雇用がゆがむ@『東洋経済』5月24日号
『東洋経済』5月24日号をお送りいただきました。特集が「雇用がゆがむ」ですからね。
http://store.toyokeizai.net/magazine/toyo/
【第1特集】
雇用がゆがむ
官製ベア・残業代ゼロ・解雇解禁の点と線[正社員] 官製ベアで約束された“受難”
INTERVIEW |竹中平蔵/産業競争力会議議員(慶大教授、パソナグループ取締役会長)
米国では「残業代ゼロ見直し」へ
[非正社員] 法改正で雇い止め 遠い正社員登用
官製ワーキングプアの特効薬・「公契約条例」制定は一進一退
困窮者を最賃未満で活用 ゆがむセーフティネット
待遇改善は不十分 集まらない原発作業員
外国人材でも企業の使い勝手が優先
執筆はおなじみ風間直樹さんと野村明弘さん。記事の中で一番面白いのはなんと言っても冒頭の労働時間規制緩和を振り付けた経済産業省の動きを曝露したあたりでしょう。
長谷川ペーパーはまさに何を言っているのかよく訳のわからない文章になっていますが、経済産業省が作ったその原案(「スマートワーク」とやら)は、曖昧さのかけらもなかったそうです。
財務省筋から提案されたBタイプ(年収1000万)では収まりが付かない経産省が投資家受けするインパクトのある案を模索してぶち上げた、と。
しかし、推進役が不在な中で注目したキャッチフレーズが「女性の活用」だった、と。柔軟な働き方を望む子育て世代や親介護世代の女性の活用のためという建前の方が世間体が良い、と。
まあ、そんなところだろうと思ってました。
賃金と時間のリンクを外したいという経済界の要求は、経済界の要求としては別におかしいものではなく、本質的には労使間で交渉して決めるべきことですが、労働時間規制を緩和したり撤廃したりすると仕事と育児が両立できてワークライフバランス万歳、というのは、わたくしが何回も口を酸っぱくして言い続けてきたように、まったくウソであり、インチキな議論なのです。
せっかくまともな方向に進み始めていたこの話に、またぞろインチキきわまるトンデモ理論を持ち込んだ元凶は、やっぱり労働問題が基本的にわかっていない経済産業省であったようです
「女性の活用」とか「ワーク・ライフ・バランス」という言葉を、うかつに経産省サイドに使わせていると、いつの間にかこういうトンデモな話になりかねないので、ここは本当に注意が必要です。わたしが、樋口美雄先生の怒りを買いながらも、あえて去る3月のシンポジウムで、
http://www.esri.go.jp/jp/workshop/forum/140305/data/gijiroku.pdf
フレクシビリティの強調に疑問を呈し、労働時間の厳格性こそがまずもって第1次的のワークライフバランスだと強調したのは、こういう事態を予想していたからでもあります。
ここはちょっと突っ込んでお話しておきたいと思います。ここ10年ぐらいの労働時間とワークライフバランスをめぐる議論というのは、混乱している、むしろミスリードするような議論が支配的であったのではないかと思います。先ほどのRIETIの報告の中でもちらっとそれが出てくるのですが。労働時間のフレキシビリティを高めることがワークライフバランスに資するのだという、ちょっと聞くともっともらしい話がずっと続いているのですね。
例えば今からもう大分前、2005、6年頃の当時の規制改革会議の答申なんかでも、仕事と育児の両立ができる働き方を実現するために労働時間規制の適用除外を増やさなければいけない、と言っておりました。その後、ホワイトカラーエグゼンプションの立法化というのは挫折するわけで、、それについてはまた論ずべきことがあります。しかし、ここで申し上げたいことは、そもそも労働時間のフレキシビリティを高めるということがすなわちワークライフバランスだというふうに無媒介な議論がされすぎていたということ自体に対して、私は非常に疑問を持っているということです。
もう少しきちんと分けて議論すべきです。そもそも労働基準法が労働時間を規制していること、つまりフレキシビリティではなく労働時間のリジディティこそがまずは第1次的なワークライフバランスなんですね。これは考えてみれば当たり前です。夕方仕事が終わってから保育所に子供をピックアップしにいける確実性がある、あるいは家に帰って家族のために料理をつくる確実性があるというのがまず第1次的なワークライフバランスであるはずです。もしそれが、会社のために夜遅くまで残る可能性がある、ということであれば、確実にワークライフバランスを確保できるという予見可能性が失われてしまいます。残業が恒常的にあるかどうかはともかくとして、フレキシブルに働けるというのはそういうことですよね。つまり、労働時間のフレキシビリティは、第一次的にはワークライフバランスに反するのです。
こういった毎日の労働時間の確実性という意味での第一次的ワークライフバランスが確保された上で、それでも足りないからもうちょっと融通を利かせられないか、例えば育児のために育児休業とったり、短時間勤務したり何なりというのが、次の段階です。これは私は第2次的なワークライフバランスと呼んでいます。この局面に来て初めて、フレキシビリティがワークライフバランスに役立つという話になるのです。
ヨーロッパでは第1次的なワークライフバランスはあることが前提です。少なくとも一部のエリートを除けばあるのが前提で、その上で第二次的ワークライフバランスができるようにということで育児休業をはじめとするいろいろな仕組みがあります。実を言うと、それに対応するような仕組みという意味で言えば、日本の法律は大変完備しています。六法全書を見る限り、日本の第2次ワークライフバランスのための法制度は大変立派なものです。では何で踊れないのかというと、その前段階、つまり第1次的なワークライフバランスを確保するための日常的な労働時間の規制というところが非常に弾力化しているからです。そこを抜きにして、2次的ワークライフバランスにおいてのみ正しい議論が無媒介的に入ってしまうと、労働時間をもっとフレキシブルにするとワークライフバランスが実現できるというような、まことにミスリーディングな議論になってしまうのではないかと思います。
これは主として労働時間規制の問題ですが、ワークライフバランスの議論としても大きな問題があったのではないかと思っております。
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巻頭の
|経済を見る眼|新しい労働時間制度のリスク/太田聰一
はいかがでしたか?
(私は未読なので…)
投稿: ほのむら | 2014年5月19日 (月) 23時39分