フォト
2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 「Et alors」(それがどうしたの?) | トップページ | リベサヨまたは手を使うフットボール »

2014年6月 8日 (日)

残業代はゼロか@日経新聞

本日の日経新聞の「中外時評」で、論説副委員長の水野祐司さんが「残業代はゼロか 労働時間論議、広い視野で」というコラムを書かれています。

http://www.nikkei.com/article/DGKDZO72428910X00C14A6TY7000/

水野さんには以前かなりじっくりとお話をしたこともあり、今日の記事も大きな方向性としては正しいというか、あまり外していない記述になっています。

実りある議論をするには、事実関係をしっかり押さえることが必要だ。労働時間をめぐる制度の見直しもそうだ。

 新しい制度では残業代がゼロになる。毎月の給料が引き下げられるということだ――。見直し論議が世の中の関心を呼ぶにつれて、そんな声が高まっている。が、本当に、「残業代ゼロ」になるのだろうか。・・・

残業代という賃金規制に関わるところについては、残業代ゼロをヒステリックに叫ぶだけの記事よりもよほどまともですし、とりわけ、

・・・残業代の行方に議論が集中することの問題は、労働時間制度をめぐる本質的な議論が進まなくなる点だ。

というのは、この表現自体はまさに我が意を得たり、なんですが、その先の「労働時間制度をめぐる本質的な議論」がなんであるかというところになると、どうもずれを感じざるを得ないところが出てきます。

・・・労働時間規制の対象外になる働き方では、長時間労働に歯止めをかけることが重要になる。年間の労働時間に上限を設けるなどの方法は検討に値するだろう。

年間の上限も「検討に値する」でしょうが、そんな大枠でどこまで歯止めになり得るか職場の現実からするとかなり疑問でしょう。

このコラムは長谷川ペーパーの具体的な提案にはあまり触れていないのですが、一定のフレクシビリティを含んだ勤務間インターバルのような法的な労働時間の上限設定を避けようとするのはなぜなのか、というあたりにももう少しペン先を鋭く刺してほしいところです。

いや実はそれは明らかで、その後に書かれている

・・・もう一つは正社員改革だ。日本の正社員は職務をはっきりさせず雇用契約を結ぶため、受け持つ範囲が曖昧になる。言われるままに仕事が増えがちだ。過重労働対策は、そうした社員像を改めることがカギとなる。・・・

というところを、企業サイドはまるっきり、これっぽっちも、やる気がないからです。冗談じゃねえ、何でも好きに使える無限定正社員というありがたい存在を何でわざわざ捨てなきゃいけないんだ、と思っているんです。それはかなりはっきりしてます。

それをそのままにして賃金の払い方だけ変えたいという欲望に対して、残業代ゼロがケシカランという後ろ向きの反応だけやってても意味がないし、言うがままに無限定正社員のまま賃金の規制緩和を認めても物事がいい方向に進むわけではない。

だからこそ、そこに物理的な労働時間の上限という規制を導入しながら硬直的な賃金規制の緩和を組み合わせていくことが重要になるのです。

そういう意味でこれはかなり高度な戦略が必要になる物事なのであって、この水野さんのコラムもそのための陣地取り合戦の一環なんですね。

« 「Et alors」(それがどうしたの?) | トップページ | リベサヨまたは手を使うフットボール »

コメント

産業競争力会議の長谷川雇用・人材部会主査より提案された「新たな労働時間制度」において、

Bタイプの「高収入・ハイパーフォーマー」は、年収が1千万円程度以上を対象者として仕事の成果・達成度に応じて報酬を支払うタイプしている。
・・・とりあえず、それはありかなということにしておく。

問題はAタイプの「労働時間上限要件型」というタイプで、労使の合意と本人の選択希望をもとに、労働時間に応じてではなく、職務内容や成果等を反映して報酬を支払うタイプであるとしている。

労使の合意など、中小企業など組合がないところもあるし、組合があっても36協定や裁量労働制など、労使協定がどれだけ日本の長時間労働を抑制するのに機能してきたといえるのか?

本人の選択希望というけれど、弱い立場の雇用者に選択の余地はない。「労働時間上限要件」とは何なのか?雇用者を長時間労働から守るための法的拘束力がどこにあるのかよくわからない。

安倍首相が、「時間ではなく成果で評価される働き方にふさわしい新たな労働時間制度の仕組みを検討してほしい」と述べられたそうである。

「新たな労働時間制度」では、「働いた時間ではなく成果に賃金を支払う」として、狙いは「多様で柔軟な働き方を可能にする」にあるとしている。

長谷川主査の提案は、「職務内容、成果目標、報酬額、労働時間枠などを事前に企業側と協議し、本人の希望選択と労使合意で決める」ことにより「多様で柔軟な働き方を可能にする」ということなのだろう。

いつのまにか、「柔軟な働き方」と「成果に賃金を支払う」が合体してしまったようである。なぜ「柔軟な働き方」と「時間に賃金を支払う」が整合しないのかよくわからない。「職務内容、成果目標、報酬額、労働時間枠などを事前に協議し」労働時間に応じて賃金を支払えばよいではないか?

そもそも、労働者と経営者、自営業者、高度な専門家、芸術家は違う。労働者は職務と労働時間に対して報酬を得るのであって、その成果に対して報酬を得るなどという理屈は世界中どこにいってもないだろう。彼らは雇われる人である。

雇われる人と雇う人の報酬が違うのは当然である。経営者はや自営業者は、企業業績に応じて破格の報酬を得ることも可能である。彼らの報酬こそ成果に対する報酬である。

労働者の成果と報酬の対応を誰が決めるのか?経営者の報酬が500万ドル であったとして、労働者の報酬が5万ドルだとすると、その成果に100倍もの違いがあると誰が決めるのか?その決定は合理的といえるのか?

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 残業代はゼロか@日経新聞:

« 「Et alors」(それがどうしたの?) | トップページ | リベサヨまたは手を使うフットボール »