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2014年6月

2014年6月30日 (月)

規制なくして監督指導は可能か?@『労基旬報』

『労基旬報』6月25日号に、「規制なくして監督指導は可能か?」を寄稿しました。

 労働時間法制をめぐる政府部内の議論が急展開しています。4月22日には産業競争力会議雇用・人材分科会の長谷川主査の「個人と企業の成長のための新たな働き方」と題するペーパーが示され、5月28日は「個人と企業の持続的成長のための働き方改革」というペーパーが示されました。前者はA4版で7ページの普通の文書ですが、後者は絵解きが中心のパワポ資料で説明は簡略化されています。
 これらについてはマスコミや論壇でも賑やかに議論されていますし、私もさまざまな機会に私見を述べています。しかし、ここではむしろ、これら長谷川氏の名で出された資料それ自体に内在する矛盾点について指摘しておきたいと思います。
 これら資料はいずれも、いうところの「新たな労働時間制度」の説明に入る前の段階で、「働き過ぎ防止の総合対策」とか「改革の大前提:働き過ぎ防止、ブラック企業撲滅」なる項目が立てられ、「まずは、長時間労働を強要するような企業が淘汰されるよう、問題のある企業を峻別して、労働基準監督署による監督指導を徹底する」とか「政府(厚生労働省)は、企業による長時間労働の強要等が行われることのないよう、労働基準監督署等による監督指導を徹底する等、例えば「ブラック企業撲滅プラン」(仮称)を年内に取りまとめ、政策とスケジュールを明示し、早期に対応をする。」と書かれています。
 いうまでもなく、労働基準監督官とは労働基準法その他の労働条件法令を施行するために司法警察官の職務を行う国家権力の一機関です。ですからその行使しうる権限はあくまでも法律によって与えられた違法な行為の摘発であって、違法ではないのに「世の中的にけしからんから」などという理由で権限を行使することは許されるものではありません。もちろん、かつての週休二日制などの時短指導のように、法律上の監督指導とは区別されたいわゆる政策目的の行政指導をすることはありますが、それは違法行為の摘発ではないのですから、従うか否かは使用者の任意です。これは法律学のイロハに類するごく基本的な認識です。
 ところが官邸に設置され、経済産業省出身の精鋭官僚たちが事務局を務めているはずの産業競争力会議が提示したペーパーであるにもかかわらず、こらら長谷川ペーパーは一体企業のどういう行為を「監督指導」したり「淘汰」したり、果ては「撲滅」したりしようとしているのか、よく理解できないところがあります。
 これは私が今までさまざまな機会に繰り返し強調してきたことですが、日本の労働基準法は一応1日8時間、週40時間という「上限」を定めていますが、実際は36協定によって法律上は無制限の時間外・休日労働が可能となっています。少なくとも、ある一定時間を超えて働かせたらその長時間労働それ自体が違法になるというような仕組みは存在しません。かつて男女均等法以前は女性については1日2時間、週6時間、1年150時間という上限があったので、労働基準監督官が夜中に繊維工場に夜襲をかけてそこで働いている女性がいれば、残業代を払っていようがいまいが、それだけで直ちに摘発できたのです。しかし今はそういう規制は年少者だけです。
 では、長時間労働だけでは違法にはならない日本で、監督官たちは何を監督指導できるのかといえば、(36協定がある限り)残業代をちゃんと払っているか否かしかありません。本来は労働時間規制ではなく賃金規制に過ぎない残業代が、労働時間に関わるほとんど唯一の摘発可能事項になってしまっていることにこそ、現代日本の労働法制の歪みがある、というのが私の年来の主張ですが、それはとりあえずさておきましょう。
 長谷川ペーパーはとりわけ5月28日のパワポ資料を見る限り、現業職、定型的・補助的業務、 経験の浅い若手を除けば、ほとんどのホワイトカラー労働者が対象になり得る設計になっています。そこはかなり批判の的になっていますが、労働時間と報酬のリンクを切り離すという政策目的からすれば、それも一つの考え方ですし、賃金の在り方は(最低賃金をクリアする限り)労使間で決定すべきというのが労働法の大原則です。しかし、忘れてはならないのは、これは現代日本で監督官が労働時間に関わってほとんど唯一「監督指導」できる事項であるという点です。どんな長時間労働をさせてもそれだけでは摘発できない現代日本で、不払い残業だけは見つけ次第摘発し、是正させることのできるドル箱的存在でした。
 マスコミはこのいわゆる「残業代ゼロ法案」を、もっぱら残業代というお金がもらえなくなるという点でしか考えていないようで、仮に残業代という賃金規制の面ではそれなりに合理性があるとしても、それが監督官による監督指導の余地を失わせるものであるという視点からの批判はあまり見当たらないようです。しかし、短時間で期待される成果を出せない労働者は、成果を出そうとしてますます長時間労働を余儀なくされる可能性も高く、その場合今まで唯一存在した残業代という間接的なセーフティネットもないのですから、無制限の長時間労働に歯止めをかける仕組みはどこにも存在しないことになります。
 いや、言葉の上では長谷川ペーパーにも「労働時間上限」という言葉はあります。しかし、それは少なくともそれを根拠として監督官が「監督指導」することができる法的な労働時間の上限ではなさそうです。4月22日のペーパーでは、Aタイプに「労働時間上限型」などという麗々しい名称が付いているにもかかわらず、「対象者の労働条件の総枠決定は、法律に基づき、労使合意によって行う。一定の労働時間上限、年休取得下限等の量的規制を労使合意で選択する。」と書かれていて、結局現在の36協定における「上限」と同様、法的には上限は設けないという趣旨のようです。5月28日の資料でも「対象者に対する産業医の定期的な問診・診断など十分な健康確保措置」とありますが、現行労働安全衛生法で月100時間を超える時間外労働をさせる場合は産業医の面接指導を義務づけていますから、そのレベルの時間外労働をやって産業医の面接指導を受けることは当然の前提と言うことなのでしょう。さらに、「量的上限規制を守れない恒常的長時間労働者、一定の成果がでない者は一般の労働管理時間制度に戻す」と言っているということは、もし法律上の上限であれば「守れない」その段階で法違反ですから、戻すも戻さないも摘発対象のはずですが、そういうことはまったく想定していないようです。
 つまり、「新しい労働時間制度」の説明のどこをどう読んでも労働時間の法的上限設定は出てこず、かつこれまで唯一摘発の手段であった残業代規制をなくすというのですから、「監督指導を徹底」とか「ブラック企業撲滅」などという空疎な言葉だけで発破をかけられた労働基準監督官たちは、何をどう摘発し、是正させたらいいのか、まったく意味不明の荒野に追いやられてしまうことになりますね。
 まさか産業競争力会議の委員や事務局諸氏が、労働基準監督官に合法的な行為を「監督指導」したり果ては「撲滅」したりさせようとしているのではないと信じたいところですが、信じ切れないところがつらいところです。

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集団的労使関係の構築@『損保労連GENKI』6月号

110『損保労連ホットラインGENKI』6月号に、「集団的労使関係の再構築について」 を寄稿しました。

「集団的労使関係の再構築について」
 
 近年、労働者派遣法、解雇法制、非正規労働、ジョブ型正社員、労働時間規制など、労働法制をめぐる話題が目白押しです。筆者も新聞テレビなどマスコミから解説を求められることがしばしばあります。こうした機会に「これからの労働法制の課題は何でしょうか?」という質問をよく受けますが、これに対し筆者は必ずといって良いほど「集団的労使関係システムのあり方をめぐる問題でしょう」と答えています。現時点では政労使いずれの側においても、集団的労使関係システムのあり方や改革について、政策課題のアジェンダには挙げられていませんが、現在議論されている様々な課題の背後には、この問題が影を潜めていると考えるからです。
 この集団的労使関係について、ここ数年、政府の各研究会では、さまざまな問題提起がされており、非正規労働者の均等処遇問題に関しては一定の方向性が示されています。例えば、2011年に「今後のパートタイム労働対策に関する研究会」や2012年に「非正規雇用のビジョンに関する懇談会」で取りまとめられた報告書では、非正規労働者の処遇改善のために「集団的労使関係システムが企業内の全ての労働者に効果的に機能する仕組みの整備が必要」であることが提示されています。また2013年に取りまとめられた独立行政法人労働政策研究・研修機構の「様々な雇用形態にある者を含む労働者全体の意見集約のための集団的労使関係法制に関する研究会」の報告書では、現在の集団的発言チャネルである過半数労働組合と過半数労働者の課題として、前者には非正規労働者などへの非組合員への配慮、後者には過半数代表者における交渉力の強化やその正当性の確保などを課題として挙げるとともに、その課題解決に向けたシナリオとして、 次のことが提示されています 。

(1) 現行の過半数代表制の枠組を維持しつつ、過半数労働組合や過半数代表者の機能の強化を図る方策
(2) 新たな従業員代表制を整備し、法定基準の解除機能等を担わせる方策

 
また、法制面からも、2012年に改正された労働契約法第20条では、「期間の定めがあることによる不合理な労働条件の禁止」が掲げられており、これを企業や職場レベルで法の趣旨に則った対応を行っていくうえでは、労働側の交渉者がそこで働く非正規労働者を代表していくことは不可欠であり、むしろその立場を代表せずに労使交渉すすめていくことはもはや許されない状況になっているものと考えます。
以上のように、集団的労使関係システムのあり方は、非正規労働者の均等処遇の問題のみを取り上げても論議を尽くしていくべき重要な問題ではあります。
 一方で、昨年来の第2次安倍内閣による労働法制の見直しの動きのなかで、集団的労使関係の再構築の必要性を高めるさらに重大な論点が浮上してきました。「新たな労働時間制度」という名の下に打ち出されようとしている仕組みです。これについては本誌12月号でも述べたとおり、労働時間規制と賃金規制の2つの論点があります。
1つめの労働時間規制の論点からは、まず何よりも長時間過重労働の趨勢を打開するために、1日の勤務と次の日の勤務の間に決まった休息時間を確保するいわゆる勤務間インターバル規制など、物理的労働時間規制を強力に進めることが必要です。こちらは集団的労使関係というよりも労働基準監督システムの強化が必要でしょう。
 また2つめの賃金規制の論点からは、賃金と時間のリンクを外し、成果で処遇を決めていくという賃金制度の問題について、それが単なる人件費削減の手段として用いられることなく、労働者相互間の公平感覚に沿った形で運用されるためにも、強力な交渉力を持つ集団的労使関係の担保が不可欠です。しかしながら、この点において、現行の36協定における(労働組合ではない)過半数代表者による労使関係の実態を踏まえれば、その実効性は絶望的といわざるを得ません。長時間労働に対しては労働者側も容認的な社会ゆえに、事実上会社指名に近いような状況が黙認されてきたわけですが、時間外手当をどうするかという賃金問題に関してはとても現行システムのままで耐えられる状況ではありません。
 この点については、政府の規制改革会議や産業競争力会議も十分に認識しており、その対処として「新たな労働時間制度」においては「当初は過半数組合のある企業に限定する」という項目を盛り込んでいます。
ただし、ここでの「当初は」との記載は言い換えれば過半数組合のない企業にも今後拡大していくことを意味するものです。現在の組合組織率(2013年6月末時点の組織率17.7%「厚生労働省調査」)の状況をふまえれば、「労働者が組合を作らないからといって、なぜ我々の会社が差別されなければならないのか」という労働組合のない企業からの不満をいつまでも抑えることができるとは思えませんので、当然の帰結であろうと考えます。
このように、労働時間制度は、非正規労働者の処遇の問題以上に労働組合としての決断を迫られる正念場になると考えますし、今までの延長線上の議論だけで済む問題ではなくなりつつあります。
 過去、労働契約法制定の際に、就業規則の不利益変更や解雇の金銭解決に関して労使委員会の活用が提起されたこともありますが、労働組合の組織率が低下し続けるなか、あらためて労働者の利益に関わる集団的な枠組みをどのように再構築していくのかが、個別政策課題を貫く中期的課題のアジェンダとして浮かび上がってきつつあるのです。

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2014年6月29日 (日)

『立法学のフロンティア』の案内

ナカニシヤ出版のサイトに『立法学のフロンティア』全3巻の宣伝がアップされたようなので、こちらでも一応紹介しておきます。

http://www.nakanishiya.co.jp/modules/myalbum/viewcat.php?cid=14&num=1&orderby=lidA&pos=68

[立法学のフロンティア]

55年体制の終焉以後、立法の再活性化ともいうべき現象が起こっている。会社法の大改正や刑法における重罰化、可罰行為の早期化、裁判員制度の導入や民法大改正の議論など、基本法分野における重大な法改正が矢継ぎ早になされ、「政治主導」の掛け声のもとで法制審議会や内閣法制局などの影響力が相対的に低下し、立法システムそのものにも大きな変動がもたらされている。

このような現代日本の立法システムの変動が孕む問題点は何か。民主社会において「より良き立法」はいかにして可能か。本シリーズは、立法の改善のための的確な指針を提示しうるための、立法学の再構築を目的とした、学際的な協働の企てである。

【第1巻】立法学の哲学的再編

より良き立法のために立法の意義を原理的に問い直し、その哲学的基盤を再構築する。

刊行にあたって

序――立法学における<立法の哲学>の基底的位置 井上達夫

第I部 立法学の法哲学的基盤構築

第1章 立法理学としての立法学――現代民主政における立法システム再編と法哲学の再定位 井上達夫

第2章 規範的法実証主義の立法理論 横濱竜也

第3章 功利主義者の立法理論 安藤 馨

第4章 フェミニズム法理論における立法の復権 池田弘乃

第II部 立法の政治哲学と経済理論

第5章 政治的公共圏から見る立法――法の「作者」と「編者」 齋藤純一

第6章 可謬主義と熟成主義の立法過程論 橋本 努

第7章 ハイエク立法理論の再検討――立法過程の政治哲学としての可能性 井上 彰

第8章 公共選択論と立法 鳥澤 円

第III部 立法学の思想史的再考

第9章 フランス政治思想史から見た立法の意義 宇野重規

第10章 法手論争から市民的公共圏へ――立法と教養 吉永 圭

第11章 ミル・代議制・中国 谷口功一

第12章 福澤諭吉の立法者像――帝国議会と統治の意義 桂木隆夫

【第2巻】立法システムの再構築

立法の「質」の確保に向けた制度的保障枠組みを探求し、民主政のあり方を問い直す。

序――立法システムの再構築 西原博史

第I部 統治構造における立法

第1章 憲法構造における立法の位置と立法学の役割 西原博史

第2章 熟議の担い手としての議会と裁判所 駒村圭吾

第3章 立法の「質」と議会による将来予測 宍戸常寿

第4章 財政システムと立法 藤谷武史

第II部 立法プロセスの動態と構造

第5章 衆参ねじれ国会と政権の運営 川人貞史

第6章 日本におけるウェストミンスター・モデルの適合性 古川俊治

第7章 立法システムとNPO、シンクタンク 加藤秀樹

第III部 国家主権の相対化と法

第8章 国の立法と自治体立法――「正統な」自治体立法の規範理論 大津 浩

第9章 多文化社会の法システム――北欧諸国の経験から 稲田恭明

第10章 法整備支援――立法システムの立ち上げ 大屋雄裕

第11章 グローバル化の中の立法システム――国内立法過程から見た国際法定立過程 郭 舜

【第3巻】立法実践の変革

活発化する法改正実践において、その現状と立法の「質」を問い、改善のための指針を提示する。

序――各法領域の立法実践とその改革の方途 井田良・松原芳博

第I部 総論

第1章 「より良き立法」へのプロジェクト――ハート=サックス<The Legal Process>再読 高見勝利

第2章 立法における法・政策・政治の交錯とその「質」をめぐる対応のあり方 川﨑政司

第3章 責任プロセスにおける立法者――選挙・熟議・説明責任 瀧川裕英

第II部 刑事立法

第4章 近年における刑事立法の活性化とその評価 井田 良

第5章 立法化の時代における立法学 松原芳博

第6章 裁判員制度の立法学的意義 亀井源太郎

第III部 民事立法

第7章 民法(債権法)改正過程と立法過程の在り方 山田八千子

第8章 家族制度改革における立法の位置 大島梨沙

第IV部 社会経済立法

第9章 会社法改正の力学 中東正文

第10章 最近の労働法における立法学的問題 奥田香子・中窪裕也

第11章 労働立法と三者構成原則 濱口桂一郎

ということで、全3巻の一番最後っ尻にわたくしの「労働立法と三者構成原則」がくっついております。

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2014年6月28日 (土)

『新しい労働社会』第9刷

131039145988913400963という間にも、岩波書店から『新しい労働社会』の第9刷目を出すことになったという連絡をいただきました。

5年前に始めてこの新書本を出してから、この間に4冊の新書を各社から出させていただきましたが、やはり最初に出したこの本が内容的にも一番凝縮して書いた記憶があります。

ロングセラーとして読み継がれていることについて、読み続けてきていただいた読者の皆様に心から感謝申し上げます。

なお、岩波書店の「男女共同参画週間」というホームページ上のフェアでも、この本が取り上げられていました。

http://www.iwanami.co.jp/keyword/gender.html

訪欧中にも、読書メーターにこの本の感想がアップされていました。「DSCH」さんです。

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/39164516

日本の雇用システムと労働政策について国際比較と歴史的考察によりさまざまな問題点が整理されている本書は、非正規雇用やワークライフバランス等について考える際のよりどころとして最適だと思う。企業別労働組合が従業員代表として全社員の利益を集約できていない点については、最近、大企業で非正規労働者を組合員とする動きが拡大しつつある中で、鋭い指摘であると感じた。また、労働政策審議会の三者協議による政策形成過程と経済財政諮問会議による政治との関係等、考えさせられる内容も豊富である。

また、「ブクログ」にも新たな感想がアップされています。「板橋区民」さんです。

http://booklog.jp/users/okm04635/archives/1/4004311942

日本型雇用慣行の成り立ちと、労働法からみた現代の雇用にまつわる諸課題を丁寧に解説してあり、非常に分かりやすい。

終身雇用、年功的職能給制度、企業別組合、ホワイトカラーの長時間サービス労働などはすべて’日本型雇用システム’を支える重要なパーツであり、すべてつながっている。従ってどれか一つだけ変えようとしてもうまく行かないことがよく理解できた。これらはある意味日本文化の本質とでも言うものであり、一朝一夕には変わらないだろうが、いずれグローバルスタンダードに収れんしていくように思われる。

いまは非正規労働者というカースト外の身分を作ってそこにしわ寄せすることで何とか外国勢と戦っているが、今後若年労働者が減少し、多くの老人を支えるべき高生産性を実現していくにはサステナブルなシステムではない。

なお、最新の『日本の雇用と中高年』に対しても、amazonでレビューが付いていましたが、こちらは旧著への書評もまとめてやっていただいているお徳用版です。「izago」さんによる「著者の他の新書2冊とあわせて読めば、日本の雇用の現代史がわかる」という書評です。

http://www.amazon.co.jp/review/R3P8XI9GSEWXXT/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=4480067736&channel=detail-glance&nodeID=465392&store=books

112483 日本の雇用と労働法 (日経文庫)

この本で、日本の雇用の(現場での)あり方と、労働法制の現代史が分かります。戦中の総動員体制や、戦後の経済の発展と労働法制の変遷など、幅広く経済の現代史にも触れながら、現在の日本の雇用のスタイル(新卒採用からはじまり、ジョブローテーションや広域にわたる転勤、定年退職まで)の成立を説明しています。また、本書で、著者の主要な主張である「メンバーシップ型からジョブ型へ」という改善の方向が語られています。

Chuko 若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす (中公新書ラクレ)

この本では、『日本の雇用と労働法』と同様に、日本経済と雇用、労働法制の関係について概要を確認しつつ、若者の雇用に焦点を当てています。さらに、本書では、若者を労働市場に送り込む側、つまり教育システムのあり方についても言及があります。子を持つ親、教育に関わっている人、企業の採用担当者、人材育成担当者には、ぜひおすすめしたい素晴らしい本です。

26184472_1 そしてこの『中高年』では、日本の雇用と社会保障の関係について述べられています。相変わらず著者の視野が広く、とても勉強になりました。著者が本書で繰り返しているのは、「無駄な世代間闘争をやめましょう」ということです。誰かが一方的に損をしていると考えて、誰かを罰すればよい、という考えではダメだ、というのです。どうしても「自分たちの世代は損をしているのではないか」と思ってしまいがちですが、本書は冷静に考えさせてくれました。ただ、これ(「メンバーシップ型からジョブ型へ」という提言)の実現には、なかなか時間がかかるだろうと思いました。その方向はとても納得がいくものですが、教育システム・社会保障システムとの関係まで考えるとなると、かなり大変そうです。だからこそ、多くの人に読んでもらい、考えてもらいたい。そう思いました。

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労働政策フォーラム 24年改正労働契約法への対応を考える

201406_2『ビジネス・レーバー・トレンド』7月号が発売されたので、前月号の6月号がJILPTのHPにアップされました。

その中に、3月10日に開かれた労働政策フォーラム「24年改正労働契約法への対応を考える」のパネルディスカッションの記録ものっています。

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2014/06/013-030.pdf

パネリストは:

(パネリスト)

徳住 堅治旬報法律事務所弁護士

水口 洋介東京法律事務所弁護士

安西 愈安西法律事務所弁護士

木下 潮音第一芙蓉法律事務所弁護士

濱口 桂一郎JILPT 統括研究員

(コーディネーター)

菅野 和夫JILPT 理事長

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ここでは、私の発言部分のみをアップしておきますが、もちろん他の弁護士の先生方の発言は一つ一つが大変深いものですので、ぜひリンク先でお読みくださいますよう。

ヨーロッパ的な非正規労働法制

濱口 立法政策の観点から若干の批評、コメントを加えます。

今回の改正労働契約法の特徴は、極めてヨーロッパ的な非正規労働法制であることです。それはどこかと申しますと、有期契約の反対概念が無期契約であることです。当たり前と思われるかもしれませんが、EUの非正規労働法制では、パートの反対概念はフルタイム、有期の反対は無期、派遣の反対は直用です。でも、日本は違います。パート法における反対概念は「通常の労働者」で、フルタイムではありません。

この「通常の労働者」は、日本的な正社員の法律的表現です。雇用契約が終了するまでの全期間において、職務の内容や配置が変更されると見込まれないと通常の労働者ではないのです。それを前提にパート法ができています。これに対して今回の労契法は、単純に有期と無期を対比させています。若干つくり方は違いますが、ヨーロッパの法律と同じように、有期を反復更新して五年を超えると無期になれるとしています。また、有期と無期の処遇について不合理と認められるものであってはならないとしています。極めてシンプルで、ヨーロッパ的です。

ところが、このヨーロッパ的な有期契約法制を、 「通常の労働者」 、あるいは常用代替防止という概念が満ちあふれている日本の法制の中に放り込むと、思わぬリパーカッションが出てきます。

労使にゆだねられる無期化後の契約

典型的なのは、「有期を五年反復したら正社員にしろとは何事だ。入口が違うのに何で終身雇用にできるのだ」という反発です。これは当然の話で、人材活用の仕組みが違うのに、五年経っただけで正社員にできるはずはありません。この法律はそんなことを要求していません。 「有期を無期にしろ。期間の定めがない契約にしろ」と言っているだけです。誤解する人がいるといけないので、労働条件を変えなくていいとも書いてあり、別段の定めもいいとあります。

反復更新して五年経った後、無期化する際、どういう契約にするか。「ただ無期」という言葉がありますが、有期をただ無期にしただけのミニマムから、完全にぴかぴかの正社員になるマキシマムまで、実にさまざまな選択肢があり、どれをとってもいいのです。法律上は違法でも何でもありません。会社側に委ねられている、あるいは労使に委ねられているのです。先ほどの事例報告でもありましたが、その間に会社の人材ニーズから制度をつくっていくことが可能な仕組みとなっています。必ずしもフレキシブルであることをめざしたわけではないのですが、日本的な法制度の中にヨーロッパ的な仕組みを導入したことで、非常にフレキシブルな、多様な選択が可能な法制になっていることを、念頭に置いたほうがいいのではないかと思います。

では、ぎりぎりのミニマムの意味は何かを考えますと、結局、雇止めができなくなることに尽きると思います。雇止めができなくなるという意味では、一九条と何の違いがあるのかという話になります。細かい話になりますが、一九条は雇止めができない有期が続く、一方、一八条は無期になることによって雇止めができない。どちらも一六条の解雇権濫用法理のもとにある解雇は当然できることになります。どういう解雇ができるのかは、それぞれの雇用のあり方によって、さまざまな判断がなされると思います。これが一八条、そして付随的に一九条に係る話です。

二〇条についても、似たところがあります。これも有期と無期を対比していますが、実はパート法との関係では、複雑です。現在のパート法八条一項は、通常の労働者と同視すべき短時間労働者という形で差別禁止と言えるパート労働者を絞っています。ところが今回のパート法の改正案の新八条では、通常の労働者とパート労働者に二〇条を当てはめるという、不思議な形になっています。二〇条は有期と無期なのです。その規定はEUのやり方と同じですが、EUのほうは、もろもろの判断要素というのは入っていません。では、ないのかというと、そんなことはないはずで、書かなくても他の条件が等しければということです。

ところが、日本ではパート法は他の条件が違うことを前提としてこういう形になっています。やはりこの二〇条も非常にミニマム、要はぎりぎり不合理と認められるものであってはならないところから、マキシマムで言えばまったく同じ処遇まで非常に幅の広い対応が可能な仕組みになっています。

その意味では、解釈論として裁判所がどういう判断をするかということも重要ですが、先ほど木下先生が言われたことですが、今は何が正しいか正しくないかがよくわからないのです。むしろこれからの五年の間に企業が、あるいは企業の労使がその中で話し合って、より合理的な仕組みをつくっていくことが、今後の判断の材料、枠組み、基準になっていくと思います。

労働条件を変更しない無期転換の意義

菅野 ・・・労働条件を変更しない場合は、そもそも無期転換の実際的意義は何だろうかということを濱口さんが提起されました。この点、何か補足してご意見いただけますか。 

濱口 ただ期間の定めがなくなる「ただ無期」から、完全な正社員になる

。そして、その中間的な限定無期のあり方、さまざまな選択肢が企業には開かれている中で、もっともミニマムの選択をしたときに、その法的意味は一体何だろうかというのが先ほどのお話です。

無期転換したことのぎりぎりのミニマムの意義を突き詰めていくと、それは結局雇止めができなくなる。つまりそこで切るためには、たとえばこの仕事がなくなったという形での、少なくとも合理的な理由を提示する必要があるというところが、ぎりぎりの違いになってくるという趣旨です。 

限定正社員に対する見方

濱口 限定正社員はもう数年前から提起され、各企業レベルでもいろいろな形で実践されています。ただ、労働契約法で、 「ただ無期」から完全な正社員までさまざまな選択肢が開かれたということ、それがあと五年のうちに準備しなければいけないという期限が切られた上で、しかもいろいろなことができるという状況に置かれたことが、この限定正社員をむしろ前向きの企業の戦略として取り組もうという議論に拍車をかけたとみています。

逆に申しますと、この限定正社員に対してもちろん肯定、否定、積極的、消極的、いろいろな議論があるのですが、あまりこれに消極的な議論をしてしまいますと、先ほど、安西先生が言われていたような、まさに雇用保障しなければならないが、そこまでの保障はできないからその前で切るしかないという議論を導き出すことになりかねません。逆に、いやそうではない、さまざまな可能性があることを、世の中に示していくほうが、この法改正の意義を社会にプラスの方向に生かしていく上では、重要なメッセージになるのではないかなと思います。

高齢法、パート法など関連法制との関係は

濱口 民事法か行政指導法かに線を引くのはあまり意味がないと思います。

具体的な紛争を裁判所に持っていったときに、どっちの判決が出るかという観点で議論されていますが、決め手はないというのが正直なところだと思います。

納得できる説明ができないのは駄目だというぐらいだと思うのです。ただ裁判官がどう判断するかという裁判規範の議論は別として、職場の行為規範としての議論は、現実の職場でどういう納得のできる、いわば合理的な格差のある処遇体系をつくっていくかという観点が重要です。そうすると、これは単に有期と無期だけではなく、たとえば、先ほどの三越伊勢丹で言うと正社員とメイト社員とフェロー社員のなかで総合的に納得性のある仕組みをどうつくるかという話になると思います。 

そういう意味から言うと、先ほど水口先生が言われた集団的労使関係の中で納得性のある仕組みをつくっていくかというのが、実は非常に重要な話になってきます。行政が指導するかどうかはとりあえず別として、具体的な現場の労使が取り組む話としては、むしろそちらのほうが重要な課題ではないかと思います。 

集団的労使関係の中での規範づくりを

濱口 無期化については、ミニマムではこの程度ということを若干強調し過ぎたように受け取られたかもしれませんが、ミニマムがいいという意味ではありません。ミニマムでもいいのですが、ミニマムとマキシマムの間でどういう制度設計をしていくかということが重要です。各職場で求められるのは集団的な労使関係の枠組みの中で、その集団的な労働関係というのはまさにさまざまな雇用形態、有期やパートの方々も含めた集団的労使関係の枠組みの中で物事を決めていくような枠組みをつくっていく中で、すべてを裁判官の判断に委ねるのではない形、まさに労使が規範をつくっていく考え方で物事を進めていく、その第一歩となれば、この法律はいい出発点になったと評価されるのではないかと思います。

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『エコノミスト』誌で拙著書評

Image_1 1週間のご無沙汰でした。この間、ベルギーで日本EU労働シンポジウムにパネリストとして出席し、またそれに先だって政労使のパネリストの皆さんとともにフィンランドの教育訓練施設やノキアの労使の方々の話を聞くなど、濃密な一週間を過ごしておりました。

さて、その訪欧の出発の先週日曜日に発売された『エコノミスト』誌7月1日号に、拙著『日本の雇用と中高年』の書評が掲載されているということをご連絡いただきました。書評されているのは中沢孝夫さんです。ありがとうございます。

年功型賃金と中高年をめぐる問題が企業の悩みであることは間違いない。しかし、その解決策として「40歳定年制」などの暴論や、中高年の既得権擁護で若者が損をしているといった俗論がまかり通っている。そんな中、本書は雇用問題の第一人者が著した「長く生き、長く働く」ための処方箋である。・・・

最後のところで、

・・・浅薄な雇用論への小気味の良い批判や、労働論や社会制度論など静かだが先人への挑戦的な議論も見られ、知的な興奮を覚える本である。

と、私の書いた思いを見事に掬い取っていただいている書評です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/economistreview.pdf

Economist

 

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2014年6月21日 (土)

過労死等防止対策推進法成立について

すでに報じられているとおり、昨日過労死等防止対策推進法が成立したようです。

これについて、POSSEの川村さんが的確な解説を書かれているので、紹介しておきます。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/kawamuraryohei/20140621-00036592/ (〈働きすぎ〉の基準は変えられる ~過労死等防止対策推進法は完璧か? 期待外れか?~)

2014年6月20日、過労死等防止対策推進法が成立しました。このニュースを見聞きした多くの方の関心にのぼるのは、「この法律ができたら過労死は無くなるのか?」ということではないでしょうか。

今後、法律の条文を見て「不十分」な点を指摘し、「期待外れ」だと評価するような評論もでてくるかもしれません。そうでなくとも、「この法律ができて何が変わるのか」、いまいちピンと来ない人がほとんどでしょう。過労死等防止対策推進法は、「これなら過労死が防げる」と評価できるような完璧な法律では(そういう法律があるかはさておき)決してないからです。

では、法律が成立したことに意味が無いのかと言えば、決してそんなことはありません。「マスコミに盛んに報じられている割に期待外れの内容だ」と結論づけてしまうのは、「これで過労死が無くなる」と考えるのと同じくらい早計です。

いい年してるくせに短絡的なことを言いたがる人もいるというのに、川村さん(や他のPOSSEの方々も)のこの落ち着いたおとなのスタンスはどうでしょう。

それは決して保守的なあるいは冷笑的なスタンスなどではなく、物事は一歩一歩進めていくしかないのだというプラグマティズムに裏打ちされた進歩主義というものの神髄を示しています。

・・・こうした経緯から知ってほしいのは、〈働きすぎ〉の基準を創ろう/変えようという運動が、約30年もの歳月をかけて現在の基準を作り出したという事実です。そして、現在の基準はゴールではなく、もっといいものへと置き換わるような暫定的なものだということです。

こうした「〈働き過ぎ〉の基準を変えるプロジェクト」の中に過労死等防止対策推進法を位置づけて考えてみると、過度な期待を寄せることとも期待外れだと嘆くこととも違う受け止め方が見えてくるはずです。

・・・このように一つの通過点として捉えると、この法律が万能薬になるのかどうかなどということは初めから問題ではなく、むしろ次にどうやって歩を進めればいいのかを考えるべきだということがわかります。

・・・まさしく、「これからどうするのか、どうなっていくのか」こそが見るべきポイントなのです。

話のフェーズは全然違いますが、こちらもこの法律の成立は「決着点」などではなくて「出発点」なのです。

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ドイツは法律から残業代規制を削除したんですけど

もちろん、ドイツの政治の専門家だからといって労働法制の動向までいちいちフォローしているわけではないというのはよくわかりますが、それにしても、こういうのはいかにつぶやきでもいかがなものか、と。

https://twitter.com/ToruKumagai/status/478993807753904128

ドイツの知り合いに安倍政権が計画中の「残業代ゼロ」プロジェクトについて話したら、「そんなことを政府が勝手に決められるのか」と驚いていました。「ドイツだったら、国民が暴動を起こすだろう」とのこと。

もちろん、ドイツは1994年の労働時間法改正で、それまで法律上にあった時間外の割増賃金規制を削除しています。

http://www.jil.go.jp/institute/chosa/2012/documents/0104_02.pdf

(11)時間外労働と割増賃金に関する規定

時間外労働は「特別な場合の例外」として認められている。具体的には、非常時11(「労働時間法(ArbZG)」14 条)と監督官庁の許可を受けた場合(「労働時間法(ArbZG)」15 条 1 項 1 号)、また、労働協約によって 1 年間に 60 日を限度として 1 日の労働時間を 10 時間まで延長する場合(「労働時間法(ArbZG)」7 条1項 c)に可能となっている。

1938 年労働時間令(AZO)では、時間外労働の割増賃金に関する規定が定められていたが、1994 年の労働時間改革の際に、労働時間規制の調整期間(弾力的労働時間)を認める代わりに時間外の割増賃金規制が法律上撤廃された。そのため現在の労働時間規制は、割増賃金ではなく、連続労働は最長 6 時間までとする「休憩時間」と 1 日(24 時間)に最低 11 時間の「休息時間(インターバル)」を設ける形で労働者の健康と安全に配慮している。なお、割増賃金について法令上の規定はないが、労働協約により所定労働時間を定め、これを超過して労働する可能性とそれに対する手当支給の有無を定めることができる。

つまり、ナチス時代に作られた労働時間令では、時間外労働に対しては25%の割増賃金を払えと規定されていたのが、1994年の新労働時間法では物理的時間の上限とインターバル規制のみに純化され、残業代というお金の話は労働協約に委ねています。

もし、上のつぶやきが残業代というお金の規制の問題で言っているのであれば、この人はドイツの20年前の改正を知らないの?という話になります。

もっとも、ドイツ人のことですから、そんなことではなく、労働法制に関わる話を、労働組合の入っていないところで「政府が勝手に決められるのか」という趣旨であれば、驚くのは当たり前ですし、「国民が暴動を起こす」というのもそれほどおかしなことではありません。

ことほどさように、ヨーロッパにおける文脈と日本における文脈は違うのです。

(追記)

まあそもそも、「特別な場合の例外」という趣旨に沿って、例外的に時間外労働を認めるような仕組みなっているという点が、彼我の法制の、というよりその実体的運用の最大の違いであるわけですが。

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経営層向け有識者懇談会のお知らせ

新経済連盟のHPに案内が載っていたので、こちらでも一応紹介しておきます。

http://jane.or.jp/event/10089/

経営層向け有識者懇談会 (「知識社会型新たな就労環境実現PT」主催)

独立行政法人 労働政策研究・研修機構 労使関係部門 統括研究員 濱口 桂一郎 様

「雇用システム改革と雇用法制の誤解」 日本型雇用システムと、労働時間規制、限定正社員(ジョブ型正社員)、労働契約などの雇用法制について解説いただき、懇談します。

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2014年6月20日 (金)

シングルマザーに必要なのは、「企業戦士型経済的自立」というよりも「ワーク・ライフ・バランス(WLB)型経済的自立」である@周燕飛

Singlemothers JILPTの周燕飛さんが、『母子世帯のワーク・ライフと経済的自立』(JILPT)を刊行しました。

http://www.jil.go.jp/institute/sosho/singlemothers/index.htm

「福祉から就業へ」、母子世帯政策は2000年代以降に大きく転換。しかし、実際は母子世帯への福祉給付が引き続き増加。シングルマザーへの就業支援策は本当に効果があったのか。就業で経済的自立は理想論に過ぎないのか。母子世帯の貧困問題は解消できるのか。調査データと緻密な分析に基づき、労働経済学的視点からその問題点と解決策に鋭く斬り込む。

内容は周さんが過去数年間取り組んできたシングルマザー研究の現段階での集成ですが、経済学的分析を駆使した研究書ではありますが、切れ味の良い周さんらしい記述があちこちにあって面白く読めます。

周さんがこの問題に手を染めたのは、2007年にたまたま厚生労働省から研究要請があったという偶然からですが、その後、当初はシングルマザーの正社員就業促進こそが王道と考えていたのが、実は正社員になりたくないシングルマザーがはるかに多いことを発見し、このエントリのタイトルにあるように、

「企業戦士型経済的自立」というよりも「ワーク・ライフ・バランス(WLB)型経済的自立」

を探求する方向に進んでいったということです。

序章  福祉から就業への政策転換

第1部 現状編

第1章 母子世帯の増加要因、就業と経済的困難

第2章 経済的自立の現状とその規定要因

第2部 公的就業支援

第3章 就業支援制度の中身と期待される効果

第4章 自治体の取組み

第3部 支援事業への評価

第5章 公的就業支援はどこまで有効か

第6章 パソコンスキルは本当に有用か

第4部 WLB型経済的自立

第7章 正社員就業はなぜ希望されないのか

第8章 就業と自立に向けての奮闘-事例報告

第9章 養育費と父親の扶養責任のあり方-日米豪比較を含めて-

序章の最後のところの記述を引用しておきますと、

・・・しかしながら、母親の就業所得の向上に頼って経済的自立を目指すことも、一定の限界がある。例えば、高年齢、低学歴または疾病等の関係で専門資格を目指すような職業訓練を受けることができないシングルマザーが大勢いる。また、多くのシングルマザー(特に低年齢児の母親)が、子供との時間を大切にしたいため、フルタイム・正社員就業をそもそも希望していない。さらに、シングルマザーはそうでない女性と比べ、家事時間と睡眠時間が少なく、勤労時間が長くなっている。これ以上母親の余暇時間を犠牲にして経済的自立を目指すことは現実的ではない。

したがって、シングルマザーに必要なのは「企業戦士型経済的自立」というよりも「ワーク・ライフ・バランス(WLB)型経済的自立」ではなかろうか。WLB型経済的自立と貧困解消を同時に実現するためには、中長期的には正社員と非正社員間、男女間の賃金格差の解消、就業スタイルの多様化等の雇用システムの改革が必要不可欠である。短期的には、母子世帯に対する就業支援の継続をはじめ、シングルマザーへの婚活支援、親権決め基準の見直し、児童扶養手当制度の継続・拡大、養育費の強制徴収制度などの導入も検討すべきである。

周さんが中心になってまとめた報告書については本ブログでも一昨年紹介していますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/jilpt-3520.html(周燕飛編『シングルマザーの就業と経済的自立』@JILPT )

彼女の肉声を聞きたい方はこちらをどうぞ

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農水省の面接@1977

経営法曹会議より『経営法曹』181号をお送りいただきました.いつもありがとうございます。

今号は、倉重公太朗さんの判例研究など実務記事もいろいろありますが、読み物として面白かったのは八代徹也さんの巻頭言でした。

八代さんは1978年に早稲田を卒業して農林水産省に入り、翌年退官して司法修習生になっているのですね。農協批判で有名な山下一仁さん(EU代表部時代の私の同僚ですが)の1年下ということになります。

その農水省に入るときの面接の思い出を八代さんが綴っているのですが、ありきたりのやりとりの後、

・・・一人の面接官が「最近読んだ本で面白いものはありましたか」というようなことを質問した。とりたてて意図があった質問ではなく、ちょっと聞いてみたという程度だったと思う。ところが、当時の学生は面接の練習などしていなかったから、突然このような質問がなされて、私は格好をつけた、気の利いた本の名前も思い出せず、正直に「プラハの春、モスクワの冬」と答えた。この本はご承知の人も多い(といっても、最近の人はもう知らないかも知れない)が、岩波書店の『世界』に連載されていた「パリ通信」をもとにした本で、筆者は藤村信である。発刊から2年弱くらい経っていた。

私がそう答えたところ、それまで淡々と進んでいた面接が急に活気づき、「最近読んだ本で面白いものはありましたか」と質問した面接官以外の方も、いろいろ発言し始めた。「今の学生は『世界』なんか読んでいるのか」「藤村信がどういう人か知っているか」などという質問が出て、「藤村信がどういう人かよく知らない」と私が答えると、「藤村信というのはペンネームなんだ。中日新聞の熊田という記者が書いているんだ」などと教えてくれたのである。また「『プラハの春、モスクワの冬』はどこが面白かったか、どこに惹かれたか」「藤村信の他の本は読んだか」とも質問され、後者の質問には「西欧左翼のルネサンス」などと答えたように思う。さらに「東欧やソビエトの将来はどうなると思うか」「社会主義はどうなると思うか」などという質問までされたのである。私としても必死に答えたと思うが、どう答えたか今ではもう忘れてしまった。・・・

いろんな意味で物事を考えさせるエピソードです。

私は大学に入ったばかりの時期ですが、この手の本も読んでた記憶はあります。

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2014年6月19日 (木)

決着点と出発点

どうもマスコミも含めて、世の中の圧倒的大部分は、月曜日の産業競争力会議の「決着」がものごとの決着点だと思い込んであれこれ論じているようです。

そういう前提からすれば、厚生労働省は、年収1000万円で残業代ゼロという「決着点」を望ましいと本気で考えてそういう「決着」に持ち込んだという理解になるのでしょう。

今朝の朝日新聞の7面の「成長戦略を問う」というインタビュー記事で、

・・・企業は人件費を減らしたい、厚生労働省は小手先の見直しで済ませたい、といった思惑ばかりが見える。どんな雇用社会を作るのか、理念がない。悲しいことだ。

と述べているのも、そういう前提に立っているからだと思われます。

しかし、そもそも、産業競争力会議などという三者構成でも何でもない官邸直属の会議体で、労働法、労働政策の根幹に関わることが決定されること自体が承服しがたいという労働政策の根本理念からすれば、そんなところでは何も決着させないというのが最も望ましいとはいいながら、政治的状況等からしてそういうわけにはいかず、なにがしか形だけでも整えなければならないとすれば、できるだけ「決着」の名に値しないようないかにも間に合わせ的なレベルで当面の「決着」をさせることが、最も合理的な行動となります。

労働法制の根幹に関わるような本格的な制度改革の議論は、産業競争力会議なんかではなく、三者構成の労働政策審議会でやらなくてはいけない、という信念からすれば、そこで本来の議論がされるまでに「小手先」を超えるような「決着」をさせないことが何より重要です。

産業競争力会議などという場で労働政策の根本方針が決定されることに何の疑いも感じない感性の持ち主だけが、まさにそんなところでは「小手先の見直し」にとどめようとした行動を、そもそも根っこから「小手先の見直し」しかするつもりがないと批判することになるのですが、残念ながら現在の日本では、そもそも労働政策は三者構成が大原則という感覚があまりにも希薄になってしまっているので、それがそのまままかり通ってしまうことになるわけです。

実のところ、同日に労働政策審議会で議論が開始されているので、あとは労使双方がどこでどれだけ妥協し、どこでどれだけ妥協しないか、という駆け引きの世界に入っていくわけです。

今週月曜日の産業競争力会議での「決着」は、もともとそこで最終決着させないためのとりあえずの「決着点」なのですから、政策過程全体の中では決着点どころかむしろそこから本当の三者構成の議論が始まる出発点なのです。

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岩盤はどっちか?

連合が事務局長名で「「日本再興戦略」の改訂(素案)における雇用・労働分野に関する提起に対する談話」を出しています。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/danwa/2014/20140617_1402998067.html

例の「新たな労働時間制度」について、連合は少なくとも公式見解としては、残業代がゼロになるからけしからんなどという、ヘアヌード週刊誌的感覚では語っていませんね。

「労働時間の長さと賃金のリンクを切り離した新たな労働時間制度」の創設では、「一定の年収要件(例えば、少なくとも年収1,000万円以上)を満たし、職務の範囲が明確で高度な職業能力を有する労働者」を対象に労働時間規制の適用を除外することが企図されている。これはかつて世論の大きな反対を受けて断念した「ホワイトカラー・イグゼンプション」と酷似するものである。労働時間の上限規制を設けることなく成果で評価する制度が導入されれば、労働者は長時間働くことを余儀なくされ、過労死の増大等を招くことは明らかである。また、過重労働による労災支給決定件数の約3分の1を管理的職業従事者、専門的・技術的職業従事者、事務従事者が占めるなど、現状でさえホワイトカラー労働者の過重労働対策が不十分であるにもかかわらず、更に新たな適用除外制度を設けることは容認できない。毎年100名を超える方が過労死で亡くなっている現実を直視すれば、いま政府がなすべきことは“残業代ゼロ”ではなく“過労死ゼロ”であるべきである。

もちろん、現場レベルに行けばそれこそいろんな感情があるわけですが、すくなくとも公式見解としては、

労働時間の上限規制を設けることなく成果で評価する制度が導入されれば、労働者は長時間働くことを余儀なくされ、過労死の増大等を招くことは明らかである。

と言っているわけで、労働時間の上限規制を設けた上で「成果で評価する制度」を導入することには、少なくとも公式見解としては反対していないことがわかります。

軽薄な一部評論家たちが、何かというと労働組合や厚労省が岩盤規制、岩盤規制といいたがりますが、本当の岩盤がどこにあるかは、わかる人にはわかるということでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-cc71.html

もっとも、労働者保護に主眼を置く厚労省の幹部ですら、「産業界が望まないものを導入することはできない。労働時間の上限規制の導入は非現実的だ」と言いきる。

結局、産業界は残業代部分の規制緩和に熱心な割には、職務や労働時間を限定しない"使い勝手の良い"正社員の存在を放出する気はないのだ。残業代がゼロとなり得る要件を軽視してはいけないが、抜本的な労働時間規制の改革に踏み切る機運がないことの方がはるかに大きな問題だ。・・・

結局、「雇用の岩盤」なるものは、労働組合でも厚労省でもなく、無限定正社員を手放せない産業界自身の中にありました、というオチのようで・・・。

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2014年6月18日 (水)

安衛法改正案と社労士法改正案

本日の衆議院厚生労働委員会で、政府提案の労働安全衛生法改正案と議員提案の社会保険労務士法改正案が可決されたようです。

前者は参議院先議なので、明日衆議院本会議で可決されて成立ということになります。

もともと自殺対策という話から始まり、事業者を通じたメンタルヘルスチェックは個人情報保護の観点からどうよ、という問題で紆余曲折を経ながら、ここまでたどり着いたということですね。この問題は突っ込めば突っ込むほど深いものがあるので、どこかで一度自分なりに考えをきちんとまとめておきたいとは思っています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-1c13.html

社労士法の方は、ここにきて労働弁護団や全労連が反対の意見を打ち出すなど、批判的な議論が湧いてきていますが、弁護士の職業利害的批判は理解できるとしても、ブラック社労士もブラック弁護士も批判している論者が、社労士はブラックだけど弁護士はそうじゃないかのような議論になるのは、正直よく理解できないところがあります。

もちろん、中には池田信夫なんかに心酔して私を罵倒して喜ぶような社労士さんもいたりするので、社労士叩きしたくなる気持ちもわからないではないですが、それはそれ、これはこれ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-3cf9.html

こちらはあと参議院に送られて採決されなければなりません。すでに送られている過労死等防止対策推進法案も参議院通過を待っているので、会期末の22日まで結構忙しそうです。

一方、労働者派遣法改正案は、全く審議もされないまま審議未了廃案の可能性もあるようです。

http://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/e/18cc74484fb4e0cd8e7fc99e9662c38c

http://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/e/d1e3aa6c2cfd26b09579c8eb415098cd

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2014年6月17日 (火)

「過労死、絶対ないように」と同友会の長谷川代表

サンケイビズで、

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140617/biz14061718430016-n1.htm

経済同友会の長谷川閑史代表幹事は17日の記者会見で、政府の成長戦略素案に盛り込まれた、時間ではなく成果に応じて賃金を支払う新制度に関し、経営側が過重労働を招くとの懸念を解消する必要があると強調した。長谷川氏は「過労死が増えることが絶対にないよう、細心の注意と配慮をするべきだ」と語った。

労働時間の上限や休暇取得の下限を設定するといった対策が求められるとの考えも示した。

あれ?と思った方もいるかもしれませんが、このように何が問題なのかは、長谷川さんもちゃんとわかっているのです。

では、なぜ、産業競争力会議の長谷川ペーパーは、あれほど一生懸命、リップサービスはするものの、実質的な労働時間の上限規制はしないようにしないようにとなっているのでしょうか?

Img_69347b7129f9a09a49b180214020874 その消息をあっさりと書いているのが、昨日発行された『週刊ダイヤモンド』の浅島さんの記事です。

・・・日本の労働基準法では、企業は最低賃金さえ保障すれば、労働時間や賃金体系に、ほぼ規制の縛りはない。にもかかわらず、こと残業代に関しては極めて厳しい規制が存在している。(その善し悪しはともかくとして、)ある企業が成果主義を標榜していても、従業員が残業をした瞬間に、割り増し賃金が発生する。このため、成果に応じた賃金制度ではなくなってしまう。

濱口桂一郎・労働政策研究・研修機構主席統括研究員は、「労働時間と賃金を切り離すことには賛成。残業代という一部分だけを取り出して議論するよりは、全体の規制の在り方を組み替えた方が健全だ。つまり、残業代というお金の規制を緩めて、今まで規制がなかった労働時間の規制を厳格化すべきだ」と言う。具体的には、労働時間の上限規制を設けたり、勤務間インターバル規制(勤務終了時から翌日始業時までに一定の休息時間を確保すること)を導入したりする、というものだ。残業代以外の方法で、長時間労働を抑制し過労死問題を回避しようという考え方だ。

もっとも、労働者保護に主眼を置く厚労省の幹部ですら、「産業界が望まないものを導入することはできない。労働時間の上限規制の導入は非現実的だ」と言いきる。

結局、産業界は残業代部分の規制緩和に熱心な割には、職務や労働時間を限定しない"使い勝手の良い"正社員の存在を放出する気はないのだ。残業代がゼロとなり得る要件を軽視してはいけないが、抜本的な労働時間規制の改革に踏み切る機運がないことの方がはるかに大きな問題だ。・・・

というわけで、産業競争力会議の事務局としては、いかに三位一体改革とかいわれても、スポンサーの産業界の中枢が望まない労働時間の上限規制を書き込むわけにはいかなかったということなのでしょうね。

結局、「雇用の岩盤」なるものは、労働組合でも厚労省でもなく、無限定正社員を手放せない産業界自身の中にありました、というオチのようで・・・。

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2014年6月16日 (月)

荒木尚志編著『有期雇用法制ベーシックス』

L14464荒木尚志編著『有期雇用法制ベーシックス』をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641144644

雇止め法理の法定化,無期労働契約への転換など,大きく変わった有期雇用法制。その経緯を踏まえて全体を概観,労働基準法・労働契約法の関係条文を逐条で解説する。また,好評を博したジュリスト掲載の鼎談を収録。一冊で有期雇用法制の「いま」がわかる!

一昨年改正され昨年施行された改正労働契約法の有期労働法制に加え、労基法14条、労契法17条も含めて解説しています。

第1章 有期雇用法制の全体像
第2章 有期雇用法制の個別条文解説
     1 労働基準法14条(契約期間等)
     2 労働契約法17条(契約期間中の解雇等)
     3 労働契約法18条(有期労働契約の期間の定めのない労働契約への転換)
     4 労働契約法19条(有期労働契約の更新等)
     5 労働契約法20条(期間の定めがあることによる不合理な労働条件の禁止)
第3章 鼎談「2012年労働契約法改正─有期労働規制をめぐって」
資料

第2章は若手研究者の分担執筆です。

労基14条と労契17条が桑村裕美子さん、18条が原昌登さん、19条が池田悠さん、20条が櫻庭涼子さんです。

第3章はジュリストに載った鼎談の再録です。

有期労働法制については、いい加減な議論をまき散らす手合いがとりわけネット上にウヨウヨしていますが、まともな議論を知りたければこういう本を読んで勉強するのが一番です。

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『週刊ダイヤモンド』記事でちょびっとコメント

Img_69347b7129f9a09a49b180214020874『週刊ダイヤモンド』6月21日号は、「自衛隊と軍事ビジネスの秘密」が大特集ですが、

http://dw.diamond.ne.jp/list/magazine

浅島亮子さんの「「残業代ゼロ」に翻弄された労働時間規制改革の骨抜き」という短いけれどもぴりりとした記事も読む値打ちがあります。

政府の新成長戦略の目玉として、新たな労働時間制度の導入が決まった。「残業代ゼロ」ばかりが問題視されているが、実は、もっと本質的な議論が置き去りにされている。・・・

この中に私もインタビューされていて、次のように語っています。

・・・日本の労働基準法では、企業は最低賃金さえ保障すれば、労働時間や賃金体系に、ほぼ規制の縛りはない。にもかかわらず、こと残業代に関しては極めて厳しい規制が存在している。(その善し悪しはともかくとして、)ある企業が成果主義を標榜していても、従業員が残業をした瞬間に、割り増し賃金が発生する。このため、成果に応じた賃金制度ではなくなってしまう。

濱口桂一郎・労働政策研究・研修機構主席統括研究員は、「労働時間と賃金を切り離すことには賛成。残業代という一部分だけを取り出して議論するよりは、全体の規制の在り方を組み替えた方が健全だ。つまり、残業代というお金の規制を緩めて、今まで規制がなかった労働時間の規制を厳格化すべきだ」と言う。具体的には、労働時間の上限規制を設けたり、勤務間インターバル規制(勤務終了時から翌日始業時までに一定の休息時間を確保すること)を導入したりする、というものだ。残業代以外の方法で、長時間労働を抑制し過労死問題を回避しようという考え方だ。

もっとも、労働者保護に主眼を置く厚労省の幹部ですら、「産業界が望まないものを導入することはできない。労働時間の上限規制の導入は非現実的だ」と言いきる。

結局、産業界は残業代部分の規制緩和に熱心な割には、職務や労働時間を限定しない"使い勝手の良い"正社員の存在を放出する気はないのだ。残業代がゼロとなり得る要件を軽視してはいけないが、抜本的な労働時間規制の改革に踏み切る機運がないことの方がはるかに大きな問題だ。・・・

結局、「雇用の岩盤」なるものは、労働組合でも厚労省でもなく、無限定正社員を手放せない産業界自身の中にありました、というオチのようで・・・。

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解雇正当事由説の役割

Tm_mjq1x5vcmupqrwようやく『季刊労働法』がとどきました。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/archives/006213.html

特集の「アベノミクスの労働政策を点検する」が注目であることはいうまでもありませんが、今号で是非目を通していただきたいのが、

■文献研究労働法学 第12回■
解雇規制をめぐる法理論
    労働政策研究・研修機構研究員 山本陽大

JILPT研究員の山本陽大さんの研究史の整理ですが、1990年代後半から現在までの解雇をめぐるさまざまな議論を上手くまとめています。

その中で、わたしの「解雇規制の法政策」について、的確な位置づけをしているので、紹介しておきます。この文章は、基本的には日本の解雇に関わる法制の歴史を淡々とたどったものですが、最後のところで若干の立法提言もしていまして、そこを取り上げているのですが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/kaikokisei.html(「解雇規制の法政策」『季刊労働法』217号)

・・・また、35濱口桂一郎「解雇規制の法政策」季刊労働法217号(2007年)173頁は、「権利濫用法理というのは・・・本来であれば通常に行使しうる権利の行使を例外的な状況に対応するために制限する法理」であるところ、解雇できるのが原則で解雇できないのが例外という我が国の解雇権濫用法理は、「権利濫用法理としては極めてアクロバティック」であることを指摘した上で、解雇規制立法にとって重要であるのは、「解雇権濫用法理によって保護しようとしてきた不当に解雇されないという労働者の利益を守ることであって、そのために使ってきた(本来必ずしもふさわしくない)道具立てを維持することではない」として、「使用者は、正当な理由がなければ労働者を解雇してはならない」とのルールを端的に規定すべきことを主張する。

もっとも、かかる35濱口の見解は、解雇の金銭解決の問題とも結びついており、その点では、34浜村とはやや異なる角度から正当事由構成を主張するものなのであるが、詳細については後述する。

・・・ところで、必ずしも在り方研報告書において構想された制度を念頭に置いているわけではないが、金銭解決を一律に認めないことに対して否定的な見方を示しているのが、35濱口である。濱口は「アクロバティックな権利濫用法理に立脚した解雇規制において、金銭解決の道を閉ざし続けることは、逆に金銭解決ならば許せるが復職させることはいかにも適当でないようなケースを、権利濫用に当たらず解雇有効と判断させる動因になる可能性すらある」ことを指摘した上で、「(正当事由構成を採用すれば)使用者はそもそも正当な理由がなければ解雇してはならないのであるから、正当な理由なく解雇すれば当然違法となるが、だからといって必ずしも解雇を無効にする必要はないわけで、違法な解雇に対して、あくまでも復職を求めるか金銭解決で決着させるかは、具体的な個々の事案によって個別的に判断させることがもっとも適切」であるとする。正当事由構成と金銭解決による解雇紛争処理とをリンクさせた議論を展開している点で、注目されよう。

と、あまり誰も注目しなかったポイントを取り上げて論評しています。

実を言うと、その後あっせん事案の分析などをやって、現実社会における金銭解決の姿を目の当たりに見たことで、私の議論の仕方も若干変わってきたりしていますが、話の筋そのものは7年前のこのときから変わっておらず、昨年産業競争力会議雇用人材分科会で提示した解雇規制の案も、その延長線上にあります。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/bunka/koyou_hearing/dai1/siryou2.pdf

第○条 使用者は次の各号の場合を除き労働者を解雇してはならない。
一 労働者が重大な非行を行った場合。
二 労働者が労働契約に定める職務を遂行する能力に欠ける場合。
三 企業経営上の理由により労働契約に定める職務が消滅または縮小する場合。ただし職務が縮小する場合には、解雇対象者は公正に選定しなければならない。
2  前項第三号の場合、過半数労働組合または従業員を代表する者に誠実に協議をしなければならない。

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労基法違反はとっくに刑事事件である件について

特定社労士しのづかさんの  「労働問題の視点」に、こんなコメントが付いていましたが、

http://sr-partners.net/archives/51944058.html#comments

労働問題については、どうしても会社と労働者間の私人間の問題という意識が強く、特に労働基準法違反に当たらない労使紛争の部分については国(監督官)はノータッチの姿勢であります。また、対等な契約関係と言いながら、実体は昔ながらの主従関係、滅私奉公の関係が労使間を支配しており、純粋な法律問題のようにはいかないところに難しい点があるかと思います。

しかし、少なくとも労働基準法、労働安全衛生法、最低賃金法、労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準等に違反するいわゆる法違反の部分については、現在の労働基準監督官の権能を強化するべきであります。

 経済特区等での介護等に従事する外国人労働者を受け入れや、残業代ゼロ法案などの法規制の解放と引き換えに、違反者(企業役員、事業主)には単なる指導を飛び越えて、身柄拘束(逮捕)を実行すべきであります。
 つまり、労基法等を改正し、「労働基準監督官」から「労働警察官」、労基署の方面部門も「労働警察署」とし、地方公安委員会、警察署と連携して労働法違反事件は刑事事件と等しいものとの認識を世間一般に植えつけることが大事であると思います。
 経済界からは大きな反対意見が出るでしょうが、、我が国においては労働問題の抜本的解決は私人間の問題としているうちは無理ではないかと思います。

弁護士、社労士はじめ、労働法を知っている方にとっては当然のことですが、労働基準法はとっくに刑事法規であり、労働基準監督官は労基法違反の罪について司法警察官の職務を行う権限を有しています(労基102条)。もちろん滅多に使いませんが逮捕権限もあります。(ダンダリンでは使ってましたな)

労基法及びその附属法規に関する限り、労働基準監督官はまさに労働警察官なんですね。

だからこそ、

そう、だからこそ、労基法等の刑事法規違反ではない民事上の労使紛争に、労働警察官たる労働基準監督官が介入できないという理路になっているということが、なかなか理解されないのが悩ましいところです。

刑罰法規違反ではないのに、世の中的にけしからんからという理由で、警察官が民事に介入するわけにはいかないのとまったく同じことなのです。

「うちの亭主、給料を全然うちに入れずに、呑む打つ買うばかりで困ってます」と言われたからといって、警察官がその亭主を逮捕して給料を無理矢理女房に渡させるというわけにはいかないのと同じです。

不当に解雇されたとか、パワハラを受けたというのは、基本的に民事なので、労働基準監督官が司法警察官の職務を行うことはできないということがなかなか伝わらないわけです。

でも、これがこのブログのコメント欄だけの問題であれば、わざわざこうして論ずるまでもないかも知れません。

問題は、一国の政策立案の中枢で提示されているハイレベルの文書、日本の労働法政策の行く末を左右しかねないハイレベルの政策文書の中において、どうもこういう最も基本的な理路がきちんと理解されていないのではないかと思われるふしがあるからです。

労働基準法で明確に刑事罰が規定されている違法行為であるがゆえに、労働基準監督官はそれを摘発できるのであり、どんなに世の中的にけしからんことであっても、労働基準法上違法でないことを摘発することはできないという、労働法を論ずるのであればイロハのイとしてわきまえておかねばならないことが、どうもきちんと理解されないままに書かれているのはないかとおぼしきふしがあるからです。

先週末にWEB労政時報の「HRwatcher」に寄稿した「「働き過ぎ防止」を謳いながら、それができない仕組み 」では、そこのところを述べたのですが、さてどこまで伝わったことでしょうか。

http://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=228

 政府の産業競争力会議は、最近の4月22日と5月28日にいわゆる働き方改革に関して、長谷川閑史雇用・人材分科会長のペーパーを提示して議論をしています。予定では今月にも取りまとめを行うということですが、現時点ではあくまでも分科会長名で提出されたペーパーという位置づけです。
 
 4月22日に開かれたのは第4回経済財政諮問会議・産業競争力会議合同会議であり、ここに出された長谷川ペーパーは「個人と企業の成長のための新たな働き方~多様で柔軟性ある労働時間制度・透明性ある雇用関係の実現に向けて~」というA4で7枚の普通の文章です。これに対して、5月28日に開かれたのは第4回産業競争力会議課題別会合であり、ここに出された長谷川ペーパーは「個人と企業の持続的成長のための働き方改革」という表紙を入れて7枚のパワポ資料です。
※「個人と企業の成長のための新たな働き方」⇒公表資料(PDF)はこちら
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/skkkaigi/goudou/dai4/siryou2.pdf
※「個人と企業の持続的成長のための働き方改革」⇒公表資料(PDF)はこちら
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/kadaibetu/dai4/siryou5.pdf
 
 一方は普通の叙述文なのに、もう一方はパワポ資料なので、おのずから両者には精粗の差があります。とはいえ、書かれている内容にはかなりの違いが見られ、その精粗の差を補いながらペーパーの真意を読み解いていく必要があります。
 
 両ペーパーとも、冒頭に持ち出してきているのは「『働き過ぎ』防止の総合対策」「改革の大前提:『働き過ぎ防止』・『ブラック企業撲滅」」という、労働者保護の観点からすれば極めてまっとうなテーマです。4月ペーパーでは「まずは、長時間労働を強要するような企業が淘汰(とうた)されるよう、問題のある企業を峻別(しゅんべつ)して、労働基準監督署による監督指導を徹底する」と述べていますし、5月ペーパーでは最近の流行語まで投入して、「政府(厚生労働省)は、企業による長時間労働の強要等が行われることのないよう、労働基準監督署等による監督指導を徹底する等、例えば『ブラック企業撲滅プラン』(仮称)を年内に取りまとめ、政策とスケジュールを明示し、早期に対応をする」と書かれています。
 
 言うまでもなく、労働基準監督官とは労働基準法その他の労働条件法令を施行するために司法警察官の職務を行う国家権力の一機関です。従ってその行使し得る権限はあくまでも法律によって与えられた違法な行為の摘発であって、違法ではないのに「世の中的にけしからんから」などという理由で権限を行使することは許されません。もちろん、かつての週休2日制などの時短指導のように、法律上の監督指導とは区別されたいわゆる政策目的の行政指導をすることはあり得ますが、それは違法行為の摘発ではないのですから、従うか否かは使用者の任意です。これは法律学のイロハです。
 
 ところが官邸に設置され、経済産業省出身の精鋭官僚たちが事務局を務めているはずの産業競争力会議が提示したペーパーであるにもかかわらず、これら長谷川ペーパーは一体企業のどういう行為を「監督指導」したり「淘汰」したり、果ては「撲滅」したりしようとしているのか、よく理解できないところがあります。
 
 日本の労働基準法は一応1日8時間、週40時間という「上限」を定めていますが、実際は36協定によって法律上は無制限の時間外・休日労働が可能となっています。少なくとも、ある一定時間を超えて働かせたらその長時間労働それ自体が違法になるというような仕組みは存在しません。かつて男女均等法制定以前は、女性については時間外労働に関して1日2時間、週6時間、1年150時間という上限があり、深夜・休日労働も原則禁止でしたから、労働基準監督官が夜中に繊維工場に夜襲をかけてそこで働いている女性がいれば、残業代を払っていようがいまいが、それだけで直ちに摘発できました。しかし今はそういう規制は年少者だけです。
 
 では、長時間労働だけでは違法にはならない日本で、監督官たちは何を監督指導できるのかといえば、(36協定がある限り)「残業代をちゃんと払っているか否か」という点でしかありません。本来は労働時間規制ではなく賃金規制に過ぎない残業代が、労働時間に関わるほとんど唯一の摘発可能事項になってしまっていることにこそ、現代日本の労働法制のゆがみがあるのですが、それはとりあえずさておいて、現時点では監督官がブラック企業に対して使える武器は残業代規制だけなのです。ところが、長谷川ペーパーはその規制の緩和・撤廃を訴えています。では、残業代規制をなくした代わりに、監督官たちがブラック企業を監督指導できる根拠となる新たな規制がどこかに盛り込まれているのか、が最重要の論点になります。
 
 結論から言えば、両長谷川ペーパーのどこをどう読んでも、監督官がその規制に違反したことを捉えて摘発することができるような労働時間に関わる新たな法規制は出てきません。言葉の上では長谷川ペーパーにも「労働時間上限」という言葉はあります。しかし、それは少なくともそれを根拠として監督官が「監督指導」することができる法的な労働時間の上限ではありません。4月ペーパーでは、Aタイプに「労働時間上限要件型」(上記ファイル3ページ)などという麗々しい名称が付いているにもかかわらず、「対象者の労働条件の総枠決定は、法律に基づき、労使合意によって行う。一定の労働時間上限、年休取得下限等の量的規制を労使合意で選択する」と書かれていて、結局現在の36協定における「上限」と同様、法的には上限は設けないという趣旨のようです。5月ペーパーでも「対象者に対する産業医の定期的な問診・診断など十分な健康確保措置」(上記ファイル4ページ、以下も同様)とありますが、現行労働安全衛生法で月100時間を超える時間外労働をさせる場合は産業医の面接指導を義務づけているのですから、そのレベルの時間外労働をやって産業医の面接指導を受けることは当然の前提ということなのでしょう。さらに、「量的上限規制を守れない恒常的長時間労働者、一定の成果がでない者は一般の労働管理時間制度に戻す」と言っているということは、もし法律上の上限であれば「守れない」その段階で法違反ですから、戻すも戻さないも摘発対象のはずですが、そういうことはまったく想定していないようです。
 
 つまり、「新しい労働時間制度」の説明のどこをどう読んでも労働時間の法的上限設定は出てこず、かつこれまで唯一摘発の手段であった残業代規制をなくすというのですから、「監督指導を徹底」とか「ブラック企業撲滅」などという空疎な言葉だけで発破をかけられた労働基準監督官たちは、何をどう摘発し、是正させたらいいのか、まったく意味不明の状況に追いやられてしまうことになります。まさか産業競争力会議の委員や事務局諸氏が、労働基準監督官に合法的な行為を「監督指導」したり、果ては「撲滅」したりさせようとしているのではないと信じたいところですが。

Bpprippcqaatsiy

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2014年6月15日 (日)

女性が活躍できる社会環境の整備の総合的かつ集中的な推進に関する法律案

自由民主党のサイトに「女性が活躍できる社会環境の整備の総合的かつ集中的な推進に関する法律案」がアップされています。

http://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/pdf191_3.pdf

本ブログの米欄にも出没していたようなそもそも議論が好きな方々はそちら方面でいろいろとやられればよろしいですが、ここでは第7条の「時間外労働等の慣行の是正」という規定を見ておきましょう。

(時間外労働等の慣行の是正)

第七条 女性の活躍及び男性の育児、介護等への参加の妨げとなっている職場における長時間にわたる時間外または休日の労働・・・等の慣行の是正が図られるよう労働者団体及び事業主団体と緊密な連携協力を図りながら、次に掲げる措置を講ずるものとする。

一 時間外または休日の労働にかかる労働時間の大幅な短縮を促進すること。

二 所定労働時間を短縮し、または柔軟に変更することができる制度の導入、在宅で勤務できる制度の導入その他の就業形態の多様化を促進すること。

おおむねまっとうな方向が示されていると言って良いと思いますが、これがただのリップサービスに終わることなく、具体的な立法措置にどうつなげていくかが重要です。

一応、第6条(法制上の措置)では、この第7条も含めて「このために必要な法制上の措置については、この法律の施行後2年以内を目途として講ずるものとする」書かれているので、それは想定されているようではありますが。

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2014年6月14日 (土)

電車で隣の中学生がこれを読んでて意識の高さに恐れ入る

26184472_1_2https://twitter.com/shinsiteki/status/477564052437073920

電車で隣の中学生がこれを読んでて意識の高さに恐れ入る 日本の雇用と中高年 (ちくま新書)

いやまあ、素直に事実と理屈を追える能力があれば、中学生でも十分読める内容だと思いますよ。

逆に、読む進むにつれていちいちいらついて素直に読み進められない大人もいるでしょうけど。

読書メーターでもYusuke  Sakoさんの書評。

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/38789313

労働問題の唯一の責任ある答えは「長く生き、長く働く」。それを目指すしかない。なるほど、わかり易い。日本型雇用システムが機能不全に陥っているという問題意識は多くの人が共有しているが、課題解決の方向性で迷走している。不毛な世代間の対立を煽る言論もある。(若者寄りの立場として分からなくはないが、年長者も厳しい立場に置かれているとも思う。)本書では、大きな視点で雇用を取りまく歴史を振り返り、ジョブ型労働、ジョブ型正社員の拡大という落としどころを提案している。人事制度企画に携わる方にはお勧めの一冊です。

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医療派遣禁止の謎

yamachanこと「焦げすーも(黒い雷神)」さんの素朴な疑問に、今から8年前に連合で、6年前に日本経団連でそれぞれ講演したときのメモから一定の答えを。

https://twitter.com/yamachan_run/status/477767232483647491

謎:医療関係業務は派遣法で原則禁止されているが、派遣会社は現にたくさんあるよな。 そもそも、専門的な業務とされる政令26業務(今は28)に親和的なはずなのに、なぜネガティブリストに入ったのだろうかね。

https://twitter.com/yamachan_run/status/477768002754994176

医師会などからの圧力かなあ?厚労関係の資料には、"派遣業解禁するとチーム医療が崩れる"という理屈が書かれていたが、どう考えても筋悪いものだよなあ。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/rengohakenukeoi.html(連合「労働者派遣・請負問題検討会」第1回講演メモ 2006.11.30 「労働者派遣法の制定・改正の経緯について」 )

もう一つ1999年改正の施行の際に適用除外業務に飛び込んできたのが医療関係業務である。もともと、医療関係業務は原始ネガティブリストには含まれておらず、1994年の高年齢者派遣特例で部分的ネガティブリスト方式が導入された際にも、医療関係業務は適用除外とはされなかった。当時の解説書にも堂々と医師、看護婦等の業務が例示されている。育児・介護休業取得者の代替要員派遣でも当然のように対象業務であった。また、1999年改正に至る審議会の議論や国会審議においても、医療関係業務を適用対象から外すといった議論がされた跡は窺えない。ところが、法施行時になって、政令で定める「その業務の実施の適正を確保する上で労働者派遣が不適切な業務」に、なぜか医療関係業務が追加されたのである。

改正後の解説書によると、その理由は、医療はチームで行われ、また人の身体生命に関わるとのことであるが、言うまでもなく多くの業務はチームによって行われているし、人の身体生命に関わる業務も医療に限られるわけではない。そもそも、医療職はすぐれて専門技術的な性格を有しており、ポジティブリストで対象業務になっても不思議でなかったはずである。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hakensaikou.html(日本経団連・労働者派遣制度見直し検討WG講演 2008/03/18 「労働者派遣システム再考」 )

医療関係業務の扱いはさらに奇怪である。1985年労働者派遣法においては、医療関係業務はポジティブリストには入っていなかったが、さりとてネガティブリストにも入っていなかった。従って、1994年の高齢者派遣特例や、1996年の育児・介護休業取得者への代替要員派遣のいずれにおいても、医療関係業務への派遣はなんの制約もなく行われていた。ところが、1999年のネガティブリストへの改正時に、審議会や国会の審議ではなんら議論された形跡はないにもかかわらず、政令改正時に突如として禁止業務にされてしまったのである。解説書では、医療はチームで行われること、人の命に関わることが理由とされているが、言うまでもなく、医療以外の多くの業務もチームで行われているし、人の命に関わる業務の医療に限られるわけではない。

ところが、この扱いが医療業界の都合で漸次修正されてきている。2003年には紹介予定派遣に限って認めることとされた。これは事前面接による人物特定を行えばチーム医療に支障が出ないからという理屈付けである。そもそも事前面接の禁止の是非論を別にすれば、もし違法な事前面接を潜脱するために雇い入れる予定もないのに紹介予定派遣を行うという趣旨であるのなら、これは偽装行為を法令で認めるものといわざるを得ないであろう。その後2006年には、産前産後休業、育児休業、介護休業中の代替要員派遣と、過疎地域への医師派遣が解禁され、さらに2007年には、緊急医師確保対策として、医師不足地域への医師派遣が解禁された。このようなご都合主義によるつぎはぎ的な対応には、労働法としての一貫性は全く感じられない。そもそも、労働者派遣法を所管するのは厚生労働省の中では職業安定局であり、医政局ではないという基本的な事項が、必ずしもきちんと理解されていないようでもある。

ここに問題意識を持つということは、法感覚がまともであるということの証明でもあります。
派遣法の専門的業務だから特に認めるんだという理屈を素直に受け取れば、事務用機器操作だのファイリングなどより百万倍も専門的な業務として認められてしかるべき医療関係業務が、よりによって派遣してはいけない禁止業務に放り込まれているという、物事を素直に考える人であればあるほど全然理解できない状況を、特に何も疑うことなくスルーしている人が圧倒的多数であるのが日本の現実です。

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『季刊労働法』245号

Tm_mjq1x5vcmupqrw私の手元にはまだ届いておりませんが、『季刊労働法』245号が刊行されたようですね。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/archives/006213.html

予告しておいたように、特集は「アベノミクスの労働政策を点検する」です。

面子は、

●政労使会議による賃上げ 久本憲夫
●「限定正社員」論の法的問題を考える 毛塚勝利
●アベノミクスの労働時間政策を検証する 和田 肇
●労働規制改革と労働市場政策の現在 矢野昌浩
●労働特区構想と憲法 倉田原志
●労働政策過程をどう評価するか 濱口桂一郎

【シンポジウム】
雇用の現状と問題点 棗 一郎 水口洋介 木下潮音 新谷信幸 海老澤大造

といったところですが、このうち私の執筆した「労働政策過程をどう評価するか」の中の見出しを載せておきます。

はじめに
1 旧規制改革諸会議による「横からの入力」*1
2 各種会議体による「横からの入力」の復活
3 規制改革会議の議論と労働政策の展開
(1) 2013年夏までの状況
(2) 2013年秋以降の状況
(3) 2014年以降の状況
4 産業競争力会議の議論と労働政策の展開
(1)2013年夏までの状況
(2)2013年秋以降の状況
(3)2014年以降の状況
5 国家戦略特区に関わる議論と労働政策の展開
(1)国家戦略特区ワーキンググループ
(2)国家戦略特別区域諮問会議
6 評価の仕方

その他にも興味深そうな記事がありますが、一通り読んでから紹介します。


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骨太方針素案

昨日の経済財政諮問会議で、「経済財政運営と改革の基本方針2014」(仮称)(素案)いわゆる骨太方針の素案は示されました。

http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2014/0613/shiryo_01_1.pdf

内容は多岐にわたりますが、労働政策に関わるところをいくつかぬきだしておきましょう。

総論で大事なのは「日本の未来像に関わる制度・システムの改革」です。

・・・デフレ脱却・経済再生の先に、もう一つ超えなければならない高いハードルがある。現在の日本は、「人口急減・超高齢化」へ確実に向かっている。この流れを変えなければ、持続的・安定的な成長軌道に乗っていくことはできない。

そのために、

・・・年齢、性別に関わらず、意欲、個性や能力に応じて様々な形で活躍できる社会、制度、仕組みを構築する

それゆえ、重点課題の冒頭に来るのは「女性の活躍を始めとする人材力の充実・発揮」です。

(1)女性の活躍、男女の働き方改革
女性が輝く社会を目指す。そのため、男女の働き方に関する様々な制度・慣行や人々の意識、ワーク・ライフ・バランスを抜本的に変革し、男女が意欲や能力に応じて労働参加と出産・育児・介護の双方の実現を促す仕組みを関係者で議論し構築していく。
女性の活躍を推進するため、女性の活躍を支える社会基盤となる取組を進めるとともに16、役員・管理職等への女性の登用促進の目標達成に向けた情報開示の促進や公共調達の活用等の取組、仕事と子育て、介護の両立を進める企業への支援、女性のライフステージに対応した支援などを進める。さらに税制・社会保障制度等について、女性の働き方に中立なものにしていくよう検討を進める。
ジョブ型正社員、短時間正社員など多様な正社員の普及やテレワークの推進に取り組むとともに、働く者が時間をコストとして捉える意識改革への取組や働いた成果が適正に評価されるような仕組みへの改善を支援する17。
また、国家公務員についても、国が率先して女性職員の採用・登用の拡大に取り組むこととし、職員のワーク・ライフ・バランスも一体的に推進する。

この注17には

17 その他、長時間労働の是正のための監督指導の強化や制度見直しなど「働き過ぎ」の防止を強化、健康管理の強化等。

とあります。ある以上は、それがきちんとできる体制作りが必要であることはもちろんです。

次に「複線的なキャリア形成の実現など若者等の活躍促進」では、

労働需給が改善している現況を好機ととらえて、以下の取組を強力に進める。
若者等の活躍を促進するため、現状を踏まえた総合的な若者対策について法的整備の検討も含め強力に推進するとともに、就職・採用活動時期変更の円滑な実施に向けて必要な取組を進める。22
一旦失敗するとやり直すことが容易でない現状を改善し、複層的、複線的に多様な再チャレンジの機会を確保し、一人ひとりが活躍していくことができる環境を労使など関係者で議論し整備していく。非正規雇用労働者の教育訓練機会の確保、処遇改善、不本意非正規の正規雇用化などを進める。また、起業等に繰り返し挑戦できるよう支援を充実する。また、刑務所出所者等に対する就職支援の推進等を行う。

おや、ここに例の公明党から要求されていた若者雇用法が顔を出していますね。

やはりあの報道は、厚労省ではなく内閣府あたりから流れたものだったようですね。

新しい技術や産業に適応しつつ生涯を通じて能力発揮できるよう、人材育成や職業訓練の抜本的拡充23、産業側・企業側ニーズに合致した質の高い職業訓練の実施、学び直し機会の拡充、ライフステージに応じたキャリア転換の支援など、自らの専門性を高める能力開発を行うことができる環境整備を進める。また、親の経済力や養育環境とは独立した形で、すべての子どもの様々な能力を伸ばす多様な機会が確保された社会とするため、子どもの貧困対策に関する大綱を策定し、官民が連携して子どもの貧困対策を推進することなどにより、格差の再生産を回避していく。
さらに、労働市場のインフラ整備を進める24とともに、医療・福祉、建設業、運輸業、造船業等の人材不足が懸念される分野における人材確保・育成対策を総合的に推進する。あわせて、雇用保険制度、求職者支援制度による重層的なセーフティネットの構築を進めるとともに、中小企業・小規模事業者への支援を図りつつ最低賃金の引上げに努める。

さりげに大事なことが雑多に詰め込んだかたちで書かれていますね。

一点だけちょっと離れたところに、労働法に若干関わる話が、

(2)観光・交流等による都市・地域再生、地方分権、集約・活性化

・・・地域経済において観光分野は成長可能性が高い分野であり、需要面と供給面の双方向から取組を進める44。「休み方」の改革について検討を進め、有給休暇を活用した秋の連休の大型化等を促進する。

なんだかいきなり有休を使って秋の連休という話が飛び込んできてますけど、

さっそく派遣労働で働くありすさんが

https://twitter.com/alicewonder113/status/477477370052362241

ひえー時給の派遣はまた給料が減る

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2014年6月13日 (金)

jin-jourのブックレビュー

26184472_1労政時報の人事ポータル「jin-jour」に、拙著『日本の雇用と中高年』の書評が載っています。

http://www.rosei.jp/jinjour/article.php?entry_no=62756

長らく年功的な人事管理を基調としてきたわが国では、リストラなどにより終身雇用のレールから外れた中高年層の雇用問題が大きく取りざたされてきた。雇用コストの高さゆえに排出の対象となりやすく、その高コストと年齢基準による採用管理が壁となり再就職することが難しかったためだ。しかしこれらはなお解決されておらず、近年は90年代に新卒で就職できなかった若者たちが、正社員経験を持たないまま中高年の入り口に差し掛かるなど、新たな問題も発生している。

本書は、中高年がこうした著しい不利益を被らざるを得ない日本的雇用の構造を丹念に解きほぐした上で、再挑戦を可能にする制度設計について論じたものである。解決策の一つとしてジョブ型正社員を提示しているが、雇用の観点にとどまらず、密接に関わりを持つ社会保障や教育システムにも言及し、これらを同時並行的に改革しなければならないとも指摘する。

雇用を取り巻くシステムは一朝一夕に変わるものではないが、変化の方向性を見据えて対策を講じることは、企業の人事担当者にとって不可欠な業務だ。第一線の研究者の解説は、採るべき「次の一手」を考えるに当たり、数多の指針を示してくれる。

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これ本当にこんな風に考える人がいるんだろうか?

ありすさんの素朴な疑問

https://twitter.com/alicewonder113/status/477396838480224256

これ本当にこんな風に考える人がいるんだろうか?でもいるから困ってるのか/“あたかも労働時間規制を外せば自由気ままに働けて、仕事と育児の両立もできるようになり、マミートラックも解消するなどという奇妙な議論すらいまだに出回っている”

そんなおバカな人がいるというのはまったく信じられないんだけど、他のことでもいろいろ信じられないような考え方をする人がいっぱいいるからなぁ……

つ、

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/old/publication/2005/1221/item051221_02.pdf(規制改革・民間開放の推進に関する第2次答申)

1 少子化への対応等

(1)仕事と育児の両立を可能にする多様な働き方の推進

【具体的施策】

① 労働時間規制の適用除外制度の整備拡充【平成17 年度中に検討、18 年度結論】

我が国の労働法制は、これまで労働時間の拘束を受ける労働を典型的な働き方として、これを保護すべきものと考えてきた。しかし、経済社会環境の変化に伴い、多様な働き方を選択する労働者が増える中で、ホワイトカラーを中心として、自らの能力を発揮するために、労働時間にとらわれない働き方を肯定する労働者も多くなっており、自己の裁量による時間配分を容易にし、能力を存分に発揮できる環境を整備するためには、そうした労働時間にとらわれない働き方を可能にすることが強く求められている。また、こうした労働者の範囲は、一義的に定めることが困難であり、制度設計に当たっては、労働者保護の確保に加え労使自治を尊重する観点から検討する必要がある。
以上の観点から、アメリカにおけるホワイトカラー・エグゼンプション制度等を参考にしつつ、現行の専門業務型及び企画業務型の裁量労働制の対象業務を含め、ホワイトカラーの従事する業務のうち裁量性の高い業務については、労働者の健康に配慮する措置等を講ずる中で、労働時間規制の適用を除外する制度について、その検討を着実に進め、結論を得るべきである。その際、深夜業規制の適用除外についても、労働者の健康確保に留保しつつ検討を行い、結論を得るべきである。
さらに、労働時間規制の適用を現在除外されている管理監督者についても、適用除外制度の在り方の検討を進める中で、併せてその範囲の見直しを検討するとともに、深夜業規制の適用除外について、管理監督者の健康確保に留意しつつ検討を行い、結論を得るべきである。

なぜか、「労働時間規制の適用除外制度の整備拡充」が「仕事と育児の両立を可能にする多様な働き方の推進」に役立って、「少子化への対応」になるという理屈が、政府の中枢で堂々と語られていたわけです。

今年になっても、

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/skkkaigi/goudou/dai4/siryou2.pdf(個人と企業の成長のための新たな働き方 2014年4月22日産業競争力会議 雇用・人材分科会主査 長谷川閑史)

Ⅱ.個人の意欲と能力を最大限に活用するための新たな労働時間制度

1. 働き方改革の目標と働き方に対する新たなニーズ

子育て・親介護といった家庭の事情等に応じて、時間や場所といったパフォーマンス制約から解き放たれてこれらを自由に選べる柔軟な働き方を実現したいとするニーズ。特に女性における、いわゆる「マミー・トラック」問題の解消・・・

上記のような働き方に対する新たなニーズに対応し、目標を達成するためには、一律の労働時間管理がなじまない働き方に適応できる、多様で柔軟な新たな労働時間制度等が必要である。したがって、多様な個人の意思や価値観・ライフスタイル等に応じて柔軟に選択できる、職務内容・達成度等の明確化とペイ・フォー・パーフォーマンスを基本とする「創造性を発揮できるような弾力的な働き方が可能な労働時間制度」を構築すべきである。

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長時間労働を直接的に規制する制度の導入が必要である

本日、内閣府の規制改革会議が第2次答申を出しました。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/committee2/140613/item1-1-1.pdf

各分野についていろんな議論があるところだと思いますが、こと労働時間に関しては、この一節のとりわけ太字にしたところを都合良く忘れて議論しないでもらいたいと思います。

・・・他方、我が国ではフルタイム労働者の総実労働時間は過去20 年ほど変わっておらず、長時間労働がいまだに大きな社会問題である。年次有給休暇消化率、長期連続休暇の取得率が国際的に見ても際立って低い。この背景には、時間外労働に対する割増賃金率以外に有効な長時間労働の抑制策がないという労働時間制度の不備があると考えられる。健康を徹底して守るため、労働時間の量的上限規制、休日・休暇取得促進に向けた強制的取組など、長時間労働を直接的に規制する制度の導入が必要である。

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日経経済教室でメンヘルの話

本日の日経新聞の経済教室で、山本勲さんと黒田祥子さんの「従業員のメンタルヘルス 企業業績に影響大」という文章が載っています。

その中から、ちゃんと読まれてしかるべき一節を

・・・なお、現在、自律的な労働時間制度の導入をめぐって議論が活発化しているが、筆者らの研究に基づけば、日本において、現行の労働時間規制が適用除外されている労働者ほど労働時間が短くなっているという証左は見いだせない。

あまりにも当たり前のことですが、あたかも労働時間規制を外せば自由気ままに働けて、仕事と育児の両立もできるようになり、マミートラックも解消するなどという奇妙な議論すらいまだに出回っているので、これを確認するのはなお重要。

・・・逆に、不況期には残業代が支払われない適用除外者に業務が集中し、長時間労働が生じやすく、そうした傾向は交渉力の小さい労働者で顕著となる。

そこから筆者たちがいうのは、

・・・このため、規制の適用除外の範囲を広げすぎると、かえって長時間労働を招き、メンタルヘルスをそこなうおそれもある。制度改革には、対象となる労働者の範囲設定を含め、慎重な対応が必要と言える。

なんですが、なぜ、「制度改革」というと規制の適用除外しか考慮に入れられず、それは慎重にという提言にしかならないのかが不思議です。

むしろこの文章の主題であるメンタルヘルスを守る観点からしても、長時間労働そのものをきちんと規制し、残業代が払われる払われないにかかわらず、心身の健康に害を及ぼすような長時間労働がそもそもできないような「制度改革」こそが必要だという結論になるのが一番自然な気がするのですが。

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辛うじて生きている物理的労働時間規制

日本では物理的労働時間規制はほとんど空洞化している、と繰り返し申し上げてきているところですが、元々の労働基準法が厳然たる物理的労働時間規制であり、36協定もあくまでもその例外措置に過ぎないという法律構造自体は何ら変わりはないので、やる気になればこういうこともできますという実例です。

http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/const/news/20140612/666510/(月102時間の残業で営業停止、鹿島道路に異例の処分)

別に月100時間を超える残業で自動的に違法となる法規定があるわけではありませんが、この会社が結んでいた36協定の上限を超えていたのです。

国土交通省関東地方整備局は6月9日、鹿島道路(東京都文京区)を労働基準法違反による営業停止処分とした。

 鹿島道路の広島営業所(広島県廿日市市)の元所長が2013年5月に営業所の社員に対して労使間で定めた協定の限度時間を超える時間外労働を行わせたとして、同社と元所長がそれぞれ同年12月24日に広島簡易裁判所から労基法違反による罰金20万円の略式命令を受け、14年1月11日に刑が確定している。

 関東地整はこの問題が他法令違反による処分を規定した建設業法28条に該当すると判断。鹿島道路に対して、6月24日から26日までの3日間、中国地方(鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県)での営業停止を命じた。

 関東地整が広島県内での問題に対して監督処分を行ったのは、鹿島道路が国土交通大臣許可を受けており、同社の本社所在地が同地整の管内にあるためだ。「時間外労働での労基法違反による営業停止は、関東地整では先例がない」(建設産業第一課)という。

具体的な36協定とその違反状況は、

廿日市労働基準監督署によると、問題が発覚したきっかけは鹿島道路が提出した「労働者死傷病報告書」。同報告書は、重大な労働災害などが起こった際に、労働安全衛生規則97条に基づいて事業者が提出するものだ。

 鹿島道路では、13年5月22日に広島営業所の事務職の社員が勤務中に所内で倒れ、6月1日に死亡した。これを受け、同社が労基署に報告書を提出した。

 廿日市労基署が死亡した社員の勤務状況などを調べたところ、労使協定で定めた時間外労働の限度時間を超えていたことが判明した。1日6時間の限度時間に対して、13年5月は1日当たり3分から2時間25分超過。1カ月の時間外労働が月100時間の上限に対して2時間1分超えていた。

 そこで、同労基署は13年11月7日に、「労働者に対して違法な時間外労働を行わせた労基法違反の疑い」で鹿島道路と元所長を広島地方検察庁に書類送検した。

36協定にどういう上限を定めるかについては強行的な規定があるわけではありませんが、この会社は自分で1日6時間、1か月100時間という上限を設定していたので、それを超えると36条による免罰効果が消滅し、もとの32条が息を吹き返して、労基が送検し、営業停止処分に至ったと言うことです。

ということは、ここからあまり長い残業はさせないようにしようというまともな教訓を得る企業もあるでしょうが、こういう羽目にならないように1か月100時間などという短すぎる上限設定はやめてもっと長めにしておこうという教訓を得る企業もあるかも知れません。

いずれにせよ、これが現時点における日本国の物理的労働時間規制の状況です。

ちなみに、この記事に一番最初に付いたコメントが、

時間外労働手当は、きちんと支払われていたのでしょうか?

であるというところに、残業代ゼロしか問題にされない現代日本の姿が一番浮き彫りになっているという見方もありましょう。

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2014年6月12日 (木)

若者雇用法?

共同通信の配信記事で、

http://www.47news.jp/CN/201406/CN2014061201001649.html(若者の雇用支援で新法策定へ ブラック企業対策を強化)

というのが突然出てきています。

政府は12日、若者の雇用安定を後押しする総合的な取り組みを定めた「若者雇用法」を策定する方針を固めた。過酷な労働を強いるブラック企業対策などを強化し、働く環境の改善を図る。来年の通常国会への法案提出を目指す。

このほか、新たな職業資格制度の創設などを盛り込んだ職業能力開発促進法の改正案も来年の通常国会に提出する。一連の雇用関連施策を月末に策定する新たな成長戦略で打ち出す。

若者雇用法は、若者が安定した職に定着できるよう、就職の準備をする在学中から就職活動、就職後を通じて社会全体で雇用対策を推進することを規定する。

私の知る限り、若者雇用法に繋がるような政策の動きは、少なくとも厚生労働省の関係ではまったくないはずです。

2パラグラフの職業資格制度については日本再興戦略に基づいて昨年から研究会が行われ、その報告書も出され、動いているのは承知していますが、若者雇用法というのは聞いたことがありません。

ただ、だからといってガセかというと、必ずしもそうではないかもしれないなと思うのは、実はこういう動きがあるからです。

https://www.komei.or.jp/news/detail/20140508_13909(若者雇用の促進法を)

公明党の雇用・労働問題対策本部(桝屋敬悟本部長=衆院議員)と青年委員会(石川博崇委員長=参院議員)は7日、厚生労働省で田村憲久厚労相に対し、「若者が生き生きと働ける社会」の実現に向けた提言を申し入れた。これには、佐藤茂樹厚労副大臣(公明党)が同席した。

今回の提言は、少子化に伴い若者が減少していく中で、「ますます貴重な存在となる若者の育成・活躍なしに、将来のわが国の社会・経済の発展はない」との認識から、党内で議論を重ねてきたもの。

具体策としては、まず、家庭や地域、学校、企業、行政機関、民間団体など、若者を取り巻く関係者の責務を明確化し、社会全体で若者を守り育てていく取り組みを総合的・体系的に推進するために、「若者の雇用の促進に関する法律」(仮称)を制定するよう提唱。

また、若者が企業を選ぶ際に重要となる、採用・離職状況やワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)の達成状況などの情報について、企業側の開示を促す仕組みの検討などを要請している。

新卒者支援では、全国に57カ所ある「新卒応援ハローワーク」でのきめ細かな職業相談・紹介に加えて、2015年度から始まる採用活動時期の繰り下げに伴う支援体制の確保を挙げた。中退者・未就職卒業者対策については、学校とハローワークの連携を進めることなどを求めた。

フリーター・ニート、非正規雇用者への支援策では、14年度に28カ所へと増設される「わかものハローワーク」の速やかな設置を要望した。個別の状況に応じた就労支援を行う「地域若者サポートステーション」(サポステ)については、安定財源が確保されていない現状を指摘し、事業の抜本的強化や法的位置付けの明確化を主張した。

若者が結婚し、子育てしやすい職場づくりに関しては、長時間労働の縮減や職場環境の改善に取り組む企業、業界への支援を提案。若者の“使い捨て”が疑われる、いわゆる「ブラック企業」対策では、国の厳格な監督指導などを訴えた。このほか、若者の能力開発の推進も要望した。

提言に対し、田村厚労相は「しっかりと重く受け止める」と答えた。

大臣が「重く受け止める」というのは、文字通り重く受け止めるということですね。

ここにきて、政府が公明党の雇用政策要求を急遽取り入れることとする理由となるような政治状況は、確かにある訳なので、これは裏のとれた話なのかもしれないな、と感じた次第です。

実のところがどうであるかはもちろん私ごときがわかるはずはありませんが。

(追記)

元記事へのつぶやきやコメントをみると、いかに多くの人がせめて何らかの調べをした上でものを言おうなどという意識もないまま、脊髄反射的に思い浮かんだことをそのまま垂れ流しているということがよくわかりますな。

ツイートが主流になる社会というのは、そういうことなんだな、という感想。

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『情報労連REPORT』6月号

『情報労連REPORT』6月号が届きました。特集は「みんなでもっと平和運動!」ですが、ここでは労働関係の記事を。

POSSEの今野晴貴さんが「労組による労働移動支援」というインタビュー記事に出ています。

「行き過ぎた雇用維持型から労働移動促進型への政策転換」を掲げる安倍政権。しかし、その内情は"リストラ促進"だ。一方、労働移動は避けられない時代でもある。労働組合は働く人をどう支援すればよいだろうか。

追い出し部屋促進にお金をつけるのはけしからんが、企業に雇用保障を求めるだけではダメで、むしろ労働組合が労働移動を支援する仕組みを作っていくべきだというのが今野さんの趣旨です。

その趣旨はまったくその通りなのですが、「リストラ」という言葉の用い方が、それではヨーロッパの関係者には通じないだろうな、とも感じました。そういうもっぱら「悪い」意味でのみ「リストラ」という言葉を使うこと自体に、日本の特殊性があるという面があるのです。特殊日本的「りすとら」とでも言いましょうか。

実をいうと、再来週、6月22日から28日まで、日本・EU労働シンポジウムにパネリストとして出席するために訪欧する予定なのですが、そのシンポジウムのタイトルが

グローバル化経済における事業再構築の予測及びマネジメント

Anticipating and Managing Restructuring in a Globalized World

日本語では「リストラ」というとぎらつくので「事業再構築」と正しく訳していますが、要はリストラクチュアリングが統一テーマです。

そして過去十数年にわたって、EUの欧州委員会は累次の政策文書でリストラクチュアリングへの労使による対応こそが産業構造転換に対する対応として重要だと言い続けてきていて、その限りで、労使いずれの側も「リストラ」を頭から悪者視するような用語法はしていません。

というような話は、シンポジウムから戻ったら改めてやるかも知れません。

今野さんの記事に戻ると、

・・・これまでの労働組合は、企業に雇用を守れと要求してきた。しかし、企業に生活の全てを保証してもらうやり方は、前述したように現実的に難しくなっている。

では、どうすべきなのか。そこで労働組合が、労働移動に関して、労働者に職業訓練を提供し、次の仕事にうつる支援を本格的に行うべきだ。

それは何も労働組合がリストラに協力することではない。・・・

・・・いま労働移動の分野は、人材ビジネス会社が独占している。しかし、そこに労働組合が関与し、「転職するなら労働組合に頼ろう」という社会に転換してほしい。折よく、政府は労働移動支援のために多額の予算を増額した。労働組合がその委託先になってより有効に政策資金を活用していくべきではないか。

このあたり、いままでの日本的感覚だと「とんでもない」となりがちですが、そこから逃げていると、かえってわるい「りすとら」を招き寄せることになるかも知れません。

もう一つ、本号で読まれるべきは、常見陽平さんの連載で「労働時間改革は誰のため?これで普通に働けるのか?」です。

そう、残業代がゼロになるとかならないとかよりも百万倍大事なことは、「普通に働ける」ってことのはずなんですが、なぜかこの手の話になると、自力で何でもできちゃうスーパーマン的超絶労働者像ばかりがでてくるのが問題なのです。

普通に働こうや。

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2014年6月11日 (水)

外国語同士の方が話が通じるって・・・

本日、午前中の労働法政策の講義を終えて、午後はフランスのソルボンヌ大学からきているデルテイユさん(♀)に日本の労働問題についてレクチャー。解雇や限定正社員とか労働時間制度(というか実は残業代)とか賃上げの話とか三者構成の話とかかなりの長丁場になりましたが、正直すごく話が通じた感があります。

最近はマスコミを始めこの手の話をする機会がやたらに多いのですが、同じ日本人同士で共通の日本語で話しているのになかなかこちらが言わんとしていることの中身が通じてない感がすることが結構あるのに比べると、双方ともにとって外国語である英語で、時々語彙に詰まりながら会話しているはずなのに、話の中身のわかり方でいえば、日本人に話すときよりもよっぽど通じている感がするというのは、一体どういうことなんでしょうか。

まあ、それほど日本人の労働に関する常識が欧州の方々とかけ離れているということなんでしょうね。

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『若者と労働』にamazonレビューその他

Chukoさて、『若者と労働』も引き続きご好評をいただいております。

amazonカスタマーレビューに「izagon」さんのレビューがアップされています。「 就活、ブラック企業、ニートなど。若者の労働を巡る諸問題の背景が分かる」というタイトルです。

http://www.amazon.co.jp/review/R1KIB6YWZDH6JP/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4121504658

現代の若者の労働をめぐる諸問題。就活、ブラック企業、ニートなど。

誰もが、異常な状況だと思っているんじゃないでしょうか。
年長者は「最近の若い者は」と言い、
若い人は「上の世代の非常識でこちらがバカを見る」と思っている。

本書は、こうした諸問題の背景にある、
ここ50年あまりの国内の経済状況・社会状況、
労働基準法をはじめとする労働法に判例、
学校教育と労働の関係などについて、とても明快な文章で説明しています。
著者の該博な知識、目配りのもと、煩雑にならずバランスよく提示されています。

誰かを悪者にする単純な図式化ではなく、「うまくいっていた」仕組みが、
社会の変化によってうまくいかなくなってきた、という認識のもとに、
漸進的な改善策を打ち出しているところもすばらしい。

若者達にも読んで欲しいし、就職を前にする子を持つ親にも読んで欲しいです。
人事部の方にも、若者達を自分の職場に迎える社会人にも、もちろん読んで欲しいです。

なお、読書メータにも「Hisashi  Kato」さんの感想が

http://book.akahoshitakuya.com/b/4121504658

欧米のジョブ型社会と日本のメンバーシップ型社会という働き方の違いから、若者への教育政策に対してアプローチ。ジョブ型社会こそスキルのない若者が就職にとても苦労してしまう点、日本は幹部候補が明らかに増えすぎてしまう就職活動の在り方である点、よく理解できた。


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2014年6月10日 (火)

NHK視点・論点 「中高年の雇用問題」

本日未明と昼下がりに放送されたNHK視点・論点 「中高年の雇用問題」のスクリプトが、NHKの解説委員室のサイトにアップされました。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/189793.html

 2000年代に入ってから、労働問題の焦点は若者の雇用問題になりました。テレビでも若者に関する番組が多く放送され、その中には、中高年が既得権にしがみついていい目を見ているから、若者はその割を食ってひどい目に遭っているのだ、というような、煽情的な議論を展開するものもありました。
 意外に思われるかも知れませんが、日本で若者雇用が意識され、対策がとられるようになったのは2000年代になってからです。1990年代のバブル崩壊期に至るまで、日本では若者に固有の雇用問題など存在しないと認識され、それゆえ学卒者の世話以外に若者雇用対策も存在しなかったのです。一定年齢以上の人にとっては常識に類することですが、こうしたことが意外に知られておらず、知識として受け継がれていません。

 これは、欧米諸国の状況とはまったく異なるものでした。日本も欧米諸国も、1970年代に石油危機を被り、深刻な雇用問題が発生した点では共通ですが、労働市場で不利益を被った年齢層は対照的でした。日本では人件費の高い中高年労働者の排出が進み、中高年失業者が大きな雇用問題になったのに対して、欧米諸国ではスキルの低い若者が就職できないまま失業者として滞留したのです。
 この原因は両者の雇用システムの違いにあります。欧米では、「仕事(ジョブ)」がまずあり、それにふさわしいスキルを持つ人を欠員補充で採用する「就職」が行われるのに対し、日本では、まず会社にふさわしい人を新卒一括採用で「入社」させた上で、適当な「仕事」をあてがい、実際に作業をさせながらスキルを習得させます。長期雇用慣行の中でスキルのない若者を採用して職場で教育訓練を行い、年功的処遇をしていく日本型雇用システムでは、若者にスキルがないことは採用の障害ではありません。むしろ、年功的処遇がもたらす中高年の人件費の高さが問題であり、そこに問題が集中したのです。
 1990年代以降「入社」のシステムが縮小する中で、そこからこぼれ落ちた若者たちがフリーターなど非正規労働者として滞留するようになって、ようやく若者雇用が政策課題になってきました。しかし、より正確に言えば、1990年代には若者だった就職氷河期世代が、2000年代に後輩たちに置いてけぼりにされるようになって、言い換えれば若者たちがもはや最も若い者ではなくなり、「年長フリーター」などと呼ばれるようになってはじめて、彼らは雇用問題の焦点になってきたのです。従って、それは若者雇用問題といっても、正確には「若い中高年」問題というべきものでした。
 もっとも、「雇用問題は中高年」といっても、その現れ方は欧米における若者雇用問題とはかなり異なっています。欧米の若者の問題は、まず何よりも仕事を遂行するためのスキルが乏しいことであり、それゆえにほとんど唯一の入口である欠員補充で「職」に就こうとしても、スキルの高い中高年にはじき出されてしまうため、失業や不安定雇用にとどまってしまう、というのがその構造です。
 それに対し、日本の雇用問題の中心である中高年問題とは、人件費が高くつくがゆえに、現に働いている企業から排出されやすく、排出されてしまったらなかなか再就職しにくいという問題です。ではなぜそうなるのか、といえば、ある種の「若者の味方」と称する論者が、これこそ中高年の既得権と批判してやまない年功的な人事処遇制度のために、企業にとって中高年を雇うことが割に合わないものになってしまうからです。ですから、企業はリストラをする際には、スキルの乏しい若者よりも、ある程度仕事をこなしてスキルが上がっているはずの中高年をターゲットにしたがるわけです。
 運のいい中高年はリストラされずに年功制で高い処遇を受け続けることができるのに、運悪くそこからこぼれ落ちた中高年は、なまじ前の会社でそれなりのいい処遇を受けていればいるほど、同じような処遇で再就職することは極めて困難にならざるを得ないのです。
 この構造は、運のいい若者と運の悪い若者の関係とよく似ています。運のいい若者はスキルなどなくても、いやむしろ下手なスキルなどない方が喜ばれて企業に新卒で「入社」できるのに、運悪くそこからこぼれ落ちてしまった若者は、「入社」できなかったこと自体がスティグマとしてつきまとい、なかなか這い上がることができなくなるのです。一言でいえば、若者であれ中高年であれ、「得」だからこそそこからこぼれ落ちると「損」する構造です。従って、運悪くこぼれ落ちた者が著しく不利益を被ってしまうような構造自体に着目し、その人々の再挑戦がやりやすくなるためには何をどのようにしていったらいいのか、という構造的な観点が不可欠です。

 さて、このように対照的な欧米と日本ですが、現に進行しかつこれからさらに進展していく人口の高齢化に対して、雇用と社会保障の全面にわたって対応していかなければならないという課題では、まったく共通の土俵の上に立っています。そして、それに対する回答も、既に繰り返し語られています。すなわち、経済協力開発機構(OECD)が2006年にまとめた報告書のタイトルにあるように、“Live Longer, Work Longer”(長く生き、長く働く)というのが責任ある唯一の答えです。
 寿命が延びていくのに、高齢者を早く引退させて、減っていく現役世代の負担を重くしていくなどというばかげた政策は、もはやどの国もとることはできません。これは、1970年代から1980年代にかけて若者のためと思って早期引退促進政策という政策をとってきてしまったヨーロッパ諸国ではとりわけ深く政策担当者たちの心に刻まれていることですが、その失敗経験がない日本でも、「他人の経験」としてきちんと学ばれる必要があります。
 経済的に見れば、増えていく高齢者の生活を誰がまかなうのか、自分で働いてもらい、自分で稼いだお金で自分の生活をまかなってもらうのか、それとも高齢者には引退してもらい、その生活にかかる費用は現役世代が稼いだお金で面倒を見るのか、という二者択一です。高齢者の雇用を進めると若者の職が奪われるなどと煽情的に語り、無用な世代対立を煽りたがる一部の評論家諸氏は、高齢者を働かせないでおいて、どうやってその生計を維持するつもりなのでしょうか。その多くは、同時に老齢年金に対しても異常な敵意を示し、若者から保険料として徴収したお金を高齢者に移転することも批判しています。
 労働所得も年金所得もなければ、高齢者は生活保護に頼るしかありません。生活保護の原資は税金ですから、これもまた経済的には現役世代からの移転です。しかも、年金と違って、ほかにどうしようもないときの最後の手段と位置づけられていますから、高齢者にとってはよりつらい状況になります。わざわざそういうやり方を選ばなければならない理由は何もありません。
 高齢者をめぐる雇用と社会保障の関係は、世界的にはもはや誰も疑問を呈する人がいないくらい一致した結論が出ている政策なのですが、なぜか2000年代以降の日本では、近視眼的な議論が横行するという言葉の真の意味でのガラパゴス状態が続いています。そういうガラパゴス評論家にまず退場してもらうことが、日本の言論を健全化するための第一歩と言えるでしょう。

というわけで、中身はほとんど『日本の雇用と中高年』の部分的要約です。

(参考)佐々木俊尚さんの感想

https://twitter.com/sasakitoshinao/status/476865724049530881

非常にすっきりとわかりやすい日本の雇用と欧州の雇用の問題の違い。濱口桂一郎さん記事。

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第15 回福祉教育研修講座「若者と雇用-福祉分野で安心して働き続けるために-」報告

日本社会福祉教育学校連盟のサイトにそのニュースレター『学校連盟通信』No.67がアップされ、その中に、今年1月に開かれた第15 回福祉教育研修講座「若者と雇用-福祉分野で安心して働き続けるために-」の報告が書かれています。

http://www.jassw.jp/data_room/newsletter/letter67/10.pdf

1 月11 日と12 日、東洋大学白山キャンパスを会場に第15 回福祉教育研修講座が開催された。「若者の雇用」をメインテーマにし、「福祉分野で安心して働き続けるために」をサブテーマとして、初日は基調講演とパネルディスカッション及び情報交流会、2 日目は3 つの模擬授業と情報提供「高校における福祉教育の動向」が行われた。

濱口桂一郎氏は、2003 年頃まで日本に若者雇用政策が存在しなかった理由として、入社(メンバーシップ)型社会によって新卒定期採用方式が定着していたことをあげた。ヨーロッパのような就職(ジョブ)型社会では、人と仕事を結びつけるのは実績や資格だったために若者が失業に直面してきたこと、日本の労働法制は実はジョブ型であるにもかかわらず、日本の教育界では「人間力」育成のために職業なきキャリア教育を推進し、企業社会ではジョブなき成果主義や滅私奉公を期待してきたことが述べられた。このような中で、介護・福祉職はマイノリティではあるがジョブ型社会の拠り所になるかもしれないこと、ドイツのデュアルシステムと介護実習のしくみは近似していることが示唆された。パネルディスカッションを踏まえて、氏は、介護・福祉のような職種や職業専門教育が、特別な存在ではなくて当たり前と見られる社会にしなくてはならないとコメントされた。・・・

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視点・論点「中高年の雇用問題」 再放送

本日未明、4時20分よりNHK総合で、視点・論点「中高年の雇用問題」 が放送されましたが(見られることを断固拒否しているとしか思えない時間帯ですな)、同番組は本日午後13時50分よりEテレで再放送されます。本日未明見られなかった方はどうぞ。

10分間しゃべり続けているだけですけど。

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2014年6月 9日 (月)

アマゾンレビューが続々

26184472_1さて気がつくと、amazonのカスタマーレビューで拙著『日本の雇用と中高年』に対する書評が続々とアップされていました。

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4480067736/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

6月2日に「Tom」さんが「コンパクトな戦後日本労務管理史です」と評して頂き、

濱口桂一郎先生のご著書の最大の特徴は労働法制を行政の政策、経営側の労務管理施策、そして対する労働組合を中核とした労働者の闘いという政労使のせめぎ合いを歴史的なパースペクティブの中で冷静に展開されていることです。この論理展開の基本的スタンスは、既刊の『新しい労働社会』(岩波新書)、『日本の雇用と労働法』(日経文庫)さらに『若者と労働』(中公新書ラクレ)においても一貫しています。新書というスペースによくもこれだけ丁寧な歴史事実を詰め込んでおられるなといつも感嘆するとともに、立ち止まって自分の考え方を見つめ直す際にも非常に貴重な資料本にもなっています。もちろん、先生は専門学者を対象とした研究本もたくさん著わしておられますが、さしづめ既刊三新書と今回の新書を併せて、「濱口労働法新書四部作」とでも呼びたくなるものです。コンパクトな戦後日本労務管理史として価値ある書物です。巷の生きた労働法テキストとして若い方、中高年の方、大学で労働法を学んでいる方、さらに企業の人事・労務を担当されている方など、幅広い方々に自信をもってお薦めします。

6月7日には「koku」さんが「平易だが難解」とやや手厳しく評され、

中高年の雇用問題(解雇問題)について、コンパクトに解説しています。

雇用政策に関する日本と欧米との違いや、日本型雇用システムの変遷の歴史、解雇や配置転換、降格についての裁判例など、詳細な解説が多岐に渡って続きます。文体は平易で、専門的な用語も少ないのですが、趣旨を理解するには、腰を据えて読むことが必要です。

結局のところ、中高年の雇用問題は、最後の第五章に集約されるように思います。

従来の年功序列型賃金は、家族手当などと同様、子供の教育費などの増加をカバーし、標準家庭の生活スタイルにマッチしていた。
そのため、本来は社会福祉として国が整備すべき扶養手当は、不十分なままになってしまった。
ところが、不況が長引き、企業はコスト削減のため、年功序列型賃金や各種手当を止め、相対的に賃金の高い中高年を、リストラし始めた。
賃金が高いのは、社会福祉的な費用を企業が負担していたことが一因であるが、企業側は(世の中も)、「あなたの能力が賃金に見合っていない」という、個々人の問題として扱っている。
(副作用として、資格取得や勉強会が流行ります)

賃金制度をどう設計するかは、各企業の裁量ですが、扶養手当の拡充は、少子化対策とも関連して、国が考えるべき課題でしょう。

そして本日6月9日には「Okapia Johnstoni 」さんが「やっぱり面白いですね(・ω・)ノ」と褒めていただいてます。

濱口さんの著書は大好きで、新書なら全部読んでると思います。以前はブログも毎日チェックしていたのですが、最近はこの領域に食欲減退気味なところがあり足が遠退いています(・ω・)

で早速本書の感想(not 書評)なのですが、問題の核心をわかりやすく説明してくださっていて、お得感はばっちりですね。今回はさらっと流して読んでしまったのですが、後日きちんと再読しますよ絶対。

印象に残ったのはなんといっても「部長ならできます」の小咄かなあ。あと、森戸先生の定年論議。本多ジュンリョウ(?)先生の引用などですかね。OECD委員の若者雇用政策のトラウマ、とか。興味深いエピソード満載なので、これから読む人はお楽しみに(・∀・)

濱口さん大阪出身なのですね。なるほど。だからか、本のなかに笑えるポイントをちょこちょこ入れてくれてて眠気覚ましになりますね。リフレインの如く繰り返す某若者論者(人事コンサルタント?)への皮肉のことなのですが。もはや、完璧に芸風として確立されましたね(・ω・)ノ

私も最近食傷気味なのですが、この分野ホント色んな人が色んなコト言ってて百鬼夜行なのですよね。安心の濱口ブランドに星5つ進呈。若者も中高年も含め、色んな人に読んでもらいたい1冊(・∀・)ノ

「安心の濱口ブランド」と太鼓判をおしていただきました。

(追記)

ついでに、amazonレビューじゃないけどブログでの本書への書評も:

http://ameblo.jp/scholeascholou/entry-11873311802.html(看護学校受験情報サイト スコレー・アスコルーのブログ)

ブログタイトルで「あれ?」と思われたかもしれませんが、このエントリは「時事問題を考える上で、役立ちそうな書籍」です。

「小論文の勉強のため、社会問題のいろいろな論点を整理するのにちょうどよい本はありませんか?」という質問をいただきました。

という問いに対する答えの一冊が拙著ということのようです。

せっかくですので、ある問題について、対立する視点をまとめてくれている本を紹介します。

具体的な紹介は次のようです。

仕事の仕方を、仕事に人を割り振る「ジョブ型」と、人に仕事を割り振る「メンバーシップ型」とに分けた上で、日本の会社は、以前は年功序列・終身雇用の「メンバーシップ型」だったけど、時代と共にそれが崩れてきていることを問題とします。その上で、「ジョブ型」の働き方へ変えていこうという提案をしています。日本の働き方の歴史を追いかけるような展開となっており、ひとつの雇用システムを作り上げ、それがあるていど上手くいった状況がくずれたときに、システムを変えていくのがどれだけ大変なのか、感じさせてくれる本となっています。

もう一冊紹介されているのが大山典宏さんの『生活保護 VS 子どもの貧困』です。生活保護について実務の視線から見事に描き出した大山さんの名著と並べて評していただいたことにとても嬉しく感謝します。

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エビデンスに基づいた解雇規制論議@JILPTリサーチアイ

労働政策研究・研修機構(JILPT)のホームページに新しいコラムが登場しました。「JILPTリサーチアイ」というタイトルです。

http://www.jil.go.jp/researcheye/bn/20140609.htm

第1回目はわたくしが「エビデンスに基づいた解雇規制論議」を書いております。

なお、中身についてはともかく、顔写真に対するコメントは受け付けませんのでよろしく。

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本田由紀『社会を結びなおす』

Photo0899本田由紀さんの『社会を結びなおす 教育・仕事・家族の連携へ』(岩波ブックレット)をお送りいただきました。

http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/2708990/top.html

50ページほどの小冊子なので、さらりと読めます。

版元HPに載っている本田さんのメッセージ(「はじめに」の一部ですが)に曰く:

私が本書を読者に提示したいと考えたのは,現在の日本において,過去への分析に基づいた将来の社会展望ではなく,粗雑な,しばしば事態をもっと悪化させるだけのように見える「改革」が,数多く進められているように見えるからです.たとえば,規制が機能していないところにさらに「規制緩和」と「自由化」を持ち込む,資源や手段が枯渇しているところにいっそうの締めつけや精神論を持ち込む,といった具合にです.あるいは,相互に矛盾するような「改革」が,思いつきのようにばらばらと実施されたりもしています.そうして必然的にうまくいかない状況をごまかすために,社会の内外にわかりやすい「原因」や「敵」を無理矢理見つけ出して叩くことでうっぷんを晴らそうとするようなふるまいが,「強い人」の中にも「弱い人」の中にも広がっているように見えます.

 これでは何も良い方向に進みません.それどころか,混迷や窮状は深まるばかりです.もっと社会を広々とよく見渡して,もつれや凝り固まりをもみほぐし,破れ目につぎをあてる,冷静で地道な営みがどうしても必要です.そのための見取り図を描きたくて,私は本書を書きました.

この一節は、今日の「改革」を巡る議論の状況を見事に捉えていると思いました。

まさに「過去への分析に基づいた将来の社会展望」が欠落した「粗雑な」「改革」が「しばしば事態をもっと悪化させ」ているからです。

確かに「改革」は必要です。しかし、それが「過去への分析」なき盲目のまま、「社会の内外にわかりやすい「原因」や「敵」を無理矢理見つけ出して叩くことでうっぷんを晴らそうとするような」デマゴーグに引っ張られる形で行われるならば、事態を悪化させるだけ、ということこそ認識しなければなりません。

そういうデマゴーグの実例は、私のまわりで私への罵倒のみを生きがいにしているような人々の哀れな姿を見るとよくわかるでしょう。

何にせよ、さらりと読める良書ですので、書店で気軽に手に取ってください。

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『月刊連合』で古賀会長がOECD事務総長と対談してる件

201406cover世の中には、OECDの膨大なデータの集積の中から、都合の良さそうなものだけ、それも、最新のデータでは自分の論を反証することになってしまうために、わざわざ昔々の古ぼけたデータを引きずり出してきて、「ほら見ろ、日本は世界で一番解雇しにくいんだぞ」などと、OECDの労働担当部局の担当者が聞いたらびっくりして飛び上がってしまうようなことを、平気でどや顔で言ってのけてしまうようなインチキ評論家がいたりするし、そういうインチキ評論家ばっかりうれしそうに持ち上げて使い続ける愚昧なマスコミもいるしで、誤解されているきらいがありますが、・・・

あぁつかれた。も少し続けるぞ。

そういう劣化言論になまじ影響されてか、OECDといえば新自由主義の先兵で、けしからん許しがたい断固粉砕という三拍子の反応しか出てこないこれまた古ぼけたおサヨクな人々もいたりして、そのOECDの発行した報告書を何冊も翻訳したり監訳したりしている身としては、こういう馬鹿の壁と阿呆の壁のぶつかり合いほどたわけなたことはないわいな、と思っていたところでありますが、・・・

ここまでが前座ね。

そのOECDのグリア事務総長と連合の古賀会長との対談が、『月刊連合』6月号に載っています。

たったこれだけが本題です。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/shuppan/teiki/gekkanrengo/backnumber/new.html

OECDの事務総長が肉声で喋っている言葉をちゃんと聞いていれば、インチキ評論家に騙される可能性もそれだけ少なくなりなすよ、というのが本日の教訓第1号です。第2号はまだ考えてませんが。

・・・日本は敗戦を経て飛躍的な成長を遂げ、世界有数の経済大国になりました。しかし、今、その経済的繁栄から取り残される人々が増えている。OECDの調査によれば、格差は大きければ大きいほど、労働市場からの阻害が起こりやすく、世代間の社会移動性も縮小し、教育や健康面での二極化も発生しやすくなることがわかっています。つまり、不平等の方向に振れると、それがますます強化される傾向があるのです。増大する不平等は、社会の一体性を阻害し、政策・制度への信頼を損ない、市場経済や民主主義国家の根底を揺るがすものともなりかねません。結果として、人材を最大限活用できず、経済成長の足かせとなる。今、日本が直面する最大の問題は、労働市場における二極化です。この流れを食い止めるには包括的な戦略が必要です。・・・

・・・日本のものづくりを中心とした生産モデルは、今後さらに洗練され、高度化されたものに転換していかなければなりません。日本の労働者にとっては、ここにチャンスがある。まず、そうした時代に即した教育制度や専門的な職業訓練を導入する。若い人たちにとって重要な分野、これから必要とされる仕事の内容に即した教育にフォーカスを合わせていく。少子高齢化が進み、総人口も減少しつつある日本では、若い人も女性も高齢者も、全ての人が労働参加すること、生産性を最大限に高める形で労働参加してもらうことが決定的に重要になります。・・・

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2014年6月 8日 (日)

「教育再生会議:職業教育学校の創設提言」の源流

共同通信の記事で、

http://mainichi.jp/select/news/20140604k0000e040141000c.html(教育再生会議:職業教育学校の創設提言 高卒後に進学)

政府の教育再生実行会議が、高校卒業後に進学できる職業教育学校の創設を提言する方針を固めたことが、関係者への取材で分かった。職業教育を専門的に実施する新たな高等教育機関で、新設だけでなく、実績のある現行の専門学校の移行も認める。専門知識と技能を備え、卒業後は各職場ですぐに活躍できる人材の養成を目指す。

ドイツなど海外では、高卒後の進路として大学の他に職業訓練校が設置されている。日本では専門学校がこうした役割を担ってきたが、学校教育法第1条が「学校」として規定する小中高校や大学などの「1条校」には含まれないため、十分な公的財政支援が受けられず、運営や教育内容の質の保証に課題があるとされてきた。(共同)

というのが話題になっているようです。教育再生会議の資料を見ていくと、

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai19/siryou.html

4月3日の第19回会合で、

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai19/siryou1.pdf(高等教育、職業教育にかかる論点)

というのが提示されていて、ここに次のように書かれています。

(論点3)高等教育機関の多様化を踏まえ、その構造、年限等は、どうあるべきか。特に、質の高い職業人を育成するための職業教育制度(専門高校、高等専門学校、専修学校、大学等)は、どうあるべきか。
①職業教育制度の在り方
○ 職業教育の充実・高度化のため、職業教育を行う学校等の在り方について、どう考えるか。
・ 専門高校(高校の専門学科)、高等専門学校、専修学校、大学、短期大学における職業教育の役割、関係
・ 多様な学習ニーズや困難を抱える生徒に対応した職業教育の在り方
・ 教育機関間の編入学の拡大など袋小路の解消 等
○ 高等教育段階における職業教育について、どう考えるか。
・ 実践的な職業教育を重視した高等教育機関の意義、効果、社会的要請(分野ごとの人材ニーズ) 等
○ 高校段階から高等教育段階にかけての5年一貫教育についてどう考えるか。
・ 高等専門学校の分野の拡大
・ 専門高校の専攻科の活用
・ 専門高校・専修学校高等課程と短期大学・専修学校専門課程(専門学校)との連携 等

またここに貝ノ瀨委員の発言要旨というのもアップされていて、

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai19/t1.pdf

3.高等教育段階における職業教育の充実
○高等教育段階では、社会的な人材ニーズに対応した職業人の育成が望まれる。
大学・短大、高専、専門学校が担っているが、次のような課題が指摘できる。
・大学・短大:学術研究をベースとした教育を基本としており、企業等と連携した実践的な職業教育を行うことが主目的ではない。
・高専:高校段階からの一貫教育のため、高卒段階や社会人に対応した職業教育には対応していない。
・専門学校:制度上、教育の質が必ずしも担保されておらず、多様な学校が存在し、社会的評価が必ずしも高くない。
○こうした課題を踏まえ、質の高い実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の創設に向けた検討をすべきではないか。その際、産業界の人材需要をベースにすることで学習成果が社会的に評価され円滑な就職に結びつくようにすることが求められる。また、社会人の学び直しの拡大や、諸外国に比べて低水準である高等教育機関への公財政支出を拡大するなどの新たな財源確保も必要。
○職業教育の充実のための学校制度の複線化を図るとともに、進路変更の柔軟化(転学の機会拡大)や進路の複線化(高校専攻科からの大学編入学)を進め、自らの学びを柔軟に発展させられるようにすることが必要。

こちらはまさに「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の創設」を訴えています。

多分この流れが共同通信の記者に流れて上の記事になったのでしょう。

ただ、本ブログを読んでおられる方はおわかりの通り、これは別に全然新しい話でも何でもなく、文部科学省の中央教育審議会の2011年答申で明確に打ち出されていたものです。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1301877.htm「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」(答申)

ここで、「職業実践的な教育に特化した枠組み」という名で打ち出されていたものが、いったんは専修学校の中のコースとして矮小化されていたけれども、再度本格的な制度として打ち出されようとしているいうことのようです。

この話の流れについては、昨年の『若者と労働』の中でも詳しく説明しておきましたので、未読の方はご参照ください。

なお、安倍総理大臣が先月OECDの閣僚理事会での演説で

http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0506kichokoen.html

だからこそ、私は、教育改革を進めています。学術研究を深めるのではなく、もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な、職業教育を行う。そうした新たな枠組みを、高等教育に取り込みたいと考えています。

と述べていたのは、これを先取りしていたのでしょう。

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リベサヨまたは手を使うフットボール

依然として、ごくごく一部の人を除いて、私がこねくり挙げた言葉のはずの「リベサヨ」という言葉は、圧倒的多数の人々にとっては相矛盾する「リベラル」と「サヨク」をくっつけた皮肉に満ちた言葉、なんかでは全然なくって、ほとんど同義語である悪口としての「リベラル」と「サヨク」をまことに素直にくっつけた言葉として流通してしまっているようですね。

本ブログでも何回も、そもそもヨーロッパではリベラルというのは市場主義の右派のことであって・・・などと説明してきましたが、そんなこむつかしいことを百万回繰り返したって何の効果もないということがそろそろわかってきたので、ちょっと違う説明を考えました。

というか、やたらにテレビで流れるワールドカップ関連の番組を見ていて思いついたんですけどね。

さて、今月ブラジルで行われるワールドカップ、何というスポーツの祭典でしょうか?

莫迦じゃないか?といわずに答えてください。正式には、つまり当該祭典を主催する当該スポーツの国際団体の正式名称からすれば、それはもちろんフットボールです。

FIFAってのは、フランス語のFédération Internationale de Football Association の略ですが、英語でもInternational Federation of Association Footballです。でも、日本ではサッカーといってますね。

大変面白いことに、日本の組織は日本語では「日本サッカー協会」なのに、英語名は「Japan Football Association」なんですね。

世界的には、フットボールといえば、日本でサッカーと呼んでいるものを指すのが普通ですが、諸国の中には別のスポーツを普通にフットボールと呼ぶ国もあり、そこでは世界の大多数でフットボールと呼ばれているスポーツのことをサッカーと呼ぶ習慣があるので、日本でもそのアメリカ方言が普及しているわけです。

でも、国内ではサッカー協会と呼びながら、国際的にはJFAといってるということは、サッカーなんてアメリカ方言は世界には通じないとわかっているということなのでしょう。

何が言いたいかというと、日本で「リベサヨ」という言葉に何の違和感も感じない人々の頭の中にある「リベラル」ってのは、アメリカ方言のフットボールと同じくらいアメリカ方言なんですよ、ってことです。

そう、手を使ってはいけないスポーツのことを普通にフットボールと呼んでいる世界の大多数の人々にとっては、「手を使うフットボール」ってのはそれ自体矛盾をはらんだ訳のわからない言葉なんですが、いやもちろんそういうスポーツがあるってことはわかっていても、それにしても何でわざわざそれをフットボールなんて言うかなあ、と思うような言葉なんですが、まさにその手を使うスポーツのことだけをフットボールと呼び、手を使わない他国でフットボールと呼ばれているスポーツにはサッカーという別の言葉を当てている国の人にとっては、「手を使うフットボール」?はあ?当たり前でしょう、という反応になる。

私は、アメリカ方言じゃない言葉の用法を前提にして、「手を使うフットボール」なんて笑っちゃうね、というような気の利いた皮肉のつもりで「リベサヨ」なんて言葉をこねくり挙げたんですが、あに図らんや、そこはフットボールは手を使うのが当たり前の国の方言がそのまま普通に流通している国、「リベサヨ」?はあ?リベラルがサヨクなのは当たり前でしょう、という反応が返ってくる国だったというわけです。

というようなことを、番組名でも日本語表記はサッカーなのに、英語表記はFootballとなっている番組を見ながらつらつらと感じた次第です。

(追記)

労務屋さんの感想:

https://twitter.com/roumuya/status/476896135458476032

アメフトだけではなくラグビー・フットボールも手を使うので、手の使用を制限するアソシエーション・フットボールのほうがむしろ例外なのかも。だからなんだというわけでもないですが。

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残業代はゼロか@日経新聞

本日の日経新聞の「中外時評」で、論説副委員長の水野祐司さんが「残業代はゼロか 労働時間論議、広い視野で」というコラムを書かれています。

http://www.nikkei.com/article/DGKDZO72428910X00C14A6TY7000/

水野さんには以前かなりじっくりとお話をしたこともあり、今日の記事も大きな方向性としては正しいというか、あまり外していない記述になっています。

実りある議論をするには、事実関係をしっかり押さえることが必要だ。労働時間をめぐる制度の見直しもそうだ。

 新しい制度では残業代がゼロになる。毎月の給料が引き下げられるということだ――。見直し論議が世の中の関心を呼ぶにつれて、そんな声が高まっている。が、本当に、「残業代ゼロ」になるのだろうか。・・・

残業代という賃金規制に関わるところについては、残業代ゼロをヒステリックに叫ぶだけの記事よりもよほどまともですし、とりわけ、

・・・残業代の行方に議論が集中することの問題は、労働時間制度をめぐる本質的な議論が進まなくなる点だ。

というのは、この表現自体はまさに我が意を得たり、なんですが、その先の「労働時間制度をめぐる本質的な議論」がなんであるかというところになると、どうもずれを感じざるを得ないところが出てきます。

・・・労働時間規制の対象外になる働き方では、長時間労働に歯止めをかけることが重要になる。年間の労働時間に上限を設けるなどの方法は検討に値するだろう。

年間の上限も「検討に値する」でしょうが、そんな大枠でどこまで歯止めになり得るか職場の現実からするとかなり疑問でしょう。

このコラムは長谷川ペーパーの具体的な提案にはあまり触れていないのですが、一定のフレクシビリティを含んだ勤務間インターバルのような法的な労働時間の上限設定を避けようとするのはなぜなのか、というあたりにももう少しペン先を鋭く刺してほしいところです。

いや実はそれは明らかで、その後に書かれている

・・・もう一つは正社員改革だ。日本の正社員は職務をはっきりさせず雇用契約を結ぶため、受け持つ範囲が曖昧になる。言われるままに仕事が増えがちだ。過重労働対策は、そうした社員像を改めることがカギとなる。・・・

というところを、企業サイドはまるっきり、これっぽっちも、やる気がないからです。冗談じゃねえ、何でも好きに使える無限定正社員というありがたい存在を何でわざわざ捨てなきゃいけないんだ、と思っているんです。それはかなりはっきりしてます。

それをそのままにして賃金の払い方だけ変えたいという欲望に対して、残業代ゼロがケシカランという後ろ向きの反応だけやってても意味がないし、言うがままに無限定正社員のまま賃金の規制緩和を認めても物事がいい方向に進むわけではない。

だからこそ、そこに物理的な労働時間の上限という規制を導入しながら硬直的な賃金規制の緩和を組み合わせていくことが重要になるのです。

そういう意味でこれはかなり高度な戦略が必要になる物事なのであって、この水野さんのコラムもそのための陣地取り合戦の一環なんですね。

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「Et alors」(それがどうしたの?)

26184472_1大内伸哉さんの「アモーレと労働法」で、拙著『日本の雇用と中高年』について詳しく評していただいています。

http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-c268.html

冒頭の苦情については最後でお答えするとして、本書に対する大内さんの評は、本エントリのタイトルにもつけたこの言葉に集約されるのでしょう。

前作の『若者と労働』も,今回の『日本の雇用と中高年』も,資料的な内容が多くて,それはそれで勉強になりますし,政策形成過程は,おそらく行政の方にとっても,また経済界や労働組合の人にとっても重要でしょうし,歴史を知ることの重要性も否定しませんが,なんとなく,「Et alors」(それがどうしたの?)という感じにもなります(隠し子の存在についてジャーナリストから質問されたときの,フランスの当時のミッテラン大統領の返事)。もちろん,そういう歴史や資料的なことに関心がある人が多いので,こういう新書が出されたのでしょうから,社会的には有益なものなのでしょう。おそらく個人の主張を書いた私の新書よりは,ずっと社会的価値が高いと評価されるのでしょう。

実を言うと、この文を読むと、「歴史を知ることの重要性も否定しませんが」という表現の裏に、「とはいえ、本当は歴史なんて二の次、三の次なんだけどね」という気持ちが感じられます。で、それは、まっとうな労働法学者としてはまことに当たり前だろうと思います。法学部やロースクールで、まっとうな法解釈学の訓練をきちんと受けた方々が、そういう感覚になるのは当然であって、歴史なんぞに興味を持って首を突っ込むのは、趣味人の手すさびにすぎないでしょう。

実は同じ感覚を、まっとうな労働経済学者の方々の言葉の端々にも感じることがあります。まっとうな理論経済学の訓練をきちんと受けた方であればあるほど、やはり歴史なんかは趣味人の手すさび視するようになるのは自然なことだと思います。

ただ、私はそういうまともな法学者、まともな経済学者の非歴史的かつ形式論理的な言語体系における記号処理だけで、労働という複雑な人間活動に対する政策提言が出てくることに対して、いささか違和感というか「それだけじゃないでしょう」感を持っていて、そのあたりをできるだけ歴史叙述から浮かび上がらせるような本を書きたいというのが、本書も含む様々な本や文章を著してきていることの背景にある意図なのです。

実を言うと、それをちゃんとやるべき学問体系というのはちゃんとあって、社会政策という学問分野は本来そういうものだったんじゃないの?というのが、以前金子良事さんとの間でやりとりしたことでもあるわけですが、金子さんからは、そういうことも含めて全部法律学でやってくれ、と突き放されており、行き所がなくって、ひとりぼっちでとぼとぼ歩いているところなんですがね。

大内さんにとって、現在の政策を論じる上で重要性などないと感じておられるであろう、高度成長期から低成長期に至る時期の労働市場をめぐる政策や学問的議論の推移こそが、私にとっては今日の労働政策を考えるに当たってもまず念頭に置かれ、それを思考の基準線とすべき根本であるというあたりに、個々具体の政策論における共通点や相違点を超えて、両者の思考形態の違いなのかもしれないという気がします。

私が大内さんに言及する際には、なまじ個々具体の政策論では結構共通するところもあったりするので(たとえば最近の話題では、残業代規制を緩和するホワイトカラーエグゼンプションに対しては積極的であることなど)、かえってその結論がもたらされる根っこの認識が価値基準はこれだけ違うんだよ、ということを必要以上に強調する傾向が強く出すぎるのかもしれません。

大内さんのエントリの冒頭で、

ただ,私の言ったことに,「根本的誤解」とかいう大人げのないタイトルをつけて,そして私に言わせると的を射ていない批判をされており(反論はこのブログでしています),気持ちのよいものではありません。最近,私の名前をググる機会があり,そうすると,この濱口コメントのタイトルが上位に出ていました(いつからなのでしょうか)。驚きましたし,なんだか嫌な気分になりました。内容の批判は自由で,むしろ有り難いのですが,タイトルには気をつけてもらいたいです。

と、私に対する苦情が書かれているのも、表面的な政策の結論がよく似ているからといって、大内さんと同じ認識、同じ価値判断に立ってそう論じているんではないんですよ、ということを言いたいという意図が、大内さんの議論に対する否定的なラベルを貼るという適切でないやり方になってしまったことの結果だとすれば、まことに反省すべきことです。相違点を明確にするという意図が裏目に出てしまい、かえって不快感を与えてしまったことに対しては、心からお詫びし、もっともっと丁寧に説明するように努めなければならないと痛感した次第です。

(追記)

せっかくなので、私が歴史の推移こそが労働政策を考えるαでありωであるという考え方を全面的に展開している連載を改めて紹介しておきます。

海老原嗣生さんに依頼されて、季刊の『HRmics』誌に13号から連載している「雇用問題は先祖返り」は、まさに労働政策の各分野ごとに、政策の方向性が「先祖返り」している状況と、にもかかわらず肝心のそのアクターたちが自分たちがかつて大先輩たちがやっていたことを繰り返していることに全然気がついていないという皮肉な状況を描き出そうとしたものです。

各記事と、その小見出しを並べると、私が何を重要だと思っているかが浮かび上がってくると思います。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hrmics13.html(「同一労働同一賃金はどいつの台詞だ?」 )

はじめに
1 軍部から労組へ:戦中戦後を貫く生活給思想
2 経営側の主張する同一労働同一賃金原則
3 労働側のリラクタントな姿勢
4 政府の積極姿勢
5 そして誰も言わなくなった・・・
6 「均衡」ってなあに?
7 不合理な相違の禁止←いまここ
8 同一労働同一賃金はどいつの台詞だ?

この有為転変から浮かび上がってくる何とも言えない皮肉こそがこの問題の本質であると考えるか、それとも「Et alors」(それがどうしたの?)と感じるか、その違いは結論における近さでは隠せないほど大きいものがあると思います。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hrmics14.html(「職業能力、職種を中心とする労働市場をめざして・・・」 )

はじめに
1 日本型20世紀システムの「偏倚」
2 「近代主義」の時代
3 企業主義の時代
4 市場主義の時代
5 そして再び「職業能力、職種を中心とする労働市場をめざして・・・」?

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hrmics15.html(「『近代的』労使関係はどこにいったのか?」 )

はじめに
1 「近代的」労使関係のジョブ型モデル
2  「近代的」労使関係の非マルクス型モデル
3 「近代的」労使関係の協力型モデル
4 「近代的」労使関係の完成が「近代主義の時代」を終わらせた

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hrmics16.html(「『技能検定』から半世紀ぶりの『キャリア段位』」 )

はじめに
1 技能検定制度の創設
2 近代主義の時代
3 企業主義の時代
4 ジョブ・カード制度
5 日本版NVQ(キャリア段位制度)の構想

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hrmics17.html(「『雇用維持型』から『労働移動支援型』への転換というデジャビュ」 )

はじめに
1 職業転換給付金の時代
2 雇用調整助成金の時代
3 「失業なき労働移動」の登場
4 労働移動支援へ
5 雇用調整助成金の復活
6 そして再び「労働移動支援型」へ

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hrmics18.html(「年齢差別禁止の有為転変」 )

はじめに
1 ジョブ型を目指した時代の中高年対策
2 年齢差別禁止法への試み
3 中高年リストラと整理解雇の年齢基準
4 90年代リストラの標的は再び中高年
5 年齢差別問題の提起
6 2001年雇用対策法改正による努力義務
7 政治主導による年齢制限禁止立法

今のところ刊行されているのはここまでですが、次号(19号)には「物理的労働時間規制の復活?」を寄稿する予定です。

はじめに
1 工場法から労働基準法へ
2 労働時間規制の空洞化
3 「時短」から弾力化へ
4 過労死・過労自殺問題
5 実労働時間規制の導入へ?
6 過労死等防止基本法案

そう、私のものの発想の根っこは、まず歴史を振り返り、じいさまのやってたことを知らない孫に、じいさまのやってたこと、考えてたことを語るところから始まるのです。

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2014年6月 7日 (土)

『季刊労働法』245号詳細目次

Tm_mjq1x5vcmupqrw労働開発研究会のサイトに、来週刊行予定の『季刊労働法』245号の詳細目次がアップされていたので、こちらでもご紹介。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/archives/006213.html

●2012年の12月に第二次安倍内閣が発足後、いわゆるアベノミクスという号令の下で規制改革が進行中です。「日本を世界で一番企業が活動しやすい国に」というスローガンがありますが、このスローガンを見てすぐに思い浮かぶのは、その一方で労働者保護をどう担保するのかということでしょう。今号では、政労使会合による賃上げを労使関係論からどう評価するか、限定正社員制度をどうみるか、労働時間改革議論をどうみるか、「雇用維持型から労働移動型へ」という労働市場政策をどう評価するか、などといった視点から、アベノミクスにおける雇用政策を点検します。
●連載の他に、イギリス、台湾における障害者雇用に関する論稿の掲載を予定しております。

特集
アベノミクスの労働政策を点検する
 

 

政労使会議による賃上げ ー労使関係論の視点からどう評価するかー 京都大学教授 久本憲夫

「限定正社員」論の法的問題を考える ー区分的雇用管理における労働条件法理と解雇法理 中央大学教授 毛塚勝利

アベノミクスの労働時間政策を検証する 名古屋大学教授 和田 肇

労働規制改革と労働市場政策の現在――「行き過ぎた雇用維持型から労働移動支援型への政策転換」? 龍谷大学教授 矢野昌浩

労働特区構想と憲法 立命館大学教授 倉田原志

労働政策過程をどう評価するか 労働政策研究・研修機構主席統括研究員 濱口桂一郎

■シンポジウム■
雇用の現状と問題点~雇用規制緩和政策を考える~
    弁護士・コーディネーター 棗 一郎
    弁護士 水口洋介
    弁護士 木下潮音
    日本労働組合総連合会総合労働局長 新谷信幸
    東京経営者協会労働・研修部兼総務部次長 海老澤大造

■論説■
労働契約の終了と合意―労働契約における合意の「共時的構造」と「通時的構造」山口大学准教授 新屋敷恵美子

原発被曝労働と電力会社の労働者保護責任 龍谷大学名誉教授 萬井隆令

台湾における障害者に対する賃金政策と職業リハビリテーション 北星学園大学教授 中川 純

■神戸大学労働法研究会 第28回■
事業場外労働時間のみなし制の適用の有無と社内滞在時間が就労時間と推定されない「特段の事情」の存否―ヒロセ電機事件・東京地判平成25・5・22労経速2187号3頁 上智大学准教授 富永晃一

■同志社大学労働法研究会 第11回■
会社分割・事業譲渡に伴う労働契約承継の法的課題
    同志社大学教授 土田道夫
    同志社大学大学院博士前期課程修了 溝杭佑也

■北海道大学労働判例研究会 第33回■
街宣活動の正当性の限界――東京・中部地域労働者組合(第二次街宣活動)事件(東京地判平25.5.23 労判1077-18)弁護士 開本英幸

■文献研究労働法学 第12回■
解雇規制をめぐる法理論 労働政策研究・研修機構研究員 山本陽大

■イギリス労働法研究会 第20回■
イギリスにおける障害労働者に対する使用者の合理的調整義務の範囲 島根大学教授 鈴木 隆

■アジアの労働法と労働問題 第20回■
ベトナムの最低賃金制度  大阪女学院大学教授 香川孝三

■ドイツ労働法古典文献研究会 第5回■
事業譲渡時の労働関係自動移転ルール形成過程における議論状況 弘前大学講師 成田史子

特集以外ではJILPTの山本さんが解雇についての文献研究を書いていますね。

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労働基準法の根本構造がいかに理解されていないかの実例

現在一番活発な労働法学者である大内伸哉さんですら、それを「労働時間規制の核」だなんて全然思っていないのですから当然とも言えますが、でも半世紀以上昔に作られた日本国の労働基準法の根本構造は「労働時間の上限規制を無視されたらどうするの?」という問いに対する答えをちゃんと用意してはいるんですよ。

https://twitter.com/hahaguma/status/475084605922344960

で、労働時間の上限規制を無視されたらどうするの? 「経営者を死刑に」しなくとも、罰則規定の可能性はあるはず。

可能性も糞も、そもそも残業代などという枝葉末節以前に、物理的労働時間を規制している我が日本国労働基準法は、その物理的労働時間の上限を無視した使用者に対して、ちゃんと罰則を用意しています。

第三十二条  使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない。

 使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。

第百十九条  次の各号の一に該当する者は、これを六箇月以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。

 第三条、第四条、第七条、第十六条、第十七条、第十八条第一項、第十九条、第二十条、第二十二条第四項、第三十二条、第三十四条、第三十五条、第三十六条第一項ただし書、第三十七条、第三十九条、第六十一条、第六十二条、第六十四条の三から第六十七条まで、第七十二条、第七十五条から第七十七条まで、第七十九条、第八十条、第九十四条第二項、第九十六条又は第百四条第二項の規定に違反した者

だけど、そんなことは議論のどちら側からも誰も指摘しないどころか、気がつかれすらしない、というところに、残業代だけが、それのみが労働時間規制というものであって、物理的労働時間の上限違反に罰則が科せられるなんて心の底から信じられない精神構造がよく窺われるわけです。

日本人の圧倒的多数の労働常識は、六法全書に載ってて誰でも読める実定労働法の規定とは全く異次元の世界にあるということもよくわかります。

ここ数日、いろんな方面から質問攻めにされて、疲弊気味。

(追記)

ちなみに、上の119条1項を見ればわかるように、労働時間規制の本家本流である32条違反と、そのコロラリーとしての労働時間関連賃金規制である37条違反の両方に同じ罰則が規定されていますが、

なぜか後者の残業代違反に対しては、

http://www.anlyznews.com/2014/06/blog-post_782.html

罰則規定がなければブラック企業の経営者なんて露ほども気にしないであろうし、かと言って経営者を死刑にしてしまったら企業存続が不可能になって、逆に労働者が困るかも知れない。どうやって規制を経営側に守らせることができるかまで考えないと、残業代規制を主張しても、受け取る側には説得力が無い。実行力のある残業代規制を主張する人々は、どのような罰則規定を想定して主張しているのであろうか。

などという意味不明の揶揄をする人が現れることはないわけです。というところに、残業代だけが、それのみが・・・(以下同文に付き省略)

(再追記)

ついーとだのはてぶだの見る限り、ますますものごとの構造を全く理解しないまま議論しているつもりの人が圧倒的に多いことに驚く(って、修辞であって実は全然驚かないけれど)

あのね、法律で違法とされていて罰則も付いているけれどそんなもの実際には全然科せられることはないなんてのは労働法の世界には山のようにあって、上で多くの人が違法だと認識している方に分類されている残業代を払わないことだって、現実には労働基準法119条に基づく罰則が適用されるなんてことはほとんどないわけです。

でも、労働者がチクって監督官がやってくると是正勧告切られて、仕方なく未払いの残業代を払って一件落着というパターンになるということは、その限りで法律が動いているということ。経営者が「企業存続が不可能になって、逆に労働者が困るかも知れない」と言っても、その理屈で世の中が動くわけではない。

このように本来の労働時間規制としては枝葉末節の残業代規制については、刑罰法規をほとんど抜かないサーベルとして使いながら、それなりに行政法規としては機能させているわけですね。

それに対して、労働時間規制としては本流のはずの物理的な時間の上限規制の方は、建前上は例外的な状況に対応するためのはずの、

(時間外及び休日の労働)

第三十六条  使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、これを行政官庁に届け出た場合においては、第三十二条から第三十二条の五まで若しくは第四十条の労働時間(以下この条において「労働時間」という。)又は前条の休日(以下この項において「休日」という。)に関する規定にかかわらず、その協定で定めるところによつて労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる。ただし、坑内労働その他厚生労働省令で定める健康上特に有害な業務の労働時間の延長は、一日について二時間を超えてはならない。

によって、無制限の時間外・休日労働が違法じゃなくって全く合法的なものになっている、ということが、本ブログで耳にタコどころかイカ大王が何匹もできるくらい繰り返してきたことなんですが、それが上の話と全然結びついて認識されないのが今の日本人の精神構造であるわけです。

合法なんだから、いかに「この会社はこんな長時間労働なんだぜ、けしからんだろう」と泣こうがわめこうが、監督官がサーベル担いでやってこようが、いや働いてた労働者がぶっ倒れようが、その労働者の労災保険の手続きはやってくれるかもしれないけれど、労働基準法上違法じゃない長時間労働に対しては、何一つ手出しも口出しもできないのですね。

36条という天下無敵の免罰規定があるので、32条の「労働させてはならない」という条文は、存在しないに等しい状態になっているんですよ、という話をしているつもりだったのが、そんなこと考えたこともなかったほとんどすべての日本人には全く通じてなかったという笑い話です。

ついでながら、上の条文の但し書きにあるように、今の日本にも絶対的な労働時間上限もあるんですよ。昔は、女子はほぼみんなそうでしたが、男女平等の崇高な理想のためになくなったというのも、ある年齢以上の人に」しか知られなくなっていることかもしれません。

(忘れた頃の追記)

https://twitter.com/bifbo/status/476193715212394496

これは「常識」の範囲じゃないのか。

いや、私も常識の範囲であって欲しいと思っているからこそ書いているわけですが、にもかかわらず全然常識になっていないから書いているわけでもあるんです。

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2014年6月 6日 (金)

日本型雇用の綻びをエグゼンプションで補う試案@海老原嗣生

経済産業研究所(RIETI)のスペシャル・レポートとして、海老原嗣生さんの「日本型雇用の綻びをエグゼンプションで補う試案」という論文が載っています。

http://www.rieti.go.jp/jp/special/special_report/069.pdf

何が「スペシャル」なんだかよくわかりませんが、ことごとくピントを外した議論ばかりが横行しているこの世界では、中身がスペシャリーに良いものであることだけは確かです。

この海老原論文、42ページとかなりの長さなので、大見出しだけ並べると、

§0.はじめに:残業代の有無よりも大事なこと

§1.熟年日本人社員の耐えられないジレンマ

§2.日本型能力主義が生み出す長時間労働

§3.「途中から欧米型」に必要な要素

§4.実効性が高い運用ルールと誘導策

§5.今度こそ「失敗しない日本型変革」

と、わたしが『日本の雇用と中高年』で述べた話とも通じていることがうかがわれるでしょう。

個人的にはここ数日、例の長谷川ペーパー関係でわけわかめ状態の話を解きほぐす説明ばっかりやっている感じですが、今後はまずこの海老原さんの文章を読めと言いたい思いです。

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視点・論点「中高年の雇用問題」

https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramTable/Show.do?area=001&tz=all&date=20140610&style=s&media=21

6月10日(火) 午前4:15~ 翌日午前4:15
テレビの番組表

04:20
視点・論点「中高年の雇用問題」
労働政策研究・研修機構労使関係部門統括研究員…濱口桂一郎

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労働時間に上限の設定を@安藤至大

昨日に続き、日経新聞の経済教室が「雇用制度改革の視点」を載せていますが、労働法学者である昨日の大内伸哉さんの議論よりも、労働経済学者である今日の安藤至大さんの議論の方に、はるかに共感するものを感じてしまうのはなぜなのだろうか、とこれまたいろいろと思いを巡らせてしまいます。

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野村浩子『定年が見えてきた女性たちへ』

4872906516野村浩子さんより『定年が見えてきた女性たちへ 自由に生きる「リ・スタート」のヒント』(WAVE出版)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.wave-publishers.co.jp/np/isbn/9784872906516/

突然ですが、拙著『日本の雇用と中高年』では、終わり近くで「中高年女性の居場所」という節を設けて、かつての女子結婚退職制とか女子若年定年制の話をねちっこく書いていますが、ではその後どうなったの?という話が抜けてて、いきなり主婦パートの話で締めくくられていて、これって肩すかしじゃん!と怒りを感じられた方も多いのではないかと思います。

そこは、意識してました。意識してたけど、書きようが難しくて、あえて言えば逃げたんですね。

そう、昔の「そもそも中高年女性を会社メンバーとして想定しない日本型雇用システム」が、外部からの圧力で一定程度変容して、今ではかなりの数の、「定年を迎える女性たち」「定年が見えてきた女性たち」がいるようになってきています。

でも、その姿を♫ありのままに♫描き出すのは結構難しい。マスコミも政府も、ややもすれば上澄みの世界で活躍している女性の話ばかりやりたがるけれども、それでは話がつながらない。なにより、中高年男性たちとどこが同じでどこが違うのか、それは私には手が出ないなと思ったんですね。

そこをさまざまな中高年女性たちの実例を挙げながら描き出しているのが本書です。

・・・なにしろ、会社の中で働き続ける女性としては、自分たちがパイオニア。社内を見渡しても、定年を迎えた女性はまったく見当たらないか、数えるほどしかいない。定年まで勤め上げる女性のロールモデルが見つからないのだ。

私自身、職場で女性の先輩が定年を迎えるに当たり送別会をした経験は、これまで一度しかない。事務や経理の職でこつこつと地道に仕事をしてきた先輩だった。・・・「そうか、定年まで勤める女性もいるんだなあ。60歳までの道のりには、いろんなことがあったのだろう」と思いを巡らせたものだ。しかし、身近に同じ職種で定年まで勤め上げた女性の先輩はほとんど見当たらない。私と同様、多くの女性たちもまた先輩の背中が見えないと思っているのではないか。

2箇所ほど、拙著から引用していただいているところもあります。

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2014年6月 5日 (木)

労働時間規制の核は・・・

大内伸哉さんと言えば、専門書から一般向けの本まで、現代日本で一番多くの労働法の本を出している研究者であることは多分間違いないと思います。

その大内さんが今日の日経新聞の経済教室に「雇用制度改革の視点 経済変化踏まえ見直しを」を書かれています。

内容は、近著『雇用改革の真実』や『解雇改革』などに書かれていることの要約なので、その内容について改めてコメントしませんが、その文章の中のある一節に、日本における実定労働法の規定とはかけ離れた、しかし現実社会ではまがうことなく現実の姿である認識が見事に表現されていたので、それを紹介しておきます。

・・・労働時間改革にも批判が強いが、誤解も多い。労働時間規制の核は、法定労働時間(1週40時間、1日8時間)を超える時間外労働に対して時間比例の割増賃金の支払いを企業に義務づける仕組みだ。・・・

はぁ?どこが問題なんだ?その通りじゃないかと思った方。労働基準法の労働時間規制の根幹である32条を忘れていませんか?

日本の労働基準法は、アメリカの公正労働基準法みたいに物理的時間を規制することなくお金だけを払えと言ってる法律ではありません。ヨーロッパの法律と同様、

・・・・・・超えて労働させてはならない。

と明確に規定しています。だけど、大内さんのような最も有名な労働法学者でさえ、そんな規定は「労働時間規制の核」でも何でもないんですね。そう、今の日本では、32条を持ち出して、1日8時間以上、1週40時間以上働く義務なんてないなんて言えば、頭がおかしいと思われ、下手をすれば懲戒解雇されるのですから、確かにそんなものは「労働時間規制の核」であるはずがありません。

しかし、ということは、大内さんはその「労働時間規制の核」をやめてしまってもいいという議論を、少なくともその主観的意識においてはしていることになります。

結論的には似たようなことを言っているように見えても、どうも基本的なところで違っているな、と感じるのは多分そのあたりに原因があるのでしょう。

私にとって、「労働時間規制の核」とは欧州諸国にあるように物理的労働時間それ自体の規制以外にはないのであって、残業代などというのは賃金規制に過ぎず、基本的に労使の交渉に委ねればいいことに過ぎないという認識があるので、労働時間規制なんかじゃない残業代ごときで国家権力を持ち出させるような過剰規制は見直してもいいんじゃないかと思って論じているのですが、そういう認識で物事を論じているのは、やっぱりごく少数派のようです。

でも、もし残業代こそが「労働時間規制の核」であるんなら、本当にそう思っているんなら、それをそう簡単にやめていいことにはならないと思いますけどね。

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2014年6月 4日 (水)

大内裕和・竹信三恵子『「全身〇活」時代』

Isbn9784791767823大内裕和・竹信三恵子『「全身〇活」時代』(青土社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.seidosha.co.jp/index.php?9784791767823

ブラック化する社会のなかであたらしい生活を「つくる」ために――。「就活」「婚活」「保活」――この三重苦はいまどのように若者の生活を苦しめているのか。ブラック企業、奨学金、「名ばかり」正社員、非正規雇用・・・・・・いま日本が抱える問題を真正面から見つめ、その根本にある原因を掘り起こす。日本型雇用の幻想と世代間断層を斬り、これからの社会を共に考えるための徹底討議!

大部分は雑誌『現代思想』で読んだ対談ですが、その鋭い切り込みは思わず息を吞むものがあります。


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『労働組合法立法史料研究』(条文史料篇・解題篇)

Shiryo『労働組合法立法史料研究』(条文史料篇)(解題篇)がJILPTのサイトにアップされました。

http://www.jil.go.jp/kokunai/reports/report05.htm

労働組合法は、第二次大戦終戦直後の昭和20年10月11日に占領軍司令官マッカーサー元帥が幣原首相に日本民主化の5大改革のひとつとして提示した「労働組合結成の促進」に応じて、同12月に制定された。

この昭和20年労働組合法は、厚生省の中に設置された労務法制審議委員会において、占領軍の介入を受けずに起草されたものであるが、昭和24年に総司令部の意向により改正が加えられた。

本報告書は、厚生労働省に保管されているのが発見された昭和20年労働組合法(昭和20年12月22日法律第51号)および昭和24年改正労働組合法(昭和24年6月1日法律第174号)の成立過程の史料を、労働立法政策研究における有用性に鑑み、労働政策に関する有益な情報としてとりまとめた。

10月に静岡大学で開かれる日本労働法学会の大シンポのテーマは「労働組合立法史の意義と課題」ですが、そのための学習指定文献(笑)がこの資料集及び解題論文です。

史料のとりまとめについては、労働法研究者による「労働関係法令立法史料研究会(座長・渡辺章筑波大学名誉教授)」が、上記のように発見された立法にかかる原史料を網羅・復元し、時系列にしたがって整理する作業を行った。

Kaidai渡辺章先生は、前の労働基準法に引き続き、今回の労働組合法の立法史研究でもリーダーとして活躍されました。

その下で資料の読み解きをされたのは下記の方々です。

渡辺 章※ 筑波大学名誉教授

竹内(奥野)寿 早稲田大学法学学術院准教授

富永 晃一 上智大学法学部准教授

野川  忍 明治大学法科大学院法務研究科教授

中窪 裕也 一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授

和田 肇 名古屋大学大学院法学研究科教授

野田 進 九州大学大学院法学研究院教授

土田 道夫 同志社大学法学部・法学研究科教授

たまたま所用で中央労働委員会に行ったとき、渡辺先生が「大変なものが見つかったよ!」と興奮した面持ちで話しておられたことを思い出します。

とにかく、これに目を通さずに次回の労働法学会に出るのはモグリになりますのでよろしく。

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『生活経済政策』6月号

Img_month生活経済政策研究所の機関誌『生活経済政策』6月号が出ました。

http://www.seikatsuken.or.jp/monthly/index.html

特集は「ディーセントワークと雇用改革」。萩原久美子さんの編集です。

特集 ディーセント・ワークと雇用改革

•はじめに/萩原 久美子
•安倍「雇用改革」とグローバル戦略/田端 博邦
•同一価値労働同一賃金原則の今日的重要性―「正社員改革」の意味―/森 ます美
•安倍政権下における家事労働者の導入について―労働市場の特性と諸外国の事例―/安里 和晃
•限定正社員はディーセントな働き方か?/濱口 桂一郎
•アベノミクス賃金政策と労使関係―政策的ベア誘導の陥穽と労働問題の核心―/兵頭 淳史

わたくしも一編寄稿しております。

その他にも、興味深い文章が並んでいます。

報告
•労働・福祉・移民をめぐる再編/水島 治郎

連載 雇用とジェンダー[4]
•イギリスの2010年平等法/浅倉 むつ子

書評
•キャサリン・S.ニューマン著/萩原久美子、 桑島薫訳
『親元暮らしという戦略―アコーデオン・ファミリーの時代』/松信 ひろみ


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2014年6月 3日 (火)

「アベノミクスの労働政策を点検する」@『季刊労働法』245号

今月中旬に刊行予定の『季刊労働法』245号の特集内容が労働開発研究会のサイトに予告されています。

●2012年の12月に第二次安倍内閣が発足後、いわゆるアベノミクスという号令の下で規制改革が進行中です。「日本を世界で一番企業が活動しやすい国に」というスローガンがありますが、このスローガンを見てすぐに思い浮かぶのは、その一方で労働者保護をどう担保するのかということでしょう。本号では、政労使会合による賃上げを労使関係論からどう評価するか、限定正社員制度をどうみるか、労働時間改革議論をどうみるか、「雇用維持型から労働移動型へ」という労働市場政策をどう評価するか、などといった視点から、アベノミクスにおける雇用政策を点検します。

特集
アベノミクスの労働政策を点検する

●政労使会議による賃上げ 久本憲夫
●「限定正社員」論の法的問題を考える 毛塚勝利
●アベノミクスの労働時間政策を検証する 和田 肇
●労働規制改革と労働市場政策の現在 矢野昌浩
●労働特区構想と憲法 倉田原志
●労働政策過程をどう評価するか 濱口桂一郎

【シンポジウム】
雇用の現状と問題点 棗 一郎 水口洋介 木下潮音 新谷信幸 海老澤大造

なかなか興味深い面子だと思いませんか?

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紺屋博昭「労働行政のあっせん制度と裁判所の労働審判との地域的連携について」

鹿児島大学の紀要『法学論集』の第48巻第1号に、紺屋博昭さんの「労働行政のあっせん制度と裁判所の労働審判との地域的連携について」という論文が載っているのを見つけました。

あっせんの分析をしている私としてはこれは見逃せません。

という以上に、このノリノリの文体はどうしちゃったんでしょう・・・。

1 あっせんはつらいよ-労働行政のあっせんの現状とその問題点

「私より後に入ってきたバイトさんは、みんな店長と通じ合って勤務シフトがたくさん入るんです。私は全然入らないんですよ、悔しいですよ。落ち着いていられるもんですか、こんな悔しい思いしてここに来てるのに、『落ち着け』だなんて、あなた何様なんですか、そんな上から目線でよく落ちつけだなんて言えますね、私は母子家庭なんですよ!(そして泣く。以下永遠ループ)」

過日、とある労働局の紛争調整委員会委員として担当したあっせん過程での1シーンである。「申し訳御座いません」と力なく謝る私。何様でもございません。

いやまあ、これは冒頭のつかみでして、このあと労働紛争解決システムを考える上で重要な提起がされていきますのでご安心を。

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日本航空事件と整理解雇の年齢基準

本日、日本航空事件(客室乗務員)の高裁判決があり、控訴棄却となったようです。

この事案については、会社更生中にも整理解雇法理がそのまま適用されるのかがもっぱら関心事となり、外国にもっていったら真っ先に関心の集まるはずの労働組合差別は(少なくとも世間的には)あまり関心事でないあたりに、日本の特殊性が出てますな、というのが昨年の『世界』に書いた論文でしたが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sekaikaiko.html「「労使双方が納得する」解雇規制とは何か──解雇規制緩和論の正しい論じ方」

・・・この解雇に関する日欧の常識の乖離が露呈したのが、日本航空(JAL)の整理解雇問題であった。JALの労組は国内向けには整理解雇法理違反だと主張していたが、国際労働機構(ILO)や国際運輸労連(ITF)にはそんなものが通用しないことがわかっているので、解雇基準が労組に対して差別的だという国際的に通用する主張をしていた。ところが、それを報じた日本の新聞は、記事の中では「2労組は、整理解雇の際に『組合所属による差別待遇』『労組との真摯(しんし)な協議の欠如』『管財人の企業再生支援機構による不当労働行為』があったと指摘。これらは日本が批准する結社の自由と団結権保護や、団体交渉権の原則適用などに関する条約に違反すると主張している。」とちゃんと書いていながら、見出しは「日航2労組『整理解雇は条約違反』ILOに申し立て」であった*1。残念ながら、「整理解雇は条約違反」ではないし、そんなナンセンスな申し立てもされていないのである。

実はその関心のあるはずの整理解雇法理に関しても、日本国内の関心は諸外国に持ち出したら一番関心を持たれそうなことにはてんで興味がないというのが、先週「WEB労政時報」に書いた話です。

https://www.rosei.jp/readers/hr/article.php?entry_no=221(整理解雇における年齢基準の容認)

 去る5月10日付けで刊行した『日本の雇用と中高年』(ちくま新書)は、ここ十年ほど労働論壇を風靡してきた「中高年が既得権にしがみついていい目を見ているから若者はその割を食ってひどい目に遭っているのだ」というような煽情的な議論がいかに間違っているかを、雇用システムの根本から解きほぐしながら解説した書物です。
 その中には、日本の労働法制に対して多くの人々が何となく抱いている先入観がいかに誤っているかを説明した部分もかなりありますが、その中でも特に労働法関係者に読んでいただきたいのは、「第1章 中高年問題の文脈」「四 中高年受難時代の雇用維持政策」の最後の項「年齢基準の容認」です。

その年齢基準の容認の最近の典型的な実例が、まさにこの日本航空事件判決なんですね。

このことについては、最近東海大学の渡邊絹子さんが「整理解雇における年齢基準の合理性判断」(『東海法学』第48号)で書かれていて、私もなるほどと思ったところです。

本日の判決がどういう判決文になっているかはまだわかりませんが、概ね地裁の理屈を繰り返していると思われます。

・・・ こういう判決の動向を見る限り、年齢に基づく雇用システムとしての日本の労働社会はまだまだ強固に続いているようです。そして、整理解雇法理がしっかりしているから正社員の雇用は安定しているなどという思い込みは、その根っこの部分で実は中高年労働者の雇用をそれほど守ってくれるものではないのだという冷厳なる事実をきちんと語らないままに、依然として多くの人々を捉えて放さないようです。

日本の整理解雇法理は、解雇を回避せよとうるさく言うけれど、もう回避できないとなれば、歯止めがなくなって、外国にもっていったらとても許されないようなことでもできちゃうという側面もあるわけです。

(追記)

朝日新聞の澤路さんが今日の判決をツイートされています。

https://twitter.com/sawaji1965

日本航空事件と整理解雇の年齢基準 。控訴審判決では、例えば、「本件人選基準が年齢基準を含めて合理性を備えており、~特定の労働者を意図的に解雇の対象者として選別することを可能にするような~客観的な基準であると認められ~」とあります。

JAL整理解雇控訴審判決の年齢基準に関する判断。議事要旨の関連部分を紹介しましょう。「人選基準は、使用者側において特定の労働者を意図的に解雇の対象者として選別することを可能にするような恣意性のない客観的な基準であり、」(続く)

続き)「被控訴人の将来にわたる事業の更生に必要な役割を担うべき年齢層の従業員を被控訴人に残す必要性があることや年功序列的な賃金体系からすれば、年齢基準を含む人選基準に合理性が認められる。」

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『週刊東洋経済』6月7日号

05291431_5386c63011163今週発売の『週刊東洋経済』6月7日号ですが、ここでは特集記事でも何でもなく、巻末の「新刊新書サミング・アップ」というコーナーに、『日本の雇用と中高年』が紹介されていたというお知らせです。

http://store.toyokeizai.net/magazine/toyo/

http://homepage3.nifty.com/hamachan/20140603122515286.pdf

2000年代に入ってから労働問題は若者の雇用を中心に論じられている。しかし新卒一括採用でスキルのない若者を採用してきた日本型雇用システムは、若者にとっては有利ともいえる。かえって年功序列で人件費が高くつく中高年が企業から排出されやすい側面があり、一度排出されてしまったら再就職は厳しい。さらに大企業を中心に企業単位で確立された生活保障システムが、労働者の生活保障は「労働問題」であり、「社会政策」だという意識を希薄にしてきた。社会環境が激変する中、今、どのような制度設計が必要なのか。

 労働問題の第一人者が戦後日本の雇用システムと雇用政策の流れを概観。労働問題の本質を解き明かす。

と、拙著の内容をそのまま端的に要約しています。

で、それはともかく、この号でびっくりしたのは、その前のページで、

|ブックス&トレンズ|『働かないオジサンの給料はなぜ高いのか』を書いた楠木新氏に聞く

という見開きの著者インタビューがあって、そこで日本はメンバーシップ型だから云々と、ごく当たり前のように語られていたことです。

いや、当たり前のことを当たり前に語るのは当然ですが、どこかの3法則氏が怒り狂って文句をつけてこないか心配なもので・・・。


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2014年6月 2日 (月)

雇用形態に関わる報告書2つ

労働政策研究・研修機構(JILPT)から、雇用形態に関わる報告書が2つ出されています。

Maeura一つ目は『雇用ポートフォリオ編成のメカニズム』。前浦穂高さんと野村かすみさんによる研究報告書です。

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2014/0166.htm

前浦さんがここ数年取り組んできた雇用ポートフォリオの編成の研究の総まとめです。

政策的インプリケーションを3点提示しています。

1つは、正社員登用の可能性である。日本企業の雇用ポートフォリオは、主に財務(利益など)、業務量、戦略のいずれかによって編成される。そのため非正規労働者から正社員への登用を目的として、人材育成に力を入れても、正社員登用につながるとは限らない。正社員枠は、スキルとは別の論理(財務、業務量、戦略)によって決定されるからである。正社員登用の可能性(正社員枠)を拡大するには、非正規労働者の登用先として、限定正社員を活用することが考えられる。

2つは、均衡処遇の実現である。これまでは、雇用区分と業務内容、処遇の水準が対応し、それが組織内の秩序を形成していたため、雇用形態の違いによって、処遇に対する納得性が得られていた。しかし非正規労働者の活用が進み、正社員の業務の一部を担うなどの職域の拡大が発生すると、処遇に対する納得性が失われる可能性がある。こうした問題を未然に防ぐためには、非正規労働者に発言機会を与え、企業もしくは労働組合が職場の働く実態を定期的にチェックする必要がある。

3つは、非正規労働者の人材育成である。非正規労働者の人材育成の重要性は、組織内外でキャリアアップすることにある。ただし非正規労働者の人材育成は、企業の必要性に応じて行われる。非正規労働者に教育訓練機会を確保し、マクロの人的資源形成を促進するためには、企業内で行われる教育訓練を尊重しながらも、官民が協力し合って、非正規労働者の人材育成について真剣に取り組む必要がある。

Onoもう一つは『非正規雇用者の企業・職場における活用と正社員登用の可能性』です。

http://www.jil.go.jp/institute/chosa/2014/14-137.htm

こちらは小野晶子さんを中心に、奥田栄二さん、上の前浦さんも参加しています。

非正規雇用のポートフォリオは、「直接雇用型」、「直・間混合型」、「委託・分業型」の3つに類型化できる。「直接雇用型」では、人材ポートフォリオで正社員比率が低いケースがみられ、これらの職場は少数の正社員と多数のパート・アルバイトで要員が編成されている。パートやアルバイトが中心となる「直接雇用型」は、経済制約的理由から人件費を圧縮するためや、日、週、月での繁閑に対応するために活用するところが多く見られる一方で、法制度に関する影響から、近年、派遣労働の活用から直接雇用に切り替えているケースがみられた。

「直・間混合型」では、派遣労働を入職ルートとして機能させ、後に直接雇用に転換するケースがみられ、事業所の根幹となる事業に従事する派遣社員は、契約社員を経て正社員への登用ルートにつながるケースが多い。一方、後方業務やコールセンターなど、根幹でない事業として分業されて、間接雇用化している場合は、登用にはつながらない。このことは「委託・分業型」と通じており、派遣労働と業務請負会社の社員とが非正規雇用の中心となる職場では、分業化が進んでおり、ほとんど正社員登用がなくなる。

正社員比率が20~50%程度と低いケースでは、現在の正社員数に対して「不足」感を感じている。その中で、今後正社員を増やす見込みがあるところは、非正規雇用者も含めて、人材の確保に苦慮しているところである。これらの事業所の特性を一言で言えば「肉体的に楽ではない仕事」が中心であり、労働供給側が需要に反応しづらい業務である。一方、正社員数に「不足」感を感じていながらも、今後も現状維持やさらに減らす意向を持つ企業・事業所では、近年の業績悪化がみられ、正社員を採用するには、業績が立ち直ることが不可欠となる。ただ、小売業やファストフードなど、業績に関係なく恒常的に店舗利益の導出のために正社員比率を抑制している業種では、今後も正社員への需要は横ばいか減少傾向にあると推測される。

正社員登用は恒常的に実施している企業・事業所と、一過的に実施したところに分けられる。恒常的に実施しているところでは、正社員は新卒よりも中途採用や内部登用といったルートで確保されていて、地域採用枠があったり、事業所が実質的に採用権限を持っていたりする場合が多い。こういったケースでは、企業・事業所の正社員数に占める登用者数の割合が高い。

正社員登用の対象者の属性をみると、男女で特徴が表れる。男性の場合は、現業職と技術職であり、リーダー職や工程管理などの責任が課される内容となる。年齢は20~30歳代と女性に比べて若年に偏る。女性の場合は、店舗での接客などがある職種や事務職が中心で、リーダー職や従前の仕事を踏襲しながら習熟度を上げていく傾向にある。年齢は20~40歳代と幅広く、どちらかといえば子育て後に入職してくる場合が多い。

正社員登用を行っている企業・事業所の正社員へ乗り入れ時の賃金をみると、月給レベルでは登用前後で大きく変動しないように設定されているケースがほとんどである。年収レベルでみれば、非正規雇用の時に支給されていなかった、あるいは少額だった賞与分での上昇がみられる。多くのケースで登用直前の非正規雇用時の年収は、250万円程度であり、それに50万円程度の賞与が加算されて、300万円程度になるというのが本調査からみえたイメージである。

正社員登用を実施しているケースの中には、正社員と非正規雇用の業務と賃金が大幅に重複しているケースがみられる(「均等待遇モデル」(図表1))。このケースでは、従前の業務をそのまま踏襲し正社員に移っており、正社員登用が頻繁で量的に多い。賃金は、一般的な正社員の賃金体系とは異なり、職種別賃金となっていて、業務内容に伴って変動する(業務が変わらなければ変動しない)。他方、多くのケースは非正規雇用が正社員の下位の階層として位置づけられており(「雇用形態階層モデル」(図表2))、正社員に登用されるとリーダー職に就くなど、ステップが上がることを前提に正社員登用への要件が厳しく、狭き門となっている状況がみられる。賃金面からみると、乗り入れ側の正社員の賃金が職能資格制度で決定されていて、勤続年数に従ってある程度上昇傾向にあり、総額人件費のコントロールの観点からも量的に多く登用するのが難しい状況であることが推察される。

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その上で、政策的インプリケーションとして、

以上のことから、正社員登用を積極的に実施している企業の特色として、非正規雇用者と正社員の業務が完全に分業化しておらず、乗り入れできる「汽水域」的な仕事の領域と賃金レンジの重複部分があることが挙げられる。地域採用での現業職のニーズは大きいとみられ、地域拠点が独自に正社員の採用権限(枠)を持つことで、正社員登用が活発になると思われる。特に男性については、本社が採用するホワイトカラー層とは別のニーズが地域特色豊かにあると思われる。産業特性的には、非正規雇用を多く活用している小売業や飲食サービス業等においては、非正規雇用への教育訓練や正社員登用制度が整っているが、量的に正社員登用数が多いとはいえない。これは恒常的に正社員数を抑制して非正規雇用を活用する経営モデルが根底にあることを考えれば自明のことでもある。正社員を雇用することが、コスト面での大きなハードルと考えているところは、労働契約法の有期法制の影響から、今後、非正規雇用と同様の労働条件を踏襲して、雇用期間を無期化するという流れが加速するかもしれない。これを「正社員」と名称付けするかは各社の判断であろうが、「正社員」の雇用区分が多様化することが予測される。

対象分野としてかなり重なるところもありますが、どちらも大変興味深い内容ですので、関心のある向きは是非リンク先を見てください。

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2014年6月 1日 (日)

Tomさんの『中高年』本書評

26184472_1_2今まで拙著に的確な書評を書いてきていただいているTomさんこと畠山奉勝さんが、ブログで『日本の雇用と中高年』に書評を書いていただいています。

http://tomohatake.blog.fc2.com/blog-entry-86.html(濱口桂一郎先生著『日本の雇用と中高年』を読み終えて。)

Tomさんは、「電機メーカーで35年間人事・労務を担当し、定年後はキャリアカウンセラーを経て、労働局監督課で4年間指導員を担当」という方なので、私が語ることの大部分を自らの職歴として経験しておられるので、その評語の一つ一つが現実に裏打ちされた重みを感じさせます。

いつもながら濱口先生の著書の一番いいところは、歴史的perspectiveの中で論理展開されていることです。目先の現象をみて感情論を展開する一部の経済学者などと対極の世界です。私自身が1967年から2004年の間、電機メーカーで人事労務を担当していましたので、当時の労務管理をなぞるような感覚で読ませてもらいました。

私が入社した前年、その会社は「仕事別賃金」と銘打ってマスコミの話題をさらっていました。当時、私の入った会社は週5日制など常にわが国のトップを切って、先進的な労務管理を展開していました。濱口先生が書いておられるように、職務給思想をめざしていたのです。製造現場の仕事については個々の職務を克明に分析し、「知識」、「習熟」、「肉体的負荷」、「精神的負荷」の4要素で評価・格付けした職務記述書を備え、事務技術職については担当者によって仕事の奥行が異なるため毎年1月15日付の担当仕事内容を作成させることによって、実際に担当遂行している「仕事」を評価していたのです。ただ面白いのは、このように格付けされた仕事ランクによって本給絶対額やや賞与絶対額が決定されるわけではなく、そのランクによって「昇給額」や「賞与支給率」が査定されるのであって、同じランクの仕事を担当していても、昇給回数(勤続年数)が多い従業員の賃金が高いという年功賃金なのでした。すなわち、所詮は年功賃金なのですが、何とか職務給的要素を取り入れようとしていたのですね。私は「仕事の格付け」の仕事を担当していましたので、その時期は膨大な職務分析・評価に追われぶっ倒れる寸前の残業で大変でした。・・・・・

そのスタンスは、私よりもすこしラディカルめなところにあるようです、その趣旨もこう書かれていますね。

濱口先生は中高年労働者に対しても優しいスタンスを保たれていますが、私は企業の中に居たからこそ、やや厳しく叱咤激励するつもりでいつも書かせてもらっています。

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朝日読書欄に簡評

26184472_1本日の朝日新聞の読書面の「新書」紹介欄に、『日本の雇用と中高年』(ちくま新書)が簡単に紹介されました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/20140603123254561.pdf

終身雇用、年功序列賃金以外にも、日本型雇用システムの特徴には、定期の新卒一括採用、職務の定めのない雇用契約などが挙げられる。現在の制度に至るまでの雇用政策の流れをたどり、どんな制度が望ましいかを探る。欧米では雇用調整で若年から失業するが、日本では中高年が先で、再就職も難しい。雇用問題でも日本はガラパゴスみたいだ。

やや唐突に「ガラパゴス」という言葉が出てきますが、本書で「ガラパゴス」という言葉を使っているのは、この紹介文とはちょっと文脈が違って、

・・・高齢者をめぐる雇用と年金(社会保障)の関係は、世界的にはもはや誰も疑問を呈する人がいないくらい一致した結論が出ている政策なのですが、なぜか2000年代以降の日本では、近視眼的な議論が横行するという言葉の真の意味でのガラパゴス状態が続いています。そういうガラパゴス評論家にまず退場してもらうことが、日本の言論を健全化するための第一歩と言えるでしょう。

等という文脈でです。一応念のため。

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労働組合ほど資本主義的な存在はないのだよ

ありすさんのなにげないつぶやきに脊髄反射しますが、

https://twitter.com/alicewonder113/status/472916403386068993

日本の労組がまっとうに機能してないのは、取引や交渉が苦手というところもありそう。スウェーデンあたりは取引や交渉がうまそうだ。

https://twitter.com/alicewonder113/status/472918343914377216

一つには、あまりにも資本主義を否定的にとらえる言説が、世間に溢れすぎている。意識高い人はとりあえず「資本主義ガー」「新自由主義ガー」「経済成長ガー」と言っておけば、「弱者や環境にも配慮するわたしイシキタカイ」と感じられる風潮ができている。

もちろん、近現代史を一瞥すればわかるように、労働組合ほど資本主義的な存在はありません。資本主義以前の、権力関係と経済関係が一体であった時代には、自分たちの経済状況を集団的に改善するための労働組合など存在していませんでした。

資本主義以後(と自称する体制)においても、労働組合という看板を掛けた党の出先機関はあっても、労務と報酬の交換関係を前提とした上で、その交換条件を集団的に取引することを目的とした自主独立の団体などは存在していませんでしたし、現に存在していません。

団体交渉=集団的取引(collective baigaining)を行う労働組合=取引組合(trade union)が存在しうるのは、個別的であれ集団的であれ、権力行使自体と切り離された経済的取引がが可能な資本主義社会のみであって、その意味で労働組合ほど資本主義的な存在はないのです。

こんな、労使関係論の教科書の冒頭に載ってるような、イロハのイを改めて言わなければならないのは、いささか不思議な気がしますね。かつては、革命だの共産主義だのと叫ぶ人々が知識人の世界では盛んだったので、労働組合を革命のための道具扱いして、集団的取引を馬鹿にする風潮も強かったようですが、その頃過激に旗振ってたような連中に限って、今は市場原理主義の使徒になったりしているから都合がいいものです。

そういう反資本主義的であるが故に反労働組合的であるような議論がどんどん衰退していった挙げ句の果てに、集団的取引の意味自体も社会的にほとんど認識されないようになり、ありすさんが指摘するような訳のわからない知的状況が広まってしまったのでしょうか。

このあたり、知識社会学的観点からいろいろと分析してみると面白そうです。

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