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2014年5月16日 (金)

職務分析は一生懸命やったんです。半世紀以上前にね

私が

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-fbbf.html(金子良事さんの書評+)

実を言うと「肝は職務分析なんですよ。それを誰がやるんですか」というのはそれほど最重要の問題ではないのです。

と述べたのに対して、金子さんは

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-319.html(共同幻想という考え方)

(ちなみに私は「共同主観」とは言いましたが、「共同幻想」なんてばなな親父みたいなことは言ってませんけど)

納得させようにも、日本にはそういう地盤がないんだから、ひとつひとつ積み上げてくしかないではないか、という立場です。その一つが職務分析だということです。重要なのは職務分析が大事だという考えを共有してもらうことで(そこは「肝は納得」なのです)、大事だけど、やっていないという人を増やすことです。

と指摘しています。いや、それはよくわかるんですが、わたしがまず職務分析をきちんとやることから入ることに懐疑的なのは、まさにそれが半世紀以上前に日本の労働行政が真正面からやろうとして玉砕してしまった経験があるからなんですよ。

この経緯は、『日本労働研究雑誌』2012年9月号に載せた「雇用ミスマッチと法政策」の中でやや詳しく紹介していますが、

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2012/09/pdf/026-033.pdf

Ⅲ ジョブ型労働政策の時代-職務分析

 自分の生きた時代しか目に入らない人々にとっては、日本の労働政策は一貫してこのような大企業正社員型モデルを望ましいものとみなし、雇用維持や企業内教育訓練の推進に注力してきたと見えるであろうが、若干時間軸に沿って過去に遡ってものごとを観察するならば、必ずしもそうとばかりは言えない事実を幾つも発見することができる。むしろ、終戦直後に典型的なジョブ型モデルを前提に作られた諸法律の下で、日本の労働政策は60年代までは極めて素直にジョブ型の構造を示していた。
 まず何よりもジョブ型行政の名にふさわしいのは、職業安定法15条2項に基づく職務分析であろう。同項は「職業安定局長は、公共職業安定所に共通して使用されるべき標準職業名を定め、職業解説及び職業分類表を作成しなければならない。」と規定していた(現在も若干の字句修正はあるがほぼこの形で規定は存在する)。同法の解説書によれば、「職業解説」とはいわゆる職務分析のことで、観察と調査とによって職務の内容をなす作業の全体、その職務に課せられた責任、その職務を一人前に遂行するに必要な経験、技能、知識等の精神的肉体的能力のほか、その職務が他のいかなる職務からも区別される要因を明らかにすることである*1。
 労働省は1948年からアメリカ労働省方式に基づいて職務分析を開始し、その結果を職務解説書として職種ごとに取りまとめていき、1961年までに全173集を作成した。そこで解説された職務の数は8,500に上る。その分量が膨大であるため、これを一冊に取りまとめた『職業辞典』が1953年に作成された。
 なぜ国が職務分析をしなければならないのか、現代人にはもはや素直に理解することが難しくなっていると思われるが、それは上記職業安定法第5条の7が規定する「適格紹介の原則」が、なによりもまず職務単位での求人と求職者との「適格」さを念頭においたものであり、それゆえに職業紹介を行う職員に必要なのはそれが適格であるか否かを判断しうるだけの当該職務に関する知識であったからである。
 こうした職務分析は労働省では1960年代前半でほぼ終了し、1969年に雇用促進事業団職業研究所が設置されて以降は、(法律の規定は残されつつも)もっぱら同研究所及びその後身である雇用職業総合研究所、日本労働研究機構、労働政策研究・研修機構で行われることとなる。時代は既に後述のメンバーシップ型労働政策の時代に入っていたが、その間『職業ハンドブック』を何回も刊行、改定するなどが行われた。やがて時代の流れが再び変化し、外部労働市場志向の政策が復活してきた2006年には、ネット上にキャリアマトリックスという職業解説サイトを開設し、多くの人々の利用に供してきた。

細々と続けられてきたとはいえ、とてもジョブ型労働市場の基本インフラとして活用されてきたなどと言えるものではなく、社会の主流からはほとんど無視される存在になっていたことはおわかりでしょう。ちなみに、挙げ句の果てに民主党政権下では、事業仕分けされてしまいました。

こういうのは細かな職務分析の本を一生懸命作って山のように積み上げても、半世紀以上前の経験の繰り返しになるだけだと思うのです。大事なのは「納得」だというのは、それなりに歴史を踏まえて言っているつもりです。

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