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« 市場主義の時代は終わったのか続いているのか? | トップページ | 話がずれてきている »

2014年4月24日 (木)

徹底討論・迷走する日本型雇用に決着点はあるのか!(海老原嗣生×濱口桂一郎)

NPO法人 人材派遣・請負会社のためのサポートセンターから、講演録冊子が送られてきました。『雇用を取り巻く動きと今後の人材サービス』 というタイトルで、私の巻頭論文「特殊日本型派遣法を正道に戻す時期」 と、2013年に行われた4回の講演会の講演録が載っています。

講演者は、個人講演は安藤至大、飯田泰之、高橋俊介、今野浩一郎、豊田義博、水町勇一郎といった方々ですが、2回目(昨年6月20日)は、海老原嗣生さんの発案で、一人講演を並べるんじゃなくて、海老原さんと私が噛み合うスタイルにしようということになって、結果的にたいへん面白いやりとりになっています。

私の発言部分をこちらにアップしておきますが、できれば冊子の方で、海老原さんとのやりとりの形で読んでいただけると、もっと面白いと思います。

2013年第2回派遣・請負問題勉強会

6月20日(木)

第一ホテル両国 5F「清澄」

プレゼンテーション2

「ここが変だよ、日本型雇用」

労働政策研究・研修機構 統括研究員 濱口 桂一郎氏

日本型雇用システムの本質部分

私からは、日本型雇用システムというのがどういうもので、最近、どんな問題がでてきているかお話ししたいと思います。

 先ほど話された海老原さんが日本型雇用の良いところを、その後私がその問題点を言う役回りのようですが、結論的に言えば、日本型雇用システムを単純に良い・悪いでは語れません。ただ、間違いなく言えるのは欧米をはじめ、他のアジア諸国と比べても日本型雇用システムが「変わっている」「大変特殊だ」ということです。何が特殊か。それは人と仕事をどう結びつけているかという点であり、そこに本質的違いがあります。

会社とそこで働く人との関係でみると、日本の特殊性が明らかです。そもそも会社は、仕事の束とも言えるいろいろな事業をおこなっており、その事業を分けてジョブにブレイクダウンしていきます。そのひとつひとつのジョブにそれを最も的確に遂行できる人を貼り付けていく、これが欧米型のやり方です。日本は違います。日本は初めに人があって、その人に仕事を貼り付けるという仕組みです。これを採用方式でいえば、日本は新卒一括採用方式、欧米は欠員補充方式です。ここから長期雇用や年功賃金、あるいは企業内組合といった日本型雇用システムの根本的なところが出来上がってきました。初めに仕事がありきなのか、初めに人ありきなのか、ここが一番のコアになるところです。私がこの数年来、様々な場所で書いたり発言したりしているジョブ型とメンバーシップ型との違いの要点がここにあります。そしてこの日本型雇用の特殊性は、他の国から大変理解し難いものです。

日本型雇用からくる特徴的問題

 ひとつは若年者雇用の問題です。昔から日本型雇用システムゆえの問題は様々ありました。一番典型的なのは中高年雇用問題です。女性雇用問題も労働時間の問題もあります。しかし、例外的に他の国で問題になっていることが起こらなかった領域があります。それは若者雇用問題です。近年、マスコミ等で「日本型システムであるがゆえに若者が苦労している」といった議論が出てきていますが、それはここ10年ほどのことです。2003年に政府が初めての若者雇用対策を4省庁で出し、その翌2004年に厚生労働省の職業安定局に若年者雇用対策室を置きました。驚かれるかもしれませんが、その前までは若者の雇用問題が日本にはありませんでした。妙な話ですが、ようやくここにきて欧米型の先進諸国と問題意識が共有されてきたということです。この点については後ほど詳しく触れたいと思います。

もう一つは、日本の労働法と日本型雇用システムとの関係からくる問題です。やっかいなことに、日本の労働法は日本型雇用システムを想定するものではありません。そもそも労働基準法、職業安定法等どれをみても、あくまで仕事というのが決まっていて、その仕事に対して採用や処遇が決まってくることを前提としています。仕事に人を貼り付けるという欧米や他のアジア諸国と同じ仕組みを規定したものでした。ところが、現実の日本社会はそうではなく、人に仕事を貼り付けるということでどんどん発展してきたため、いろんなところに矛盾が生じました。法と現実の間に矛盾が生じると、その矛盾を埋めなければなりません。それをどこが埋めてきたかというと裁判所です。裁判所は六法全書に書いてあるものだけで判断するわけにはいきません。全ての事案は、日本型雇用システムで動いている現実の職場で起きていることですから、どんな慣行で物事が動いているかを良く調べ、それに相応しいような判断を下します。それがどんどん積み重なり、判例法理という名前で、それ自体がひとつの法制度になっていく。それがある程度積み重なってくると、最近の労働契約法のように実体法の中に入ってくるわけです。

正社員の仕組みと解雇に対する認識

日本型の仕組みの中で日本的な正社員が生まれます。例えば、日本の年功的な賃金システムは定期昇給がもたらしています。1969年、当時の日経連は能力に基づいて査定をして昇給していくという、能力主義管理を打ち出しました。年功制は実はもともと組合による生活給の要求からきていて、これに対して会社側も能力という理屈付けで妥協し、査定をしながら定期昇給する仕組みを確立してきました。

この仕組みは20代については概ね現実に合っています。なぜなら、知識・スキルのない若い人をOJT等で能力を上げていくからです。しかし、30代・40代になっても能力が上がり続けるかといえば、だいぶ首を傾げます。ここに日本型雇用の昔からの問題である中高年問題が発生してくる要因があります。日本は解雇規制が厳しいといわれますが、中小零細企業はいくらでも解雇しますし、大企業でも明示的な形での解雇ではなくても、実はリストラが何回も繰り返されています。問題なのは日本の場合、人を減らすとき、真っ先に中高年を切っていることです。それを当たり前だと思っているところに日本の最大の特徴があります。日本は能力に応じ昇給していくといいながら、中高年になるにしたがって徐々に現実との乖離が大きくなっていくので、乖離が特に大きくなった中高年に着目して、出すことを考えます。こうしたとき逆に欧米では、「この仕事できる人いますか」と言って入れ、その仕事が変わらない限り基本的に給料は変わりませんから、仕事に慣れている中高年に残ってもらい、本当に人を切るときは若者からです。これは労働協約でも先任権で決められていて、アメリカはその典型ですし、ヨーロッパでは法律で定められています。こうしたことに対する理解はほとんどありません。だから今年に入って突如として出てきた解雇規制という話で「できの悪い中高年を切って若者を入れやすくする」と口走る有様です。欧米ではあり得ません。そんなことを言った瞬間に、実は欧米見習うべきといいながら欧米を全く理解していないことを露呈しています。

正社員雇用の収縮と日本の若年雇用問題

はじめに触れた日本の若者の雇用問題ですが、以前は問題が無かったのに、ここに来てどうして問題となってきたのでしょうか。ひとことで言えば90年代以降の正社員の収縮です。有名企業でなくとも、どこかには入社できた社会。それが崩れてきたのがおそらく90年代半ば以降。そしてそれが問題意識として生じ、政策にも取り上げられたのは21世紀になってからです。

ここには若干時間差があります。問題が発生した90年代半ばのことを就職氷河期といいますが、当時はそういう問題意識はほとんどなく、流行った議論といえば当座の安い給料で夜中まで働かされる正社員よりフリーターのほうがはるかに良いという「夢見るフリーター論」です。その後、小泉政権の長期的な景気回復基調で、新卒の採用が拡大する中、前の就職氷河期時代に労働市場に入り込めなかった人が取り残されて、年長フリーターが生まれ問題視されてきました。これが最大の背景です。つまり、新卒でスキルがないから雇ってくれないという欧米型の純粋な若者雇用問題というより、こぼれ落ちてしまった人を今更正規のルートには乗せられないという問題が提起されたのが日本の若者雇用問題、雇用政策の始まりです。

昨今の日本的雇用慣行の変容と課題

実はここ数年、何とか潜り込んだ人の問題も指摘されています。典型的なのがいわゆるブラック企業です。このブラック企業の話は、中々分かりにくいところがあります。夜中まで長時間労働させ、ビシバシ叩く等は、「昔も俺たちの新入社員時代は当たり前」という人も多いでしょう。では昔と今では何が違ってきているのでしょうか。日本型雇用システムとは、スキルのない若者を入れ、厳しく鍛えることで会社を支える人間を育てていくものです。それは途中でこぼれ落ちることを基本的に前提とはしていません。だからこそ入社の際の選別が厳しくおこなわれます。しかし、ブラック会社は入口でどんどん入れて、新入社員に即戦力を要求し、大量にこぼれ落ちることを前提にしている。入社した若者が抱く疑問がそこにあります。白紙で入ってくる若者を厳しく育てその企業に相応しい戦力化を図るのが日本型雇用システム維持の前提だったはずです。つまり即戦力なんてあり得ない。こうしてみると、日本型雇用システムも確実に崩れていると感じます。ブラック企業がここ数年問題になったのは多分、ここのところなのでしょう。

日本型雇用はここ20年ほどで変わってきました。今までのようにメンバーシップ型を希望者全員に適用していくのは多分、もう無理です。欧米やアジア諸国のやり方や日本の実定法を前提とする仕組みに今すぐ移行するのも無理な話です。そんなことをしたら一番ひどい目に合うのは今、正に学校を卒業しようとしている若者たちです。ジョブ型の社会は、白紙に絵を描く議論としてはある意味筋が良いのですが、日本の社会はそれを前提にできていません。どちらもなかなか難しいとしたら、その間の仕組みを考えなければなりません。

対談:「だからどう変える?日本型雇用」

海老原嗣夫氏VS濱口桂一郎氏

濱口:欧米と日本型雇用の違いは、海老原さんの指摘通りですが、そもそも、日本だけなぜこんな「変」な雇用の仕組みになってしまったのか。

日本も資本家や経営者がいて、その指揮命令下で働く人がいるという資本主義社会構造であることに、何ら変わりはないはずです。しかし、世界は全盛期のヨーロッパから様々なことを模索し、さらには理想とまで思えた「社会主義とはなんだ」ということまでやったあげく、使用者と労働者の権利関係を明確にし、労働者の立場を守るための仕組みとして労働法を整備してきました。日本もその流れに乗って来たと皆思っていますが、実は根本的なところが違うのです。

マルクスが若い頃に書いた『経済学哲学草稿』の中に、「労働者が自分の働いている場を家庭のように思えない資本主義社会を変えなければいけない」という一節があります。しかし、その後の世界の労働運動は「働いている場が家庭である必要はない。私は部品だが、無茶な働かされ方は許さないし、貰うものは貰う。プライベートの生活をきちんと充実させる」というものに変化してきました。逆に働かせる側も労働者という部品を買って、そのスペックに合ったところにはめて、全体は経営側がきちんと動かすというやり方で進みました。しかし、日本はなぜかそうならなかったのです。法制度は全く同じ仕組みのはずなのに、いわば若きマルクスの初心がまだ生きているかのように、働く人がその職場で主人公になることを望んだ。でも、初めからそんな能力があるわけもないので、職業生活の中で、年功的に割り振るというやり方が進んでいきました。年功昇格状況の図Bはみごとにそれを表しています。右側の図を見ると、初めから指示する側と指示される側に分かれています。世の中はそういうものだからお互いに不満のないように上手く回せば良いという考え方です。一方、左側の日本の図は若いうちは下積みで苦労し、職業人生の後の方で命令する側に回る。それを基本的に男性正社員限定で行っています。この仕組みを行う国は、社会主義、共産圏も含め日本以外存在しません。

ただ、最近それが崩れてきました。一番大きい原因は、女性の社会進出と年齢構造の高齢化だと思います。元々、この仕組みは最初から男性限定、しかも、中高年は少なく、若者が多かった時代の中でのみ回っていたものです。戦後からある時期にかけ確立してきた日本的な仕組みは、資本主義社会の中でかなり異例な環境に許されて実現してきましたが、ついに軋みが生じて来たのだと考えます。

濱口:あてがう仕事がないのではなく、欧米なら初めから上にあてがうわけです。欧米の場合、資格を持っていれば能力があると見なして、それに合ったところに付けます。基本的には先ず、ジョブありきです。逆にいえばそこに付けるためにジョブには上から下までいろいろあるのだということで、社会全体が動いているわけです。日本はそうではありません。欧米から見れば資格がない人間を営業で使うことすら無駄使いだと見えるでしょう。

しかし、そのもうひとつ奥に、より本質的な問題が見えます。人の能力は簡単にわかるものでしょうか。哲学的に言えばわかりません。わかるわけがないから、わかったことにする仕組みを世の中が作るのです。社会は全部約束事で動いています。例えば、社会的に認められたコースを修了したとか、この資格試験に合格した等、「一定のクオリフィケーションを与えられたら能力があると皆で見なしましょう」という約束事で世の中回っているわけです。逆に、長期的な関係の中で「資格はあったけど、こいつはだめだ」となれば排除されていきます。それが世界共通のやり方だとすると、やはり日本は特殊です。

日本では最初にクオリフィケーションを用いたりしませんから、採用の入口段階で人間をじっくり見なければならない。そもそも、長期的に見なければわからないものを、その前に判断しろという無茶な話なのです。その無茶を就活で行っているのですから、学生が苦労するのは当たり前の話です。

濱口:人の可能性を信じ、かつその可能性を開花させる権利があるというと、凄く日本の社会は人間的です。しかし本当に100%それができるかといえば、できるはずがない。そもそも、資本主義社会ならば企業は毎日競争していかなければならない。つまり、人の集まりが会社だと言いながらも、会社側は事業を存続させ発展させていかなければならないわけで、ひとりひとりの満足度を最大にするわけには、やはりいかないものです。その矛盾は多分、様々な働き方の中に押し付けられていると思います。ただ、それを「嫌だ」と思わずできるよう「エリートを夢見る」ことによって、そんな気持ちを緩和できる仕組みが動いているのだと思います。

濱口:ある意味、日本ほど若者の雇用問題がない国はないことを非常に象徴的に示すものがあります。それはOECDのリポートで見て取れるのですが、そのリポートの中で、若者の状況を4つに分けています。『ハイパフォーマー』、『上手くいかず出たり入ったりしている者』、『ずっと排除されている者』、『学校に戻った者』。一番上のハイパフォーマーは、だいたい4割くらいいます。ところが、欧米のハイパフォーマーの定義は、学校卒業後の5年間のうち半分以上職業に就き、そこで何らかの仕事をした者をさしています。それ以外の三つはそこまでいかない人たち。それが欧米の状況です。そこから見たら日本は超ウルトラスーパーハイパフォーマーみたいなものです。日本の若者だけが大変だと言われますが、実は、その中身が全然違う。ただ、興味深い点は、ドイツをはじめ、いわゆるデュアルシステムの仕組みが社会に確立している国々は、失業率が日本並みに下がり、ないところは大変高くなっています。

濱口:そもそも、労働者を出世させろとはどこにも書いていません。繰り返しますが、日本の六法全書に出ている文面を見ても、欧米と変わったことは一切書いていませんし、男女雇用機会均等法を見ても、入口から出口まで平等にしろと欧米から見て当たり前のことが書いてあるだけです。しかし、そこに書いていない男性の仕組み、雇用慣行が日本は違うので、そこに無理が出てくるのです。しかし、男性と女性を平等に扱えという法律ができたのですから、多分、他にやりようがないでしょう。どこをどうするのかは凄く難しい話です。

濱口:全てを満足させる良いシステムなんてあるはずがないと思っています。現実に可能な選択肢の中で、より悪さの少ないものを選ぶしかない。もし、メンバーシップ型に男性も女性もはめられるのなら、それが一番ハッピーですが、残念ながらそれは不可能でしょう。不可能なことをあたかも可能であるかのように言って追い求める、或いは、目指すべきだというのは非常に誠実性に欠けます。一方で、様々な社会的システムがきちんと担保されていないまま、これが世界標準だと言ってしまえば、そこからこぼれ落ちる人は非常に悲惨な目に合うから無責任。結局はその狭間の中、どこかで苦痛は生じるのですが、その苦痛が最小限になるよう、様々なパラメーターで測りながら動かしていくしかないのでしょう。日本人にとって受入れやすい仕組みをあえて言うならば、デュアルシステムです。学校にいる間から会社の中に入れる仕組みを作り、そこでこぼれ落ちる人を最小限にする。学校を卒業する頃にはある程度の方向性が出ていますから、ジョブ型の苦痛をより少なくすることが可能になると思います。ただ、大学側は大きな負担になりますから、これはこれで大変な騒ぎになると思います。

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コメント

私も以前は解雇規制緩和して稼ぎが足らない分は福祉やれと思っていましたが、今は逆です

日本型年功序列終身という雇用は合理性があるものと考えます。

濱口さんが言われるような、年齢と給料がリンクしない=生活給ではない ジョブ型を導入すると、家庭持ちや親を養う世帯(つまり独身以外の世帯)は今までのまともなレベルの生活ができなくなります。

これにたいして、賃金が足りない奴は福祉で養えばいいというのが規制緩和派の答えかと思いますが、そうすると「労働にリンクしない金で食ってる人」が大量に出現することになり、労働の尊さ・価値・道徳が棄損されます。

我が国において、大量の福祉依存者を生むこととなる制度が良いものなのか、幸福度を上げるのか、納税者の納得を得られるのか、を考えてみるべきです。

また、大量の福祉依存者を養う財源を考慮すると、結局は負担増という形で経済減速要因となり、雇用規制を廃して競争力という話にはならないかと思います(法人は減税する、福祉は増やすとなると、労働者から重税を毟り取るということですので、やはり反対です。)

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