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2013年11月 5日 (火)

『若者と労働』へのやや突っ込んだ書評

Chuko読書メーターに、拙著『若者と労働』への「秋雨」さんのやや詳し目の書評が載っています。

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/33102461

若者労働論 就職 ☆★★  企業の就職・労働論について丁寧に解説されている本著。メンバーシップ型・ジョブ型の働き方を右往左往しながらしている日本。企業の日本的経営が崩壊し、非正規雇用が増加している今日。契約社員、嘱託社員、パート、アルバイトなど多様な働き方が出てきましたが、本来学生や主婦などを対象にしたため雇用保険等保障が薄い。バブル経済崩壊、リーマンショックなど経済不況の際に正規雇用になれなかった人。今、正規雇用の門が高いために非正規雇用にならざるおえない状況。筆者の最終章の提案は理想ですが、実現には難

経済界や政府がそこまで労働者の保障を進めることができるかといえば、疑問符。労働組合も欧米ほど力はないため、本著で紹介されているように労働者が自分達の権利について勉強する。もしくは、高校生・大学生時など就職をする前に教えるべきだと思います。今後、労働人口の減少・高齢社会でどのように労働人口を供給するのかが喫緊の問題。企業の中心とされる40・50代は親の介護を抱えるため、これからどのように労働者を支えるかが日本にとって重要。         

知識を持ち、団結すること。労働者と専門家で、企業と向き合うことで有利にことを勧められるもの事実です。しかし、大企業の追い出し部屋・復職したとしても仕事を与えられないことで精神的に追い込み、強制退職(書類には一身上の都合としか書かれないですが)させられるかもしれません。でも、同じ境遇の働き手や専門家(サポーター)と出会えることも心強いと思います。

なお、ツイッター上でも、「ahes155」さんが、『若者と労働』に対する2回目の書評を連投されています。

https://twitter.com/scutum13

濱口桂一郎氏「若者と雇用」を再読してみたが、やっぱ毒舌だな。だけど、「意識が高い学生」が生まれるメカニズムを2次的に説明してくれている。

著者によれば新卒就職は「人間力就活」として、本来OJTとジョブローテーションによって長期的に評価される「人間力」を数回の面接その他で判断するという離れ業をやっていると。

そして結局就活対策とされるキャリア教育やなんだは企業が面接やディスカッションで観察する「人間力」「コミュニケーション能力」を一見、高そうだと判断させるためのテクニックでしかないという悲しい現実。

結局、「意識が高い学生」というのは予期的に「人間力」を高そうだと思わせるテクニックを身につけようとしている雇用希望者なのだと邪推する。

でもそれは人間力就活を控えた彼らにとっては生存戦略だ。だからこそ彼らはあれほどコミットメントするし、盲目的なのだと思う。

そして就活生は「自己分析」で自らの人間力を半ば自己採点する。それを企業に提案するという作業を繰り返すことになる。これは半ば全人格的な評価を疑似的に行い、しかもそれを数十回行うという作業になる。これは精神的にかなり摩耗する。朝井リョウの「何者」を読んだ人ならイメージしやすいと思う。

人材関係企業にとって「自己分析」というのは当初商材として画期的だったのではないか。学生を効率よく選抜したい企業にとっては自己分析された人間の方が、「人間力」を評価しやすい。だが、実際はそうではなかった。

エントリーシートは「○×力」のオンパレードになった。面接でもいかにも「人間力」が高そうに見えるテクニックやエピソードを身に付けた学生が表れて、逆に選抜のコストが上がってしまった。これは人材関係企業にとっては誤算だったんじゃないのかなと思う。

結局00年代に生まれた人間力という言葉は、いかにも人間力が高そうに見えるテクニックやエピソードを身につける「意識の高い学生」の存在によって逆説的に破たんした。結局のところなんの判断基準が無いことが露呈してしまったわけだ。

「意識の高い学生」は一時期批判されたが、文系の新卒採用が総合職採用で、人間力でしか判断できないのであれば、文系の中堅学生にとって「意識の高い学生」になるということは、最もコストパフォーマンスに優れた解決策だったのだと思う。

客観的な指標がある学問や職業的スキルを身につけることができない、もしくは評価されない以上、サークルのリーダーをやったり、ビジネスコンテストで優勝したり、地域活性化プロジェクトをやったりするしか「人間力」が高められそうな方法は無いのだから。

新卒就職にかかわる広告をだす会社で、頭の切れる人間が「自己分析」を生みだしたのではないかと思うけど、最初に始めたのは誰なんだっけ?

さらに言えば「意識が高い学生」が組織化された例もあると思う。NPOとか、学生団体とか、ベンチャーインターンとか「意識が高い学生」が労働力として動いてくれて重宝してんじゃないかな。まあまさに「やりがいの搾取」だな。読んで字のごとく。

彼らは人間力を高めようと必死で、これをやれば「人間力」を高められますよ!就活に役に立ちますよ!とすれば従順な質の高い労働力になるわけだ。

そういった組織の中でも美辞麗句を掲げるNPOなんかは一番タチが悪い感じがするな。営利目的じゃないだけに。労働力として駆り立てて何をしようとしてるんだ見たいな。まあ、純粋に理念を追求しようとしてるだけなんだろうけどさ。

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