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2014年5月 3日 (土)

シュトゥルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇』を直ちに再刊せよ?

Sturmthal_2稲葉振一郎氏がこういう不穏なことを言うておりますので、

https://twitter.com/shinichiroinaba/status/461815038290821121

スキャンしてばらまいたろか / “シュトゥルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇』からの教訓@『DIO』289号: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)”

訳書を刊行した岩波書店編集部は、稲葉氏を犯罪者に陥れないために、直ちにシュトゥルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇』(Ⅰ・Ⅱ)を再刊するように。

なお、どういう本かと言いますと、連合総研『DIO』に寄せた拙文から、最後の一節を。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/dio-8ff3.html

文脈の(ねじれた)回帰

 やがて、時代の舞台は大きく回転し、シュトゥルムタールの著書の台詞が皮肉に響く状況が作られてきた。かつての総評と同盟が中立労組も含めて連合に合体し、かつての日本社会党と民社党が自由民主党からスピンアウトした政治家たちと一緒になって(紆余曲折の末)民主党に合体し、その民主党が政権を握り、連合がその最大の支持基盤となるという、かつてのワイマールドイツにおける社会民主党政権を想起させる状況になった。そして今、日本の民主党政権はワイマールドイツの社会民主党政権と同様、権力の座を再び失ったところである。

 ここで改めてシュトゥルムタールを読むと、そこに書かれた悲劇を「他人の経験」として学び、原著の文脈に忠実な経済社会政策を実行しようとしているのは、連合が力の限り支援してきた民主党の政権ではなく、それをひっくり返してできた保守反動のはずの自由民主党安倍政権である、というこの上ない皮肉がむくむくと湧き上がってくるのが感じられないだろうか。

 安倍政権はデフレ脱却を旗印に掲げ、「異次元」の金融緩和を中心とし、「国土強靱化」などの財政支出も併せた積極的な経済政策を打ち出している。世界的に見ると、こうした積極的金融・財政政策を主張するのは社会民主党をはじめとした左派勢力であって、右派勢力の方が緊縮的政策を主張するのが常識であるが、日本ではなぜか経済政策における左右の対立が逆転してしまっている。

 このねじれ現象は、マルクス経済学者としてアベノミクスを支持する論陣を張っている松尾匡氏が繰り返し指摘しているところだが(例えば『不況は人災です!』筑摩書房)、残念ながら連合や民主党の周りを取り巻く経済学者やエコノミストは、世界的には異例なほど反ケインジアン的な「経済右派」になってしまっているようである。その鏡面現象として、日本における「経済左派」的なケインジアン政策支持者には、極端なナショナリストや歴史修正主義者がぞろぞろ顔を並べるという、これまた奇怪な事態が生じている。「多くの社会民主党と労働組合の指導者たち」が「オーソドックスの理論に執着していた」ことの政治的帰結が、やがてシュライヒャー、パーペンという保守政治家の政権を経て権力を握ったヒトラーのナチス政権による、軍事ケインズ主義ともいうべき経済政策の(少なくとも全面戦争に突入するまでの時期における)大成功であったことを思うと、なかなかに不気味な状況ではある。

 しかし、最近の安倍政権の動きとそれに対する連合や民主党の反応は、それとは異なる側面で奇怪な逆転現象を露呈している。政労使三者構成の場で、経済界に対して賃金の引き上げを強く要求し、強引にそれを呑ませつつあるのは、自由民主党政権であり、それに文句を付けているのは連合や民主党の側なのだ。この場で連合が繰り返し主張している「賃金は個別労使の交渉でやるべき」という台詞は、日本において定向進化した文脈においては、個別企業と個別企業別組合との閉じられた企業内交渉に固執し、企業を超えた産業レベル、全国レベル交渉に極めて警戒的であった経営者団体の言葉と見まがうばかりである。民主党の幹事長に至っては「政府が賃金の在り方に介入するのは社会主義的、共産主義的な手法だ」と述べたそうであるが。

 錯綜した理路を整理する必要がある。大恐慌に対してケインジアン的な財政金融政策を行ったルーズベルト大統領の、もう一つの、そして労働関係者にとって何よりも重要な政策は何だったか。全国産業復興法からワグナー法に至る集団的労使関係システムの構築ではなかったか。それは、労使交渉力の不均衡が労働者の賃金と購買力を低下させ、不況を激化させたという認識に立ち、不当労働行為制度によって労働者の交渉力を強化することでその是正を図ろうとするものであった。1920年代のアメリカで流行した会社組合を不当労働行為として否定し、産業別組合の促進を図ろうとしたのもそのためであった。ニューディールのアメリカがナチスドイツと違っていた最大の点は、労働組合を強化することで賃金を引き上げようとしたことではないのか。

 今、シュトゥルムタールが原著を刊行した当時の文脈が、極めてねじれた形で回帰しつつあるように見える。労働組合の人々にはどう見えているのだろうか。

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