土田宏樹さんの拙著書評
『伝送便』10月号に、土田宏樹さんが拙著『若者と労働』の書評を書かれたということを、下のエントリへのコメントとトラックバックでお伝え頂きました。
http://suyiryutei.exblog.jp/21200247
土田さんのブログ「酔流亭日乗」に、その全文がアップされていますので、こちらにもそのまま引用させて頂きます。
リンク先には、紙面の画像もあります。
今年の二月に東京、四月は大阪で開催された「新人事制度」学習会で報告をしたとき、その準備の一夜漬けで勉強になった本に濱口桂一郎氏の『新しい労働社会』(岩波新書)と『日本の雇用と労働法』(日経文庫)がある。著者の考え全てに賛同するのではないが、問題の本質的なところを掴んで提出してくれるのがありがたかった。その濱口氏の新著『若者と労働』は、いま話題の「限定正社員」について正面から論じている。そもそも「ジョブ型正社員」を提唱することで、この議論に先鞭をつけたのは濱口氏。が、急いで断っておけば、このごろ財界から盛んに出されている「解雇しやすい」ためだけの「限定正社員」と氏の構想とは同じではない。
過労死をも頻出させている日本の労働者の長時間労働や会社への無限の忠誠はどこに淵源するか。それは日本の雇用の在り方が他国と異なり「メンバーシップ型」であることだと著者は指摘する。日本においては正社員としての就職とは、言葉そのままに職(ジョブ)に就くことではなく、会社に入ること。だから、その会社の構成員になることと引き換えに会社の強い指揮命令権を受け入れてしまう。それと引き換えに会社は正社員を簡単には解雇しない。今やっている仕事がなくなれば別の職につける(「整理解雇四要件」のひとつ解雇回避努力)。最近のブラック企業現象とは、そういう保障はせずに、強い指揮命令権だけは行使するような企業のことである。そしてメンバーシップから排除されている非正規雇用労働者には雇止めの不安が。そこで氏は、従来の正社員とも非正規雇用労働者とも違う第三の類型としてジョブ型正社員を提起するのである。それは正社員からは会社への無限忠誠という軛を取り払い(ワークライフバランスの実現)、非正規雇用労働者には(仕事がある限りだが)雇用の安定を保障するだろう。
メンバーシップ型とジョブ型という対比は、労働運動の言葉に置き換えれば企業別と産業別というのに重なる。ならばジョブ型へという方向そのものには否やはない。問題はそれをどう進めるか。氏は、メンバーシップ型の存在を前提としつつジョブ型を漸進的に進め、いずれジョブ型を標準仕様としたいようだ。両者が併存した状態における格差の問題が軽視されてはいないだろうか。郵政でこれから導入される「新一般職」は氏の言うジョブ型正社員に近いが、年収は五〇代なかばの一番高いときで四五〇万円ほど。すると四〇歳前後なら四〇〇万に届かない。その年齢での郵政正社員なら年収は六〇〇万円前後だ。養育や住居に金のかかる世代である。ワークライフバランスと引き換えにこれだけの収入ダウンに耐えられる人がどれくらいいるだろうか。むしろメンバーシップ型の中でジョブ型におとされないための忠誠競争が激化しはしないか。他方、非正規雇用から新一般職への登用は小出しに、すなわち厳しい選別を通じて行われる(五年後の数字として郵便事業部では非正規雇用七万四〇〇人に対して新一般職は僅か一万三二〇〇人)。こちらもまた激しい競争を強いられるだろう。事態は氏が望むのとは反対の方向に進まないか。資本と労働の力関係において資本がはるかに優勢であれば、どんな処方箋を書いても資本に都合よく歪められてしまう。その力関係を変えていくことが私たちの課題だと、氏の論考に学びつつ思う。
この第3パラグラフで指摘されている問題は、教育から労働への移行の部分に焦点を絞った『若者と労働』ではほとんど触れることができませんでしたが、最初の『新しい労働社会』では、大きな柱の一つとして第3章でかなり突っ込んで議論をした点でもあります。「養育や住居に金のかかる」年代のそのコストを誰がどのように負担するのか、狭義の労働関係の中だけでは答えの出にくい問題ですが、それゆえにこそ、マクロ社会的な議論が必要な点でもあります。
どこかでもう一度、きちんと突っ込んで議論し直してみたい点です。
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