フォト
2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 労働組合としては当然 | トップページ | センター試験における労働法問題 »

2014年1月19日 (日)

何回目かのデジャビュ

ねずみ王様の

https://twitter.com/yeuxqui/status/424524771162722304

リベラルって、アメリカとヨーロッパで意味が違っていて、アメリカ的用法だと、ニューディールの理念、つまりはアメリカ国内であれば、福祉国家の理念を支持する側を意味するのだから、ヨーロッパ趣味か、アメリカ趣味かで、ソーシャルとリベラルを使い分けるしかないんじゃないですかね。

に始まるツイートを見て、なんだか猛烈にデジャビュを感じたので、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-e644.html(リベラルってなあに?)

yeuxquiさんの

http://twitter.com/#!/yeuxqui/status/199723215185133568

マスコミの人たちで自分をアメリカの意味でリベラルだと思っていたひとは、じつはまったく正反対で、むしろフランスの意味でリベラル=サルコジ風で、頭のおかしい共和党支持者に近かったことにそろそろ気がつくだろうか。

いやあ、そいつは無理でしょう。

もう6年も前に、同じようなことを言ってた記憶が・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_c7ac.html(リベラルとソーシャル)

しかし、少なくとも欧州的文脈でいえば、リベラルとソーシャルという対立軸は極めて明確。それが日本でぐちゃぐちゃになりかけているのは、ひとえにアメリカの(本来ならば「ソーシャル」と名乗るべき)労働者保護や福祉志向の連中が自らを「リベラル」と名乗ったため。それで本来「リベラル」と名乗るべき連中が「リバタリアン」などと異星人じみた名称になって話がこんがらがっただけ。そこのところをしっかり見据えておけば、悩む必要はない。

もちろん、「第三の道」など両者を架橋する試みは繰り返しあるが、それもこれもリベとソシの軸がしっかりあるから。そして、経済学はじめ諸々の社会科学においても、これが最も重要な政策判断の軸であることになんの変わりもないし、およそ社会思想史なるものを少しでも囓った人間であれば、これが近代社会における最も重要な政治的対立の軸であることも分かるはず。

考えてみれば、本ブログの開設当時から、コウゾウカイカクとリフレの対立が人類の歴史で最も重要だなぞというたぐいの超近視眼的わけわかめ理論に対し、「をいをい」と当たり前のことを言い続けてきて疲れましたわいな。

2006年から同じことを言ってるんやな、と。

(ちなみに)

http://ch.nicovideo.jp/nk-gendai/blomaga/ar438728(仰天構想 細川新党でリベラル結集)

お茶会を楽しむ欧風リベラルな皆さんですな。

« 労働組合としては当然 | トップページ | センター試験における労働法問題 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 何回目かのデジャビュ:

« 労働組合としては当然 | トップページ | センター試験における労働法問題 »