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2013年10月 6日 (日)

私はブラック企業の経営者だった

「9bit Party」というブログに、「私はブラック企業の経営者だった」という大変興味深いエントリがアップされておりました。

http://blog.goo.ne.jp/lattice_anomaly/e/ff870f6ecb3086069aa30bbca8ce3600

これは薄っぺらなマスコミの表層的な記事とは違って、とても物事の本質に迫った記述になっています。

かつて私は経営者として利益のために横暴の限りを尽くし、社員の心身と人生を破壊した挙句に、結局何も残せなかった。
つまり私はブラック企業の経営者だった。

良き経営者がすべきではないことの全てを私はした。
サービス残業をさせた。
休日出勤をさせた。
賞与を払わなかった。
何十時間、何百時間と、従業員が体を壊すまで酷使した。
過大なノルマを課した。
それだけのことをしても、恐ろしいことに私は恨まれなかった。

私は、私と従業員たちが家族のように仲良くつきあっていたことを利用したのだ。
彼らは会社の一員である自分たちが、会社が大変なときに滅私奉公するのは当然のことと考えていた。
私も彼らに協力を要請し、自分の家を守るかのごとく会社を守って欲しいと願った。
誰も自分たちの置かれた境遇に文句を言わなかった。

そして最後に私は、会社のために利益を出せなくなった従業員を次々に解雇していった。
会社の一員である彼らが、会社に貢献できなくなった時に辞めていくのは当然のことだと思った。

こういう行動様式の背後にある思想は何か?

多くのブラック企業はメンバーシップ型雇用の権利だけを利用し、義務を果たさないでいる。
従業員に対しては日本型のメンバーシップ雇用を推奨し、経営者としては欧米型の「ぐろうばる・すたんだあど」を連呼する。

従業員は、まるで経営者のように働くことを当然とされる。
会社メンバーの一員として、会社理念を理解し、会社の利益を考え、会社のために自己犠牲を求められる。
それができない社員は無能でやる気のない怠惰な社員として罵られるのだ。
それは日本では当然の「メンバーシップ型」労働なのだと経営者は説く。

だが経営者は、従業員を経営者としては扱わない。
会社利益に貢献しなくなった従業員は辞めさせればいい。
辞めさせる手段はいくらでもある。
この「ぐろうばる・すたんだあど」な競争が求められる時代に、それは当然のことと彼らは主張する。
それは欧米では当然の「ジョブ型」労働なのだと経営者は説く。

要はブラック企業の経営者は自分に都合のいい所だけを取り出して使っている。
「メンバーシップ型」の長所と「ジョブ型」の長所を合体させた無敵経営だ。

自分自身が経営者として、まさにそういう行動様式をなんの疑いもなく取ってきた方であるが故に、現実を何も知らない経済学者流とは違って、その実相をこのようにえぐり出すことができるのでしょう。

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コメント

ただ、引用された部分の続きを読むと
「もし私の正当な権利が認められる日が来るとすれば、それは日本中の他の労働者の権利が守られた後でいい」
とおっしゃってるので、未だにちょっと勘違いしてるんじゃないかと思う部分もあるわけで。

生々しいブログですね。簡単に人を解雇出来る現実が臨場感を持って伝わってきます。
やや感傷的ではありますが。

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