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規制なくして監督指導は可能か?@『労基旬報』

『労基旬報』6月25日号に、「規制なくして監督指導は可能か?」を寄稿しました。

 労働時間法制をめぐる政府部内の議論が急展開しています。4月22日には産業競争力会議雇用・人材分科会の長谷川主査の「個人と企業の成長のための新たな働き方」と題するペーパーが示され、5月28日は「個人と企業の持続的成長のための働き方改革」というペーパーが示されました。前者はA4版で7ページの普通の文書ですが、後者は絵解きが中心のパワポ資料で説明は簡略化されています。
 これらについてはマスコミや論壇でも賑やかに議論されていますし、私もさまざまな機会に私見を述べています。しかし、ここではむしろ、これら長谷川氏の名で出された資料それ自体に内在する矛盾点について指摘しておきたいと思います。
 これら資料はいずれも、いうところの「新たな労働時間制度」の説明に入る前の段階で、「働き過ぎ防止の総合対策」とか「改革の大前提:働き過ぎ防止、ブラック企業撲滅」なる項目が立てられ、「まずは、長時間労働を強要するような企業が淘汰されるよう、問題のある企業を峻別して、労働基準監督署による監督指導を徹底する」とか「政府(厚生労働省)は、企業による長時間労働の強要等が行われることのないよう、労働基準監督署等による監督指導を徹底する等、例えば「ブラック企業撲滅プラン」(仮称)を年内に取りまとめ、政策とスケジュールを明示し、早期に対応をする。」と書かれています。
 いうまでもなく、労働基準監督官とは労働基準法その他の労働条件法令を施行するために司法警察官の職務を行う国家権力の一機関です。ですからその行使しうる権限はあくまでも法律によって与えられた違法な行為の摘発であって、違法ではないのに「世の中的にけしからんから」などという理由で権限を行使することは許されるものではありません。もちろん、かつての週休二日制などの時短指導のように、法律上の監督指導とは区別されたいわゆる政策目的の行政指導をすることはありますが、それは違法行為の摘発ではないのですから、従うか否かは使用者の任意です。これは法律学のイロハに類するごく基本的な認識です。
 ところが官邸に設置され、経済産業省出身の精鋭官僚たちが事務局を務めているはずの産業競争力会議が提示したペーパーであるにもかかわらず、こらら長谷川ペーパーは一体企業のどういう行為を「監督指導」したり「淘汰」したり、果ては「撲滅」したりしようとしているのか、よく理解できないところがあります。
 これは私が今までさまざまな機会に繰り返し強調してきたことですが、日本の労働基準法は一応1日8時間、週40時間という「上限」を定めていますが、実際は36協定によって法律上は無制限の時間外・休日労働が可能となっています。少なくとも、ある一定時間を超えて働かせたらその長時間労働それ自体が違法になるというような仕組みは存在しません。かつて男女均等法以前は女性については1日2時間、週6時間、1年150時間という上限があったので、労働基準監督官が夜中に繊維工場に夜襲をかけてそこで働いている女性がいれば、残業代を払っていようがいまいが、それだけで直ちに摘発できたのです。しかし今はそういう規制は年少者だけです。
 では、長時間労働だけでは違法にはならない日本で、監督官たちは何を監督指導できるのかといえば、(36協定がある限り)残業代をちゃんと払っているか否かしかありません。本来は労働時間規制ではなく賃金規制に過ぎない残業代が、労働時間に関わるほとんど唯一の摘発可能事項になってしまっていることにこそ、現代日本の労働法制の歪みがある、というのが私の年来の主張ですが、それはとりあえずさておきましょう。
 長谷川ペーパーはとりわけ5月28日のパワポ資料を見る限り、現業職、定型的・補助的業務、 経験の浅い若手を除けば、ほとんどのホワイトカラー労働者が対象になり得る設計になっています。そこはかなり批判の的になっていますが、労働時間と報酬のリンクを切り離すという政策目的からすれば、それも一つの考え方ですし、賃金の在り方は(最低賃金をクリアする限り)労使間で決定すべきというのが労働法の大原則です。しかし、忘れてはならないのは、これは現代日本で監督官が労働時間に関わってほとんど唯一「監督指導」できる事項であるという点です。どんな長時間労働をさせてもそれだけでは摘発できない現代日本で、不払い残業だけは見つけ次第摘発し、是正させることのできるドル箱的存在でした。
 マスコミはこのいわゆる「残業代ゼロ法案」を、もっぱら残業代というお金がもらえなくなるという点でしか考えていないようで、仮に残業代という賃金規制の面ではそれなりに合理性があるとしても、それが監督官による監督指導の余地を失わせるものであるという視点からの批判はあまり見当たらないようです。しかし、短時間で期待される成果を出せない労働者は、成果を出そうとしてますます長時間労働を余儀なくされる可能性も高く、その場合今まで唯一存在した残業代という間接的なセーフティネットもないのですから、無制限の長時間労働に歯止めをかける仕組みはどこにも存在しないことになります。
 いや、言葉の上では長谷川ペーパーにも「労働時間上限」という言葉はあります。しかし、それは少なくともそれを根拠として監督官が「監督指導」することができる法的な労働時間の上限ではなさそうです。4月22日のペーパーでは、Aタイプに「労働時間上限型」などという麗々しい名称が付いているにもかかわらず、「対象者の労働条件の総枠決定は、法律に基づき、労使合意によって行う。一定の労働時間上限、年休取得下限等の量的規制を労使合意で選択する。」と書かれていて、結局現在の36協定における「上限」と同様、法的には上限は設けないという趣旨のようです。5月28日の資料でも「対象者に対する産業医の定期的な問診・診断など十分な健康確保措置」とありますが、現行労働安全衛生法で月100時間を超える時間外労働をさせる場合は産業医の面接指導を義務づけていますから、そのレベルの時間外労働をやって産業医の面接指導を受けることは当然の前提と言うことなのでしょう。さらに、「量的上限規制を守れない恒常的長時間労働者、一定の成果がでない者は一般の労働管理時間制度に戻す」と言っているということは、もし法律上の上限であれば「守れない」その段階で法違反ですから、戻すも戻さないも摘発対象のはずですが、そういうことはまったく想定していないようです。
 つまり、「新しい労働時間制度」の説明のどこをどう読んでも労働時間の法的上限設定は出てこず、かつこれまで唯一摘発の手段であった残業代規制をなくすというのですから、「監督指導を徹底」とか「ブラック企業撲滅」などという空疎な言葉だけで発破をかけられた労働基準監督官たちは、何をどう摘発し、是正させたらいいのか、まったく意味不明の荒野に追いやられてしまうことになりますね。
 まさか産業競争力会議の委員や事務局諸氏が、労働基準監督官に合法的な行為を「監督指導」したり果ては「撲滅」したりさせようとしているのではないと信じたいところですが、信じ切れないところがつらいところです。

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コメント

産業競争力会議雇用・人材分科会の長谷川主査の「個人と企業の持続的成長のための働き方改革」というペーパーに目を通してみた。
この中で、「新しい労働時間制度の創設」について、”時間ではなく成果で評価する働き方”をキャッチコピーとしてうたっているが、しっくりこない。

* 成果を出せば適切な処遇もするし、短時間で帰宅してもよいというなら、それぞれの企業の取組で行えばよいのではないか?あえて政策メニューで取り上げるほどのことではない。

* 新しい労働時間制度の対象者は限定的としているが、”一定の責任ある業務・職責を有するリーダー”ということであれば、管理職手前の係長や主任という人達・・・?ホワイトカラーエグゼンプションの範囲を管理職から係長や主任に(将来的には)広げるということなのか?

* 職務経験が未熟、成果が出ないものは対象外としているが、雇用者の報酬は職務内容(職階)と労働時間によるのが基本的な考え方だろう。成果に対しては、プロモーションで報い、その結果報酬も多くなるということである。

* 雇う人と雇われる人の報酬体系は違う。雇われる人の報酬はコストとして支払われるのに対して、経営者の報酬は会社が稼いだ利益に対して支払われる。

* 欧米企業でホワイトカラーエグゼンプションはあるが、週35時間労働がデフォルトとして定着している。週60時間以上働くことも日常茶飯事という社会でのホワイトカラーエグゼンプションとは違う。

* 効率的な働き方をしようということなら、まず社内全体で無駄な作業をなくす、全社的に業務終了時刻を決める、・・・という取組を行えばよい。伊藤忠商事はこのような取り組みで実績を上げているそうである。

* 政策メニューで効率的な働き方を目指すならば、むしろ労働時間の上限規制である。

* 長時間労働の防止は、健康確保は当然であるが、文化の問題である。欧米では週60時間以上も働いて自分の生活を犠牲にしようと考える人はほとんどいない。

* 「働きすぎ防止」として残業時間データの開示をあげているが、まず従業員の労働時間の把握を提案したい。管理職であるかないかにかかわらず全従業員の労働時間の把握をし、労働時間の短縮に取り組むべきである。


投稿: hiro | 2014年7月 1日 (火) 00時26分

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