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2014年3月19日 (水)

メンバーシップ型の思想的一源泉

『労基旬報』3月25日号に寄稿した「メンバーシップ型の思想的一源泉」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo140325.html

 戦後労働法学である時期まで熱心に議論されたテーマに雇傭契約と労働契約の異同論があります。もともと戦前末弘厳太郞が、労働契約を「一定企業に於ける労働者の地位の取得」に向けられた、「従って単純なる債務的契約にあらずして一種の身分契約」であるとして、「労務及び報酬に関する債権債務を発生せしめることが直接の目的」である雇傭契約と区別したのが始まりです。法社会学的関心の高かった末弘にとって、これは現実の日本社会で行われているフォーク・レイバー・ローに即した理論であったことは間違いありません。同じく法社会学的関心の高かった磯田進が、終戦直後の時期に「日本の労働関係の特質-法社会学的研究」(『東洋文化』第1号)において、日本の労働関係の「理念としての資本主義的労働関係とは著しくちがった性格」、すなわち「無定量性、ないし不確定性」を、その身分的性格として(批判的に)摘出したことと表裏一体のものといえましょう。

 ところが戦後労働法学、とりわけいわゆるプロレーバー法学においては、市民法的な雇傭契約と峻別されたこの労働契約の特性としてその従属性が強調され、それが労働者の権利を守るための解釈論の中核概念になっていきます。それは生存権確保という観点からの市民法原理への修正と見なされ、たとえば賃金二分説(ストライキ時の賃金カットは労務提供に対応する部分のみで、地位設定に対応する部分には及ばない)のような形で労働者寄りの解釈論に用いられました。しかしこれはまた、配転・転勤に関する包括的合意説(労働契約は具体的労働の給付を約するのではなく、労働力の使用を包括的に使用者に委ねるもの)として、労働の種類、態様、場所等を使用者の一方的な決定に委ねることを正当化する理論でもありました。

 もちろん、ある時期までの労働法学の関心はもっぱら集団的労使関係に向けられており、それゆえ組合運動にとって有利に使える解釈論が選好されたことは理解できます。また、職場で労働組合が強い限り、労働契約の身分的性格が(磯田進が懸念したような)弊害を生む危険性は抑えられていたのかも知れません。しかし、組合の力が弱まっていくと、そこから姿を現してきたのは、(プロレーバー労働法学が敵と考えていた)理念としての資本主義的労働関係というよりは、「無定量性、ないし不確定性」で特徴付けられる身分的性格に満ちたフォーク・レイバー・ローであったようです。

 一方解釈理論として精緻化の一途をたどった労働法学では、雇傭契約も労働契約も使用者の指揮命令の下で働く従属労働であることに何の変わりもないという、それ自体としてはまことに正しい議論によって同一説が一般化し、峻別説は凋落していきました。しかし、そこで雇傭契約=労働契約と見なされた労働関係は、内容的には既に身分的性格が強いものになっていたようです。近年、他の労務供給契約類型との関係で再び峻別説が復活してきていますが、もともと末弘の議論の背景にあった法社会学的な関心とはあまり接点がないように見えます。

 こうした議論の流れは、しかし私には極めて顛倒したものであったように思われます。そもそも、欧州でも雇用契約の源流は主従契約であったり、奉公契約であったりと、身分的性格の強いものでした。現実の労働関係が「理念としての資本主義的労働関係」(両当事者が互いに人格的に独立であり、身分関係から完全に解放されているという意味での契約関係)に近づいていくのは、むしろ労働運動や国家の立法によって使用者の権力が抑制されることによってであったというのが、近年の歴史的研究が語るところです。いわば、マクロ的な労働者の「身分」化がミクロ的な労働者の脱身分化、契約化を推進したのです。

 実際日本でも、戦後労働組合法や労働基準法が制定されることで、契約当事者、取引当事者としての労使対等が初めて確立したわけです。労働基準法が適用されない家事使用人が雇傭契約であるのに労働契約ではないのは、まさにその「無定量性、ないし不確定性」を認めざるを得ないからでしょう。市民法的雇傭契約から脱市民法的労働契約へ、というような教科書的な筋書きとはまったく逆に、主従関係的な尻尾をいっぱいくっつけた雇傭契約から、市民同士のより対等な関係に近づいた労働契約に展開していったというべきです。ところが、企業レベルに確立した集団的労使関係の基盤を確保するために個別契約関係の従属性や身分性(=「社員」性)を強調する戦略をとったことが、その労働契約を「理念としての資本主義的労働関係」から遠ざけ、家事使用人ではないのに「無定量性、ないし不確定性」で特徴付けられる「メンバーシップ型」の労働契約が一般化する土壌となったのではないでしょうか。

 ここには何重もの顛倒が重なり合い、絡み合っています。しかし、戦前期から終戦直後期には関心が高かった労働関係への法社会学的関心がその後急速に失われ、労働の法社会学的研究と言えるような業績がほとんどないまま半世紀以上過ぎてきたこの日本で、改めて日本の労働関係の「理念としての資本主義的労働関係とは著しくちがった性格」、すなわち「無定量性、ないし不確定性」が問題意識にのぼせられるようになってきていることだけは間違いありません。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-b8cd.html(磯田進「日本の労働関係の特質-法社会学的研究」@『東洋文化』)

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