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2014年1月 3日 (金)

樋口美雄「経済の好循環実現に向けた課題」@ESRI

内閣府の経済社会総合研究所の『ESR』冬号に、樋口美雄さんの「経済の好循環実現に向けた課題」というインタビュー記事を載せています。

http://www.esri.go.jp/jp/esr/data/esr_003.pdf

その中で政労使会議におけるマクロの賃上げ論議の意義を、次のように明確に述べています。

(樋口)・・・日本の雇用者の賃金は基本的に個別労使における賃金交渉で決められてきました。従来は、春闘という形で各企業とも同時期に労使交渉を行い、それが社会的に他企業へ波及するメカニズムが働いていました。今でもそういった形は残っていますが、個別労使での賃金交渉という議論が強まる中で、それぞれの企業と組合にとって何がベストの選択なのか議論され、その結果、波及効果が失われてきました。そこで、今回は個別労使だけではなく、全体的に労働組合と産業界トップの方々に御参加いただき、また政府も入って、賃上げについて議論していくことになりました。その役割は、一つには雰囲気づくりがありますし、さらには政策を提示しながら、情報共有を通じて、個別労使交渉における合理性の結果が社会全体のプラスになっているかという点まで含めて議論いただくことだと思います。

─ 日本の賃金交渉は非常に分権的で、ミクロの合理性がマクロの合理性に結びつかないというお話でした。確かに日本の賃金交渉はかなり分権的なものに位置づけられると思いますが、80 年代に、インフレの下において、集権的な労使交渉か、または分権的な労使交渉の方が賃金を抑制するのにはよく、産業レベルで交渉を行っていると賃金引上げ幅が大きくなって、なかなかインフレが抑えられないという議論があったと思います。以前と異なり、今ではむしろ分権的な交渉スタイルが賃金引上げを難しくしているのでしょうか。

(樋口)賃金決定のメカニズムが分権的か集権的かは、一つは賃上げにどう影響を与えるか、もう一つは失業問題あるいは雇用創出にどう影響を与えるかという、二つの尺度から見なくてはいけないと思います。過去5 年間くらいの労働市場のパフォーマンスを考えると、アメリカやヨーロッパでは生産性の向上を上回る賃金アップが起こっています。それに対し日本では、生産性の伸びの方が高く、賃金は横ばいか下がっています。賃上げで見ると確かに日本のパフォーマンスは悪いのですが、一方で失業率を考えると、他国では急激に上昇する中で、日本はパフォーマンスが高いと評価できます。
なぜそういった違いが生まれているかを考えると、賃金決定が分権的であればそれぞれの企業業績に応じて賃金を決めるのですから、業績が悪くなれば雇用を守るために賃金引下げも行われうることになります。
また、労働市場の構造を考えると、日本では外部労働市場が未整備であることから、どうしても何とか雇用を守らなくてはいけない。企業から排出されてしまえば長期失業を覚悟しなくてはいけないですし、うまく就職できても賃金が低下してしまうことがあります。
一方、アメリカなどでは、労働組合が平均賃金を引き下げるから雇用を守ってくれと申し入れたとしても、必ずしも経営側がよしとしないわけですね。その企業の平均賃金が下がりますと、外部労働市場が整備されていて転職コストが低いため、優秀な労働者が他の企業に転職してしまう。優秀な労働者が転職してしまえば、残っているのは生産性の低い人たちになるので、企業としても、平均賃金は下げてもそれ以上に生産性が下がっては合理的でないと考えます。このように、単に賃金決定が分権的か集権的かというだけでなく、どれだけ外部労働市場が充実しているかによって違ってきます。

こういう日本以外では労働側、左派の側が論じるようなことが、日本ではすっぽりと抜け落ちてしまい、東京新聞に至っては、昨年末に自分では労働側に立ったつもりでこういうリベサヨな社説を平然と掲げる位なのですから、

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013122402000147.html政労使会議 自主的な賃上げが筋だ

政府と労働組合、経済界による政労使会議が「賃上げ」で合意したことは、政府が労使交渉に介入するあしき前例にならないだろうか。賃下げや解雇までもが、政府の裁量でできてしまいかねない。

・・・政府はあれこれ介入せず、賃金については、最低賃金だけを決めるといった環境整備に徹すべきだ。政府が「何でもできる」のであれば、それはもう自由主義経済ではない。計画経済や統制経済である。勘違いに気付くべきだ。

ミクロな企業レベルの合理性を脱し得ない企業別賃金交渉しか視野にない点に加え、解雇云々についてもあたかも国家の法律で解雇できたりできなかったりするかのように思い込んでいるところが、見当はずれな一部の解雇自由化論者とまったく同型的であるあたりも、日本型リベサヨの日本型ネオリベと共有するガラパゴス症候群がよく浮かび上がっています。

と、話が横道にそれましたが、その先では「失業なき労働移動」に関わって雇用システムのあり方についても論じています。

(樋口) 労働力が余っている企業・産業から足りない企業・産業に移動することは、マクロ的にも個々の企業にとっても望ましいと思います。また、働く者にとっても、自分を必要とするところに移動することはプラスだろうという面もある。労働市場の流動化そのものは高く評価されるべきと思います。それを具体的にどう実現していくかで、現在の議論は解雇規制の緩和からスタートしているわけですが、失業なき円滑な労働移動を実現するためには、その一方で、企業の内部労働市場をどうするかを考えるべきではないでしょうか。日本では、企業の側にいろいろ無限定な裁量権を与え、大企業ではその下で雇用は保障してくれる形になっていて、企業内異動は、職種の変更も含めて非常に頻繁に行われています。結果として、個々の労働者にとってジョブがなかなか明確に見えず、あるいは選択できないところがあります。個々人の立場からすると、企業の裁量に基づいて異動してきたにもかかわらず、業績が悪くなったから整理解雇ですと言われた場合に、自分のできる仕事やキャリア形成が明確になっておらず、選択できないために、他の企業で仕事を探そうとしても、再就職が難しかったり、どうしても雇用条件が悪化せざるを得ない面があります。ですから、内部労働市場つまり企業の中で、個々人のキャリア形成を認めていく方向に進んでいかないと、なかなか労働市場の流動化は起こらないと思います。この動きが進むことで、労働者にとっては企業に残る選択肢も他の企業に転職する選択肢もでき、初めて企業と労働者の間で交渉上の地歩が対等になってきます。

─ 日本企業は、労働者が幅広いジョブローテーションを通じて幅広い熟練を身につけ、それが生産性を上げるのに役立ってきたという議論があったと思いますが、今のお話は、それをあまり広げ過ぎず、少し限定した方が望ましいということでしょうか。

(樋口) やはり個人が意識して仕事を選ぶことが重要だと思います。日本企業では、個人が自主的にジョブを選んでいるわけではなく、企業側の都合で行われてきたわけです。過去の成長期には、経済とともに企業も成長し、社内において新しい部門や業務が増えていったため、社内異動によって能力を活用できるところがありました。しかし、最近は企業が成長しない中で雇用をどのように守るかというところで、人件費の削減という形で非常に内向きになっているところがあります。また、ジョブもある程度広がりを持たないと能力は向上していかないですから、ある程度幅のある柔軟なジョブの概念が望ましいことになります。要は、個人が自らステップアップしていくチャンスを作れるかという点と、その上で個人が意図的にステップアップしていくインセンティブを高められるかということだと思います。それが社会的に実現できてこそ、労働者の自己責任や、ワークライフバランスの議論もできるようになると思います。「多様な正社員」の議論も、こうしたことにつなげていかなければならない。

また、自称経済学者が勘違いしてやまないサービス業の生産性の問題についても、

前に御質問の中で出ていたサービス業ですが、確かにアメリカと比較すると、日本は第三次産業を中心に生産性が低いわけです。だからといって、日本のサービスの質がアメリカに比べて見劣りするかというと、決してそうではない。これには、サービスの質と料金が必ずしも対応しておらず、サービスが安過ぎるということもあります。しかし、値上げをすると他の企業に顧客が持っていかれるという危機感がある。サービス自体が企業を超えて非常に画一的なものになり、価格競争に引き込まれているところがあります。そこで、どうすれば付加価値を高め、高い値段でもサービスを買ってもらえるのかという意識が非常に重要で、他の企業や地域ではまねできない独自性を出すことが求められます。
また、日本だとサービスはただという意識がありますが、これほど労働集約的な仕事はないわけですから、よいサービスに対してはそれなりの対価を払うことも必要ではないでしょうか。質の高いサービスに払う料金を安くすることで何とか顧客を確保しようとしてきたところがあると思いますが、それだけをしていたのでは限界があります。各企業ではいろいろな取組が行われつつあって、必ずしも安い値段での競争ではなく、サービスの質を向上させることで競争しようとするところも出てきています。今まで価格という一次元で競争してきましたが、それを多元的な競争に切りかえていくことが重要なのではないでしょうか。
効率性というと何となく人を減らしてということになりますが、人をどのように大切に使うかも非常に重要ですし、ワークライフバランスの議論ともつながってくるのですが、会社にとっても、働いている人にとっても、また社会にとっても時間は有限です。したがって、時間を大切にするような働き方、いかに付加価値を高められるように時間当たりの効率をよくして無駄なことを減らしていくかが重要です。やはり労働は貴重な資源だというところに議論が戻るのだと思いますね。

本当にわかっている人は、どの問題についても的確なことを語るということがよくわかるインタビュー記事です。マスコミの人々も、人を煽るしか能のない低レベル評論家ばかり使いたがらず、こういうまともな意見をちゃんと伝えるようにしないといけませんね。

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コメント

樋口さんの話もステレオタイプ化した綺麗事で、こういう人に問題の本質やあるべき方向が分かっているとは到底思えませんが、大先生にいまさら考え方を変えろと言っても仕方のないことで、それはさておき、東京新聞の社説も贔屓の引き倒しとでもいうか、これは完全にわかってない人が書いてますね。ただ問題なのは実は連合や主要産別のトップもこの社説子と同じ発想なんですよ。昨年末の政労使対話の合意文書にも「賃金は個別労使の交渉で決めるもの」との一文が黒々と大暑されているでしょう。なんで個別にこだわっているのか。経営者団体はともかく連合もですから。個別交渉に頼ったら各個撃破されるからナショナルセンターが全体をまとめる春闘方針を決めて、各構成組織が産業別統一闘争で経営側と交渉するわけですから。ニューディール政策ばりに会社組合は不当労働行為で禁止しないとだめなんでしょうか?解雇の自由化にしても特定秘密法じゃないんだから、国が介入してくるわけがないですよね。国の政策は我が国の支配層たる財界に解雇も労働条件も好き勝手にできるようにさせることですから(それほどまでに資本主義の危機が深化しているということ、この認識が重要です。いわゆるリベサヨさんだけでなく樋口さんも分かってませんよ)国ではなくて総体としての経営層とどう切り結んでゆくのか、ここの戦略をしっかり持たないと我が国の労働運動も存在意義を問われますね。

そのあたりの話、今月刊行される連合総研の『DIO』1月号に書いたシュトルムタールの本の紹介みたいな文章の最後のところで、やや突っ込んで書いてます。いや早川さんはすでに原稿をお読みになってるわけですが。

その一節を自分で引用したいところですが、まだ出てないのにフライングするわけにはいかないので、早川さん以外の方には、隔靴掻痒ですけど、まさにそういうあたりの問題意識を述べているつもりです。

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