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2014年6月28日 (土)

労働政策フォーラム 24年改正労働契約法への対応を考える

201406_2『ビジネス・レーバー・トレンド』7月号が発売されたので、前月号の6月号がJILPTのHPにアップされました。

その中に、3月10日に開かれた労働政策フォーラム「24年改正労働契約法への対応を考える」のパネルディスカッションの記録ものっています。

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2014/06/013-030.pdf

パネリストは:

(パネリスト)

徳住 堅治旬報法律事務所弁護士

水口 洋介東京法律事務所弁護士

安西 愈安西法律事務所弁護士

木下 潮音第一芙蓉法律事務所弁護士

濱口 桂一郎JILPT 統括研究員

(コーディネーター)

菅野 和夫JILPT 理事長

Jil_2

ここでは、私の発言部分のみをアップしておきますが、もちろん他の弁護士の先生方の発言は一つ一つが大変深いものですので、ぜひリンク先でお読みくださいますよう。

ヨーロッパ的な非正規労働法制

濱口 立法政策の観点から若干の批評、コメントを加えます。

今回の改正労働契約法の特徴は、極めてヨーロッパ的な非正規労働法制であることです。それはどこかと申しますと、有期契約の反対概念が無期契約であることです。当たり前と思われるかもしれませんが、EUの非正規労働法制では、パートの反対概念はフルタイム、有期の反対は無期、派遣の反対は直用です。でも、日本は違います。パート法における反対概念は「通常の労働者」で、フルタイムではありません。

この「通常の労働者」は、日本的な正社員の法律的表現です。雇用契約が終了するまでの全期間において、職務の内容や配置が変更されると見込まれないと通常の労働者ではないのです。それを前提にパート法ができています。これに対して今回の労契法は、単純に有期と無期を対比させています。若干つくり方は違いますが、ヨーロッパの法律と同じように、有期を反復更新して五年を超えると無期になれるとしています。また、有期と無期の処遇について不合理と認められるものであってはならないとしています。極めてシンプルで、ヨーロッパ的です。

ところが、このヨーロッパ的な有期契約法制を、 「通常の労働者」 、あるいは常用代替防止という概念が満ちあふれている日本の法制の中に放り込むと、思わぬリパーカッションが出てきます。

労使にゆだねられる無期化後の契約

典型的なのは、「有期を五年反復したら正社員にしろとは何事だ。入口が違うのに何で終身雇用にできるのだ」という反発です。これは当然の話で、人材活用の仕組みが違うのに、五年経っただけで正社員にできるはずはありません。この法律はそんなことを要求していません。 「有期を無期にしろ。期間の定めがない契約にしろ」と言っているだけです。誤解する人がいるといけないので、労働条件を変えなくていいとも書いてあり、別段の定めもいいとあります。

反復更新して五年経った後、無期化する際、どういう契約にするか。「ただ無期」という言葉がありますが、有期をただ無期にしただけのミニマムから、完全にぴかぴかの正社員になるマキシマムまで、実にさまざまな選択肢があり、どれをとってもいいのです。法律上は違法でも何でもありません。会社側に委ねられている、あるいは労使に委ねられているのです。先ほどの事例報告でもありましたが、その間に会社の人材ニーズから制度をつくっていくことが可能な仕組みとなっています。必ずしもフレキシブルであることをめざしたわけではないのですが、日本的な法制度の中にヨーロッパ的な仕組みを導入したことで、非常にフレキシブルな、多様な選択が可能な法制になっていることを、念頭に置いたほうがいいのではないかと思います。

では、ぎりぎりのミニマムの意味は何かを考えますと、結局、雇止めができなくなることに尽きると思います。雇止めができなくなるという意味では、一九条と何の違いがあるのかという話になります。細かい話になりますが、一九条は雇止めができない有期が続く、一方、一八条は無期になることによって雇止めができない。どちらも一六条の解雇権濫用法理のもとにある解雇は当然できることになります。どういう解雇ができるのかは、それぞれの雇用のあり方によって、さまざまな判断がなされると思います。これが一八条、そして付随的に一九条に係る話です。

二〇条についても、似たところがあります。これも有期と無期を対比していますが、実はパート法との関係では、複雑です。現在のパート法八条一項は、通常の労働者と同視すべき短時間労働者という形で差別禁止と言えるパート労働者を絞っています。ところが今回のパート法の改正案の新八条では、通常の労働者とパート労働者に二〇条を当てはめるという、不思議な形になっています。二〇条は有期と無期なのです。その規定はEUのやり方と同じですが、EUのほうは、もろもろの判断要素というのは入っていません。では、ないのかというと、そんなことはないはずで、書かなくても他の条件が等しければということです。

ところが、日本ではパート法は他の条件が違うことを前提としてこういう形になっています。やはりこの二〇条も非常にミニマム、要はぎりぎり不合理と認められるものであってはならないところから、マキシマムで言えばまったく同じ処遇まで非常に幅の広い対応が可能な仕組みになっています。

その意味では、解釈論として裁判所がどういう判断をするかということも重要ですが、先ほど木下先生が言われたことですが、今は何が正しいか正しくないかがよくわからないのです。むしろこれからの五年の間に企業が、あるいは企業の労使がその中で話し合って、より合理的な仕組みをつくっていくことが、今後の判断の材料、枠組み、基準になっていくと思います。

労働条件を変更しない無期転換の意義

菅野 ・・・労働条件を変更しない場合は、そもそも無期転換の実際的意義は何だろうかということを濱口さんが提起されました。この点、何か補足してご意見いただけますか。 

濱口 ただ期間の定めがなくなる「ただ無期」から、完全な正社員になる

。そして、その中間的な限定無期のあり方、さまざまな選択肢が企業には開かれている中で、もっともミニマムの選択をしたときに、その法的意味は一体何だろうかというのが先ほどのお話です。

無期転換したことのぎりぎりのミニマムの意義を突き詰めていくと、それは結局雇止めができなくなる。つまりそこで切るためには、たとえばこの仕事がなくなったという形での、少なくとも合理的な理由を提示する必要があるというところが、ぎりぎりの違いになってくるという趣旨です。 

限定正社員に対する見方

濱口 限定正社員はもう数年前から提起され、各企業レベルでもいろいろな形で実践されています。ただ、労働契約法で、 「ただ無期」から完全な正社員までさまざまな選択肢が開かれたということ、それがあと五年のうちに準備しなければいけないという期限が切られた上で、しかもいろいろなことができるという状況に置かれたことが、この限定正社員をむしろ前向きの企業の戦略として取り組もうという議論に拍車をかけたとみています。

逆に申しますと、この限定正社員に対してもちろん肯定、否定、積極的、消極的、いろいろな議論があるのですが、あまりこれに消極的な議論をしてしまいますと、先ほど、安西先生が言われていたような、まさに雇用保障しなければならないが、そこまでの保障はできないからその前で切るしかないという議論を導き出すことになりかねません。逆に、いやそうではない、さまざまな可能性があることを、世の中に示していくほうが、この法改正の意義を社会にプラスの方向に生かしていく上では、重要なメッセージになるのではないかなと思います。

高齢法、パート法など関連法制との関係は

濱口 民事法か行政指導法かに線を引くのはあまり意味がないと思います。

具体的な紛争を裁判所に持っていったときに、どっちの判決が出るかという観点で議論されていますが、決め手はないというのが正直なところだと思います。

納得できる説明ができないのは駄目だというぐらいだと思うのです。ただ裁判官がどう判断するかという裁判規範の議論は別として、職場の行為規範としての議論は、現実の職場でどういう納得のできる、いわば合理的な格差のある処遇体系をつくっていくかという観点が重要です。そうすると、これは単に有期と無期だけではなく、たとえば、先ほどの三越伊勢丹で言うと正社員とメイト社員とフェロー社員のなかで総合的に納得性のある仕組みをどうつくるかという話になると思います。 

そういう意味から言うと、先ほど水口先生が言われた集団的労使関係の中で納得性のある仕組みをつくっていくかというのが、実は非常に重要な話になってきます。行政が指導するかどうかはとりあえず別として、具体的な現場の労使が取り組む話としては、むしろそちらのほうが重要な課題ではないかと思います。 

集団的労使関係の中での規範づくりを

濱口 無期化については、ミニマムではこの程度ということを若干強調し過ぎたように受け取られたかもしれませんが、ミニマムがいいという意味ではありません。ミニマムでもいいのですが、ミニマムとマキシマムの間でどういう制度設計をしていくかということが重要です。各職場で求められるのは集団的な労使関係の枠組みの中で、その集団的な労働関係というのはまさにさまざまな雇用形態、有期やパートの方々も含めた集団的労使関係の枠組みの中で物事を決めていくような枠組みをつくっていく中で、すべてを裁判官の判断に委ねるのではない形、まさに労使が規範をつくっていく考え方で物事を進めていく、その第一歩となれば、この法律はいい出発点になったと評価されるのではないかと思います。

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