣行を「permanent employment system」と表現、当時、神戸大学助教授だった占部都美(うらべ・くによし)が「終身雇用」と訳した。同書は終身雇用、年功序列賃金、企業内組合を欧米にない日本独自の経営方式と指摘、ベストセラーとなった。
アベグレンは日本電気など大小53の工場を1年半かけて訪ね、人事や給与、管理制度を丹念に調べた。調査に協力した住友電工元会長の川上哲郎さん(85)は「累進課税で社長と工員の給与格差は実質10倍もなく、住宅不足で社宅に住む社長もいることにアベグレンは驚いていた」と振り返る。「終身雇用、年功序列賃金を基盤に労使協調を実現し、単なる利益追求の組織ではなく、共同体として一体感のある組織運営をしているとアベグレンは分析した」
終身雇用という言葉は瞬く間に日本社会に定着する。翌年、日経連は「定年制度の研究」を著し「終身雇用こそ日米の企業活動を分かつ決定的な相異点」と表現。61年2月には国会審議に初登場。社会党議員が「終身雇用の年功序列賃金で初任給が低く抑えられている」とただした。
「当時、日本は終身雇用社会ではなかった」と指摘するのは、明治大学特別招聘教授の野村正實さん(66)だ。農家や自営業が勤労者の7割を占め、残る被雇用者の中で3分の1程度が大企業に終身雇用形態で雇われていたに過ぎなかった。
多くの中小零細企業の従業員の勤続年数は短く、大量の臨時工が雇用の調整弁の役割を果たしていた。「高度経済成長に伴って正社員雇用が激増、終身雇用社会を形作っていったのが実態だ」という。
ではなぜ「日本は終身雇用」という“常識“が広まったのか。「江戸時代以来、藩主と家来、商家の主人と使用人の関係を律する永年勤続を尊ぶ価値観が前提にあった。そこに終身雇用というキャッチフレーズが与えられ、全ての会社と全ての従業員の間で成立すべき望ましい雇用関係という価値規範となったからだ」と野村さんは言う。
アベグレンの直弟子である経営コンサルタント澤田宏之さん(60)は「終身雇用で会社と従業員の関係は安定し、政治的・社会的安定の基盤となった。未熟な社会福祉を企業の安定雇用が補う点も国の政策と合致した。戦勝国アメリカの学者が、東洋の遅れた敗戦国のこうした特質を指摘して、日本人に自信を与えてくれた」と分析する。
終身雇用、年功序列、企業内組合は70年代に日本的経営の「三種の神器」と呼ばれるようになる。その日本的経営は経済成長を続けた80年代には世界の模範とされたが、90年代以降の不況下、人件費の削減を迫られた企業にとって、終身解雇は一転して弱点となった。そして現在、終身雇用の崩壊、非正規社員の急増は、年金制度などの社会的基盤を揺るがし始めている。
労働政策研究・研修機構主席統括研究員の濱口桂一郎さん(55)は「総合職的に働き、年功で賃金が上がり、会社の幹部候補生として生きる正社員像を転換し、雇用期間に定めがなく、職務、労働時間、就業場所を限定した正社員を増やすことが求められている」と話す。
最後のパラグラフの私のコメントは毎度おなじみのものですが、労働関係に詳しい人ほど、はじめの方の記述に疑問を感じるかもしれません。
アベグレンの本で「終身雇用」の原語が「permanent employment system」であったとされていることに、「あれ?確かLifetime Commitmentの訳だったんじゃないの?」と思った人が多いはずです。
でもね、これはそちらの方が原典に当たらずに世間の噂をそのまま信じてきた思い込み。この記事を書いた畑川剛毅さんは、アベグレンの原書と訳書を照らし合わせながら、Lifetime Commitmentは「終身関係」と訳されており、「終身雇用制度」と訳されている部分の原語はpermanent employment system」であることを確認されています。
これもまた、原典に当たらず思い込みで物事を語ってしまうことの罠を感じさせる一つの例と言えましょう。
ちなみに、この記事が「終身雇用」という言葉が日本に定着した年として指定している1958年(昭和33年)というのは、私が生まれた年でもあります。
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