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2014年7月22日 (火)

よくわかるジョブ型とメンバーシップ型

読売新聞の「Chuo Online」というサイトに、中川洋一郎さんの「「新卒一括採用」は、やがて消え去る慣行か」という記事が載っています。

http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20140722.html

拙著で繰り返し述べていることが丁寧に説明されているのですが、その中のこのマンガがなかなかよくできていて、ジョブ型とメンバーシップ型の本質をよく表しています。

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コメント

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1407/22/news054.html

この記事とあわせると…

そりゃメニューによって使えない食材だってあるだろうに。おいしそうだからといって買ってきたアボカドを肉じゃがに入れたりはしないものです。

こうやって考えると、「ジョブ型」はすでに一定の「職務遂行能力」を持つ人物を外部から調達して、組み合わせていくのに対して、「メンバーシップ型」はメンバーに迎え入れた人物を、無から「職能」を有する人材に育てていくと言えるわけですね。

これは、言葉を変えて言うと農耕型と、狩猟型の対比と言えそうです。

つまり、メンバーシップ型の社会における、労働者は企業が育てる「農作物」であるのに対して、ジョブ型社会における労働者は、企業にとって狩猟対象となる「獲物」といえるでしょう。

あるいは、「農耕」を「牧畜」に置き換えて考えると、なぜ「正社員」が悪い意味で「社畜」と言われるかも、よくわかりますね。

こうやって考えると、なぜ日本が「メンバーシップ型」になり、欧米が「ジョブ型」の雇用形態になったのか、がよくわかります。

だとすると、これらか先の日本の社会で、必要とされる人材として、認められるためには自分で、必要とされる「職務遂行能力」を身につけ、いい意味で「獲物」として評価されるべく努力する。そういう方向に動いていく。

逆にいえば、「職務遂行能力」を自力で身につけることのできない人は排除される。そういう時代になっていくのかもしれないですね。

>農耕型と、狩猟型<←これ比喩としては中々当を得ている表現だと思いました。
そういえば、この「ジョブ型」と「メンバーシップ型」、官僚制の欧米型(猟官制spoils system)と日本型(能力制merit system)というのにも共通するようです。能力制というより、これ、任用されてから訓練されて昇進していくんです(もちろん上がつまっているので椅子がない分は天下りするしかないわけですね…)。
例えば、甲斐素直さんのhttp://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/ronbun/publicservant/ps-frame.htm (「三.任用システムについて」をご参照ください…)にもある通り。でもって、後者の日本型では、政治的中立だけでなく労働基本権の制限も随分とあるような。もちろん欧米でもノンキャリアについては能力制をとってはいますけど。
結局は、明治維新の少し後でマックスウェーバーの理論を行政組織に採用したのだと思いますが、これが長年にわたりある程度安定していたわけですから、民間企業がこの官僚制を採用して、現在に至っているのだろうと思います。違うでしょうか。

endouさん
確かに、そういう部分もあると思いますが、自分としてしては亡くなられた小室直樹さんの主張である、「戦後の日本においては、伝統的な村落共同体が崩壊して、その構造が企業に取りこまれた」という趣旨のことを様々な書籍で書いているので、これが本来「ジョブ型」の組織である企業が「メンバーシップ型」の構造になってしまった理由だと、思っています。

その辺りのことを、他のところで「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」との対比として書いていたりします。

それで、村落共同体の構造が、企業に入り込んだ理由ですが、企業の構造が村落共同体の基本単位である「家制度」に似ていたからでしよう。

これは、渡邉美樹氏の言う悪い意味で「会社は家族だから」という発言に被ってきます。

そうやって考えると、日本の企業が何の能力持っていない、新入社員を高いコストと手間をかけて、「育成(能力を与えていく)」するのかもわかります。

つまり、会社は親であり、親として子供を育てる責任がある、こういう考えがあるからではないでしょうか?

別の言い方をすると、渡邉氏や今般のたかの友梨氏の姿勢や発言は、横暴な父親の無抵抗な子供に対するものと似ていると思います。

ただ、今ではその「家」としての企業の形も壊れてきているので、その先をどうすべきなのかを考える必要があるのですが。

しかし、今の日本の場合全体を見ずに、部分だけを見て「ブラック企業だ」とか「パワハラだ」とかいう傾向が強いので、そういう発想が出てくるかどうかが、まず疑問なのですが。

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