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2014年2月

世界標準に近づく派遣労働規制@損保労連『GENKI』2月号

108損保労連の機関誌『GENKI』2月号に「世界標準に近づく派遣労働規制」を寄稿しました。

ちょうど、派遣法改正案が労政審に諮問されたときでもあり、新聞報道とは違った観点からこの問題を考える上で役に立つのではないかと思います。

「世界標準に近づく派遣労働規制」

 2014年1月29日の労働政策審議会(※1)において、労働者派遣法改正に向けた報告書が取りまとめられました。今回の見直しの出発点は、2012年(民主党政権時代)の改正の際に、いわゆる「専門業務」に該当するか否かによって、派遣期間の取扱いが大きく変わる現行制度のあり方について、「今後、検討・議論を開始すべき」とした国会附帯決議にさかのぼります。この付帯決議を受けて、改正法が施行された2012年10月に学識経験者からなる「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会」が設置され、この研究会において派遣法のあり方に関する論議が進められてきました(筆者も有識者としてヒアリングを受け、欧州の現状などを説明しています)。この研究会での論議は、2013年8月に研究会報告書としてとりまとめられ、これを受けて、直ちに労働政策審議会での審議が開始され、今日に至っています。

 この研究会の論議過程においては、これまで筆者が繰り返し主張してきた法制度の根本を左右するような論点が打ち出されています。それは、派遣法について、世界各国では、派遣労働者保護を主目的としているのに対し、日本では、日本的雇用慣行の中にいる常用労働者(いわゆる正規社員)を代替しないこと、すわわち「常用代替の防止」を主目的としている点についてです。

 このため、最初に派遣法が制定された当時(1985年)のロジックは、新規学卒から定年退職までの終身雇用慣行の中に入らないような労働者だけに派遣という働き方を認めるというものでした。それを法律上の論理としては、「専門的業務は、専門性が高いがゆえに常用代替しない」「特別な雇用管理だから常用代替しない」と言ったわけです。しかし、その専門性が高いとされた「専門的業務」の中身は、主に結婚・妊娠・出産などを契機に退職した元女性社員たちの「事務的書記的労働」でした。そして、「ファイリング」という職業分類表にも登場しない「業務」が最大の派遣専門業務となったのは、その間の論理的隙間を埋めるものであり、後には事務職なら最低限のスキルである「事務用機器操作」が専門業務としてその隙間を埋めました。このようなごまかしが世間で通用したのは、女性社員は新規学卒から結婚退職までの短期雇用という社会風潮のもと、女性社員の代替は常用代替にはならないと認識されていたからでしょう。

その後、ILO181号条約の制定を受けて行われた1999年の派遣法改正でも、常用代替防止の思想は維持されています。この時の改正において、専門業務だから常用代替しないというフィクションを維持したまま付け加えられたのは、専門業務ではなく、それゆえ常用代替する危険性のある一般業務について、派遣期間を限定するから常用代替の危険性が少なくなるという新たなロジックです。この期間制限は、欧州などで見られる「雇用契約は無期契約が原則であるから、有期契約の期間を限定して無期雇用への転換を図るべき」という発想によるものではまったくありません。これは単に、派遣労働者本人とは関係のない派遣会社による派遣先に対する派遣サービスの上限を定めているにすぎないのです。そして、こうした歪みが露呈したのが有名な「いよぎん事件(※2)」です。裁判所は、派遣法は常用代替防止が目的だからといって雇止め法理の適用を認めませんでした。つまりは、日本の派遣法は、派遣労働者を法の保護の対象外とすることを要求しているのです。

先の研究会報告では、この問題についても斬り込んではいるものの、常用代替防止という考え方を全面的に転換するのではなく、その中身を部分的に入れ替えることで対応しようとしています。それを研究会報告では、「再構成した常用代替防止」と呼んでいますが、常用代替の防止と派遣労働者の保護という異なる考え方のものを無理に同じ言葉の下に入れ込もうとしたきらいがあり、かえって混乱を招いているようにも見えます。

 具体的には、まず、無期雇用派遣については「派遣労働の中でも雇用の安定やキャリアアップの点で優位であること」から「常用代替防止の対象外」としたこと、くわえて有期雇用派遣については「個人が特定の仕事に有期雇用派遣として固定されないこと」を目的とするとともに、従来通り「派遣先の常用労働者が有期雇用派遣に代替されないことという派遣先レベルの常用代替防止」も維持するとした点です。少なくとも、前2者については、日本の派遣法が制定された当初に考えられていた「常用代替防止」ではなく、むしろヨーロッパで一般的な無期雇用原則の考え方であると言えます。それをなお「常用代替防止」という名で呼び、旧来型のものと一緒にしてしまうことが、議論の構図をすっきりさせない原因となっているのではと思います。

 その一方で筆者は、研究会報告や労働政策審議会での審議において、欧州諸国で派遣を論じるときには当然の前提がなおざりにされているようにも見え、物足りなさを感じています。それは、世界の派遣事業者団体であるCIETT(国際人材派遣事業団体連合)が繰り返し強調している「ディーセントワーク(働きがいのある人間らしい仕事)」と「労使パートナーシップ(協調型労使関係)」という前提です。残念ながら日本では、労使いずれの側からも派遣に関してディーセントワークと労使パートナーシップという言葉が語られることはありません。これは、派遣法において「常用代替防止」が議論の中心を占めてきたがゆえの帰結です。

 ここで、筆者はむしろ、労使パートナーシップを通じたディーセントワークの実現に向けて、近年非正規労働法制に関して繰り返し論じられてきている集団的労使関係システムの活用について、派遣業界が先鞭をつけることができないかと考えています。厚生労働省の「非正規雇用のビジョンに関する懇談会」や「今後のパートタイム労働対策に関する研究会」の報告書でも強調されている集団的労使関係システムを通じた均等待遇という新たな枠組みの設定にむけた試みです。それは、産別労働組合主導の形で派遣労働者を組織化していくという形でもあり得るでしょうし、派遣会社主導で派遣労働者代表制を構築するという形でもあり得るのではと思います。

 また、今回の論議の中で派遣業界にとって、大きな影響を及ぼす可能性があるのが、すべての派遣事業を許可制(※3)にするという方針です。ここに踏み込んだことは日本の派遣業界を先進諸国並みに透明かつ健全なものにしていくうえで極めて重要ではないかと思われます。くわえて、無期雇用の派遣労働者について個人単位及び派遣先単位の期間制限の例外とするという方針とが合わさることで、定期的な許可更新や無期雇用への対応などによる負担から、多くの零細派遣会社の経営が立ちゆかなくなることが想定されます。

 しかしながら、派遣法はそもそも派遣会社が使用者としての責任を負うことを前提として作られており、これは本来的には、相当程度の派遣先顧客企業を有することによって、個々の派遣の発生消滅をつなぎながら全体として派遣就労がおおむね継続されていけるような企業体力を企業に求めるものです。その意味では、過度に零細派遣会社が多い日本の派遣労働市場は、さらなる透明化、健全化が必要な状態にあるとも言えますし、もっと大手や中堅の派遣会社に集約されていくことが望ましいとも言えるのではないでしょうか。そして、そのような形で派遣会社が集約されていくことが、集団的労使関係システムの確立を通じた均等待遇をはじめとしたディーセントワークの実現をもたらす大前提ともなるはずです。

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宮本光晴『日本の企業統治と雇用制度のゆくえ』

宮本光晴さんの近著『日本の企業統治と雇用制度のゆくえ ハイブリッド組織の可能性』(ナカニシヤ出版)をお送りいただきました。奥付けを見ると3月20日発行とあるので、だいぶ早いフライングゲットになりますね。

http://www.nakanishiya.co.jp/modules/myalbum/photo.php?lid=1021

「失われた10年」以後の企業ガバナンスと雇用制度のあり方について、
詳細な調査をもとに従業員の行動を中心に考察。
アメリカ型でも従来の日本型でもない、ハイブリッド組織の可能性を提唱する。

目次は次の通りで、

序 日本経済の「失われた20年」

第1章 企業統治と雇用制度の変革

第2章 日本企業の多様性

第3章 成果主義と長期雇用のハイブリッドは有効か

第4章 日本の従業員は株主重視の企業統治を支持するのか

第5章 日本の企業統治の行方

第6章 日本の雇用制度の行方

第7章 日本企業の制度的進化

JILPTの2回にわたる企業調査と従業員調査をフルに使って、細かな分析をしていますが、全体としては「多様な資本主義」の問題意識に基づき、コーポレートガバナンスの変化と雇用システムの変化の関係を考察した本と言えます。

基本線は、長期雇用という点では日本型だが、成果主義という点ではアメリカ型の新日本型というハイブリッド(混血)型を展望するものですが、制度的補完性という観点からすると、それは安定的な均衡点である保障はありません。

まあ、ハイブリッド(混血)とかいうと、思わず例のジョージ・バーナード・ショーのジョークを思い出してしまいますが。女優の美貌とショーの頭脳を兼ね備えた子供が生まれるか、ショーの容貌と女優のおつむを兼ね備えた子供が生まれるか、というあれです。

もっとも、企業内で混血はしないけれども混住するというシナリオ(一国二制)もあり得て、私はその方が可能性が高いと思うのですが、宮本さんはあまり乗り気ではなさそうです。

いずれにしても、いろんな意味で議論の素材になり得る論点がたくさん詰め込まれていて、とてもここでは紹介しきれません。是非手にとって目を通されることを希望します。

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イタリアの退職願付き採用に規制(再録)

2008年のエントリですが、今頃出番が回ってくるとは思っていませんでしたわ・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_2203.html

イタリア人のやることですから・・・というと怒られるかも知れませんが、イタリアには労働者を採用する際にあらかじめ日付の入っていない退職願を書かせて、とりわけ女性労働者が妊娠したり労災にあったりしたときに、解雇じゃなくて自発的に退職したんだよということにするという慣行が広く行われているそうです。

昨年10月17日の法律でようやくこれを規制する手続が規定され、今年の3月から施行されているとか。

http://www.eurofound.europa.eu/eiro/2008/06/articles/it0806019i.htm

>Law 188/2007 of 17 October 2007 establishes new procedures which aim to combat the widespread phenomenon of so-called ‘white resignations’ in Italy. This practice occurs when an employer asks a worker to sign an undated letter of resignation at the moment of hiring. The employer can use this letter at a later stage to bypass legal restrictions regarding individual redundancies, transforming a dismissal into a resignation.

This illegal practice is frequently adopted for women, so that they can be conveniently dismissed when they become pregnant, or for legal protection in cases of accidents and injuries at the workplace. In the latter case, the letter is dated before the time of the accident.

The new law came into effect in March 2008 and covers all types of standard and atypical employment contracts, including employer-coordinated freelance contracts, project or temporary work contracts and employment contracts of cooperatives.

2007年10月17日の法律188/2007は、イタリアで広がっているいわゆる「白紙辞表」という現象と戦うための新たな措置を確立した。この慣行は、使用者が労働者に、採用の時に日付の入っていない辞表にサインするよう求めるものである。使用者は後の段階で、解雇を辞職に転換することで、個別解雇に関する法規制をバイパスするためにこの辞表を使うことができる。

この違法な慣行は女性に対してしばしば用いられ、彼女らは妊娠したり職場で労災にあったりしたときに簡便に解雇されうる。後者の場合、辞表の日付は労災事故の前の日付が書き込まれる。

この新法は、2008年3月に発効し、すべてのタイプの標準雇用も非典型雇用にも、フリーランス契約にも、プロジェクト雇用や協同組合契約にも適用される。

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エリート教育と、普通の人がクリエイティブに働ける教育の両立を

0286170岩波書店から出ているシリーズ大学の最終巻(第7巻)『対話の向こうの大学像』をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN978-4-00-028617-6

「開かれた大学論」のために設定した最終巻では,今後のありうべき大学像,知の変容と大学ランキング症候群のゆくえ,経済界が大学に望む人材育成,行政による財政支援の論理など,重要テーマについて研究者,財界人,現役財務官僚らと討論.各巻の論点を振り返りながら,シリーズ全体を総括する.[寄稿と座談会への参加=松浦良充・小林信一・神田眞人・浦野光人]

討論が面白いのは、やはり現役財界人、現役財務官僚が登場する3つめ、4つめの座談会です。とりわけ、労働関係者からすると、ニチレイの社長、会長を務めて今相談役の浦野光人さんのはいった座談会は必読と言えましょう。

この座談会のタイトルが、本エントリのタイトルそのものでもあり、この座談会で浦野さんが語った言葉そのものでもあります。

・・・一つは、英米のような労働者階級は作りたくないという思いはあります。アメリカのように超エリートだけが頑張って「お前らついてこい、食わしてやるからな」という社会にはできるだけしたくない。一方で日本の場合、従来型のトップは必ずしもクリエイティブではありません。・・・

・・・でもいかんせん、社会的な条件や自分の受けてきた大学教育などを鑑みると、もういままのままではグローバル化の中で太刀打ちできないなというのが実感です。・・・だからこそ、教育を変えていきたいのです。広田さんの質問に対しては、「両方やりたい」という答えになります。トップの教育と普通の人をクリエイティブにする教育と、両方ともやりたい。・・・

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わかっている人とわかっていない人

『労基旬報』2月25日号に掲載した「わかっている人とわかっていない人」です。

 一昨年末の総選挙で自民党が大勝し、第二次安倍内閣が成立してから、内閣や内閣府の会議体主導でいくつもの労働法制改革が進められている。経済財政諮問会議、規制改革会議、産業競争力会議、国家戦略特区ワーキンググループなどである。この動きに批判的な人々は、これらすべてを十把一絡げに批判する傾向があるようである。しかし、その議論の中身をよく見れば、雇用労働問題の筋道がわかった上で規制改革に向けた議論を展開している人々と、まったくわかっていないまま乱暴な議論を振り回している人々の間に大きな落差があることがわかる。

 筆者が昨年雑誌『世界』5月号に「労使双方が納得する解雇規制とは何か」を書いたときには、経済財政諮問会議や規制改革会議の議論を評価しつつ、産業競争力会議の議論を批判した。それは、前者が日本における整理解雇の難しさを日本の「正社員」の負っている無限定の義務と裏腹の関係にあるものと適切に捉え、単なる規制緩和ではなく雇用システム改革として問題を提起していたからである。それに対して当時の産業競争力会議は、日本の雇用保障が厳しすぎるという一方的な認識に立っていた。

 しかしその後、産業競争力会議の認識もシフトしてきており、昨年12月の雇用・人材分科会中間整理「世界でトップレベルの雇用環境・働き方の実現を目指して」は、多様な正社員の普及・拡大や働き過ぎ改善に目配りした労働時間規制の見直しなど、まっとうな方向を目指すようになってきている。昨年11月に筆者が有識者として意見を述べたこともあるのか知れないが、「わかっていない人」から「わかっている人」に変わってきたという強い印象を与える。

 そうした中で、依然として「わかっていない人」が議論を引っ張り、労働政策にノイズを混入させ続けているのが、国家戦略特区ワーキンググループである。昨年9月に八田達夫座長の名で出された「規制改革提案に関する現時点での検討状況」では、「契約締結時に、解雇の要件・手続きを契約条項で明確化できるようにする。仮に裁判になった際に契約条項が裁判規範となることを法定する」などと、民事法の基本がわかっていない提案がされていた。これに対し厚生労働省から「裁判になったときは、その後の人事管理・労務管理などを含め、総合判断せざるを無い(契約書面は、労使双方にとって有効でない)」という当たり前の指摘を受けたことに対して、「不当労働行為や契約強要・不履行などに対する監視機能強化を特区内で行うなら、検討可能」という意味不明の見解を示していた。同WGの八田座長は、解雇権濫用法理と不当労働行為の区別もつかないで議論をしていたらしい。

 さらに、その提案の後ろの方には「上記の特例措置に伴い、不当労働行為、契約の押しつけや不履行などがなされることのないよう、特区内の労働基準監督署を体制強化し、労働者保護を欠くことのないよう万全を期す」という文章がついている。解雇権濫用法理も不当労働行為も労働基準監督官には何らの権限もないのだが、この高名な経済学者にとっては、そんな細かなことはどうでもよいようである。学部レベルの労働法の試験でこんなたわごとを書けば直ちに落第必死だが、それでも政府の政策決定の中枢にあって、世の中を振り回すことができるのであるから、ありがたい話である(振り回される方にとってはありがたくないだろうが)。

 このトピックは結局個別紛争防止のための事業主への援助に縮小されて無害なものになったが、国家戦略特区法に残って現在労政審で進められている労働契約法の見直し作業をもたらしたのが、有期契約の5年無期化条項の見直しである。それ自体はいろいろな意見のあるところだろう。しかし、八田氏の論拠は「例えば、これからオリンピックまでのプロジェクトを実施する企業が、7年間限定で更新する代わりに無期転換権を発生させることなく高い待遇を提示し優秀な人材を集めることは、現行制度上はできない」というところにあった。労働法を少しでもかじった人なら「はぁ?」というところである。現行法(労働基準法第14条)でも、プロジェクトのための雇用なら5年であろうが10年であろうがその期間を定めた労働契約を締結することが可能で、その場合反復更新はしていないのだから、5年経とうが10年経とうが無期化することもあり得ない。八田氏の脳内に生息する「優秀な人材」とは、労働基準法で認められた7年契約の有期雇用で雇われることを嫌って、わざわざ1年刻みの短い有期契約にして、1年ごとに小刻みに更新して、何年目に切られるかも知れない不安定な状態にあることを選好する生き物であるらしい。

 こういう無知な人の思いつきによって一国の労働法政策が左右されているというのは、先進国の中ではあまり例がないように思われる。

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『JIL雑誌』2/3月号「労働法理論の現在」

New『日本労働研究雑誌』2/3月号は恒例の学界展望、今年は「労働法理論の現在」で、評者は緒方桂子、竹内(奥野)寿、土田道夫、水島郁子の4人です。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/new/

取り上げているテーマは、債権法改正と労働法、雇用平等・差別禁止・労働契約法20条、個別合意による労働条件変更、解雇、再建・倒産と労働法、労組法上の労働者、使用者、その他個別文献で、たいへん多岐にわたっています。

112050118 このうち、「解雇」に関する文献の一つとして、『日本の雇用終了』が取り上げられています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/20140226152305550.pdf

竹内寿さんが一通り説明と評価をして、他の3人の方がコメントしていますが、そのうち水島郁子さんがこう言われているのは、ご自分自身あっせん員として携わられた経験から来ているのだろうな、と感じました。

水島 ただ、あっせんの場合、労働審判や訴訟では解雇無効とはいえないような事案であっても、使用者の説明が不十分であったとか、使用者に配慮が足りなかったなどの理由で、低額の解決金の支払いで決着することがあります。あっせんによる金銭解決の水準が低いことは事実ですが、解決事案にはこのような事案も含まれていると思います。

確かに、『日本の雇用終了』にもいくつも出てきますが、使用者も使用者だけど、労働者も労働者だよな、というケースは結構あります。

 

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勤務間インターバルを検討@労働新聞

ピョンヤンじゃない労働新聞の2月24日号が、1面に「勤務間インターバルを検討――労働時間に上限設定 厚労省の審議会 EU諸国では一般化も」という記事を書いています。

http://www.rodo.co.jp/periodical/news/20142172957.php

厚生労働省は、労働時間の「量的上限規制」の設定などについて検討をスタートさせた。政府の規制改革会議や産業競争力会議の指摘を受けたもので、長時間労働の抑制を狙いとして、労働時間の量的絶対上限規制と勤務間インターバル制の導入の可能性を探る方針である。いずれも、EU諸国では一般化している制度で、勤務時間インターバル制では24時間につき11時間の休息時間設定を義務付けている。・・・

記事は過去形で書いてありますが、現時点では労政審労働条件分科会の公式の論点にはまだ挙げられていません。

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12602000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Roudouseisakutantou/0000036441.pdf

明日以降の議論では正面から取り上げられるということなのでしょうか。注目していきたいと思います。

わたくしにとっては、7年前、第一次安倍内閣時のホワイトカラーエグゼンプションをめぐる議論の時以来ずっと提起し続けてきた問題でもあります。

(参考)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sekaiexemption.html(ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実(『世界』2007年3月号))

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jinjijitsumu0915.html(勤務間インターバル規制とは何か?(『人事実務』2010年9月15日号))

http://homepage3.nifty.com/hamachan/johororen1310.html(労働時間規制改革の核心は何か(『情報労連REPORT』2013年10月号))

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水口哲樹『労務管理の古典に見る労働の現場を歩いた先駆者たち』

Sinkan水口哲樹『労務管理の古典に見る労働の現場を歩いた先駆者たち』(労働調査会)をお送りいただきました。ありがとうございます。

労働調査会のHPにはまだ出ていませんが、労働基準広報編集部のブログには既に出ているので、そちらをリンクしておきます。

http://rodokijun-koho.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-802f.html

「調査なくして政策なし」
「人はモノではない」
「ピンハネはゆるさない」

熱き言葉とともに労務管理の先駆者たちがよみがえる。
過去があり、そして、今がある。

先史時代から行われてきた「労働」「労務」「役務」「仕事」……
しかし、科学的に理論的に分析や研究がなされてきたのは百年足らず。だが、それは人類にとって怒涛の百年であった。
時代を駆け抜け、労働環境を整えた先駆者、人間と勤労・労働・仕事のメカニズムに挑んだパイオニアたちの著書は私たちに何を語るのか。
 
折井日向、小林茂、中山伊知郎、内務省衛生局、
レスリスバーガー、ロナルド・ドーア、
尾高邦雄、鈴木春男、津田眞、森五郎
G・フリードマン、岡本秀昭、
マクレガー、中岡哲郎、小池和男
 
内外の賢人の軌跡を一冊に凝縮。
その想い、ノウハウ、そして、人が仕事をするということは何か?
温故知新という言葉だけではおさまらない…。
振り向くと真剣勝負に挑んだ先人たちがそこにいる。

『先見労務管理』(労働調査会発行)の15回にわたる連載「労務管理の古典を読む」を著者の水口氏が多岐にわたりアップデートしたもので、有名な古典的書籍から、知る人ぞ知る、知らない人は全然知らない本までさまざまです。

ここでは、そのうち知る人ぞ知る本を2冊ほど紹介しておきます。どちらもかつて日本労働協会が出版していたJIL文庫所収で、鈴木春男『中小企業で働く人々』と岡本秀昭『工業化と現場監督者』です。

前者は、大学紛争かで若き新進気鋭の学究だった鈴木氏が中小企業労働者の生活や移動の実態を克明に調査したもので、とかく大企業労働者中心の議論の視野から消えがちな彼らの姿を浮かび上がらせていますし、後者は管理監督者の問題を雇用の根っこにさかのぼって考える上で不可欠なさまざまな知識を得ることができました。いずれも最近は知る人もほとんどない本だと思いますが、是非図書館の書庫の奥あたりから引っ張り出して読まれて欲しいものです。


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エコでロハスなブラック企業

たぶん、世間ではグリーン企業とか言うんでしょうけど、立派なブラック企業であるようです。

http://www.cyzowoman.com/2014/02/post_11369.html(“自然志向”という言葉に隠蔽された、食品系ブラック企業の「奴隷制度」と「男尊女卑」)

「残業100時間超えの勤務体系」「エロ上司からのセクハラ」「洗脳じみた体育会系社員研修」「妊娠したら自主退社という社風」――働く女誰しもが恐れる「ブラック企業」がはびこる時代。ネットを炎上させるブラック企業は、氷山の一角にすぎない。まだ日の目を見ていない、戦慄必至の「ブラックofブラック」な企業をご紹介する。

求人応募などの際に、その企業の事業内容や経営方針などを参考にすることはよくあることだろう。例えば、「自然派」や「エコ」という言葉を掲げていると、なんとなく従業員の生活も大切にしてくれるはず――そんな期待を抱いたとしても、不自然ではない。

 しかし、「健やかな命と暮らしを目指して」などといった立派なテーマを掲げ、実際にそのような事業展開を進めているにもかかわらず、従業員の人権や人間性をまったく無視するような、まさに「ブラック企業」としか言いようのない組織も存在している。

・・・「今思い返しても、経営陣から人間として扱われたという実感はまったくありません。奴隷か、ロボットのようにしか思われてなかったですよ。『命と暮らしを大切』になんて言っておきながら、自分の部下たちを人間として見ていませんでした」(同)

・・・「女性事務員は、作業服のつくろいをさせられていました。『昼休みにやっておけ』といわれたそうです。もちろん、そんなのは持ち主が自分でやればいい話で、女性だからといってやる必要のない仕事。また、事務所の片づけは女の仕事だと、サービス残業を課せられていた経理の女の子もいましたね」(同)

こういう苦情を言っても、「難癖」と片付けられそうですね。

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リベサヨのちょうど正反対

_1「リベサヨ」という言葉は、私の知る限り私が作った造語であって、その意味は、西欧的な「リベラルな右派 対 ソーシャルな左派」という世界共通の対立図式を当然の前提としつつ、肝心要の「ソーシャル」が希薄になった、というより欠如した左派、自らをリベラルと自称したがる奇妙な「左派」な人々を、揶揄する趣旨であったことは、本ブログで繰り返し述べてきたところですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-6bcb.html(リベサヨって、リベラル左派の略だったの?)

そういう奇妙な「リベサヨ」のちょうど正反対にあたるのが、この『SAPIO』3月号の特集記事なんでしょうかね。

http://www.shogakukan.co.jp/magazines/detail/_sbook_1409703114

3 韓国 生活実態 糞尿まみれの共同トイレ、裸足にコートの少年 「漢江の奇跡」の成れの果ては世界一の貧困率だった/本誌編集部
4 中国 住宅事情 不動産バブル・再開発で地上の住まいを追われ、カビだらけの地下に暮らす200万人の「ネズミ族」/西谷格
5 中国・韓国 年金 導入わずか10年で早くも崩壊の危機に瀕する 中韓年金制度は国家破綻の時限爆弾だ/本誌編集部
6 中国・韓国 医療 子供が重病でも見捨てるしかない“カネがないなら死ぬ”医療荒野の悲惨/本誌編集部
7 韓国 援助 国連調査では人道支援は「世界の0.17%」 国際貢献だけは日本と張り合わない「心」の貧しさ/藤原修平
8 中国 人権 腎臓650万円、心臓なら1500万円也 臓器闇市場に消える貧しき“ドナー”の末路/本誌編集部・・・

どれもこれも、まことに「ソーシャル」な問題意識に満ちあふれた記事です。これを訳して西欧人に見せて、この雑誌は左翼雑誌と思うか、右翼雑誌と思うか、と聞けば、100人中100人までが、口をそろえて、「なんとすばらしい左翼雑誌だ!自国の可哀想な人々だけではなく、近隣諸国の貧困、社会問題にも関心を注ぎ、国境を越えた連帯を広げようとしているじゃないか!」というでしょう。

その人に、「いや実は、結構有名な右翼雑誌であって、こういう特集をするのも、『やあい支那朝鮮のばあか』と罵って気持ちよくなるための「おかず」に過ぎないんだ」と正直に伝えたら、頭を抱えてしまうでしょうね。

ソーシャルが欠如してしまうまでに定向進化してしまった特殊日本的リベサヨのちょうど正反対の地点に、そのリベサヨ的感覚を憎むあまり、もともと何の関心すらなかったソーシャルな問題意識をぎりぎりまで追求してしまうネトウヨな人々が発生するという、このアイロニーは、しかし、西欧人には全く理解を絶する現象でしょう。

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『法学セミナー』3月号

06480『法学セミナー』3月号が、「労働法への招待」という特集を組んでいますが、

http://www.nippyo.co.jp/magazine/maga_housemi.html

労働法への招待
──働く人の基礎知識

多様化する現代人の働き方。労働法の世界にも様々な課題が生まれている。労働の現場では何が起こっているのか、エピソードをもとに検討し、労働法の世界を案内する。

〔内定と労働契約〕 取り消された採用内定 ……内藤 忍 
〔多様化する雇用形態〕 あなたは正社員? 非正社員? それとも… ……島田陽一 
〔労働者の権利の回復〕 未払い残業代のゆくえ ……鈴木俊晴 
〔労働組合〕 労働組合を知っていますか? ……奥田香子 
〔不当労働行為〕 ちゃんと組合の話を聞いてくれ! ……竹内(奥野) 寿 
〔少子・高齢時代の働き方〕 「働き続けたい」を叶えるために ……山本圭子

たいへん早稲田なメンツで特集を組んでおりますな。

このうち、島田陽一さんの「あなたは正社員? 非正社員? それとも…」の「…」は、限定正社員(ジョブ型正社員)の話です。拙著も紹介されております。

 

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専門的知識等を有する有期雇用労働者等に関する特別措置法案

国家戦略特区WGの八田達夫氏の見当外れの議論がなぜか転々と変貌したあげくに現在法案要綱にまで達した有期労働の特別措置法ですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-0d25.html(雇用特区は断念、有期は10年へ?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-0e16.html(「有期雇用の特例」に魅力を感じる人はいるのか?)

労政審の審議の結果まとまった建議や法案要綱を見る限り、

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12602000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Roudouseisakutantou/0000037297.pdf(有期労働契約の無期転換ルールの特例等について)

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12602000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Roudouseisakutantou/0000037779.pdf(専門的知識等を有する有期雇用労働者等に関する特別措置法案)

国家戦略WGな方々の見当外れの要求に形の上では応えつつ、現実社会の労働関係にはあまり実害の出ないように仕組んでいるようで、政労使三者構成原則が少しは役に立っているようではあります。

ただ今回の改正劇について興味深いのは、国家戦略WGな方々は別に関心を持っていなかったけれども、使用者サイドが強い関心を持っていた定年退職後の継続雇用による有期労働の反復更新への労働契約法の適用除外が、ちゃっかりとアジェンダに乗って、結果的に今回の改正のもっとも意味のある部分になってしまったというところでしょうか。

もしかしたら、使用者側にとっても大してありがたくもない専門知識なんちゃら労働者のところを使いにくい仕組みにする代わりに、使用者側が切実な高齢者のところはその要求を丸呑みするという取引が労使間であったのかもしれません。それは政治学的には大変合理的なディールでありましょう。

おそらく、今後労働実務関係で今時改正が取り上げられるときも、関心はもっぱらこちらに集中すると思われるので、ややフライング気味ですが、あり得べき誤解を解いておきたいと思います。

というのは、特定社会保険労務士の高井利哉さんがそのブログで、この改正を取り上げているのですが、いささか誤解を招く記述があるからです。

http://takai-sr.blog.so-net.ne.jp/2014-02-19(「高度専門職で高収入者」は10年で無期転換するが、「高年齢者」は永遠に無期転換しない [★ 労働契約法改正])

一方、定年退職後の高年齢者は通算契約期間の制限が設けられていません。つまり、定年退職後は、永遠に無期転換できないことになります。今は、定年退職後の有期雇用での再雇用期間が5年を超えると無期転換請求権が発生することが問題になっています。

高年齢者雇用安定法改正㉕ 再雇用5年超で無期契約に転換してしまう 

「通算契約期間に算入しない」ことにした意図は定かではありませんが、このようなケースも考えられます。
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例えば、有期契約労働者が56歳からある会社で働き始めたとします。1年契約を3回更新して60歳になった時点では、通算契約期間は4年間です。今の法律では、更に1回契約を更新すれば、無期転換請求権が発生します。定年年齢後に無期契約労働者が生まれることになります。

改正案では、「通算契約期間に算入しない」ことになりますので、60歳以後の有期契約期間はカウントされなくなります。この有期契約労働者に無期転換請求権が発生することはなくなります。

いやいや、適用除外されるのは60歳(以上)定年まで無期雇用で雇われていた人がその定年後有期契約で継続雇用された場合だけであって、「有期契約労働者が56歳からある会社で働き始め」て、60歳になっても、それはいかなる意味でも「定年」ではありませんから、本特別措置法による適用除外はなく、労働契約法18条が適用されます。

これはかなり単純な誤解なのですが、うっかりこういう誤解が広がるとまずいので、現段階で念のため言っておきます。

(追記)

高井さんがブログで訂正されています。

http://takai-sr.blog.so-net.ne.jp/2014-02-25

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日本郵便への疑問

これは、全くの雑件です。労働法政策とは何の関係もありません。

本日、東京大学高齢社会総合研究機構からの郵便物を受け取りましたが、それに、「料金が30円不足」という紙が添付され、その不足額を払えと書かれていました。

中身は同機構が主催する国際シンポジウム「活力ある超高齢社会へのロードマップ」の案内であり、つまりダイレクトメールです。その性格上、相当数の人々に向けて同じ郵便物が送られたものと思われます。

ということは、日本郵便が全国斉一的に業務を遂行しているのである限り、この案内郵便物を受け取った全国の多数の人々が、同様に料金が30円不足」だから不足額を払えという郵便局からの指示をも受け取ったはずです。

確かに、我々が個人で郵便物を出す場合には、幾らだろうと勝手に思ってその額の切手を貼ってポストに出してしまい、料金不足になることはあり得ます。

しかし、このような大量部数の郵便物で、そういうことがありうるのか、とまず思いますし、それ以上に、この郵便物は切手をいちいち貼ってあるのではなく、差し出し局であろう晴海局の赤い陰影が右上にくっきりと印字されています。つまり、配達局が30円料金不足であると判断するような料金を差し出し局で確認の上収納していると思われます。

したがって、これは日本郵便株式会社の組織としての対応が求められる事態であって、配達局ごとに個々の受取人に30円の不足料金を請求するのは筋違いではないかとおもわれます。

このような奇怪な事態は、私は初めて経験しましたが、今まで似たようなことはあったのでしょうか。また、そのときにはどのような処理がされたのでしょうか、一日本郵便利用者として是非知りたいところです。

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オバタ カズユキ『大手を蹴った若者が集まる 知る人ぞ知る会社』

Shiruオバタ カズユキ『大手を蹴った若者が集まる 知る人ぞ知る会社』(朝日新聞出版)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=15662

一言で言えば、ベンチャー企業のルポ。

これまでは、高学歴層の就職先といえば大企業。しかし近年、会社の規模や知名度にとわられず「成長企業」を目指す若者が増えている。彼らが、大企業を蹴ってでも目指すのはどんな企業で、いったい何が彼らを引きつけているのか。東大、早稲田、慶応、一橋、東工大といった超上位校の若者と、中小の成長企業を結びつける人材会社「スローガン」の伊藤豊氏が選んだ企業5社を、『会社図鑑』『大学図鑑』で知られるオバタカズユキ氏が徹底取材。優秀な人材が集まる成長企業のいまと、脱大企業の最先端を行く若者たちの就職観・仕事観に迫る、渾身のノンフィクション。

前書きによると、朝日新聞出版の片桐圭子さんの企画でベンチャー企業人材ビジネスのスローガン社長伊藤氏に会いに行き、そこからの紹介で5社を取材して本書になったようです。

その5社とは:

Logoterramotors_3

Logosansan_2

Logonetprotections_2

Logoforcia_2

Logocrowdworks_2

ですが、いずれもとても優秀で意欲に満ちた人材が全力投球で最先端のビジネスに取り組んでいる絵に描いたようなすばらしいベンチャー企業です。

いや、この表現自体は皮肉じゃないです。オバタ氏の叙述は決して礼賛的でなく、時として斜に構えた姿勢ですらありながら、そこで働く人々の魅力に引き寄せられていく様がとてもくっきりと浮かび上がってきます。

ただ、実はそれは、この取り上げられた会社が、本当にハイエンドな人々が、ごく少人数の会社で全員総掛かりで最先端の仕事に取り組んでいる という意味で、かなり特殊な性格を持っているところだからなのだろうな、という感想ももたらせます。

ここに出てくる人々は、法律上は経営者も労働者もいますが、ほとんど同じような感覚で仕事に取り組んでいるのでしょう。それがベンチャー創造の現場というものなのでしょう。それはおそらくまごう事なき事実であるに違いない。ただ、これらベンチャーが成長し、中堅企業に、大企業に拡大していったときに、その全員ベンチャーというカルチャーをどのように着地させられているかは、そのときのこれら会社がブラック企業と呼ばれるようになっているかいないかを左右するのではないか、という感想も持ちました。

改めて本書を読んで一番感じたのは、登場する人々がほとんど例外なくハイエンドな人々であり、それゆえにベンチャーという土俵で十二分にその能力を全開して活躍しているということです。まさしく「大手を蹴った若者が集まる」会社たちです。

ハイエンドな人ほど大企業に「入社」したがり、中小零細になればなるほどローエンドという伝統的な日本のカルチャーからすると、確かにこれはプログレッシブな意義を提示するものなのでしょう。

しかし、彼らにとって正しいことが、「大手に蹴られた若者」にとっても同じほどの意義を有するかどうかは別の問題です。「大手に蹴られた若者が集まる」ベンチャーを売り物にする会社の姿は、本書が描き出すのとはまたひと味違う様相を示しているようにも思われます。

本書に書かれていることと、本書に書かれていないこととを、重ね焼きすることで、より複眼的に現在の(ハイエンドからローエンドまでの)若者たちの姿が浮かび上がってくるのではないか、と感じたところです。

(追記)

上記企業のうち、Sansanの角川素久さんとネットプロテクションズ(NP)の秋山瞬さんと著者のオバタカズユキさんが鼎談した「あなたの子供が「ベンチャーに就職する」と言ったら」が、日経ビジネスオンラインに載っていましたので、だいぶ間隔が空きますが、ここに追記しておきます。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140507/264129/?P=5&ST=smart

オバタ:労働政策研究の第一人者である濱口桂一郎氏が、ご自身のブログで拙著のレビューを書いてくださいました。

 この本に取り上げられているのは、優秀で意欲に満ちた人材が全力投球で最先端のビジネスに取り組んでいるすばらしいベンチャー企業だ、と。しかし、登場するのはみなハイエンドな人々である点を見落としてはいけない。そんな主旨のレビューでした。読んでいただけました?

角川秋山:読みました。

オバタ:要するに、濱口氏は「知る人ぞ知る会社」で起きていることは、日本人の上位層のごく一部の話ですよ、と指摘しているのだと思います。まあ、そういう現象を捉えた本なので、著者としては「そうですね」という感想です。

 でも、例えばこのレビューを読んだ親御さんが、子供に対して「あなたはそこまでハイエンドではないのだから、そんなところでリスクを取らず、大企業か公務員の道を考えなさい」と思うケースは多そうだなとも感じたんです。

角川:なるほど。僕は、結構レビューにある通りだなと思います。

オバタ:そのココロは?

角川:「その通りなので、ハイエンドな人はベンチャーに入ろう」と僕は言いたいですね。「大手に入ったらあなたの持っている才能がもったいないじゃないか」という思いが明確にあります。

 けれども、ではみんながベンチャー企業に入ったら幸せになるかと言ったら、そんなことはありません。自分の子供がハイエンドではなかったら、「大手もいいんじゃない。いろいろな仕事ができるし」みたいなことを言っちゃうかもしれない。

オバタ:その場合の「ハイエンド」って何ですか?

角川:自分の道を自力で切り開く力があるかどうかですよ。こういうのをやりたいという思いや、それを勝手に推し進めるバイタリティーがすごくあること。そういうマグマを持っている人は、大手企業に入ると潰されかねない。

秋山:僕は学生によく、「ベンチャーと大手で比較をするな」という話をしています。どちらに進むにしても、まわりに流されて、なんとなく入るのならそれは思考停止です。きちんと考え、突き詰めた上で選択した進路であれば、ベンチャーでも大手でもどちらでもいい。

オバタ:流されて入ったベンチャーがブラック企業でした、では目も当てられませんからね。

角川:ベンチャーって玉石混交じゃないですか。

秋山:本当にそうだと思います。

・・・・・・・

秋山:僕は、さっきの「ハイエンド」について。お話を伺っていて、そうか自分たちはハイエンドなのか、NPがいろいろなことにチャレンジできているのも特殊な環境にあるからなんだな、とあらためて感じました。

オバタ:そうですか。

秋山:そう感じる一方で、そんな僕らが「つぎのアタリマエをつくる」ことってやっぱり価値があるよな、って。誰もやらなかったことを、1回成功事例にすれば、あとはいろいろな会社がそれを真似てアタリマエが広がっていく。そういうものをつくりたいから、僕たちはハイエンドでいい。先を走ろう、それが使命だとあらためて思いました。

オバタ:Sansanらしい、NPらしいお話をありがとうございました!

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『OECDジェンダー白書』

166148明石書店さんより、『OECDジェンダー白書』(濱田久美子訳)をお送りいただきました。原題は「Closing the Gender Gap: Act Now 」です。

http://www.akashi.co.jp/book/b166148.html

経済的地位の向上だけでは男女平等の促進にはつながらない。政治的、社会的、文化的側面をも含めた包括的な視点から、世界各国における取り組みや現状を実証資料に基づいて詳細に検討し、教育、雇用、起業の3分野における格差解消に向けた政策課題を提起する。

「第Ⅱ部 教育における男女平等」に「第8章 理系か文系か」という章もあって、どこの国でもリケジョ養成が課題になっていることがわかりますね。

ちなみに、OECDのサイトに各国のカントリーノートが載っていますが、そのうち日本向けのものはこれです。

http://www.oecd.org/gender/Closing%20the%20Gender%20Gap%20-%20Japan%20FINAL.pdf

女性の高学歴化は進むものの、労働市場における男女平等にはつながらず。

日本女性は教育では大きな進歩をとげました。今日では、女性の方が男性より高学歴になり、25-34歳では、52%の男性に対して59%の女性が大学を卒業しています。45-54歳では32%の男性に対して23%しか女性の学士保持者はいないことからも、時代を経た変化が窺えるでしょう。しかし、学科選択という点では依然として明確な男女差が見られます。保健・教育等の専攻は、60%が女性である一方、コンピューターやエンジニアリングを専攻する女性は10%に満たないのです。さらに、若い女性は、短大や有名でない大学に入学するケースが多く、結果企業での早い昇進の流にのる確率も低くなっています。

男女間の給与格差は、40歳以上では40%もあり、若い世代でも15%程見られます。日本女性にとっては昇進も難しく、日本の上場企業の役員の内女性はわずか5%で、OECD加盟国間で最も低いレベルに入ります。

日本女性が労働市場で困難に直面している原因としてあげられるのが、ワークライフバランスの難しさです。育児休暇や子育て支援等の社会政策があるにもかかわらず、日本女性の多くは出産後に退職することが多く、たとえ常勤として復帰を望んでも困難なことが多いのが現状です。その結果、日本の労働市場では、女性が低賃金で非常勤の職に追いやられてしまうことが多いのです。さらに、日本の税及び福利厚生の制度が被扶養者である妻から仕事へのモチベーションを削ぎ、所得税免除の範囲内での収入にとどめようと思わせてしまうことも原因です。日本の男性も、育児休暇をとることには消極的で、さらに長時間勤務という日本の文化もあり、夫が(無給の)家事を分担することは依然希です。今日、夫が家事に費やす時間は、1日平均で59分です。

・・・職場の環境も日本におけるワークライフバランスを困難にさせる一因です。その結果、役員クラスの女性の割合が少ないだけでなく、彼女らの出産率も低くなっています。このまま、2011年現在の労働市場参加率の男女格差(女性の63%、男性の84%)が継続されれば、今後20年で日本の労働人口は10%以上減少すると予測されます。日本は、教育においても経済活動においても、一人一人の能力をより効率的に活用することが必要です。経済成長には男女平等が鍵となります。労働市場における男女平等が実現すれば、今後20年で日本のGDPは20%近く増加することが予測されます。

結構分厚く、価格も相当ですが、広い分野で役に立つ一冊です。


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吉田典史『悶える職場』

Modaeru吉田典史さんより『悶える職場 あなたの職場に潜む「狂気」を抉る』(光文社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334977689

・上司からいじめを受け、うつ病などになった人たち
・世間的には“弱者”としてとらえられている社員(育児をする男性や女性、うつ病の社員、正社員になることができない人など)に苦しめられている人たち
・リストラや人事異動などにより、精神的に追い詰められている人たち
・過労死などに追い込まれた人たち(とその家族)
――私は、実際に悶えている人たちに聞き取り(取材)をすることにした。そして、私とのやりとりを同時中継のような形で、ほぼそのまま伝えることで、真相に迫りたいと考えた。

左の書影の帯が、ほとんど女性週刊誌の表紙状態ですが、それが「悶え」を象徴しているようにも思えます。

Chapter1 若手社員を追い込む「上司」たち
Chapter2 「弱者」にかき回される職場
Chapter3 職場に潜む「狂気」が見える
Chapter4 「死」と隣り合わせの職場
Extra Chapter 究極の低賃金に喘ぐ「プロ」たち

本書、ダイヤモンドオンラインで連載された「悶える職場~踏みにじられた人々の崩壊と再生」からのセレクトで、

http://diamond.jp/category/s-worry_office

どれも結構な迫力で迫ってくるストーリーですが、その中でも、最近結構似たようなスタンスでの叙述の多い他の章に比べて、第2章の「弱者」にひどい目に遭わされている周りの人々というのは、すごくいい目の付け所であるとと同時に、猛烈な攻撃の対象になるリスクをあえて冒して書いているという意味で、勇気ある叙述ですね。

実に様々なケースから浮かび上がってくるのは、吉田さん自身の言葉で言えば、日本的な「柔軟な職場構造」が、それをアビュースしようという人がいると、とことん真面目な人を搾取するシステムに転化してしまうということなのでしょう。

ワーク・ライフ・バランスという誰も正面切って文句をつけられない大義名分が、個人に職務が明確に定義されず職場で誰かがタスクをこなさなければならない中で、特定の人に過重労働が積み重ねられてしまう仕組みを増幅してしまうという不条理は、吉田さんが炎上を覚悟でここまで言い切らなければ、(本当は職場で何が起こっているかをわかっている人々もそういう政治的に正しくないことをいうのを憚るために)なかなか世間に伝わっていかないのでしょう。

ホワイト企業のブラック職場、

ワーク・ライフ・バランスにとても配慮するホワイトな企業の、その仕事が特定の人に押しつけられて過重労働を生み出すというブラックな職場を生み出す、このメカニズムを、えぐいまでの筆致で描き出したこのチャプターだけでも、読まれるに値する本です。

 

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ひな祭りのなでしこ銘柄

某経済産業官庁からのご依頼で、宣伝しておきます。

http://www.meti.go.jp/press/2013/02/20140207003/20140207003.html(平成25年度ダイバーシティ経営企業100選表彰式・なでしこ銘柄発表会 シンポジウム)

経済産業省は、3月3日(月)、多様な人材の活用、女性の活躍推進を行っている企業の表彰・発表を行い、その取組を広く発信するための「平成25年度ダイバーシティ経営企業100選表彰式・なでしこ銘柄発表会シンポジウム」を開催します。

日時:平成 26 年3月3日(月)13:00~16:30(受付開始12:30)

場所:イイノホール(東京都千代田区内幸町 2 丁目 1-1  イイノビル4階)

どういう人向けかというと、

企業関係者の方、「ダイバーシティ経営」の秘訣を知りたい方、
学生の方、「ホワイト企業」を見つけたい方

ふうむ、ホワイト企業ねえ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-bf25.html(『ホワイト企業 女性が本当に安心して働ける会社』)

わたしもこの流れの研究会に呼ばれたことは書きましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-2c8d.html(女性が輝く社会のあり方研究会)

一方で、ホワイトがブラックのもとという話もあるようで、次のエントリで紹介しますね。

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川村遼平『若者を殺し続けるブラック企業の構造』

26071288_1川村遼平さんの『若者を殺し続けるブラック企業の構造』(角川oneテーマ21)をお送りいただきました。

http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=321303000051

POSSEの論客トリオの今野さん、坂倉さんに続き、川村さんも新書デビューですね。

注目を集めるブラック企業問題。無謀な雇用体制の裏で、犠牲となる若者たちがいる。現場の声を聞き続けるNPO法人POSSEの事務局長が、問題の構造とブラック企業がはびこる原因を明らかにする。

左のオビにでかでかと書かれている言葉、「死ぬまで働け」に示される日本的な無制限長時間労働の構造を主として取り上げています。

第1章 “働きすぎ”る若者たち
失われ続ける若者の命
若者の問題としての過労死
社会問題としての過労死・過労うつ

第2章 “働きすぎ”が当たり前の社会
“働きすぎ”大国ニッポン
“働きすぎ”はなぜ当たり前となったのか
ブラック企業と多様化する過労死

第3章 “働きすぎ”を追認する日本の法制度
“働きすぎ”でも違法にはならない?
整備される残業代を支払わないでよい仕組み
“働きすぎ”かどうかは揺れ動く

第4章 悲劇が起こらない社会へ
日本社会が目指すべき形
声を出して社会を動かす
個人でできる“働きすぎ”を克服する取り組み

一点だけ、中身とあまり関係ないことですが、「はじめに」で、いきなり今野さんの流行語大賞のスピーチが延々と引用してあるのは、川村さんの単著としてはどうかな、という気がしました。編集者の考えることかも知れないけど、私だったら第1章冒頭の過労死遺族の言葉から始めると思います。

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佐藤留美『資格を取ると貧乏になります』

610559佐藤留美さんの『資格を取ると貧乏になります』 (新潮新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.shinchosha.co.jp/book/610559/

佐藤留美さんといえば、ごく最近、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-6990.html(佐藤留美『人事が拾う履歴書、聞く面接』)

を頂き、紹介したばかりのところですが、続けざまに刊行されてます。今度は主として弁護士、公認会計士、税理士、社会保険労務士など、いわゆるサムライ資格の悲惨な実態を微に入り細をうがって描いています。

弁護士、公認会計士、税理士、社労士……。「一流の資格さえ持っていれば食いっぱぐれない」なんて考えたら大間違い! 近年、規制緩和によって資格取得者の数が激増。その割に仕事は増えず、過当競争とダンピングが常態化し、「資格貧乏」があふれかえっているからだ。資格ビジネスの知られざる裏事情を解説すると共に、「資格を上手に生かすための戦略」も伝授する。

これは、目次を見ていくと、ひしひしと感じられます。

第1章 イソ弁にさえなれない――弁護士残酷物語

5人に1人は「生活保護受給者並み」の所得/たった10年で2倍に/突出して多い30代/「法科大学院修了者7~8割合格」の空手形/三振が怖い/数字合わせだった「3000人構想」/三流大学にも法科大学院が出来たワケ/失敗の理由/法学部まで巻き添えに/需要がない組織内弁護士/類似資格の存在/事件数もピークアウト/国選弁護人の仕事も奪い合い/8割超の法科大学院が定員割れ/試験対策はやっぱり予備校頼み/すさまじいカースト構造/予備試験という抜け穴/司法修習も自腹に/最初の弁護士業務は「自己の自己破産」?/「ケー弁」現る/過払い金バブル/使い捨てされた若手の行き先/弁護士がすし屋になっちゃった!/「過払い組」は福島を目指す/ボランティア活動が食い扶持に/始まったディスカウント競争/「特別負担」の憂鬱/エリートは霞が関を目指す/有望株は「リーガル商社マン」/「食べログ」みたいにランク付けされる?

第2章 “待機合格者”という生殺し――公認会計士の水ぶくれ

“待機合格者”が続出/公認会計士も10年で2倍に/金融庁と経団連が後押し/「給料半年分あげるから出ていってくれ」/狙い撃ちされた「会計バブルの申し子」たち/若手リストラの酷い手口/会計大学院は入ると損をする/リストラ組の行き先/「企業財務会計士」という詐術/経団連の拒否/IFRS強制適用の時限爆弾/日本の会計士資格はガラパゴス

第3章 爺ちゃんの茶坊主になれ!――税理士の生き残り作戦

「足の裏にくっ付いたご飯つぶ」/月5万円の顧問料が5000円以下に/記帳代行業務も壊滅状態/全自動会計クラウドサービスの衝撃/e-Taxでも出る幕ナシ/マイナンバー制度導入で個人客はいなくなる?/営業に引っかかるのはケチな客ばかり/税理士を変えると税務調査が来る?/「節税コンサルタント」になれるか?/仲間の足もとを見る元国税/不動産屋、生命保険代理店になる人も/会計士の首に鈴を付けられるか?/全員で「オース!」/箔付けに集団で著書を出す/税理士事務所が税理士を採らない理由

第4章 社会保険労務士は2度学校へ行く

10年前から1万人増/人気の理由は独立・開業のしやすさ/親に「テヘペロ」で食いつなぐ/ボトルネックは独占業務の少なさ/「うざい社員」になるから転職できない/恐怖の「ヒヨコ食い」/笑顔の練習に励む中年社労士の悲哀/今度は先生として資格予備校に逆戻り/合格祝賀会写真のウソ/人気講師はホスト並みの口のウマさ/やり手は生保営業マンと組む/沖縄というオイシイ穴場/鬱病患者の「障害年金」申請でひと儲け

第5章 TOEICの点数が上がると英会話が下手になる

受験者数230万人超/「TOEIC採用」はもはや下火?/英会話が出来るようになるとスコアが下がる/900点でも半数は喋れない/「ガラパゴス化した経産利権」/安倍政権はTOEFLへの移行を推進/先進企業は「英語面接」/結局は「話す内容」

第6章 それでも資格を取りたいあなたのために

アドバイスその1・サラリーマン根性を捨てる/アドバイスその2・資格にこだわり過ぎず、まずは就職を/アドバイスその3・サラリーマンになったらサラリーマンになりきる/アドバイスその4・人が行かない「空白地帯」を目指す/アドバイスその5・出来ない仕事も引き受ける/アドバイスその6・顧客の話し相手になる/アドバイスその7・先輩を頼る

そして、本書の叙述には、今野晴貴さんの言う「ブラック士業」がなぜ発生するのか、そのやむにやまれぬ背に腹は代えられぬ必然性が、いささか露悪的なまでの筆致で描き出されています。ここまで書くか!!!という感じ。

ただ第5章はそれらとはだいぶ違う話で、中身もあまり目新しい話はありません。

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素材として載っています

13507旬報社から3月に『日本の雇用が危ない 安倍政権「労働規制緩和」批判』という本が出るようです。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/898

中身は、主として労働法律旬報の1月合併号のようですが、タイトルの通り安倍政権の労働政策を片っ端から批判しています。

解雇特区の創設、有期労働契約の規制緩和、ホワイトカラー・エグゼンプションの導入、ジョブ型正社員の制度化、派遣労働の恒久化……。「世界で企業が一番活躍しやすい国にする」ことをめざす安倍政権が強行する規制緩和は、働く人びとに何をもたらすのか? 「規制改革関連資料」収録

私はもちろん、この本の共著者でも何でもないのですが、私の書いた2つの文章が最後の資料の所に載っています。

(12)労働時間規制に関する3つの大誤解(規制改革会議雇用WG第11回―1 2013.10.11) 労働政策研究・研修機構労使関係部門 濱口桂一郎

(19)今後の労働法制のあり方(産業競争力会議「雇用・人材分科会」有識者ヒアリング第1回 2013.11.5) 濱口桂一郎

いずれも内閣府や官邸のHPにアップされているものですが、せっかくこの本を読まれるのであれば、ちゃんと読まれて欲しいと思います。味噌も糞も全部けしからん的な議論は、結局全部糞にまみれさせるだけに終わりがちですから。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/wg2/koyo/131011/item3.pdf

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/bunka/koyou_hearing/dai1/siryou2.pdf


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AKB48の「寿退社」

いや別に、坂倉さんの向こうを張る気など毛頭ありはしないのですが、それにしても・・・

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140216-00000073-dal-ent(小嶋陽菜 秋元氏から“寿退職”の勧め「今までそういう子がいないので」)

AKB48の小嶋陽菜(25)が16日、日本テレビ系のトーク番組「おしゃれイズム」に出演し、グループのプロデューサー秋元康氏から“寿退職”を勧められていることを明かした。

MCのくりぃむしちゅー上田晋也が「同世代の人たちで素敵な恋愛してる人がいる。自分も自由な恋愛したいとか思わない?」などと聞くと小嶋は「もう25歳だし、経験をいっぱい積んでいきたいと思っています。秋元さんに結婚してやめるのがいいんじゃないかって言われて。今までそういう子がいないので、『結婚します』って卒業するのもいいんじゃないかと言われてます」と明かした。

絵解きは坂倉さんにすべてお任せしますが、一応参考資料として:

http://homepage3.nifty.com/hamachan/olgata.html(OL型女性労働モデルの形成と衰退)

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岡田和樹氏の解雇への現状認識

昨年産業競争力会議の雇用・人材ワーキンググループが有識者ヒアリングをやり、その一人として私も呼ばれて意見を述べたことは本ブログでもお知らせしてきたところですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-47ce.html(産業競争力会議 雇用・人材分科会有識者ヒアリング資料)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-b629.html(産業競争力会議雇用・人材分科会有識者ヒアリング議事要旨)

このヒアリングに呼ばれた有識者は全部で7人で、私は1日目でしたが、2日目の5人の議事要旨も官邸HPにアップされています。この5人は、山田久、岡田和樹、小林良暢氏らですが、このうち、経営側弁護士の岡田和樹氏の発言の中の、日本の解雇の現状に対する認識を述べたところが、未だに「日本では解雇できない」論を叫んでいる人々にちゃんと聞かせたいような内容になっていたので、その部分だけをここに紹介しておきます。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/bunka/koyou_hearing/dai2/gijiyousi.pdf

・・・皆さんが今、検討されている点、まず最初に、この40年間労働者側、それから使用者側の両方の立場に立って仕事してきた私の問題意識を最初に申し上げると、よく日本では、正社員の雇用保護が強過ぎるということが言われているが、少なくとも私が労働者の代理人として経験したことから見ると、あまりそういうふうには思えない。というのは、確かに解雇には正当理由が要るということにはなっているが、実際上解雇された場合に労働者は、裁判を起こさなければいけない。裁判を起こすとなると非常に手間がかかる。

御案内のように、日本では、まずディスクロージャー、ディスカバリーとか、証拠開示の制度がないため、証拠が全然労働者にはない。それから、懲罰賠償が認められないから、最大限勝っても判決までの賃金しか認められない。仮に勝ったとしても、使用者には実際上復職させる義務はない。極論するとお金さえ払っていればいいということになって、実際上その労働者としてのキャリア上は非常な不利益をこうむる。それから、その訴訟費用、弁護士費用も本人負担であるから、裁判を起こすインセンティブが非常に低い。そういうわけで、労働者は法律上は守られているのだけれども、権利を主張することはなかなか難しい。

私は使用者側の弁護士になってからは、外国人が来て、いや日本では大変らしいですね、解雇はできないそうですねと言うから、判例集を調べるとそうかもわからないけれども、実際はそんなことはないですよ、と言う。要するに全く根拠のない解雇ではどうしようもないけれども、社会的に見て合理的と思われる理由があれば、解雇できるということ。今まで14年間外資系の企業をやっているが、そうした解雇によって、深刻なトラブルになったということは、ゼロとは言わないが、ほとんどない。リスクはあるけれども、コントローラブルなリスクだと言っている。ですから、実際には、必ずしもすごく労働者が保護されているとはなっていないというのが実際だと理解をしている。

ただ、今、申し上げたように裁判所の判例集だけ見ていると、これは解雇できないよねということになっているので、実態と建前が乖離しているというところに大きな問題があると思っている。・・・

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法を知らない、じゃなくて、権利主張を知らない

今野晴貴さんが、突然ツイッター上で「憲法が大事」論者に対する批判を繰り広げていますが、

https://twitter.com/konno_haruki

憲法改正反対や、規制緩和反対を唱える人たちは、大半が憲法とか、新自由主義を持ち出す。私が聞きたいのは、「憲法とは何か」「新自由主義とは何」か、ということだ。憲法や親友主義は、スローガンのようになっていて、何をいっているのかわからない。そんなものを持ち出さずとも、反対する理由はある

労働運動家が「新自由主義批判をしない者は敵だ」と声高にいうとき、そこには弱点が透けて見える。「新自由主義」などという一般人にとってよくわからず、学問的にも確立していない概念を用いないと現状を批判できない。この「概念」を使うと、自分が一般の労働者より高尚になった気分になれるのだろう

「憲法」だの、「新自由主義」だのというものは、現状の悲惨な若者の状況を告発する上で、本当に必要なのだろうか。その言葉で、若者が奮い立つなどとういことが、あり得るのだろうか? それよりも、もっと実際的な分析と言葉が必要である。これらの言葉を用いる人は、若者を一段低くみている。

「私は憲法を知っている」「私は新自由主義を批判している」。これらが一つのアイデンティティーとなって、「運動家」に優越感を与える。「若者は知識が足りないから、理不尽な状況でも闘わないのだ」などと思い上がる。こういう愚かな姿勢が、世界中でこの20年間、徹底的に批判されてきたのだ。

「憲法が大事」「若者は憲法をわかっていない」などという「運動家」が、自分の企業の労働条件だけを必死に守っている様を見ると、もはや喜劇である。大企業の企業別労組が闘っている相手は、あくまでも個別企業。自分自身の利益でしかない。そんな人たちが、「憲法」を語るとは、おこがましい。

まだまだ続いていますが、これってかつて戦後熱心に交わされた議論のデジャビュですよね。

西洋語のレヒトとかドロワとかには、「法」と「権利」という両方の意味がある。自らの権利を守るべく闘争することの中にこそ、法を守るということの本質があるのだ、という法哲学の議論や、法解釈とは何より現実の権利・無権利状態をどうするかというすぐれて実践的な営みなのであり、法典から導き出される論理操作というのは物神崇拝であるというような法社会学の議論とか、いろいろとあったわけですが、そういうのはほとんど忘れ去られて、憲法典物神、労働法典物神等々の議論になっちゃっているじゃないか、といういらだちなんでしょう。

そのいらだちの通じなさ自体が、戦後60年の推移を物語っているという面もありますね。

も少しいうと、本来自分の人権が侵害されていることへの抗議をあくまでも主張していくことに中にこそあるはずの「権利の知識」が、憲法典の第何条にこういう権利が規定されているのにおまえはそんなことも知らないのかこの馬鹿め、というお勉強型知識として上から教えられることへの反発が、世に一般的なあ(とりわけ若者に一般的な)人権論への冷笑的スタンスの一つの背景でしょう(も一つは、それが「自分の人権」じゃなくもっぱら「他人の人権」として教えられるから)。

これは実は、労働法教育にもいえて、下手すると大学の労働法の講義を大量の水で薄めたようなお勉強型知識になってしまう。こういう目に遭ったらどういう風にすればいいのかという、「権利のための闘争」の技術教育じゃなくては、労働法なんてそもそも意味が無いんだけど。

法を知らない、というのは、プラクティカルにいうと、自分の権利の主張の仕方を知らない、ということなんだけど、それを法物神中心に考えると、なんとか法の第何条を知らない馬鹿、みたいな話になってしまうんでしょう。

今野さんのいらだちの正体がわかるかどうか、というのは結構重要なポイントのような気がします。

(追記)

51duztpi7dl__sl500_aa300_ちなみに、こういう観点から見て一番いい労働法のテキストは、ちょっと前の本ですが橋口昌治・肥下彰男・伊田広行『<働く>ときの完全装備――15歳から学ぶ労働者の権利』(解放出版社) でしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/15-532e.html

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魔女宅キキのキャリア教育

文部科学省がキャリア教育として魔女の宅急便を推奨しているようですが、

Kiki

少なくとも、こういう感想を持つ人の手にゆだねてはいけませんね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-b9d7.html(キキを見てこういう感想を持つたぐいの人々)

某米系投資銀行勤務の藤沢数希氏の感想:

http://twitter.com/#!/kazu_fujisawa/status/39215977468145664

>魔女の宅急便のキキは、労働組合も作らないし、首になっても割増退職金も要求しない。セクハラだパワハラだと訴えない。今の労働者も見習うべき。

藤沢氏やその周辺のあごらな方々の理想とする労働者像がどのようなものであるかがよく窺われる大変正直なつぶやきです。

それにつけても、ますます労働教育の必要性の感じられる今日この頃です。

(法学的追記)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-5cbb.html(キキの民法と労働法)

さて、セクハラだパワハラだと訴えられないような13歳の少女労働者を雇うのが大好きな某金融関係者はともかくとして、キキについては個人事業主ではないかという指摘が。

・・・・・・

ですから、藤沢氏が勘違いしたようにキキが雇用労働者であるとすると違法ですが、映画の中で描かれているように個人事業主であるとすれば十分合法でありえます。

ただし、形式的には個人事業主であることになっていても、就労の実態によれば労働者と判断されることがあり得ることはご案内の通りですが、まあ、映画のシナリオからすれば大丈夫でしょう。

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脇田成『賃上げはなぜ必要か─日本経済の誤謬 』

9784480015938脇田成『賃上げはなぜ必要か─日本経済の誤謬 』(筑摩選書)をお送りいただきました.ありがとうございます。

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480015938/

日本経済の復活には、賃上げを行い、資金循環の再始動が必要だ。苦しまぎれの金融政策ではなく、労働政策を通じて経済全体を動かす方法を考える。

脇田さんは、例の政労使会議の下で理論的検討をした経済の好循環実現検討専門チームのメンバーで、

http://www5.cao.go.jp/keizai2/keizai-syakai/k-s-kouzou/pdf/koujyunkanjitsugenkouseiin.pdf

そこで本書の題名と同じこういうプレゼンをしています。

http://www5.cao.go.jp/keizai2/keizai-syakai/k-s-kouzou/shiryou/2th/shiryo3-1.pdf

本書を買いに走る前に、まずこの資料をざっと見ておくと、著者の議論の概要がわかると思います。

ついでにその時の議事要旨

http://www5.cao.go.jp/keizai2/keizai-syakai/k-s-kouzou/shiryou/2thgijiyoshi.pdf

○脇田委員のプレゼンテーション概要は以下のとおり。
・金融危機の後遺症が大きく、企業存続のため守りを固めている状況。
・民間非金融企業の資金余剰は、日本では1990年代後半から恒常的に黒字。
・1990年~1998年までは、人件費、設備投資、純資産の増減は整合的に推移。
・1998年以降は、純資産の増減が大きく変動し、企業内の財務支出優先度が自己資本、設備投資、人件費の順へ変更。
・マクロ経済的には設備投資だけでは不十分で、賃上げが効果的。
・非正規雇用から正規雇用に転換していくことも重要だが、非正規雇用労働者の賃金が上がるだけで正規雇用労働者の賃金が下がれば、格差は是正されるが、有効需要に影響する賃金総額全体が下がる可能性。
・ガイドラインを通じ、人件費、設備投資、自己資本の成長率のバランスをとることが望ましい。

本書の構造は:

第1章 成長と循環のあいだ

第2章 増大する非正規労働者をどうとらえるか

第3章 ミドルの不満と閉塞の構造

第4章 要塞化する日本企業

第5章 自分を見失った政府

第6章 少子化と家庭の変容

第7章 立ちすくみの構造

第2章、第3章のあたりは、日本的労働慣行をめぐる構造的な論点に深く踏み込んでいます。

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『会社でうつになったとき』

134392所 浩代+北岡大介+山田 哲+加藤智章『会社でうつになったとき 労働法ができること』(旬報社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/890?osCsid=1f382c9fdbca1923fae243a187784be6

長時間労働、過剰なノルマ、ハラスメントのためにこころの不調を訴える人が増えています。
休みたいけど、休んだら仕事がなくなるんじゃないか……そんな思いで働いているあなたへのアドバイス。
4つの講座でメンタルヘルスに関わる法的ルールを分りやすく解説し、さまざまな不安を解消します。

著者4人はいずれも、北海道大学で道幸哲也先生の下で労働法を研究してきた方々で、設定にその匂いが満ちています。

本書全体が、「海北大学」の「樽木星治」教授の講義という設定ですし、それを聞いているのは「北見智」君。

実際の執筆は、1日目の解雇・退職のルールが所さん、2日目の休職・復職のルールが元監督官の社労士の北岡さん、3日目の労働時間のルールが山田さん、最後の保険給付関係が加藤さんという分担です。


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差別が禁止されるパートタイム労働者

旬報社のサイトに、『労働法律旬報』2月下旬号の予告が載りましたが、

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/897?osCsid=eefa9f2d7c5e9910b88f3515ba289c73

そこに、

[紹介]弁護士短信―労働事件簿108ニヤクコーポレーション(パートタイム労働法八条違反)事件/ある「準社員」の闘いの行方=藤﨑千依・・・32
労働判例/ニヤクコーポレーション(パートタイム労働法八条違反)事件・大分地裁判決(平25.12.10)・・・52

という弁護士の文章と判例が載っています。

これ、昨年本ブログでも取り上げた

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-92c0.html(通常の労働者と同視すべき短時間労働者)

ものですが、その詳しい解説が載るようです。

本件については、WEB労政時報のHRwatcherでも先月簡単な紹介記事を書きましたので、参考までに。

http://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=168(差別が禁止されるパートタイム労働者)

 去る2014年1月23日、労働政策審議会は「短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律の一部を改正する法律案要綱」の諮問(しもん)を受け、妥当と答申した。これを受けて厚生労働省は法案を国会に提出することになる。このもとになった労政審の建議は、2011年9月にとりまとめられており、約1年半塩漬けにされていたことになる。内容的には、パート差別を禁止している法第8条の要件から無期労働契約要件を削除するとともに、職務の内容、人材活用の仕組み、その他の事情を考慮して不合理な相違は認められないとする法制をとるものである。
 
 パート法第8条(差別的取り扱いの禁止)は、2007年の制定後1件も対象となる事案が上がってこなかったが、昨2013年12月10日、初めて正規労働者との均等待遇を認めた判決があった。X社事件(大分地裁 平25.12.10判決 判例集未掲載)である。これは貨物運送事業で働く運転手で、8年半にわたり有期契約を更新してきた準社員について、職務の内容が正社員と同一であるにもかかわらず準社員であることを理由として処遇に差があるのはパート法8条違反として訴えたものである。なお、雇止め(労働契約法第19条の適用)についても争点となっている。
 
 会社側の主張によれば、正社員と準社員の違いは以下のように挙げられていた。
・就業規則上正社員は転勤、出向があるのに対し、準社員には転勤、出向がないこと
・正社員はチーフ、グループ長、運行管理者、運行管理補助者に任命されるのに対し、準社員はこれらに任命されないこと
・準社員ドライバーは正社員ドライバーと異なり、新規業務、事故トラブルへの対応など緊急の対処が必要な業務、対外的な交渉が必要な業務には従事しないこと
・正社員ドライバーには事務職に職系転換した者がいるが、準社員にはいないこと
 
 これに対して裁判所は、「正社員と準社員との間には、転勤・出向の点において、大きな差があったとは認められない」「チーフ、グループ長、運行管理者、運行管理補助者への任命の有無によって、正社員と準社員の間で、配置の変更の範囲が大きく異なっていたとまでは言えない」「仮にドライバーのうちでそのような業務(=緊急・対外業務)にかかわる者が正社員のみであったとしても、それをもって、正社員ドライバーと準社員ドライバーの職務内容の相違点として重視することはできない」「事務職への職系転換は、正社員ドライバーにとってもごく例外的な扱いであると認められ、正社員の通常の配置とは認められない」等と、いずれも退けた上で、以下のように判示した。
 
…原被告間の労働契約は、反復して更新されることによって期間の定めのない労働契約と同視することが社会通念上相当認められる期間の定めのある労働契約(パートタイム労働法8条2項)に該当するものと認められる。そして、原告は、「事業の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下「職務の内容」という。)が当該事業所に雇用される通常の労働者と同一の短時間労働者であって、当該事業主と期間の定めのない労働契約を締結しているもののうち、当該事業所における慣行その他の事情から見て、当該事業主との雇用関係が終了するまでの全期間において、その職務の内容及び配置が当該通常の労働者の職務の内容及び配置の変更の範囲と同一の範囲で変更されると見込まれるもの…」に該当したものと認められる。
 
 実際に差別的取り扱いと認定されたのは、賞与額(準社員が年間15万円であるのに対し、正社員は55万~58万円と40万円以上の差がある)、週休日(準社員は年間6日であるのに対し正社員は同39日)、退職金(準社員には退職金がない)であり、これらについて短時間労働者であることを理由として賃金の決定その他の処遇について差別的取り扱いをしたものとして、パート法第8条第1項違反と認めた。そして、これらによる差額を損害賠償として支払うように命じた。
 
 これは大変興味深い判決であり、実務への影響も大きいと考えられる。何よりも重要なのは、「当該事業所における慣行その他の事情から見て、当該事業主との雇用関係が終了するまでの全期間において、その職務の内容及び配置が当該通常の労働者の職務の内容及び配置の変更の範囲と同一の範囲で変更されると見込まれる」という要件の該当性は、就業規則上にただそう書いてあるとか、例外的なケースが存在するというだけでは足りず、通常の人事管理として両者に明確な違いがなければならないという判断を下したことであろう。
 
 今回の改正案で改正される内容は、本件のような反復更新型有期契約労働者もダイレクトに8条1項の対象となるという点であるが、それは既に先取りされていたとも言える。また逆向きに考えれば、今回の改正案に盛り込まれた規定の原型である労働契約法第20条(不合理な労働条件の禁止)についても、本判決の射程は意外に大きいかもしれない。短時間労働者でなければパート法第8条を使うことができないので労働契約法第20条でいかざるをえないわけだが、そちらでの有期労働者と無期労働者の処遇の相違の合理性判断についても、やはり就業規則上にただそう書いてあるとか、例外的なケースが存在するというだけでは足りず、通常の人事管理として両者に明確な違いがなければならないという判断がされる可能性があるということである。

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産業競争力会議雇用・人材分科会有識者ヒアリング議事要旨

昨年11月5日、産業競争力会議の雇用・人材分科会に有識者ヒアリングとして呼ばれて意見を述べてきたことは本ブログでも書きましたが、その時の議事要旨が官邸のサイトにアップされたので、リンクを張るとともに、私に関わる部分をこちらにコピペしておきます。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/bunka/koyou_hearing/dai1/gijiyousi.pdf

(濱口総括研究員)
  私からは若干広く今後の労働法制のあり方について、雇用システムという観点からお話をさせていただく。
 ここ半年近くの議論について感じていることを申し上げる。雇用というものが法律で規制されている、その法規制が岩盤であるといった言い方で批判をされているが、どうも根本的にその認識にずれがあるのではないかと感じている。
 むしろ私が思うのは、現代の日本では特にこの雇用・労働分野については法規制が乏しい、ある意味で欠如しているがゆえに、慣行というものが生の形で規制的な力をもたらしている。そのメカニズムを誤解して、法規制が諸悪の根源であるという形で議論をすると、かえって議論が混迷することになるのではないかと思っている。それゆえ、まずは問題の根源である日本型の雇用システムからお話をしたい。
 本当はこれだけでも1時間や2時間かかる議論だが、ごくざっくりとお話をすると、雇用のあり方を私はごく単純にジョブ型とメンバーシップ型とに分けている。日本以外は基本的にジョブ型。日本も、法律上ではジョブ型。
 ジョブ型とは、職務や労働時間、勤務地が原則限定されるもの。入るときも欠員補充という形で就「職」をする。日本は、就「職」はほとんどせず、会社に入る。「職」に就くのだから、「職」がなくなるというのは実は最も正当な解雇理由になる。欧米・アジア諸国は全てこれだし、日本の実定法上も本来はジョブ型。
 ところが、日本の現実の姿は、メンバーシップ型と呼んでいるが、職務も労働時間も勤務地も原則無限定。新卒一括採用で、「職」に就くのではなく、会社に入る。これは最高裁の判例法理で、契約上、絶対に他の「職」には回さないと言っていない限りは、配転を受け入れる義務があり、それを拒否すると懲戒解雇されても文句は言えないことになっている。
 それだけの強大な人事権を持っているので、逆に、配転が可能な限り、解雇は正当とされにくくなる。一方、残業を拒否したり配転を拒否したりすれば、それは解雇の正当な理由になる。日本の実定法は、そのようにしろと言っているわけではなく、むしろ逆である。にもかかわらず、いわば日本の企業が、もう少し正確に言うと人事部が、それを作り上げ、そして、企業別組合がそれに乗っかり、役所は雇用調整助成金のような形で、端からそれを応援してきたというだけのこと。しかしながら、法規制が欠如していることによって、これが全面に出てくる。
 実は1980年代までは、メンバーシップ型のシステムが日本の競争力の源泉だと称賛をされていた。ところが、1990年代以降は、いろいろな理由でメンバーシップ型の正社員が縮小し、そこからこぼれ落ちた方々は、パート、アルバイト型の非正規労働者になってきた。とりわけ新卒の若者が不本意な非正規になってきたことが社会問題化されてきた。一方、正社員はハッピーかというと、いわゆるメンバーシップ型を前提に働かせておきながら、長期的な保障もないといういわゆるブラック企業現象が問題になってきている。
 したがって、求められているのは規制改革ではない。規制があるからではなく、規制がないからいろいろな問題が出ている。雇用内容規制が極小化されるとともに、その代償として雇用保障が極大化されているメンバーシップ型の正社員のパッケージと、労働条件や雇用保障が極小化されている非正規のパッケージ、この二者択一をどうやっていくかというのがまさに今、求められていることだろう。一言で言うと、今、必要なのはシステム改革であって、それを規制改革だと誤解すると、いろいろな問題が生じてくる。
 以下、規制改革であると誤解することによる問題を述べる。
 まず、一番大きなものが解雇規制の問題である。非常に多くの方々が、労働契約法第16条が解雇を規制していると誤解し、人によってはこれが諸悪の根源だと言う方もいるのだが、これは客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない解雇を権利濫用として無効とすると言っているだけである。つまり、これは規制をしておらず、それまでの判例法理を文章化しただけである。
 本来、権利濫用というのは、権利を行使するのが当たり前で、例外として権利濫用を無効とするというだけなのだが、その権利濫用という例外が、現実には極大化している。なぜかというと、裁判官が何も考えず勝手に増やしたわけではなく、そこに持ち込まれる事案がメンバーシップ型の正社員のケースが圧倒的に多いため。彼らは職務も労働時間も勤務地も原則無限定だから、会社側には社内に配転をする権利があるし、労働者側にはそれを受け入れる義務がある。そうであるならば、例えば会社から「濱口君、来週から北海道で営業してくれたまえ」と言われれば受けなければならない人を、たまたまその仕事がなくなったからといって整理解雇することが認められるかと言えば、それはできないだろう。つまり規制の問題ではなく、まさにシステムの問題。
 日本よりヨーロッパの方が整理解雇しやすいと言われている。それは事実としてはそのとおりだが、法体系、法規制そのものはヨーロッパの方が非常に事細かに規制をしている。それではなぜヨーロッパは、整理解雇が日本に比べてしやすいと見えるのかというと、それはそもそも仕事と場所が決まっており、会社側には配転を命ずる権利がないから。権利がないのに、いざというときにしてはいけないことをやれと命ずることができないのは当然。逆に日本は会社にその権利があるから、いざというときにはその権利を行使しろということになる。
 そうすると、この法律はどうできるのかという話になる。単純に労働契約法第16条を、例えば客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない権利濫用であっても有効であるとするのは、だめなものはだめと書いているのをだめなことはいいと書きかえろと言っているだけの話なので、それは法理上不可能。気に食わないからこれを削除してしまったらどうなるかと言えば、これは2003年以前の状態に戻るだけ。まさに八代先生が、その規定が全くない状態でどうするかということを議論されていたときに戻るだけなので、実はそんなものは何の意味もない。逆に皮肉だが、欧州並みに解雇規制を法律上設ければ、その例外、すなわち解雇できる場合というのも明確化される。これは別にこうしろという意味ではなくて、例えばこんなことが考えられるだろう。
 使用者は次の各号の場合を除き、労働者を解雇してはならない。
 一 労働者が重大な非行を行った場合
 二 労働者が労働契約に定める職務を遂行する能力に欠ける場合
 三 企業経営上の理由により労働契約に定める職務が消滅または縮小する場合
 当然、職務が縮小する場合は対象者を公正に選定しなければならないし、また、組合や従業員代表と協議しなければならない。実はこれは今とあまり変わらない。何が違うかというと、労働契約に定める職務というものが定められていなくて何でもしなければならないのであれば、要するに回せる職務がある限りはこれに当たらないということが明確化するということ。すなわち、規制がない状態から規制を作るというのも、1つの規制改革であろうというのがここで申し上げたいこと。
 解雇についてはもう一点。いわゆる金銭解決という問題があるが、これもまた多くの方々がかなり誤解しているのは、日本の実定法上で解雇を金銭解決してはならないなどという、そんなばかげた法律はどこにもない。かつ、現実に金銭解決は山のようにある。金銭解決ができない、正確に言うと金銭解決の判決が出せないのは、裁判所で解雇無効の判決が出た場合のみ。判決に至るまでに和解すれば、それはほとんど金銭解決しているということだし、あるいは同じ裁判所でも労働審判という形をとれば、それはほとんど金銭解決をしていることになる。行政機関である労働局のあっせんであれば、金銭解決しているのが3割で、残りは金銭解決すらしていない。いわば泣き寝入りの方がむしろ多い。そこまで来ないものもあるので、現実に日本で行われている解雇のうち金銭解決ができないから問題であるというのは、実は氷山の一角というよりも、本当に上澄みの一部だけ。
 むしろ問題は、私は労働局のあっせん事案を千数百件ほど分析したが、3割しか解決していないというのも問題だが、解決している事案についても、例えば解決金の平均は約17万円であるということ。労働審判の方は大体100万円であることを考えると、金銭解決の基準が明確になっていないために、非常に低額の解決をもたらしているか、あるいは解決すらしていないことになる。大企業の正社員でお金のある人ほど裁判ができるが、そうではない中小零細企業になればなるほど、あるいは非正規になればなるほど裁判はできない。弁護士を頼むということもできず、低額の解決あるいは未解決になっていることに着目をして、まさに中小零細企業あるいは非正規の労働者の保護という観点から、解雇の金銭解決を法律に定めていくことに意味があるのではないか。
 ドイツの法律を前提として解雇無効の場合にも金銭解決ができるという書き方をしても、そんなものは解雇の判決の後だけの話なのだから、その前には役に立たないということを言う人がいるが、ドイツでは、労働裁判所に年間数十万件の案件が来ているが、圧倒的大部分は実は判決に至る前の和解で解決している。なぜ解決できるかというと、法律で金銭解決の基準が定まっているから。
 もう一つ言うと、日本の場合、金銭解決というと必ずドイツ式が議論される。ドイツは、社会的に不当な解雇は無効であるとした上で、無効であっても金銭解決はできるとなっている。しかし、実はイギリスやフランスなどヨーロッパの多くの国々は、もちろん不当な解雇がいいなどという法律はないが、不当な解雇だから必ず無効になるというわけでもなく、その場合、金銭解決をすることがむしろ原則となっており、また、悪質な場合には裁判官が復職、再雇用を命ずることができるという規定もある。不当な解雇の効果、法的な効果をどうするかということについて、既存の判例をそのまま法律にしなければいけないと思えば別だが、そうではなく、新しく作るということであれば、実はヨーロッパのいろいろな国々の法システムの中には参考になるものがあるのではないか。以上が解雇についての誤解を解くお話。
 2番目が、それと若干関係しているが、いわゆる限定正社員あるいはジョブ型正社員と言われるもの。これも非常に、マスコミ等から解雇規制を緩和するものであるという議論がされている。労働契約で職務や労働時間や勤務地が限定されることの論理的な帰結として、当該職務が消滅したり、縮小することが解雇の正当な理由になるというのは当たり前であるが、これはまさにヨーロッパ諸国で普通に行われていること。正確に言えば、契約上許されない配転をしてまで解雇を回避する義務がないというだけである。
 職務が限定されているから、当然、当該職務の遂行能力の欠如というのも解雇の正当な理由になり得るが、忘れてならないのは、契約で職務が定まっているから、日本のようにどんどん変わっていくことが前提ではない。したがって、試用期間中であれば当然、遂行能力がないから解雇ということがあり得るが、長年その職務をずっとやってきた、言い換えれば企業がその人の労務を受領してきた、企業が文句をつけてこなかった場合に、例えば10年ずっと同じ仕事をやってきた人間に、その仕事ができないから解雇だと言うことができるか。それはなかなか理屈として難しかろうと思う。ここはやはりジョブ型というのは職務が限定されているということを、きちんと御認識いただく必要があろう。
 もう一つ、私はジョブ型正社員という言い方をしているが、これをどう位置づけるかという点について。実は今から20年近く前に、当時の日本経営者団体連盟が「新時代の日本的経営」というものを出したが、それはいわゆるメンバーシップ型の長期蓄積能力活用型と、いわゆるパート・アルバイト型の非正規の雇用柔軟型というモデルの間に、高度専門能力活用型という、同じ大きさの長方形を並べるグラフが打ち出されていたが、現実にはほとんど実現しなかった。
 なぜかというと、おそらく高度という形容詞が余計だったのではないか。高度であろうが中程度であろうが、あるいは場合によっては低度であろうが、そういった限定された専門的能力を、その職務がある限り活用するというタイプと改めて位置づけ直すことで、かつての日本経営者団体連盟のいわば天下三分の計みたいなものをもう一度見直すことができるのではないか。
 その際、そのイメージだが、メンバーシップ型の正社員というのは、いわば私はiPS細胞みたいなものだと思っている。iPS細胞というのは、手に貼りければ手の一部となる、足に貼りつければ足になる、頭に貼りつければ頭になる。日本の人事部は労働者というのはそういうものだ、正社員だったらそういうものだと思って動かしてきたが、ジョブ型というのはそうではない。これは部品である。部品というのは、その部品に合ったところにはめなければ使えない。ということは、実はマネジメントというのが必要になるということ。マネジメントが必要になるのは当たり前ではないかと思うかもしれない。実は今まで日本は、貼りつければそれで済む、あとはそこでうまくやれ、うまくやれる人間を入れているはずだということでやってきた。若干極論を言えば、いわばマネジメントの必要性がなかったのではないか。それがジョブ型正社員ということになると、それは部品なので、適切な部品を適切なところにはめなければならない。そういうマネジメントというものが必要になってくるということだろうと思う。
 最後に1点だけ、この限定正社員について申し上げておくと、これは当たり前のことだが、限定をしなければ限定正社員ではない。限定正社員と契約書に書いたからといって、その後、今までのつもりであちこち使い回していると、これは限定ではなくなる。限定正社員と契約書に書いていたけれども、その後あちこち使い回された人間が、その仕事がなくなったからといって解雇されて裁判所に行くと、裁判所は契約書の文言ではなくて当然実態で判断するだろうから、会社側も限定正社員である限りは、限定ということで我慢しなければならない。
 3つ目は、労働時間規制の問題。これも非常に多くの方々が誤解をしている。つまり、日本の労働時間規制は極めて厳しいという誤った認識の下に、ここ10年、20年の法政策というのは、その厳しい労働時間規制をいかに緩和するかということでのみ執られてきたが、私はこれは全く見当外れだと思っている。
 日本は過半数組合または過半数代表者との労使協定、いわゆる36協定さえあれば、事実上無限定の時間外休日労働が許される。かつて女子は、1日2時間、年150時間という上限があった。それゆえに監督官が、夜に行って女性がいれば自動的に摘発できたが、今はできない。お金を払っていないということでなければ摘発できない。
 これだけ緩いので、日本はいまだに、今から100年前にできたIL0の労働時間関係条約ただの1つも批准できていない。非常に皮肉なのは、労災保険の過労死認定基準では、例えば月100時間を超える時間外労働は、業務と発症との関連性が強いと評価されるが、しかし、だからと言って月100時間を超える時間外労働は、労働基準法上は違法ではない。これこそ、日本の労働時間規制の最大の問題ではないかと思っている。
 にもかかわらず、多くの企業が日本の労働時間規制が厳しいと誤解するには理由がある。それは、同じ労働基準法の労働時間の章に入っている労働基準法第37条の残業代規制。これは単に時間外休日労働をさせたら、これだけのお金を払えと言っているだけなので、実は労働時間規制ではなく、賃金規制。しかし、その賃金規制の適用除外は、物理的労働時間規制と同じく管理監督者に限られている。そのために管理監督者でない限りは、残業すれば、あるいは休日出勤すればきちんと残業代を払え、割増賃金を払えとなっている。
 そして労働基準法施行規則第19条によって、これは時給であれ、日給であれ、週給であれ、月給であれ、そしてその他、例えば具体的には年俸であっても、管理監督者でない限りは時間当たり幾らに割り戻して25%、月60時間を超えると50%という割増賃金を払わなければならないとなっている。これはまさに法規制である。
 つまり、国家権力が規制しているという名に値するのは実はこの部分だけ。規制なので違反したら監督官がやってきて、払えとなるわけだが、考えてみると、これは例えば時給800円の非正規が1時間残業したら1,000円払え、年収800万円を時給換算すると4,000円ぐらいになるが、この高給社員が1時間残業したら5,000円払え、払わなければ違法であるということ。しかし、これは本当に刑事罰をもって強制しなければならないほどの正義であるかというのは、議論の余地があるだろうと思っている。
 したがって、問題はある意味で厳しい残業代規制をどうするかという話でなければならなかったはずだが、かつての規制改革会議は、ホワイトカラーエグゼンプションというものを仕事と育児の両立を可能にする多様な働き方であるという言い方をされていた。私はこのような言い方をしたことが問題を混迷させたのではないかと思っている。
 当時日本経済団体連合会は、これは労働時間と賃金が過度に厳格にリンケージされていることが問題なんだ、それでは昼間たらたら働いて、夜いつまでも残っている人間のほうが高い給料をもらっていくことになってしまう、これはおかしいのではないかという非常にまともなことを言っていた。ところが、それが表に出なかった。そして、ワーク・ライフ・バランスのためのホワイトカラーエグゼンプションだという議論に対して、労働者側は、これは過労死促進であると反論した。私はまっとうな反論であったと思っている。
 ただ、実はエグゼンプトだから過労死するのではなくて、エグゼンプトでなくてもその組合が結んでいる36協定で無制限の残業をやらせたら、やはり過労死するので、エグゼンプトが諸悪の根源というわけではない。物理的な時間規制がないというところに問題があるのだが、少なくとも過労死促進だという議論は、それはそれで正当である。こういうかみ合わない議論のまま建議が2006年の年末に出され、2007年の年始にこれが新聞に出た途端に残業代ゼロ法案であるとか、残業代ピンハネ法案であるという、本来はそれでなければならないことが、あたかもそれが一番悪いことであるかのような批判がなされ、結局それでつぶれてしまった。これは大変皮肉なことであって、本来の目的である残業代問題が一番言ってはならないことになってしまった。そのために、いまだにこの問題、エグゼンプションの問題が労働時間と賃金のリンケージを外すという本来の目的ではなく、ワーク・ライフ・バランスといったような議論になってしまっているところに、かつての議論の歪みがいまだに糸を引いているのではないかと思っている。
 この関係で言うと、ホワイトカラーエグゼンプション自体はそういう形で今から6~7年前に失敗したが、その前に作られた、そして、現在も存在している企画業務型裁量労働制についても、私は、根本的に疑問を持っている。そもそも、いわゆる総合職のホワイトカラーの場合、職務が無限定なので、彼らにこの人は企画業務、この人は非企画業務などという職務区分が存在するはずがない。みんな何がしか企画的なことをし、そしてルーティン的なことをしているはず。上位にいけばいくほど企画的な割合が高まるだけである。専門業務型の場合は少なくとも業務という形にはなっているのだろうと思うが、そうではない総合職のホワイトカラーの世界に企画業務などという虚構のものを作り出して議論したことによって、今の企画業務型裁量制自体がかなり歪んだ制度になっているのではないかと思っている。
 ただ、それを言い出すと、労働基準法が作られたときから存在する管理監督者にしても、実は日本に管理職などというのがいるのか。いるではないかとお考えかもしれないが、本来管理職というのは職種である。職業分類表には管理的職業、専門的職業、事務的職業、製造職業と並んで置いてある。日本で同じような意味で管理的職業というものが存在しているかというと、私は存在していないと思う。メディカルスクールを出て医師になる、ロースクールを出て弁護士になるのと同じように、ビジネススクールを出て管理という職業に就くというふうにおそらく意識はされていない。単に総合職のホワイトカラーの一定ラインより上が管理職である。それは単なる地位であるから、管理の仕事をしていない管理職というのが出てくのも当然である。したがって、元々労働基準法自体はジョブ型を前提としており、管理職というのはビジネススクールとかグランゼコールを出て管理という仕事に就く人間を前提としているが、そうなっていない。いわゆる名ばかり管理職といった問題が常に出てくるのも、やはりそこに根源があるのではないかと思っている。
 ではどうするかだが、とにかく現実にこういった無限定の働き方をしている方々を前提とした残業代規制のあり方がどうあるべきかということを考えるのであれば、基本的には6~7年前にエグゼンプションが議論されたときに、本音の議論として、年収要件という話があった。ただ、そのときは、大企業ならばいいが、中小企業であれば管理職だってその年収要件に至らないという話があってうまくいかなかったということもあるので、おそらくそれをクリアする仕組みとして考えられるのは、企業内における地位。上位から何パーセントという形が実は一番ふさわしいのではないかと思っている。これはあくまでも無限定的な働き方をするメンバーシップ型の正社員の中で、連続的により上になればなるほど企画的な仕事の割合が増えていく。どこで線を引くか。それは基本的には労使で決める話だが、その目安としては業務ということではなくて、企業内における地位、上から何パーセントといったものが一番ふさわしいのだろうと思っている。
 それとともに、先ほど来申し上げているように、日本の労働時間規制の最大の問題は、物理的な労働時間規制がないという点。したがって、健康確保のための労働時間のセーフティネットをきちんと確保することが必要で、当面何らかの根拠としては現在、存在する過労死認定基準としての月100時間ということになろうかと思う。しかし、ヨーロッパ各国で存在している1日ごとの休息時間規制といった、いわゆる勤務時間インターバルというものを基本的なシステムとして導入することも考えるべきではないか。残業代とは関係のない物理的な労働時間規制というものの必要性がむしろ重要であろうと思っている。
 トピックとしては最後に、労働条件変更と集団的労使関係システムについてお話したい。先ほど来申し上げているように、日本は残業代を除けば労働法規制が乏しい。むしろ欠如しているがゆえに現実に企業の人事部がやってきたメンバーシップ型の雇用慣行というものが、そのまま判例法理として確立し、それが企業を逆に縛る形になっている。これは日本の三種の神器と言われる終身雇用慣行にしろ、年功序列型の賃金にしろ同じである。日本の法律は賃金を年功制にしろなんてどこに書いていない。しかし、一旦年功制で今まで動かしてきたものを変えようとすると、なかなか難しい。
 ただ、ある面で言うと日本は労働条件の不利益変更について合理性があれば認めるという、ある意味フレキシブルな仕組みになっている。もっとも、その合理性というのが一体何によって判断されるかというと、裁判官が諸般の事情を総合的に考慮して判断することになっているので、明確性に欠けるところがある。とりわけ集団的な労働条件を不利益に変更、ある部分は利益があり、ある部分は不利益があるという形で変更するときに、当然のことながら多くの労働者にとってはそれはそれでいいと言っても、一部の労働者からそれは俺たちにそういう不利益を及ぼすのはおかしいというふうに文句をつける。最終的に最高裁までいかないと、それがいいかどうかわからないという不透明性がある。
 これについては今までいろいろな議論がされており、とりわけ労働条件の不利益変更について、過半数組合ないし労使委員会が同意すれば、その合理性を推定するというような案がかつて提起されたこともあった。しかし、これは主として労働者側の反発で成立しなかった。それはなぜかというと、とりわけこの労働組合がない場合の労使委員会は、事実上、今の36協定の過半数代表者であり、その場合、会社側が「濱口君、ちょっとここに来て判子を押しとけ」みたいなことが、かなりまかり通っているので、それを前提とすると、それにそこまでの権限を与えることは問題であろうということは確かである。
 したがって、ここで考えなければならないのは、そういった労働条件の変更を正当化し得るだけの従業員代表法制というものが日本に欠けていることである。ヨーロッパ諸国は、ドイツにしろフランスにしろ、また、最近ではイギリスでも、そういった労働組合以外の従業員代表システムというものが確立しているが、日本には、そういった仕組みがないがゆえに、大変難しくなっているのではないか。
 とりわけ年功序列制の修正などの場合、すなわち、ある労働者には有利だが別の労働者には不利、また、年齢の高い方にとって不利であるといったようなものを正当化し得る仕組みをどうするかといった場合に、この問題は重要であろう。これは、実は従業員代表制だけではなく、過半数組合そのものについてのあり方もあわせて議論する必要があると思われる。なぜかというと、組合に入っていない方の利益もちゃんと踏まえて、しかし、全体としての利益、不利益を考慮してこういう判断をしたというように言わなければならない。現在の労働組合法では、あくまでも労働組合というのは、組合員の利益だけを代表すればよいことになっている。非正規であるとか組合を卒業した管理職の方々の利益は代表しなくていいことになっている。そうすると、やはりその問題は常に出てくるだろう。ここは職場における利益と不利益を含む意思決定をどのように正当化するかという、まさに民主主義の問題である。職場における民主主義というものを、民主主義の正統性というものをどのように考えるのかということがここに現れていると思っている。
 最後に、今の職場における民主主義についての、いわば延長線上にある話だが、この労働法制、労働政策については、労働政策審議会のような三者構成の審議会で議論するべきという議論と、それはむしろ既得権であるからけしからんという議論がある。
 これをどう考えるかだが、一言で申し上げると三者構成原則というのは最悪の労働政策決定システムであろうと思っている。ただし、他の全ての政策決定システムを除けばということだが。ある意味これで話は尽きているが、当然、議会制民主主義というのは多くの問題があるし、かつてのイギリスの腐敗選挙区のように、その代表性に大変な疑問を持つような実態が存在した。だからと言って、科学的な真理を体現したと称する人たちが、自分たちの科学的に正しいやり方で理想の社会を造ったのならばそのような楽園が実現したのかというと、必ずしもそうではないというのがおそらく20世紀の経験であろう。賢者は他人の経験に学ぶというので、やはり我々は愚者にならない方がよろしかろう。そして、こういった広い意味での政策決定あるいは意思決定システムの議論に必要なのは、思うに法学でもなければ経済学でもなく、むしろリアリズムに徹した政治学ではなかろうか。
 若干個人的な回想になるが、私の学生時代にはむしろ、当時まだマルクス・レーニン主義が非常に盛んだったので、それに対抗するこういったリアリズムの立場からの議論というのは結構聞くことが多かったが、それがなくなって以来、そういった科学的な真理やそう称するものに対して疑義を呈するというスタンス、かつての偉大な政治学者の方々のようなスタンスが、若干社会から乏しくなったのではないか。むしろこういった本来の意味での政治にかかわる問題については、政治学的な教養が必要なのではないかと一言付け加えさせていただく。
 
(八代教授)
 濱口さんが言われているシステム改革というのを私は規制改革と理解しており、少なくとも私がいたときの規制改革会議では、そういう共通認識があった。その当時は、労働契約法を作るという点についても厚生労働省とも基本的に合意していた。今、判例法が独り歩きし、法律がないことが問題だという点で、共通認識があったと思う。やはり一番大事なのは、今どういう解雇規制をつくるのかということ。資料2の1ページ目の下にあるのが濱口試案ということでよろしいか。
 
(濱口総括研究員)
 試案と言うほどのものではなく、仮として作ったもの。もちろん現実に作るとなれば、それなりのところできちんとやらなければいけないが、今の法規制がないがゆえにこういった事態になっていることを何とかしようというのであれば、むしろ規制をこういう形で明確にした方がよろしかろうという趣旨で書かせていただいた。
 
(八代教授)
 ただ、大事な解雇の金銭解決の部分が入っていない。例えばドイツやイタリアでは一定の範囲内で、裁判官が解雇の無効性の度合いに応じて、一応の金額を決める場合がある。そういうことを日本でやることはできるのか、できる場合にはどう書くのかというのを教えていただきたい。
 
(濱口総括研究員)
 実は、御承知だと思うが、かつて2003年のときにも金銭解決を法律に書こうとしたし、それは2005~2006年頃の労働契約法を作るときにも、かなり詳細なアイデアを出した。
 その意味から言うと、ここは具体的な規制を置き、その規制で不当な解雇になったときに金銭解決をどう書くかというのは、ある意味で技術的な話であるので、私は可能だと思う。しかし、むしろ私がここで申し上げたのは、今までは、解雇が無効であることを前提に、同じ裁判の口頭弁論終結時までに金銭解決による一回的解決を図りたいということを言えば、最終的な判決で、この解雇は無効であるが一定の金銭の支払いを命じて雇用関係を解消するという判決を下せるといった、いわゆるドイツ型の仕組みを前提とした議論のみがされているが、必ずしもそれだけが選択肢ではないのではないかということ。これは「してはならない」と書き、「無効」だと書いていないが、どちらもあり得るのではないかと思っている。そうであるならば、これはもう少し簡単になると思う。いずれにしても、どう書くかということについて、ここで事細かな条文を考えてもしようがない。
 
(八代教授)
 ただ、実際に厚生労働省が三者構成の労働政策審議会で議論しようとしたときに、大企業の労働組合と中小企業の経営者が、ともに現状より不利になるということで反対した。だから私も、三者構成は民主主義と同じだと言われても、それとはまた次元が違うのではないかと思う。その代表性に問題がある。なぜここに非正社員の代表が入っていないのか、あるいはもっと企業でも新興企業などのようなものが入っていないのかと問われたときに、既得権を守るものになってしまうのではないか。
 
(濱口総括研究員)
 それについては、私は別に何ら否定しているわけではなく、まさにイギリスの腐敗選挙区のような事例もある。今の労働政策審議会が腐敗していると言うと怒られるかもしれないが、要は基本的には労働問題というのは利害の問題であって、天上の神々の争いであってはならないと思っている。利害の争いである限り、利害をクリアに出し、お互いにきちんと見せ合って、それをつぶし合う形で問題を解決していかなければならないのが大原則だろう。具体的にそれをどうやっていくかについては、もう少し技術的な話になってくるだろうし、実は少し上に書いてある集団的労使関係の見直しという話とつながってくるのではないか。今はある意味で組合を作りたい人間は作っていい。作れるけれども、作りたくなければ作らなくてもいい。作る余裕がとてもないような人々がいっぱいいるわけで、そこに対して、どのように集団的な声をきちんと救い上げる仕組みを作っていくか。そういったものをいわば末端のところにきちんと作り上げていくことを前提に、ミドルレベルあるいはマクロレベルといったものの議論へとつなげていく必要があるのではないか。それをせずに、これが正しいんだということでやってしまうと、下手をすると神々の争いになってしまう。神々の争いになってしまうのは一番避けるべきではないかというのが、最後のところの趣旨。
 
(八代教授)
 過去に厚生労働省が出した原案に年間104日の強制休業という労働時間規制もあったことが、全く報道されていなかった。仮にこれが実現していれば、本来、残業代とは無関係なきちんとした労働時間規制になっていたのではないか。EUの1日11時間というのがちょっと難しいと思うのは、本当に締切りがある仕事だとそれが守れないため。だから年間全体として過労死を防ぐために、とにかく忙しい仕事が終わったらきちんと休暇をとる。こういう規制はどうか。
 
(濱口総括研究員)
 むしろここで私が申し上げたかったことは、個々の制度設計の問題というよりも、一体この制度は何を目指しているものなのかということ。本質的に言うと、ある種のホワイトカラーの働き方というものが、決して労働時間の長さに比例した成果を出すのではないということから来ているはずだと私は思っている。これはホワイトカラーエグゼンプションのときの日本経済団体連合会の出した提言もそのように書いてあるし、実は企画業務型裁量制が議論され出した1990年代初頭の議論もそこから始まっている。それにもかかわらず、厚生労働省もそうなのだが、これをワーク・ライフ・バランスができるというような言い方でやろうとしたところにボタンのかけ違いがあったのだろう。
  一旦そういう形で話がされ、これは過労死促進策だという話になってしまうと、話がことごとく食い違ってしまう。それをもう一度本来の筋道に戻して議論した方がいいのではないか。実はつい先日、規制改革会議に日本労働組合総連合会が呼ばれて、労働時間規制についての意見を開陳した模様。私は出された資料を見ただけだが、そこでは、まさに健康確保や労働時間規制の必要性についてはいろいろ書いてあるが、残業代が一番大事だなどということは書いていない。それは彼らとしても、一部のマスコミや政治家のような残業代ゼロが一番諸悪の根源だという発想に立っていないということなので、実はそこに着目すれば、もう少しまともな議論ができるのではないか。むしろそういう形で議論してほしい。
 
(長谷川主査)
 ジョブ型とメンバーシップ型に関して教えていただきたい。ジョブ型であれば地域限定であろうが、職務限定であろうが、それがなくなれば解雇できる。一方、メンバーシップ型の正社員は、人事そのものが無限定で、配置転換、残業、いろいろな裁量権の下にある。したがって、解雇についても、慣行上のものもあるが、いろいろな制約が事実上ついているという話だと理解している。私自身の経験では、ドイツでもアメリカでも働いたが、ジョブ型であっても配置転換がある。
 ただ、日本と大きく違うのは、欧米では、配置転換にはほとんど必ずプロモーションが伴う。そうでないと本人にもインセンティブが全くないから。だから職種が違ったり、本来ここでしか働かない人がどこかに変わるときには、本人の能力をより生かすためのプロモーションを伴ってやることで、ほとんど問題が生じない。ところが、日本では、かつていわゆるローテーションという形で全く必然性もなく配置転換を行っていた。例えば北海道から九州に配置転換をする必然性がなくても、会社のローテーションでやったりしたという事実はある。今はそういうこともおそらく大企業では変わっていっているし、中小企業でも、事業所が辺鄙なところにもあって、その辺鄙なところからまた極端に辺鄙なところに行くということもないだろうから、実態が変わりつつあることに鑑みれば、もう少し実態に合わせた形で慣行でもいいし、法規制でもいいが、変えることが可能ではないか。その辺についてどうお考えになるか。
 裁量労働の問題について究極のところは、濱口さんは上位から何パーセントとかでエグゼンプションとするのが適切ではないかというお話をされたが、これについても実際の私の海外での経験からいくと、ホワイトカラーのエグゼンプトは新入社員からで、その代わり個室をもらい、秘書がつくという形。
 日本も企画業務だとかそうでないだとか、あるいは賃金、年俸で区切ると企業による差、特に大企業と中小企業の差もあり難しい。ただ、時間で縛られない働き方は、ワーク・ライフ・バランスをある程度助けるものでもある。欧米の場合は、家に必ずと言っていいほど地下室があって、そこにオフィスを持っており、仕事を持って帰っても家族に邪魔されない、あるいは邪魔されずに仕事をしようとすればできるという環境があるから、早く帰って子供と遊んで、遅くなって子供が寝たら、地下のオフィスで仕事をしようということも可能。特にコンピュータの時代になればそういうことも全く問題ない。そういう違いはあるにしても、時間管理になじまないものがあって、先生がおっしゃるようにエグゼンプションを中高位何パーセントからとすれば、これは非組合員、管理職と同じことになり、いわゆる組合員ではあるが、そういう時間管理になじまない者には全く適用されない。その辺についてどうお考えか。
 
(濱口総括研究員)
 後の方がわかりやすいので、先にそちらから先にお答えするが、全くおっしゃるとおり。つまりここで私が上位から何パーセントと言ったのは、日本のメンバーシップ型の社会を前提にすれば、こういうふうにするしかないよという話。ところが、日本の法律もそうだし、どこの国の法律もエグゼンプトというときの管理監督者というのは入ったときから管理監督者。それはビジネススクールやグランゼコールを出て初めから管理職見習いとして入り、2年か3年ぐらいすれば見習いが取れて管理職として働く。初めから入口が違うわけで、それを前提として管理職という職種のエグゼンプトをやっているだけだと。ところが、日本はそうではない。
 先ほど日本には管理職という職種が存在しないと申し上げたのはそこ。日本は、管理職のエグゼンプトですら、係員島耕作が係長島耕作になって、課長島耕作になったらエグゼンプトだと言っているだけの話。この中高位というものが、昔みたいに何でもかんでもみんな管理職に放り込めばいいという1990年代から変わってきている。機能としては管理していない者をみんな昔は管理職に放り込んでいたのが、そういう無駄なことはできなくなったので、管理職を少数精鋭に絞れば、自ずから、そこらからこぼれ落ちる人が出てくる。ところが、賃金制度は依然として年功制だから、非常に高い給料をもらっている。高い給料をもらっているけれども、管理の仕事はしていないし、昔みたいに管理職に就かないので、残業代を払わなければならない。おかしいだろうと。私はまさにそこに矛盾があると思っている。
 もし、本当に世の中ががらっと変われるのであれば、つまり企業の人事部がメンバーシップ型からジョブ型に全部変わるというのであれば、まさに今おっしゃったのが本来の姿、法の本来の趣旨ではある。しかし、それはすぐにできないだろうということ、かつ、昔であればみんな管理職に放り込まれていった人がそうでなくなってきていて、そこをどうするかということに対応するのであれば、こういった上位から何パーセントというのが、メンバーシップ型を維持していることを前提とした上での話になる。これは管理監督の仕事、これは企画の仕事、これは何の仕事というジョブで人事管理をするようになれば、当然それでできる。しかし、現実にはそうでないということを前提としてお話している。
 前半の方だが、基本的に企業に一方的な配転の権限はないと私は認識している。プロモーションを伴うというのは、本人が同意している、あるいはむしろ希望しているからそこに就くということだろう。根本的なことを言うと、まず日本は、上から下まで全部同じ労働者だと言われる。これは多分、戦後の平等主義の下で、全部同じ労働者であるという発想。係員島耕作から社長島耕作まで一連のつながりであるという認識の下にいろいろな議論がされるということは、欧米と比較するときの最大の誤解の元なのではないかと思う。
 基本的に企業には配転の権限がない。雇用契約で限られているということが前提。これは少なくともいろいろな労働法でそのようになっている。もちろんプロモーションもあるが、基本的にはそのプロモーションも、この職位が空いた、この課長職が空いたので、やりたい人はいるかというもの。これは外から入れる場合もそうだし、中で内部昇進する場合でも、基本的にはそういう発想。まさにジョブ型の発想でやっているがゆえに、その仕事ができるかという形で物事は動く。その仕事があるのか、ずっと続くのか、それともなくなるのかという形で議論ができる。日本はそれも人事部の胸先三寸で動いていく形になっているので、そこが一番違うのではないか。
 2番目の中小は違うというのは、実はおっしゃるとおり。ジョブ型、ジョブ型と言うが、日本の中小企業なんてそんなに回るところなんてないのだから、実はジョブ型ではないかという言い方をされることがある。これは半分正しくて、半分間違っていると思う。つまり別にこのジョブに限るという意識はどこにもない。
 そういう意味では非常に小さなメンバーシップ型だが、配転の余地がいっぱいあるわけではないので、事実上、その企業自体、中小零細企業自体がその仕事ができなくなれば、会社自体と運命を共にするのはある意味で当たり前だろうと思うのだが、そこがジョブ型という形で明示的に意識されているわけではないというのが1つ。また、先ほど申し上げたように、そもそも弁護士に高いお金を払って裁判所に持ってこられるのは、大体大企業の正社員が中心になるので、中小企業は違うのは確かにそうだと思うが、中小企業が違うというロジックが、それとしてはなかなか確立しにくいという面はあるかと思う。
 ここはどう考えるかだが、やはり中小企業だから違うというロジックは、法の論理としては立てにくいだろう。ただ、まさに実態として回す余地がないのだから、解雇は当然だろうという形で議論がされていけばいいわけで、そこはまさに回す余地があるかどうかということが、法律の中できちんと明示的にわかるようになることが一番重要ではないかと思っている。
 最後に、実態が変わってきているというふうにおっしゃられた。そうかもしれないが、1つは判例法理というのは過去の日本の、特に1980年代までのメンバーシップ型のシステムが猛威を振るっていたというか、非常に誇らしく、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言っていたころに確立したもの。当然のことながら、裁判所も別に固定観念でやっているわけではなく、例えば外資系企業でこの仕事という形で就けたようなものについては、実はフレキシブルにというか、この仕事に就けたのだから、この仕事ができなければアウトだろうという判断をしている。
 ただ、どうしても普通の日本の会社の普通の正社員ということであれば、今までの延長線上で判断することになるので、そこはむしろ実態が変わってきているということが世の中で明らかにというか、裁判官の目にわかるような形になっていないということではないか。あるいはそれが変わってきているとすれば、変わってきているということがその判断基準できちんとすくい取れるような法規制があればすくい取れるが、それがないがゆえに、単に言いわけしていると聞こえるということではないか。
 
(長谷川主査)
 それに関連して、例えば研究者の場合、研究者として採用され、本来であれば一生研究者であるけれども、研究者としてのアウトプットを、要求される最低限のレベルまで出せないときに、例えば、欧米でよくやるようなプロフェッションを置いて、6か月以内にこういうものを出してくださいなどといったことを何回かやって、それも達成できない場合に解雇することにすれば、これは裁判になっても受け入れられる可能性がかなり高いのだろうか。
 
(濱口総括研究員)
 それは個別ケース。おそらく、雇用契約そのものがどれくらいの専門性を要求するものか、どれくらいのアウトプットを出すことを合意していたかということの判断になるだろう。
 私は基本的に、あまり上澄みの方というよりは、むしろ上澄みでない方を主として考えている。基本的には、契約にジョブディスクリプションが書いてあって、これをきちんとやればOKだというのが、特殊なエリートを除いた普通の労働者にとってのラインであるというのが私の認識。ただ、世の中にはもっとハイレベルな要求水準の契約があるだろうし、それはそのように書いてあれば、当然それに基づいて判断されるのではないか。日本にはそもそもその根っこがないので、要求水準というものがその都度その都度、会社が思いついたようにこれを命じられたものであると、なかなか同じように判断されないのはやむを得ない感じがする。
 
(長谷川主査) 
ただ、入社のときにジョブディスクリプションで全部詳細には書けないが、同じ職種の中で経験を積むにつれてジョブグレードが上がっていって、グレードによって求められる度合いやアウトプットが変わってくることは当然あるのではないか。
 
(濱口総括研究員)
 それは、おそらく雇用契約の中身がある意味変わってくるのだろう。入ってからずっと同じ形で行くわけではなく、基本的には、ある時点で契約を打ち切った場合に、何が求められていて、何が求められていないかということが、労使双方から見て明確であることが最も重要だと思う。
 
(長谷川主査)
 わかった。
 
(赤石日本経済再生総合事務局次長)
 お話をお伺いしていると、ジョブ型とメンバーシップ型の違いがとても大きく、日本と欧米ですごい差があって入口が違うと何度かおっしゃっていたが、もしよろしければ欧米型の判例ではなく、契約がどうなっているか追って教えていただきたい。他方、長谷川主査がおっしゃるとおり、日本の場合は、最初からジョブディスクリプションを書くのが論理必然的に結構難しいところがあるので、そこをどう変えたら欧米型に移行できるのかというところを勉強したい。
 
(濱口総括研究員) 
どこをどう変えたらというのは、それはむしろ欧米のいろいろな人事管理のものがいっぱい出ているので、問題はむしろそういった技術的な話ではなく、そもそも人事部がそんなことを言われたからといってすぐにできるか。
 先ほど人事部が岩盤だという言い方をした。しかし、人事部には人事部の言い分があって、まさに自分たちが何でもやるような形で社員たちを回してきたがゆえにかつての日本はこれだけの競争力を示してきたのではないか、たまたまここ10年ほど少しうまくいっていないからといってそれを全部否定するのかと人事の方々は思っているだろう。むしろ問題はそこだと思う。そう簡単に人事の方々が変わるとは思わないが、もしそれが変わるとなれば、具体的にどのように書くかについては、教科書のようなものは幾らでもある。しかし、おそらくそうはいかないだろう。
 むしろ問題は、人事部の方々がどうお考えになるかというところにある。実は役所などはほとんど何の役にも立っておらず、端の方から雇用調整助成金で応援しているだけ。労働組合も実は企業別組合はその上に乗っているだけ。このメンバーシップ型の仕組みを、がちっと作って動かしているのは、間違いなく人事部の力だと思っている。

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ESRI/RIETI/JILPT「経済における女性の活躍に関する共同セミナー」

内閣府の経済社会総合研究所、経済産業研究所、労働政策研究・研修機構という政策研究3機関の共催で3月5日に「経済における女性の活躍に関する共同セミナー」というのが開かれます。JA共済ビルです。

http://www.esri.go.jp/jp/workshop/forum/140305/140305_rec.html

プログラムは次の通りです。

13:20~14:15報告
「子育て世帯全国調査等 女性の就業に関する報告」周 燕飛独立行政法人労働政策研究・研修機構副主任研究員

「ダイバーシティ経営とワークライフバランス 報告」(仮)児玉 直美独立行政法人経済産業研究所コンサルティングフェロー、一橋大学経済研究所准教授

「夫婦の出生力の低下要因に関する分析 報告」麻田 千穂子内閣府経済社会総合研究所総括政策研究官

14:15-14:35<休憩>

14:35-16:05パネルディスカッション
「少子化を克服しつつ経済における女性の活躍を進めるため、働き方と性別役割分業の見直しをどう進めるか」

テーマ1 「経営と女性」
発表 樋口 美雄   独立行政法人経済産業研究所ファカルティフェロー、慶應義塾大学商学部教授
コメント 武石 恵美子 法政大学キャリアデザイン学部教授

テーマ2 「出産育児期の就業」
発表 武石 恵美子 (前述)
コメント 岩澤 美帆   厚生労働省国立社会保障・人口問題研究所人口動向研究部第一室長

テーマ3 「男性を含めた働き方の見直し」
発表 濱口 桂一郎 独立行政法人労働政策研究・研修機構総括研究員
コメント 樋口 美雄   (前述)

総括コメント清家 篤     内閣府経済社会総合研究所名誉所長、慶応義塾長

16:05-16:30質疑応答

16:30閉会

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労働政策フォーラム「24年改正労働契約法への対応を考える」

ついでに、こちらも広報しておきます(する必要もないのですが)。

http://www.jil.go.jp/event/ro_forum/20140310/info/index.htm

3月10日、ベルサール飯田橋駅前です。

13時15分~

基調講演 改正労働契約法への対応から見えてくるもの 菅野和夫 労働政策研究・研修機構理事長

調査報告 有期契約社員の法改正後の活用状況に関する調査結果 渡辺木綿子 労働政策研究・研修機構主任調査員補佐

事例報告
  ダスキン労働組合
  株式会社 三越伊勢丹ホールディングス

15時00分~  ※10分程度早まる可能性があります
パネルディスカッション

パネリスト
徳住堅治 旬報法律事務所弁護士
水口洋介 東京法律事務所弁護士
安西愈 安西法律事務所弁護士
木下潮音 第一芙蓉法律事務所弁護士
濱口桂一郎 労働政策研究・研修機構統括研究員

コーディネーター 菅野和夫 労働政策研究・研修機構理事長

パネルディスカッションは、約1名を除き、いずれの側も錚々たる面子が揃っています。

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ジョブ型社会ならではの台詞

東洋経済オンラインに、ニューヨークタイムズの記事が載っています。

http://toyokeizai.net/articles/-/30215(企業はオジサンよりも若者を雇うべきだ)

ほらみろ、アメリカでもそう言っているじゃないか、などと中年になりかけた「ワカモノのミカタ」氏は口走りそうですが、もちろん、これは日本みたいに企業が若者を好んで雇いたがる社会ではないアメリカという典型的なジョブ型社会ならではの台詞なんですね。

冒頭の小見出しが「スキルのない若者はいらない?」

ところが最近、大学を卒業したばかりのポテンシャルの高い若者を雇って育てる重要性を話すと、イライラした態度を示す経営者がいることに気がついた。・・・

つまり彼らが言いたいことはこうだ。「適切な資格がある若者なら採用数を増やしてもいいが、最近の若者には、職場の厳しい要求に応えられるスキルや知識のある人物が少なすぎる」。

近頃の若者はスキルが無いから雇えない。って、別に近頃じゃなくても、若者ってのはそういうものですが、まあ、そういう風に若者をたたくのも古代からの風習ですから。

でも、会社に入ってからスキルを身につけようとしても、

だが、彼らの願いがかなう可能性は低い。現代の企業研修の多くは、基本的なテクニカルスキルのある新入社員向けにつくられている。大学の専攻によってでないとすれば、インターンでこうしたスキルが身に付いていることが期待されている。・・・

あまりにも専門的なスキルが重視されているために、あまりにも多くの若者が、就職してスキルを学び、責任を与えられ、給料が増えていく、というプロセスをたどるチャンスを奪われている。20~24歳の失業率は11%と、全米の平均7%を大幅に上回る。

そこでこの記事の筆者は、若者は「スキルはなくても意欲は高い」と、どこか極東の国で聞いたような台詞を吐くわけです。

企業は、大学や政府が対策を講じるのを待つのではなく、若者を雇用する責任の一端を進んで担うべきだ。今こそ、スキルはないが有望な若者に研修を受けさせる試験的プログラムを導入するべきだ。・・・

専門的なスキルにこだわらなければ、自分と会社の成功のために全力を尽くすという意欲にあふれた人材がもっと見つかるかもしれない。

いや、その「スキルより意欲」って、まさに伝統的な日本型企業が中高年を毛嫌いしながらなぜスキルの無い若者を偏愛してきたかを説明する理由なんですけど。

そう、拙著『若者と労働』で詳しく説明したように、「企業はオジサンよりも若者を雇うべきだ」という言葉が意味を持つのは、現実がその正反対であるジョブ型社会なのであって、それが現実であるメンバーシップ型社会ではないのです。

ま、そういう社会では、「最近の若者には、職場の厳しい要求に応えられる意欲熱意のある人物が少なすぎる」というぼやきに変わるのでしょうけど。

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This Book is a must-read! by ICU図書館短評

Chuko国際基督教大学図書館の「新着図書ピックアップ」 で、拙著『若者と労働』についてこう短評しています。

http://booklog.jp/users/iculib/archives/1/4121504658

【新着図書ピックアップ】ブラック企業、限定正社員、非正規雇用、なぜ就活が大変なのか?これから企業で働こうと考えているあなた。労働政策のプロが、若者の雇用問題を解決する処方箋を提示してくれてます。

This Book is a must-read!

この最後の言葉が嬉しいです。「This Book is a must-read!」

 

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今野・坂倉『ブラック企業VSモンスター消費者』

9784591139400_oPOSSEの今野晴貴さん、坂倉昇平さんの共著(正確に言えば、座談会出演の五十嵐泰正さんも共著者ですが)『ブラック企業VSモンスター消費者』(ポプラ新書)をお送りいただきました。

http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=82010210

極悪クレーマーが会社をブラック化する。
ブラック企業は労働者だけでなく、消費者をも食い殺す。
「おもてなし」も社会をブラック化する!?
他人事ではない、すべての人の足元にある、大問題!


ブラック企業を酷いと思う人も、ブラック企業の商品を使ったことがあるだろう。
「消費者もブラック企業の共犯者だ」という人もいる。
一方で、ブラック企業は巧妙に消費者をだまし、食い物にしている。
土下座、食品偽装、食中毒や介護事故・・・。
モンスター消費者とブラック企業の攻防を問う!

ブラック企業が増殖する日本社会で、
消費者として知るべき現実。


「働く」とは何か? 労働には自己犠牲が必要か?
「お客様」である消費者は「神様」か?
個人の生活、未来、命にまでかかわる切実な課題であるにもかかわらず、
ずっと置き去りにされてきた「労働」と「消費」の問題について―――。
若者の格差・労働問題に取り組む話題のNPO法人POSSEの運営者が
深刻な「日本劣化」を防ぎたい一心で社会に一石を投じる、
共感必至にて衝撃の書!

ブラック企業を生み出している責任はモンスター消費者にもある!という最近よく言われる問題をとことん突っ込んで論じた本です。

坂倉さんの消費者運動の歴史をさかのぼった分析もスリリングですが、

第5章の今野、坂倉、五十嵐の鼎談が実におもしろい。ここで出てくるキーワード、エコでロハスなエシカル消費の意識高い系『ソトコト』を読んでる「フード左翼」って、今回の選挙で雇用や福祉に無関心な脱原発一枚看板な候補者を応援している人とダブって見えてくるところがありますね。

今野さんはツイートで国家戦略特区の危険性を強調していたけれど、彼らからするとそれは心にもない言いがかりに見えていたと思う。本当の危険性は、その「フード左翼」性にこそある、・・・という話にはならなかったけれど、その絵解きがちょうどこの鼎談に示されていたということかな。

(追記)

本書でも繰り返し説かれているように、この問題を増幅しているのはジョブの限定のない日本型雇用という特質ですが、サービス経済化による顧客の労働者に対するハラスメント問題は欧米でも問題となっています。

社会文脈の違い故か、それがまず何よりも労働問題として取り上げられ、労使団体が取り組むべき問題として意識されるというあたりは、彼我の違いを感じますが。

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『日本の雇用と労働法』への書評

112483吉野三郎さんという方の「読書日記と読書ノート」というブログに、拙著『日本の雇用と労働法』が取り上げられています。

http://blog.goo.ne.jp/karltosakura/e/ee3bba6685ce296c386830458068dec9

濱口【日本の雇用と労働法】を読了。非常にわかりやすく、教えられるところが一杯。特に労使関係の歴史的変化が発見だった。日本型雇用慣行が戦時期の国家統制-賃金統制、労働力移動の禁止、ブルーカラーとホワイトカラーの平等-を基盤にしていることがわかった。戦後の労働組合が生活給の保障、雇用の保障を求めたのもこの流れだった。職務ではなく職能(潜在的職務遂行能力)を軸とする賃金。職能の査定では勤労意欲などは主観的なので、結果的には客観的ものさしとして勤続年数による年功賃金体系が生まれた。成果主義は潜在的能力ではなく、結果として現われた業績を評価する仕組みだが、業績を測るベースとなるもの=職務のランク付けがないため評価する基準がなく、結局中高年者の高賃金をカットするためにつかわれた。なるほど。教員の評価も同じだ。担任の職務は何か、教科担任の職務は何か。何を持って評価の尺度とするかがまったくない。それえゆえ、退学者が何人だったみたいな、基準にならない基準を無理に適用する。もともと職務遂行能力を査定するためではなく、忠誠度を測るために導入されたわけだから、客観性はどうでもいいわけだ。しかし、そのために学校の教育力が下がってしまったらこのシステムは維持できなくなる。成果主義が民間で不人気になったように。

 日本の雇用契約が職務-労働能力の提供-をめぐる契約ではなく、社員たる地位(メンバーシップ)の設定であるという特質が良くわかった。

この後に拙著の要約的な読書ノートが付されています。

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『DIO』290号

Dio_2連合総研の機関誌『DIO』290号は、集団的労働条件決定システムの国際比較を特集しています。

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio290.pdf

ドイツにおける雇用・労使関係政策の新たな局面~一般的拘束力・最低賃金と派遣労働の政策を中心に  毛塚 勝利

フランスの労使交渉システムと賃金決定の課題  松村 文人

韓国における労働組合の変容と労使交渉の課題  安 周永

毛塚、松村両大家の論文も学ぶところが多いですが、ここでは安さんの韓国の話を。

私が大原雑誌で書評した『日韓企業主義的雇用政策の分岐』では、いくつかの労働法政策過程に着目してインサイダー戦略、アウトサイダー戦略を説明していましたが、今回の論文では労働組合の運動そのものを説明しています。

やや長いですが、最後の節を:

以上のように、韓国の労働組合は労働運動の危機に直面し、これを乗り越えるために多様な取り組みを行ってきた。このことを整理するに当たっては、下記の労働組合の戦略による分析が参考となる。一つはインサイダー戦略をとるか、アウトサイダー戦略をとるかという選択であり、二つ目は提携戦略をとるか、とらないかという選択である(図2参照)。
韓国労働組合は、政策アリーナに止まり、協議を通じて政策実現を図るよりも、大衆行動を通じて政策アリーナの外側から圧力をかけて政策実現をはかってきた。すなわち、インサイダー戦略よりもアウトサイダー戦略をとってきた。アウトサイダー戦略を成功させるためには、世論の支持を得ることが重要であり、そのためには、従来の政策アリーナに他の勢力を巻き込み、その勢力と一緒に闘う必要がある。民主労総はそれを実行するために産業別労働組合への転換を進め、社会団体とのネットワークの結成に取り組んできた。

 このような試みが成功するかどうかは、依然として不透明である。だが、企業内に安住していては労働運動に未来はないという判断から始まった韓国労働組合の取り組みがいかなる成果を生むのか。これが、韓国労働運動の分岐点になることは間違いないだろう。

 日本においても、非正規労働者は増加し、労働法改正が度々行われるなかで、企業横断的問題が労働組合の主な課題として浮上した。かつて春闘が企業間格差を是正する機能を果たしたのは否定できないが、それだけでは、今日の労働組合を取り巻く環境に対応することはできなくなっている。グローバル化が進むなかで企業内待遇改善には限界がある上に、今の春闘では労働市場の二重構造と未熟な社会保障を改善することが困難であるからである。日本の労働組合も正社員を中心とした組織から脱し、その社会的存在意義を再確認することが問われているように思われる。

 

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リアルポリティークと情緒政治

現下の東アジア国際政治というのは、米中二大パワーのリアルポリティークと、日韓の情緒政治の絡み合いが、国際政治学と社会心理学の教科書のようにおもしろい。

構図としては、勃興する中国パワーを押さえ込みたい超大国アメリカ、その忠実な子分格の日本と韓国、なんだが、いずれも自己愛ナショナリズム(「なんて可哀想な私の国」症候群)に満ちているので、中国がそれをうまく活用している。

アメリカからすれば、アメリカに忠実に中国に対抗してくれる限りで日本の右派は有用なんだが、そこに踏み出してくれるようなのに限って、大東亜戦争の大義を唱えたがる、というジレンマ。下手をするとアメリカの正義を批判したりする。タリバン現象。靖国などに見向きもせずに集団的自衛権に熱心な政治勢力が望ましいのだが、なかなかそう都合よくいかない。

ここをうまく衝いて、第二次大戦の同盟関係を想起させるのが中国の戦略。南京事件への歴史修正主義なんかも、小道具としてうまく使える。一番いいのは、日本の反米右翼が、自分では意識しないで中国の利益にかなうように行動してくれるところで、、このあたり、リアルポリテークをやってる国と情緒政治にまみれる国の違いか。

この日本の情緒政治の噴出を、日本と同様情緒政治に満ちた韓国を転がすのにうまく使える。アメリカの子分同士が目の色を変えて喧嘩をおっぱじめ、韓国が中国にすり寄ったりする。アメリカからすれば愉快ではないが、過去の歴史話をしている限り、そもそも中国と同盟して軍国日本と戦ったアメリカの立場は決まっている。

だから、下らぬ歴史話なんぞやめて、今の話だけしろ!と叱りつけたいところだが、情緒政治の日本も韓国も、ますますのめり込む。そして、歴史話が戦略的優位点である中国は、自国民と日韓両国を煽ることで、ますますその優位性を確保できる。

ここまで見る限り、国際政治心理学の優等生は中国のよう。日本と韓国はパブロフの犬かな。

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リクルート『Works』122号

Works リクルートワークス研究所の『Works』122号が「日本型報酬・人事システムの着地点」という大がかりな大特集を組んでいます。

http://www.works-i.com/?action=repository_uri&item_id=1201&file_id=5&file_no=1

「日本型システムはどう機能していたのか」「日本型システムはなぜ行き詰まっているのか」を、わたくしと山田久さんの二人の話で構成し、「システム再生に向けて求められる5つの着地点」として、仕事・役割の重視、賃金プロファイル、キャリア自律、ジョブ型正社員、逆Y字型格付け制度を提示し、最後に編集長のまとめ、という構成。川口大司、今野浩一郎、平野光俊といった方々も登場し、この手の議論の総まとめという風情もあり、読んで損はありません。

最初のあたりから:

日本型システムはどう機能していたのか

日本型報酬・人事システムはどのような前提で成立していたのだろうか。「これから」の着地点を探るため、まずは「これまで」のシステムのあり方を振り返ってみよう。

就職とは、会社のメンバーになること 無限定な働き方が成長を支えた

新卒一括採用、年功賃金、職能資格制度、長期雇用……。これらのキーワードで語られることの多い日本型報酬・人事システムだが、労働政策研究・研修機構の統括研究員、濱口桂一郎氏は「まず、日本はメンバーシップ型の労働社会であることを理解しておくと、日本型システムがどう機能していたのかも理解しやすくなる」と話す。メンバーシップ型労働社会のポイントは、「就職」と呼ばれる現象が、実は「正社員」として「会社」の一員(メンバー)になることを指しているという点だ。

一括採用しなければ優秀な人材の確保は困難

正社員として会社のメンバーとなれば、「職務や時間・空間の限定なく働く義務を負う一方、定年までの職業人生を年功賃金で支えられる生活保障が得られたのです」(濱口氏)

新卒一括採用は戦後、中卒から高卒、更には大卒へと広がっていった。「中途採用市場が発達していなかったこともあり、一括採用の流れに乗らなければ、企業が将来性のあるメンバーを大量採用することは難しかった」(濱口氏)。こうして出来あがった学校から企業への「間断のない移動システム」は、多くのスキルのない若者の就職を可能にし、日本を「若者雇用問題の存在しない国」にすることに貢献した。

日本企業は、決められた仕事に人がつくのではなく、会社のメンバーとなった社員に、それぞれ仕事をあてはめてきた。そのため賃金も、仕事に値札をつける形ではなく、人に値札をつける形で決定してきた。「人につけられた賃金の決め方が、いわゆる年功賃金制なのです」(濱口氏)

年功賃金制のもとでは、新卒労働市場の影響を受けて決まる初任給に、毎年の定期昇給を上積みして賃金が決定される。だからスキルのない新卒採用者であってもそれなりの金額の初任給が得られ、また未経験の職場に異動しても、それまでと同様の賃金が支払われてきたのだ。

1950年代から60年代には経営側と政府は職務給への移行を主張していたが、1969年に出された、経営者団体である日経連の『能力主義管理その理論と実践』という研究会報告は、それまでと立場を変えて年功制を高く評価。従事している職務とは切り離された、いかなる職務も遂行しうる潜在能力を指す、「職務遂行能力」に基づく資格制度を打ち出した。それが職能資格制度であり、メンバーシップ型に適合した制度として広まっていった。

年功賃金制度や職能資格制度に支えられた長期雇用は、働く個人やその家族には、安定というメリットをもたらした。企業側はどんなメリットを享受したのだろうか。

日本総研のチーフエコノミスト、山田久氏は・・・・・・

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『月刊連合』2月号に金子良事さん

201402cover連合の機関誌『月刊連合』2月号が「いざ、2014春期生活闘争 いまこそ賃上げ、デフレ脱却 「月例賃金」にこだわった要求・交渉を!」という特集を組んでいて、

http://www.jtuc-rengo.or.jp/shuppan/teiki/gekkanrengo/backnumber/new.html

その中に金子良事さんが「歴史に学ぶ「賃上げ」の論理」というインタビュー記事に出ています。

わざと本筋じゃないところだけを引用しておきますと:

・・・日本の労働組合はビジネス・ユニオニズムが先導して連帯を形成してきたが、伝統的には社会運動的な側面を強くもっていた。戦前は、組合活動に関われば、刑務所に行くこともあるし、容易に解雇される。そしてブラックリストに載れば再就職はできず、生活が成り立たなくなる。それでもリーダーたちは、労働者全体のためになる人材と思えば、同志を組合活動に誘い込んだ。反社会勢力になっても、社会をよくする信念があったからだ。今の時代にそのような志は求むべくもないが、労働組合の社会的地位が確立されたいま、そういう原点をどのように継承していくかは気がかりだ。・・・

いやその「反社会勢力」という言い方はいささか不適切ですが、労働者のためにここまでやるという行為が一見反社会的行為に見えるという意味では、戦後組合運動でもまさにこの二宮誠さんの武勇伝などがそれでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/h-7bb6.html(組と組合はどう違う?)

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『女性セブン』2月20日号

Info_p_2 本日発売の『女性セブン』2月20日号に、「非正規雇用 募る不安、積もる不満 「貧と負」のスパイラル」という記事が載っております。私のコメントも載っております。

http://josei7.com/topics.html

・・・独立行政法人労働政策研究・研修機構統括研究員の濱口桂一郎さんは、次のように話す。「若いうちは正社員の給料も高くないので、非正規労働者との賃金差はそれほど大きくはありません。しかし、30代、40代となってくると、その差が大きくなります。それが、非正規労働者の不満や不安のもとになってしまうのです。こういった非正規雇用の問題が露出すると、政府は、『若年層の非正規労働者を、いかにして正規労働者にするか』という政策を打ち出し、補助金などを用意します。でもそれは、企業側に『正社員にするんだったら、若い方がいい』と思わせてしまう。その結果、中高年の非正規労働者には手が差し伸べられず、忘れられた存在になっていくんです」・・・

前出の濱口さんはこう解説する。「これまで、非正規従業員は『家計補助型』の働き方をしていると言われていました。正社員として働く夫がいて、その妻が非正規として夫の収入を補助するというもの。ところが今は『家計維持型』が増えています。一家の主として家計を維持するべき立場にいるのに、非正規の仕事にしか就けずにいる。今や、非正規で働く人の半分近くが、この『家計維持型』と言われています」・・・

その他、左の表紙にあるように、女性週刊誌的な記事も満載です。

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佐藤留美『人事が拾う履歴書、聞く面接』

9784594069940佐藤留美さんより『人事が拾う履歴書、聞く面接』(扶桑社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.fusosha.co.jp/books/detail/3913

採用の入り口である履歴書。どうすれば人事担当者の目に留まる履歴書が書けるのか? 人事担当者が捨てる履歴書とはどのようなものなのか? 新卒者、転職希望者必読の書!

ということで、まさに学生向けのノウハウ本ではあるのですが、そこに日本型雇用システムの本質をきちんと踏まえた上での説明という心棒が一本通っている点が、他の類書とは違う特徴と言えます。

こちらに中身がちらりと出ているので、見てください。

http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1402/04/news056.html

『人事が拾う履歴書、聞く面接』(佐藤留美/著、扶桑社/刊)は、著者の佐藤氏が大手企業の採用担当者100人に取材し、彼らが欲しい人材とエントリーシート、面接にまつわる本音について明かした一冊です。

 ここでは、著者が取材して分かった就活マニュアル本には書いていない、人事担当者が「残念だなあ」と思うエントリーシート・面接のフレーズをご紹介します。

人事が「嫌う」エントリーシート編

 まずは、「あ、この人はちょっとな……」と思われてしまいがちなエントリーシートの残念フレーズです。

×「御社の将来性のある事業に惹かれました」

×「学生時代はアルバイトとサークル活動に力を入れ、リーダーシップを発揮しました」

×「学生団体のリーダーをしていました」

×「TOEIC800点です」

×「尊敬する人は両親です」

・・・・・・

「残念」な面接編

 続いて、面接での残念フレーズをご紹介します。

×「わたしは昔からデパートが大好きで、だからデパートで働きたいんです」

×「希望はクリエイティブ職です。そこは譲れません」

×「将来は、起業したいです」

×「僕の面接、何点でした?」

×「ワークライフバランスを重視した働きやすい会社だと聞いて応募しました」

なぜ、これらが「人事が嫌う」「残念」なのか、その解説が、本書第3章の「本当はラクな日本の就活事情」です。拙著からの引用もあります。

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『Vistas Adecco』36号

『Vistas Adecco』36号が「キーワードで読み解く2014年の雇用と労働」という特集を組んでいて、そこで主としたわたくしと安藤至大さんが解説をしています。

キーワードは、「解雇特区」「限定正社員」「新卒採用」「派遣法」「高齢者雇用」「女性雇用」「障害者雇用」の7つ。

それぞれについて、わたくしの発言と安藤さんの発言を互い違いに並べる形です。厳密さよりもできるだけわかりやすい説明を心がけました。

全体は同誌を読んでいただくとして、ここでは、最初の「解雇特区」におけるわたくしの発言を。

地域を限定して解雇ルールを緩和する国家戦略特区、通称「解雇特区」。昨年秋より検討が進められてきたが、現在は見送りとなっている。労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎氏は、この発想には難しい側面があったと分析する。

「本来、『特区』とは、政府が何らかの規制をその地域内だけ外そうというもの。けれど日本にはそもそも解雇規制は存在せず、存在しない規制を外す、という議論は難しいものがあったのです」

日本大学大学院の安藤至大氏も・・・・・・

濱口氏は、前述の「労働力が提供できているか」の判断が難しいのは、ひとえに日本型の雇用慣行が背景にあると指摘する。「欧米は個々の従業員の仕事の範囲や契約条件が明確。その仕事がなくなった、もしくは労働者のスキル不足が明らかな場合であれば解雇ができます。しかし日本の場合、契約書に各人の仕事の範囲は明記されていないことが多い。そのため1 つの仕事がなくなった場合でも、他の仕事を与える努力はしたのかと判断されがちなのです」(濱口氏)

安藤氏は、・・・・・・

濱口氏も、「欧米並みの整理解雇を実現できるようにするには、解雇規制をどうこうではなく、雇用契約を見直していくしかありません」という。解雇特区を発端に浮彫りとなった日本の雇用契約のあり方。次ページの「限定社員」問題とも絡み合いながら2014年も、正社員の雇用契約を巡る議論に形を変え、進むことが予想される。

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フォーク・レイバー・ローの判例法理化?

ワークルール教育の主唱者でもある道幸哲也先生が、最近あちこちで昨年の淀川海運事件判決を問題だと訴えておられるので、簡単に紹介しておきます。

淀川海運事件:東京高判平成25.4.25労経速2177-16

事案自体は整理解雇で、人員整理の必要性もあり、解雇回避努力も講じていたとしているのですが、問題は人選基準です。

実はこの事件の原告は、サービス残業訴訟で会社を訴えていたのですね。それで、そういう「態度の悪い奴」が解雇対象者に選ばれたことについての判断:

・・・これらの提訴は、控訴人との関係においてはまさに正当な権利行使として、何ら非難されるべきものでないことは明らかではあるが、そのことと、被控訴人と他の従業員との関係、即ち、企業の存続と従業員の雇用の継続を優先して権利主張を自ら抑制した他の従業員が上記のような被控訴人の行動をどのように受け止めていたかと言うことについては、自ずから別の問題というべきである。

・・・そもそも労働契約が労使間の信頼関係に基礎を置くものである以上、他の従業員と上記のような関係にあった被控訴人を、業務の円滑な遂行に支障を及ぼしかねないとして、被解雇者に選定した控訴人の判断には企業経営という観点からも一定の合理性が認められるというべきであって、これを不合理、不公平な選定と言うことはできない。

ということで、見事に、態度の悪さこそが解雇を正当化するという醇風美俗たるフォーク・レイバー・ローが判例法理として確立しちゃっております。

仕事がなくなっても整理解雇は許されないということばかりに熱中して、いざ解雇不可避になったときの公平さがぽっかりと欠落してきた日本労働法学の見事な成果かも知れません。

(参考)

1120501182 日本の職場の「フォーク・レイバー・ロー」

(1) 「態度」の重要性

 本報告書で分析した労働局あっせん事案から窺われる日本の労働社会における「フォーク・レイバー・ロー」の最大の特徴は、雇用終了するかどうかのようなぎりぎりの段階において、労働者の適性を判断する最重要の基準がその「態度」にあるという点であろう。これは、明示的に「態度」を雇用終了の第一の理由に挙げている事案が多いことのみならず、言葉の上では「能力」を理由に挙げているものであってもその内容を仔細に見れば「態度」がその遠因にあるものも多いなど、極めて多くの雇用終了に何らかの形で関わっていることからも、強調されるべき点である。
 また、雇用終了の理由となるほどの「態度」の悪さといった時に、判例法理から通常想定されるような業務命令拒否や業務遂行態度不良といった業務に直接かかわる態度だけではなく、それよりむしろ上司や同僚とのコミュニケーション、協調性、職場の秩序といったことが問題とされる職場のトラブルが多くの事案で雇用終了理由として挙げられているという点に、職場の人間関係のもつ意味の大きさが浮き彫りにされているといえる。
 通常典型的な個別解雇事由として挙げられる非行についても、判例法理からみて直ちに解雇を正当化するまでの悪質性を有する事案は少なく、非行と非行に至らない「態度」との差は相対的なものに過ぎないし、逆に判例法理からしても客観的合理性に欠ける可能性が高いと思われるさまざまな権利行使や社会正義の主張といった労働者の発言への制裁としての雇用終了事案についても、まさに労働者の発言を悪しき「態度」と見なす考え方が背後にあるとみられる。その意味でも、フォーク・レイバー・ローにおける雇用終了理由としての「態度」の広範な重要性は強調される必要があろう。

(3) 職場のトラブル

 広い意味での「態度」を理由とする雇用終了のうちで、件数的に最も多いのが職場のトラブルを理由とするものである。49件にのぼる。これは、日本の労働社会において、職場の人間関係のもつ意味が極めて大きいことを物語っているように思われる。
 これらのケースにおいては、とりわけ上司や同僚とのコミュニケーション、協調性、職場の秩序、といった言葉がキーワードとして用いられており、こういった人間関係の円滑さが職務遂行上不可欠であり、これらを尊重する態度が欠けていることは雇用終了を正当化するほどの不良性を意味するという社会的意識が職場にかなりの程度存在していることが窺われる。
 この点、過去の裁判例が協調性の欠如を基本的に正当な解雇理由としては認めてきていないことと見事な対照をなしている。すなわち、廣浜金属工業事件(大阪地決昭56.3.13労経速1082)は、協調性にやや欠け、独善的な面を有している性格であったとしても、その言動により事業に支障を生じたことが疎明されない限り解雇は無効であるとし、日東工業事件(大阪地決昭62.3.16労判511)は、小規模でチームワークが要求される職場であっても、協調性および外部との応対に多少不適当な面があったことだけでは解雇理由になり得ないとしている。こういった裁判例の考え方と、以下にみられる職場の「生ける法」との間には、大きな落差があることがわかる。

いや、「落差」は縮小しつつあるのかも・・・。

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魔法使いの弟子たち(再掲)

当面の政局にはコメントするつもりはまったくありませんが、物事を長期的視野から考える上で再読いただければよいのではないかと、過去のエントリをいくつか・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_46a5.html(山口二郎氏の反省)

『情況』という新左翼っぽい雑誌があります。1/2月合併号が「特集:新自由主義」ということで、ハーヴェイの本の書評特集をしていたので買ったんですが、はじめの方に金子勝氏とか山口二郎氏のインタビューが載っていて、特に後者はかなり率直な「反省の弁」という感じになっていたので、紹介しておきます。

>90年代に改革を論じた多くの人が、「市場化を進めていったとき、市民化の足場が掘り崩される」ということを、あまり判っていなかった。今でこそワーキングプアとか格差とかいわれているけれど、当時の改革論議では、規制緩和を徹底したときに何が起こるかという心配をしている人なんて、ほとんどいなかった。その理由としては、「生活者の政治」という構えでものを考えるときに、実は「生活する一番の土台のところを崩される」ということについての警戒というか、予見というのが、できていなかったのだと思います。「生活者を基盤とした政治」とか、今でも簡単に言う人がいますけど、そんなに単純に主張できる者ではなかったということです。

>さっきも言いましたが、生産拠点と生活拠点とを対立させて捉えるというのはやはり間違っている。私たちはみんな労働力を売って、生活の糧を得ているわけですよね。ところが労働市場というのは、私たちが供給者であって、企業が主権者なわけですよ。消費者主権が労働市場においても徹底されるとどういうことになるかというと、雇う側が労働者に好き放題無理難題をふっかけてきて、賃金のダンピングはするわセクハラはするわ、という話になってくるわけですよね。ですから市場化のベクトルあるいは消費者主権という原理で社会のシステムを再編していくというのは、私たち自身にとっても不利益が生ずる側面もあるわけです。結局、消費者主権の論理みたいなものを、脳天気に言いすぎた。消費者主権というものは一つの原理ですから、それが原理主義的に徹底されていくと、私たち自身が労働を売るときにね、同じ原理が適用されてブーメランのように跳ね返ってきているわけです。

>私たちはある意味で生産に参加することで生きているわけですから、その部分では、過当競争を防ぐための生産者カルテル、みたいな発想も必要になってくるわけですよね。ですから、労働組合の役割というものが、市民・生活者の論理と対峙する、という考え方は間違っていると思いますよ。生産と消費がトータルにあって人間生活がなりたつわけですから、その点で90年代の「生活者起点の政治」という議論はとても偏っていたというか、結果的に市場化の方にすくい取られていってしまった、という後悔がありますね。

 今頃あんたが後悔しても遅いわ、なんて突っ込みは入れません。この文章自体がまさにそれを懺悔しているわけで、人間というものは、どんなに優秀な人間であっても、時代の知的ファッションに乗ってしまうというポピュリズムから自由ではいられない存在なのですから。

まあ、でも90年代のそういう風潮に乗せられて、いまだに生産の場に根ざした連帯を敵視し、それこそが進歩だと信じ込んで、地獄への道をグッドウィルで敷き詰めようとする人々が絶えないんですからね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-54bc.html(政治とは悪さ加減の選択)

山口二郎さんのブログに『週刊金曜日』のコラムが載っています。

http://www.yamaguchijiro.com/?eid=901(通常国会の政策論議をどう進めるか)

この言葉にはまことに同感なのですが、

>・・・そうなると、みんなの党や減税を売り物にしている怪しげな地方首長など、ポピュリストやデマゴーグの出番となる。投機的再編論議に賭けるということは、日本の民主主義にとっては実に不毛である。

長年の付き合いだからというわけではないが、菅にもう少し政権を続けさせることが現状では最善の選択だと、私は考えている。丸山真男を持ち出すまでもなく、政治とは悪さ加減の選択である。今よりもっと悪いものが出てくることが確実なときに、わざわざ最悪を引き寄せるべきではない

わたくしも、まったくそう思います。ただ、この真理を、一昨年の総選挙の前にも語っていたのであれば、もっと説得力があったように思います。

当時の麻生首相に「もう少し政権を続けさせることが現状では最善の選択だと」は考えなくても、「わざわざ最悪を引き寄せる」ようなことをしていなかったか、権丈先生であれば若干違う意見をお持ちかも知れません。

その違いが「長年の付き合いだから」ということであったのであれば、それはやはり考えるべきことがあるのでしょう。

さはあれ、「ポピュリストやデマゴーグの出番」がもっとも避けるべきであることだけは、まっとうな感覚の持ち主であれば共有するところでしょう。

まことに「政治とは悪さ加減の選択である」という真理が身に沁む思いです。

(追記)

北の山口二郎さんといえば、名古屋の後房雄さんですが、河村市長を応援してしまった経験がどこまで身に沁みておられるのかなぁ、と思わせられるブログ記事が。

http://blog.canpan.info/jacevo-board/archive/230

後さんは、

>2009年4月29日の名古屋市長選挙の夜は、河村事務所の3階でテレビを見ていたものですが、それからの経過を考えるとなかなか感慨深いものがあります。

と、まさにカイカク派の応援団であったのですが、

>あらためて考えてみると、河村氏との政治イメージの違いが最大の要因だったように思います。選挙で票を集め、勝って市長になることだけをイメージしている河村氏(だからこそ今だに総理を目指すなどと叫んでいるわけですが)に対して、私としては市長になるということは市政全体に責任を持つことだと考えていたわけです。

>ともあれ、選挙のことだけ考えている人ですから、選挙では勝つわけですが、そのあとやりたいことは減税と議員報酬半減だけで、行財政改革も各分野の問題解決もめんどくさいことはやりたくないわけですから、今後も議会相手に広い意味での選挙運動のようなことばかりやり続けるのでしょう。大阪など応援にいく所もあるし。

市長という仕事をやる気がないということが市民の多数に理解されるまでは、もう少し時間がかかるでしょうが、事実ですからいずれは理解されるでしょう。

と、それがリフォーム詐欺の片棒担ぎであったという風に認識されるようにはなったようなのですが、

そして、コメント欄である方がその趣旨を明示しておられますが、

>「河村台風」を退治するとも書かれていますが、この「台風」を発生させた立役者は、事実かどうかは知らないけれど、後さんご自身だという話も聞いています。その通りであれば、「河村台風」というモンスターを世に送り出したはいいけど制御できなくなって逃げ出し、離れた所から他人事のように批判しているようにも見えます。

正直、過去の罪責を云々するよりも、これからのことに対する姿勢の方が大事でしょう。その意味で、こちらの記事は身体から力が抜ける思いがします。

http://blog.canpan.info/jacevo-board/archive/232

>毎日新聞によれば、注目の4月東京都知事選挙にワタミ会長の渡辺美樹氏が「みんなの党」から立候補しそうです。もし実現すれば大ホームランです。自治体経営のモデルが見られるかもしれません。

小説『青年社長』や渡辺氏の著書をこのブログでも紹介してきましたが、都知事候補としては文句ありません。ちゃんと仕事をしてくれるでしょう。なって騒ぎたいだけのどこかの市長とは違います。

どうして「違います」と思えてしまえるのかが不思議なのですが、魔法使いの弟子は永遠に魔法使いの弟子なのかも知れません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-9826.html(山口二郎氏の反省その2 参加や直接政は必ずしも民主主義を増進させないのか!?)

雑誌『月刊マスコミ市民』2月号で、山口二郎氏が今さらのように「参加や直接政は必ずしも民主主義を増進させないのか!?」と語っています。

>大阪の動きを見ていて私たちが反省しなくてはいけないと思ったのは、参加とか直接政といった概念が、決して自動的に民主主義をもたらすわけではないということです。憎悪や怨念など人間の感情を基にした参加は、極めて破壊的な効果をもたらすことがあるのです。

立派な政治学者が今頃になってそんなことを言い出さないでよ!!といいたくなりますね。

実は、山口二郎氏と私は同年齢。同じ年に同じ大学に入り、同じような環境にいたはずですが、私がその時に当時の政治学の先生方から学んだのは、まさに歴史が教える大衆民主主義の恐ろしさであり、マスコミが悪くいう自民党のプロ政治のそれなりの合理性でした。

>今までは、自民党一党支配という大きな構造や霞ヶ関の官僚支配といった強固な枠組みがありましたので、これを崩すためにはローカルな参加や直接政が有効であると考えてきました。しかし私は、それらが必ずしも民主主義の増進に寄与するわけではないことを痛感しました。

今ごろ痛感しないでよ!と言いたいところですが、山口氏の同業者には未だに痛感していない、どころかますます熱中している方もおられるようなので、それ以上言いませんが。

ついでに言うと、政治学者と同じぐらい罪深いのは政治思想学者じゃないかと思ってます。「熟議」とかなんとか、横のものを縦にしただけの薄っぺらな議論をやってると、その言葉をポピュリストにうまいこと流用されるだけ。

大向こう受けだけを狙った朝まで生テレビ的超浅薄な議論が「熟議」にされちゃって、あんた等がさんざん悪く言っていたその分野に精通した自民党プロ政治家の利害関係者の利害得失をとことん突き詰めた「熟議」は、利益政治の名の下にゴミ箱に放り込まれてしまっていますよ。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_46a5.html(山口二郎氏の反省)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-c012.html(山口二郎氏と竹中平蔵氏の対談)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-54bc.html(政治とは悪さ加減の選択)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-c357.html(こりゃだめだ)

(一応念のため)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-28b3.html(「熟議」は「維新」)

>まあ、下世話な話といえばそうかも知れませんが、向こう三軒両隣にちらちらするフツーの人々は、むつかしげな政治思想の本なんかそうそう読むわけではありませんから、「熟議」とかいう新しげな言葉は、橋下さんちの「維新の会」みたいなやり方のことをいうんだろうなぁ、とたぶん何の違和感もなく思うんだと思いますよ。

>>大阪府の橋下徹知事が代表を務める地域政党「大阪維新の会」が府と大阪市の再編に向けて7月以降、市民参加型の公開討論会「熟議(じゅくぎ)会」を府内数カ所で開催することが7日、分かった。・・・維新は今秋にもダブル選が予想される知事選と市長選を視野に、熟議会を「大阪都構想」実現に向けて市民を巻き込む新戦略にしたい意向だ。

>なるほど、「熟議」ってのは、守旧派の既成政党がぐだぐだ言って動かないのをむりやり動かすために、なにやら「市民」さまを持ち出して言うこと聞かせることなんだなぁ、と、ここ十年ばかりの物事を見てきたフツーの人々は思うのでしょうね。名古屋方面でも、そんな感じだったようだし。

>>熟議会は維新にとってはこうした手詰まり感を打開する一手ともいえ、「これまでのタウンミーティングの進化形」(幹部)と話し、市民側の議論の活発化を狙っているとみられる

>いやぁ、「市民側の議論の活発化」ですか。まさに、「市民」主義の皆様方がここ十年ばかり目指してきた路線ではありませんか。涙がこぼれるくらい素晴らしいです。これぞ「市民維新」でしょうか。

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「ちゃんく」さんの拙著評

Chuko「ちゃんく」さんがツイート上で拙著『若者と労働』について、次のように評されています。

https://twitter.com/chunk_par108/status/429995984144183296

濱口桂一郎著「若者と労働」。氏がかねてより展開する「ジョブ型雇用」「メンバーシップ型雇用」論のほか、職業と教育の関係にも触れている。「日本版・ワークシフト」といってもいい内容かも。これから「入社活動」に入る大学生だけでなく、進学するであろう高校生にも勧めたい本。

 

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産業報国会研究

『大原社会問題研究所雑誌』2月号(664号)が「産業報国会の研究に向けて」という特集を組んでいます。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/664/index.html

産業報国会研究の可能性 榎 一江   
産業報国会とドイツ労働戦線の比較に関する準備的考察 枡田大知彦   
戦時経済史研究と産業報国会 平山 勉   
工場委員会から産業報国会へ 金子 良事

おなじみの金子良事さんも寄稿していますが、この中で一番興味をそそられたのは、枡田さんの論文でした。そこで引かれているナチス労働法やドイツ労働戦線に関する当時の本を、『団結と参加』を書くときに一通り読んでいて、それと産業報国会との思想的な関係はどうなんだろうと思っていたこともあります。少し前のイタリアファシズムや、ソビエトの共産主義も含め、党国家主導型の労働組織の流行した時代という観点で横断的に見られないのかな、という気持ちもありますが。

このあたり、かつて政策研究大学院大学で外国人学生に講義していたときに、こんな資料を作っていました。産業報国会のことを「Industrial Patriotic Front」と訳したのは、何かを参考にしたはずですが。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/4HistoricalDevelopmentIndustrialRelations.doc

http://homepage3.nifty.com/hamachan/4HistoricalDevelopmentIndustrialRelations.ppt

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中小企業労働者に「交渉力」があるのか?

大内伸哉さんがブログ「アモーレと労働法」で、「中小企業の労働者の交渉力」という記事を書かれているのですが、個々の事実についてはそうだと思いながら、全体の構図には大変違和感を感じたので、そのあたりを述べてみたいと思います。

http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-b35b.html

どうも経済学者の方の間には,解雇ルールによって保護されているのは,企業別組合のサポートを受けることができる労働者だけであって,それは実際上は大企業の正社員であるという理解が一般的なようです。中小企業の労働者が無権利状態であるというのは,全くのデタラメとまでは言えませんが,労働委員会の実務をやっている人(事件の数が少ない,いわゆる「ゼロワン」県の労働委員会では違うかもしれませんが)の多くは,違和感をもっていると思います。今日の労働組合運動の主流を担うのは,コミュニティユニオンかもしれないのです。確かに数の上では企業別組合の組合員数の方が圧倒的に多いのですが,いわゆる実質的個別紛争という今日の労使関係におけるホットイシューの主役は,コミュニティユニオンです。そこでは,労働組合としてのパワーがいかんなく発揮されています。私は労働組合法をめぐる議論においても,実質的個別紛争のことをきちんと踏まえなければならないと考えており,一昨年に出版した『経営者のための労働組合法教室』(経団連出版)でも言及しています(61頁,168頁以下)。ここでも少し説明しておくと,例えば解雇紛争で言うと,労働者が解雇された後,住んでいる地域のコミュニティユニオンに加入し,その後,そのユニオンが解雇をした経営者に対して団体交渉を申し込んだとしましょう。経営者は,もちろん団体交渉に応じなければなりません。解雇の時点では組合に加入していなくても,その解雇の有効性について争いがある限り,依然としてその経営者は解雇された労働者を雇用していると判断され,したがって,コミュニティユニオンに対しては,使用者として団体交渉に応諾しなければならないのです。経営者には誠実交渉が求められますが,企業別組合と違って,基本的な交渉や協議のルールが定まっていないことが多いでしょうから,ときには最初から激しい応酬が繰り広げられることがあります。最近では,こういう経営者を守るためのビジネスもあるくらいです。コミュニティユニオンは,ある意味では本来の労働組合運動の正統な流れを引いているとも言えるのであり,その活動は労組法上全く問題がないと解されています(私は個人的には個別的な紛争が義務的団交事項と言えないではないかという疑問は持ってはいますが,もちろん,労働委員会の実務では,実質的な個別紛争であっても義務的団交事項であることを前提に事件処理をしています)。解雇に限らず,何か紛争があってからの「駆け込み寺」としてのコミュニティユニオンはかなりよく機能しているのではないかと思います。これは,伝統的な企業別組合が,困っている労働者の組織化ができていないことからきているのでしょうが,とにかくこの実態を見るならば,企業別組合に組織されていないからといって,解雇があれば泣き寝入りということばかりではないのです。この状況を中小企業の労働者の交渉力があるとか,非正社員の交渉力があると短絡的に評価してはならないのでしょうが,ただコミュニティユニオンの門戸は広く,そこにいったん加入すれば,団体交渉,争議行為,街宣活動等,あの手この手のプロの圧力手段で応援してくれるので,その段階ではもはや経営者をほうが強い立場にあるとは言い切りにくくなります。解雇紛争のほとんどすべては最後は金銭解決ですが,その額はかなり労働者側に満足のいくものになっていると予想できます。
 私の『解雇改革』(中央経済社)の本について,中小企業における労働組合の欠如という事情が十分に考慮されていないのではないか,というコメントをいただいたこともあるのですが,私としては,いま述べたようなことから,認識を異にしているのです。むしろ拙著では,例えば88頁でコミュニティユニオンを,金銭解決と関連して言及しています。今後はコミュニティユニオンの活動の実態も踏まえて議論をしていった方がよいと思っています。なお誤解を招かないように言っておきますが,これはコミュニティユニオンは困ったものだと考えているわけでは全くありません。むしろ,その逆でコミュニティユニオンはよくやっているのです。だから経営者はきちんと法律を学んで応対しなければならないというのが『経営者のための労働組合法教室』で書きたかったことであり,さらに政策においても,そのことを踏まえた議論をした方がいいと言いたいのです。

そもそも、大変な数の中小零細企業の労働者のうちで、解雇されたりいじめを受けてコミュニティユニオンに駆け込んで解決した人というのはやはりごくごく少数派であって、圧倒的大部分はそうじゃないわけですが、

それよりも気になるのは、個別労働紛争が起こってからその解決のために集団的労使紛争という形式をとることによってどういう風に役立ったかという話を「交渉力」と呼んでいいのか?という問題です。

そういう場面における「解決力」がコミュニティユニオンにあるのは確かです。しかし、それは、本来的な集団的労使関係において、労働条件を一方的に決定させることなく、使用者に労働者側の意思をなにがしか吞ませることのできる、そういう対等な労使関係の下で働くことを可能にするような、そういう「交渉力」とは位相を異にするものではないでしょうか。

言い方を変えれば、そういう意味での「交渉力」が無いが故に、中小企業労働者は解雇やいじめや労働条件切り下げなどといった事態が発生した後から、コミュニティユニオンに駆け込んで、集団的紛争の装いをした個別紛争を戦わなければならないわけです。その場面でのコミュニティユニオンの「解決力」の高さ自体が、それ以前の個人としての中小企業労働者の「交渉力」の乏しさを示しているわけでしょう。

もちろん、労働法学の建前論としては、そういうものも本来的な集団的労使紛争と差別的に扱ってはならないものですから、規範論としてそういう議論になるのはいいのですが、それを現実認識として、中小企業労働者もスパスパ解雇されてから駆け込みでユニオンを使えるから「交渉力」があるという言い方をするのは、社会科学の言葉としては適切ではないように思われます。

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『新しい労働社会』評プラスα

1310391459889134009632009年の拙著『新しい労働社会』への新たな書評が、「地方公務員の日々淡々」さんのブログに載りました。

http://blog.goo.ne.jp/kurumei/e/e114b6020c8c206e73f40aaea3d74e5d

「新しい労働社会」(濱口桂一郎著、岩波新書)読了。さすが岩波新書、という感じの非常に充実した内容の本で、「日本型雇用システム」を出発点に論じていて、日本の雇用の仕組みの欧米との違いや、さらには先日読んだ「現場主義の競争戦略」(藤本隆弘著、新潮新書)あたりの内容が立体的に見えたりする。一回読んだ程度ではとてもではないが理解しきれない。毎日少しずつ読んだが、新書で200ページ程度しかないにもかかわらず2週間かかったし、あと2~3度はじっくり読みたいところ。いずれにせよ、非常に面白いし、よく理解できる。

2週間かけてじっくり読んでいただいたということで、大変ありがたいことです。

最後に私自身について、こんなコメントを。

本を読む限りは、どことなく大学者然とした感じがしたのだが、筆者の濱口氏は1958年生まれとのことなので、まだ55~6歳。労働省で長年勤務していたとのこと。今後の活躍が楽しみでもある。

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