『若者と労働』の書評など
拙著『若者と労働』に、Kitokuさんの「地下書庫に憩う日々」というブログが書評をいただいています。
http://kitoku.hatenablog.jp/entry/2013/12/23/000736
初めは、ちょっと軽いノリの語り口だと思ったが、とても興味深かった。
ジョブ型とメンバーシップ型についてや、一斉採用の歴史等、断片的に知っていたことが改めて整理された感じがする。本書では、日本の労働法は本来はジョブ型就労の社会を前提としたものであるのに、これまで実態として中間層の働き方がメンバーシップ型であったために、判例等を積み重ねてそれに対応して来たということが解説されている。ハローワークがジョブ型就労を前提とした機構であり、新卒生にほとんど縁がないことが解説されているところは、これまで抱いていた疑問が解けてなるほどと思った。・・・
「軽いノリ」のつもりではなかったのですが、できるだけ読みやすくという気持ちがそういう風に表れていたとすれば、それは望ましいことですね。
「これまで抱いていた疑問が解けてなるほどと思っ」ていただいたのはうれしい限りです。
もう一つ、同じ12月23日付で、「よろず小屋」という読書グループの例会記録で、『若者と労働』が取り上げられています。
http://yorozugoya.blog.fc2.com/blog-entry-83.html
よろず小屋12月の例会は、12月14日にルノアール大久保店マイスペース会議室で行なわれました。寒い中、7名の方が参加され、にぎやかに議論をしました。
このグループは、
都内で月に一回読書会を行っています。オープンな読書会ですので、興味のある方はのぞきにきてみてください。
とのことで、今回は拙著が取り上げられたということです。
レポーターからの論点提起は:
若者の労働意識に関するいくつかの調査データをみると、ジョブ型正社員導入にとって追い風になる部分と向かい風になる部分とがある。前者は例えばアスピレーションの低さ、ワークライフバランス志向の高まりなど。後者は年功賃金を支持する割合の再上昇等。後者をどのように手当てしていくか、具体的に考える必要があろう。
ノンエリートの人生モデルを社会的に作っていくことが必要だと思うが、けっこう難しいし時間がかかるようにも思う(回顧的に言えば戦後のある時期に徹底的に破壊してしまったものだとも言える)。
学校教育の問題。高校について言えば、普通科がよいという意識は(専門校交の方が就職率がよいと知られている現在でさえ)まだまだ強いように思われる。大学について言えば、非実学系専攻が多すぎると考えるのか、(本田由紀さんはそのように考えているように思えるが)非実学系の専攻でも教育の職業的意義は確保できると考えるのか。
というもので、これに対して次のような論点が出されたそうです。
- 日本の職場でジョブを切り分けるのはけっこう大変なように思う。ジョブを切り分けられるように職場のあり方を変えるには相当な時間と手間がかかりそう。
- 非実学系専攻を労働市場との対応で削減していくと、大学の大学らしさのようなものがなくなってしまうのではないか。
- 旧来のシステムが養成してきたようなジェネラリストは今後も一定程度必要なのではないか。そうだとしたら、どの程度の必要性を見積もればよいか。
- 専門性の幅にもよるが、職業教育のシステムは労働市場の変動速度に耐えられるか。特に技術の陳腐化にどのように対応していくのがよいか。
- 今や労働市場の大きな部分をなす対人接客業の人々の専門性をどう考えるべきか。
- 派遣をやってみたが、これはこれですっきりしていてよい。ジョブ型正社員のメリットを実感したと言える。
- 実務能力が学校で身に付くという「幻想」が経済界にあるように思える。あるいは大学教育における職業的な意義とはどの程度実務的なものであるべきか。
- ノンエリートの人生モデルという点で言えば、最近よくいわれるヤンキー化(地元人間関係プラス家族が生きがい)はそういうもののプロトタイプでは。
- ブラック企業への批判について。(今回のテキストは離れて)それを批判すること自体は正しいと思うが、個々の求職者のケアをする立場から見ると、ブラック企業から脱出した人たちに次の職場を提供できなければ不十分であるようにも思う。
- 日本型モノ作りの優位性を主張する経営学的な議論からするとメンバーシップ型正社員の存在にもまだまだメリットがあるということになるのだろうか。
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