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2014年5月29日 (木)

ホワイトカラー・ノンエグゼンプションの原点@『全国労保連』5月号

『全国労保連』5月号に寄稿した「ホワイトカラー・ノンエグゼンプションの原点」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/rouhoren1405.html

 昨年来、規制改革会議や産業競争力会議といった政府中枢の会議体において、そしてそれを受けて厚生労働省の労働政策審議会においても、労働時間規制の見直しの議論が始まっていることは周知の通りです。私もその議論の中で、とりわけ過労死防止や健康確保の観点から、時間外労働の物理的上限設定や毎日の休息時間(インターバル)規制の必要性を説いてきていますが、ここではその問題は取り上げません。

 もう一つの大きな論点が裁量労働制やホワイトカラーエグゼンプションとして論じられてきた問題ですが、こちらについても、労働時間規制の問題ではなく賃金規制の問題として論ずべし、というのが私の年来の主張です。つまり、労働時間と成果とが比例せず、働いた時間だけ賃金を支払わなければならないという規制が適切でない労働者とはどういう人々なのか、という観点から冷静な議論をすべきではないかということです。

 ここでは、終戦直後に制定された労働基準法が、管理監督者というごく少数の人々を除いて、ホワイトカラーもブルーカラーもすべて労基法37条による残業代規制の対象に含めてしまったのはなぜか、という観点から、あまり知られていない歴史秘話をひもといてみたいと思います。

 そもそも戦前は、職工(工員)と呼ばれたブルーカラーと職員と呼ばれたホワイトカラーは異なる賃金制度の下にありました。ブルーカラーは時給制または日給制で、早出残業の場合はその時間分が歩増で支払われました。一方ホワイトカラーは純粋月給制で、欠勤しても減額されない代わりに残業しても残業代は付きません。ノーワーク・ノーペイでもなければノーペイ・ノーワークでもない世界です。

 ところが1947年に制定された労働基準法では、ホワイトカラーもノーワーク・ノーペイかつノーペイ・ノーワークの世界になってしまいました。この点、実は制定直後から問題意識はあったようで、1948年9月に出された『労働基準法逐条解説全書』(産業厚生時報社)の質疑応答の中に、次のようなものがあります(40頁~41頁)。

問:月によって定められた賃金の場合、割増賃金の算定では所定労働時間で除するのであるから、この面から考へれば、現今迄の月給制といふものは基準法が出来た為に、その純粋性を失って、日給月給制に移行した。但しこの場合でも平均賃金算定の場合は、総日数で除するのであるから、この面からは本来の月給制の純粋性をとどめてゐるが、ともかく基準法が出来た為に一面からは月給制であり、一面からは日給月給制となり、かくして本来の月給制と云ふものは基準法が制定された為に失くなったと考へられる。即ち、純粋の意での月給制は実施できなくなったと考へられるが如何?

答:労働基準法の賃金の考へ方は、アメリカ式の所定労働時間給的な考へ方である。であるから、超過労働に対しては割増賃金を支払う。然し、無届欠勤、遅参の場合、賃金の減額(労働のないところに賃金はないとの考へ方であるから、減額と云ふよりも始めから欠勤、遅参に相当する所定労働時間の賃金は与えないことになる)することも出来る訳であるから、ご意見の通りであると云ふことができる。

 これは労働基準監督官石丸兼一担当と明記されていますから、当時の労働省労働基準局監督課の公式見解でしょう。「アメリカ式の考へ方」といいながら、そのアメリカの制度が管理職だけでなくかなり広範なホワイトカラーの適用除外(ここでいう「純粋の意での月給制」)を認めているのを取り入れていないことに問題意識はなかったようです。

 戦前はきちんと峻別されていたブルーカラーとホワイトカラーが渾然一体に議論されるようになったのはなぜなのか。その原点は戦時体制下にあったようです。戦争の進展とともに労働移動率が高くなり、また標準以下の能率しか発揮しない者も増え、その原因を日給制ないし請負給制のもつ「その場限りの労働を買う性質」によるとする議論が出てきました。また、事業場は「陛下の赤子を預かる処」「勤労報国の場」であるとして工員月給制が提唱されました。並木製作所(現パイロット万年筆)の渡部旭氏の「賃金観より見た月給制度」はこう述べています。「欧米流の契約賃金説や労働商品説に由来する賃金制度、まして請負制度のごとき資本主義むき出しの賃金制度は、宜しく之を海の彼方に吹き放って、日本本来の『お給金制』に立ち戻るべきである。お給金制とは即ち月給制度のことである。月給制度こそは安業楽土の境地に於いて家族制度の美俗を長養し、事業一家、労資一体の姿に於いて産業報国の実を挙げうると同時に、真に産業を繁栄ならしむる最善の制度なのである。大死一番賃金と能率の関係を切り離せ。」これが職工と呼ばれて職員と差別的な取り扱いを受けてきた工員にとって、差別撤廃に向けた大きな意味を有するものであったこともまた確かでしょう。

 1945年4月に厚生省が策定した「勤労者(工員)給与制度ノ指導ニ関スル件」は、工員月給制を明確に定式化しています。しかしながら、これは「基本給ハ月ヲ単位トシテ支給スルコト、但シ正当ナ理由ナキ欠勤ニ対シテハ欠勤日数ニ対シ日割計算ヲ以テ減額支給スルヲ得ルコト」と、ノーワーク・ノーペイの要素を持ち込んだ純粋でない月給制を工員に適用しようとするものでした。これはさらに、「就業十時間ヲ超ユル早出残業」には早出残業手当、「所定休日ニ於ケル出勤」には休日出勤手当を「支給スルモノトスルコト」と、ノーペイ・ノーワークの原則は月給制にもかかわらず全面的に適用するというものでした。

 一方、ホワイトカラーの「給与」は大蔵省の所管であり、会社経理統制令において事細かに定めていたのですが、その1943年の改正において、会社経理統制令施行規則に第20条の2という枝番の規定が設けられました。そこには「居残手当又ハ早出手当ニシテ1日9時間ヲ超エ勤務シタル者ニ対シ9時間ヲ超エ勤務シタル時間1時間ニ付キ50銭ノ割合ニ依リ計算シタル金額」「休日出勤手当ニシテ休日出勤1回ニ付キ3円ノ割合ニ依リ計算シタル金額」と書かれていました。つまり、ホワイトカラー職員にも残業手当や休日出勤手当を払えというのは、戦時下大蔵省の命令でした。

 このように歴史を振り返ってみると、現在ホワイトカラーエグゼンプションを導入すべきか否かという形で提起されている問題は、実は戦時下に封印された戦前型の純粋月給制を復活すべきか否かという問題に他ならないことがわかります。

 

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