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2013年11月

2013年11月30日 (土)

全国津々浦々で労働法教育を

連合が、「法曹養成制度改革推進会議「司法試験選択科目(労働法)廃止」の検討」について事務局長談話を出していますが、

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/danwa/2013/20131127_1385522576.html

・・・国民の大多数が雇用されて働く労働者とその家族で構成される「雇用社会」日本で、法曹資格者が労働法に関して十分な知見を持つことは、安心・安全の国民生活に不可欠な社会的基盤として必須である。連合は、すべての働く者が安心して働いて暮らせる「働くことを軸とする安心社会」をつくるとの観点から、労働法を司法試験の科目として維持することを求め、働きかけを行っていく。

いやまあ、それはそうなんですが、労働法学会ではなく労働組合の代表としては、そういういわば上澄みの話だけしていればいいわけではないのでは、という気もします。

弁護士がちゃんと労働法を知っていることはもちろん大事ですが、それより何より、働く人々が、そして働かせる側の人々が、弁護士の知識の10分の1でも100分の1でも知っているようにするために何をするべきか、ということこそ真っ先に論じ、そして行動に移していかなければならないのでは、と思うのですよ。

というと、話はもちろん、労働法教育の話になるわけですが、そして、先日のワークルール検定とかも、世間への意識喚起という意味では大きな意味はあるとは思いますが、もう少し地味な話も忘れてはいけません。

昨日、講演に行った豊中市で、草の根レベルでの動きの一つの姿を見てきました。

まずはこれを見て下さい。

http://www.city.toyonaka.osaka.jp/kurashi/roudou/roudou_topics/hatrakuuedeno.files/shitteokitaikisotisiki.pdf

ご覧の通り、豊中市が作った「労働トラブルを防止するために!! 就職する前に!人を雇う前に!知っておきたい基礎知識」というパンフレットです。なかなか細かいところにも神経が行き届いたものですが、「はじめに」にあるように、これはNPO法人あったかサポートの全面協力で作られているということです。

昨日、講演の後の意見交換会で、そのあったかサポートの笹尾専務理事ともお話をさせていただきましたが、ほんとに労働法の知識を必要としているレベルに一番近いところで、こういう取り組みが進んでいることは、もっと知られていいと思います。

行ってびっくりしたのですが、講演会場の豊中市男女共同参画センターすてっぷに、以前連合におられた林誠子さんが理事長として来られていたのですね。

豊中市の雇用労働行政の取り組みはここにまとめられています。

http://www.city.toyonaka.osaka.jp/kurashi/roudou/index.html

そういう市町村レベルとしては例外的に雇用労働問題に熱心な豊中市の姿が、先日の朝日新聞にでかでかと載ったので、ご記憶の方も多いでしょう。先週土曜日(11月23日)のオピニオン欄に1面の3分の2くらいをつぶして豊中市市民協働部理事の西岡正次さんのインタビューが載りました。

http://www.asahi.com/articles/TKY201311220597.html

仕事に就けず、ぎりぎりの生活に苦しむ人たちの「自立」を助けよう、という法律が近くできる。ハローワークか生活保護か、という二者択一で済まない時代を踏まえたものだ。自立に必要なのは就労への後押しなのか、福祉か。そもそも自立とは――。生活困窮者自立支援法の成立を前に、大阪府豊中市の試みを手がかりに考える

話を戻すと、もちろん弁護士が労働法の知識をわきまえていることは必要だし、そのために司法試験の受験科目に労働法があった方がいいとは思いますけど、本当の戦場はそういう上澄みの世界だけではないと、やはり思うし、その意味でも、こういう通常雇用労働政策の手が及んでいかない領域で、こうしてきちんと底辺の世界に労働法の知識をもたらせようとしている試みこそを、もっと応援していかなければいけないのではないでしょうか。ごく一部の上澄みよりも、全国津々浦々で労働法教育をこそ。

(追記)

豊中市のやってる事業にはこんなのもあります。

http://www.city.toyonaka.osaka.jp/kurashi/roudou/soshohiyo.files/sosyoutirashi.pdf

豊中市では、経済的理由により訴訟等の提起、申立て等を行うことが困難な市民に対して訴訟費用の貸付を無利子で行います。

2013年11月29日 (金)

研究開発システムの改革の推進等による研究開発能力の強化及び研究開発等の効率的推進等に関する法律及び大学の教員等の任期に関する法律の一部を改正する法律案

一昨日議員立法として国会に提出された「研究開発システムの改革の推進等による研究開発能力の強化及び研究開発等の効率的推進等に関する法律及び大学の教員等の任期に関する法律の一部を改正する法律案」の、労働契約法改正部分はこういう規定のようです。

http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g18501022.htm

  (労働契約法の特例)
 第十五条の二 次の各号に掲げる者の当該各号の労働契約に係る労働契約法(平成十九年法律第百二十八号)第十八条第一項の規定の適用については、同項中「五年」とあるのは、「十年」とする。
  一 科学技術に関する研究者又は技術者(科学技術に関する試験若しくは研究又は科学技術に関する開発の補助を行う人材を含む。第三号において同じ。)であって研究開発法人又は大学等を設置する者との間で期間の定めのある労働契約(以下この条において「有期労働契約」という。)を締結したもの
  二 科学技術に関する試験若しくは研究若しくは科学技術に関する開発又はそれらの成果の普及若しくは実用化に係る企画立案、資金の確保並びに知的財産権の取得及び活用その他の科学技術に関する試験若しくは研究若しくは科学技術に関する開発又はそれらの成果の普及若しくは実用化に係る運営及び管理に係る業務(専門的な知識及び能力を必要とするものに限る。)に従事する者であって研究開発法人又は大学等を設置する者との間で有期労働契約を締結したもの
  三 試験研究機関等、研究開発法人及び大学等以外の者が試験研究機関等、研究開発法人又は大学等との協定その他の契約によりこれらと共同して行う科学技術に関する試験若しくは研究若しくは科学技術に関する開発又はそれらの成果の普及若しくは実用化(次号において「共同研究開発等」という。)の業務に専ら従事する科学技術に関する研究者又は技術者であって当該試験研究機関等、研究開発法人及び大学等以外の者との間で有期労働契約を締結したもの
  四 共同研究開発等に係る企画立案、資金の確保並びに知的財産権の取得及び活用その他の共同研究開発等に係る運営及び管理に係る業務(専門的な知識及び能力を必要とするものに限る。)に専ら従事する者であって当該共同研究開発等を行う試験研究機関等、研究開発法人及び大学等以外の者との間で有期労働契約を締結したもの
 2 前項第一号及び第二号に掲げる者(大学の学生である者を除く。)のうち大学に在学している間に研究開発法人又は大学等を設置する者との間で有期労働契約(当該有期労働契約の期間のうちに大学に在学している期間を含むものに限る。)を締結していた者の同項第一号及び第二号の労働契約に係る労働契約法第十八条第一項の規定の適用については、当該大学に在学している期間は、同項に規定する通算契約期間に算入しない。

この法律でいう「科学技術」というのは、第2条に定義がありまして、

第二条  この法律において「研究開発」とは、科学技術(人文科学のみに係るものを除く。以下同じ。)に関する試験若しくは研究(以下単に「研究」という。)又は科学技術に関する開発をいう。

と、自然科学分野のことをいうのですが、この改正案では、その第2条も改正されていて、

  第二条第一項中「除く。」の下に「第十五条の二第一項を除き、」を加え、「(以下単に「研究」という。)」を削り、・・・

この法律の他の部分と異なり、労働契約法の特例だけは人文科学のみに関わるものも含まれるということになるようです。

もとの第2条の規定振りからして、そもそも人文科学なんて代物は、自然科学と違って、研究開発力の強化とは関係ねえぞ、という発想に基づいて作られているように思われ、まあその点の評価については人によるであろうと思われますが、そのもともと相手にしていなかった人文科学なんぞという代物を、ただ労働契約法の特例で有期をコマギレで10年使えるというところだけ相手に持ってくるというあたりが、いかにも都合がよろしおますな、という感じではあります。

もともと、人文科学なんて代物、5年にしようが10年にしようが、研究開発力の強化とは関係なかったんじゃないでしょうかね、この法律の本来の趣旨からして。いや、それが正しいか間違っているかについての判断は全くするつもりはありませんけどね。

(追記)

火に油を注いでおくと、それを前提として、経済学ってのは人文科学なのか、この法律でいう本来の「科学技術」に当たるかというのは、是非仲間うちで盛大に喧嘩して欲しいところではあります。

個人的には、経済学は偉いんだぞ、ニュートン力学と同じで科学なんだぞ、とか言いたがる人だけ、5年から10年の特例にしてあげると、大変予定調和的で美しいような気が・・・。

『ホワイト企業 女性が本当に安心して働ける会社』

Img_e5f8560435b629efe176b167b821532ブラック企業被害対策の本と並べて、ホワイト企業の本を紹介するのも妙なもんですが、そうはいっても同時に黒も白も送られてきたんですから、並んじゃうんですよね。

こちらは経済産業省編『ホワイト企業 女性が本当に安心して働ける会社』(文藝春秋)です。左の表紙写真のオビに映っているのは、経済社会政策室長の坂本里和さん。

http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163768403

残業は原則禁止。家族が一緒に暮らせるよう転勤を配慮してくれる。出産してもキャリアアップできる。女性パワーによるヒット商品がある。イクメンにやさしいーーなど。

女性が「働きやすく」「活躍しやすい」ーーそんな「ホワイト企業」の存在を知ってもらおうと、経済産業省が「ダイバーシティ経営企業100選」というプロジェクトのもと、優良企業を選定する試みを始めています。

本書では、有名な大企業から知る人ぞ知る穴場の中小企業まで、「ホワイト企業」に選ばれた25社を徹底紹介。担当した経済産業省の女性室長(自身も四女の母であるワーキングマザー)が、「今まで誰も教えてくれなかった、正しい会社の選び方」を伝授します。

今後、日本の経済、社会はどう変化するか。そのなかで、女性が活躍できる業界、職種はどこか、大学ではどの学部を選ぶべきか、「ホワイト企業」へ就職する方法、会社のなかでどのような働き方をするべきか、についても書かれています。

さらには「ホワイトな働き方」を実践している女性社員8人が登場し、結婚、出産、家事、育児との両立方法を、24時間スケジュールとともに明かします。

女子就活生、働く女性が「賢い選択」をして、すこしでも楽に人生を歩んでいけるよう、本書がその助けとなれば幸いです。

先日、この坂本里和さんが事務局をやっている某研究会に呼ばれてお話をしたことは、本ブログでも書きましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-2c8d.html(女性が輝く社会のあり方研究会)

次は『女子と労働』かな。

2013年11月28日 (木)

『働く人のためのブラック企業被害対策Q&A』

9784904497135ブラック企業被害者対策弁護団『働く人のためのブラック企業被害対策Q&A』(LABO)をお送りいただきました。ありがとうございます。

これは、今年の夏結成されたブラック企業被害者対策弁護団による、ワークルールの解説書ですね。Q1「ブラック企業とは」から、Q66「裁判所の活用法」まで、66のQ&Aが載っています。

この弁護団については、

http://black-taisaku-bengodan.jp/

に詳しい説明があります。佐々木亮さんが代表ですね。

ちなみに、本書の出版元は、正式には弁護士会館ブックセンター出版部LABOです。

巻末に3人が文章を寄せています。POSSEの今野晴貴さん、ほっとプラスの藤田孝典さん、日本労働弁護団の鵜飼良昭さんです。正直な感想を言うと、やや分厚すぎるかな。もっと重要な、そして今多くの人が困っていることに絞った方が、使いやすかった気がします。

コンテンツは以下の通りです。

はじめに(佐々木亮)
◆Chapter 1 就職活動中や入社前に知っておきたい
Q1 ブラック企業とは?
Q2 ブラック企業に就職したくない
Q3 内定時の注意点
Q4 入社時の女性差別
Q5 内定取り消し
Q6 内定辞退の強要
◆Chapter 2 試用期間など
Q7 働き始めるときの注意
Q8 試用期間延長
Q9 試用期間と解雇
Q10 インターントライアル
◆Chapter 3 賃金・労働時間
Q11 賃金支払いの基本ルール~賃金不払い
Q12 同意のない賃金減額
Q13 同意のある賃金減額
Q14 最低賃金
Q15 残業代支払いの基本ルール
Q16 年俸制・オール歩合と残業代
Q17 固定残業代
Q18 残業代込みの基本給
Q19 管理監督者
Q20 残業代を請求したい
Q21 長時間労働
◆Chapter 4 その他の労働条件
Q22 有給休暇
Q23 育児介護休暇
Q24 パワーハラスメント
Q25 資格ハラスメント
Q26 女性差別
Q27 セクシュアルハラスメント
Q28 マタニティハラスメント
Q29 会社のメンタルヘルス対策
Q30 社会保険
Q31 労災保険
Q32 過労死・過労自殺
Q33 内部告発
Q34 退職後の競業避止義務
◆Chapter 5 人事異動・休職
Q35 配転命令
Q36 出向・転籍
Q37 懲戒処分
Q38 休職からの復職
◆Chapter 6 解雇・退職強要
Q39 解雇と退職勧奨、退職強要
Q40 日本は有数の解雇の難しい国?
Q41 解雇予告手当
Q42 能力不足解雇
Q43 プライベートでけがや病気になった場合の解雇
Q44 整理解雇(会社の経営上の理由による解雇)
Q45 懲戒解雇
Q46 退職強要への対処
Q47 退職届の撤回
Q48 退職の求めに応じると「自己都合」退職?
Q49 退職の自由
Q50 使用者からの損害賠償請求
Q51 退職金
Q52 勤務先が倒産したとき
◆Chapter 7 非正規労働・その他
Q53 非正規労働の問題点
Q54 有期労働契約締結時の注意点
Q55 雇止め
Q56 5年無期転換規定
Q57 有期雇用契約を理由とする差別禁止
Q58 派遣労働の問題点
Q59 派遣で働くときの注意点
Q60 私は労働者?
Q61 有期公務員
Q62 生活保護を受けたい
◆Chapter 8 相談したい・闘いたい
Q63 労働組合って何?
Q64 会社に労動組合がない
Q65 ブラック企業と闘う
Q66 裁判所の活用法
【特別寄稿】
弁護団へ期待すること(今野晴貴)
弁護団への期待と想い(藤田孝典)
弁護団へのエール(鵜飼良昭)
あとがき(嶋﨑量)

2013年11月26日 (火)

忘れられた地域移動雇用政策@『労基旬報』11月25日号

『労基旬報』11月25日号に掲載した「忘れられた地域移動雇用政策」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo131125.html

 日本の雇用政策は、外部労働市場指向型と内部労働市場指向型を行ったり来たりしてきたということは、本連載も含めて今まで繰り返し述べてきました。大まかにいえば、1960年代の高度成長期には職業能力と職種に基づく近代的な労働市場を目指す流動化政策がとられ、石油ショックの後1980年代までは日本型雇用システムを高く評価し、雇用調整助成金などによって雇用維持を促進する政策がとられ、1990年代後半からは再び労働移動の促進政策にシフトしてきています。最近も民主党から自公政権への移行で雇用維持から労働移動へという思想が強調されています。

 多くの雇用分野でこれに沿った動きが見られるのですが、ある分野だけはそれとはいささか異なる動きを示してきているようです。それは地域雇用政策といわれる分野です。

 歴史をさかのぼると、1950年代末の炭鉱離職者対策から始まって、1960年代の地域雇用政策の主力は労働者の広域移動の促進にありました。1960年の職業安定法改正により広域職業紹介の規定が設けられ、1966年の雇用対策法では国の施策として労働者の地域間の移動のために必要な措置が設けられ、職業転換給付金の中に広域求職活動費、移転資金、帰省旅費、労働者住宅確保奨励金などが設けられました。とりわけ注目すべきは、近年批判の的になった雇用促進住宅です。もともと炭鉱を離職して移転就職した人向けの宿舎として始まり、その後他業種の移転就職者にも拡大され、労働移動促進政策華やかなりしころには続々と新設されていきました。

 ところが、1970年代初め頃から地域雇用政策は違う音色に変わっていきます。仕事のあるところに人を動かすのではなく、人のいるところに仕事を持ってくるという発想が主力になっていくのです。1971年の農村地域工業導入促進法や1972年の工業再配置促進法を背景に、1975年には地域雇用促進給付金が設けられ、1987年には地域雇用開発促進法が制定され、地域雇用開発助成金制度により、賃金助成のみならず施設設備の設置整備の費用もカバーされるに至りました。70年代から80年代のこの時期は、全国の人口動態で見ても、都市部への移動が止まった時期です。

 こうして移転就職者が激減する中で、かつての労働移動促進政策は雇用政策としては前面からは消えてしまいました。雇用促進住宅は移転就職者以外の住居に困っている労働者にも拡大され、1980年代には入居者のうち移転就職者は少数派になってしまいました。やがて2000年代には公務員の無資格入居問題が報じられ、雇用促進住宅自体が批判の標的となり、ついにその廃止・売却が決定されるに至ったのです。

 ところが一方、1990年代以後、人口動態は再び都市部への集中を示すようになりました。これは、いったん地方に進出した企業が、グローバル化等で海外展開することが多くなり、地方の空洞化が進み、雇用機会が失われていったことが背景にあるのでしょう。

 ところが、この新たな労働移動は公的機関の関与のほとんどないままに民間主導で進んでいったのです。多くの派遣・請負会社が雇用機会の乏しい地方で労働者を募集し、都市部に連れてきて就労させるという仕組みが作られ、その際派遣・請負会社が宿舎を用意することも一般に行われました。この実態が世間に明らかになったのは、2008年のリーマンショックで派遣切りが行われた際、多くの労働者が宿舎を出て行かざるを得ない状況が報じられた時です。

 民間主導の広域移動が活発に行われていた頃、国の地域雇用政策は依然として地域雇用創造等といった看板を掲げていました。美しい言葉をちりばめた地域雇用開発計画は量産されましたが、それが意味のある実績を上げたようには見えません。雇用政策全体が流動化促進に舵を切っていたのに、この分野だけかつての夢を追い続けていたように見えます。つまり現実と乖離し続けていたように見えます。

 その乖離が皮肉な形で露呈したのがリーマンショックでした。無駄の極みとして雇用促進住宅の廃止・売却を決定したその直後に、民間宿舎を追い出された派遣・請負労働者たちを収容するために、急遽雇用促進住宅を活用することとなったのです。長らく忘れられていたかつての地域移動雇用政策の置き土産が、公的政策の中では居場所をなくしていったそのあげくに、その本来の趣旨に沿った使い方でもって注目されるに至ったのですから、皮肉の極みと言えましょう。しかしその皮肉を生み出したのは、90年代以降も地域移動に目を向けず。地域開発の夢を追い続けた雇用政策であったことも確かでしょう。

2013年11月25日 (月)

「人間力」シューカツがもたらすブラック企業@『BLT』12月号

201312JILPTの雑誌『ビジネス・レーバー・トレンド』(BLT)の12月号は、「大学生の就活と採用」を特集しています。

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2013/12/index.htm

労働政策フォーラム 「大学新卒者の就職問題を考える―大学・企業・行政の取り組み」
基調報告 大学新卒者の就職難の実態 伊藤実 JILPT特任研究員
研究報告 若年者雇用支援施策の利用実態 ――中小企業調査から 岩脇千裕 JILPT副主任研究員
事例報告 「新卒応援ハローワーク」からみた学生・既卒者の就職問題 田口勝美 ハローワーク新宿東京新卒応援ハローワーク室長
<グローバル化>という名の黒船――世界で活かす日本のちから 三栗谷俊明 国際教養大学キャリア開発センターセンター長
トッパン・フォームズの新卒採用の取り組み 坂田甲一 トッパン・フォームズ株式会社取締役総務本部長
東京ニュース通信社の新卒採用の取り組み 奥山卓 株式会社東京ニュース通信社代表取締役社長
パネルディスカッション コーディネーター伊藤実 JILPT特任研究員

そこに、毎度おなじみの有識者アンケートがあり、13人がそれぞれ1ページずつ言いたいことを言っておりますが、その最後にわたくしも登場しております。

<有識者アンケート> 大学新卒者の就職とその後の職場定着にまつわる課題
有賀 健・京都大学経済研究所教授
居神 浩・神戸国際大学経済学部教授
浦坂 純子・同志社大学社会学部教授
大貫いづみ・法政大学キャリアセンターキャリアアドバイザー
玄田 有史・東京大学社会科学研究所教授
小島 貴子・東洋大学理工学部准教授
坂爪 洋美・和光大学現代人間学部教授
白木 三秀・早稲田大学政治経済学術院教授
末廣 啓子・宇都宮大学キャリア教育・就職支援センター教授
菅山 真次・東北学院大学経営学部教授
髙橋 潔・神戸大学大学院経営学研究科教授
夏目 孝吉・日本生産性本部就業力センター長
濱口桂一郎・JILPT統括研究員

題して、「「人間力」シューカツがもたらすブラック企業」。『若者と労働』で書いたことを1ページに集約しています。

 この特集は「大学新卒者の就職・定着」をテーマにしているが、もちろん現実の日本社会で圧倒的に多くの大学生たちによって繰り広げられているのは、特定の「職」(ジョブ)に「就」くために、それに必要な技能や資格を得て、自分がその職にふさわしいことを売り込もうとするという意味での世界共通の「就職」活動ではない。本誌の読者が若き日に行ったと同じように、ある会社の一員(メンバー)になるために、その命ずる仕事なら何でもやる意欲と「能力」があることを売り込もうとする「入社」活動である。シューカツと呼ばれる現象はいかなる意味でも「職」と関係がない。それが日本の若者の諸外国の若者と比べたときの幸運と不運をともども産み出している。

 幸運とは、すぐに仕事がこなせるような技能がなくても、いやむしろそんなものはない方が、会社の色に染まった人材として育成できるからと、好んで採用してもらえるという点である。多くの日本人が、これが世界の若者にとって信じがたいような幸運であることを知らない。会社への唯一の入口である欠員補充において、仕事のできる壮年層や中高年層と比べられ、仕事ができないから採用してもらえず、大量の失業者として労働市場に投げ出されていく世界の若者たちにとって、新卒一括採用で採用され、会社の費用で教育訓練してもらえる日本の若者ほど羨ましい存在はないだろう。

 それゆえに、ほんの十年前まで、日本政府に若者雇用対策という分野自体が存在しなかった。雇用対策はもっぱら就職が困難な中高年向けであって、若者こそが雇用対策のメインターゲットであった欧米とはまったく対照的であった。

 しかし、幸運の裏側には不運が張り付いている。かくも羨ましい新卒一括採用という表玄関から「入社」し損ねた若者には、どんなに技能や資格を身につけても、仕事ができるようになっても、「入社」できなかった人間というレッテルが貼られてしまう。九〇年代の不況期に「入社」の枠から溢れてしまったいわゆる就職氷河期世代は、その後の景気回復期にも、技能がないがゆえに好んで採用されていく後輩たちに置いてけぼりを食らうしかなかった。諸外国であれば、「就職」がうまくいかなかった若者たちのために国が職業訓練をほどこし、企業に採用してもらいやすくするというのが、若者雇用対策のアルファでありオメガである。しかし皮肉なことに、「入社」型社会というのは、そういう政策がもっとも効かないように巧みに仕組まれた社会でもあったのだ。

 具体的な「職」の技能や資格が意味を持たない「入社」型社会で採用されるか否かを決める基準は何だろうか。上で述べた会社の仕事を何でもやる意欲と「能力」。人事管理の世界では(特定の職務とは切り離された)「職務遂行能力」と呼ばれるこの「能力」が、シューカツの世界では「人間力」と呼ばれている。かつてなら「入社」してから上司や先輩の指導の下でOJTを繰り返しながらじわじわと身につけていくものとされていたこの「人間力」が、「入社」枠の狭まった今日のシューカツの世界では、それによって「入社」できるか否かが決定されてしまうほどの存在になってしまった。

 だが、考えてみれば若者にとってこれほど残酷な試練はない。「お前はこれ(この仕事)ができないから不採用なのだ」と言われれば、ではそれ(その仕事)ができるようになろうと決意して努力することが可能だ。国がそれを手助けすることもできる。しかし、「お前は会社のどんな仕事でもこなせる可能性のある人間、つまり「デキル」人間じゃない、と判断したんだ」と言われてしまった若者は、何をどう頑張ればいいのかすらわからないまま途方に暮れるしかないだろう。幸運の裏に張り付いた不運は、同じくらい根深いのである。

 こうした「人間力」シューカツの世界で、落ちこぼれかかった若者を正社員として採用してくれる救世主に見えるのが、ブラック企業の役回りということになる。全人格的評価で自己否定を強いられてきた若者を(長期雇用の中で時間をかけて育成していくことを前提にすれば不釣り合いなほど)大量に採用し、ときにカリスマ的な魅力を発散する経営者と同じように生活のすべてを会社のために捧げることを求め、新卒採用なのだから特定の職に向けた技能が乏しいのはわかっているのに「即戦力」として成果を出すことを要求し、結果的に異常な長時間労働やパワハラ等の溢れるる職場を産み出していく企業の群れである。その病理の原因は、しかし、その異常な職場にしがみつかざるを得ない若者たちのおかれた窮境にこそある。

 表面に現れた法違反を摘発するだけでは、その根深さに対処することは難しい。それは、日本の若者の幸運と裏腹のその不運が、そのまた裏腹にある幸運なはずの正社員の世界ににじみ出た現象だからだ。

限定正社員の現状@読売新聞

本日の読売新聞の社会保障面に、「限定正社員の現状」というかなり大きい記事が載っています。大津和夫記者です。

・・・日本の正社員は、会社に命じられれば、転勤の残業も受け入れるのが普通だ。勤務地や労働時間、職務が限定されていない「無限定」な働き方と言える。代わりに、例えば事業が廃止された場合でも、他職種への配置転換などで雇用が維持されてきた。

しかし、こうした働き方は労働時間に制約のある女性などの就労を妨げてきた。一方で、企業が人員調整の難しい正社員を減らし、非正規労働者を増やす動きも進んだ。

これに対し、限定正社員は仕事と家庭の両立がしやすく、雇い止めの不安がある非正規労働者より安定した働き方とされる。労働政策研究・研究機構の濱口桂一郎・統括研究員は、「海外では無限定な働き方は一部のエリート層などに限られ、限定正社員が一般的。非正規労働者の処遇改善につながるほか、女性の活躍促進や過労死防止の上でも意義がある」と評価する。・・・・・・・

・・・濱口統括研究員は、「普及のためには、賃金などの処遇について、従来の正社員との違いを合理的に説明することが求められる。国が一定の目安を示し、労使協議などを通じて双方が納得できる仕組みにする必要がある」と話す。

2013年11月23日 (土)

過労死防止―死ぬまで働かないで@朝日社説

勤労感謝の日の今日の朝日新聞の社説が、「過労死防止―死ぬまで働かないで」と題して、長時間労働問題を取り上げていますが、冒頭のこの一文がいいです。

危険な現場で働く人にはヘルメットや命綱の装着が義務づけられている。

長時間労働の歯止めも同じではないか。

月80時間の残業が「過労死」の危険ラインとされる。昨年度の労災認定の状況をみると、脳や心臓の病気で亡くなった123人のうち9割、うつ病など精神疾患による自殺や自殺未遂の93人のうち6割が、このライン以上、働いていた。

労働時間は安全衛生であるという、現代日本では忘れられがちな重要なポイントがちゃんと指摘されています。

こうした悲劇を防ごうと、「基本法」を制定する動きが国会で大詰めを迎えている。

今年6月に発足した超党派の議員連盟には120人余りが参加する。遺族らが集めた約52万の署名を追い風に、ぜひ今国会で成立させて欲しい。

この法案は「過労死はあってはならない」という理念のもと、国や自治体、使用者の責任の明確化を求める。

強制力はないが、より正確な実態把握などをテコに、労働基準法の労働時間規制に「魂を入れ直す」出発点となろう。

「魂を入れ直す」とはどういうことか。

言うまでもなく、労働基準法では1日8時間、週40時間の労働が原則だ。

ところが、30歳代の男性は2割近くが週に20時間以上、残業する。危険ラインである。

こうなるのは、労使で協定を結べば、ほぼ無制限の長時間労働が可能になるからだ。割り増しの残業代の支払いが義務づけられることが、歯止めになっているに過ぎない。

一方、安倍政権では、規制改革や競争力強化のため、この歯止めを緩め、時間に関係なく賃金を払う裁量労働制などを広げる検討が進む。

であればなおさら、残業代の問題とは別に、命と健康を守るため、労働時間に物理的な上限を設けるべきだろう。

欧州連合(EU)では、勤務の終了から翌日の勤務開始まで最低連続11時間の休息を義務づけている。参考になる。

かつてのマスコミや政治家のように、ただただ「残業代ゼロ法案けしからん」とわめくのではなく、「残業代の問題とは別に、命と健康を守るため、労働時間に物理的な上限を設けるべき」という正しい方向性をきちんと提示しています。

日本での大きな課題は、働く側にも「片付けるべき仕事があるのだから、労働時間に規制をかけて欲しくない」という意識が強いことである。

仕事の目標が実労働時間とは無関係に決まることが多く、その達成度で評価されるからだ。責任感が強く、能力のある人ほど仕事が集中しやすい。

労働時間を含めた仕事の量を労使が調整する。そんな現場の工夫が必要だ。

労働者をひたすら長時間働かせるブラック企業は、社会を沈没させる。それを許さない仕組みを考えたい。

きょうは、勤労感謝の日。

2013年11月22日 (金)

経済の好循環実現検討専門チーム会議中間報告

本日、官邸の経済の好循環実現に向けた政労使会議に「経済の好循環実現検討専門チーム会議」中間報告が提出されました。

http://www5.cao.go.jp/keizai2/keizai-syakai/k-s-kouzou/shiryou/houkoku/houkoku.pdf

これは、政労使会議の下部組織として、その理論的根拠を構築するために、今年の9月から開かれていたもので、その第1回目には、わたくしも呼ばれてお話をさせていただいたことは、本ブログでも紹介したとおりです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-235f.html(内閣府「経済の好循環実現検討専門チーム」で報告)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-a0fa.html(1回経済の好循環実現検討専門チーム会議の議事要旨)

さて、本日の中間報告は、政府が賃上げを求めるという異例の行動が、なぜ今の日本で必要なのかを、主として経済的な観点から論じています。以下に、その説明を長めに引用しておきます。是非、じっくりと読んで、それぞれに考えていただければと思います。

まず、「はじめに」で、概括的に、

なぜ、日本だけがデフレという悪循環に陥ったのか。

鍵は名目の賃金水準の動向にある。第二次大戦後、諸外国がデフレに陥らなかった理由は、金融政策を含むマクロ経済政策がその役割を果たしたことに加えて、名目賃金が上昇し続けたことが考えられる。しかし、日本では、1990 年代末頃から名目賃金は低下傾向にあり、デフレ・ストッパーの役割をもつ名目賃金の「下方硬直性」が失われた。このことがデフレの大きな要因になってきたと考えられる。

この間、正規雇用から非正規雇用への転換が大きく進んだことも、名目賃金の低下を更に加速化した要因となった。・・・

・・・こうした中で、日本企業は2つのことを追求してきた。

第1に、国際競争力の維持のため、賃金の抑制も含めたコストカットの実施。

第2に、内部留保の蓄積。バブル崩壊後、過剰雇用や過剰債務を抱えていた日本企業は、1990 年代後半の金融危機を契機に、その後2000 年代半ばにかけて、内部留保を蓄積して資本を厚くするとともに、債務を圧縮し、財務体質を強化。

その結果、企業の利益剰余金は300 兆円を超える水準となる一方、賃金は低下した。今日、日本経済で最大の貯蓄超過部門は企業部門である。家計部門の貯蓄超過に対して、企業部門は投資超過になるという姿こそが資本主義経済にとって「健全な」姿である。現状は決して正常とは言えない。

各企業から見ればコスト削減という極めて合理的な行動が、消費や投資の減少や人的資本蓄積の停滞といった「合成の誤謬」を引き起こし、マクロ経済全体からみるとデフレという悪循環を引き起こしてきた。・・・

そして、今後求められるのは、

デフレ脱却のためには、これまでに例をみない「逆所得政策」も活用しつつ、「賃金の上昇」を実現することが重要である。賃金上昇が需要を増やし、更なる企業収益改善につながるという好循環を実現するために必要との共通認識を醸成し、早期にデフレマインドと悪循環から脱出すべきである。

この「逆所得政策」というアイディアについて、本文ではさらに詳しく、その趣旨を説明しています。まず「賃金の外部性」について。

賃金など労働条件は、企業と労働者の私契約に基づいて決められるものであり、基本的に労使の交渉によって決定されるものである。しかし、トービンが指摘しているように個々の労使による賃金決定には、それらが集計された場合のマクロ経済への影響を考慮しないという意味で「外部性」がある。したがって、個別企業の労使の合理的な賃金決定行動が、全体としてみると「合成の誤謬」によって物価水準や景気に影響を及ぼす可能性がある。

このような外部性の存在、合成の誤謬が存在する場合には、政府の関与による「内部化」によって事態は改善する。例えば、政府が主導して、労使が共通の情報や認識を共有できるように促すことにも一定の効果が期待できる。具体的には、デフレの状況下で、賃金引上げを一社だけで実施することは不利益となっても、多くの企業が同時に賃上げを行なえば、経済全体が活性化し、望ましい状況となる可能性がある。・・・

ここから「逆所得政策」が正当化されます。

・・・先に指摘したように、デフレ脱却・経済再生に向けた「三本の矢」によって経済状況が改善する中で、労働分配率からみても賃金水準の上昇は可能な状況にあり、また、市場の実勢を先取りしながら、できるだけ早く賃金を引上げていくことが、好循環実現を起動させる上で効果的である。

このため政府が、政労使会議の場などにおいて、個別の労使が賃金引上げを行なう環境を整備するとともに、税制等によってこれを促していくことが有効である。

政府がデフレ下で労使が賃上げを行なう環境を整備することは、これまで世界で前例がない。しかし、これはかつて欧米の政府が行なった「所得政策」の逆を行なう政策と意義づけることができる。・・・

欧米で(あるいは石油危機の時には日本でも)取られた所得政策のちょうど逆だから逆所得政策なんですね。労使に委ねておくと、マクロ経済に悪影響を与えるほど賃上げしすぎるので、政府が介入してちょうど良い具合にするのが所得政策。その逆と言うことは、つまり個別の労使に委ねておいたのでは、マクロ経済に悪影響を与えるほど賃金が上がらない、あるいは下がり続けてしまうので、政府が介入してちょうど良い具合にするんだ、と言いたそうです。

雇用に影響を与えるのが怖くて賃金が上げられないという議論に対しては、

賃金を上げると雇用が減って失業が増えると広く考えられている。しかし、雇用は総需要で決定され、賃金上昇は必ずしも失業につながらないとの見方もある。

この問題は、賃上げによって雇用が減少し失業が増えると考える新古典派経済学的にマクロ経済をみるか、それとも財市場の需給が問題の本質で、賃金が上がっても雇用は変わらないと考えるケインズ経済学的にみるかに依存する。ただし、今日のように企業が内部留保という形で貯蓄を増加させてきた中で、労働者への分配がフローベースで企業貯蓄の減少によってもたらされれば、どちらかといえば、経済全体の需要の創出につながり、賃金の上昇は必ずしも雇用の減少につながらないと考えられる。

と、こういう文章を読むと、欧米だとこれこそ労働組合サイドのシンクタンクが言いそうな理屈なんですよね。

このあと、「持続的な経済成長に向けて」という章では、非正規雇用労働者のキャリアアップ、処遇改善とか、「多様な正社員」の普及等による非正規雇用労働者の正規化促進とかについてもいろいろと書かれていて、本ブログ的にはそちらこそ取り上げるべきかも知れませんが、中身はいつもの話なのでここでは省略。関心のある方はリンク先を見て下さい。

『若者と労働』のamazon書評

Chuko重版が決まった『若者と労働』(中公新書ラクレ)ですが、amazonにまた書評がアップされています。評者は中西良太さんです。

http://www.amazon.co.jp/review/R1A6QB6OXPA4DY/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4121504658&linkCode=&nodeID=&tag=

ジョブ型正社員の提言:新自由主義とメンバーシップ型非民主社会の複合的弊害の処方箋

日本は新自由主義(経済政策面での対米従属)とメンバーシップ型非民主社会(日本型雇用システム)の両者の複合的弊害(若年雇用問題も中高年雇用問題も深刻に並存する形)がみられる。
この日本社会の本質は正規と非正規の違い、つまり年功賃金制と地域別最低賃金制の反民主的な労働差別の矛盾にあり、さらにこれは同一労働同一賃金原則という国際標準のジョブ型民主社会のいかなる労働形態や社会形態とも異質且つ不公平である。また、ブラック企業は正社員の本質的な超法規的な時間空間業務上の無制限な服従義務の悪用にある点(全ての日本型雇用制下の企業は程度の違うブラック企業)も究明されている。
労働者の権利を守る為の義務教育に於ける労働教育と欧米ジョブ社会の若年雇用問題を緩和するドイツ式の真のdual systemの提言も時宜を得ている。ただし、いわゆる就職活動に関しては組織間の企業求人枠を巡る、個人間の競争を既にアプリオリに制約する斡旋競争には言及されていないのが残念である。このタブーだが、実態としてある暗部に言及している労働問題研究者はおそらく利害関係から皆無である。
いずれにせよ、非正規は正規にとり不可欠のバファーであり、前者の後者への転換は空想的である事も理解されるし、ジョブ型正社員の導入はジョブ型社会への転換への中間項とされるが、この理念の段階的な緩やかな導入の言説と必要の自覚自体が、準正社員などの非正規の実態的な拡大にイデオロギー的に悪用されている面もあり、政治勢力の明確な労働問題研究と政策化を希求する。なぜならば労働問題にこそ人間の顔をした社会や生活の実現の為の基礎的諸条件が存しているからである。濱口氏のこの最新の労働問題研究の成果から、反民主主義の日本型雇用システムから民主的なジョブ型社会への転換こそが、今の日本の労働問題の解決を可能たらしめることが十二分に理解できる。
本書は全ての日本の学生や勤労者の必読書です。

日雇い禁止、何のため?@朝日新聞「働く」

本日の朝日新聞の「働く」面に、「ゆれる派遣」連載の4回目として、「日雇い禁止、何のため? 主婦ら「どうやって働けば」」が載っています。石山英明記者の記事です。

http://www.asahi.com/articles/TKY201311210502.html

ワーキングプア(働く貧困層)を生む一因として批判され、昨年10月から原則としてできなくなった「日雇い派遣」。厚生労働省の審議会は、この規制のあり方についても、見直しをはじめている。規制の効果はなかったのか。・・・

夫がリストラされた40代女性など、何人かの例が述べられ、最後に、

・・・労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎統括研究員は「規制を強化しても誰も幸せになっていないのではないか。労使双方に日雇いに需要があることを認めて規制を見直し、その上でセーフティネットの強化を考えるべきだ」。

と、わたくしも出てきます。

かつての自公政権時代に、日雇い派遣禁止論が飛び出して以来、繰り返し論じてきたことですが、非正規労働の最大の問題は、仕事が恒常的にあるのに契約だけコマギレにして反復更新する偽装有期の問題なのであって、仕事そのものが一次的臨時的なら契約も短期になるのは当たり前なので、そちらだけを目の敵にして禁止するなどというばかげた規制をすれば、記事にあるようなばかげた事態になるのは分かりきった話であったわけです。

こういうことはほっといて、偽装有期へのまっとうな規制に対してばかり目の敵にしたがる人々も山のようにいて、何かと疲れますね。

事業規制から派遣労働者保護へ@『Vistas Adecco』34号

Index_c_img_34アデコ社の広報誌『Vistas Adecco』34号のインタビュー記事に登場しています。

http://www.adecco.co.jp/vistas/topics/34/index02.html

今回の報告書は、労働者派遣法を巡って、「本来はこうあるべきなのではないか」と主張してきた私の意見とほぼ同じ内容で議論されているように感じます。特に注目している点は、「専門26業務の在り方と常用代替防止という考え方」に関する議論です。

26業務は「正社員が行わない専門業務」という位置づけのため、『常用代替(派遣社員が正社員の雇用を代替する)』はない。だからIndex_c_2_profile_img期間制限をしない、というものです。しかし、その他の自由化業務は正社員の代替としての業務という範疇のため、原則1年、最長3年間の期間制限をする──。これが今までのロジックだったわけですが、そもそも26業務は「専門業務」としながらも、正社員が普通に行っている業務が含まれていました。

今回、「業務」単位ではなく「人」単位で派遣期間を定めるとし、3年を超す場合、労働者個人レベルでは、派遣元による雇用安定措置が求められるとしたことは、派遣労働者保護の観点から非常に望ましい方向性だと思います。

今回の報告書の一番大切な点は、「事業規制から派遣労働者保護へ」という転換が見られること。その意味で、EUの制度に近い発想です。ただEUの場合、労働者保護の中核にあるのは「同一労働同一賃金」ですが、仕事に基づいた賃金が決まっていない日本ではそれを実現するのは難しい。だから、派遣労働者保護の中核に雇用の安定を据え、待遇については、すべての労働者に配慮した集団的な枠組みで考えていく。これが日本の現状にふさわしい制度の在り方だと思います。

このほかに、同号では、「独特の制度、柔軟な組織、北欧に学ぶ働き方」という特集を組んでいます。

http://www.adecco.co.jp/vistas/adeccos_eye/34/

1.「ワークライフバランス」を実現できる背景
2.合理的思考とそれに基づく制度が生む 女性の社会進出
3.同一労働同一賃金を成立させる 他国に類を見ない労使交渉
4.高い若年失業率に 失業保険・雇用訓練プログラムで対応
5.成長の源泉・「人財」を育てる独特の公教育
6.経済危機を乗り超え確立した 高成長・高福祉・高負担
7.高福祉社会を実現する 世帯単位ではない個人重視の税制
8.透明性の高い政治

よく言われていることではありますが、改めて読んでみる値打ちはあります。

・・・社会保障といえば、日本では年金、医療、介護など「引退世代」のイメージが強い。しかし北欧の社会保障支出は、上記の割合は50%程度。残りは、保育や教育、子どもの医療、職業訓練、失業保険、育児休暇中の手当など「現役世代向け」に充てられている。このため、現役世代も社会保険と福祉制度の重要性を痛感している。

とか、これもよく言われることですが、

富士通コンピューターズ・ヨーロッパ元副社長の田中健彦氏は、1990年代後半のフィンランド駐在時、驚きの連続だったという。

「フィンランド人は役職や性別にかかわらず、夕方4時を過ぎると皆、次々と帰ってしまうのです」

その理由は「息子をサッカークラブに送っていく」「習い事の送迎がある」とプライベートなことが多い。一方で仕事はきっちりとこなす。時間も自由に使い成果を出すことが、なぜ可能なのか?・・・

日本では意味や目的といった定義を明確にしないまま、仕事を部下に与えてしまう傾向がある。このため報告・連絡・相談が求められる。しかし北欧では、最初に仕事の定義を明らかにするため、上司がその都度、部下に報告を求めることはない。「部下の仕事の品質は、上司が部下に時々、進捗状況が明らかになるような質問をすることで管理しているのです」

大半の人は参加するのみで、活発な討論がなかなか見られないと言われる日本でありがちな「大会議」も、かの国々には存在しない。会議資料作成に多くの時間を要することもない。北欧で見られる会議は、参加者全員が発言者かつ当事者の、少人数制が基本だ。・・・

組織はフラット、会社には権威主義などないため、上司が残っているから帰宅しづらい、ということはない。

2013年11月20日 (水)

『若者と労働』重版

Chuko今年8月に出版した『若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす』(中公新書ラクレ)が重版されることになりました。

https://twitter.com/chuko_laclef/status/403045720942317568

【重版情報】おかげさまで『若者と労働』『教員採用のカラクリ』『文部科学省』の重版が決まりました!!!引き続きのご贔屓、よろしくお願いいたします。

ご愛読いただいた皆様に心から感謝申し上げるとともに、未読の方々には是非御試読のほどお願いいたします。


大山典宏『生活保護vs子どもの貧困』

Php大山典宏さんより、『生活保護vs子どもの貧困』(PHP新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-81545-9

正直言って、生活保護をめぐって様々な議論が繰り広げられている中で、これこそ真にリアルな議論だと強く感じさせる本です。ご存じの通り、埼玉県で生活保護行政の先端にあって、いくつもの試みを展開してきた著者であるからこそ言える、地に足のついた議論だと思います。

受給がバレたらいじめられ、一方、働く母親の下では困窮する子どもたちの真実。

 派遣村、保護費によるギャンブル禁止条例、芸能人の母親による受給の発覚……生活保護をめぐる問題はあとを絶たない。激しいバッシングが起こるなか、2013年8月、ついに保護基準の引き下げが決定された。最大で10パーセントの削減が受給家庭を直撃する。

 しかし、生活保護の是非が取り沙汰される陰で、不幸になっている存在を忘れてはいないだろうか。ほんとうに目を向けるべきもの、それは子どもたちだ。困窮家庭に育った子どもは、十分な教育環境もなく、社会に出ても安定した職には就きにくい。さらに母子家庭の半数以上が貧困状態にあり、小中学生の6人に1人が就学援助を受けているなど、日本社会が抱える悲惨な現実がそこにはある。

 制度の賛否については活発に議論されるが、それだけで「貧困の連鎖」を断ち切れるのか。長年、行政でのサポートと民間でのボランティア活動に取り組み、双方の立場で貧困問題に取り組む著者だからこそ語れる、知られざる現場の生の声をレポートする。

大きく前半は、財務省や生活保護バッシングするマスコミなどに代表される「適正化モデル」と、日弁連や支援NPOなどに代表される「人権モデル」の対立構図を詳細に描き出した上で、

・・・こうしてみていくと、人権モデルにしても、適正化モデルにしても、もっともだと思う点や合理的な意見もある一方で、単一のモデルでは解決し得ない課題があることがわかってきます。

ディベートのようにお互いの弱点をたたき合い、国民の感情をうまく汲み取ることができた側が、自分たちの思うように制度をつくりかえる。数年単位で立場が逆転し、そのたびに制度は激しく揺れ動く。これでは現場は疲弊し、制度への信頼は失われてしまいます。

それは誰にとっても不幸なことです。

と、生活保護行政の現場にいる人ならではの真摯な言葉があり、そういう対立図式ではなく、

・・・現実的に解決可能な、多くの人が合意できる課題から優先的に取り組んでいく

という「統合モデル」を唱道されるのです。

Isbn9784569697130_2その「多くの人が合意できる課題」として、本書の後半で力説されるのが、本書のタイトルの後半部分である「子どもの貧困」であるわけですが、著者の大山さんが現場からこの問題にいかに取り組んできたかは、本ブログでも何回も紹介してきたところです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_d0c9.html(湯浅誠『反貧困』をめぐって)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post_ea5a.html(生活保護が危ない)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-4287.html(埼玉県が生活保護家庭の教育支援へ)

510787400000_2http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/200-f0ab.html(『生活保護200万人時代の処方箋~埼玉県の挑戦~』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-d137.html(埼玉県生活保護受給家庭の高校生にも学習教室)

日本商工会議所で講演

本日、日本商工会議所に呼ばれ、産業経済・地域活性化・労働合同委員会で1時間ほどお話をしてきました。各地の商工会議所の会長や専務理事といった方々がたくさん集まっておられ、熱心にわたくしのお話を聞いていただきました。

中身は、日本型雇用システムの総論を踏まえて、解雇規制の誤解と限定正社員(ジョブ型正社員)の誤解を解くというものです。こういう機会を与えていただいたことに感謝申し上げます。

2013年11月19日 (火)

ブラック企業問題とは何か@『人事労務実務のQ&A』12月号

1281691969_o日本労務研究会の『人事労務実務のQ&A』12月号に、「ブラック企業問題とは何か」を寄稿しました。

ここでは、最後の部分だけを。

1 はじめに

2 雑誌『POSSE』に見るブラック企業論の展開

3 ブラック企業の何が問題なのか?

4 「社畜」批判がブラック企業を産み出すパラドックス

5 厚生労働省のブラック企業対策

6 ジョブ型正社員へ

 最後に、ブラック企業問題も含めた現在のさまざまな労働問題に対する処方箋の一つとして、最近話題になっているジョブ型正社員という考え方について述べておきたいと思います。
 上で述べたように、ブラック企業を産み出したのは、滅私奉公を求める点では従来の日本型雇用を維持強化しているにもかかわらず、それと釣り合いをとっていた長期的な雇用保障に対しては奇妙に敵対的な思想でした。そうしたブラック企業イデオロギーを鼓吹する人材コンサルタントもいるようです。この矛盾を解きほぐすためには、義務と権利がほどほどに釣り合った働き方のモデルを拡大していくことが有効なのではないかと思われます。
 これは拙著(『新しい労働社会』岩波新書、『日本の雇用と労働法』日経文庫、『若者と労働』中公新書ラクレ)で繰り返し述べてきたことですが、日本型雇用システムにおける正社員は、職務、時間、空間の限定なしに企業の命令に従って働く広範な義務を負うとともに、それらをフレクシブルに転換させることによって欧米の正規労働者には及びもつかないような強固な雇用保障を獲得してきました。いわゆる「無限定正社員」です。その義務の無限定をそのままに保障を空洞化させたのがブラック企業ということになります。
 従来型正社員にこだわる人々は、何が何でも雇用保障を守れと主張する傾向がありますが、グローバル化や情報化の進展する今日、変動する市場経済の中で雇用を維持できる範囲は徐々に縮小してきていることは間違いありません。問題はむしろ、雇用保障が縮減せざるを得ないのに無限定の義務だけは従来通りに維持することにあります。無限定の義務を前提にしてしまうと、例えば過度な長時間労働も直ちに違法とすることはできませんし、企業から追い出すために無茶な配転を強いることも直ちに不合理ということはできなくなります。「仕事を探すのがお前の仕事だ」などという欧米のジョブ型社会では絶対にあり得ないような業務命令がまかり通ってしまうのも、職務無限定が原則の日本型社会ならでは現象です。ここのところの発想を転換する必要があるのではないでしょうか。
 筆者がここ数年来提唱してきた「ジョブ型正社員」というのは、職務、時間、空間など、これまで正社員であれば無限定が前提であった事項を、欧米の正規労働者並みに限定して、その範囲内でしか企業は命令ができないし、その範囲内でのみ労働者の雇用は守られる、という考え方です。期間の定めのない無期雇用ですから、仕事がちゃんとあって、その仕事をちゃんとこなしている限り、不当な解雇からは保護されます。しかし、経済環境の変化等で仕事自体がなくなったり少なくなれば、対象者を公正に選定するという条件の下で整理解雇の対象になります。
 今年の6月に政府の規制改革会議が出した答申でも、正社員改革の第一歩としてこのジョブ型正社員に関する雇用ルールの整備を行うべきとしています。これを受けて、厚生労働省も9月から「多様な正社員」の普及・拡大のための有識者懇談会を開催しています。その問題意識は、「雇用が安定し処遇も高いが、働き方の拘束性が高く長時間労働等の課題がある正社員と、雇用が不安定で処遇が低く、能力開発の機会が少ないといった課題のある非正規雇用の労働者という働き方の二極化」を解消することにあります。
 この二極化の観点からブラック企業現象を見直してみれば、「雇用が不安定で処遇が低」い非正規雇用に落ちたくないがために、「働き方の拘束性が高く長時間労働」があるだけで実は「雇用が安定し」ていないし必ずしも「処遇も高い」わけでもない見せかけの正社員にしがみついてしまっている状況ということもできるでしょう。その意味では、ジョブ型正社員の普及は、なかなか決め手がないブラック企業現象に対するもっとも本質的な処方箋といってもよいのではないでしょうか。

打大グループって何?

拙著への批判なのだろうと思うのですが・・・、

https://twitter.com/skrnmr/status/402367606226558976

濱口桂一郎『若者と労働』を読みつつ移動。いつものことながら、90年代に打大グループが盛んに研究していた広義/狭義の企業社会論との違いがわからない。当時の企業社会論が概ね明らかにしていたことではないか。打大グループの研究に対する言及がないので困惑する。

いや、わたくしの議論の枠組に、びた一文ほども新規性がないことはよくわかっていますし、金子良事さんなども指摘しているとおりです。

今まで労働研究界で繰り返し繰り返し論じられてきたことに、「ジョブ型」「メンバーシップ型」という新しいレベルを張って売り出しただけだろう、といわれれば、諸手を挙げて心の底から同意します。

それこそ、1960年代に当時の大河内一男東大総長が講談社現代新書から出した本とほとんど同じですから。

とはいえ、特定のこれがネタだろうとか、それに言及しないのがどうとか言われると、正直困惑します。

ていうか、「打大グループ」って何ですか?不勉強だからかも知れませんが、本当に何のことやらわからないのです。「打」のつく大学というのも思いつかないし、ググっても何も出てこない。

俺様の博士論文に言及しないのがけしからんとか言う、某3法則氏の夜郎自大と一緒にする気は毛頭ありませんが、何をどう困惑されているのかもわからないというのは、あまり寝覚めが良くないので・・・。

2013年11月18日 (月)

若者の血肉を貪る・・・ブラック企業ビジネス@今野晴貴

15414今野晴貴さんの『ブラック企業ビジネス』(朝日新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。左の表紙にあるように、オビにでかでかと「若者の血肉を貪る真犯人」と書いてあります。

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=15414

あなたもブラック企業問題の加担者かもしれない。なぜ悪辣な企業がこの社会に根をはり、増殖しているのか。背後には、ブラック企業を生み出す“恐るべき存在”があった。ベストセラー『ブラック企業』の著者が真の「黒幕」を暴く!

ベストセラー『ブラック企業』でちらりと書かれていたブラック士業の話を、一冊に拡大した本ですが、それとともに、ユニクロやワタミの顧問弁護士からの「脅し」を暴露して見せた、「倍返しだ!」本でもあります。

細かい目次は以下の通りですが、

はじめに

第1章 ブラック企業の背景には、決まって“彼ら"がいる
・1A弁護士の場合
・ハラスメントの実態
・送られてくる無意味な書類
・“彼ら"は効率的に賭ける
・2G弁護士の場合
・団体交渉をするのに「ふさわしい相手」?
・目的は、あきらめさせること

第2章 「ブラック士業」が違法労働を拡散させる
・裁判もビジネスになった!
・「脅し」が成功すればよし
・退職後の損害に賠償義務はあるか?
・2000万円の損害賠償を訴えられた事例
・違法行為に加担する弁護士の心理
・労働事件の「費用」の構造
・労働基準監督署に「不法侵入で訴えるぞ」
・ブラック社労士の言いがかり
・保険手続きが偽装されている?

第3章 私もワタミ・ユニクロの弁護士から「脅し」を受けた!
・ユニクロからの通告書
・メディアに告発されるユニクロの「ブラック」な体質
・なぜメディアを圧迫しないのか?
・すでに行われている「脅迫的訴訟」
・社内風土との関係
・成長か、さもなければ死か
・ワタミからも通告書が届いた
・2008年の過労自殺事件
・社長の発言から見える圧迫体質
・相次ぐ違法労働の報道
・「ワタミの介護」での死亡事故
・労災認定に「遺憾」
・過労自殺遺族への不誠実な対応
・被害者を「採用したのが間違い」
・スラップ訴訟の意味と定義
・アメリカで問題化したSLAPP
・大手人材会社:クリスタルのケース
・消費金融最大手:武富士のケース
・ノルマに堪え兼ねた社員からの告発

第4章 恐るべき「労働潰しビジネス」の実態
・個人加盟ユニオンは“最後の砦"
・牛丼チェーン大手・すき家のケース
・アルバイトは「業務委託」
・残業代は払う、しかし労働者ではない
・賄いを食べたアルバイトを刑事告訴
・目的は、「全社員」を黙らせること
・偽装倒産
・弁護士自ら「テクニック」を暴露
・団交拒否の「論理」
・引き伸ばしの「手口」
・「用心棒」の裏の顔

第5章 「ブラック企業ビジネス」が社会を壊す
・ブラック企業ビジネスの自己増殖
・紛争を増殖させる労務管理本
・パワハラも「テクニック」?
・「貧困」への高額請求
・司法制度改革と「ビジネス化」
・個別紛争に関する制度整備
・ブラック士業とは「経営者の味方」とは限らない
・「ブラック企業ビジネス」の弊害

第6章 貧困化の果てに――変容する弁護士界
・なぜ弁護士は食えなくなってきたのか?
・70万円弁護士の衝撃
・国選弁護の空きをケータイで待つ
・貧困の果てに
・PRに熱心な弁護士事務所の実態
・彼らの報酬構造
・無能弁護士の増大
・暇な弁護士ほど有名になる?

第7章 意外な「ブラック企業」の加担者
・ブラック企業の定義
・ブラック企業批判は「いじめ」か?
・真の問題はどこにあるのか?
・企業に対する信頼ありきの就職
・そして学校からブラック企業へ
・高い就職率に隠された罠
・福祉事業のビジネス化
・市場原理の限界
・家族の「ブラック化」

終章 「アリジゴク社会」を乗り越えろ
・本当の専門家集団を作る
・「戦略的思考」を持て
・ブラック企業から身を守るためにできる、3つのこと
・ブラック企業対策プロジェクトの結成

おわりに
参考資料

本書のメッセージで一番重要なのは、こういうブラック弁護士やブラック社労士は、経営者の味方ではない!ということでしょう。ブラック士業のいうがままにとことん労働者と争ったあげく、初めに和解していれば安く済んでいたものを、えらく高くついてしまい、下手をすれば会社がつぶれるに至るのだよ、彼らは自分が儲けるために喧嘩をけしかけているだけだ、と今野さんは言いたいのです。

ただ、一方で現実に生じる紛争を変にこじれさせることなく解決させる上で、良心的な社労士たちににもう少し活躍して貰いたいという思いもあるので、なかなか難しいところではあります。


清家篤『雇用再生』

0091209清家篤さんより新著『雇用再生 持続可能な働き方を考える』(NHKブックス)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

https://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=C5010101&webCode=00912092013

労働経済学の第一人者が制度再設計を提言!

非正規社員の増加、定年制の見直し……、日本人はこれからどう働けばよいのか。終身雇用、年功賃金をはじめとする日本的雇用制度を、将来予測と経済合理性に基づき徹底検証。少子高齢化社会へと突き進む日本が、活力を取り戻すために不可欠な変革とは。

慶應義塾の塾長として多忙な毎日を送っておられる著者が、その合間に書かれた本です。あとがきに曰く:

・・・大学の学長を務めるようになったため、自由になる時間は夜と週末しかなく、実は週末の多くも公務のためにつぶれるという中で、あえてこのような本を書くのは、長年労働経済学を研究してきた者として先述のような問題意識を抱き、またそれに対してバランスをとるようなことを書き留めておくことが、専門家の責任ではないかと思ったからである。・・・

塾長という仕事は、学部長や学長よりもさらに公式に人と共有しなければならない時間が多いという意味で多忙なはずですが、それで社会保障制度国民会議の議長をされたり、こういう本を書かれたりと、研究者としての生産性も落とさずに維持されているのは、本当に頭が下がります。

宮本太郎編『生活保障の戦略』

0259220宮本太郎編『生活保障の戦略』(岩波書店)をお送りいただきました.ありがとうございます。

http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/9/0259220.html

若者の非正規化・低技能化・非婚化の一方で進行する社会の高度高齢化.若者と高齢者双方に目配りした生活保障システムの再建は差し迫った課題になっている.教育→雇用→社会保障という一方通行的で仕切られた生活保障システムを相互乗り入れさせ,動的な制度に組み替えるにはどうすればよいか.第一線の論者たちによる具体的提言.

あとがきによると、これは全労済協会の生活保障研究会の議論に基づいてまとめられたものだということです。

以前に、私も1章執筆した『自壊社会からの脱却』と同じような造りですが、タイトルは妙にひねらず素直になってますね。

内容は以下の通りですが、

序章 生活保障の新しい戦略 宮本太郎
1 生活保障の現在
2 本書の問題提起

第一章 教育と仕事の関係の再編成に向けて――現状の課題・変革の進展・残された課題 本田由紀
1 なぜ教育と仕事の関係の再編成が求められるのか
2 再編成に向けた変革の進展と残された課題
3 終わりに――私たちはいかなる社会を目指すのか

第二章 多様な形態の正社員――非正社員と正社員のキャリアの連続に向けて 佐藤博樹
1 はじめに――非正社員の能力開発機会とキャリア
2 労働法や企業の人材活用などにおける正社員と非正社員
3 企業の人材活用における正社員活用多元化の現状
4 多様な形態の正社員の導入に伴う人事管理や労使関係における課題
5 小括

第三章 若者の自立を保障する――学校から労働市場へ 宮本みち子
1 はじめに 
2 若者の自立過程の変容とリスク
3 成人期への移行の段階と政策課題
4 自立支援型社会保障制度の登場
5 若者の発達を支援する環境を作る
6 学校から仕事への移行を支援する
7 労働市場への参加を活性化する
8 自立が困難な若者への支援政策の展開
9 若者の自立を保障する地域システム
10 自立を支援する社会保障の強化
11 おわりに

第四章 日本の生活保護・低所得者支援制度――ワーキングプア層への目配り 埋橋孝文
1 はじめに
2 「最後の拠り所」としての公的扶助制度 
3 「制度設計」と「水準」からみた日本の生活保護制度の特徴
4 国際比較からみた日本のセーフティネット 
5 おわりに 

第五章 「給付付き税額控除」か「ベーシックインカム」か――イギリスの制度改革から学べること 諸富 徹
1 「給付付き税額控除」とは何か 
2 労働党政権下における給付付き税額控除 
3 保守・自由連立政権下における「普遍的税額控除」の導入

第六章 低所得高齢者向け最低生活保障制度の確立――最低生活を保障するための選択肢 駒村康平
1 はじめに
2 高齢者の質的・量的変化
3 高齢者向けの所得保障制度の展望
4 まとめ――低所得高齢者向けの社会保障制度の確立

第七章 生活困窮者支援の一環としての家計再生ローン――相談支援とセットになった日本版マイクロクレジット導入の課題 重頭ユカリ
1 はじめに 
2 生活困窮者の生活支援における家計再生支援
3 国外参考事例――フランスの個人向けマイクロクレジット
4 家計再生ローン導入の課題 

あとがき 宮本太郎

私の著書とも響き合うところも多い本です。是非書店で手にとって確認してみてください。


WEB労政時報に本田由紀さん登場

わたくしも、常見陽平さんや溝上憲文さんらとともに、「HRWatcher」に月2回登場している「WEB労政時報」ですが、本日単発インタビューで本田由紀さんが登場してますね(日付は11月22日とだいぶ先ですが)。

http://www.rosei.jp/readers/hr/article.php?entry_no=139(ジョブ型採用を実現するため、企業は採用基準の明確な提示と大学との対話が必要)

毎度おなじみの由紀節ですが、最後のところで、インターンシップについて、こういう皮肉な台詞が・・・。

・・・行政が政策的にインターンシップを推進しているのは、ある意味、教育に対する不信感がとても強いからだと思います。学校教育の中で職業的に意義のある教育などできるわけがない、だから外に行かせるしかない――という雑な発想です。インターンシップで何を行わせるかの規制もない中で、単に企業に行かせれば経験になるというのは大きな間違いです。

「雑な発想」には違いないのですが、とはいえ、それが現実の姿ではないのか、と問われて答えられるのか、という問題でもあり。

2013年11月17日 (日)

シュトゥルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇』の書評が・・・

Sturmthalなんと、わたくしが本ブログで紹介した半世紀以上も前に出された本の書評が、今の今、ネット上に書かれてます。「佐藤太郎(仮)」という方の、「荒野に向かって、吼えない…」というブログです。

http://satotarokarinona.blog110.fc2.com/blog-entry-500.html(A・シュトゥルムタール著 『ヨーロッパ労働運動の悲劇』)

かなり丁寧に、幾つものパラグラフを引用しつつ、その都度、現代の政治状況にひきつけた的確なコメントをつけられています。

以下、佐藤太郎(仮)さんのコメントだけ、ピックアップしていきますが、

・・・・・・・(Ⅰ p.97)。

現在でも中途半端な状態で不況を解決してしまったら改革ができなくなってしまう、といった倒錯しているとしか思えない主張をする人がかなりいるが、この当時は(というか当時も)左側にもこのような発想をする人が多数いたのである。

・・・・・・(Ⅰ p.98)。

このような、目先の利益に捉われずに「改革」をやらねば今後もっと恐ろしい破局がやってくる、という発想も未だにはびこっている。そしてデフレが景気にとってマイナスだということを知りつつも、「改革」のために景気を犠牲にしても構わないというのも現在でもよく目にする主張である。

・・・・・・(Ⅰ p.99)。

とにかく財政均衡を最優先にさせ、金融政策も否定する。そう、「バラマキ」批判と金融政策批判を同時に主張するというおなじみの光景である。

・・・・・・( Ⅰ p.109)。

前にこちらも第二次大戦中に書かれたノイマンの『大衆国家と独裁』の感想を書いたが、ノイマンも西側諸国が「オーソドックス」な政策に捉われるあまりナチスに先を越されたことを批判していた。また財政赤字を問題だとしつつ、金融政策を金持ちが得するだけの政策だと批判する人は現在でも多い

・・・・・・・」( Ⅰ p.165)。

このあたりは、まだ「救済」政策を取ろうとしただけ日本の民主党政権よりはマシに映ってしまうというのが悲しいところ。

・・・・・・( Ⅰ p.188)。

フランスではブルム人民戦線政権であと一歩のところまでいきながら、結局はこの試みも挫折してしまう。

・・・・・・( Ⅰ pp.189-190)。

これもおなじみの財政破綻恐怖症、インフレ恐怖症であるのだが、このような主張に説得力を感じてしまう人のほうが多いのは当時も今もあまり変わらないのだろう。

・・・・・・( Ⅰ pp.190-191)。

かくしてフランスの人民戦線政府は経済政策において敗れ去ったのであった。

といった調子です。

そして、最後のところで、

このような具合に、1920年代から30年代にかけての経済政策の過ちに関する本を読んでいると、空恐ろしくなるほど最近の失敗に似ていると感じられてしまうことが多い。

『ヨーロッパ労働運動の悲劇』を読んだのは濱口桂一郎氏のブログの「『ヨーロッパ労働運動の悲劇』を復刊して欲しい」を読んで気になっていたためであったが、なるほど、確かにこの本は現在でも広く読まれてしかるべきものである。しかし実際に復刊されたとして、読むべき人たちが手に取るのかというと心もたないところであるのが日本の政治、経済状況において最も辛いところなのである、ということをこのような本を取り上げると毎回書いている気がする……

そうなんだ、わたくしのブログを見て、この本を読まれたんですね。嬉しいとともに、岩波書店の中の人にはより一層、復刊を検討していただけると有り難いのですが・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-5632.html(他人の経験)

賢者は他人の経験に学ぶとやら。

とはいえ、2世代、3世代前の過去は、なかなか他人の経験としても認識しにくいのでしょうか。

今はもう、誰も読まなくなったシュトルムタールの『ヨーロッパ労働運動』から、・・・

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-7008.html(『ヨーロッパ労働運動の悲劇』を復刊して欲しい)

これは今こそ読み返されるべき名著だと思うのですが、今ではほとんど知っている人も少なく、amazonでも中古品が1円とかいう値段がついてしまっています。・・・

岩波書店の中の人が見てたら、是非一度書庫から取り出して、半世紀以上前に出版された本書を読んでみて、今の時代に何らかの示唆を与えるものであるかどうか検討してみて欲しいと思います。

ちなみに、2か月くらい先に、某機関誌に本書を紹介しつつ今日への教訓を考えるというような文章を寄稿します。あまり期待せずにお待ち下さい。

(追記)

最近読み返した方の感想:

https://twitter.com/shinichiroinaba/status/342866990274318336

連合は幹部研修でシュトゥルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇』を読ませるべき。

https://twitter.com/shinichiroinaba/status/346661583637864448

シュトルムタールを多分二十云年ぶりに読み返すと鬱になる

https://twitter.com/shinichiroinaba/status/346991534824103938

hamachanおすすめのシュトルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇』が沁みるよ。

https://twitter.com/shinichiroinaba/status/351330635178192896

あかん。それはあかん。労働組合がそんなことだから日本はダメなんだ。シュトルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇』を読みなさい。

https://twitter.com/shinichiroinaba/status/352656721447104512

シュトルムタール『ヨーロッパ労働の運動の悲劇』を読まれるべきです。スウェーデンは民主的なケインズ政策の否定しがたい成功例です。

https://twitter.com/shinichiroinaba/status/372370211766153216

はい、歴史的教訓を踏まえてでしょう。戦間期まではマルクス主義・非マルクス主義含めて労働組合は全般的に反インフレ志向であった、というのがシュトルムタールの見立てです。スウェーデンは顕著な例外で、ストックホルム学派の経済学者の貢献は大きいようです。

2013年11月16日 (土)

産業競争力会議 雇用・人材分科会有識者ヒアリング資料

去る11月5日、6日に行われた産業競争力会議 雇用・人材分科会有識者ヒアリングの資料一式がアップされました。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/bunka/koyou_hearing/dai1/siryou.html

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/bunka/koyou_hearing/dai2/siryou.html

招かれた有識者は下記の通りです。11月5日が

2.有識者ヒアリング① (9:00~10:00)(日産自動車株式会社常務執行役員 川口 均氏)
3.有識者ヒアリング② (10:00~11:00)((独)労働政策研究・研修機構統括研究員 濱口 桂一郎氏)

11月6日が

2.有識者ヒアリング① (9:00~10:00)株式会社日本総合研究所調査部長、チーフエコノミスト 山田 久氏
3.有識者ヒアリング② (10:00~11:00)フレッシュフィールズブルックハウスデリンガー法律事務所パートナー・弁護士 岡田 和樹氏
4.有識者ヒアリング③ (11:00~12:00)グローバル産業雇用総合研究所所長 小林 良暢氏
5.有識者ヒアリング④ (14:30~15:30)日本GE株式会社代表取締役、GEキャピタル社長兼CEO 安渕 聖司氏
6.有識者ヒアリング⑤ (15:30~16:30)株式会社リクルート執行役員、株式会社リクルートスタッフィング代表取締役社長 長嶋 由紀子氏

わたくしは、第1日の2人目として意見を述べました。

わたくしの資料はこれです。中身は、今まであちこちで述べてきたことです。わたくしは、労働組合に呼ばれても、経営者団体に呼ばれても、規制改革会議に呼ばれても、規制緩和反対の運動に呼ばれても、基本的に同じことを喋っています。誰を相手にしようが、正しいことは正しいし、間違っていることは間違っているからです。片言隻句を捉えて批判する人はどちらにもいるし、ちゃんと趣旨を捉えて評価する人もどちら側にもいます。違うのは、その人の物事をきちんと考える能力だけですね。最近、つくづくそう思うようになりました。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/bunka/koyou_hearing/dai1/siryou2.pdf

1 日本型雇用システムとその変容
・「ジョブ型」と「メンバーシップ型」

「ジョブ型」:職務、労働時間、勤務地が原則限定される。欠員補充で就「職」、職務消滅は最も正当な解雇理由。欧米アジア諸国すべてこちら。日本の実定法も本来ジョブ型。
「メンバーシップ型」:職務、労働時間、勤務地が原則無限定。新卒一括採用で「入社」、社内に配転可能である限り解雇は正当とされにくい。一方、残業拒否、配転拒否は解雇の正当な理由。実定法規定にかかわらず、労使慣行として発達したものが判例法理として確立。
・正社員と非正規労働者それぞれに矛盾
 1980年代までは「メンバーシップ型」が日本の競争力の源泉として賞賛。90年代以後、高齢化、女性の進出、グローバル化等で「正社員」が縮小、欧米のジョブ型労働者に比べても待遇の劣悪な「非正規労働者」が増大。特に新卒の若者の不本意非正規が社会問題化。一方縮小した「正社員」にはブラック企業現象も。
・求められるのは「規制改革」ではなく、「システム改革」
 日本の労働社会の問題は、雇用内容規制の極小化と雇用保障の極大化のパッケージ(正社員)と労働条件及び雇用保障の極小化のパッケージ(非正規)の事実上の二者択一。しかしそれは何ら法規制によるものではない(法規制それ自体は後述のように部分的に極小化)。
 「システム」改革を論ずべきところで「規制」改革を論ずると、話が歪められる。

2 解雇規制の誤解
・労働契約法16条は解雇を「規制」していない

 「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない」解雇を権利濫用として無効としているだけ。解雇できるのが原則であり、権利濫用は例外。ところが、その例外が極大化。WHY?職務、労働時間、勤務地が原則無限定だから、社内に配転可能である限り解雇は正当とされないため。つまり、規制の問題ではなく、システムの問題。
・では法改正は不可能か?
 労契法16条を「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められな」くても権利濫用でも有効と改正(改悪?)することは、法理からして不可能。労契法16条を削除しても2003年以前に戻るだけで、状況は不変。民法1条3項の権利濫用法理は常に使える。まさかそれは削除できまい。
 皮肉だが、欧州並みに解雇「規制」を設ければ、その例外(解雇できる場合)も明確化。例えば:
第○条 使用者は次の各号の場合を除き労働者を解雇してはならない。
一 労働者が重大な非行を行った場合。
二 労働者が労働契約に定める職務を遂行する能力に欠ける場合。
三 企業経営上の理由により労働契約に定める職務が消滅または縮小する場合。ただし職務が縮小する場合には、解雇対象者は公正に選定しなければならない。
2 前項第三号の場合、過半数労働組合または従業員を代表する者に誠実に協議をしなければならない。
これも一つの規制改革。
・解雇の金銭解決は現在も可能だし、現に多い
 金銭解決ができない(正確には金銭解決の判決が出せない)のは、裁判所で解雇無効の判決が出た場合のみ。圧倒的に多くの解雇事件は法廷まで来ない。全国の労働局に寄せられた雇用終了関係の相談件数は年間約10万件、そのうちあっせんを申請したのは約4000件弱。そのうち約3割は金銭解決で、残りは未解決。解決金の平均は約17万円。なお裁判所の労働審判の解雇件数は約2000件弱。解決金の平均は約100万円。
 問題はむしろ、(水面下も含めた)金銭未解決件数の多さであり、とりわけあっせん事案の解決金額の少なさ。金銭解決にかかる法規定の不存在が、この状況を生み出している。
・金銭解決制度を規定する意味
 解雇の金銭解決を規定するには、ドイツ式に、解雇無効であっても裁判所が金銭補償を命ずることができるというやり方もあれば、英仏式に、違法な解雇であっても必ずしも無効とはせず、金銭補償を命ずるというやり方もある。
 判決後金銭解決金額の基準を設定しても判決以前の事案には役に立たないという批判があるが、裁判所に行ったらこうなるという予測がつけばあっせん段階でも使われる。ドイツでは年間数十万件の解雇事案が労働裁判所に持ち込まれ、大部分が法律に基づく判決後金銭補償ではなく和解で金銭解決している。

3 限定正社員(ジョブ型正社員)の誤解
・解雇「規制」の緩和ではない!

 労働契約で職務、労働時間、勤務地が限定されることの論理的帰結として、当該職務の消滅・縮小が解雇の正当な理由になるというだけ。正確には契約上許されない配転をして解雇を回避する義務がないというだけ。
 当該職務の遂行能力の欠如も解雇の正当理由になり得るが、試用期間中ならともかく、長年当該職務に従事してきて、企業が文句を付けていなかった場合は、正当にはなりにくかろう。
・「高度」ではない(とは限らない)専門能力活用型の無期雇用
 1995年日経連『新時代の「日本的経営」』で提起された「高度専門能力活用型」はまったく実現しなかったが、その理由は「高度」という余計な形容詞。その反省に立ち、ジョブ型正社員とは、高度でなくても、その専門的能力を、その職務がある限り活用するタイプと位置づけるべき。
 メンバーシップ型正社員が、どの器官に貼り付けても使える「iPS細胞」型労働力であるとすると、ジョブ型正社員とは使える器官が限定されている「部品」型労働力。
・「限定」しなければ限定正社員ではない
 どこまで「限定」に耐えられるか、問われるのは企業側。我慢しきれずに契約違反の使い回しをしたら、もはや「限定」されていないことになるので、当該職務の消滅・縮小が直ちに解雇の正当な理由にならなくなる可能性。

4 労働時間規制の誤解
・日本の労働時間規制は極めて緩い

 日本では過半数組合または過半数代表者との労使協定(36協定)さえあれば、事実上無制限の時間外休日労働が許される。(かつての女子と)年少者を除けば、法律上の労働時間の上限は存在しない。それゆえに、日本はいまだにILOの労働時間関係条約をただの一つも批准できない。
 労災保険の過労死認定基準では、月100時間を超える時間外労働は業務と発症との関連性が強いと評価されるが、それでも労基法上は違法ではない。
・日本で厳しいのは残業代規制
 残業代規制(労基法37条)は物理的労働時間規制ではなく賃金規制であるが、その例外は物理的労働時間規制と同様管理監督者等に限られる。もっとも、物理的労働時間規制は事実上尻抜けなので、使える規制が残業代規制しかないというのが実情。そのため、労働時間訴訟といわれるものはほとんどすべて残業代払え訴訟に過ぎない。
 労基則19条により、時給でも日給でも週給でも月給でも年俸でも、管理監督者でない限り、時間あたり幾らに割り戻して、25%割増(月60時間を超えると50%)を払わなければならない。時給800円の非正規が1時間残業したら1000円、年収800万円(時給換算4000円)の高給社員が1時間残業したら5000円、払わなければ違法。これが刑事罰をもって強制すべき「正義」かは議論の余地。
・正しい「残業代ゼロ」を隠して、嘘の「ワークライフバランス」を掲げた帰結
 米のホワイトカラーエグゼンプションとは、残業代規制の適用除外に過ぎない。ところが、かつての規制改革会議は、これを「仕事と育児の両立を可能にする多様な働き方」と虚構の理屈で正当化。
 労働側は過労死促進だと(理屈の上では)正当な批判。ただし、エグゼンプトでなくても、36協定があれば労働時間は無制限であるが。
 本当は経団連がいうように労働時間と賃金の過度に厳格なリンケージの緩和が目的であったはずが、虚構の議論に終始。
 挙げ句の果てに、マスコミや政治家が「残業代ゼロ法案」と批判してつぶれた。その結果、本来の目的である残業代問題が、一番言えない状態に追い込まれてしまった。
・「企画業務」など存在しない
 そもそも職務無限定の日本のメンバーシップ型正社員に、彼は「企画業務」、彼は「非企画業務」などという職務区分は存在しない。みんななにがしか企画をし、なにがしかルーチン業務をしている。上位に行けば行くほど前者の割合が高まるだけ。企画業務型裁量労働制自体が虚構の上に立脚した虚構の制度(それをいえば、日本では管理職すら「職務」ではなく「地位」に過ぎない)。
・正しい規制とは
 残業代規制の適用除外は、年収要件も考えられるが、企業規模による不公平が応ずるので、企業内における地位(上位から何%など)で中高位者のエグゼンプションとするのが適切。
 一方、残業代がつこうがつくまいが、健康確保のための労働時間のセーフティネットは必要。当面、過労死認定基準の月100時間か。1日ごとの休息時間規制も検討すべき。

5 労働条件変更と集団的労使関係システム
・2007年労契法の挫折

 2005年労働契約法研究会報告は、過半数組合または労使委員会の5分の4の同意で就業規則の不利益変更の合理性を推定すること提案。しかし、労政審で労働側が反発して消えた。
 労使委員会の労働者委員は過半数代表者が指名し、その過半数代表者の実態は会社指名が多いなど、不利益変更を正当化するにはあまりにも悲惨な状況。この点については労働側の反発に理由はある。
・労働条件変更を正当化しうる従業員代表法制の必要性
 だからといって、労働条件の不利益変更の効力が裁判が確定しない限り不明という状況は望ましくない。とりわけ、年功賃金制の修正など、ある労働者には有利で別の労働者には不利な労働条件の変更を、労働者全体の利益から正当化しうる仕組みが必要(管理職になると組合を卒業する風習のある日本では特に)。
 過半数組合が存在しない場合の従業員代表法制を確立することが、この問題の解決への第一歩。
・「過半数組合」を労組法上に位置づける必要性
 なお併せて、労働契約法上で労働条件変更の合理性について過半数組合を位置づけるのであれば、労働組合法上も過半数組合を適切に位置づけ、労働協約の効力についても過半数原理を導入する必要があろう。

付 三者構成原則について
・三者構成原則は、最悪の労働政策決定システムである。他のすべての政策決定システムを除けば、だが。
・議会制民主主義には多くの問題がある。とりわけ、かつてのイギリスの腐敗選挙区のような代表性のアンバランスが存在する場合はそうであった。
・だからといって、「科学的」な「真理」を体現した特定の人々が、利害に基づいて政策を主張する人々を抑圧して、その「科学的」に「正しい」「理想の社会」を作ろうとすれば、この世の楽園が現出する・・・わけではなかった、というのが20世紀の痛切な経験であり、この「他人の経験」に学ばないのは愚者であろう。
・政策決定システムの議論に必要なのは、法学でも経済学でもなく、リアリズムに徹した政治学の教養である。

(追記)

ちなみに、2日目の岡田和樹さんの資料の中に、こういう指摘が出てきます。

これらはいずれもまことにもっともなんですね。全くその通りなんです。ジョブ型社会の欧米企業から見れば。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/bunka/koyou_hearing/dai2/siryou2.pdf

外国企業から見た日本の雇用法制の問題点

解雇法制
• 試用期間が機能していないこと
• 実質的に、勤務成績や経営状態を理由とする解雇が禁止されているに等しいこと
• 裁判官が企業活動の実態を知らないこと
• 仲裁が認められていないこと

労働時間法制
• 職制上、かなり上位の者でないと、「管理監督者」と認められないこと

問題は、なぜ日本ではそうなっちゃっているのか、ということ。それを法律規制が厳しすぎるからだ、などと考えては、物事の本質から逸れていくばかりです。

試用期間が機能するようにするにはどうしたらいいのか、勤務成績や経営状態を理由とする解雇が(禁止はもちろんされていませんが、判例法理上は)厳しく制限されているのはなぜなのか、なぜかなり上位でなければ管理監督者と認められないのか、

どれもこれも、メンバーシップ型にどっぷり浸かった、日本企業の人事労務管理の在り方それ自体が、不可抗力的に導き入れている道理であるわけです。

職務が無限定で雇い入れておいて、たまたま命じた仕事ができなかったからといって、それでクビにできるはずがありません。

そういう人事労務管理の在り方をそのままにして、都合のいいところだけをつまみ食いしようという議論は、法律をどう変えてみたところで、うまくいくはずはないのです。

日経無脳記者の愚昧な記事

今朝の日経には、新聞記者というのはここまで無脳で愚昧になれるのかと思われるような記事が、ご丁寧に2人の署名入りで載っています。

http://www.nikkei.com/article/DGKDZO62681840W3A111C1EA1000/厚労省、規制緩和の「約束」反故? 「有期雇用、全国で延長」に暗雲 労政審の壁高く

もちろん、あるトピックにどういう立場から記事を書こうが、それは新聞社や新聞記者の自由ですが、そのトピックの最大の問題点に全く思い至らぬまま、ネタ元の言葉の表面だけを鬼の首を取ったようにもてはやしているだけでは、1年生記者が警察ネタをそのまま垂れ流しているのを何にも変わらないというべきでしょう。

他の規制緩和案件では、それなりに中身を理解して、その上で記事を書いていると思われるのに、こと雇用労働問題になると、突如として予め決められたルールででもあるかのように無脳になるというのは、組織に何か問題があるのではないか、と思わざるを得ません。これこそ『日経病』でしょうかね。

ここで論じられている有期の長期コマギレ雇用という問題に対する記者としての見識はどこにも見られず、ただただ戦略特区の民間委員のこれまた労働問題には無脳愚昧な意見をそのまま子どもの使いのように繰り返すだけ。

挙げ句の果てに、最後の台詞がこれです。

・・・特区での規制緩和を否定し、さらには自ら約束した全国規模での思い切った規制緩和からも逃げ切ることは許されない。

この記者たちが、肝心の特区法の条文すら読んでいないことはこれからわかります。

先日本ブログで紹介したように、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-77af.html(国家戦略特別区域法案)

附則

(検討)
第二条 政府は、産業の国際競争力の強化及び国際的な経済活動の拠点の形成の推進を図る観点から、一定の期間内に終了すると見込まれる事業の業務(高度の専門的な知識、技術又は経験を必要とするものに限る。)に就く労働者であって、使用者との間で期間の定めのある労働契約を締結するもの(その年収が常時雇用される一般の労働者と比較して高い水準となることが見込まれる者に限る。)その他これに準ずる者についての、期間の定めのある労働契約の期間の定めのない労働契約への転換に係る労働契約法(平成十九年法律第百二十八号)第十八条第一項に規定する通算契約期間の在り方及び期間の定めのある労働契約の締結時、当該労働契約の期間の満了時等において労働に関する法令の規定に違反する行為が生じないようにするために必要な措置その他必要な事項であって全国において実施することが適切であるものについて検討を加え、その結果に基づいて必要な措置(第三項において「特定措置」という。)を講ずるものとする。
2 厚生労働大臣は、前項の規定による検討を行うに当たっては、労働政策審議会の意見を聴かなければならない。
3 政府は、特定措置を講ずるために必要な法律案を平成二十六年に開会される国会の常会に提出することを目指すものとする。

ここに書いてあるとおり、労政審で検討するということが書かれているだけであって、「自ら約束した」などと、法理の条文も読めないようです。なぜこういう規定になったのかは、もちろんこの後に述べるように、無脳愚昧な経済学者や新聞記者でなければ一目瞭然にわかることがわからないような特区関係者の手から、もう少しもののわかった労働関係者の手に委ねるためであって、労政審で良心的な公益委員からも疑問の声が上がっているのは、あまりにも当たり前と言えます。

しかし、それよりも何よりも、この無脳愚昧な記者たちは、上記エントリで私が提示した、根本問題には、全く何の問題意識もないようです。

本ブログで何回も申し上げているように、「一定の期間内に終了すると見込まれる事業の業務」であれば、「高度の専門的な知識、技術又は経験を必要とするものに限」らなくたって、既に労働基準法第14条第1項柱書きに基づき、「期間の定めのある労働契約の期間の定めのない労働契約への転換に係る労働契約法第十八条第一項に規定する通算契約期間の在り方」をあれこれ議論するまでもなく、7年でも10年でも「一定の事業の完了に必要な期間を定めるもの」であれば長期の有期労働契約を締結することが十分可能です。むしろそれを変にコマギレにしてわざと労働契約法第18条に引っかかるようにすることは、労働契約法第17条第2項の趣旨に反することになるはずです。

もう少し詳しく解説したのはこちらですが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/webrousei1022.html(国家戦略特区騒動の帰結)

・・・ところが次の有期雇用に関する項目はどうも理解しきれないところがある。まずは素直に読んで欲しい。

(2) 有期雇用の特例

・ 例えば、これからオリンピックまでのプロジェクトを実施する企業が、7年間限定で更新する代わりに無期転換権を発生させることなく高い待遇を提示し優秀な人材を集めることは、現行制度上はできない。

・ したがって、新規開業直後の企業やグローバル企業をはじめとする企業等の中で重要かつ時限的な事業に従事している有期労働者であって、「高度な専門的知識等を有している者」で「比較的高収入を得ている者」などを対象に、無期転換申込権発生までの期間の在り方、その際に労働契約が適切に行われるための必要な措置等について、全国規模の規制改革として労働政策審議会において早急に検討を行い、その結果を踏まえ、平成26年通常国会に所要の法案を提出する。

・ 以上の趣旨を、臨時国会に提出する特区関連法案の中に盛り込む。

まず思いつくのは、これを書いたひとは労働基準法第14条第1項本文の規定を知らないで書いているのではないか、ということだ。

(契約期間等)

第十四条  労働契約は、期間の定めのないものを除き、一定の事業の完了に必要な期間を定めるもののほかは、三年(次の各号のいずれかに該当する労働契約にあつては、五年)を超える期間について締結してはならない。

つまり、現行法でも、プロジェクトのための雇用なら7年であろうが10年であろうがその期間を定めた労働契約を締結することが可能で、その場合反復更新はしていないのだから、7年経とうが10年経とうが無期化することもあり得ないのである。

とはいえ、政府の中枢が決めた文章に、こんな労働法の基礎の基礎のようなことが抜けているとは思えない。とすると、この検討方針は、たとえば7年間のプロジェクトに必要な人材を、労働基準法で認められた7年契約の有期雇用で雇うことをあえてしないで、わざわざ1年刻みの短い有期契約にして、1年ごとに小刻みに更新して、そのくせ無期にすることも嫌がって、それで7年目まで使い続けたいというニーズに、わざわざ対応しなければならないという趣旨に理解するしかない。しかし、それが「高い待遇を提示し優秀な人材を集めること」になるのだろうか。

1年刻みで、何年目に切られるかも知れない不安定な状態におくよりも、「プロジェクトが予定されている7年間という長期間、安心してじっくりと仕事をしてくれ、更新なしだからそれで終わりだが」という方が、その集められるはずの「優秀な人材」氏にとっても、はるかに「高い待遇を提示」していることになるのではないかと思われるのだが。

7年契約で雇おうと思えばいくらでもできるのに、必死にそれを免れたがるような企業に、わざわざ雇われたがる「優秀な人材」とは、そもそもどういう人材であろうか、そんな企業に魅力を感じる人材などいるのだろうか、と次々に疑問がわいてくる。

言うまでもなく、はじめから7年間限定なのだから、メンバーシップ型正社員のように定年まで責任を負うわけでもない。あくまでもプロジェクトの期間だけの有期雇用でプロジェクト終了後は後腐れもないのに、それを嫌がる本当の理由を是非聞いてみたいところである。

もちろん、そういうあまりにも当然の疑問は、「全国規模の規制改革として労働政策審議会において早急に検討を行」う中で、審議会の委員諸氏から提示されると思われるので、誰かそれにきちんと答えられる人(少なくとも厚生労働省の担当者ではないはずだが)を呼び出して、答えてもらう必要がありそうである。

日経新聞の2面に麗々しく署名入りで記事を書いたぐらい自信があるのなら、なぜ現行法でも可能な長期の有期契約では絶対に駄目で、わざわざ不安定なコマギレ契約を長期間続けなければならないのかについて、説得力ある説明を是非紙面上で示していただきたいところです。

少なくとも、

第十七条  ・・・
 使用者は、有期労働契約について、その有期労働契約により労働者を使用する目的に照らして、必要以上に短い期間を定めることにより、その有期労働契約を反復して更新することのないよう配慮しなければならない。

というあまりにも当たり前のことしか書いてない、それゆえに何の意味があるんだと酷評されてきたような条項にすら真っ向から反するような不自然なコマギレにしなければいけないんだ、「逃げ切ることは許されない」んだ!とまで、堂々と署名入りでがなり立てるのですから、よほどの自信があるんでしょう。

無脳愚昧といわれて怒る自負があるのなら、是非示していただきたい。

(追記)

余計なことですが、先日、別件で日経のベテラン記者に取材を受けたとき、話の流れでこのトピックにも話が及び、上述のような理路を説明しておいたのですが、残念ながら日経新聞社の中では、そういう中身のある情報は共有されないようですね。

2013年11月15日 (金)

金子良事名著への賛辞

13378ツイート上で、金子良事さんの『日本の賃金を歴史から考える』(旬報社)への熱い賛辞があったので、オビで推薦した人として紹介しておきますね。

https://twitter.com/Yamacha611

金子良事『日本の賃金を歴史から考える』がとても面白い。社会保障について勉強した時、現在の制度を理解するためには歴史を知ることが大切だと感じた。そして、この本を読んで、歴史を学ぶことの大切さを再認識した。帯で、濱口桂一郎氏が言うように、「日本の雇用の全体像を軸に描き出した名著」だ!

「調査であれ、理論であれ本当に優秀な現状を研究する人ならば、自分のもっている現状の問題意識と(歴史研究者の)報告との共通点照らし合わせて論点を提供するので、そこから現状研究と歴史研究の対話がはじまる」(『日本の賃金を歴史から考える』4)。そして、金子良事氏は次のようにも語る。

「現場で生きる皆さんも、実践的な問題意識をもって読んでいただければ、そこから新しい問いが生まれると思う。現実に対する問題意識と対話する意思がなければ、何も生まれない」(『日本の賃金を歴史から考える』4)。本書を読むことは、労働者である自分自身を見つめ直すことへ繋がる。

コラム⑧「絶対的な正しさと相対的な正しさ」で、金子氏は「賃金はしばしば思想をともなう」とし、次のように語る。「私は自分の正しさのみを追求するよりも、完全な正義は実現できないという前提に立って多様な考え方を数多く認識することが重要だと考える」(『日本の賃金を歴史から考える』201)

そして、「自分が正しいという結論は相手の否定に繋がり、人間関係を壊してしまう。現実に折り合いをつけながら、よりよい答えをみつけていくそういう地図を一枚でも多く手に入れたい」という文章で締め括る(『日本の賃金を歴史から考える』201)。金子良事氏のこの熱い思いがつまった一冊である。

金子良事『日本の賃金を歴史から考える』を読むことにより、まさに「よりよい答えをみつけていく地図」を一枚手に入れたと思う。職場の人にもオススメしよ(  ̄▽ ̄)

ぜひ、オススメしてください。

2013年11月14日 (木)

改正労働契約法への企業の対応

11月12日、JILPTが「高年齢社員や有期契約の法改正後活用状況に関する調査」結果を公表しましたが、なかなか興味深い結果が出ています。

http://www.jil.go.jp/press/documents/20131112.pdf

ここでは、とりわけ最近世間の注目を集めている改正労働契約法による有期労働契約の無期転換等に着目してみましょう。まず、ある種の経済評論家諸氏が、無期になるくらいなら5年経過前にぶった切るに決まっていると断言していた無期転換ルールでの対応ですが、

01


そういう考えの企業は意外に少なく、むしろ無期化に積極的な企業の方が多いようです。

どういう形かでは、正社員にするのはやはり多くなく、正社員じゃない無期が多いですね。この点、無期雇用といえば正社員としか考えられない一部の経済評論家よりも、企業人の方が少しは深く考えているようです。

02
大変興味深いのは、無期転換するときに、限定型か無限定型かという問いなんですが、この答えがなんと、有期の時から無限定です、ってのが実は半分近く、あるいは半分以上で、それが無期になってもあんまり変わらないというのが答えなんですね。

03


これは有期の無期転換をもって限定正社員の源泉と宣伝してきた側にとっても、いささか当惑するような結果かも知れません。

日本ってのは、正社員だけじゃなく、、非正規労働者も結構無限定が当たり前な社会だったようです。

まあ、考えてみれば、『日本の雇用終了』にも、そういう事例がいくつかありましたね。

そうか、限定正社員をやたらに目の敵にする人々、ってのは、つまり正社員だろうが非正規だろうが、有期だろうが無期だろうが、なんであろうがとにかく、無限定が絶対に正しくって、限定ってのが気にくわないだけなのかも知れません。文句をつけるはずです。

2013年11月13日 (水)

発端は貴様ぁ解雇

ここ数日、マスコミの紙面画面を賑わせている徳洲会問題ですが、なんで検察がこの問題を嗅ぎ当てたのか、というと、発端はこういう事件だったようです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-20e9.html(いわゆる一つの貴様ぁ解雇)

解雇の真の理由は、環太平洋経済連携協定(TPP)の反対集会に出なかったことだ――。徳之島徳洲会病院(鹿児島県)の元事務局長が不当に解雇されたと訴えた訴訟の判決で、東京地裁(西村康一郎裁判官)は5日、こんな指摘をした。そのうえで解雇を無効と認め、未払い賃金など計約850万円を支払うよう医療法人徳洲会(大阪市)に命じた。

 徳洲会では、自民党衆院議員の徳田毅氏が昨年12月に国土交通兼復興政務官に就任(2月に辞任)するまで理事を務めていた。元事務局長は「毅氏が中心となって開いたTPPの反対集会に参加しなかったため、解雇された」と訴えた。

 判決は、2011年12月の解雇前、元事務局長が徳洲会関係者から集会に欠席したことを非難されていた経緯などから、「毅氏の意向に従わず、反対集会に参加しなかったことが解雇の真の動機だと推認できる」と述べた。

え?病院の事務局長が政治集会に出なかったからクビにされたって?それって、(労働法はともかくとして)公職選挙法的にどうよ??と、多分検察の人は感じてしまったのでしょうね。

何にせよ、近年、「言うことを聞かねぇからクビ」といういわゆる貴様ぁ解雇が、勢い余ってずるずるととんでもないものを引っ張り出すケースが増えているような。何かと後ろ暗い方面の方々は、あまり気儘に貴様ぁ解雇やってると、どこでどうすってんころりんと転ぶかわからないご時世でもありますな。

2013年11月12日 (火)

道徳教育で労働法を教えよう?

昨晩、NHKラジオの「私も一言!夕方ニュース」に出演し、ワークルール教育の話題について20分ほど、キャスターの末田正雄、柴原紅、ご意見番の薗田矢といった方々と対話してきましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/1111-2379.html

その中で、言葉に詰まったのが、じゃあブラックな経営者にワークルールを伝えるにはどうしたらいいの?という問題。

もちろん、労働法の試験に合格しないと人を雇えません、なんていう規制をかけられるわけもないわけで。

で、帰宅後夕刊を見ると、「道徳、教科に格上げ」なんていう記事が載ってるじゃないですか。

http://www.asahi.com/articles/TKY201311110053.html

これは半ば以上冗談ですが(と言っとかないと真に受ける人が出たりするので)、せっかく道徳教育を正課としてやるのなら、将来人を雇って働いてもらう立場になったときの心構えとして、ちゃんと労働法を守ろうね、ということをきちんと教えておくといいかもしれないね。

まあ、だいたいその頃には、教わったことなんてけろりと全部忘れているものでしょうけど。

(追記)

と思ったら、この話題に真面目に取り組んでるブログのエントリがありました。「なめこんぶの見た労働法」という、労働法研究室の助手さんのブログのようです。

http://ameblo.jp/namekoneko1110/entry-11687139212.html(ブラック企業経営者に、労働法教育は有益か)

・・・ただ、論者も分かっているとは思いますが、それで万事解決するとはとうてい思えません。

おそらく上記のような、労働法を学ぼうという姿勢を持つ経営者は、その本意がどうであれ、まだよいのですが、日本で問題となっているブラック企業(と言われる会社)の経営者は、

「労働法なんか守ってたら、会社なんか経営できないだろ?」

「うるさいこと言うなら、辞めて出て行けよ」

的な発想が多いのではないでしょうか。

そうすると、経営者に教育したり、あるいは企業内での労働者への労働法教育を義務づけても、

恐らく本当の問題企業ほど、形骸化してしまうのではないかと…。

そして労働者にも、つまらない研修に拘束されて仕事がデスクにつみあがっているという負のスパイラル…

そしてさらなる問題は、上記のような経営者の発想に、

「たしかにそりゃそうなんだよな…」「労働法とかうるさく言うのって、サヨクだよな…」

的な引け目を、労働者も無意識のうちに感じて(感じさせられて)しまっているのではないかと…。

いや、まさにそういう話なんですよ。

2013年11月10日 (日)

どう減らす?相次ぐ労働トラブル ~広がり始めた“ワークルール”教育~@私も一言!夕方ニュース(11/11)

NHKラジオで夕方流している「私も一言!夕方ニュース」で、明日11月11日、標題の「どう減らす?相次ぐ労働トラブル ~広がり始めた“ワークルール”教育~」という特集があります。

http://cgi2.nhk.or.jp/hitokoto/bbs/form2.cgi?cid=1&pid=23863

長時間労働や不当解雇など労使間のトラブルが後を絶ちません。
厚生労働省によりますと、昨年度、全国の労働局に寄せられた相談件数は
25万4719件と10年前の2倍以上に増えています。
相談内容で最も多かったのは、
▼「職場でのいじめや嫌がらせ」いわゆる「パワハラ」の相談で、
次に多かった▼「解雇」に関連する相談と合わせると10万件を超えます。
次いで、▼賃金カットなどの「労働条件の引き下げ」、▼「退職勧奨」などとなっています。

最近では、「限定正社員」など雇用制度改革に関する議論も活発になっています。
雇用を巡る環境が年々変化する中、労働者と経営者の双方が
法的なルールをきちんと理解することが求められています。
厚生労働省は、こうした状況を改善するため、労働に関する法律の知識、
いわゆる“ワークルール”教育の普及を目指しています。

みなさんは、働き方をめぐって会社とトラブルになったことがありますか?
どうすれば労使間のトラブルを減らすことができると思いますか?
みなさんからの一言をお待ちしています。

ということで、「お待ち」されていますので、是非一言を。

わたくしも出演する予定です。

『労働法と現代法の理論 西谷敏先生古稀記念論集』上・下

上下巻併せて1000ページを優に超える大冊で、中身も重厚な論文がぎっしり詰まっているので、まだ初めのいくつかを読んだだけですが、やっぱりコメントしておかなくちゃ、という論文が初めのほうにあったので、紹介しておきます。

関西労働法界の長老・・・という言い方がいいのかどうかわかりませんが、わたくしが一回お呼ばれしたときも、みんな西谷さんを尊敬している姿が窺われました。その西谷さんの古稀記念論集上下巻、中身は次の通りですが、

06357_2第1部 総論・現代法
労働契約における労働者の「意思」と「規制」……吉村良一
雇用保障をめぐる法的課題――「身分差別的」労働者概念批判……脇田 滋
これからの生活保障と労働法学の課題――生活保障法の提唱……島田陽一
労働法の実現手法に関する覚書……山川隆一
労働権の再検討と労働法システム……三井正信
労働条件決定法理の再構成――労働協約・就業規則・労働契約の意義と機能……川口美貴
半失業と労働法――「雇用と失業の二分法」をめぐる試論……矢野昌浩
取引的不法行為と自己決定権……吉田克己
良心について――憲法19条をめぐる考察……笹倉秀夫
死刑と裁判員制度……中村浩爾
公務員に対する職務命令の法的性質……晴山一穂

第2部 労働法と個人
労働者性の指標:労務の代替性について・試論……萬井隆令
採用過程の法規制と契約締結上の信義則……小宮文人
労働条件の不利益変更と労働者の同意――労働契約法8条・9条の解釈……土田道夫
労契法9条の反対解釈・再論……唐津 博
有期労働契約法理における基本概念考――更新・雇止め・雇用継続の合理的期待……荒木尚志
労働契約における対等性の条件――私的自治と労働者保護……大内伸哉
ワークハラスメント(WH)の法的規制……大和田敢太
女性の労働と非正規労働法制……緒方桂子
整理解雇法理の論点……深谷信夫
労働者の非違行為等の事例に関する普通解雇規制の再検討……細谷越史
再建型倒産手続と解雇権濫用法理……根本 到

06358第3部 労働法と集団
労働法における集団的な視角……道幸哲也
労働組合の未来と法的枠組み……和田 肇
労働協約の規範的効力と一般的拘束力……浜村 彰
団体交渉は組合員の労働契約のためにあるのか?――団体交渉の基盤と射程に関する理論
的考察……水町勇一郎
ILO条約と公務における団体交渉……清水 敏

第4部 比較法・外国労働法
法学と法実務――比較法史学的考察……水林 彪
ナチス法研究覚書……広渡清吾
マイノリティ(少数民族)の権利をめぐる国内裁判と人権条約……桐山孝信
子どもの自己決定権に関する一考察――ドイツの割礼事件をめぐって……西谷祐子
ドイツ連邦労働裁判所における基本権の第三者効力論の展開……倉田原志
イギリスにおける雇用関係の「契約化」と雇用契約の起源……石田 眞
イギリス2010年平等法における賃金の性平等原則……浅倉むつ子
雇用調整方式とその法的対応――フランスの「破棄確認」および「約定による解約」ルール……野田 進
フランスの合意解約制度――紛争予防メカニズムの模索……奥田香子
アメリカにおける法学の政治的性格:「法と経済学」と「批判法学」――テレス著『保守派法運動の台頭』の紹介を通して……相澤美智子
タイにおける非正規労働者の法的保護……吉田美喜夫
ロシアにおける労働者派遣と法……武井 寛
ドイツ集団的労働法理論の変容……名古道功
ドイツにおける大学教員の業績給……藤内和公
「使われなかった」年休、そして「ゆとり社会」の行方――ドイツ国内法とEU指令との
相克……丸山亜子
ドイツ労働契約法理における法的思考……米津孝司

このうち、初めの方に載っている脇田滋さんの「雇用保障をめぐる法的課題――「身分差別的」労働者概念批判」が、近年の労働改革論議に対して、その姿勢を批判しつつオルタナティブを提示する議論をしていて、多くの人の関心に答えるものになっているように思われます。

その冒頭の記述を引いておきましょう。興味を引かれた方は本屋さんの店頭で立ち読みして下さい。

・・・ところが2012年末に交替した安倍政権は、その労働改革論議で「労働移動」を重視することを中心に、解雇規制を寄り緩和しようとしている。そのために、多様な働き方に応えることを口実に「限定正社員」=「ジョブ型」正社員の導入提言している。確かに、日本型雇用慣行が前提にしていた、いわゆる「メンバーシップ型」正社員では、解雇制限を重視する一方、失業保障は対立的に理解する見解もあった。主に個別企業の内部労働市場での雇用保障が中心とされ、そこから、企業を超えた「セーフティネット」としての失業保障制度の充実ではなく、個別資本の解雇を制限する法理、それと対応した企業内部労働市場での雇用調整を重視する考え方が法解釈や立法の基本となった。しかし、こうした労働法解釈・立法論は、現在、その基盤となってきた「日本的雇用慣行」が大きく崩れる中で、根本的な見直しが迫られている。筆者は、EU諸国をモデルに産業別の労使対抗を軸にして、解雇制限とセーフティネットの双方を充実することが必要であり、長期的には日本もヨーロッパ的な「ジョブ型」労働市場を目指すべきだと考えている。・・・

ここからどう深めていくか、それぞれの立場から答えを出していく必要があるのでしょう。

2013年11月 7日 (木)

規制改革会議第11回雇用ワーキンググループ議事概要(濱口発言部分)

去る10月11日に、再度規制改革会議雇用ワーキンググループに呼ばれ、労働時間規制の問題について意見を述べてきたことは、既に本ブログで書いたとおりですが、その議事概要が内閣府のHPにアップされましたので、そのうちわたくしの発言部分をこちらに引用しておきます。

内容的には、既にこの6,7年間言い続けてきたことの繰り返しですが、政府の規制改革会議の真ん中でこういう考えが主流化しつつあることには、いささか感慨深いものがあります。一昨日に、産業競争力会議雇用・人材分科会に呼ばれて意見を述べたときも、解雇規制やジョブ型正社員と並んで、この問題についてかなり詳しくお話ししてきたところでもあり、こういう形で認識が深まっていくとすれば、大変望ましいことであると思っています。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/wg2/koyo/131011/summary1011.pdf(議事概要)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/tsuru131011.html(濱口発言部分)

規制改革会議第11回雇用ワーキンググループ議事概要(濱口発言部分)
 
日時:平成25年10月11日(金)14:00~15:53
 
〇濱口統括研究員 濱口でございます。ジョブ型正社員のときに引き続いてお呼びいただきましてありがとうございます。
 
私は、実は根本的な認識としては鶴座長や水町委員と共通するものもあるのですが、制度、規制に関する認識についてはかなり違うところがございます。あえてそこを強調する形で、若干過激な物の言い方に聞こえるかもしれませんが、世間のこの労働時間規制に関する議論のされ方というのは根本的にかなり問題があると認識をしておりますので、いわばここにいらっしゃる皆様の認識をどこまで揺るがせるかというつもりでお話をしたいと思っております。
 
最初に3つのテーゼがありますが、私は大体この十数年間、労働時間規制が議論されるときは大体この3つのテンプレートでもって議論がされてきたと思っております。「日本の労働時間規制は厳しい」「労働時間の規制緩和というのはワーク・ライフ・バランスに役立つ」「残業代ゼロ法案はけしからん」、大体いろいろな議論というのはこの3つのテンプレートに当てはめて議論されてきたと思いますが、いずれも間違いです。
 
しかし、マスコミも政治家も、場合によっては学者もこういう議論に乗ってやってきたんじゃないか。それをむしろ引っくり返すところから議論を始めないといけないのではないか。一つ一つお話をしてまいります。
 
まず、「日本の労働時間規制は厳しいのか?」。私は、厳しいとは全く思っておりません。むしろアメリカと並んで世界で最も緩い国の一つだと思っています。ただし、ここで重要なのは、労働時間規制というのは時間そのものの規制を意味します。物理的な時間を規制するというのが労働時間規制なのであって、残業代を規制するとか休日手当を規制するというのは、私の認識では労働時間に関係のある賃金規制であって労働時間規制ではありません。そういう意味では、アメリカは労働時間規制のない国です。
 
そういう意味からいうと、日本は物理的な労働時間の上限は年少者を除けばありません。かつては、女性は1日2時間、年150時間という時間外の上限規制がありましたが、それは男女平等でなくなりました。
 
ただ、そうはいっても法律上は、労基法32条で1日8時間、週40時間、かつて48時間でしたが、労働時間の上限があって、これは規定の仕方を見るとそれを超えて働かせてはならないと書いていますので、本来はヨーロッパ型の規定でした。戦前の工場法以来、そういう物理的な労働時間規制として規定されているのですが、実態としてはむしろ三六協定でもってこれを超えるのが当たり前、少なくとも正社員であればオーバータイムがあって当たり前で、それを拒否したら懲戒解雇もあり得べしという社会になってきたのです。これは、労使が両方ともそれを望んできたという面もあるのでしょう。
 
とはいえ、三六協定にも限度基準というものがあるよということになっています。確かにあるのですが、しかし、これもまずそもそも法律上、労働契約に関して強行的な効力を持つものではありませんし、またこれにも適用除外があります。そのため、1世紀近く前にワシントンで開かれたILOの第1回総会で採択された第1号条約、1日8時間、週48時間という条約すら日本は批准できないんです。なぜできないかというと、時間外の上限が規定されていないからであります。
 
その結果として、現実の日本社会で意味があるのは残業代規制のみということになってしまい、そのためにあたかも残業代規制のみが労働時間規制であるというふうに皆が思って、それをどうするかということばかりが議論されている。
 
諸外国の状況は先ほど来、鶴座長や水町委員も言われたのでごく簡単に申しますと、アメリカは残業代規制のみで物理的な時間規制はありません。EUは、ヨーロッパの国々はもう少し細かいものはありますが、最低基準としては「時間外を含め」週48時間であります。この「時間外を含め」というものを往々にして忘れることが多いのですが、時間外を入れて48時間です。ただし、変形制がありますので、一時的にそれを超えることは十分あり得ます。
 
大事なのは、残業代については何の規制もしていないということです。かつて国によってはそういう規制もありましたが、基本的にはもう残業代をどうするかといった賃金の話は労使が決めることだということで、どんどん労使に委ねています。物理的な時間規制は、これは労使がどうあろうが労働者の生命、健康のためにきちんと守る。その現れとして、EUでは労働時間規制というのは安全衛生法制であると位置付けられています。
 
その一番典型的な例が、これも先ほど来紹介がありましたが、1日11時間の休息時間が義務付けられているという点です。以上を一言でいうと、「日本の労働時間規制は厳しい」というのは間違いであって、むしろアメリカと並んで最も緩い国の一つだと言えます。
 
2番目、実は今から6~7年前にいわゆるホワイトカラーエグゼンプションが議論されたときに、当時のこの会議の前身である規制改革・民間開放推進会議の答申は、この労働時間規制の適用除外制度というものを、仕事と育児の両立を可能にする多様な働き方であるとか、ワーク・ライフ・バランスが進むんだという言い方で議論をしていましたが、私はこれは全く間違っていると思っています。
 
なぜこういう議論になるかというと、労働基準法の法的性格に対してどうも根本的に誤解があるのではないか。労働基準法というのは名宛人は使用者でありまして、「1日8時間、週40時間以上働かせてはならない」と命じているだけであります。それより短く働くことを何ら禁止も規制もしていません。
 
国家公務員法はある意味で国家公務員の就業規則みたいなものですから、そこに規定してある勤務時間というのはそこまで働かなきゃいけないわけですが、それとは違います。労基法の上限の範囲内でどんなに短く働くことも、十分に可能です。したがって、上限規制を緩和するというのは、もっと長く働かせていいよという以上の意味はあり得ません。
 
ワーク・ライフ・バランスとの関係で、労働者個人にとって意味のある柔軟化の障害になり得るのは、物理的な労働時間の上限ではなくて、就業規則の必要的記載事項として始業・終業時刻を決めなければいけないといった規制ではないかと思われます。これはある意味で間接的に労働者が何時までに来なければいけないとか、何時までいなきゃいけないという拘束になりますので、そこをどう外すかという話、ある意味でフレックスタイムというのはそこを外しているわけです。これは、物理的な時間規制そのものの緩和とはまったく違う話であるというふうにもう少し認識したほうがいいのではないかと思っております。したがって、2番目の労働時間規制の緩和がワーク・ライフ・バランスに役立つというのも間違いです。
 
3番目、それに対してこれは6~7年前のホワイトカラーエグゼンプションのときに一番ある意味で問題になった話なのですが、残業代ゼロ法案とか、残業代ピンはね法案という形で批判されました。それで潰れたというのが、実はこの議論がおかしくなっている最大の理由だと思っております。
 
物理的な労働時間規制が非常に極小化された日本で、ある意味で唯一、法律上の武器として駆使されているのがこの残業代規制、労基法37条の割増賃金です。世の中には労働時間にかかわる裁判、訴訟がいっぱいあるといわれているのですが、よく見るとどれも、管理監督者だというけれども、実は違うんだ。だから、残業代を払えという類いの訴訟ばかりでありまして、物理的な時間そのものを争ったものはほとんど見当たりません。
 
労働時間規制の適用除外という限り、事実上空洞化しているといいながら、本来物理的な労働時間を規制している32条以下の規定を適用除外するのであれば、それは厳格でなければならない、というのは当然です。したがって、労基法41条に規定する管理監督者というものは、本当に物理的な時間の規制を緩和しても、解除してもいいような人なのかどうかという観点で判断します。そうすると、当然それは相当上位クラスの人にならざるをえない。厚労省が終戦直後以来やってきている解釈(「経営者と一体的な立場にある者」)というのはその観点からすれば、まことに当然の解釈ということになります。
 
しかし、この労基法41条の適用除外は、32条以下の物理的な時間の規制も、37条のお金の規制もひとしなみに適用除外しております。その結果、何が起こるかというと、お金の観点からすれば、賃金の観点からすれば、経営者と一体とは言えなくても残業代規制は適用除外してもいいような人々が、物理的な規制と一緒くたにされて、時間外労働で働いた時間に正確に比例して、事細かに残業代を払わなければいけない、という事態になってしまうわけです。世間的には残業代を払わなくてもいいのではないかと思われるような人々に対しても、法律上きちんと払わなければならないし、それを払わないとサービス残業でけしからんといって訴えるということになってしまう。現行法の問題点は、実はそこのところにあるのではないか。
 
これを人事管理の面から見ますと、日本のような職能資格制度が一般的な社会では、企業の中で管理監督者としての機能を果たしているかどうかということと、職能資格の上でどれくらいの位取りにいるかということとは必ずしも対応していません。賃金水準というのは職能資格上の地位に対応していますので、同じような賃金水準の者の間であっても、機能的に管理監督者であるかないかによって、残業代を払うべきか、払わなくてもいいかが変わってきてしまう。
 
これは、実は昔からある問題で、それがゆえに例えば(機能的には管理監督者ではないけれども処遇が同程度だからそれと同様に取り扱うという)スタッフ管理職などという変な存在もあったわけです。その後90年代以降、管理職よりももっと下のレベルの人々にまで成果主義賃金制度というのが普及してきました。働いた時間ではなく、出した成果でもって賃金を決めようという考え方です。これに対して人事管理上望ましいか望ましくないかという議論はありますが、いずれにしても法律上は、法定労働時間内である限り、どんな賃金制度も許されます。どういう仕事に対してどういう払い方をするかという点については、日本は基本的に極めて自由です。賃金規制は、最低賃金をクリアして、公平性、平等の原則が守られれば、どんな仕事の仕方にどんな払い方をするかということについてはほとんど規制はありません。
 
ところが、法定労働時間を超えた瞬間に突如として事細かに1分刻みできちんと払わなければいけなくなります。所定内のところで相当高い給料をもらっている人であっても、管理監督者でない限り、時間外になったらそれに応じた高い残業代を払わなければいけない。
 
厳密に言うと、こういう事態をもたらしている規定は労働基準法施行規則第19条です。この規定によれば、時給であれ、日給であれ、週給であれ、月給であれ、その他であれ、つまり年俸制であれ、管理監督者でない限りは、一旦時間当たり賃金幾らに割り戻して、それに25%なり、あるいは月60時間を超えたら50%、休日は35%を割増しして払わなければいけない。これは、賃金規制の在り方としてここまでの規制をすることが妥当なのか。高い給料をもらっている人にそれだけの高い残業代を払わなければ正義に反するのかという問題意識で議論すべきだろうと思います。これを、ただ残業代ゼロがけしからんという形で潰してしまったところに問題がある。
 
ただ、きちんと認識しておいていただきたいのは、6~7年前にホワイトカラーエグゼンプションの議論をしたときに、厚労省の審議会で労働側は残業代ゼロだからけしからんという議論はしていません。そこで彼らが言っていたのは、これは過労死促進になるという議論です。(いかに空洞化しているとはいえ)物理的な労働時間規制をまったく外してしまおうという法案なのですから、その批判はそのとおりとしか言いようがない。
 
付け加えますと、私は企画業務型裁量労働制というものに対してもかなり疑問を持っています。そもそも専門業務型裁量労働制の場合は、確かにそういう研究開発などの専門業務というのは実際にあるんだと思いますが、企画業務などというものが現実に存在しているのか。日本の普通の総合職のサラリーマンの場合、企画係というポストについている人は企画ばかりやっていて、企画係でない人は企画は何もやっていないかというと、そんなばかなことは全くないはずです。したがって、企画業務という形で業務で切り取るということ自体、実はジョブ型でない社会を対象にした制度としてはかなりの程度ナンセンスだったのではないか。
 
実はみんなそれがわかっているからこそ、ホワイトカラーエグゼンプションのときには、例えば管理監督者の一歩手前の人々であるとか、あるいは年収幾らというような言い方をしていたのではないか。それは、実際に総合職のサラリーマンの場合、職能資格制度でそれに従って上がっていくということを念頭に置いて議論していたから、そして専ら残業代規制をどうするかということを念頭に置いていたからであって、その観点からすれば、そんなにおかしな議論はしていなかったのだと思います。
 
しかし、それをそもそも物理的な時間規制を適用除外する制度として議論したために、過労死促進法案というある意味で正しい批判を受けたのではないか。そしてそれをワーク・ライフ・バランスに役立つというような現実と遊離した議論で進めようとしたために、残業代ゼロだからけしからんという、きちんと議論すればそういう変な反論にはならないようなもので潰れるということになってしまったのではないか。
 
この問題の最大の皮肉は、審議会で労使の間で議論しているときには、物理的な労働時間の適用除外が過労死促進になるというまともな議論がされていたのに、その外に出たところで、マスコミや、とりわけ政界から、残業代ゼロであるがゆえにけしからんというゆがんだ形で批判をされて潰れてしまったために、本当はそれがこの制度を導入すべき最大の理由であるにもかかわらず、それが世間的には一番、口にできないタブーになってしまったということにあるのではないか。ここまでゆがんでしまった議論の筋をきちんと正していかないと、かつてのいびつな議論の延長線上でやっていくと、また同じような、一方からは過労死促進法案、こちらからは残業代ゼロ法案という批判の中で、また話がつぶれていくということになるのではないかと考えております。
 
後ろのほうに、参考として先ほど簡単に申し上げましたEUの労働時間規制はどんなものかということを条文を引きつつ、解説をしております。ここでは一々説明いたしませんが、最初に3つほど丸で書いてあるとおり、EUの労働時間指令というのは安全衛生規制であります。健康の確保のための規制であります。したがって、実労働時間規制であります。そして、それが故に賃金規制では全くない。これが、少なくともアメリカという例外はありますけれども、先進国の大部分を占めるEUの労働時間規制についてのスタンダードであるということを念頭に置いて考えていくべきではないかと思っております。
 
私からは、以上でございます。
 
 
質疑応答から:
 
〇大崎委員 ・・・・濱口先生に是非この機会にお伺いしたいのですが、一つはEUの仕組みが絶対的な労働時間の規制ということで、残業代とは関係ない。したがって、健康の確保というようなことが重要な目的になっているというのは非常になるほどと思ったのですが、それでちょっと実はお伺いしたいのは、この条文を拝見していますと、1日11時間の休息期間をとるべきというところについて、かなり広範な例外が規定はされているなと思いつつ、例えば変な話なんですけれども、輸送に従事する者はいいとして、では労働時間を列車に乗車して過ごす場合はどうなんでしょう。
 
例えば出張で海外に行く場合などというのは休息時間になるのか、ならないのかというのを実はちょっとお伺いしたいんです。
 
なぜそんな変なことをお伺いしたいかといいますと、先ほど来、水町先生からも鶴座長からも、なるべく柔軟な制度にする一方で適用除外対象者みたいになる人に対しては、今度は健康確保、あるいは休日や休息時間についての規制を入れるべきじゃないかというお話があったのですが、それは原則論としては非常にもっともだと思いつつ、そこのところの定義とか、実務的に何をそれとするのかということをきちんとしておかないと、逆に非常に融通の利かない制度になるんじゃないかという気がしておりまして、それであえてそういうことをお伺いしたいというのが一つです。
 
なぜそんなことを言うかというと、大体考えてみると飛行機に12時間も乗って海外に行って、それでがんがん仕事をして帰ってきてというふうなことを考えたときに、時差もありますし、それが休息時間だとなると何か現実離れしているような気がする一方で、それが休息でないとなると、今度は出張も頻繁には命令できなくなってしまうなということを思ったということです。
 
それから、もう一つはそれと似たような話なのでありますが、EUなどで言っている絶対的な上限規制なり労働時間規制の適用対象外の者なのでございますけれども、どういう人たちなのかというのを、特に日本との比較でお伺いできればと思う次第です。
 
〇鶴座長 ありがとうございました。では、よろしいですか。
 
〇濱口統括研究員 では、簡単ですので後のほうから。適用除外されている者は、英語ではディレクター、フランス語ではカードル、ドイツ語ではライテンデ・アンゲシュテルテと言っていますので、訳せば管理監督者ということになるんだろうと思います。
 
ただ、それぞれの国で慣行がありますし、かつ日本のほうがむしろ特殊だと思うのですが、要するに入ったばかりの下っ端から上のほうに至るまで連続的にずらっとつながっているという日本の感覚で考えないほうがいいのかもしれない。例えばカードルというのは、グランゼコールを卒業して初めからカードルとして入りますので、それがむしろ基本的なイメージなんだろうと思います。
 
基本的には労働者である限りは全部適用というふうにしておいて、管理監督者の他に宗教関係とか家族従事者といった全面適用除外はあるんですが、これは非常に例外なので、むしろ重要なのは前半で言われた適用除外です。資料の6ページのところにかなり広範な適用除外のリストがありますがこれには条件があって、その前の5ページの17条のところに、当該労働者に同等の代償休息期間が与えられるか、あるいはそれが不可能な例外的な場合には適当な保護が与えられることを条件として適用除外という形になっております。
 
ですから、実際に1日11時間必ず休ませろといっても、まさにいろいろな仕事のスタイルがあるので、そんなに厳格にはできない。ただ、それは前後にずれたり、あるいは場合によっては別の形ということはあり得るだろうけれども、少なくともこの11時間というのは睡眠時間プラスアルファということで出てきているものですので、それが大枠としては確保されるべしという考え方で、各国でもそれに応じた形でいろいろな制度ができているということだろうと思います。
 
〇大崎委員 ありがとうございました。
 
○大田議長代理 ・・・・それともう一点、その適用除外に関して濱口先生は真に自律的に働くものに厳格に限定されるべきと書いておられるんですけれども、これは今ある管理監督型とか専門業務型、企画業務型ということをどう変えるのかということと、それからホワイトカラーエグゼンプションは前回、本当に変な議論になっていったんですが、その経験を踏まえて、今度はどんな制度にすればいいかという点を教えてください。
 
○濱口統括研究員 話が若干、錯綜しているのですが、管理監督者を厳格に限定すべきというのは法の建前、つまり本当に物理的労働時間を1日8時間、週40時間に限定しているという前提に立って、それを超えるものが例外であるという前提に立てば、その例外を例外でなくすのは厳格に解釈するのは当たり前だという話です。
 
ただ、現実は三六協定によって実は管理監督者であろうがなかろうが青天井になってしまっているので、そこを守れば過労死しないかというとそうではないです。しかし、理屈から言って32条そのものを適用除外するんだと言えば、必ずそういう議論になるしかないという話です。
 
これはどちらかというと、労基法の第四章「労働時間」の章を丸ごと適用除外するんだという議論をする限り、鶴座長も水町委員もそういう形の議論になっているのですが、そういう形で議論する以上は、そういうそもそも論、法の構造からくるそういう批判を免れないであろうという話です。
 
逆に、それを免れるためには、これは37条だけの話なんだという話をするしかない。そうすると、残業代ゼロがけしからんというような、表層をあげつらうような批判をする人は必ず出てきますが、真っ当な議論としては、そういうやり方をするしかないということです。それが一つ目です。
 
2番目に、では具体的な時間規制としてはどうすべきかについては、私は二段階で考えております。一つは、安全衛生規制です。安全衛生規制というのは、本人が望んでもそれはいけないと規制するものです。安全衛生というのは本来そういうもので、本人がいいと言っても、ヘルメットをかぶらず、命綱をつけずに建設現場に行ってはいけないというのと同じで、本人がいいと言っても命の危険のあるような長時間労働をさせてはならない。
 
これをどの辺に線を引くかというのはヨーロッパとは少し違うところもあるかもしれませんが、それが必要なのは間違いない。
 
恐らく、今の日本でそれを議論するとすれば、労災保険や安全衛生法でいっている時間外労働月100時間、これはヨーロッパ人から見ると何だと思うかもしれませんが、そういうものが一つの基準になるかもしれません。
 
もう一つは、いわゆるワーク・ライフ・バランスという観点です。命という意味ではなく、生活という意味でのワーク・ライフ・バランスです。かつての規制改革会議の議論とは全く逆であって、ワーク・ライフ・バランスを確保するためには、物理的な時間の上限をきちんと規制すべきであると思っています。
 
とりわけ、多くの女性たちがなぜいわゆる正社員にならずにパートタイムにとどまるかというと、実はパートタイムではなくてフルタイムでもいいのです。しかし、正社員になるとフルタイムではとどまらずにオーバータイムになってしまう。オーバータイムができないようなやつは正社員じゃないということで、まさに時間無限定になってしまう。
 
ここで必要なのは時間限定正社員なんですね。オーバータイムのないフルタイムというものが確立することが、生活という意味でのワーク・ライフ・バランスに役立つ。これはもちろん、俺はワーク・ライフ・バランスなんて要らないからもっと働きたいという人がいてもいいので、本人の選択ということになります。ではその基準はどの辺がいいのかというと、EU指令でいう個別オプトアウトが週48時間のところにありますので、そのくらいではないか。ワーク・ライフ・バランスよりも仕事のほうがいいという人はそれを超えて働くことになりますが、それでも当然健康の上限はあります。仕事よりもワーク・ライフ・バランスという人は、原則残業はない、あるいは週48時間の範囲内ということになる。そういう二本立てで考えていくのが、一番現実的ではないかと思っております。
 
こういう風に考えてくると、以前お話ししたジョブ型正社員の時間限定、時間無限定という議論とも話がつながってくると思います。
 
○佐々木座長代理 ・・・・
 
○鶴座長 濱口先生、特にコメントはございますか。
 
○濱口統括研究員 前半部分もアカデミックな労働法の先生である水町先生のほうが多分ふさわしいのではないかと思うのですが、あえて言うと日本でもヨーロッパでも裁判所の判決で労働時間の定義というのは大体決まっております。
 
基本的には使用者の指揮命令下にある。それで、作業しているかどうかにかかわらず、いわば待機していつでもスタンバイできるような状態にあれば、それは労働時間だとなっています。ですから、例えばマンションの管理人だとか、病院の夜間救急病院で待っているとか、これはちょっと後ろのほうにつけておりますが、結構ヨーロッパでも大きな問題になっております。
 
こういった、いわば個々の事例でいろいろな問題というのはどんな国でもいろいろな形で発生し得ますし、個々の事例に対してどういうふうに対応するのが一番いいか。病院の場合だと、ヨーロッパの裁判所が待っている時間も全部労働時間といったために大変な騒ぎになってしまったというようなこともあるので、それはもう少し現実に即した解決をしていく必要があるのかなという気はしておりますが、ただ、一般的にはそれはどこでも当然いろいろな事案があって、それに応じてほぼ共通の労働時間の定義がされているといっていいのではないかと思います。
 
何かつけ加えることがあればお願いします。
 
○佐久間委員 ・・・・
 
○鶴座長 特にありますか。
 
○濱口統括研究員 私は工場を前提に作られたという言い方は若干ミスリーディングじゃないかと思うのは、世界中どこでも大体どこで線を引くかというと、ホワイトカラーの中でもいわゆる上のほうのカードルとかエグゼンプトとかと言われるような人たちと、数的にはそれよりも多い、いわゆるクラーク的な仕事をしている人たちとの間であって、そのクラーク的な仕事をしている人たちは、オフィスであっても仕事の仕方は工場で働くのと余り変わらないだろうと思っております。
 
しかし最大の問題は、日本ではクラークとその上のエグゼンプト的なものが連続的にくっついているということです。一人の職業人生の中で、初めに入ったときは本当に下働きで100%クラーク的なコピー取りだの、そんなことばかりやっているのが、だんだんエグゼンプト的な仕事の分量がふえていく。それゆえに、なかなか線が引けないということなんだろうと思います。
 
そういうことを考えると、法律上、建前上は管理監督者という非常に厳格なところだけ適用除外にして、しかし、そうでなくても三六協定で実は世界的に極めてゆるゆるの形にしておくというのは、現実に対応できるように無意識的にやってきた一つのやり方なのかもしれない。ただ、健康の確保のところを除けばですね。
 
ただ、それが矛盾をはらんでいるのはむしろ残業代のところで、そこで実態として矛盾が起こっていく。
 
そう考えれば、そこをもう少しきちんと調整するような仕組みを考えたほうがいいだろう。そういう意味からいうと、水町先生の適用除外論が37条だけの適用除外であるというならば、それは私とほぼ同じような考え方になるのかなという感じがいたします。
 
○大崎委員 ちょっと違うところについてお伺いしたいんですけれども、私はこのワーク・ライフ・バランス実現のための時間規制改革というのは非常に重要だと思うのですが、そこでなるほどなと思ったのは、濱口先生の御発表の中で、むしろ就業規則の必要的記載事項に始業・終業時刻が入っていることが実は障害になっているんじゃないかというのは全く賛成で、私がよく知っている職場の身近な例でも、これがあるがために例えば保育園に子供を送っていって、それがちょっともたついたがために遅刻になって減給になってしまってすごく不愉快だとか、そういうような話があったり、あるいは先ほど佐々木委員からお話があった、夜10時になってからうちでちょっと仕事をするかというようなことも、これがある以上なかなか現実的に難しい問題になるわけですね。
 
それは非常に大事な指摘だと思ったということが一つと、もう一つはワーク・ライフ・バランスとの関係で、これは鶴先生と水町先生と共通したことをおっしゃっていたように聞いたんですが、年休の時季指定権が労働者にあることがむしろ障害になっているんじゃないかというような御発言のように聞こえたんですけれども、私個人は実は一労働者として年休の時季指定権をフルに享受しているもので、使用者にそれが与えられるとちょっと困るなと思ったのですが、その辺はどういう御理解でこういうことをおっしゃっているのか、教えていただければと思います。
 
○濱口統括研究員 1点、若干トリビアなんですが、実は日本も1955年までは本人任せではなくて使用者側が本人に、労働者に、いつ年休を取りたいですかと聞かなければいけないという規定があったんですが、それが削除されてしまった。
 
一見いいように見えるんですが、心の強い人はいいんですが、言い出せない心の弱い人は取れない。したがって、その消化率が半分を下回るというような状態になったと言われております。
 
○稲田大臣 この労働時間の議論を今日私は初めて聞いてすごく興味深かったんですけれども、ちょっと前の議題に戻って恐縮なんですが、先ほどの3人の先生方ともやはり健康管理という観点から上限なのか、休息を取るのかは別として、例えば上限を設けるべきだという考え方だというふうに理解をしました。
 
そして、32条の時間規制の問題と、あとは37条の残業代規制の問題がごっちゃになっているという議論なんですけれども、今、聞いた私の理解で32条の時間規制のかからない、例えば管理監督者的な人たちというのは、たとえ制限、上限を設けてもそれは適用の範囲外になる。そして、32条の時間規制がかかる人でも37条の残業代規制がかからない場合もあるんじゃないか。
 
例えば、収入がすごく高い人である場合にはそういうものを外してもいいんじゃないか。でも、そういう場合には上限を設けたとき、その上限の適用はあるという整理になるということでいいのかどうか、ちょっとわからなかったことと、あとは32条の時間規制の問題と残業代規制の問題とを分ける意義というか、分けることによってどういう整理ができるのか、もう一回整理して教えていただきたいと思います。
 
○鶴座長 これは、濱口さんお願いします。
 
○濱口統括研究員 要はその2つ、つまり物理的な時間規制の問題と残業代規制の問題がごっちゃに議論されるために、ややもするととりわけマスコミとか政治といったような土俵の上では食い違っているスローガンがぶつかってしまう。つまり、こんな人に残業代をそこまで払う必要があるのかという話をしているはずなのに、それに対して、いや過労死を促進するからけしからんという話になる。あるいは、物理的な時間の話をしているはずなのに残業代を払わないのはけしからん。つまり、本来、分けて話せばそれなりにきちんと筋の通った話になり得るはずのものが、いわばスローガン同士をぶつけ合うことによって非常に不毛な議論になってしまうのではないかということです。
 
これは、まさに6~7年前にホワイトカラーエグゼンプションをめぐって起こったことではないか。残業代という問題についていうならば、私は労使の間で話し合えば一定の解決というのはあり得る話だろうと思っています。なぜならば、本来賃金をどうするかというのは労使で決める話なのですから。しかし、それは過労死促進だという話になってしまったらこぶしは下ろせないだろう。
 
それで、逆に残業代ゼロがけしからんという話になってしまって、それが世の中の通説になってしまうと、そもそもその賃金の払い方というのは、所定内であれば、時間ではなく成果に応じて払うことも自由なのに、法定労働時間を超えたとたんに賃金は時間比例でなければならないということなってしまう。それがいいのかどうかという本来労使間でまっとうな話ができるはずなのにできなくなってしまう。きちんと分けて話せば深まる話が深まらないまま、単にお互いに悪口を投げ合うような形になってしまう。
 
6~7年前がまさにそうであったので、そうならないためにはどうしたらいいのかということで、できるだけそこを分けて議論したほうがいいのではないかということです。

2013年11月 5日 (火)

後藤和智さんの拙著書評

Chuko_2後藤和智さんが拙著『若者と労働』について、他の若者に関する本と一緒に書評していただいています。

http://ch.nicovideo.jp/kazugoto/blomaga/ar383516(第35回 【書評】秋の書評祭り)

書評されているのは:

1. ロジャー・グッドマンほか:編『若者問題の社会学――視線と射程』明石書店
2. 浅野智彦『「若者」とは誰か――アイデンティティの30年』河出ブックス
3. 荻上チキ、飯田泰之『夜の経済学』扶桑社
4. 常見陽平『普通に働け』イースト新書
5. 濱口桂一郎『若者と労働――「入社」の仕組みから解きほぐす』中公新書ラクレ

の5冊です。

拙著に対しては、次のように紹介批評しています。

厚生労働省の官僚や労働政策研究・研修機構の研究員として長い間労働政策の研究に関わってきた著者による、若年労働政策の概説書として最高のものと言うことができる。まずこのような仔細な解説が新書という形で読めることに感謝したくなる。そもそも我が国においてなぜ若年労働問題が「認識されてこなかったか」について始まり、欧州との若年労働問題の「問題化」の過程の違い、さらに周辺の問題である大学教育や社会保障などといった問題に至るまでが若年労働問題と有機的に接続された形で書かれており、これを読まずして若年労働問題を語ることなかれと言えるほどの出来に仕上がっている。


国家戦略特別区域法案

本日閣議決定された国家戦略特別区域法案の労働関係部分がアップされているので、見ておきましょう。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/wg2/koyo/131105/item2-4.pdf

本則に書かれている雇用ルールの情報提供等は、

(個別労働関係紛争の未然防止等のための事業主に対する援助)
第三十六条 国は、国家戦略特別区域において、個別労働関係紛争(個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律(平成十三年法律第百十二号)第一条に規定する個別労働関係紛争をいう。次項において同じ。)を未然に防止すること等により、産業の国際競争力の強化又は国際的な経済活動の拠点の形成に資する事業の円滑な展開を図るため、国家戦略特別区域内において新たに事業所を設置して新たに労働者を雇い入れる外国会社その他の事業主に対する情報の提供、相談、助言その他の援助を行うものとする。
2 前項に規定する情報の提供、相談及び助言は、事業主の要請に応じて雇用指針(個別労働関係紛争を未然に防止するため、労働契約に係る判例を分析し、及び分類することにより作成する雇用管理及び労働契約の在り方に関する指針であって、会議の意見を聴いて作成するものをいう。)を踏まえて行うものを含むものでなければならない。
3 内閣総理大臣及び関係行政機関の長は、国家戦略特別区域会議に対し、当該国家戦略特別区域会議に係る国家戦略特別区域における第一項に規定する援助の実施状況に関する情報を提供するものとする。
4 国家戦略特別区域会議は、第一項に規定する援助の実施に関し、内閣総理大臣及び関係行政機関の長に対し、意見を申し出ることができる。

何で特区だけこういうサービスをしなければならないのかはよくわかりませんが、別に悪いことでもないという程度のものではあります。

問題の有期コマギレ10年は、附則にあくまでも「検討」という見出しの下で書かれています。

附則

(検討)
第二条 政府は、産業の国際競争力の強化及び国際的な経済活動の拠点の形成の推進を図る観点から、一定の期間内に終了すると見込まれる事業の業務(高度の専門的な知識、技術又は経験を必要とするものに限る。)に就く労働者であって、使用者との間で期間の定めのある労働契約を締結するもの(その年収が常時雇用される一般の労働者と比較して高い水準となることが見込まれる者に限る。)その他これに準ずる者についての、期間の定めのある労働契約の期間の定めのない労働契約への転換に係る労働契約法(平成十九年法律第百二十八号)第十八条第一項に規定する通算契約期間の在り方及び期間の定めのある労働契約の締結時、当該労働契約の期間の満了時等において労働に関する法令の規定に違反する行為が生じないようにするために必要な措置その他必要な事項であって全国において実施することが適切であるものについて検討を加え、その結果に基づいて必要な措置(第三項において「特定措置」という。)を講ずるものとする。
2 厚生労働大臣は、前項の規定による検討を行うに当たっては、労働政策審議会の意見を聴かなければならない。
3 政府は、特定措置を講ずるために必要な法律案を平成二十六年に開会される国会の常会に提出することを目指すものとする。

本ブログで何回も申し上げているように、「一定の期間内に終了すると見込まれる事業の業務」であれば、「高度の専門的な知識、技術又は経験を必要とするものに限」らなくたって、既に労働基準法第14条第1項柱書きに基づき、「期間の定めのある労働契約の期間の定めのない労働契約への転換に係る労働契約法第十八条第一項に規定する通算契約期間の在り方」をあれこれ議論するまでもなく、7年でも10年でも「一定の事業の完了に必要な期間を定めるもの」であれば長期の有期労働契約を締結することが十分可能です。むしろそれを変にコマギレにしてわざと労働契約法第18条に引っかかるようにすることは、労働契約法第17条第2項の趣旨に反することになるはずです。

産業競争力会議雇用・人材分科会有識者ヒアリングで意見陳述

本日、産業競争力会議雇用・人材分科会有識者ヒアリングで意見陳述してきました。向こう側に座るのは長谷川閑史武田薬品工業株式会社代表取締役社長(経済同友会代表幹事)と八代尚宏ICU客員教授のお二人に、他の委員のリエゾンの方々。

ひととおり、主な論点について説明し、その後質疑応答をしました。質疑応答はそのうちに議事録がアップされると思いますが、とりあえずわたくしのレジュメは次の通りです。

産業競争力会議雇用・人材分科会ヒアリング用資料                       2013/11/05
「今後の労働法制のあり方」                                         濱口桂一郎

1 日本型雇用システムとその変容
・「ジョブ型」と「メンバーシップ型」

「ジョブ型」:職務、労働時間、勤務地が原則限定される。欠員補充で就「職」、職務消滅は最も正当な解雇理由。欧米アジア諸国すべてこちら。日本の実定法も本来ジョブ型。
「メンバーシップ型」:職務、労働時間、勤務地が原則無限定。新卒一括採用で「入社」、社内に配転可能である限り解雇は正当とされにくい。一方、残業拒否、配転拒否は解雇の正当な理由。実定法規定にかかわらず、労使慣行として発達したものが判例法理として確立。
・正社員と非正規労働者それぞれに矛盾
 1980年代までは「メンバーシップ型」が日本の競争力の源泉として賞賛。90年代以後、高齢化、女性の進出、グローバル化等で「正社員」が縮小、欧米のジョブ型労働者に比べても待遇の劣悪な「非正規労働者」が増大。特に新卒の若者の不本意非正規が社会問題化。一方縮小した「正社員」にはブラック企業現象も。
・求められるのは「規制改革」ではなく、「システム改革」
 日本の労働社会の問題は、雇用内容規制の極小化と雇用保障の極大化のパッケージ(正社員)と労働条件及び雇用保障の極小化のパッケージ(非正規)の事実上の二者択一。しかしそれは何ら法規制によるものではない(法規制それ自体は後述のように部分的に極小化)。
 「システム」改革を論ずべきところで「規制」改革を論ずると、話が歪められる。

2 解雇規制の誤解
・労働契約法16条は解雇を「規制」していない

 「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない」解雇を権利濫用として無効としているだけ。解雇できるのが原則であり、権利濫用は例外。ところが、その例外が極大化。WHY?職務、労働時間、勤務地が原則無限定だから、社内に配転可能である限り解雇は正当とされないため。つまり、規制の問題ではなく、システムの問題。
・では法改正は不可能か?
 労契法16条を「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められな」くても権利濫用でも有効と改正(改悪?)することは、法理からして不可能。労契法16条を削除しても2003年以前に戻るだけで、状況は不変。民法1条3項の権利濫用法理は常に使える。まさかそれは削除できまい。
 皮肉だが、欧州並みに解雇「規制」を設ければ、その例外(解雇できる場合)も明確化。例えば:
第○条 使用者は次の各号の場合を除き労働者を解雇してはならない。
一 労働者が重大な非行を行った場合。
二 労働者が労働契約に定める職務を遂行する能力に欠ける場合。
三 企業経営上の理由により労働契約に定める職務が消滅または縮小する場合。ただし職務が縮小する場合には、解雇対象者は公正に選定しなければならない。
2 前項第三号の場合、過半数労働組合または従業員を代表する者に誠実に協議をしなければならない。

これも一つの規制改革。
・解雇の金銭解決は現在も可能だし、現に多い
 金銭解決ができない(正確には金銭解決の判決が出せない)のは、裁判所で解雇無効の判決が出た場合のみ。圧倒的に多くの解雇事件は法廷まで来ない。全国の労働局に寄せられた雇用終了関係の相談件数は年間約10万件、そのうちあっせんを申請したのは約4000件弱。そのうち約3割は金銭解決で、残りは未解決。解決金の平均は約17万円。なお裁判所の労働審判の解雇件数は約2000件弱。解決金の平均は約100万円。
 問題はむしろ、(水面下も含めた)金銭未解決件数の多さであり、とりわけあっせん事案の解決金額の少なさ。金銭解決にかかる法規定の不存在が、この状況を生み出している。
・金銭解決制度を規定する意味
 解雇の金銭解決を規定するには、ドイツ式に、解雇無効であっても裁判所が金銭補償を命ずることができるというやり方もあれば、英仏式に、違法な解雇であっても必ずしも無効とはせず、金銭補償を命ずるというやり方もある。
 判決後金銭解決金額の基準を設定しても判決以前の事案には役に立たないという批判があるが、裁判所に行ったらこうなるという予測がつけばあっせん段階でも使われる。ドイツでは年間数十万件の解雇事案が労働裁判所に持ち込まれ、大部分が法律に基づく判決後金銭補償ではなく和解で金銭解決している。

3 限定正社員(ジョブ型正社員)の誤解
・解雇「規制」の緩和ではない!

 労働契約で職務、労働時間、勤務地が限定されることの論理的帰結として、当該職務の消滅・縮小が解雇の正当な理由になるというだけ。正確には契約上許されない配転をして解雇を回避する義務がないというだけ。
 当該職務の遂行能力の欠如も解雇の正当理由になり得るが、試用期間中ならともかく、長年当該職務に従事してきて、企業が文句を付けていなかった場合は、正当にはなりにくかろう。
・「高度」ではない(とは限らない)専門能力活用型の無期雇用
 1995年日経連『新時代の「日本的経営」』で提起された「高度専門能力活用型」はまったく実現しなかったが、その理由は「高度」という余計な形容詞。その反省に立ち、ジョブ型正社員とは、高度でなくても、その専門的能力を、その職務がある限り活用するタイプと位置づけるべき。
 メンバーシップ型正社員が、どの器官に貼り付けても使える「iPS細胞」型労働力であるとすると、ジョブ型正社員とは使える器官が限定されている「部品」型労働力。
・「限定」しなければ限定正社員ではない
 どこまで「限定」に耐えられるか、問われるのは企業側。我慢しきれずに契約違反の使い回しをしたら、もはや「限定」されていないことになるので、当該職務の消滅・縮小が直ちに解雇の正当な理由にならなくなる可能性。

4 労働時間規制の誤解
・日本の労働時間規制は極めて緩い

 日本では過半数組合または過半数代表者との労使協定(36協定)さえあれば、事実上無制限の時間外休日労働が許される。(かつての女子と)年少者を除けば、法律上の労働時間の上限は存在しない。それゆえに、日本はいまだにILOの労働時間関係条約をただの一つも批准できない。
 労災保険の過労死認定基準では、月100時間を超える時間外労働は業務と発症との関連性が強いと評価されるが、それでも労基法上は違法ではない。
・日本で厳しいのは残業代規制
 残業代規制(労基法37条)は物理的労働時間規制ではなく賃金規制であるが、その例外は物理的労働時間規制と同様管理監督者等に限られる。もっとも、物理的労働時間規制は事実上尻抜けなので、使える規制が残業代規制しかないというのが実情。そのため、労働時間訴訟といわれるものはほとんどすべて残業代払え訴訟に過ぎない。
 労基則19条により、時給でも日給でも週給でも月給でも年俸でも、管理監督者でない限り、時間あたり幾らに割り戻して、25%割増(月60時間を超えると50%)を払わなければならない。時給800円の非正規が1時間残業したら1000円、年収800万円(時給換算4000円)の高給社員が1時間残業したら5000円、払わなければ違法。これが刑事罰をもって強制すべき「正義」かは議論の余地。
・正しい「残業代ゼロ」を隠して、嘘の「ワークライフバランス」を掲げた帰結
 米のホワイトカラーエグゼンプションとは、残業代規制の適用除外に過ぎない。ところが、かつての規制改革会議は、これを「仕事と育児の両立を可能にする多様な働き方」と虚構の理屈で正当化。
 労働側は過労死促進だと(理屈の上では)正当な批判。ただし、エグゼンプトでなくても、36協定があれば労働時間は無制限であるが。
 本当は経団連がいうように労働時間と賃金の過度に厳格なリンケージの緩和が目的であったはずが、虚構の議論に終始。
 挙げ句の果てに、マスコミや政治家が「残業代ゼロ法案」と批判してつぶれた。その結果、本来の目的である残業代問題が、一番言えない状態に追い込まれてしまった。
・「企画業務」など存在しない
 そもそも職務無限定の日本のメンバーシップ型正社員に、彼は「企画業務」、彼は「非企画業務」などという職務区分は存在しない。みんななにがしか企画をし、なにがしかルーチン業務をしている。上位に行けば行くほど前者の割合が高まるだけ。企画業務型裁量労働制自体が虚構の上に立脚した虚構の制度(それをいえば、日本では管理職すら「職務」ではなく「地位」に過ぎない)。
・正しい規制とは
 残業代規制の適用除外は、年収要件も考えられるが、企業規模による不公平が応ずるので、企業内における地位(上位から何%など)で中高位者のエグゼンプションとするのが適切。
 一方、残業代がつこうがつくまいが、健康確保のための労働時間のセーフティネットは必要。当面、過労死認定基準の月100時間か。1日ごとの休息時間規制も検討すべき。

5 労働条件変更と集団的労使関係システム
・2007年労契法の挫折

 2005年労働契約法研究会報告は、過半数組合または労使委員会の5分の4の同意で就業規則の不利益変更の合理性を推定すること提案。しかし、労政審で労働側が反発して消えた。
 労使委員会の労働者委員は過半数代表者が指名し、その過半数代表者の実態は会社指名が多いなど、不利益変更を正当化するにはあまりにも悲惨な状況。この点については労働側の反発に理由はある。
・労働条件変更を正当化しうる従業員代表法制の必要性
 だからといって、労働条件の不利益変更の効力が裁判が確定しない限り不明という状況は望ましくない。とりわけ、年功賃金制の修正など、ある労働者には有利で別の労働者には不利な労働条件の変更を、労働者全体の利益から正当化しうる仕組みが必要(管理職になると組合を卒業する風習のある日本では特に)。
 過半数組合が存在しない場合の従業員代表法制を確立することが、この問題の解決への第一歩。
・「過半数組合」を労組法上に位置づける必要性
 なお併せて、労働契約法上で労働条件変更の合理性について過半数組合を位置づけるのであれば、労働組合法上も過半数組合を適切に位置づけ、労働協約の効力についても過半数原理を導入する必要があろう。

付 三者構成原則について
・三者構成原則は、最悪の労働政策決定システムである。他のすべての政策決定システムを除けば、だが。
・議会制民主主義には多くの問題がある。とりわけ、かつてのイギリスの腐敗選挙区のような代表制のアンバランスが存在する場合はそうであった。
・だからといって、「科学的」な「真理」を体現した特定の人々が、利害に基づいて政策を主張する人々を抑圧して、その「科学的」に「正しい」「理想の社会」を作ろうとすれば、この世の楽園が現出する・・・わけではなかった、というのが20世紀の痛切な経験であり、この「他人の経験」に学ばないのは愚者であろう。
・政策決定システムの議論に必要なのは、法学でも政治学でもなく、リアリズムに徹した政治学の教養である。

『若者と労働』へのやや突っ込んだ書評

Chuko読書メーターに、拙著『若者と労働』への「秋雨」さんのやや詳し目の書評が載っています。

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/33102461

若者労働論 就職 ☆★★  企業の就職・労働論について丁寧に解説されている本著。メンバーシップ型・ジョブ型の働き方を右往左往しながらしている日本。企業の日本的経営が崩壊し、非正規雇用が増加している今日。契約社員、嘱託社員、パート、アルバイトなど多様な働き方が出てきましたが、本来学生や主婦などを対象にしたため雇用保険等保障が薄い。バブル経済崩壊、リーマンショックなど経済不況の際に正規雇用になれなかった人。今、正規雇用の門が高いために非正規雇用にならざるおえない状況。筆者の最終章の提案は理想ですが、実現には難

経済界や政府がそこまで労働者の保障を進めることができるかといえば、疑問符。労働組合も欧米ほど力はないため、本著で紹介されているように労働者が自分達の権利について勉強する。もしくは、高校生・大学生時など就職をする前に教えるべきだと思います。今後、労働人口の減少・高齢社会でどのように労働人口を供給するのかが喫緊の問題。企業の中心とされる40・50代は親の介護を抱えるため、これからどのように労働者を支えるかが日本にとって重要。         

知識を持ち、団結すること。労働者と専門家で、企業と向き合うことで有利にことを勧められるもの事実です。しかし、大企業の追い出し部屋・復職したとしても仕事を与えられないことで精神的に追い込み、強制退職(書類には一身上の都合としか書かれないですが)させられるかもしれません。でも、同じ境遇の働き手や専門家(サポーター)と出会えることも心強いと思います。

なお、ツイッター上でも、「ahes155」さんが、『若者と労働』に対する2回目の書評を連投されています。

https://twitter.com/scutum13

濱口桂一郎氏「若者と雇用」を再読してみたが、やっぱ毒舌だな。だけど、「意識が高い学生」が生まれるメカニズムを2次的に説明してくれている。

著者によれば新卒就職は「人間力就活」として、本来OJTとジョブローテーションによって長期的に評価される「人間力」を数回の面接その他で判断するという離れ業をやっていると。

そして結局就活対策とされるキャリア教育やなんだは企業が面接やディスカッションで観察する「人間力」「コミュニケーション能力」を一見、高そうだと判断させるためのテクニックでしかないという悲しい現実。

結局、「意識が高い学生」というのは予期的に「人間力」を高そうだと思わせるテクニックを身につけようとしている雇用希望者なのだと邪推する。

でもそれは人間力就活を控えた彼らにとっては生存戦略だ。だからこそ彼らはあれほどコミットメントするし、盲目的なのだと思う。

そして就活生は「自己分析」で自らの人間力を半ば自己採点する。それを企業に提案するという作業を繰り返すことになる。これは半ば全人格的な評価を疑似的に行い、しかもそれを数十回行うという作業になる。これは精神的にかなり摩耗する。朝井リョウの「何者」を読んだ人ならイメージしやすいと思う。

人材関係企業にとって「自己分析」というのは当初商材として画期的だったのではないか。学生を効率よく選抜したい企業にとっては自己分析された人間の方が、「人間力」を評価しやすい。だが、実際はそうではなかった。

エントリーシートは「○×力」のオンパレードになった。面接でもいかにも「人間力」が高そうに見えるテクニックやエピソードを身に付けた学生が表れて、逆に選抜のコストが上がってしまった。これは人材関係企業にとっては誤算だったんじゃないのかなと思う。

結局00年代に生まれた人間力という言葉は、いかにも人間力が高そうに見えるテクニックやエピソードを身につける「意識の高い学生」の存在によって逆説的に破たんした。結局のところなんの判断基準が無いことが露呈してしまったわけだ。

「意識の高い学生」は一時期批判されたが、文系の新卒採用が総合職採用で、人間力でしか判断できないのであれば、文系の中堅学生にとって「意識の高い学生」になるということは、最もコストパフォーマンスに優れた解決策だったのだと思う。

客観的な指標がある学問や職業的スキルを身につけることができない、もしくは評価されない以上、サークルのリーダーをやったり、ビジネスコンテストで優勝したり、地域活性化プロジェクトをやったりするしか「人間力」が高められそうな方法は無いのだから。

新卒就職にかかわる広告をだす会社で、頭の切れる人間が「自己分析」を生みだしたのではないかと思うけど、最初に始めたのは誰なんだっけ?

さらに言えば「意識が高い学生」が組織化された例もあると思う。NPOとか、学生団体とか、ベンチャーインターンとか「意識が高い学生」が労働力として動いてくれて重宝してんじゃないかな。まあまさに「やりがいの搾取」だな。読んで字のごとく。

彼らは人間力を高めようと必死で、これをやれば「人間力」を高められますよ!就活に役に立ちますよ!とすれば従順な質の高い労働力になるわけだ。

そういった組織の中でも美辞麗句を掲げるNPOなんかは一番タチが悪い感じがするな。営利目的じゃないだけに。労働力として駆り立てて何をしようとしてるんだ見たいな。まあ、純粋に理念を追求しようとしてるだけなんだろうけどさ。

2013年11月 4日 (月)

企業は「ジョブ型正社員」を求めているのか?@All About News Dig

All About  News Digというサイトで、「企業は「ジョブ型正社員」を求めているのか?」という議論が繰り広げられているようです。

http://allabout.co.jp/newsdig/w/54137

職務内容、労働時間、勤務場所を企業側が決める日本型の雇用形態「メンバーシップ型正社員」に対して、職務や勤務場所を限定して契約する欧米スタイルの「ジョブ型正社員」に注目が集まっています。「メンバーシップ型」は、組織への順応性や成長可能性、自発的な学習能力などが重要ですが、「ジョブ型」はあるジャンルのスペシャリストとして生きていくスキルが要求されます。安倍首相は「ジョブ型」の本格導入をうたっているようですが、果たして日本でも普及するのでしょうか?

ということで、賛成派、反対派に分かれて「理知的ブロガーの2択持論バトル」。常見陽平さんも参戦していますね。

賛成派は、

ジョブ型社員について考えることで、雇用・労働のこじれた議論がすっきりする 常見陽平

「ジョブ型」という職業の先祖返り 松久保健太

できる奴ほどやめていく、既にジョブ型が導入されているコミュニティ 永松和洋

復活なるか?「派遣社員はカッコいい!」 佐藤きよあき

”コミュ力”なんざクソくらえ! 時代に求められるのは「超特化型専門職」 真鍋 貴臣

誰もが幸せになる雇用形態とは何か 吉田丈治

企業はマナーの良い労働者に甘えてはダメ 鈴木 晶子

ジョブ型システムで適材適所の配属を 野口 裕子

これに対して反対派は、

呑み会を断る新人は何を手放したのか 米光一成

ジョブ型とメンバーシップ型の中間を行く社内FA制度が日本にはベストマッチ! 山田ゴメス

“専門性”で雇用システムの変革は可能か ユニティ・サポート小笠原隆夫

海外の「ジョブ型」雇用をそのまま持ってきても意味がない 原 貴子

終身雇用は保証されないメンバーシップ 川乃 もりや

はたらく側にとってジョブ型正社員制度はメリ?デメ? 古川 みほ

社員の選択を増やす「ジョブ型」 小川 和哉

ジョブ型だと「外部の人」になっちゃうかも!? 吉井奈々

同僚がいない会社は働きづらい 大竹 裕亮

「ジョブ型」「メンバーシップ型」で、これだけ多くの方々が侃々諤々と議論を展開されている姿に、しばし感慨が・・・。

2013年11月 2日 (土)

著者特有の毒舌は健在だが・・・

Chukoアドバンスニュースのピックアップコラムで、拙著『若者と労働』が取り上げられています。

http://www.advance-news.co.jp/column/2013/11/post-440.html

労働政策研究の第一人者として精力的な活動を展開している著者が、若者の雇用問題に切り込んだ。ブラック企業、非正規雇用、限定正社員など、若者の雇用を巡る環境は激変しており、学生の就職活動にも少なからぬ影響を及ぼしているが、本書はこうした問題がなぜ起こっているのか、労働法制の歴史をからめながら解説している。・・・

ということで、このあと本書の内容を解説していきますが、その最後でこういう御批評が・・・。

・・・問題の所在が明確にならず、モヤモヤしたまま就活に苦労している学生にはぜひ勧めたい1冊だが、就活ノウハウ本のような「自己分析はこうせよ」といったたぐいの手軽な内容は一切ない。また、「さしあたっては何の役にも立たない、職業経験も知識も持たない若者」「学生の職業展望に何の利益ももたらさない大学教師」など、著者特有の毒舌は健在だが、それでも自身が認めるように、全体にこれまでの著作よりはるかに読みやすくなっている点は大いに評価できる。 (のり)

いやまあ、毒舌のつもりはなくって、ジョブ型社会との対比において、単に事実を淡々と描写しただけのつもりなんですが、それが毒舌に見えてしまうというところが、現代日本の姿を示しているということなんでせうか。

何にせよ、「全体にこれまでの著作よりはるかに読みやすくなっている」という評価は有り難い限りで、中央公論社の編集担当者の功績も大きなところがあります。

(追記)

ついでに、最近の拙著評を

http://www.amazon.co.jp/review/R6FZXV4XJY2V/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4121504658&linkCode=&nodeID=&tag=

「さしあたっては何の役にも立たない」若者を生産する教育と、その若者を即戦力として扱おうとする「ブラック」企業のコラボが昨今の混乱を招いていることを、著者はわかりやすく書いております。
滅私奉公型の「メンバーシップ型正社員」はもはや持続不可能なところまできていると。そうであれば目指すのはどこなのか。
この本とともに同著者の日本の雇用と労働法 (日経文庫)を合わせて読めば、「限定正社員」に関する報道のおかしな点がきっとわかるようになるでしょう。

http://book.akahoshitakuya.com/b/4121504658

さらぽん メンバーシップ型とジョブ型かぁ…なるほど。法制と現実の乖離。いろんなことがつながってくるような気がするなぁ。

Junji Maruyama 名著です。濱ちゃん流石!

http://booklog.jp/item/1/4121504658

yuk1513 戦後日本の労働制度・慣習の歴史を見るのならばこれ。労働法の視点から見られる、EUとの比較も面白い

https://twitter.com/leftfly/status/394547553934385152

学びの場について、そういや濱口桂一郎『若者と労働』を最近読んだ。みんな大好き労働ネタについて、人材コンサル様のふわふわしがちな本に比べて、かちっと論じてる。気になるのは、ジョブ型へ移行するにしても、例えば”営業”は学生だと学びようがないでないかという点。

https://twitter.com/wassa8611/status/395554026512605185

濱口 桂一郎さんの「若者と労働」を熟読中。最近の雇用問題の要点がよくわかる。若年層の雇用対策がここ10年くらいでやっと制定されてきたという事実は知らなかった。読み終わったらまとめる。

https://twitter.com/tomoko_o/status/395659962581401600

「若者と労働」やっと読んでる。「社員」のくだりは、経済学部とかでは常識って書いてあったけど、本当ですか。全然知らなかった。

131039145988913400963さらに、4年前の『新しい労働社会』にも今なお新たな書評が・・・。

http://blogs.yahoo.co.jp/progre_sr/68330090.html(不特定社労士ブログ )

濱口桂一郎さんの「新しい労働社会 雇用システムの再構築へ」を読了しました。
感想は、一言で「もっと早く読んでおけば良かった」。

これは、労働問題に関わる者にとっての必読書です。

デフォルトルールとオプトアウト、勤務間インターバル制度、期間比例原則(プロ・ラータ・テンポリス)、フレクシキュリティ、職業的レリバンス(意義)、デュアルシステム、二つの正義(交換の正義と分配の正義)、ワークフェアまたはアクティベーション、社会的統合(ソーシャルインクルージョン)、メイク・ワーク・ペイ(働くことが得になるような社会)、産業民主主義やステークホルダー民主主義、ILOの三者構成原則などなど、刺激的なアイディアで一杯です。

http://www.amazon.co.jp/review/RVEYGWLIAHBQ7/ref=cm_cr_pr_perm(ハンス)

この本は読んでおいた方が良い。
特に第4章の「職場からの産業民主主義の再構築」は必読。

非正規雇用社員が正規雇用社員には守ってもらえない中、いかに資本と闘い、「権利のための闘争」をするか、鼓舞するように書いてある。

僭越ではあるが、マルクスの代わりに言おう。
全国の労働者よ、団結せよ!

http://spiro8600.blog.fc2.com/blog-entry-14.html(とある法学生のつぶやき)

かなりクオリティー高い。雇用、労働法制に関する歴史的経緯、背景等がかなり詳しく書かれている。従来の本では労働法の詳細についてあまり書かれている本が少なかった。さすが官僚出身というべきか。従来の年功序列型等の労働システムは高い経済成長のおかげで成り立っていた。現代において派遣などの非正規雇用が増えるのはある意味必然である。ただ単に非正規を無くせばいい、などの主張は全くもって建設的でない事が良くわかった。まず持って行うべき事は労働時間の絶対的上限の設定であろう。そのためには、労使関係の構造的再建が必要である。かなり読み応えのある本なのでもう一度読み直そうと思う。

112483さらに、一昨年の『日本の雇用と労働法』にも、

https://twitter.com/kamiyn/status/395956600461996032

「日本の雇用と労働法」漠然と持っていた自分の中の違和感、何故日本のサラリーマンは社畜となったのか、を読み解いてくれた素晴らしき書。元は会社の囲い込みだったとはいえ、戦時中の挙国一致体制を経て、労働組合が求めた結果というのが興味深い

2013年11月 1日 (金)

峰隆之・北岡大介『企業におけるメンタルヘルス不調の法律実務』

3669_m峰隆之・北岡大介『企業におけるメンタルヘルス不調の法律実務判断に迷う休職・復職 40の事例とその対処法』(労務行政)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

http://www.rosei.jp/products/detail.php?item_no=3669

弁護士から見た法的な留意点と

社会保険労務士が示す実務のポイントを

ケースごとに1冊にまとめました!

事例がなかなか・・・。たとえば、

CASE 3 メンタル不調が疑われる社員に対し、繰り返し受診を勧奨するも、これに応じない場合、どのような対応をなすべきか

というケース、

私の部下に、近くの席に座っている同僚が社用で電話しているのに、「長電話をするな」「いいかげんにしろ」などと暴言を吐いたり、執務中にブツブツ独り言を始める社員がいます。明らかに様子がおかしいので病院に行ってはどうかと勧めましたが、「自分はどこもおかしくない」の一点張りで応じようとしません。他の部下からも苦情が来ているのですが、どうすれば良いでしょうか。

どう答えますか?

だったら労基法の特例で良いのでは?労契法ではなく

もと資料は見当たらないので日経の記事で論評しておきますが、

http://www.nikkei.com/article/DGXNASGG3101E_R31C13A0000000/研究者の有期雇用10年に延長 自民が研究開発力強化法改正案

自民党の科学技術・イノベーション戦略調査会などの合同会議は31日、研究開発力強化法の改正案をまとめた。大学などが研究者を有期雇用できる期間の上限を従来の5年から10年に延長するほか、科学技術振興機構など3法人に対して現物出資の形で出資業務を認める。来週中に党内手続きを終え、他党にも参加を募ったうえで今国会に提出する。

改正案は労働契約法に特例を設ける。現在は、研究者らが有期契約から無期契約への変更を申し出るにあたり、2回以上の有期契約の通算期間が5年超であることが条件。改正案はこれを10年超に延長する。

有期契約期間を巡っては、5年に達する前に雇用を打ち切る「雇い止め」が問題となっている。一方、研究開発事業は一般に5年で終わらないことが多い。研究者が途中で事業を離れると研究成果にも悪影響を及ぼすことが懸念されていた。

わたしは、「研究開発事業は一般に5年で終わらないことが多い」というのはその通りだろうと思います。しかし、なんでそれが、労契法18条の特例で、「長期コマギレ雇用」を可能にしなければならないのかがよくわかりません。

いや、この日経記事の全然わかっていないタイトルに見られるように、労働契約法で定める長期コマギレ雇用の上限と、労働基準法で定める有期雇用契約そのものの上限とが、頭の中で全然整理されていない可能性もあります。

「研究開発事業は一般に5年で終わらないことが多い」から法改正が必要だというのであれば、

第十四条  労働契約は、期間の定めのないものを除き、一定の事業の完了に必要な期間を定めるもののほかは、三年(次の各号のいずれかに該当する労働契約にあつては、五年)を超える期間について締結してはならない。
 専門的な知識、技術又は経験(以下この号において「専門的知識等」という。)であつて高度のものとして厚生労働大臣が定める基準に該当する専門的知識等を有する労働者(当該高度の専門的知識等を必要とする業務に就く者に限る。)との間に締結される労働契約
 満六十歳以上の労働者との間に締結される労働契約(前号に掲げる労働契約を除く。)

こちらの特例を設けるべきでしょう。一定の研究開発事業について、10年の期間の一つの有期労働契約を締結できるようにすれば、毎年毎年コマギレにして更新されるんだろうかと研究者を不安に陥れることなく、10年間安心して研究に打ち込めるし、研究機関の方も更新していないのだから無期に転換する可能性はない。

まあ、これにはこれで異論もあるかも知れませんが、少なくとも「研究開発事業は一般に5年で終わらないことが多い」という問題意識に対する対応としては、一番素直でわかりやすいはずです。

わざわざそういう素直なやり方ではなく、長期コマギレ契約にしなければならない理由が、少なくともこの記事からはわかりかねます。

20 代の4 人に1 人が勤め先を「ブラック企業」と認識@勤労者短観

連合総研の勤労者短観。今回は「職場の状況といわゆる『ブラック企業』に関する認識」という特集が目玉です。

http://rengo-soken.or.jp/pdf/%E8%B3%87%E6%96%99%EF%BC%92%E3%80%90%2326%E7%9F%AD%E8%A6%B3%E3%80%91%E5%9B%B3%E8%A1%A8.pdf

職場に何らかの違法状態があるとの認識が3割

とか、

職場で何らかの問題状況があるとの認識は6割にのぼる

というのは、まあそうだろうな、という感じですが、

自分の勤め先が「ブラック企業」にあたると思うか

と聞かれて、

勤め先がいわゆる「ブラック企業」にあたると思うかどうかを尋ねたところ、17.2%が<思う>と回答した。

自分の勤め先がいわゆる「ブラック企業」にあたると<思う>と回答する割合は若い世代ほど高く、20 代では23.5%にのぼった。

というのはなかなか深刻です。

Black


で、どういう人が勤め先をブラック企業だと感じるかというと、やはり

1か月の所定外労働時間が60時間を超えると、勤め先が「ブラック企業」にあたると<思う>と回答する割合が高くなる。

Black2

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