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2014年1月

坂倉昇平『AKB48とブラック企業』

2012というわけで、昨晩話題に上がった坂倉さんの『AKB48とブラック企業』(イースト新書)が今日届きました。ありがとうございます。

http://www.eastpress.co.jp/shosai.php?serial=2012

ゼロ年代にミリオンセラーを連発しながら、労働問題を歌い続けるアイドルがいる。AKB48だ。作詞家・秋元康が手がけた歌詞の数々は、日本の労働をめぐる写し絵となっている。会社人間、格差社会、自由競争、就活、ブラック企業、雇用の流動化……。それはAKB48自体が、この国の雇用システムの再現でもあるからだ。本書は約五〇ものAKB48の楽曲を解説し、それらが日本の労働の現実に迫り、その改革を模索するワークソング(労働歌)であることを示す。AKB48を知ること、それは日本の雇用のリアルを知ることだ

たぶん、労働に関心のある系の人にとっては、あまりよく知らない名前とあまり聞いたことにない歌詞が次々に出てくる本なんですが、逆にAKB48はよく知ってるけれど・・・系の人にとっては、その歌詞や活動のあれこれが、見事な手際で「絵解き」されていくという本に見えるのではないか、と感じました。

AKBを論ずることがそのまま日本の雇用のあり方を論ずることになるという、坂倉さん以外には思いつかないようなアイディアを一冊の本にしてしまった暴挙が、ノンエリートの生き方を雄弁に唱道する本になっているところが憎いところです。

一番読まれるべきは、AKB48の彼女たちと同世代の若い女性たちだと思います。そこに届くようなマーケティング、よろしく。

 

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『労働法の争点』

ジュリスト最新号に広告が出ていましたが、新しい『労働法の争点』が3月に出る予定です。今回は土田道夫、山川隆一両先生の編で、125項目にわたるものになるようです。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641113237

旧版刊行(2004年)以降の学説の進展や判例・裁判例の蓄積,労働契約法成立等の立法動向を踏まえ,激動の労働法を取り巻く最新論点を気鋭の執筆陣が明快に解説。労働法学の理論状況や今日的課題の所在を簡潔に示した,学部学生・法科大学院生必読の1冊。

このうち、わたくしは「従業員代表制の法政策」を執筆しております。

そのほか、誰がどの項目を・・・というのはなかなか面白いのですが、刊行されてのお楽しみということで。

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集団的労使関係システムの再検討

JILPTホームページに掲載されたコラムです。

http://www.jil.go.jp/column/bn/colum0240.htm

近年、派遣法、解雇法制、非正規労働、ジョブ型正社員、労働時間規制など、労働法制をめぐる話題は目白押しです。わたくしも新聞テレビなどマスコミから解説を求められることがしばしばあります。そうした際に、これからの労働法制の課題は何でしょうか?と聞かれると、わたくしは必ず、集団的労使関係システムの在り方をめぐる問題でしょう、と答えています。現時点では政労使いずれの側においても、集団的労使関係システムそれ自体は政策課題のアジェンダには挙げられていませんが、現在議論されている様々な課題の背後にはこの問題が影を潜めているのです。

政府の研究会が提起しているのは非正規労働の均等処遇問題の関係です。たとえば「非正規雇用のビジョンに関する懇談会」が2012年3月にとりまとめた報告書は、「労働契約の締結等に当たって、個々の企業で、労働者と使用者が、自主的な交渉の下で、対等の立場での合意に基づき、それぞれの実情を踏まえて適切に労働条件を決定できるよう、集団的労使関係システムが企業内の全ての労働者に効果的に機能する仕組みの整備が必要」と述べ、注釈として「集団的労使関係システムにおける労働者の代表として、ここでは、労働組合のほか、民主的に選出された従業員代表等を想定している」と書かれています。また、2011年2月の「今後のパートタイム労働対策に関する研究会」報告書でも、「ドイツの事業所委員会やフランスの従業員代表制度を参考に、事業主、通常の労働者及びパートタイム労働者を構成員とし、パートタイム労働者の待遇等について協議することを目的とする労使委員会を設置することが適当ではないか」と、かなり踏み込みつつも、「ただし、日本では、一般的には労使委員会の枠組みは構築されていないことから、パートタイム労働者についてのみ同制度を構築することに関して検討が必要となろう」と述べています。

こうした問題意識を踏まえ、労働政策研究・研修機構は2011年11月から1年半にわたって「様々な雇用形態にある者を含む労働者全体の意見集約のための集団的労使関係法制に関する研究会」(座長:荒木尚志東大教授)を開催し、昨2013年7月に報告書を公表しました。そこでは、現在の集団的発言チャネルの課題解決に向けたシナリオとして、 (1) 現行の過半数代表制の枠組を維持しつつ、過半数労働組合や過半数代表者の機能の強化を図る方策、 (2) 新たな従業員代表制を整備し、法定基準の解除機能等を担わせる方策、を提示しています。本コラムと同じJILPTのサイトにPDFファイルでアップされているので、是非お読みいただきたいと思います。

過去、労働契約法制定の際には、就業規則の不利益変更や解雇の金銭解決に関わって労使委員会の活用が提起されたこともありますし、現在検討が進められている企画業務型裁量労働制の見直しについても、労使委員会という集団的枠組みの正当性が問われることは間違いありません。労働組合の組織率が低下し続ける中、労働者の利益に関わる集団的な枠組みをどのように再構築していくのか。個別政策課題を貫く中期的課題として、集団的労使関係システムの再検討が重要なアジェンダとして浮かび上がってきつつあるのです。

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大内伸哉・川口大司『法と経済で読みとく 雇用の世界 新版』

L16429大内伸哉さんと川口大司さんの共著『法と経済で読みとく 雇用の世界 新版』(有斐閣)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641164291

初版刊後も,雇用政策や働く人々の環境はますます変化し続けている。解雇,非正社員,高齢者雇用等,喫緊の課題をさらに掘り下げ,終章は「政策を考える」視点で新たに書き下ろした。最新の動向をふまえ,広い視野で鋭く,これからの雇用社会の展望を描く!

ということで、終章の「これからの雇用政策を考える」が、近年の法政策に対する簡単なコメントになっています。

具体的には、賃金、解雇、限定正社員、有期雇用、労働者派遣、労働時間、おわりに、といった節立てです。


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「社員」を被用者という意味で使った戦時法令

『労基旬報』1月25日号所載の「「社員」を被用者という意味で使った戦時法令」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo140125.html

 拙著『若者と労働』では、日本の法律制度がジョブ型でできているという話の一環として、「日本国の法律で、「社員」という言葉が使われている箇所をすべて抜き出したら、それらはすべて出資者という意味の言葉なのです。エンプロイーという意味で「社員」という言葉を使っている法律は一つもありません」と述べました。これは、現在の日本国法体系に関してはまったくその通りなのですが、実は戦時体制下では「社員」を被用者という意味で使った勅令が存在していました。今回はややトリビア知識ですが、意外に戦後社会における「社員」像に大きな影響を与えたこの勅令について概観しておきます。
 この勅令は、1939年4月に制定された国家総動員法に基づくものです。同法に基づいて国民徴用令をはじめとする労務統制が行われたことや、その一環として賃金統制令による賃金統制が行われたこともよく知られています。賃金統制令はもちろん、当時の厚生省労働局の所管ですが、その対象たる「労務者」は、鉱業、製造、建設、運輸、農林、販売などの事業に雇傭され、賃金(「賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問はず」)を労働の対償として受け取る者です。この規定ぶりからすると、いわゆるホワイトカラーも排除されないように見えますが、当時の日本社会ではそうではなかったのです。こういったブルーカラー及び販売職の「賃金」は国家総動員法第6条(「従業者の使用、雇入、若は解雇又は賃金其の他の労働条件」)に基づき厚生省所管の勅令で統制されたのに対して、ホワイトカラーの「給与」は、同法第11条(「会社の設立、資本の増加・・・・償却其の他経理」)に基づき大蔵省所管の勅令で統制されたのです。
 その勅令「会社経理統制令」(1940年10月)は、「役員、社員其の他従業者の給与及其の支給方法を適正ならしむること」(第2条)を目的としています。役員と並んでいる「社員」とは、「会社に雇傭せらるる者」「顧問、嘱託其の他名称の如何を問はず継続して会社の業務に従事する者但し役員たる者を除く」(第9条)ということなので、これではブルーカラーも含まれそうですが、柱書で「賃金統制令第2条の労務者を除く」としています。「給与」も、「報酬、給料、手当、賞与、交際費、機密費其の他名称の如何を問はず会社が役員又は社員の職務の対償として支給する金銭、物資其の他の利益」(第10条)なので、賃金とほとんど違いません。
 統制内容も賃金統制令とほとんど同じです。「会社は閣令の定むる限度を超えて社員の初任基本給料を支給することを得ず」(第18条)、「会社は閣令の定むる限度を超えて社員の基本給料を増加支給せんとするときは主務大臣の許可を受くべし」(第19条)といった調子で、様々な名称の手当、賞与、退職金、臨時給与について事細かに統制しています。
 同時に制定された「会社職員給与臨時統制令」では、「職員」を役員及び「社員」と定義し、その「社員」は賃金臨時措置令の「労務者」を除く「会社に雇傭せらるる者」なので、やはり同じような分類になっています。こちらもブルーカラー等向けの賃金臨時統制令と同様、主務大臣の許可を受けた「給料手当の準則」によることなく「増給し又は新に支給することを得ず」(第5条)等と厳しく統制しています。
 この勅令はその後何回も改正されています。1944年3月の改正では、「増給」が「定期昇給を為さんとするとき及臨時昇給を為さんとするとき」とされ、定期昇給には「毎年一回又は二回一定の時期に於て為すもの」と、「臨時昇給」には「定期昇給の時期以外の時期に於て為すもの」という定義まで付けています。
 戦時体制になるまでは、内務省社会局・厚生省労働局といった機関が主としてブルーカラー向けに行う政策以外に労働政策は存在しませんでした。民法上「雇傭」契約で就業しているホワイトカラーの「給与」は労働法の対象ではなかったのです。ところが戦時体制下ではブルーカラーだけでなくホワイトカラーに対しても統制が必要になります。それを「会社経理」の枠組で実施したこと自体に、戦前の日本社会において、ホワイトカラーがブルーカラーとはまったく違い、会社経営者と同じ社会階級に属しているという認識が強固に存在したことを反映しています。それを表現する言葉が、当時といえども商法その他の実定法上の用語例からすれば異例な「社員」という言葉だったのでしょう。
 こうして、戦前的身分感覚に基づいてブルーカラー労働者向けの「賃金」統制とは別立てで行われた「給与」統制が、同じく戦時体制下で進められた工職対等のイデオロギーと相まって、戦後労働改革と労働運動の激動の中で、戦後型生活給的賃金制度の形成につながっていったことは、既に何回も書いてきたところです。ここで注目しておきたいのは、「社員」という言葉が雇用される労働者一般を指す用語として戦後広く使われるようになる一つの契機が、上で見てきたような戦時中の(ホワイトカラー向けの)給与統制法令にあるのではないかということです。戦時中の勅令は戦後すべて廃止され、今日に至るまで被用者を「社員」と呼ぶような法令は存在しません。もしどこかの役所がそんな馬鹿な法案を持ってきたら、内閣法制局はおもむろに商法以下の法令を見せて突っ返すでしょう。
 しかし現実社会では、戦時体制下でホワイトカラー向けに作られた用語がブルーカラーも含めた全労働者向けの言葉として確立していきました。戦後確立した賃金制度が、戦時賃金統制の影響を色濃く受けていることは、既に研究者によって繰り返し指摘されているところですが、そこに流れ込んでいるのはブルーカラー向けの賃金統制だけではなく、ホワイトカラー向けの(大蔵省所管であった)給与統制でもあったということは、必ずしも知られていないように思います。

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本日、今野晴貴さんの大佛次郎論壇賞贈呈式

本日、朝日新聞社主催の大佛次郎論壇賞の贈呈式に出てきました。あの『ブラック企業』の今野晴貴さんが受賞したということで、各方面の皆様ともお会いすることができました。

行くまでは知らなかったのですが、今日の贈呈式、朝日賞、大佛次郎賞、朝日スポーツ賞と一緒で、トップが宝塚歌劇団、最後が東北楽天イーグルス、仲代達矢さんもいるというすごいメンツでした。

その後の二次会では、今野節が炸裂しまくっていたようですが、酔っ払っていた私はあんまり記憶にありませんのであしからず。

何にせよ、もうすぐ刊行される坂倉さんのAKB本の話題だけが記憶に残っております。

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『教育格差の社会学』

L22013耳塚寛明編『教育格差の社会学』(有斐閣)を執筆者の一人である堀有喜衣さんよりお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641220133

教育は,どのような社会をつくりたいかという社会の将来像を示す。近年の教育改革は家庭教育を重視し,階層による学力格差が拡大する兆しがみられる。教育社会学の中心的なテーマである「教育の不平等」を切り口に,教育と社会のあり方を実践的に考える入門書。

第1章 学力格差の社会学(耳塚寛明)
第2章 カリキュラムと学力(山田哲也)
第3章 教育機会の均等(小林雅之)
第4章 学校から職業への移行(堀有喜衣)
第5章 社会化と逸脱(矢島正見)
第6章 ジェンダーと教育(小玉亮子)
第7章 国際教育開発の社会学(浜野 隆)
第8章 教育格差と福祉(白川優治)

堀さんの第4章は、このテーマの要領の良いまとめになっています。

章の最後の「Problem Thinking」には、次のような課題が示されています。

1 日本の正社員の雇用契約は、欧米のように人と職務が対応した「ジョブ型」ではなく、特定の職務を前提としない「メンバーシップ型」であるという指摘がある。本文で指摘したように、「メンバーシップ型」雇用契約を持つ日本的雇用慣行のもとでは、正式メンバーではない非典型雇用者は様々な場面で排除される傾向にある。若者の就職・採用やキャリア形成における「ジョブ型」雇用契約、「メンバーシップ型」雇用契約の利点と欠点について考えてみよう。

2 日本は少子高齢化が急速に進んでおり、労働力不足が懸念されている。こうした状況では労働市場が逼迫して若者に対する需要が大きくなるので、若者の教育から職業への移行は再び円滑になるという意見がある。この意見は正しいだろうか。近未来を予想してみよう。

3 あなたが困って誰かの助けが必要になったとき、保護者・親戚・知人・友達・所属大学を除くと、どんな人や機関に相談できるだろうか。自宅近くの若者支援機関について調べてみよう。

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『若者と労働』への書評

Chuko拙著『若者と労働』に対し、社労士の宗内正行さんがその「まるむブログ」で書評を書かれています。

http://marumublog.blogspot.jp/2014/01/blog-post.html

最近読んだ本を紹介したい。

「若者と労働『入社』の仕組みから解きほぐす」濱口桂一郎(中公新書)。漠然と、現在の日本の労働環境に関する内容を予期していたが、本書は、歴史的経緯を踏まえつつ現在の課題を浮き彫りにしている。欧米共通の労働原則である「ジョブ型」と、実際には日本の労働原則である「メンバーシップ型」とを対比しつつ、加えて日本での労働関連法制が「ジョブ型」の原則で成り立っていることから引き起こされる齟齬が、日本を取り巻く労働関連の課題の大きな要因であるとの指摘は、強い説得力をもつ。近年、若者の就活問題がクローズアップされているが、日本は実は「若者が仕事に就きやすいシステムである(あった)」という説明は、眼からウロコであった。

・・・・・・

以前本ブログで紹介した「キャリア教育のウソ」とも通ずる(著者である児美川孝一郎氏は本書にも登場する)内容である。日本の労働環境、ひいては日本の経済システムが直面する課題については、こういった冷静な分析を踏まえて対処すべきなのだろうと感じた。

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規制改革会議雇用WGで労働局あっせんについて報告

本日、内閣府の規制改革会議雇用ワーキンググループに呼ばれ、労働局あっせん事案特に雇用終了事案について報告してきました。

私以外には、一橋大学経済研究所の神林龍さんが裁判について、東大経済学研究科博士課程の高橋陽子さんが労働審判について報告し、この3つを並べて質疑応答がされました。

中身はいずれも公刊済みの研究内容ですが、規制改革会議の方々に改めて理解していただくという意味では重要な機会だったと思っています。

3人の資料はこちらにアップされています。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/wg2/koyo/140129/agenda.html

わたくしのは、『日本の雇用終了』のダイジェスト版みたいなものです。

スパスパ解雇の実例もずらりと並んでおります。

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籾井勝人氏って

C02623f9どこかでお会いしたと思ったら、日本学術会議の大学教育の分野別質保証の在り方検討委員会 大学と職業との接続検討分科会で委員をしていたときに一緒だったんだ。

http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/daigaku/pdf/kousei3.pdf

Gk

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アメリカの新卒採用

New

『日本労働研究雑誌』の特別号「2013年労働政策研究会議報告」は、メインテーマの「高齢社会の労働問題」をはじめ、興味深い論考がたくさん載っていますが、

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/new/index.htm

会議メインテーマ

高齢社会の労働問題(PDF:98KB)

2013年労働政策研究会議準備委員会

会議プログラム(PDF:168KB)

論文要旨

メインテーマセッション/自由論題セッション(PDF:513KB)

※メインテーマセッション、自由論題セッション第1・第2・第3分科会の論文要旨です。

討議概要

パネルディスカッション「高齢社会の労働問題」(PDF:305KB)

前浦 穂高(JILPT研究員)

メインテーマセッション●高齢社会の労働問題

論文

65歳雇用義務化の重み──隠された選抜、揺れる雇用保障[要旨]

高木 朋代(敬愛大学経済学部准教授)

年齢差別禁止と定年制──EU法・英国法の展開を手がかりに[要旨]

櫻庭 涼子(神戸大学大学院法学研究科准教授)

介護疲労と休暇取得[要旨]

池田 心豪(JILPT副主任研究員)

自由論題セッション●第1分科会(高年齢者の労働)

論文

高齢層の雇用と他の年齢層の雇用──「雇用動向調査」事業所票個票データの分析[要旨]

永野 仁(明治大学政治経済学部教授)

高齢層から若年層への技術伝承の現状と課題──建設業界における検証[要旨]

山﨑 雅夫(法政大学大学院政策創造研究科博士後期課程)

大企業の中高年齢者(50歳代正社員)の教育訓練政策と教育訓練行動の特質と課題──65歳まで希望者全員雇用時代における取り組み[要旨]

大木 栄一(玉川大学経営学部教授)

鹿生 治行(高齢・障害・求職者雇用支援機構雇用推進・研究部研究開発課所属)

藤波 美帆(高齢・障害・求職者雇用支援機構常勤嘱託(調査研究員))

高齢者におけるボランティア供給の決定要因に関する実証分析[要旨]

馬 欣欣(京都大学大学院薬学研究科医薬産業政策学講座特定講師)

自由論題セッション●第2分科会(職場とキャリア形成)

論文

私立中高校教員がキャリア形成をどう考えているか──首都圏私立中高校5校の教員75人へのインタビュー調査結果の分析[要旨]

古市 好文(法政大学大学院政策創造研究科博士後期課程)

中小企業におけるミドル・マネージャー層の育成──中小サービス業調査に基づく分析[要旨]

藤本 真(JILPT副主任研究員)

成果主義的人事制度改革への労働組合の対応──A労組の賃金制度改定の事例より[要旨]

三吉 勉(同志社大学大学院社会学研究科博士後期課程)

職場のいじめ、パワーハラスメントの行為類型の概念整理──被害者・第三者間のいじめ認識の乖離に着目して[要旨]

杉村 めぐる(JILPTアシスタント・フェロー)

長沼 裕介(早稲田大学大学院博士後期課程)

自由論題セッション●第3分科会(労働市場と労働法制)

論文

生命保険業界における余剰人員はどこへ行ったか[要旨]

小山 浩一(法政大学大学院政策創造研究科博士後期課程)

アメリカ企業における新卒採用──その実態と含意[要旨]

関口 定一(中央大学商学部教授)

韓国における女性の労働市場参加の現状と政府対策──積極的雇用改善措置を中心に[要旨]

金 明中(ニッセイ基礎研究所研究員)

韓国における就業規則の不利益変更への集団的同意──不利益変更の「有効要件」なのか「拘束力要件」なのか[要旨]

朴 孝淑(東京大学客員研究員)

このうち、ここで紹介しておきたいのは、関口定一さんの「アメリカ企業における新卒採用──その実態と含意」です。

え?ジョブ型社会では採用は原則として欠員補充なんじゃないの?もちろんそうなんですが、とはいえ、特にエグゼンプト層の採用については新卒採用も結構行われているようです。その実態を、データを基に明らかにした大変興味深い論考です。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2014/special/sum-32.htm

職業経験のない新規学卒者を卒業直後に定期的に一括大量に採用する政策は、日本企業に固有のものと看做されてきた。これに対して欧米諸国では、職業経験や職務に直接かかわる知識や資格をベースにした採用が行われ、新規学卒者は職業経験のある既卒者と同じマーケットで職を求めて競い合うという認識が一般的である。

本稿ではアメリカ企業における新規学卒採用の一部をなす「カレッジ・リクルーティング」または「キャンパス・リクルーティング」と呼ばれる採用方式の実態を長期にわたって観測し続けたノースウェスタン大学プレースメント・センターの報告書のデータ(1947年~1994年)を用いて、アメリカ企業における新卒採用の実態を再現し、その結果を、我が国の新規学卒採用と比較検討する。

この報告書の提供する情報は、アメリカ企業において新卒採用が以前から広く普及しており、制度的に日本の新卒採用と多くの共通点を有すること、しかしながら同時に、両国の労働市場・雇用制度の違いなどに由来すると思われる重要な差異も存在することを示している。

本稿では、日米の比較を通じて、これまで日本企業における実態観察の上に組み立てられてきたさまざまな仮説が、形式的に類似したアメリカの新卒採用の実態を説明する上でどれだけの有効性を持つのか、また、もしアメリカ企業において欠員補充ではない新卒採用が継続的かつ広く行われているとすれば、それは従業員の企業内キャリアや退職の仕組みとどのような関係を有しているのか、といった論点を議論する素材を提供することを意図している。

 

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赤木智弘氏のまっとうさとねじれ(再掲)

「ありす」さんが、改めて2007年に出た赤木智弘氏の『若者を見殺しにする国』について大量に引用しつつツイートされているので、

https://twitter.com/alicewonder113

参考までにそのときに本ブログで書いた論評を再掲しておきます。

問題構造は何ら変わっていない、というか、この期に及んでもなおリベサヨ全開の政治構図を全力で振り回す人々の群れが絶えない状況下で、ますます事態が悪化している印象すらあるので。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_c3f3.html(赤木智弘氏の新著)

41ad8n5htal_ss500_ 双風舎の谷川茂さんから赤木智弘氏の新著『若者を見殺しにする国』をお送りいただきました。有り難うございます。

前にこのブログで、目次だけでコメントした部分について、もう少し詳しく見てみましょう。「第2章 私は主夫になりたい」です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_89ec.html

>格差社会の一つの要因は、強者同士の結婚です。年収500万の男性と年収300万の女性が結婚すれば、年収800万の世帯が生まれます。その一方で、強者男性女性と結婚できない弱者男性は、年収130万程度の世帯を維持するほかありません。これでは、平等を達成することはできません。(p108)

>私は、こうした経済格差のありように対抗するため、男女という性差に社会責任(男は仕事、女は家事)を付与するのではなく、経済の強弱に於いて社会責任を付与(強者は仕事、弱者は家事)することを考えます。(p113)

>この構図を税金でたとえれば、「累進課税の強化」となります。直間比率の是正などと言う論理によって、裕福な人間の税金ばかりが安くなり、経済弱者に重い税負担がのしかかっている。こうしたネオリベラリズムな経済体制を批判する左派ならば、強者に対する思い社会責任の付与については、きっと賛成して貰えるはずです。

>とはいえ、「女性」というフィルターがかかると、なぜか「男性に対する負担増ならまだしも、女性に対する負担増はおかしい」などと、平等の軸がぶれてしまう。

なぜか、

>これまでの「弱者」概念というものが、「女性」「肌の色」「人種」「生まれた場所」などという、人間が自身の力であとから変えようのない「固有性に対する差別」による弱者を示しました。すなわち「平等を求める行為」というのは、そうした固有性によって人を差別しない社会を目指すと言うことです。

>一方で、右肩上がり経済社会における「経済弱者」というのは、あくまでも一時的な格差で発生した弱者だと考えられます。つまり、「努力すればやがて報われるような一時的な弱者」と言うことです。そうした状況は、バブル崩壊後の低い経済成長の社会になってからは変化し、「努力をしても報われない弱者」、すなわちワーキングプアを生み出しました。

>にもかかわらず、「固有性に対する差別」にこだわる左派の多くが、こうした状況をちゃんと把握しておらず、いまだに「努力すれば何とかなる」とか「一緒に労働運動をすれば何とかなる」などと主張しているのを知るにつけ、開いた口がふさがらなくなります。

>つまり、左派の人たちは。「固有性に対する差別」とたたかうことを強調するあまりに、「固有性でない差別」に対する理解が浅くなっています。それと同時に、彼らの主張は「自己責任論に対する親和性」が高いのです。(以上p114~115)

私はこの部分を読んで、赤木さんの社会に対する認識能力の高さを改めて確認しました。現在の様々なアクターに対する理解はかなり的確です。この文章で文句をつけるべきところは、「左派」という概念に対する通り一遍さくらいです。それは、やや耳にいたいかも知れませんが、歴史的知識の乏しさゆえではないかと思われます。

赤木さんにとっては、左派というのはいまの社民党みたいなものなのでしょうね。福島瑞穂さんみたいなのが「左派」の典型なのでしょうね。それは、年齢から考えれば、生きてきた時代状況の中ではまさにそうだったのですから、やむを得ないところがあります。

しかし、それは高度成長期以後のここ30年くらいのことに過ぎません。

それまでの「左派」というのは、「固有性に対する差別」を問題にするのはブルジョア的であり、まさに「努力しても報われない弱者」働いても働いても貧しさから逃れられない労働者たちの権利を強化することこそが重要だと考えるような人々であったのです。リベラルじゃないオールド左翼ってのはそういうものだったのです。赤木さんとおそらくもっとも波長があったであろうその人々は、かつては社会党のメイン勢力でもあったはずなのですが、気がつくと土井チルドレンたちが、赤木さんの言う「「固有性に対する差別」とたたかうことを強調するあまりに、「固有性でない差別」に対する理解が浅くなってい」る人々、私のいうリベサヨさんたちが左派の代表みたいな顔をするようになっていたわけです。この歴史認識がまず重要。

リベじゃないオールド左翼にとっては、「経済の強弱に於いて社会責任を付与」することは当然でした。当時の状況下では、これは、「女房子供の生活費まで含めて会社に賃金を要求する」こととニアリー・イコールでした。終戦直後に作られた電産型賃金体系が一気に日本中に広まったのは、そのためです。

しかし、やがてそういうオールド左翼のおっさんたちが、保守オヤジとして指弾されるようになっていきます。彼らに「固有性に対する差別」に対する感性が乏しく、「左翼は女性差別的」と思われるようになったからです。

ここまでの歴史が、おそらく赤木さんの認識の中には入っていません。その後の、オールド左翼が消えていき、社民党とはリベリベなフェミニズム政党であるとみんなが思うようになるのは、せいぜい80年代末以降です。そして、その後の彼らに対する認識は、赤木さんの言うとおりです。

リベサヨとネオリベが紙一重であるということは、実はこのブログでも何回も繰り返して述べてきたことです。そこを「左派」という言葉で括ってしまうと、せっかくの赤木さんの的確な認識が全然生きなくなります。むしろトンデモな言葉に聞こえてしまうのです。

この部分以外にもコメントすべきところは多いのですが、とりあえず今日のところはこの程度にしておきましょう。

なお、いくつか参考となるかも知れない文章をリンクしてきます。まず、「時の法令」という雑誌に載せた「差別と格差の大きな差

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sabetutokakusa.html

あと、お時間があれば、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_a90b.html(リベじゃないサヨクの戦後思想観)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_5af3.html(リベラルサヨクは福祉国家がお嫌い)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_a88b.html(超リベサヨなブッシュ大統領)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_0a5d.html(雇用平等はソーシャルか?)

最後に、このブログで赤木さんを最初に評論したエントリーです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_3f06.html(フリーターが丸山真男をひっぱたきたいのは合理的である)

(追記)

私の単純な書き写しミスで、男と男が結婚するかしないかというわけわかめな話になってしまいまして申し訳ありません。「強者女性と結婚できない弱者男性」です、もちろん。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)

昨日の続きです。

赤木さんは第3章「丸山真男をひっぱたきたいができるまで」で、ご自分の思想遍歴を語っているのですが、これがまさに昨日の話とつながります。

彼は、自分が「いわゆる左派」だったというのですが、その「左派」ってのは何かって言うと、最初に出てくるのが、オウム真理教バッシングに対する批判なんですね。

それが左派かよ!そういうのはプチブル急進主義って言うんだぜ!

と、昔風の左翼オヤジはいうでしょう。

オウムだの幸福の科学だの、そういう大衆をだまくらかすアヘン売人どもに同情している暇があったら、その被害者のことを考えろ!

と、ゴリゴリ左翼はいうでしょう。

でも赤木さんにとっては、そういうリベリベな思想こそが「左派」だったんですね。このボタンの掛け違いが、この本の最後までずっと尾を引いていきます。

彼が、「このような左派的なものに自分の主張をすりあわせてきました」という、その「左派的なもの」というリストがp131にあります。曰く、

>平和を尊び、憲法9条を大切にする。

>人権を守る大使から、イラクの拉致被害者に対する自己責任論を徹底的に否定する。

>政府の有り様を批判し、労働者の立場を尊重する。

>男女はもちろん平等であり、世代や収入差によって差別されてはならない。

ここにはいかにもリベサヨ的なものから、一見ソーシャルなものまで並んでいますが、実は、その一見ソーシャルなものは赤木さんにとって切実なものではなかったことがそのすぐあとのところで暴露されています。

>男性と女性が平等になり、海外での活動を自己責任と揶揄されることもなくなり、世界も平和で、戦争の心配が全くなくなる。

>で、その時に、自分はどうなるのか?

>これまで通りに何も変わらぬ儘、フリーターとして親元で暮らしながら、惨めに死ぬしかないのか?

をいをい、「労働者の立場を尊重する」ってのは、どこか遠くの「労働者」さんという人のことで、自分のことじゃなかったのかよ、低賃金で過酷な労働条件の中で不安定な雇傭を強いられている自分のことじゃなかったのかよ、とんでもないリベサヨの坊ちゃんだね、と、ゴリゴリ左翼の人は言うでしょう。

>ニュースなどから「他人」を記述した記事ばかりを読みあさり、そこに左派的な言論をくっつけて満足する。生活に余裕のある人なら、これでもいいでしょう。しかし、私自身が「お金」の必要を身に沁みて判っていながら、自分自身にお金を回すような言論になっていない。自分の言論によって自分が幸せにならない。このことは、私が私自身の抱える問題から、ずーっと目を逸らしてきたことに等しい。

よくぞ気がついたな、若いの。生粋のプロレタリアがプチブルの真似事をしたってしょうがねえんだよ、俺たち貧乏人にカネをよこせ、まともな仕事をよこせ、と、あんたは言うべきだったんだ、と、オールド左翼オヤジは言うでしょう。

もちろん、半世紀前の左翼オヤジの論理がそのまま現代に通用するわけではありませんが、リベサヨに目眩ましされていた赤木さんにとっては、これは「ソーシャルへの回心」とでも言うべき出来事であったと言えます。

問題は、赤木さんの辞書に「ザ・ソーシャル」という言葉がないこと。そのため、「左派」という概念がずるずると彼の思考の足を引っ張り続けるのです。

彼の主張は、思われている以上にまっとうです。「俺たち貧乏人にカネをよこせ、まともな仕事をよこせ」と言ってるわけですから。そして、戦争になればその可能性が高まるというのも、日中戦争期の日本の労働者たちの経験からしてまさに正しい。それこそ正しい意味での「ソーシャリズム」でしょう。

ところが、「左派」という歪んだ認識枠組みが、自分のまっとうな主張をまっとうな主張であると認識することを妨げてしまっているようで、わざとねじけた主張であるかのような偽悪的な演技をする方向に突き進んでしまいます。

自分が捨てたリベサヨ的なものと自分を救うはずのソーシャルなものをごっちゃにして、富裕層がどんな儲けても構わないから、安定労働者層を引きずり下ろしたいと口走るわけです。安定労働者層を地獄に引きずり下ろしたからといって、ネオリベ博士が赤木君を引き上げてくれるわけではないのですがね。

赤木さんはあとがきで、こう言います。

>ええ、わかっていますよ。自分が無茶なことを言っているのは。

>「カネくれ!」「仕事くれ!」ばっかりでいったい何なのかと。

それは全然無茶ではないのです。

そこがプチブル的リベサヨ「左派」のなごりなんでしょうね。「他人」のことを論じるのは無茶じゃないけど、自分の窮状を語るのは無茶だと無意識のうちに思っている。

逆なのです。

「カネくれ!」「仕事くれ!」こそが、もっともまっとうなソーシャルの原点なのです。

それをもっと正々堂々と主張すべきなのですよ。

無茶なのは、いやもっとはっきり言えば、卑しいのは、自分がもっといい目を見たいというなんら恥じることのない欲望を妙に恥じて、その埋め合わせに、安定労働者層を引きずりおろして自分と同じ様な不幸を味わわせたいなどと口走るところなのです。そういうことを言えば言うほど、「カネくれ!」「仕事くれ!」という正しい主張が伝わらなくなるのです。

なお、その後赤木智弘氏に言及したエントリは以下の通りです。ご参考までに。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-ef68.html(きわめてまっとうな赤木智弘氏のつぶやき)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-4659.html(赤木智弘氏を悩ませたリベサヨの原点-マイノリティ憑依)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-b41a.html(ソーシャルに目覚めた赤木智弘氏がリベサヨ全開の反原発デモに反発するのは当然である)

(追記)

ちなみに、上記わたくしの赤城著評に対して、最も本質的な次元で論評されたのが松尾匡さんです。

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay_71225.html(07年12月25日 市民派リベラルのどこが越えられるべきか)

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リリー・レッドベター『賃金差別を許さない』

0238830リリー・レッドベター著、中窪裕也訳『賃金差別を許さない』(岩波書店)を訳者の中窪さんよりお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?head=y&isbn=ISBN4-00-023883

「わが社は女性を必要としていないのに,なぜ働きに来たのか」――やっと就職した憧れの会社には性差別が蔓延していた.しかし,自らの誇りと家族の生活を守るために,彼女は働き続けた.賃金差別に泣き寝入りせず,巨大企業に一人で立ち向かい,オバマ政権下でアメリカにおける「平等賃金の祖母」となった女性の波乱に満ちた自伝.

というわけで、2009年に成立したレッドベター公正賃金法のもとになったリリー・レッドベターの自伝ですが、中窪裕也さんが訳者というのもやや意外でした。原題は「Grace and Grit」で、『品位と気概』といったタイトルです。

その「品位と気概」がよく現れている一節を・・・。

私が初めて正式の成績評価を受けたのは、1981年のことだった。最終仕上げの監督者になってから1年がたっていた。部課の主任監督者であるジェフと、彼の狭苦しいオフィスで話をした。そこで明らかになったのは、私が、自分に対する暗黙の期待、いわば女性が何を提供すべきだと考えられているかという点を、理解していないという事実だった。ジェフは、最終仕上げの機械について、私にいくつかの質問をした。その間、彼は煙草を何本も吸い続け、私が正しく答えると、驚いたような表情を見せた。

続いてジェフは、出し抜けに、自分がいかにグッドイヤーでうまくやってきたかという自慢話を始めた。自分の妻が、アクロンにいる会社中枢の偉い人々に個人的なコネを持っていることも、詳細に説明した。ようやくジェフの自慢話が終わったので、いよいよ仕事の話に戻る者と思った。私の実績や将来についてだ。しかし、彼の口から出たのは、「そうだな。君の成績は12人中の11番目だ。もっと良い評価がほしければ、ラマダ・インのホテルで会うことにしよう」という言葉だった。

私はあっけにとられ、しばらく彼を見つめていた。もちろん冗談のはずだ。このような品のない会話には、もう慣れっこになっていた。けれども、ジェフは私をしっかりと見つめ返し、答えを求めていた。まるで、機械についての質問を、もう一つしたかのようだった。

私は時計に目をやった。彼のオフィスに入ってから、1時間以上が過ぎていた。

私は答えた。「おっしゃっていることが、よく理解できないのですが」

彼は、私に向かって煙草の煙を吹き出すと、先ほどと同じ言葉を繰り返した。こめかみがズキズキと脈打ち、激しい怒りを感じた。私は、自分自身に言い聞かせていた。しっかり息をして考えなさい。後で悔やむようなことはしないように、と。・・・

私は尋ねた。「私の仕事に対して、どうやったら、そんな評価が下せるのですか?」

「いいか、リリー。ここでは、君が良い仕事をすることよりも、ボスたちが君を気に入ることの方が重要なんだ」彼の片方の鼻の穴から、煙の断片が漂い出て行った。・・・

 

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阪急トラベルサポート事件最高裁判決

昨日、阪急トラベルサポート事件(第2事件)に対する最高裁判決が出たようです。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20140124142902.pdf

これは労基法38条の2の事業場外見なし労働制に当たるかどうかが争われたものですが、最高裁は次のように明快に判断を下しています。

3 上記事実関係の下において,本件添乗業務につき,労働基準法38条の2第1項にいう「労働時間を算定し難いとき」に当たるかどうかについて検討する。

本件添乗業務は,ツアーの旅行日程に従い,ツアー参加者に対する案内や必要な手続の代行などといったサービスを提供するものであるところ,ツアーの旅行日程は,本件会社とツアー参加者との間の契約内容としてその日時や目的地等を明らかにして定められており,その旅行日程につき,添乗員は,変更補償金の支払など契約上の問題が生じ得る変更が起こらないように,また,それには至らない場合でも変更が必要最小限のものとなるように旅程の管理等を行うことが求められている。

そうすると,本件添乗業務は,旅行日程が上記のとおりその日時や目的地等を明らかにして定められることによって,業務の内容があらかじめ具体的に確定されており,添乗員が自ら決定できる事項の範囲及びその決定に係る選択の幅は限られているものということができる。

また,ツアーの開始前には,本件会社は,添乗員に対し,本件会社とツアー参加者との間の契約内容等を記載したパンフレットや最終日程表及びこれに沿った手配状況を示したアイテナリーにより具体的な目的地及びその場所において行うべき観光等の内容や手順等を示すとともに,添乗員用のマニュアルにより具体的な業務の内容を示し,これらに従った業務を行うことを命じている。そして,ツアーの実施中においても,本件会社は,添乗員に対し,携帯電話を所持して常時電源を入れておき,ツアー参加者との間で契約上の問題やクレームが生じ得る旅行日程の変更が必要となる場合には,本件会社に報告して指示を受けることを求めている。さらに,ツアーの終了後においては,本件会社は,添乗員に対し,前記のとおり旅程の管理等の状況を具体的に把握することができる添乗日報によって,業務の遂行の状況等の詳細かつ正確な報告を求めているところ,その報告の内容については,ツアー参加者のアンケートを参照することや関係者に問合せをすることによってその正確性を確認することができるものになっている。これらによれば,本件添乗業務について,本件会社は,添乗員との間で,あらかじめ定められた旅行日程に沿った旅程の管理等の業務を行うべきことを具体的に指示した上で,予定された旅行日程に途中で相応の変更を要する事態が生じた場合にはその時点で個別の指示をするものとされ,旅行日程の終了後は内容の正確性を確認し得る添乗日報によって業務の遂行の状況等につき詳細な報告を受けるものとされているということができる。

以上のような業務の性質,内容やその遂行の態様,状況等,本件会社と添乗員との間の業務に関する指示及び報告の方法,内容やその実施の態様,状況等に鑑みると,本件添乗業務については,これに従事する添乗員の勤務の状況を具体的に把握することが困難であったとは認め難く,労働基準法38条の2第1項にいう「労働時間を算定し難いとき」に当たるとはいえないと解するのが相当である。

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『新しい労働社会』への書評

1310391459889134009632009年の拙著『新しい労働社会』にも「読書メーター」で新たな書評がつきました。「うめい」さんです。

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/35090324

戦後確立した日本的雇用システムの特徴を「メンバーシップとしての雇用」の中に求めた上で、そこから導き出される日本の労働問題について広く突っ込んでいく。特に制度面、法制面では欧米との比較も多く、非常に参考になる一方、それが日本にそのまま適用できるものでもないことはよくわかる。本書中で著者が書くように「働くことが得になる社会」を実現するために、何をするべきか、非常に考えさせられる本だった。密度がとてつもなく濃いので、一度読んだだけでは把握できなかった内容も多かった。また読みたい。

「密度がとてつもなく濃い」というのは裏返していうと、薄い本にいろいろ詰め込みすぎて説明不足ということでもあるのでしょうけど、今進みつつある労働法制の見直しの議論について考える上でも、何かの役に立つことが結構書かれているはずだとおもっています。

 

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エライ人たちはみんな読んでるのに、なぜか一般の人たちには知られていない研究者

Chuko_2拙著『若者と労働』が、「紀伊國屋書店スタッフが全力でおすすめするベスト30「キノベス!2014」」に選んでいただいたということは、既に本ブログでもお伝えしたところですが、その「キノベス!2014」の本への書店員の皆様のコメントがアップされています。

http://www.kinokuniya.co.jp/contents/pc/kinobest2014/

第28位 『若者と労働――「入社」の仕組みから解きほぐす』 濱口桂一郎

「エライ人たちはみんな読んでるのに、なぜか一般の人たちには知られていない研究者」。このお題でまっ先に挙がるのが濱口桂一郎さんです。雇用や福祉の問題を考えたい人は、ほかのすべてを置いといて本書を読もう。(梅田本店・浅山太一)

ううむ、そうだったんですか・・・。

確かに、当初かなり変だった規制改革会議や産業競争力会議の議論は、わたくしが出席して意見を述べていくと、どんどん拙著の議論の筋道に近づいてきている割には、世間やマスコミ上で一知半解の議論を振り回している人々は、あまり勉強の跡が見られないなあと思ってきましたが、そうですか、「エライ人たちはみんな読んでるのに、なぜか一般の人たちには知られていない」からだったんですね。

まあ、是非、紀伊國屋書店の店頭で、「ほかのすべてを置いといて」本書をお買い求めいただくと幸いです。

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フリーアルバイターの元祖

Chuko拙著『若者と労働』の152ページに、フリーターという言葉の語源についての記述があります。これは、ウィキペディアの記述をそのままもってきただけなのですが、

「フリーター」の語源
 「フリーター」という言葉の語源については、ネット上の百科事典であるウィキペディアに詳しい説明があります。そのはじめの方は私も知らなかったことですが、興味深いので引用しておきたいと思います。
 それによると、一九八五年五月に、都内でライブ活動をしていたシンガーソングライターの長久保徹氏が、夢に向かって自由な発想で我が道を走り続けた幕末の坂本龍馬が好んで発したという英語の「フリー」に、ドイツ語のアルバイターを連結して「フリーアルバイター」を造語したのだそうです。
 翌一九八六年三月に、朝日新聞にフリーアルバイターという造語が紹介されたのを機に、各新聞社が取り上げ、全国的に流行語になっていきます。そして、一九八七年にリクルート社のアルバイト情報誌『フロムエー』の編集長だった道下裕史氏が、このフリーアルバイターをフリーターと略し、映画『フリーター』を制作し公開したことで、フリーターという言葉が定着したということです。

ここに登場する長久保徹さんが、たまたま拙著をご覧になって、そのことをご自分のサイトに書かれています。

http://www.poemix.com/

1985年5月
ヤマハのライブハウス渋谷エピキュラスでのことだった
ポピュラーコンテスト、通称ポプコンの司会者がボクに尋ねた
「フリー・アルバイター」ってどういう意味ですか?
ボクはインタビューに答えた
コンテストのプロフィール用紙に職業欄があった
当時、思いつくのは、「無職」「アルバイト」「プータロー」など

あの頃はまだ、卒業したら就職ってのが当たり前の時代だったから
ボクのように夢のために就職しないってのは肩身が狭かった
故郷のおふくろは夜も眠れない
親戚や世間様に会わす顔もない
それは、土佐藩を脱藩した坂本竜馬のような境遇

その坂本竜馬の口癖だったという『FREE(フリー)』を冠にして
「フリーアルバイター」と自称した
これを初めて聞いた観客席はとどよめいた
これが客席に混じっていた審査員の作詞家松井五郎氏や作曲家村田博之氏らを介して世の中に広まっていったのだった

暫くして、朝日新聞を皮切りに公的な職業用語となって広辞苑にも載せてもらえるようになった

音楽を志しながら、初めて世に送り出したのは
「フリーアルバイター」という言葉だった
とにかく、これだけは大ヒットした

いずれにしても今回
労働学の第一人者濱口桂一郎氏の著書『若者と労働』(中公新書ラクレ)に掲載していただき
素直にうれしい
「フリーアルバイター」は
ボクの二十代の歴史そのものだから

なお、この掲載を知ったのは、仙台の書店でだった
偶然入った書店で、開いた本の中にボクの名前があった
それは、SERENDIPITY
また、先週の水曜日、NHKのテレビ番組で濱口桂一郎氏を初めてお見かけした

こうしていろんなものごとがつながっていくのですね。

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雑な議論を展開していた人は全員お払い箱

Chuko読書メーターで、「活火山」さんが拙著『若者と労働』について批評していただいております。

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/35000815

タイトルは若者だが、労働問題に興味がある人は必読。これ一冊で、若者、フリーター、ニートなどでデータに基づかない雑な議論を展開していた人は、全員お払い箱だろう。事業仕分けの粗雑さも明快に指摘。高等教育システム、労働法から企業の雇用慣行までに至る改革案も説得的だけど、逆に、その必要な仕事の多さに、思わずため息でもある。

いや、そういう本来とっくにお払い箱になっていてしかるべき人々が、無知なマスコミのおかげさまで、雑な議論でもって延々と食いつないでいけるというところに、現代日本の論壇なるものの病理があるわけですが・・・。


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ジョブ型勧誘のメンバーシップ型面接

笑い話でもあり、悲しい話でもあり、要は現場がジョブ型で勧誘しておいて人事がメンバーシップ型で面接する悲劇ということですね。

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1401/20/news036.html(誘っておいて面接で落とす――ここがヘンだよ日本の人事)

・・・「どうしてウチで働きたいと思いましたか?」「ウチでどんなことがしたいと考えていますか?」

就活でも転職でも、これらの質問は、面接の定番です。こういったことを聞かない面接官は少ないと思います。が、誘われて転職する、という状態の応募者にとっては、とても違和感がある質問なのです。

考えてもみてください。誘われた応募者は、ある程度の能力が認められて、ウチで働いてほしいと言われている。それなのに、どうして働きたいのか? と聞かれても、困ってしまいます。してほしいことがあるから誘われたはずなのに、どんなことをしたいのか? と質問されたら、逆に「どんなことをしてほしいのか?」と聞きたくなるでしょう。

 実際、採用の現場ではこういうトラブルがまれに起きるようです。あるエンジニアが、そのスキルを認められて「ぜひウチに来てください。形式上の面接はありますが、話は通しておきますから」と言われて面接を受けたところ、採用担当者がいつもどおり「ウチでどんなことがしたいと考えていますか?」と聞いてしまい「ふざけるな、やってほしいことがあって、その能力を評価したから私を誘ったのだろう!」と怒って席を立ってしまったといいます。その後、そのエンジニアが別の企業で大活躍をしたという悲劇を小耳に挟んだときには、「起きるべくして起きたな」と私は思ったものです。

ジョブ型社会であれば、「こういう仕事ができる人が欲しい」「こういう仕事ができますか」以外にはあり得ない面接の問答が、メンバーシップ型社会では「どんなことがやりたいですか」になってしまうわけですが、それをまさに「こういう仕事ができるお前だから欲しい」といっているはずの相手にぶつけてしまう奇怪さを、しかしながら肝心の人事が感じていないところに、この問題の深刻さがあるわけでしょうね。

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パート法改正案提出へ

今年1月5日の日経新聞に

http://www.nikkei.com/article/DGXNZO64886560V00C14A1MM8000/パート、有期雇用も同待遇 正社員と同じ仕事なら 厚労省方針、1月にも改正案

という記事が載りましたが、今週木曜日(23日)の労政審均等分科会に法案要綱を示すようです。

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000034606.html

1 「次代の社会を担う子どもの健全な育成を図るための次世代育成支援対策推進法等の一部を改正する法律案要綱(次世代育成支援対策推進法の一部改正関係)」について(諮問)
2 「短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律の一部を改正する法律案要綱」について(諮問)

一昨年の6月に審議会の建議をしてから1年半棚上げ状態でしたが、ようやく法律化するようです。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000002de17.html

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センター試験における労働法問題

昨日のセンター試験の現代社会でこういう問題が出題されたようですが、

Gendai

これって、とりわけ①の選択肢が引っかけ問題すぎる気が。不当労働行為が規定されているのが労働関係調整法じゃなくて労働組合法だってのは、どう見ても本質的なことじゃないよ。

現在の学校で求められている労働法教育、ってのは、試験場でこういう問題に引っかからないようにすることであって、現実の職場でこういう問題に引っかからないようにすることじゃないんですな。

ちなみに政治経済の方は、

Seikei_2

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何回目かのデジャビュ

ねずみ王様の

https://twitter.com/yeuxqui/status/424524771162722304

リベラルって、アメリカとヨーロッパで意味が違っていて、アメリカ的用法だと、ニューディールの理念、つまりはアメリカ国内であれば、福祉国家の理念を支持する側を意味するのだから、ヨーロッパ趣味か、アメリカ趣味かで、ソーシャルとリベラルを使い分けるしかないんじゃないですかね。

に始まるツイートを見て、なんだか猛烈にデジャビュを感じたので、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-e644.html(リベラルってなあに?)

yeuxquiさんの

http://twitter.com/#!/yeuxqui/status/199723215185133568

マスコミの人たちで自分をアメリカの意味でリベラルだと思っていたひとは、じつはまったく正反対で、むしろフランスの意味でリベラル=サルコジ風で、頭のおかしい共和党支持者に近かったことにそろそろ気がつくだろうか。

いやあ、そいつは無理でしょう。

もう6年も前に、同じようなことを言ってた記憶が・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_c7ac.html(リベラルとソーシャル)

しかし、少なくとも欧州的文脈でいえば、リベラルとソーシャルという対立軸は極めて明確。それが日本でぐちゃぐちゃになりかけているのは、ひとえにアメリカの(本来ならば「ソーシャル」と名乗るべき)労働者保護や福祉志向の連中が自らを「リベラル」と名乗ったため。それで本来「リベラル」と名乗るべき連中が「リバタリアン」などと異星人じみた名称になって話がこんがらがっただけ。そこのところをしっかり見据えておけば、悩む必要はない。

もちろん、「第三の道」など両者を架橋する試みは繰り返しあるが、それもこれもリベとソシの軸がしっかりあるから。そして、経済学はじめ諸々の社会科学においても、これが最も重要な政策判断の軸であることになんの変わりもないし、およそ社会思想史なるものを少しでも囓った人間であれば、これが近代社会における最も重要な政治的対立の軸であることも分かるはず。

考えてみれば、本ブログの開設当時から、コウゾウカイカクとリフレの対立が人類の歴史で最も重要だなぞというたぐいの超近視眼的わけわかめ理論に対し、「をいをい」と当たり前のことを言い続けてきて疲れましたわいな。

2006年から同じことを言ってるんやな、と。

(ちなみに)

http://ch.nicovideo.jp/nk-gendai/blomaga/ar438728(仰天構想 細川新党でリベラル結集)

お茶会を楽しむ欧風リベラルな皆さんですな。

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労働組合としては当然

なぜか、労働組合とは労働者の利益を追求すべき存在であるという基本を忘れた人がいっぱいいるようですが、

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS18023_Y4A110C1PE8000/?dg=1連合東京が舛添氏支援へ 都知事選、民主と一線

そりゃ、脱原発の一枚看板以外は空白の石版で、いまだに政策に雇用も福祉も全く出てこない人を、さすがに労働組合が支持するわけにはいかないでしょう。電力労連であろうがなかろうが、物事の筋として。

その社会政策の中身がいいか悪いかについては、原発一枚看板でない人の間では議論がありうるでしょうけどね。

ドタバタ劇を見ていると、ある種の人々は「ぶっ壊す」政治活劇にしか関心が無い人たちなんだな、と。そういうたぐいの人が深刻ぶった顔つきで糾弾すればするほど滑稽。

(追記)

ちなみに、小泉・細川連合のブレーンといわれる古賀茂明氏についての、本ブログにおける過去エントリ:

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-916a.html(古賀茂明氏の偉大なる「実績」)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-9945.html(そうだよね!と共感できる、同じ視点のコメント)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-67d2.html(古賀茂明氏についての本ブログにおける若干の言及)

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塩川太嘉朗さんの拙著書評

Chuko塩川太嘉朗さんの「Book diaries 〜読書日記〜」というブログで、拙著『若者と労働』が取り上げられています。

http://shiokawatakao.blogspot.jp/2014/01/2013_18.html

著者の書籍は好んで何冊か読んでいるが、どれも日本における労働環境を法的観点から分かり易く書かれている。行政府出身の方らしい観点で、日本企業における労働問題をマクロで捉え、他国との比較に基づきながらの考察は論理的かつ緻密であり簡潔にして読み応えがある。・・・

と、好意的に内容を紹介していただいております。

 

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中央労働基準監督署長(Y興業)事件

本日、東大の労働判例研究会で報告。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/yoshimoto.html

Y興業というのは吉本興業。Xに暴行をふるった大物タレントEというのはご存じ島田紳助です。

芸能ネタとスポーツネタ(相撲解雇事件)のどっちにしようかと迷って、芸能ネタにしました。

労働法学的にはあまり重要な論点はありませんが、こういうのもあるということで。

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首都圏ネットワーク 裁量労働制 企業の現場では…

昨日夕方のNHK首都圏ネットワークで、「裁量労働制 企業の現場では…」というニュースが流れ、そこでわたくしのコメントがちらりと使われたようです。

http://www.kuunel.jp/corner/8231432.html

東京・中央区の大手製薬会社につとめる名倉充子さんは裁量労働制で働いている。出勤時間はその日によって違く、どの時間に退社してもよいことになっている。名倉さんは仕事を自分のペースで入れられることが裁量労働制のメリットだと思うと話した。また一方で都内に住む男性は200人ほどの会社に入社2年目から裁量労働制で働き毎日のように終電近くまで仕事が続いたことから半年で辞めたという。男性は裁量労働制に関して「なにかしらの規制が必要だと思う」と話した。

VTRで紹介した製薬会社では裁量労働制が長時間労働につながらないよう勤務実態の把握を徹底しており、職場に出入りした時間を記録する他、みなし労働時間以外に働いた時間が60時間を超えると本人と上司に警告メールがいくなどの対策がとられている。厚生労働省のとった裁量労働制に関するアンケートでは多くが「効果的」との答えを出したものの一方で「労働時間が長い、業務量が多い」など課題を指摘する声もあがっている。労働政策研究・研究機構の濱口桂一郎統括研究員は「ある程度裁量があるとはいえ上から仕事が降ってくると長時間労働になりかねない、一定の基準を設けるべきだと思う」と話した

「一定の基準」というのは、もちろん物理的労働時間の上限とか休息時間ということですが、ちゃんと伝わったでしょうか。

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海老原嗣生さんの限定正社員論、女性活用論

000061068_img『労政時報』1月10日号が、「識者に聞く 2014年の人事部門のテーマと提言」 という特集を組んでいて、その中でニッチモの海老原嗣生さんが限定正社員について論じていますが、これがなかなか辛口で鋭い。

http://www.rosei.jp/readers-taiken/

1.欧米型雇用と限定正社員の根本的な相違

 日本型の正社員というものを理解するためには、その対極にある欧米型(というか、それが世界標準である)雇用について、詳しく知っておく必要がある。
 欧米型の雇用というと、それは職務や勤務地が「限定される」仕組みと理解している人が多いだろう。それ自体はおおよそ正しい。正しいのだが、その考え方自体がもう既に「日本的」なのだ。どういうことか、具体的に考えてみよう。・・・

という調子で、そもそもポスト単位の雇用契約で、異動も昇進も契約変更になる欧米型と、「会社という大きな袋に入る」日本型との違いから説き起こし、最後に、

7.鵺(ぬえ)のような限定正社員論議

という見出しの元で、

・・・結局、今の限定正社員論議は、日・欧米の雇用のいいとこ取りで、都合のよい「限定」を考えているのではないだろうか。

と、皮肉の効いた台詞を投げかけています。

いや、まさにそうなんですが、それこそメンバーシップ型にどっぷりつかった社会のただ中にジョブ型正社員を作ろうとすれば、それは否応なくそうなてしまうということでもあるのでしょう。

Toshimondai ついでに、海老原さんは『都市問題』1月号にも登場し、「とば口まできた女性の本格社会進出――だからこそ、現実的な「女性クオータ制」論議を」で、

大学学部別クォータ制も視野に入れて

・・・女性の社会進出を考えていくと、最終的には、大学の学部専攻という壁に突き当たる。だとしたら、大学の学部別にアファーマティブアクションとして、女性を優遇する方針を打ち出してみたらどうだろうか。

などと、刺激的なこともいってます。

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夢のないポエ

本日のNHKクロ現が、「あふれる“ポエム”?! ~不透明な社会を覆うやさしいコトバ~」という大変おもしろいテーマを扱っていて、

http://www.nhk.or.jp/gendai/yotei/index_yotei_3451.html

居酒屋、介護士、トラックドライバーなどの業界で、「甲子園」と呼ばれるイベントが人気だ。「夢をあきらめない」「みんなを幸せに」…どれだけ言葉が心を打ったかを競い合う。震災以降、こうしたシンプルで聞き心地のいい言葉の多用が、若い世代のみならず、広告宣伝や企業の研修、そして地方自治体の条例など公共の言葉にも広がっているとして、社会学者や批評家らが「ポエム化」と呼んで分析を試み始めている。共通する特徴は、過剰とも思える優しさ・前向きな感情の強調だ。この風潮を特に支持するのは、「年収200万時代」の低収入の若者層と言われるが、厳しい現実を生き抜くために現状を肯定しようとする傾向が年々強まっているとされる。「ポエム化」の現場を通し、社会で何が進行しているのかを考える。

出てきて冷ややかな批評を加えるのが、小田嶋隆さんと阿部真大さんで、阿部さんはもちろん「やりがいの搾取」。

さて、これにぽつりとつぶやくのが、あの古市(poe1985)さん。

https://twitter.com/poe1985/status/423040148389888000

クローズアップ現代に一瞬映り込んでた。国定ポエム集「心のノート」を読んでみた/古市憲寿 「新潮45」13年3月号

ほう、ム(夢)のないポエさんがポエムを論じた文章があるんですね、とそのリンク先を読んでみると、

http://www.gruri.jp/topics/13/04251955/index.html(国定ポエム集「心のノート」を読んでみた)

これは傑作。いい方向にも悪い方向にも期待を裏切る手腕に欠けては屈指の実力を誇る古市さんですが、これは見事。

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「日本の雇用と労働法」短評

112483拙著『日本の雇用と労働法』(日経文庫)への短評がツイート上にありました。「Dodie Shelton」さんです。

https://twitter.com/sheltonb1556/status/422294549516787712

「日本の雇用と労働法」読了。プロの仕事。 業務上の必要がなければ、決して読まなかった類い。 しかしながら、この書の旨味は、それに従事している輩にしか、やはり玩味できない。 知り抜き考え抜いた者だけが書ける頂ということか。

寸言にしてとても嬉しい短評です。

 

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2014年(いま)を理解するためのキーワード:ジョブ型正社員@『先見労務管理』1月10日号

『先見労務管理』1月10日号に掲載した「2014年(いま)を理解するためのキーワード:ジョブ型正社員」です。

ちなみに、5つのテーマとその執筆者は以下の通り。何とも言えない取り合わせではありますな。

キーワード① ジョブ型正社員 濱口桂一郎

キーワード② 解雇規制緩和 城繁幸

キーワード③ 労働者派遣 高見修

キーワード④ ブラック企業 佐々木亮

キーワード⑤ XPサポート終了 浅見隆行

http://homepage3.nifty.com/hamachan/senkenjob.html

 今日の日本の雇用・労働問題は、大学生の奇妙な「就活」も、正社員のワークライフバランスの欠如も、非正規労働者の苦境も、すべて日本型雇用システムの特殊性という一点に由来している。その解決の道筋として、濱口氏は「ジョブ型正社員」を提唱する。

日本の正社員は「メンバーシップ型」

 今日労働問題の焦点として指摘されるのは、雇用を保障された正社員は拘束が多く、過重労働に悩む一方で、非正規労働者は雇用が不安定で賃金が極めて低いという点、いわゆる労働力の二極化である。しかし、そもそも正社員は拘束が多いということ自体、欧米の感覚からすれば必ずしも当然ではない。日本以外ではフルタイム、無期契約、直接雇用の3つを満たせば正規労働者であるが、日本ではそれだけでは「通常の労働者」(=「正社員」の法律上の用語)にはなれない。それがはじめて実定法上に定義されたのは、2007年のパート法改正であった。同法第8条第1項によれば、欧米と異なりフルタイム、無期、直接雇用の3要件だけでは「通常の労働者」とは認められない。「当該事業主との雇用関係が終了するまでの全期間において、その職務の内容及び配置が・・・変更されると見込まれるもの」でないと日本型正社員とは認めてくれないのである。

 欧米では、雇用契約において、職務や勤務条件が詳細に明記された「ジョブ・ディスクリプション」(職務記述書)が交わされることが常識だが、職務内容や配置が変更されることがデフォルトルールの日本では、そんなものは存在しない。労働基準法で雇入れのときに、就業の場所と従事すべき業務を明示しなければならないことにはなっているが、就業規則で使用者が変更を命令できると規定されていることがほとんどだ。絶対にほかの仕事には就かせないとまで明記していない限り、そんなものに拘束力があるわけではない。

 筆者はこのように職務も労働時間も勤務場所も契約で限定されておらず、無限定、すなわち使用者の命令でいくらでも変えられてしまう雇用のあり方を、企業という「共同体」のメンバーになるという意味で「メンバーシップ型」と呼び、日本以外で一般的な職務も労働時間も勤務場所も限定される「ジョブ型」と対比した(『新しい労働社会』(岩波新書)、『日本の雇用と労働法』(日経文庫)、『若者と労働』(中公新書ラクレ))。メンバーシップ型正社員には、職務限定の権利もなければ(日産自動車村山工場事件最高裁判決)、時間外労働拒否の権利もなく(日立製作所武蔵工場事件最高裁判決)、遠距離配転拒否の権利もない(東亜ペイント事件最高裁判決)。労働法の教科書に書いてあるとおりである。

 その代わり日本型正社員が獲得したのは、欧米であればもっとも正当な解雇理由である整理解雇への制約である。雇用契約の本来の姿に沿って職務や労働時間や勤務場所が契約で限定されていれば、使用者には一方的にそれらを変更する権利はない。それは経営上の理由で当該職務や当該勤務場所が廃止、縮小される場合でも同じである。使用者に対して「やってはならない」と禁じていることを、いざというときだけ「やれ」と命じることはできない。いざというときに「やってくれ」というためには、そうでないときでも「やってよい」といわなければならない。つまり、日本のメンバーシップ型正社員が雇用契約の無限定を受け入れたのは、整理解雇時に他の職務、他の勤務地への配転や時間外休日労働の削減によって雇用関係自体を維持する可能性を高めるためであった。

 これはメリットとデメリットを比較考量した上でのマクロ社会的選択であり、それ自体はいいとも悪いとも言うべきものではない。雇用の安定を最重要と考えるというのは、そのデメリットも含めて、戦後60年にわたる歴史の中で日本の労働者が選択してきた道である。しかしながら、いざというときのために、労働者にとって何よりも重要な職務、労働時間、勤務場所を限定する権利を放棄するというのは、欧米の普通の労働者や労働組合に理解してもらえる見込みの薄いものであることも認識しておく必要がある。「俺たちは契約が無限定なのに、限定されようとしている」などと彼らに訴えても、理解してもらえるとは思わない方がいいだろう。

 一点付け加えておけば、日本国の労働法制は欧米と同様ジョブ型雇用契約を前提に作られているということである。メンバーシップ型契約は、実定法の規定にもかかわらずそれをすり抜ける形で、労使合意による事実たる慣行として確立してきたもの(を裁判所が確認したもの)に過ぎない。

 こうして雇用契約が「空白の石版」となると、採用プロセスも欧米とはまったく異なってくる。特定の職務について技能を有する者を必要のつど募集、採用するという本来のあり方は影を潜め、企業の命令に従ってそんな仕事でもこなせる潜在能力を有する若者を在学中に選考し、学校卒業時点で一括して採用するという、諸外国に例を見ない特殊な慣行が一般化した。

 この新卒一括採用制度においては、学生は特定の職務に関する職業能力をその資格などによって示すという他国で一般的なやり方がとれないため、ひたすら「熱意」と「素質」を訴えるほかない。近年の大学生は卒業の1年以上前から「シューカツ(就職活動)」に励むが、それはいかなる意味でも「職(ジョブ)」に「就」くための活動ではなく、会「社」に「入」ってメンバーシップを得るための「入社活動」でしかない。

1990年代以降、非正規労働者が急増

 こうして無事日本型正社員になれば、職務、労働時間、勤務場所の限定なく働かなければならないが、その代わり仕事がなくなっても配転されることによって雇用は守られる。少なくとも20年前までの日本では、こうした社会的交換がマクロ的に労使の間で成立しており、多くの人々は不満を持たなかった。ところが1990年代以降、企業がメンバーシップ型の正社員を少数精鋭化するという方針を打ち出し、その採用枠を縮小していくにつれ、それまでなら卒業とともに正社員になれたはずの若者たちがそこから排除され、低賃金不安定雇用の非正規労働者として析出されていった。それまでも非正規労働者は存在したが、その中心は家計補助的な主婦パートと学生アルバイトであって社会学的には問題とならなかったのだが、家計維持的な若者が非正規化することで、非正規労働問題が政策課題として浮上したのである。日本型正社員の入口は新卒一括採用に集中しているため、彼らいわゆる「就職氷河期世代」は非正規のまま中高齢化し、問題が深刻化してきた。かつては2割以下だった非正規労働者が今では4割に迫りつつある。

 これに対処するため2012年に労働契約法が改正され、有期契約労働者が契約を反復更新して5年を超えれば無期契約に転換できることとなったが、ヨーロッパ諸国と異なり無期になっただけでは無限定の「正社員」になるわけではない。彼ら無期に転換した有期契約労働者は、職務や労働時間、勤務場所が限定されたという意味で、欧米の正規労働者と同様の「ジョブ型」の労働者ということができる。

積極的に拡大すべき「ジョブ型正社員」だが...

 筆者はこの新たな雇用類型を「ジョブ型正社員」と呼び、積極的に拡大していくべきであると考えている。それは不本意に非正規労働者に追いやられてきた(中高年化しつつある)若者に、ある程度の安定した収入と雇用を保障するものである。一方、その仕事がなくなれば配転の余地がないのであるから整理解雇されることもやむを得ない。この点をマクロ社会的に支えるために、これまでメンバーシップ型社会を前提に極めて未発達であった外部労働市場メカニズム(労働者が異なる企業間を移動する労働市場メカニズム)を張り巡らせていくことが不可欠となる。とりわけ、どの企業でも通用する職業能力の認証システムの開発は喫緊の課題である。

 こうしたジョブ型正社員の確立は、これまで非正規労働者に陥りたくないばかりに不本意に無限定な正社員型の働き方を甘受してきた人々にとっても朗報となり得る。とりわけ、育児中の女性など、会社に生活のすべてをささげることが不可能な労働者にとっては、メンバーシップ型正社員と非正規労働者という極端な二者択一を迫られることなく、ワークライフバランスのとれたそれなりに安定した働き方の選択肢が生まれることは望ましいことであろう。

 しかしながら、これまでのメンバーシップ型正社員を前提とする発想はなお極めて強固であり、最近のジョブ型正社員の提唱に対しては労働組合や労組が支持基盤の政党から激しい反発が生じている。その反発の半ばは保守的な感覚からくるものであるが、残りの半ばは根拠がないわけではない。

 ジョブ型正社員自体は数年前から労働行政サイドで構想されてきたものであるが、そのときはほとんど反発はなかった。ところが2012年末の民主党から自民党への政権交代後、第2次安倍晋三内閣の下で矢継ぎ早に創設された規制改革会議や(とりわけ)産業競争力会議で企業経営者らが解雇自由化論を積極的に打ち上げた後に、それに代わる形でこのジョブ型正社員が持ち出されてきたという経過があり、労組側が不信感を持つことにも理由があるのである。

 実際、規制改革会議の最終報告には現れていないが、途中の議事録を見ると、ジョブ型正社員であるということを理由にして、仕事がなくなった場合の整理解雇だけでなく、仕事がちゃんとあってもパフォーマンスが悪いという理由で自由に解雇できるようにすべきとの意見が繰り返しなされている。パフォーマンスを理由とする解雇をどうするかは本来ジョブ型正社員とは別の論点であり、このような暗黙の意図を持った形で提示されるのであれば、反発するのは当然であろう。

 もっとも、現時点ではそうした腑分けした議論はほとんどなされておらず、労働組合や野党は「仕事がなくなったからといって整理解雇するのはけしからん」という、欧米の労働組合にも通用しないような日本独特のロジックを叫んでいるにとどまる。

メンバーシップ型は「ブラック企業」問題の根源

 筆者はジョブ型正社員の提唱者の一人でもあり、このような事態の推移に困惑しているが、中長期的には労働者の大多数がジョブ型正社員に移行していくことになると考えている。職務も労働時間も勤務場所も無限定のメンバーシップ型正社員がデフォルトであった「古き良き時代」とは、成人男性が扶養する妻や子供の分まで含めて生計費を賃金でまかない、妻や子供はせいぜいパートやアルバイトという形で家計補助的に働くことを前提とするいわゆる一人稼ぎ手モデルが一般的であった時代である。男女雇用機会均等法が施行されて30年近くなる日本で、いつまでもそのようなモデルが持続できるとは思えない。

 今日、社員への長時間労働強要などの点で大きな社会問題となりつつある、いわゆる「ブラック企業」問題についても、その根源にはこのメンバーシップ型モデルがある。本来は長期的な雇用保障と引き替えの無限定的な働き方を、保障のないままで若者に押しつける企業とブラック企業を定義するならば、現実に正社員の枠組みが縮小する中でいつまでもメンバーシップ型を唯一絶対のモデル視する発想こそがブラック企業現象の最大の原因ということもできよう。

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日本的雇用システムと労働法制@講書始の儀

201401100324341l1月10日、皇居で「講書始の儀」が行われ、その一つとして菅野和夫JILPT理事長より「日本的雇用システムと労働法制」について講義がされたとのことです。

http://www.asahi.com/articles/ASG1B35WJG1BUTIL006.html(皇居で「講書始の儀」 今年のテーマは労働法制など)

天皇、皇后両陛下が様々な分野の第一人者から講義を受ける「講書始の儀」が10日午前、皇居・宮殿であった。

今年の講義は、樺山紘一・印刷博物館長の「歴史としての印刷文化」、菅野和夫・東大名誉教授の「日本的雇用システムと労働法制」、小林誠・高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授の「粒子と反粒子―対称性の破れをめぐって―」。

講書始の儀は1869(明治2)年に「御講釈始」として始まり、1953(昭和28)年から三つの分野の講義が行われる現在の形になったという。この日は皇太子さま、秋篠宮ご夫妻ら皇族方も出席した。

現時点ではまだ宮内庁のサイトに講義内容がアップされていませんが、

http://www.kunaicho.go.jp/culture/kosyo/kosho.html

そのうちにアップされると思います。

 

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シュトゥルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇』からの教訓@『DIO』289号

Dio連合総研の機関誌『DIO』289号が「古典から現代の労働問題を読み解く」という特集をしていまして、

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio289.pdf

なぜいまロバート・オウエンなのか 篠田 徹………………… 6
シドニー&ベアトリス・ウェッブ『産業民主制論』を読む 石田 光男 …………… 10
シュトゥルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇』からの教訓 濱口 桂一郎 …………14

私は、本ブログで何回か嫁嫁言ってきたシュトゥルムタールを取り上げています。

その最後の節で、いささか今日の労働運動に対するコメントめいたことを書いておりますので、引用しておきます。その前の部分はリンク先をご覧ください。

Sturmthal_2 文脈の(ねじれた)回帰

 やがて、時代の舞台は大きく回転し、シュトゥルムタールの著書の台詞が皮肉に響く状況が作られてきた。かつての総評と同盟が中立労組も含めて連合に合体し、かつての日本社会党と民社党が自由民主党からスピンアウトした政治家たちと一緒になって(紆余曲折の末)民主党に合体し、その民主党が政権を握り、連合がその最大の支持基盤となるという、かつてのワイマールドイツにおける社会民主党政権を想起させる状況になった。そして今、日本の民主党政権はワイマールドイツの社会民主党政権と同様、権力の座を再び失ったところである。

 ここで改めてシュトゥルムタールを読むと、そこに書かれた悲劇を「他人の経験」として学び、原著の文脈に忠実な経済社会政策を実行しようとしているのは、連合が力の限り支援してきた民主党の政権ではなく、それをひっくり返してできた保守反動のはずの自由民主党安倍政権である、というこの上ない皮肉がむくむくと湧き上がってくるのが感じられないだろうか。

 安倍政権はデフレ脱却を旗印に掲げ、「異次元」の金融緩和を中心とし、「国土強靱化」などの財政支出も併せた積極的な経済政策を打ち出している。世界的に見ると、こうした積極的金融・財政政策を主張するのは社会民主党をはじめとした左派勢力であって、右派勢力の方が緊縮的政策を主張するのが常識であるが、日本ではなぜか経済政策における左右の対立が逆転してしまっている。

 このねじれ現象は、マルクス経済学者としてアベノミクスを支持する論陣を張っている松尾匡氏が繰り返し指摘しているところだが(例えば『不況は人災です!』筑摩書房)、残念ながら連合や民主党の周りを取り巻く経済学者やエコノミストは、世界的には異例なほど反ケインジアン的な「経済右派」になってしまっているようである。その鏡面現象として、日本における「経済左派」的なケインジアン政策支持者には、極端なナショナリストや歴史修正主義者がぞろぞろ顔を並べるという、これまた奇怪な事態が生じている。「多くの社会民主党と労働組合の指導者たち」が「オーソドックスの理論に執着していた」ことの政治的帰結が、やがてシュライヒャー、パーペンという保守政治家の政権を経て権力を握ったヒトラーのナチス政権による、軍事ケインズ主義ともいうべき経済政策の(少なくとも全面戦争に突入するまでの時期における)大成功であったことを思うと、なかなかに不気味な状況ではある。

 しかし、最近の安倍政権の動きとそれに対する連合や民主党の反応は、それとは異なる側面で奇怪な逆転現象を露呈している。政労使三者構成の場で、経済界に対して賃金の引き上げを強く要求し、強引にそれを呑ませつつあるのは、自由民主党政権であり、それに文句を付けているのは連合や民主党の側なのだ。この場で連合が繰り返し主張している「賃金は個別労使の交渉でやるべき」という台詞は、日本において定向進化した文脈においては、個別企業と個別企業別組合との閉じられた企業内交渉に固執し、企業を超えた産業レベル、全国レベル交渉に極めて警戒的であった経営者団体の言葉と見まがうばかりである。民主党の幹事長に至っては「政府が賃金の在り方に介入するのは社会主義的、共産主義的な手法だ」と述べたそうであるが。

 錯綜した理路を整理する必要がある。大恐慌に対してケインジアン的な財政金融政策を行ったルーズベルト大統領の、もう一つの、そして労働関係者にとって何よりも重要な政策は何だったか。全国産業復興法からワグナー法に至る集団的労使関係システムの構築ではなかったか。それは、労使交渉力の不均衡が労働者の賃金と購買力を低下させ、不況を激化させたという認識に立ち、不当労働行為制度によって労働者の交渉力を強化することでその是正を図ろうとするものであった。1920年代のアメリカで流行した会社組合を不当労働行為として否定し、産業別組合の促進を図ろうとしたのもそのためであった。ニューディールのアメリカがナチスドイツと違っていた最大の点は、労働組合を強化することで賃金を引き上げようとしたことではないのか。

 今、シュトゥルムタールが原著を刊行した当時の文脈が、極めてねじれた形で回帰しつつあるように見える。労働組合の人々にはどう見えているのだろうか。

(追記)

それにしても、この本長らく絶版で、私がブログで紹介するまでは古本価格たった1円だったのが、紹介したとたんに3,000円に跳ね上がったわけですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-7008.html『ヨーロッパ労働運動の悲劇』を復刊して欲しい

それが今やなんと

http://www.amazon.co.jp/dp/B000JAV82A?tag=tarosatokarin-22&camp=1027&creative=7407&linkCode=as4&creativeASIN=B000JAV82A&adid=1G2ERMGC85J9JYANV2ZP&&ref-refURL=http%3A%2F%2Fsatotarokarinona.blog110.fc2.com%2Fblog-entry-500.html

18,900円だそうです。これはなんぼなんでも暴利でしょう。

岩波書店の中の人が見てたら、是非一度書庫から取り出して、半世紀以上前に出版された本書を読んでみて、今の時代に何らかの示唆を与えるものであるかどうか検討してみて欲しいと思います。

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「ブラックな職場」 対抗策は 「ジョブ型正社員」 への転身@『日経ビジネスアソシエ』2月号

Cover 『日経ビジネスアソシエ』2月号で「今、知りたい必修キーワード150」という特集を組んでいまして、その一つとして「ジョブ型正社員」が取り上げられています。曰く:「「ブラックな職場」 対抗策は 「ジョブ型正社員」 への転身」。

http://ec.nikkeibp.co.jp/item/backno/BA1236.html

「世間を賑わせているブラック企業現象の根本には、日本独自の雇用体系がある」。
そう指摘するのは長年、労働問題を研究している濱口桂一郎さんだ。
「ブラックな職場」に悩まされず働くための解決策、ジョブ型正社員について解説してもらった。

というわけで、3ページにわたって、いろいろと解説しております。

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大内伸哉『君の働き方に未来はあるか? 労働法の限界と、これからの雇用社会』

26031480_1大内伸哉さんの新著『君の働き方に未来はあるか? 労働法の限界と、これからの雇用社会』 (光文社新書)をお送りいただきました。 いつもありがとうございます。

「正社員であれば安泰」という時代は過去のものとなった。
これからの社会は、「正社員で安泰」というのはごく限られたエリート層だけのものになり、 正社員になれない人、あるいは、正社員になっても「真の意味での正社員」とは呼べない人が増えていく。
そんな時代を迎えたいま、 本書では「雇われて働く」ということは本来どういうことなのか、というところから説き起こし、 正社員のメリットとデメリットは何か、労働法は今後も頼りになるか、IT社会に向けてどのように準備すればよいか、プロとして働くとはどういうことか、 等々を多角的に論じ、「これからの働き方」に迷っている人のための指針を示す。

軽いタッチの一般向け解説書ですが、第1章でいきなり、そもそもローマ法から説き起こして、雇傭は奴隷みたいなものだ、という話から始めて読者を驚かせるあたりは、やはり大内節の面目躍如です。

大内さんのブログ「アモーレと労働法」でかなり詳しい自著紹介をしておられますので、是非リンク先をじっくりとお読みください。

http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-0edc.html

いろんな論点が、(大内さんの中では整理されているのだと思いますが)やや次から次に脈絡なく繰り出される感があり、よくわかってない人はあれもこれもごっちゃに理解してしまうのではないかと危惧され、それぞれ分けて議論してほしいな、という感想もあるのですが、何にせよ、労働法学者が書いたとは思えない本です。言うまでもなく、これは褒め言葉のつもりです。

プロローグ
【第1章】雇用の本質
【第2章】正社員の解体
【第3章】ブラック企業への真の対策
【第4章】これからの労働法
【第5章】イタリア的な働き方の本質
【第6章】プロとして働くとは?
【第7章】IT社会における労働
【終 章】パターナリズムを越えて
あとがき

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読みやすい良書です

Chuko拙著『若者と労働』について、読書メーターに「けみすと」さんの書評がアップされました。

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/34686005

就活で求められる「人間力」や「ブラック企業」も日本の雇用形態(メンバーシップ型)に由来する問題なのだ、ということが欧米の雇用形態(ジョブ型)と比較することで分かります。今日の労働問題がこれ1冊を読むことでかなり分かると思います。読みやすい良書です。

「読みやすい良書」というのは、ありがたい評価です。

 

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ザ・アール奥谷禮子社長との対談@『TheR』133号

ザ・アールの隔月刊誌『TheR』133号で、同社社長の奥谷禮子さんとわたくしとの対談が載っております。見開き2ページにわたっていろいろと語り合っておりますので、ご関心のある方はお読みいただければと思います。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/20140109113005688.pdf

Oというのが奥谷社長、Hというのがわたくしです。

最後に、奥谷さんが

おかげさまで雇用についてだいぶ考えが整理できました。

と語っていますね。

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最近では一番の良書

Chuko拙著『若者と労働』について、読書メーターに新たな書評が載りました。福島亮太さんです。

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/34637164

最近では一番の良書。現在の若者の労働問題について、その歴史・背景がきちんと書かれていて、非常にわかりやすかった。自分自身が、就活の時や会社人となって仕事をしている時に感じていた違和感の背景が納得いく形で示されるので、「あぁ、なるほど!」と何度も思いながら読んだ。労働問題を単一の要因の帰結とみなすことなく、複合的な視点から解説していく著者の議論の進め方には非常に好感がもてる。日本の労働環境はどうして現在のような形になっているのだろう、という問題意識のお持ちの方にはぜひとも一読を薦めたい。

お薦めいただき、ありがとうございます。

 

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非正規公務員問題の原点@『地方公務員月報』12月号

12_2 総務省自治行政局公務員課編の雑誌『地方公務員月報』12月号に、「非正規公務員問題の原点」を寄稿しました。

現在の公務関係の中にどっぷりつかっていればいるほど見えなくなるものを指摘したつもりです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/chikouhiseiki.html

 近年、「非正規公務員」問題に対する関心が再び高まってきている。二〇〇七年一一月二八日の中野区非常勤保育士再任用拒否事件をはじめとして、非常勤という名のもとに事実上長期間就労していた職員の雇止めに対して、民間の有期雇用労働者と同様の解雇権濫用法理の類推適用はできないとしつつも、それに代わる損害賠償を命ずる判決が続出している。本稿では、そういった近年の動向自体は取り扱わない。上林陽治『非正規公務員』(日本評論社)はじめ、非正規公務員の現状と裁判例、政策の動きを詳細に分析した本は少なくない。ここで考えてみたいのは、なぜ非正規公務員などという現象が発生するのかという根本問題を、公務員制度の基本に立ち返って、歴史的に振り返ってみることである。
 
1 「公務員」概念のねじれ
 
 公務部門で働く者はすべて公務員であるというのは、戦後アメリカの占領下で導入された考え方である。戦前は、公法上の勤務関係にある官吏と、私法上の雇傭契約関係にある雇員(事務)・傭人(肉体労務)に、身分そのものが分かれていた。これは、現在でもドイツが採用しているやり方である。そもそも、このように国の法制度を公法と私法に二大別し、就労関係も公法上のものと私法上のものにきれいに分けてしまうという発想自体が、明治時代にドイツの行政法に倣って導入されたものである。近年の行政法の教科書を見ればわかるように、このような公法私法二元論自体が、過去数十年にわたって批判の対象になってきた。しかし、こと就労関係については、古典的な二元論的発想がなお牢固として根強い。
 ところが、アメリカ由来の「公務部門で働く者は全員公務員」という発想は、公法と私法を区別しないアングロサクソン型の法システムを前提として産み出され、移植されたものである。公務員であれ民間企業労働者であれ、雇用契約であること自体には何ら変わりはないことを前提に、つまり身分の違いはないことを前提に、公務部門であることから一定の制約を課するというのが、その公務員法制なのである。終戦直後に、日本が占領下で新たに形成した法制度は、間違いなくそのようなアメリカ型の法制であった。それは戦前のドイツ型公法私法二元論に立脚した身分制システムとは断絶したはずであった。
 ところが、戦後制定された実定法が明確に公務員も労働契約で働く者であることを鮮明にしたにもかかわらず、行政法の伝統的な教科書の中に、そしてそれを学生時代に学んだ多くの官僚たちの頭の中に生き続けた公法私法二元論は、アメリカ型公務員概念をドイツ型官吏概念に引きつけて理解させていった。その結果、公務部門で働く者はすべて(ドイツ的、あるいは戦前日本的)官吏であるという世界中どこにもあり得ないような奇妙な事態が生み出されてしまった。結論を先取りしていえば、その矛盾を背負って生み出され、増大していったのが、非正規公務員ということになる。
 ドイツ型(戦前日本型)システムであれば、官吏ではない雇員・傭人の雇用は私法上の雇用契約法制が守ることになる。一方、アングロサクソン型のシステムであれば、(集団的労使関係の特例は別として)公務部門にも当然雇用契約法制が適用される。ところが、戦後日本の非正規公務員とは、公務員だからといって私法上の雇用保護は否定されながら、官吏型の身分保障からも遮断された谷間の存在になってしまった。いわば、非正規公務員とは、ドイツ型公法私法二元論とアメリカ型一元論とがねじれながら奇妙に癒着したシステムが生み出した私生児なのである。
 
2 公務員は現在でも労働契約である
 
 上で述べた「戦後制定された実定法」は、現在でもちゃんと六法全書の上に載っている。本誌二〇一〇年一〇月号に掲載した「地方公務員と労働法」で述べたように、一九四七年に制定された労働基準法は、その第一一二条で「この法律及びこの法律に基づいて発する命令は、国、都道府県、市町村その他これに準ずべきものについても適用あるものとする」と規定している。これは、民間労働者のための労働基準法を公務員にも適用するためにわざわざ設けた規定ではない。制定担当者は「本法は当然、国、都道府県その他の公共団体に適用がある訳であるが、反対解釈をされる惧れがあるので念のために本条の規定が設けられた。」と述べている。労働基準法制定時の国会答弁資料では「官吏関係は、労働関係と全面的に異なった身分関係であるとする意見もあるが、この法律の如く働く者としての基本的権利は、官吏たると非官吏たるとに関係なく適用せらるべきものであつて、官吏関係に特有な権力服従関係は、この法律で与へられた基本的権利に付加さるべきものと考へる」と述べていた。戦前のドイツ的官吏身分の思想を、明文で否定した法律である。
 集団的労使関係をめぐる後述の経緯で非現業国家公務員は労働基準法が全面適用除外となったが、非現業地方公務員には現在でも原則として労働基準法が適用されることは周知の通りである(いや、実は必ずしも周知されていないようだが)。適用される労働基準法の規定の中には、「第二章 労働契約」も含まれる。第一四条(契約期間の上限)、第二〇条(解雇の予告)も適用されるし、解雇予告の例外たる「日々雇い入れられる者」等もまったくそのまま適用される。労働基準法は、非現業地方公務員が労働契約で就労し、解雇されることを当然の前提として規定しているのである。
 労働基準法のうち適用されない規定は、第二条の労働条件の労使対等決定原則など、集団的労使関係の特性から排除されているものであって、就労関係自体の法的性格論(公法私法二元論)から来るものではない。この点は、全面適用除外となっている国家公務員法でもまったく同じである。周知のごとく、二・一ストをはじめとする過激な官公労働運動に業を煮やしたマッカーサー司令官が、いわゆるマッカーサー書簡において、「雇傭若しくは任命により日本の政府機関若しくはその従属団体に地位を有する者は、何人といえども争議行為若しくは政府運営の能率を阻害する遅延戦術その他の紛争戦術に訴えてはならない。何人といえどもかかる地位を有しながら日本の公衆に対しかかる行動に訴えて、公共の信託を裏切る者は、雇傭せられているが為に有する全ての権利と特権を放棄する者である」と宣言した。これを受けて行われた国家公務員法改正で、(団体交渉権や争議権を否定するのみならず)勢い余って(一部に労使対等決定原則を定める)労働基準法まで全面適用除外にしてしまったのだが、それは少なくともアメリカ側当事者の意識としては、官吏は労働契約ではないからなどという(彼らには想像もつかない)発想ゆえでは全くなかったことは、そのマッカーサー書簡の中に「雇傭せられているが為に有する全ての権利」云々という表現が出てくることからも明らかであろう。
 なお、戦後六〇年以上経つうちに労働行政担当者までが(大先輩の意図に反して)公法私法二元論に疑いを持たなくなったようで、二〇〇七年制定の労働契約法は国家公務員及び地方公務員に適用されていない。通達では「国家公務員及び地方公務員は、任命権者との間に労働契約がないことから、法が適用されないことを確認的に規定したものである」などと述べているが、自らが所管する労働基準法の明文の規定に反する脳内法理によってそれと矛盾する実定法を作ってしまうほどにその病は重いように見える。ちなみに、労働基準法が適用除外されている家事使用人についてすら、労働契約であることに変わりはないからとして、労働契約法は適用されているのである。
 
3 国家公務員法の原点の発想
 
 マッカーサー書簡を実際に執筆し、GHQの公務員部長として戦後日本の公務員制度を基本から設計したキーパースンが有名なブレーン・フーバーである。今日に至るまで、公務員法制の基本骨格はフーバーの思想に基づいて構築されている。それは身分的官吏概念とは対極に位置する公務員制度であった。それを象徴するのが職階制である。これは、公務部門の職務を詳細に分類整理し、その職務の明細をきちんと記述し、これに基づいて広く公募し、その職務にもっともふさわしい者をその職に充てるという仕組みである。一九五二年に施行された人事院規則八-一二(職員の任免)について、『人事院月報』27号の「新任用制度の解説」は、「国家公務員法における任用とは官職の欠員補充の方法であると考えられる。すなわち官職への任用であり、職員に特定の職務と責任を与えることであって、職員に或る身分若しくは地位を与えることではない」と述べている。筆者が『日本の雇用と労働法』(日経文庫)や『若者と労働』(中公新書ラクレ)等で用いた言い方を使えば、もっとも典型的なジョブ型の雇用システムであった。
 この時期には、少なくとも人事院は本気でこのシステムを実施しようとしていたようである。その現れが、国家公務員法施行に伴いその附則で「その官職に臨時的に任用されたものとみな」された本省課長以上の官職について、一九五〇年に実施されたいわゆるS-一試験である。
 しかし、この試験が著しく不評を買っただけではなく、職階制自体が他の官庁から極めて強い批判を浴びた。結局一九五〇年に職階法が成立した後も、人事院では職種の決定、職級の設定、等級の設定、格付け等実施準備を進めたが、ついに一度も実施されることなく、多くの人の関心から消え去っていった。戦後公務員の世界は戦前の官吏の世界を再現するように、典型的にメンバーシップ型の雇用システムを構築していったのである。
 ただし、戦前と違ったのは、戦前型システムにおいて公務部門労働力の多数を占めていた私法上の契約による雇員・傭人という枠組が、戦後型システムにおいては全面的に否定されてしまっていたという点であった。戦前の高等官に相当する六級職試験(後の上級試験)、戦前の判任官に相当する五級職試験(後の中級試験)に加え、戦前の雇員に相当する四級職試験(後の初級試験)という身分的枠組が次第に形成されていく中で、公法私法の区別なく全員が公務員というアングロサクソン型システムは、全員が(公法上の)官吏という世界のどこにも存在しないシステムに転化していったのである。
 
4 非正規公務員の発生と拡大
 
 非正規公務員という奇妙な存在が発生してきた原因を探ると、戦前の嘱託制度を受け継ぐ臨時職員制度が、一九四九年の国家公務員法改正により一般職として扱われることになり、常勤臨時職員は定員に組み入れられ、定員外の非常勤臨時職員は人事院規則一五-四で規律されることとなったことにさかのぼる。このとき、従来臨時職員の取扱いを受けていなかった人夫、作業員等も非常勤職員とされ、勤務時間が四分の三に制約されたため、公共事業実施官庁から苦情が集中し、翌年任用形式を日々雇い入れとすることで対処した。とはいえ、その実態は引き続き長期にわたって雇用され、常勤職員と差がない状態であった。
 そこで、一九五〇年九月の事務総長通達(任審発第二七〇号)により「常勤労務者」制度が設けられた。「雇用の期間は二か月とし、その者が実質的には一二か月を超えて継続して勤務できる者であること」を要件とするなど、その出発点から歪みを孕んでいたといえる。さらに、同通達では「職務の内容が肉体的、機械的な技能労働であること」と、戦前の傭人に当たる肉体労働者のみが対象であるはずであったのに、一九五一年三月の京都大学農学部附属演習林照会に対する二三-一七四人事院給与局実施課長回答は「非常勤職員であっても、日々雇い入れられる者は、事務、労務にかかわらず、一日の勤務時間は八時間以内で所轄庁が定めることができる」と述べ、デスクワークの者も公然とフルタイムの非常勤職員として採用できることとなった。この結果、常勤労務者の範囲も公共事業実施官庁のみならず各省庁にどんどん拡大していくこととなった。
 この事態に対し、当時の各省庁職員組合から相次いで人事院に対し、非常勤職員の勤務条件に関する行政措置の要求がなされたが、これに対する人事院判定は見るべき改善がなされなかった。(本節の記述は、今橋脩『非常勤職員の取扱<新版>』(学陽書房、一九五七年)を参考にした。)
 
5 公務員制度調査会の提案
 
 この頃、公務員の労働基本権という集団的労使関係法制上の問題を中心課題として、政府の公務員制度調査会や与党自由党の行政改革特別委員会国家公務員制度部会が議論を行い、いくつかの提案をしているが、それは上述のように拡大しつつあった非正規公務員問題に対する解決策となるものでもあった。その基本的発想は、戦後導入されながら現実との間で乖離を起こしていた「公務部門で働く者はすべて公務員」というアングロサクソン型の考え方をやめてしまい、再びドイツ型(戦前日本型)の二元システムを制度としても導入することで矛盾を解消しようとするものであった。
 まず自由党の上記部会が一九五四年一一月にまとめた国家公務員制度改革要綱案では、「国は、・・・特定の業務について、私法上の雇用関係を結ぶことができるものとし(仮称「国家従業員」)、これは公共の福祉上の要請に基づく点を除き、おおむね一般の民間の雇用関係と同一の法律関係にあるものとする」とした上で、「国家公務員の団体行動権は現状通りとするが、国家従業員については、公共の福祉上問題がない限り、原則として労働三権を適用する」としている。国家公務員の中で労働法の適用関係を区分しようとするのではなく、労働法を適用すべき公的労働者を端的に公務員ではなくしてしまおうというものであった。
 公務員制度調査会における審議も同様の考え方を基礎として進められた。一九五五年三月に田中二郎委員がまとめた第二次案は、「現行法上国家公務員とされているもののうち、単純な労務に従事する職員(以下「国家労務職員」)は、国家公務員に属しないものとすること。これらの者の範囲は、法令上明確に規定するとともに、これらの者は、私法上の雇傭関係に立つ者として、国家公務員法上の厳重な諸制約を解除又は緩和し、必要な範囲においてのみ特別な規制をなすものとすること。」「国家労務職員については、原則として、労働三法の適用があるものとするが、その労務が公務の遂行に密接な関係を持つ国家労務職員については、公益上の見地から、争議行為を禁止すべきものとすること。」としていた。
 この田中二郎案に対して、同調査会の佐藤・大山・滝本三氏の意見は、国家労務職員の外に臨時職員をも非公務員とすることを求め、これを受けて七月にまとめられた第三次案は、「現行法上国家公務員とされているもののうち、臨時の業務に従事する者は、国家公務員に属しないものとすること。これらの者は、私法上の雇傭関係に立ち、一年以内の期間を限って雇傭される「臨時職員」とし、国家労務職員とおおむね同一の規制をなすものとすること」としている。こうして八月に小委員会案が総会に報告されたが、これに対して各省庁からは「現行定員は累次の人員整理で削減されてきたので、現在常勤労務者とされているものもその従事している事務は決して単純な労務ではなく、・・・補助的ではあるが極めて重要な行政事務に従事している場合が多い」という批判が見られる。もっとも、労働省は「単純な労務に従事する労務職員を国家公務員に属しないものとしこれに労働法を適用することは賛成である」と述べている。
 いずれにしても、公務員制度調査会は一一月に内閣総理大臣に答申を行い、これを受けて、政府は総理府に公務員制度調査室を設け、立案作業を始めた。同室は一九五六年八月、国家公務員法改正法案(第一次試案)をまとめた。そこでは、第三条(国家公務員の定義)の第二項として、「国は、単純な労務又は臨時の業務に従事させるため、国家公務員以外の者を雇用し、又は国家公務員以外の者に常時勤務を要しない諮問的、調査的その他の公務を委嘱する場合を除くほか、国家公務員以外の者を置いて、その勤務に対し給与を支払ってはならない。」という規定が置かれている。
 翌一九五七年六月、公務員制度調査室は第二次試案をまとめた。これも内容は第一次案とほぼ同様であったが、政府部内の意見が必ずしも固まっていなかったこともあり、国家公務員制度の全面的な改善案を直ちに打ち出すに至らなかった。一九五八年七月から総理府総務長官の下に公務員制度改革起草委員会を設け、具体案の検討を命じた。政府は一九五九年一月中旬までに関係省庁間の意見調整を終え、具体案の作成を完了する予定であったが、関係省庁間の意見の相違でその成案を得ることが困難であった。そこで、内容を人事行政の一元化と公務員の範囲の明確化に限ったが、なお人事院改組問題に対して、人事院が独立性を脅かすものとして強く反対したため、調整がつかず、ついに国会提出は困難と判断し、この問題に終止符が打たれてしまった。
  これ以後、公務員の労働基本権問題は繰り返し議論の俎上に載せられ、周知の通り去る二〇一一年六月には国家公務員の労働関係に関する法律案が、二〇一二年一一月には地方公務員の労働関係に関する法律案が国会に提出されるに至っている(いずれも二〇一二年末に廃案)が、半世紀前にはそれと同じ土俵で議論されていた非正規公務員問題に対しては、世間の関心の高まりをよそに、法政策としてはまったく取り組む気配さえ見られないままである。
 
6 非正規労働者と非正規公務員
 
 以上の話の流れは、ある程度まで民間労働者に適用される労働法と並行している。もちろん、戦前システムで官吏と対比された雇員・傭人が属する民法の雇傭契約も、それに付加する形で終戦直後労働基準法等で規定された労働契約も、ジョブ型雇用を前提とした法制度である。すなわち、労働者の採用とは、職務の欠員補充の方法であって、職務への採用であり、労働者に特定の職務を与えることであって、労働者にある身分を与えることではない・・・という大前提で構築されている。
 ところが、現実の日本社会で慣習的に発展してきた雇用システムにおいては、雇用契約に職務の定めはなく、使用者の命令に従っていかなる職務をも無限定に遂行する義務を負う代わりに、その職務がなくなっても解雇が正当化されず、企業内に配転可能性がある限り雇用を維持することが規範となる。筆者はかかる雇用のあり方をメンバーシップ型と呼んできたが、その源流をたどると、戦前の官吏の無定量の忠誠義務に至るのかも知れない。いずれにしても、実定法の前提と異なる慣習法が社会の全面を覆うようになる中で、紛争処理を迫られた裁判所は現実社会のルールに沿った形で判例法理を確立してきた。それが、整理解雇法理、就業規則の不利益変更法理、配転法理など、日本独特の労働法理である。かかる世界においては、採用とは労働者に「正社員」という身分を与える行為に転化する。
 そして、使用する労働者全員をメンバーシップ型の枠組に入れることができない以上、そこからこぼれ落ちた労働者を「正社員」と対比される非正規労働者というジョブ型の枠組に囲い込んで処理することが一般化した。彼らは欧米でごく普通のジョブ型労働者と異なり、低賃金で仕事があってもいつ切られるかわからないなど雇用も極めて不安定である。しかし、法の大原則からすれば、「正社員」も非正規労働者も雇用契約に基づいて就労していることに変わりはない。裁判所も累次の判決で、非正規労働者の雇止めに対して解雇権濫用法理の類推適用という手法で救済を図ってきたし、二〇一二年の改正労働契約法は反復更新された有期契約の一定条件下における無期転換を規定した。現実に存在する「身分」の論理を、法の前提たる「契約」の論理によって乗り越えようとするものといえよう。
 上述のように、日本の公務員法制は(その立案者の明確な意図では)民間労働法制の原則と同様にジョブ型で構築されている。実定法上では公務員は身分ではないのだし、就けられた仕事がなくなれば解雇されるというごく当たり前の原則も明記されている(「分限免職」とは整理解雇そのものである)。ところが、実定法上の根拠の存在しない公法私法二元論にとらわれた公務員の世界では、非正規公務員も(民間と異なる)身分とされることによって、就けられた仕事があっても切られるという事態に対して、この手法が通用しないこととされてしまっている。冒頭の諸判決も、それがゆえに損害賠償という決着を図っているのであろう。このように、事態は二重三重四重にねじれにねじれきっているのである。
 
7 ジョブ型公務員
 
 この八方ふさがりの状況に穴を開けるにはどうしたらいいのか、一つの提案を披露させていただきたい。
 上記民間の非正規労働問題について、労働契約法により有期の無期転換という法政策がとられたが、(一部経済学者を含む世間の無知な批判とは異なり)それはメンバーシップ型の「正社員」に転換させようとするものではない。期間の定めはないが無限定の義務を負うわけではない欧米でごく普通の、そして日本の実定労働法が前提とするジョブ型の無期雇用契約に転換させようとしているのである。筆者はこの雇用のあり方をジョブ型正社員と呼び、現在の正社員からの転換も含めて、雇用システムの一つの軸として促進していくべきと考えている。慣習として現存するメンバーシップ型正社員は当面それとして維持しつつ、その横にジョブ型正社員が拡大成長していくというイメージである。
 このジョブ型正社員のアイディアを、公務部門にも応用することはできないであろうか。これまた実定法の本旨に反するとはいいながら行政法の教科書とともに当事者たちの脳内に現存してきた官吏身分的公務員観は当面それとして維持しつつ、その横に欠員補充型、職務に人をあてはめるタイプの、労働契約に基づく公務員を設けるのである。期間の定めはないが、契約で職務が限定されているのであるから、当該職務が消滅ないし縮小したときは配転義務はなく、実定法の原則通り淡々と分限免職(整理解雇)となる。
 ある意味でこれは半世紀前の、公務員制度調査会等が提起した「国家従業員」「国家労務職員」構想の再現とも言えよう。ただし、現在の非正規公務員たちの従事している職務の高度さや恒常さを考えれば、それが単純労務や臨時といった名称でくくれるようなものではないことだけは間違いないであろう。
 そして、現在も実定法上公務員はすべて労働契約に基づいて就労しているはずなのであるから、ジョブ型正社員が労働者の本来の姿であるのと同様に、ジョブ型公務員が公務員の本来の姿であることも、忘れてしまっていいわけではない。ただ、それはもう少し先の話であろう。

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正しい労働時間規制のあり方とは?」@『GENKI』107号

107損保労連の機関誌『GENKI』107号に「正しい労働時間規制のあり方とは?」 を寄稿しました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/genki1312.html

 今年6月に閣議決定された「日本再興戦略」では、労働法制については「ワーク/ライフ・バランスや労働生産性向上の観点から、総合的に議論し、1年を目途に結論を得る」とのみ書かれ、具体的な方向性は示されていません。しかしながら、同日に閣議決定された規制改革実施計画では、「企画業務型裁量労働制やフレックスタイム制」をはじめとした労働法制について総合的に検討することとしており、これは、6年前にホワイトカラーエグゼンプションが話題になったときと似たような論議が俎上に上げられようとしています。
 
こうした動きに対して、筆者は6年前のホワイトカラーエグゼンプション騒動のデジャビュを感じつつ、その間に何の進歩も見られないことに嘆息を漏らさざるを得ません。このホワイトカラーエグゼンプションについて、当時、マスコミや一部政治家からは「残業代ゼロ法案」であるとして問題視する声が寄せられていましたが、この制度の本来の趣旨である労働時間と賃金のリンクを外して成果に見合った報酬を払うという観点自体には正当性はあるのであって、むしろ本質的な問題は、労働時間が無制限に長くなって労働者の健康に悪影響を与えないようにするための歯止めとして実労働時間規制を確立することにあると、筆者は繰り返し主張してきました。
 
そもそも、こと物理的労働時間規制に関する限り、日本の労働時間規制は世界的に異常なまでに緩いのです。周知の通り、過半数労働組合または過半数代表者との労使協定さえあれば、事実上無制限の時間外休日労働が許され、(かつての女子保護規定と)年少者を除けば、法律上の労働時間の上限は存在しません。それゆえに、日本はいまだにILO(国際労働機関)の労働時間関係条約をただの一つも批准することができないままなのです。
 
ところが、時間外・休日労働や深夜労働の割増賃金規制は、確かに世界的に見てかなり厳格です。しかしながら、それは物理的労働時間規制ではなく、単に管理監督者でない限り法定労働時間を超えたら割増賃金を時間比例で払えと義務づけているに過ぎません。どんなに高給の労働者であっても、それに応じた高い割増を払わなければならないということを、何が何でも守らなければならない正義とまで言えるかどうかは難しい問題です。とりわけ、裁量性の高い働き方をしているホワイトカラーの場合、労働時間と賃金を厳格にリンク付けることには、働きに見合った処遇、ひいては労働者同士の公平性という観点からも大きな疑問が呈されるのではないでしょう。
 
 ところが、6年前のホワイトカラーエグゼンプションの論議において、政府は、「自律的な働き方」とか「自由度の高い働き方」といった虚構の議論で押し通そうとして世論からの反発を受けていました。しかしながら、この時労働側は、世論で展開された「残業代ゼロ法案」との主張とは異なり、もっぱら過労死の懸念を審議会などにおいて繰り返し強調していました。すなわち、時間外手当は適用除外することはできても、過労死した労働者に対する労災補償は適用除外できないのですから、当然のことです。このことは実は経営側もわかっていました。経団連はその提言において、「労働時間の概念を、賃金計算の基礎となる時間と健康確保のための在社時間や拘束時間とで分けて考えることが第一歩」だと述べ、「労働者の健康確保の面からは、睡眠不足に由来する疲労の蓄積を防止するなどの観点から、在社時間や拘束時間を基準として適切な措置を講ずる」ことを主張していたのです。
 
しかしながら、マスコミや政治家はこの問題に対し、過労死防止という観点を忘れ去ったまま、もっぱら「残業代ゼロ法案」であり問題があるという批判を繰り返していました。この結果、本来の趣旨であったはずの労働時間と賃金の過度に厳格なリンケージの緩和という問題意識が、残業代ゼロにすり替えられ、法案自体が悪事であるとの風潮が形成されていました。このため、政府は、こうした風潮を打破するためにも、あらためてワーク/ライフ・バランスを偽善の言葉としてまとわせることになってしまったようにも見えます。従って、この問題を正しく処理していくために何より重要なことは、きちんと労働時間規制と賃金規制を区分けして、各々の本質に沿った議論を進めていくことではないかと考えます。
 
 では、労働時間規制の本質とは何でしょうか?それは何よりもまず、長時間労働による健康被害を防止し、心身ともに健康に働き続けられるようにすることにあるはずです。労災保険における過労死認定基準では、月100時間を超える時間外労働は業務と発症との関連性が強いと評価されますが、それでも労基法上は違法ではありません。この不整合は是正される必要があります。
 
 現在、社会全体では、労働の現場ではますます長時間労働が蔓延し、過労死や過労自殺といった問題はいっこうに収まる気配が見られません。今年6月に公表された昨年度の脳・心臓疾患と精神障害の労災補償状況でも、脳・心臓疾患は338件(前年度比28件の増)、精神障害は475件(前年度比150件の増)と、増加の一途をたどっています。労働時間規制の本質に立ち返るならば、まず何よりもこの趨勢を打開させるために、物理的労働時間規制を強力に進めることが必要です。その際、これまでの労働時間規制の流れとは一旦切り離して、健康確保のための規制として、当日の勤務と次の日の勤務の間に決まった休息時間を確保する、いわゆる勤務間インターバル規制などを法制上の制度として打ち出していくことも重要な課題であると考えます。
 
 一方、賃金規制の本質とは、過度な低賃金の廃絶とともに、労働者間の賃金の公正さを確保することにあります。額面の賃金額を無意味化するようなサービス残業の横行は断固としてなくしていかなければなりませんが、個々人の裁量性が高く、成果で評価されることが普通のホワイトカラー職場において、過度に厳格な残業時間比例賃金が労働者相互間の公平感に反するような事態があるならば、それを無理に守らせることはかえって問題を生むことにもなりかねません。
 
いかなる賃金制度が公正であるかは、究極的には労使の集団的な意思決定の中でしか決めることはできません。職場で働くみんなの多数意見で決めた賃金のあり方を否定しうるのは、健康確保や差別禁止といった絶対的価値基準によるものだけでしょう。その意味で、労基法37条(時間外、休日及び深夜の割増賃金)の適用のあり方は、まさに現場の労使で決めるにふさわしい事項であると思われます。このことから、筆者は、現行の企画業務型裁量労働制にもまだまだ改善の余地があるものと考えており、具体的には、みなし労働時間制などというもってまわった仕組みではなく、端的に労基法37条の適用除外制度として再構成すべきではないかと考えています。そして、こうした論議を進めていくうえで、重要なことは、賃金規制を健康確保のために適用されるべき物理的労働時間規制とごっちゃに議論しないことだと考えます。


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今朝のNHKニュースに登場していました

本日早朝のNHKニュースの、「働き方に関わる政策 議論本格化」という報道のところで、私のコメントが数秒放映されました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140105/k10014259711000.html

労働政策審議会の映像に重ねて、労働時間や限定正社員の議論が今年進められることを伝えていますが、リンク先の映像の最後のところで、

労働政策研究研修機構・濱口桂一郎統括研究員は「働く人たちの利益を集団的にどう守っていくのかという議論、少なくともここ数年来のうちに必ずそういう議論になってくるだろうし、議論していかなければならない」

等と語っております。

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卒論指導はメンバーシップ型?

「ジョブ型」「メンバーシップ型」という言葉がはやるのはいいんですが、

http://d.hatena.ne.jp/sean97/20140103/(ジョブ型大学)

中国の先生と話していると、彼我の違いに気づかされ、いろいろ面白い。

先日、卒論の話になって、・・・

卒論一人指導するごとに手当が出るという話を聞いて、

こうしてみると、日本の大学、完全に「メンバーシップ型」なんですね。ほとんど何でもやる/やらされる(可能性がある)。お手当も、ない場合も多い。

なんでもやるといっても、卒論指導は十分教育職のジョブディスクリプションの中に入っていて不思議ではないと思いますが。

それこそ、生活指導で夜の盛り場で生徒の行動を見張らされる中学や高校の先生から見れば、大学の先生は十分すぎるくらいジョブ型のような・・・。

・・・というと、いやいや最近の大学のセンセは学生さんの生活指導で忙しいんだよ、という声が聞こえてきますが・・・。

何にせよ、卒論指導が基本給に込みか別途手当を出すかどうかと、ジョブ型メンバーシップ型とはちょっと違う話のような・・・。

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樋口美雄「経済の好循環実現に向けた課題」@ESRI

内閣府の経済社会総合研究所の『ESR』冬号に、樋口美雄さんの「経済の好循環実現に向けた課題」というインタビュー記事を載せています。

http://www.esri.go.jp/jp/esr/data/esr_003.pdf

その中で政労使会議におけるマクロの賃上げ論議の意義を、次のように明確に述べています。

(樋口)・・・日本の雇用者の賃金は基本的に個別労使における賃金交渉で決められてきました。従来は、春闘という形で各企業とも同時期に労使交渉を行い、それが社会的に他企業へ波及するメカニズムが働いていました。今でもそういった形は残っていますが、個別労使での賃金交渉という議論が強まる中で、それぞれの企業と組合にとって何がベストの選択なのか議論され、その結果、波及効果が失われてきました。そこで、今回は個別労使だけではなく、全体的に労働組合と産業界トップの方々に御参加いただき、また政府も入って、賃上げについて議論していくことになりました。その役割は、一つには雰囲気づくりがありますし、さらには政策を提示しながら、情報共有を通じて、個別労使交渉における合理性の結果が社会全体のプラスになっているかという点まで含めて議論いただくことだと思います。

─ 日本の賃金交渉は非常に分権的で、ミクロの合理性がマクロの合理性に結びつかないというお話でした。確かに日本の賃金交渉はかなり分権的なものに位置づけられると思いますが、80 年代に、インフレの下において、集権的な労使交渉か、または分権的な労使交渉の方が賃金を抑制するのにはよく、産業レベルで交渉を行っていると賃金引上げ幅が大きくなって、なかなかインフレが抑えられないという議論があったと思います。以前と異なり、今ではむしろ分権的な交渉スタイルが賃金引上げを難しくしているのでしょうか。

(樋口)賃金決定のメカニズムが分権的か集権的かは、一つは賃上げにどう影響を与えるか、もう一つは失業問題あるいは雇用創出にどう影響を与えるかという、二つの尺度から見なくてはいけないと思います。過去5 年間くらいの労働市場のパフォーマンスを考えると、アメリカやヨーロッパでは生産性の向上を上回る賃金アップが起こっています。それに対し日本では、生産性の伸びの方が高く、賃金は横ばいか下がっています。賃上げで見ると確かに日本のパフォーマンスは悪いのですが、一方で失業率を考えると、他国では急激に上昇する中で、日本はパフォーマンスが高いと評価できます。
なぜそういった違いが生まれているかを考えると、賃金決定が分権的であればそれぞれの企業業績に応じて賃金を決めるのですから、業績が悪くなれば雇用を守るために賃金引下げも行われうることになります。
また、労働市場の構造を考えると、日本では外部労働市場が未整備であることから、どうしても何とか雇用を守らなくてはいけない。企業から排出されてしまえば長期失業を覚悟しなくてはいけないですし、うまく就職できても賃金が低下してしまうことがあります。
一方、アメリカなどでは、労働組合が平均賃金を引き下げるから雇用を守ってくれと申し入れたとしても、必ずしも経営側がよしとしないわけですね。その企業の平均賃金が下がりますと、外部労働市場が整備されていて転職コストが低いため、優秀な労働者が他の企業に転職してしまう。優秀な労働者が転職してしまえば、残っているのは生産性の低い人たちになるので、企業としても、平均賃金は下げてもそれ以上に生産性が下がっては合理的でないと考えます。このように、単に賃金決定が分権的か集権的かというだけでなく、どれだけ外部労働市場が充実しているかによって違ってきます。

こういう日本以外では労働側、左派の側が論じるようなことが、日本ではすっぽりと抜け落ちてしまい、東京新聞に至っては、昨年末に自分では労働側に立ったつもりでこういうリベサヨな社説を平然と掲げる位なのですから、

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013122402000147.html政労使会議 自主的な賃上げが筋だ

政府と労働組合、経済界による政労使会議が「賃上げ」で合意したことは、政府が労使交渉に介入するあしき前例にならないだろうか。賃下げや解雇までもが、政府の裁量でできてしまいかねない。

・・・政府はあれこれ介入せず、賃金については、最低賃金だけを決めるといった環境整備に徹すべきだ。政府が「何でもできる」のであれば、それはもう自由主義経済ではない。計画経済や統制経済である。勘違いに気付くべきだ。

ミクロな企業レベルの合理性を脱し得ない企業別賃金交渉しか視野にない点に加え、解雇云々についてもあたかも国家の法律で解雇できたりできなかったりするかのように思い込んでいるところが、見当はずれな一部の解雇自由化論者とまったく同型的であるあたりも、日本型リベサヨの日本型ネオリベと共有するガラパゴス症候群がよく浮かび上がっています。

と、話が横道にそれましたが、その先では「失業なき労働移動」に関わって雇用システムのあり方についても論じています。

(樋口) 労働力が余っている企業・産業から足りない企業・産業に移動することは、マクロ的にも個々の企業にとっても望ましいと思います。また、働く者にとっても、自分を必要とするところに移動することはプラスだろうという面もある。労働市場の流動化そのものは高く評価されるべきと思います。それを具体的にどう実現していくかで、現在の議論は解雇規制の緩和からスタートしているわけですが、失業なき円滑な労働移動を実現するためには、その一方で、企業の内部労働市場をどうするかを考えるべきではないでしょうか。日本では、企業の側にいろいろ無限定な裁量権を与え、大企業ではその下で雇用は保障してくれる形になっていて、企業内異動は、職種の変更も含めて非常に頻繁に行われています。結果として、個々の労働者にとってジョブがなかなか明確に見えず、あるいは選択できないところがあります。個々人の立場からすると、企業の裁量に基づいて異動してきたにもかかわらず、業績が悪くなったから整理解雇ですと言われた場合に、自分のできる仕事やキャリア形成が明確になっておらず、選択できないために、他の企業で仕事を探そうとしても、再就職が難しかったり、どうしても雇用条件が悪化せざるを得ない面があります。ですから、内部労働市場つまり企業の中で、個々人のキャリア形成を認めていく方向に進んでいかないと、なかなか労働市場の流動化は起こらないと思います。この動きが進むことで、労働者にとっては企業に残る選択肢も他の企業に転職する選択肢もでき、初めて企業と労働者の間で交渉上の地歩が対等になってきます。

─ 日本企業は、労働者が幅広いジョブローテーションを通じて幅広い熟練を身につけ、それが生産性を上げるのに役立ってきたという議論があったと思いますが、今のお話は、それをあまり広げ過ぎず、少し限定した方が望ましいということでしょうか。

(樋口) やはり個人が意識して仕事を選ぶことが重要だと思います。日本企業では、個人が自主的にジョブを選んでいるわけではなく、企業側の都合で行われてきたわけです。過去の成長期には、経済とともに企業も成長し、社内において新しい部門や業務が増えていったため、社内異動によって能力を活用できるところがありました。しかし、最近は企業が成長しない中で雇用をどのように守るかというところで、人件費の削減という形で非常に内向きになっているところがあります。また、ジョブもある程度広がりを持たないと能力は向上していかないですから、ある程度幅のある柔軟なジョブの概念が望ましいことになります。要は、個人が自らステップアップしていくチャンスを作れるかという点と、その上で個人が意図的にステップアップしていくインセンティブを高められるかということだと思います。それが社会的に実現できてこそ、労働者の自己責任や、ワークライフバランスの議論もできるようになると思います。「多様な正社員」の議論も、こうしたことにつなげていかなければならない。

また、自称経済学者が勘違いしてやまないサービス業の生産性の問題についても、

前に御質問の中で出ていたサービス業ですが、確かにアメリカと比較すると、日本は第三次産業を中心に生産性が低いわけです。だからといって、日本のサービスの質がアメリカに比べて見劣りするかというと、決してそうではない。これには、サービスの質と料金が必ずしも対応しておらず、サービスが安過ぎるということもあります。しかし、値上げをすると他の企業に顧客が持っていかれるという危機感がある。サービス自体が企業を超えて非常に画一的なものになり、価格競争に引き込まれているところがあります。そこで、どうすれば付加価値を高め、高い値段でもサービスを買ってもらえるのかという意識が非常に重要で、他の企業や地域ではまねできない独自性を出すことが求められます。
また、日本だとサービスはただという意識がありますが、これほど労働集約的な仕事はないわけですから、よいサービスに対してはそれなりの対価を払うことも必要ではないでしょうか。質の高いサービスに払う料金を安くすることで何とか顧客を確保しようとしてきたところがあると思いますが、それだけをしていたのでは限界があります。各企業ではいろいろな取組が行われつつあって、必ずしも安い値段での競争ではなく、サービスの質を向上させることで競争しようとするところも出てきています。今まで価格という一次元で競争してきましたが、それを多元的な競争に切りかえていくことが重要なのではないでしょうか。
効率性というと何となく人を減らしてということになりますが、人をどのように大切に使うかも非常に重要ですし、ワークライフバランスの議論ともつながってくるのですが、会社にとっても、働いている人にとっても、また社会にとっても時間は有限です。したがって、時間を大切にするような働き方、いかに付加価値を高められるように時間当たりの効率をよくして無駄なことを減らしていくかが重要です。やはり労働は貴重な資源だというところに議論が戻るのだと思いますね。

本当にわかっている人は、どの問題についても的確なことを語るということがよくわかるインタビュー記事です。マスコミの人々も、人を煽るしか能のない低レベル評論家ばかり使いたがらず、こういうまともな意見をちゃんと伝えるようにしないといけませんね。

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老いるニート、孤立化進む@日経

本日の日経に「老いるニート、孤立化進む」という記事が載っています。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2002Q_S3A221C1SHB000/?dg=1

昨年11月の平日の昼下がり、思い立ってアパートを出た。髪を整えるのも、靴ひもを結ぶのも3カ月ぶり。青々としていたイチョウの葉はいつの間にか黄色く染まっていた。「まるで浦島太郎だ」。つぶやきが口をつく。

千葉市の小沢猛さん(仮名、43)は9年前に退職してから働いたことがない。大卒後に正社員として就職できず、アルバイトや派遣を転々とした。最後は運送業。心身ともに疲れ果て、その後、求職活動はしなかった。

毎月末、近所に住む母親(69)が振り込む15万円が唯一の収入源。部屋でテレビを見たり、ゲームをしたりするうちに日が暮れる。母親は「幼い頃から、私も夫も仕事であまり構ってあげられなかったからかも」と話す。年金生活で息子を支えるのは楽ではないが「罪滅ぼしのつもり」という。・・・

ニートの高齢化についてのこの記事の最後に、豊中市の西岡正次さんが登場します。

「私たちが死んだ後、この子は独りで生きていけるんでしょうか」。長期失業者の自立支援などを行う豊中市保健所(大阪府豊中市)には、年齢を重ねる引きこもりの子を持つ老齢の母親から、切実な声が寄せられる。

同市は今年度、スネップやニート、引きこもりへの支援を始めた。市が委託した社団法人が家族から話を聞き、NPO法人とも協力して自立への足がかりを探す。

ただ、社会を挙げて問題に向き合っているとはいえないのが現状。豊中市市民協働部の西岡正次理事は「孤立した当事者を見付けても、その後どうするのかという解答が見つかっていない」と指摘する。

この話は、昨年11月に豊中市での豊能地域雇用・労働行政連絡協議会にお呼びいただき、講演した後の討論会の場でも結構出席した方々から出ていましたね。

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