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2014年7月 6日 (日)

幸せのバランス(GliEquilibristi)

12 イタリア映画を見てきました。

http://www.action-peli.com/balance/index.html

ローマ市の職員で福祉課に勤め、妻(エレナ)と二人の子供と穏やかな生活を送っていたジュリオ(40歳)。ふとしたはずみで、同僚の女性に送ったメールから、彼女との浮気がエレナの知るところとなり、夫婦仲は険悪に…。話し合いをして、子供のために、仲の良い夫婦を装うと努力することにしたが、ある日、注文を間違った50代のピザ配達員に同情したジュリオが、エレナの嫌いなアンチョビ・ピザを受け取ってしまったことで、ついにエレナが爆発!子供たちの前で大げんかをしてしまう。「もう繕うことはできない」と言うエレナ。それに対してジュリオは、「君が正しい。私が家を出る」と宣言する。

思春期の娘カミラは、不器用な父親が心配でならず、部屋探しを手伝い、頻繁に連絡して、つながりを保とうとする。だが、限度を超えた借金をし、夜のバイトをしても支払いが追いつかない、ギリギリの二重生活の中で、ジュリオは疲弊し、次第に無口になっていく。それは、安定した職つき平穏に暮らして来たジュリオ本人にとっても、初めて直面する厳しい現実だった…。

中年男性がホームレスになっていく話、といっても、日本で想像するのとは全然違って、妻や娘、息子たちはちゃんと元の家でそれなりに生活しているんですね。離婚が不可能に近いイタリア故に、出て行った夫(父)は、娘のバルセロナ旅行の費用も一生懸命稼いで捻出しながらも、安宿からも逃げて、みじめな車上生活に陥っていくのです。

このあたり、社会のあり方の違いがくっきりと浮かび上がってくる感じがします。

Camila1邦題の「幸せのバランス」はいささか意味不明。原題の「GliEquilibristi」は、「綱渡り」という意味だそうですが、それをひねったタイトルにした方が良かった感じがします。

あと、娘のカミラ役の女優が超かわいい。

今は新宿のK's cinemaだけで上映してます。

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コメント

出ていく前の晩寝かしつけようとして長男ルカからの「短くてもいいからお話してよ」と言われたのに対しての
「○○という名の一頭の家畜がいました。死にました」
というのが暗示的でしたね。
駐車サービス券発行を杓子定規に断った同僚(労働組合の活動に熱心)が
何らかの心身障害(構音障害)がありそうなのは、深い意味はないのでしょうが、イタリアらしくて興味深いですね。
セルビア出身者(ラキヤは最大アルコール度数60%だそうですね)に紹介された安食堂の件と教会による昼食会は、古市氏の日本における牛丼福祉論を連想いたしました。

チラシの解説・紹介文的には、「最後に頼りになるのは家族」というまとめだったようですが、複雑な気持ちです。

なお、官僚的対応で(若いころ一時期アイルランド外で働いていたため役所にミスがあったとかなんとかいう設定だったと思います)、当然の権利として受け取れるべき福祉=住宅サービスが受給できず、駐車場のボロ車に寝泊まりするはめになった初老の男性が主人公の映画として、「ダブリンの時計職人」が最近公開されていました。

タイトルだとわかりにくいですが…

「サンドラの週末」という映画の宣伝を見ました。
”ある金曜日、サンドラは解雇を言い渡される。
くつがえす方法は半数以上の同僚たちが自らのボーナスを諦めること。
彼らを説得してまわる長い週末が始まる。”

こういう解雇もあるんですね・・・

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