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2014年3月 2日 (日)

女性の活躍?

Img_month『生活経済政策』3月号が送られてきました。特集は「日本企業に女性の活躍推進は可能か」なんですが、

http://www.seikatsuken.or.jp/monthly/

特集  日本企業に女性の活躍推進は可能か

  • 特集にあたって/杉浦 浩美
  • 日本企業で女性が本当の意味で活躍することは可能か?/脇坂 明
  • 就職結果における男女差は縮小してきたか/三輪 哲
  • キャリア継続と両立支援―女性の活躍機会の拡大に向けて―/池田 心豪
  • 男女雇用機会均等法制定から今日/南部 美智代

問題は、今までの仕組みをそっくりそのまま維持したままで「女性の活躍」とやらをやろうとしているのか、女性が活躍するためにはそれをどこまで変える覚悟があるのか、ということだと思うのですがね。

「活躍」という聞き心地のいい言葉だけを使ってると、そこに下手に踏み込まずに議論できるから楽だけど、それは実は表面をなでてるだけになりがちという気がします。

だから、わざと、「女性の活躍」なんてもうやめよう、と不快に聞こえるようなことを言ってみたりするのだけれども、なかなか通じないね。

ワーク・ライフ・バランス一つとっても、とてもねじれた話になってしまっているように思います。私がよく皮肉に持ち出す、かつての規制改革会議がホワイトカラーエグゼンプションが「仕事と育児の両立に役立つ」云々と言っていたのは、労働時間規制という観点からインチキであるだけではなく、ワーク・ライフ・バランスという観点からもそのインチキ性を厳しく糾弾されてしかるべきであったのに、なんだか時間の規制を外して自由に働けるようにするのがワーク・ライフ・バランスだ、女性の活躍だ、というようなおかしな気分がなんとなく今に至るまで漂っている。

いうまでもなく、時間の制約など無くいくらでも働けることにこそ(男性正社員型)日本型正社員の特徴があるわけで、それではついてこれない時間制約のある女性だからこそ、労働時間のリジッドさが意味を持つという話になるはず。毎日退社してからきちんと子供をピックアップできるために必要なのはまずはそのリジッドさ。そういう労働時間のリジッドさが男女共通にきちんと確立している社会であってこそ、そのリジッドさだけではまかなえないようなイレギュラーな事態に対処するためのフレクシブルさが意味を持つ。

労働時間のフレクシビリティがワーク・ライフ・バランスに役立つとか、仕事と育児の両立に資するとか言う話は、まずはレギュラーベースのリジッドさがきちんとあった上での、イレギュラーなフレクシビリティの話なのに、それを、レギュラーベースで遙かにフレクシブルの極限まで達している男性正社員の働き方のそのまた延長線上のフレクシビリティと、無媒介にくっつけた議論になってしまうのだから、現実世界を遙かに乖離した空論になるのはあまりにもわかりきったことではなかろうか。

その結果何が起こるかというと、育児休業だとか短時間勤務だとかというような、イレギュラー用の、イベント的なワーク・ライフ・バランスの道具は至れり尽くせりでさんざん完備しているけれども、いったんそのイレギュラーな時期が終わって、レギュラーベースの世界に戻ってくると、フルタイム勤務どころか、無制限のオーバータイム勤務が待っているわけで。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/by-fad8.html(迷走する運命にあるワーク・ライフ・バランス政策 by 筒井淳也)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-2c8d.html(女性が輝く社会のあり方研究会)

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コメント

>育児休業だとか短時間勤務だとかというような、イレギュラー用の、イベント的なワーク・ライフ・バランスの道具は至れり尽くせりでさんざん完備しているけれども、いったんそのイレギュラーな時期が終わって、レギュラーベースの世界に戻ってくると、フルタイム勤務どころか、無制限のオーバータイム勤務が待っているわけで。<…

上記の実態告発の言説がすべてを語っていると思います。
要するに、我が国の働き方というのは、労働者自身で労働力の再生産ができないわけで、労働者が属するところの家庭内には、別の再生産人格(いわゆる内助の功とか…)がないといけないことになります。

画して、立派な正社員労働者というのは、概して立派な一つの人格を持たぬ人間になってしまうわけです。

それ以前に英単語混ざりすぎでルー語みたいな文章何とかして…や

カタカナ英語が多すぎて、何書いてるのか意味が分かりません(汗)

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