フリーアルバイターの元祖
拙著『若者と労働』の152ページに、フリーターという言葉の語源についての記述があります。これは、ウィキペディアの記述をそのままもってきただけなのですが、
「フリーター」の語源
「フリーター」という言葉の語源については、ネット上の百科事典であるウィキペディアに詳しい説明があります。そのはじめの方は私も知らなかったことですが、興味深いので引用しておきたいと思います。
それによると、一九八五年五月に、都内でライブ活動をしていたシンガーソングライターの長久保徹氏が、夢に向かって自由な発想で我が道を走り続けた幕末の坂本龍馬が好んで発したという英語の「フリー」に、ドイツ語のアルバイターを連結して「フリーアルバイター」を造語したのだそうです。
翌一九八六年三月に、朝日新聞にフリーアルバイターという造語が紹介されたのを機に、各新聞社が取り上げ、全国的に流行語になっていきます。そして、一九八七年にリクルート社のアルバイト情報誌『フロムエー』の編集長だった道下裕史氏が、このフリーアルバイターをフリーターと略し、映画『フリーター』を制作し公開したことで、フリーターという言葉が定着したということです。
ここに登場する長久保徹さんが、たまたま拙著をご覧になって、そのことをご自分のサイトに書かれています。
1985年5月
ヤマハのライブハウス渋谷エピキュラスでのことだった
ポピュラーコンテスト、通称ポプコンの司会者がボクに尋ねた
「フリー・アルバイター」ってどういう意味ですか?
ボクはインタビューに答えた
コンテストのプロフィール用紙に職業欄があった
当時、思いつくのは、「無職」「アルバイト」「プータロー」などあの頃はまだ、卒業したら就職ってのが当たり前の時代だったから
ボクのように夢のために就職しないってのは肩身が狭かった
故郷のおふくろは夜も眠れない
親戚や世間様に会わす顔もない
それは、土佐藩を脱藩した坂本竜馬のような境遇その坂本竜馬の口癖だったという『FREE(フリー)』を冠にして
「フリーアルバイター」と自称した
これを初めて聞いた観客席はとどよめいた
これが客席に混じっていた審査員の作詞家松井五郎氏や作曲家村田博之氏らを介して世の中に広まっていったのだった暫くして、朝日新聞を皮切りに公的な職業用語となって広辞苑にも載せてもらえるようになった
音楽を志しながら、初めて世に送り出したのは
「フリーアルバイター」という言葉だった
とにかく、これだけは大ヒットしたいずれにしても今回
労働学の第一人者濱口桂一郎氏の著書『若者と労働』(中公新書ラクレ)に掲載していただき
素直にうれしい
「フリーアルバイター」は
ボクの二十代の歴史そのものだからなお、この掲載を知ったのは、仙台の書店でだった
偶然入った書店で、開いた本の中にボクの名前があった
それは、SERENDIPITY
また、先週の水曜日、NHKのテレビ番組で濱口桂一郎氏を初めてお見かけした
こうしていろんなものごとがつながっていくのですね。
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コメント
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再び、たまたまですが、こちらのページにたどり着きました。元祖フリーアルバイターの長久保徹です。こういう書き込みは、普段ほとんどする機会がないのですが、濱口先生が、私のホームページをご覧になってくださって、ご紹介くださっているので、お邪魔しました。先生とご一緒に、お酒
でもいただきながら労働問題をお話しさせていただく機会があったらいいなあと思っております。
投稿: 元祖フリーアルバイター | 2014年2月 3日 (月) 16時27分