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2014年6月 5日 (木)

労働時間規制の核は・・・

大内伸哉さんと言えば、専門書から一般向けの本まで、現代日本で一番多くの労働法の本を出している研究者であることは多分間違いないと思います。

その大内さんが今日の日経新聞の経済教室に「雇用制度改革の視点 経済変化踏まえ見直しを」を書かれています。

内容は、近著『雇用改革の真実』や『解雇改革』などに書かれていることの要約なので、その内容について改めてコメントしませんが、その文章の中のある一節に、日本における実定労働法の規定とはかけ離れた、しかし現実社会ではまがうことなく現実の姿である認識が見事に表現されていたので、それを紹介しておきます。

・・・労働時間改革にも批判が強いが、誤解も多い。労働時間規制の核は、法定労働時間(1週40時間、1日8時間)を超える時間外労働に対して時間比例の割増賃金の支払いを企業に義務づける仕組みだ。・・・

はぁ?どこが問題なんだ?その通りじゃないかと思った方。労働基準法の労働時間規制の根幹である32条を忘れていませんか?

日本の労働基準法は、アメリカの公正労働基準法みたいに物理的時間を規制することなくお金だけを払えと言ってる法律ではありません。ヨーロッパの法律と同様、

・・・・・・超えて労働させてはならない。

と明確に規定しています。だけど、大内さんのような最も有名な労働法学者でさえ、そんな規定は「労働時間規制の核」でも何でもないんですね。そう、今の日本では、32条を持ち出して、1日8時間以上、1週40時間以上働く義務なんてないなんて言えば、頭がおかしいと思われ、下手をすれば懲戒解雇されるのですから、確かにそんなものは「労働時間規制の核」であるはずがありません。

しかし、ということは、大内さんはその「労働時間規制の核」をやめてしまってもいいという議論を、少なくともその主観的意識においてはしていることになります。

結論的には似たようなことを言っているように見えても、どうも基本的なところで違っているな、と感じるのは多分そのあたりに原因があるのでしょう。

私にとって、「労働時間規制の核」とは欧州諸国にあるように物理的労働時間それ自体の規制以外にはないのであって、残業代などというのは賃金規制に過ぎず、基本的に労使の交渉に委ねればいいことに過ぎないという認識があるので、労働時間規制なんかじゃない残業代ごときで国家権力を持ち出させるような過剰規制は見直してもいいんじゃないかと思って論じているのですが、そういう認識で物事を論じているのは、やっぱりごく少数派のようです。

でも、もし残業代こそが「労働時間規制の核」であるんなら、本当にそう思っているんなら、それをそう簡単にやめていいことにはならないと思いますけどね。

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コメント

たまたまですが昨日、菅野先生の本の関連箇所を読んでその深い意味を認識したところでした。「賃金は、制度の形成も額の決定も、基本的には労働契約や労使交渉に委ねられた労働条件であるのに対して、労働時間・休日・休暇は、制度の枠組みも基準も、法による詳細な規制が施された労働条件である」(第10版、326ページ)。

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