中小企業労働者に「交渉力」があるのか?
大内伸哉さんがブログ「アモーレと労働法」で、「中小企業の労働者の交渉力」という記事を書かれているのですが、個々の事実についてはそうだと思いながら、全体の構図には大変違和感を感じたので、そのあたりを述べてみたいと思います。
http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-b35b.html
どうも経済学者の方の間には,解雇ルールによって保護されているのは,企業別組合のサポートを受けることができる労働者だけであって,それは実際上は大企業の正社員であるという理解が一般的なようです。中小企業の労働者が無権利状態であるというのは,全くのデタラメとまでは言えませんが,労働委員会の実務をやっている人(事件の数が少ない,いわゆる「ゼロワン」県の労働委員会では違うかもしれませんが)の多くは,違和感をもっていると思います。今日の労働組合運動の主流を担うのは,コミュニティユニオンかもしれないのです。確かに数の上では企業別組合の組合員数の方が圧倒的に多いのですが,いわゆる実質的個別紛争という今日の労使関係におけるホットイシューの主役は,コミュニティユニオンです。そこでは,労働組合としてのパワーがいかんなく発揮されています。私は労働組合法をめぐる議論においても,実質的個別紛争のことをきちんと踏まえなければならないと考えており,一昨年に出版した『経営者のための労働組合法教室』(経団連出版)でも言及しています(61頁,168頁以下)。ここでも少し説明しておくと,例えば解雇紛争で言うと,労働者が解雇された後,住んでいる地域のコミュニティユニオンに加入し,その後,そのユニオンが解雇をした経営者に対して団体交渉を申し込んだとしましょう。経営者は,もちろん団体交渉に応じなければなりません。解雇の時点では組合に加入していなくても,その解雇の有効性について争いがある限り,依然としてその経営者は解雇された労働者を雇用していると判断され,したがって,コミュニティユニオンに対しては,使用者として団体交渉に応諾しなければならないのです。経営者には誠実交渉が求められますが,企業別組合と違って,基本的な交渉や協議のルールが定まっていないことが多いでしょうから,ときには最初から激しい応酬が繰り広げられることがあります。最近では,こういう経営者を守るためのビジネスもあるくらいです。コミュニティユニオンは,ある意味では本来の労働組合運動の正統な流れを引いているとも言えるのであり,その活動は労組法上全く問題がないと解されています(私は個人的には個別的な紛争が義務的団交事項と言えないではないかという疑問は持ってはいますが,もちろん,労働委員会の実務では,実質的な個別紛争であっても義務的団交事項であることを前提に事件処理をしています)。解雇に限らず,何か紛争があってからの「駆け込み寺」としてのコミュニティユニオンはかなりよく機能しているのではないかと思います。これは,伝統的な企業別組合が,困っている労働者の組織化ができていないことからきているのでしょうが,とにかくこの実態を見るならば,企業別組合に組織されていないからといって,解雇があれば泣き寝入りということばかりではないのです。この状況を中小企業の労働者の交渉力があるとか,非正社員の交渉力があると短絡的に評価してはならないのでしょうが,ただコミュニティユニオンの門戸は広く,そこにいったん加入すれば,団体交渉,争議行為,街宣活動等,あの手この手のプロの圧力手段で応援してくれるので,その段階ではもはや経営者をほうが強い立場にあるとは言い切りにくくなります。解雇紛争のほとんどすべては最後は金銭解決ですが,その額はかなり労働者側に満足のいくものになっていると予想できます。
私の『解雇改革』(中央経済社)の本について,中小企業における労働組合の欠如という事情が十分に考慮されていないのではないか,というコメントをいただいたこともあるのですが,私としては,いま述べたようなことから,認識を異にしているのです。むしろ拙著では,例えば88頁でコミュニティユニオンを,金銭解決と関連して言及しています。今後はコミュニティユニオンの活動の実態も踏まえて議論をしていった方がよいと思っています。なお誤解を招かないように言っておきますが,これはコミュニティユニオンは困ったものだと考えているわけでは全くありません。むしろ,その逆でコミュニティユニオンはよくやっているのです。だから経営者はきちんと法律を学んで応対しなければならないというのが『経営者のための労働組合法教室』で書きたかったことであり,さらに政策においても,そのことを踏まえた議論をした方がいいと言いたいのです。
そもそも、大変な数の中小零細企業の労働者のうちで、解雇されたりいじめを受けてコミュニティユニオンに駆け込んで解決した人というのはやはりごくごく少数派であって、圧倒的大部分はそうじゃないわけですが、
それよりも気になるのは、個別労働紛争が起こってからその解決のために集団的労使紛争という形式をとることによってどういう風に役立ったかという話を「交渉力」と呼んでいいのか?という問題です。
そういう場面における「解決力」がコミュニティユニオンにあるのは確かです。しかし、それは、本来的な集団的労使関係において、労働条件を一方的に決定させることなく、使用者に労働者側の意思をなにがしか吞ませることのできる、そういう対等な労使関係の下で働くことを可能にするような、そういう「交渉力」とは位相を異にするものではないでしょうか。
言い方を変えれば、そういう意味での「交渉力」が無いが故に、中小企業労働者は解雇やいじめや労働条件切り下げなどといった事態が発生した後から、コミュニティユニオンに駆け込んで、集団的紛争の装いをした個別紛争を戦わなければならないわけです。その場面でのコミュニティユニオンの「解決力」の高さ自体が、それ以前の個人としての中小企業労働者の「交渉力」の乏しさを示しているわけでしょう。
もちろん、労働法学の建前論としては、そういうものも本来的な集団的労使紛争と差別的に扱ってはならないものですから、規範論としてそういう議論になるのはいいのですが、それを現実認識として、中小企業労働者もスパスパ解雇されてから駆け込みでユニオンを使えるから「交渉力」があるという言い方をするのは、社会科学の言葉としては適切ではないように思われます。
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