Aタイプ(労働時間上限要件型)に労働時間の上限がない件について
いろんな話が絡み合っていて、それぞれごとの考え方が少しずつ違っているのをどう説明するかが難しいという状況なので、今野さんも八代さんも説明不足になるのはやむを得ない面がありますが、そしてNHKがやたらに成果主義賃金制度に焦点を当てようとし過ぎることが話をねじれさせている面もありますが、
やっぱりきちんと語られるべきだったことは、産業競争力会議の長谷川ペーパーのAタイプ(労働時間上限要件型)という名前の仕組みが、全然労働時間の上限を設けることになっていないという、その点だったような気がします。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/skkkaigi/goudou/dai4/siryou2.pdf
いやたしかに、冒頭にでかでかと「「働き過ぎ」防止の総合対策」とあり、「法令の主旨を尊重しない企業の取締りの強化」とか「まずは、長時間労働を強要するような企業が淘汰されるよう、問題のある企業を峻別して、労働基準監督署による監督指導を徹底する」とか書かれていますが、いうまでもなく労働基準監督官は法律違反しか摘発できないので、違法じゃないけど社会的に問題だよなあ、なんてものは文句は言えません。ていうか、違法じゃないのに国家権力が是正勧告なんかさせたらそれこそ問題でしょう。そこのところがわかってなくて、違法じゃないことを労基が是正させないから怠慢だというような批判をする人いますけど、それは法治国家を理解していないわけです。けしからんから取り締まれというなら、まずもってそれを法律違反にしなきゃ。つまり、長時間労働それ自体を禁止して摘発可能なものにしなきゃ。そうでなければそれはただのリップサービス。
では、Aタイプ(労働時間上限要件型)というくらいなのだからそこにはちゃんとその労働時間の上限を超えて働かせたら違法になるような法律上の上限が書かれているのかと思いきや、
対象者の労働条件の総枠決定は、法律に基づき、労使合意によって行う。一定の労働時間上限、年休取得下限等の量的規制を労使合意で選択する。この場合において、強制休業日数を定めることで、年間労働時間の量的上限等については、国が一定の基準を示す。
じっくり読んでね。労働時間の量的上限は労使合意で決めるんです。そして国は一定の基準を示すだけです。
あれ?これってデジャビュが・・・。そう、これは、現在の36協定の仕組みと全く同じです。時間外労働の上限を労使合意で決めるんです。そして国は一定の基準(目安)を示すだけです。
それで労働時間の量的上限があることになるんなら、実は現在ただ今だって、立派に労働時間の量的上限があることになります。現にあるんなら、何で全くおんなじレベルの「量的上限」とやらを入れないといけないの?
ていうか、そもそもこの議論は、少なくとも規制改革会議の議論では、現在の日本では、36協定は青天井であって労働時間の量的上限がないからそこを何とかしなければならないという認識から始まったはずなのに、それと全く同じレベルの「量的上限」を入れるから大丈夫という話になってしまっているという、まことによくわからない論理展開になってしまっているのですね。
今の36協定と同じレベルの「量的上限」では、結局どんなに長時間労働であっても、今の36協定と同じくらいにしか法律違反にはならないので、今の36協定と同じくらいにしか、つまりほとんど摘発のしようがなく、結局違法じゃないから何にも手が出せないのに、労基が怠慢だからと文句だけ言われるという状況がますます進行するような気が・・・。
話が拡散しすぎると結局聞いてる方は何も訳がわからなくなるので、せめてこの一点は、きちんと指摘しておいてほしかった、と思います。
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» 政府が働きすぎを心配する必要は無い ─ そう、本当のホワイトカラーならね。 [ニュースの社会科学的な裏側]
ホワイトカラーエグゼンプションの話になると思うのだが、濱口氏が産業競争力会議の長谷川ペーパーのAタイプ(労働時間上限要件型)に関して、政府が労働時間の量的上限を決めないことを批判している*1。しかし労働時間の直接規制よりも、労働者の裁量権をどう維持するかの方が重要に思える。濱口氏の議論は、働き過ぎや過労死を直接防止する事に注意が行き過ぎなのでは無いであろうか*2。本当のホワイトカラー*3ならば、業務量を減らしてでも、死なない程度に労働時間を定めるはずだからだ。... [続きを読む]
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