金子良事さんの書評+
金子良事さんが、拙著『日本の雇用と中高年』について感想を書かれています。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-317.html(ジョブ型社会を実現するために)
・・・早速、帰ってこの本を読んでみましたが、私が理解していたレベルの濱口先生の立論よりも、はるかに根が深いレベルの議論になっています。よい悪いということは別にして。
よい悪いということは別にして・・・
しかし、最近の濱口先生の本は、というか、前からそうでしたけど、読み切りにくいですねえ。現実の政策過程、とりわけ過去、現在、未来を通貫する方向性、学術的な成果などを取り込む濱口先生の立ち位置というのはすごいなあと素直に思います。
「読み切りにくい」というのは褒められているのやら貶されているのやらそれこそ読み切りにくいところがありますが、まあそれはそれとして・・・。
金子さんにはお見通しの通り、この本は(も)かなり政策戦略的に書かれています。裏側からいえば、アカデミックな関心を第一義に書かれた本ではありません。
そういう立場からすると、実を言うと「肝は職務分析なんですよ。それを誰がやるんですか」というのはそれほど最重要の問題ではないのです。雇用を安定させようとしたつもりが実はぐらついている中高年の職業を安定させるもっともらしい受け皿をどう作るかという話なので。みんながある程度なるほどと思うようなものであればいい。
実のところ、ヨーロッパだって細かな職務分析なんかやっているわけじゃなく、「肝は納得」であり、誰がそれをやるかといえば、それこそ労働組合でしょう、ということになるわけですが、そこが日本の弱いところになるわけですが。
前に金子さんと話した唯名論と実在論みたいな話になりますが、そもそも「ジョブ」自体共同主観的存在なので、客観的分析を極めれば極めるほど正確な代物になるというわけでもないわけですし。
まあ、人が働くという事柄をめぐる事物というのは、技能だの熟練だの(「知的熟練」も含めて)、全部そういう意味では、みんながそう思うからそのように存在している、ことになっているという存在であるわけです。
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「肝は納得」であって「ジョブ」自体共同主観的存在って、うまいこと言うものですね。まあそれを言えば金子さんの言っている「連帯」意識とか「職業」という感覚に対する信頼ってのも「肝は納得」につながる話でしょう。まあ廣松さんじゃあないですが、共同主観というからには、個の主観に通底するなんらかの観念があるんでしょうが、それはそもそもそれぞれの社会が持っていた文化的基盤とも多分からんでいるのでしょうね。ただそうした社会そのものが「悪魔のひき臼」に磨り潰されちゃって、いまのようなことになっている側面があるような気もしますよね。
投稿: hayachan | 2014年5月10日 (土) 08時55分
「肝は納得」で「ジョブ」自体共同主観的存在とはうまいこと言うものですね。でも廣松さんじゃありませんが、共同主観というのは個々の主観に通底する、それぞれの社会に固有の価値観のようなものが基盤にあるのではないでしょうか。金子さんの言う「職業」という感覚に対する信頼というのもこの範疇じゃないかとも思うのですが。問題はそれがもともと希薄であったり、希薄化しつつある社会、要は共同主観の基盤になる社会そのものが「悪魔のひき臼」で磨り潰されかけている社会では雇用の劣化が止まらなくなる危険性があることでしょう。
投稿: hayachan | 2014年5月10日 (土) 09時36分
同じコメント二回書かれたようなんですが、微妙に文章が異なるので、一応両方公開しておきます。
投稿: hamachan | 2014年5月10日 (土) 10時51分
ごめんなさい。この手の操作に不慣れなもので、最初のコメントがうまく送信されなかったと思い込みました。今後気をつけます。
投稿: hayachan | 2014年5月10日 (土) 12時01分
そんなことより、早川さんはhayachanとして売り出すのですか(笑)。
投稿: 金子良事 | 2014年5月12日 (月) 11時54分
Hayachanこと早川さんのコメントに一応マジレス。
ここでは「うまいこと言うものですね」といわれていますし、金子さんのブログでは
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-317.html#comment87">http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-317.html#comment87
「うまく躱したなあという気もしますね」と言われていますが、私としてはうまいこと言ったつもりもうまく躱したつもりもなくて、前々からそういうことを言っているつもりです。
とりわけ広田照幸さんの研究会では、金子さんの面前で、こう述べています。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/hirotakaken.html">http://homepage3.nifty.com/hamachan/hirotakaken.html
上で述べたことは、そのときの延長線上であって、別段目新しいことを言ったつもりはないのです。
投稿: hamachan | 2014年5月15日 (木) 00時08分
ご丁寧な説明ありがとうございます。これを読ましていただくと、100%納得か否かはともあれ、仰りたい趣旨は理解できます。ただ、いきなり「ジョブ」自体共同主観的存在とか言われて「うんっ?」となってしまった次第です。またレスで仰りたいことは分かるのですが、それでも共同主観的存在への「うんっ?」は完全には解消されないのです。日本ではかつて近代化を目指した時代に、経済界も政府も挙げて職務についての共同主観の形成を目指したが果たさず、その共同性は個別企業のメンバーシップの内側に止まってしまったということでしょうか。そのメンバーシップの枠組みが狭まって、落ちこぼれる人の数が増えたから欧州のような硬直的よりどころとしての「ジョブ」型システムが必要だと。それがないと生きてゆくのが大変な人が増えているから。う~ん、どうもストンと落ちません。「人間はお互いにすべて理解し合うことなどできない生き物です」という前提と共同主観的存在ってものがどうつながるのか。それは理解し合ったふりというのが共同主観かも知れませんが、納得して、ふりをするというのはかなり高踏的な気もします。
ともあれ、わたしはこの話より、後段に出てくる「抵抗」の話の方が関心がありますね。赤木さんの話は「経営民主」でディスカッションしたときにも出たと記憶していますが、長くなるのでまた別の機会にいたします。
投稿: Hayachan | 2014年5月15日 (木) 14時16分