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2013年9月22日 (日)

復習用:規制改革会議雇用WGにおける濱口発言

ネット上を見ると、法学部の一番最初に民法の冒頭で習う話がなかなか理解できない人がやたらに多いようなので、今年4月11日に規制改革会議の雇用ワーキンググループに呼ばれてお話しした時の議事録から、私の発言の一部を引用して、理解の助けにしてもらえればと思います。

経済学バックグラウンドの人でも、鶴座長のようにちゃんとその理屈がわかって話を進めようとしている人も結構いるんですが、マスコミはわかってないケーザイ学者の方を使いたがるようで、かえって話を混乱させる傾向にあるようです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/tsuru130411.html

最近問題になっている解雇に関する、解雇権濫用法理自体はヨーロッパの正当な理由がなければ解雇できないこととほぼ同じですが、整理解雇に関する、いわゆる4要素と言われるもの、とりわけ解雇回避努力義務というものは、ジョブ型の立法とメンバーシップ型で動いている現実社会を調整するために作ってきたものです。
 
これは解雇だけではありませんで、時間外労働であるとか、あるいは遠距離配転についても、基本的に正社員であれば従う義務がある。従わなければ懲戒解雇もあり得べしと日本の最高裁が言っているくらい、非常に強大な、包括的な人事権を認める法理であるとか、あるいは就業規則の不利益変更についても合理性があれば認めるであるとか、入り口のところでも、新卒一括採用を前提とした形での、非常に包括的な採用の自由を認めております。
 
それに対応する形で、一旦雇い入れたら、なかなか外に出すわけにはいかないという、多分、本来の契約原理からすると、かなり乖離した判例法理を裁判所が作ってきたわけですので、そこだけ見て、裁判所が何か変なことをやってきたと思ってはいけないのです。むしろ、裁判所は現実社会に則した法理を構築してきたのだと考えるべきだろうと思います。
 
また、雇用政策も1960年代までは、職業能力と職種に基づく近代的な労働市場を作るのだという発想で、今でも技能検定という制度は、ずっともう半世紀前に作られたもので残っております。ところが、1970年代半ば、オイルショック以降は、雇調金に代表されるような雇用維持型の政策がとられてきたということだろうと思います。
 
それを前提に、では、これからどうしていくか。話としては、ここで話題になっている限定正社員、あるいは私も佐藤先生と同じで、準正社員とか中間型というのはよくない言葉だと思うのですが、私はそれを若干キャッチーな言葉でジョブ型正社員と呼んでいます。
 
これは職務限定というだけではなくて、先ほどいいました職務や時間や空間が限定されているのがデフォルトルールであるというのを分かりやすく使った言葉であります。こういったジョブ型正社員であれば、ジョブや勤務地、あるいは時間についても限定される。この時間限定というのはフルタイムでもいいのですが、日本のフルタイム正社員は単なるフルタイムではなくて、これはよく言うのですが、オーバータイムがデフォルトルールである。つまり、残業しないなどという労働者は、通常の労働者とは認めないというところもあるので、そうではなくオーバータイムのないフルタイムという意味です。
 
例外的な状況はもちろんあるわけですが、基本的には、それを超える義務はない。したがって、ここは労働者にとってメリットでありまして、その裏腹として、それを超える配転をしなければ雇用が維持されない状況であれば、雇用終了は当然、正当なものであるとなってくるだろう。
 
これは、日本的感覚から見ると、リストラを正当化するのかという話になるのですが、そもそも就社ではなくて、就職している人間から見れば、勝手に会社の命令でその職を変えられるなどという権利侵害がないことの裏腹として、その仕事がなくなるというのは、いわば借家契約で、その家がなくなったのと同じですので、そもそもそれは正当な解雇ということになるのだろうと思います。
 
もちろんその場合でも、例えばヨーロッパで見られるように、ジョブが縮小したのであれば、それをみんなでワークシェアリングで分け合うということはあります。むしろここで重要なのは人選基準です。ここは日本的なメンバーシップ型の発想では、リストラ解雇というのは、リストラを名目として、こいつはできが悪いから首を切るという話にどうしてもなりがちなのです。最近の議論でも、ちらちらとそういうものは出てくる。これは日本人にとって当たり前だからそうなるのですが、これをやると純粋に経営上の理由に基づいた解雇にはならなくなってしまいます。つまり、そいつが問題だから解雇だという話になるので、当然その理由が正当であるかないかが問われます。正当でなければ、アンフェアな解雇だという話になるので、そこのところの頭の整理がつかないまま議論をしてしまうとかなりまずいことになるだろうと思います。
 
どうなるかというと、要するにリストラ解雇というのは、リストラを名目として、お前は言うことを聞かないから首だということをやろうとしているのだと受け取られます。そうだとすると、それで解雇されてしまうと、正に会社からこいつは駄目なやつだとレッテルを張られたという話になるので、ますます猛然と抵抗することになります。
 
逆に言うと、リストラクチャリングによって量的にジョブが減るので、その部分が淡々と解雇されましたという話であれば、それはその労働者本人にとっては何らマイナスにはならないのです。
 
ここまでちゃんと頭の整理をして考えないと、欧米型のまともなジョブ型の議論をしているつもりで、実は、とんでもないあらぬ方向に議論が迷い込んでしまう可能性があることはぜひ念頭に置いていただきたいと思います。括弧の中の不当な解雇から保護されるべきことは、いずれの形態であっても当然というのはそういう意味であります。

あと、とりわけ質疑応答から

○鶴座長 濱口先生、お願いします。
 
○濱口統括研究員 恐らく、この問題について若干誤解があるのではないかと私は思っております。つまり、何が規制なのかなのですが、御承知のとおり、労働契約法16条は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当でない解雇は権利の濫用として無効であるとしか書いておりません。これを緩和するというのは一体どういうことなのか客観的に合理的な理由がなくても解雇していいのだと書くのか。それは男を女に変える以外全てができる立法府ならやれるのかもしれませんが、恐らくそれは事実上、不可能だろうと思います。
 
何ができるのかというと、何が客観的に合理的な理由なのかということについての頭の整理。つまり、実は私が大内先生と若干違うのは、不明確なのかどうかということなのです。確かにある意味不明確なのですが、ただ、それは条文をどういじったところで明確になるものでもない
 
つまり、先ほど来、頭の整理と申し上げているのは、こういう雇用契約であれば、恐らくこういうふうになるであろうと。もちろん、単に契約の条文ということではなくて、実際にそういうふうに人事管理を運用してくれるということまで含んだものなのですが、そういう約束で、実際、その仕事だけでずっとやってきたということであれば、こういうふうになるという頭の整理を、これは恐らく形はいろいろあるだろうと思います。例えば指針という形で示す。もちろん、厳密に言えば、指針が裁判官を拘束するかというと、それはしないのかもしれませんが、多くの場合、指針というのは判断の基準にしているところはございます。
 
恐らく、規制改革という言葉に厳密に当たるかどうか分かりませんが、やれることがあるとすれば、それはそういう頭の整理を国民に分かるようにするということでしょう。実は整理解雇4要素にしても、本来から言えば、あれは解雇権濫用法理を応用したものにすぎないはずなのですが、ややもすると、これは裁判官も含めて、4要件、4要素というものを処理の前提として、どのような会社であろうが、どのような雇用契約であろうが、それを一律に当てはめるとする嫌いもなきにしもあらずなので、それはそういうものではないよということを明らかにするという意味はあろうかと思います。
 
逆に言うと、それを超えて、何か契約法16条をいじれるかというと、それはむしろ無理な話ではないかと思っております。
 
・・・・・

○佐久間委員 1点、先ほどのジョブ型正社員のところで水町先生もおっしゃっていた4要素は、整理解雇の話ということでございますね。ですから、逆にジョブ型正社員というのが非常に増えていくと、整理解雇というよりも、パフォーマンスが悪いときに解雇できるということが非常に重要になってくるのですが、そこについてはやはりある程度整理してもらわないとなかなか予測可能性がない中で、もう個別訴訟で解決ということになってしまうので、その辺はどういうふうに考えておけばよろしいのでしょうか。どなたでも結構ですので、教えていただければと思います。
 
○濱口統括研究員 議論の方向性としてやや気になるのですが、どうやったら解雇できるかというところから話をすると、多分話はうまくいかないと思います。
 
大事なのは、労使双方が、こういう約束なのだから、こういうことで雇用が終了するのであれば、それはなるほどそうだなと納得するようなルールをどう作っていくか、あるいは明確化していくかということなのであって、今の話も、一般的にいいますと、ジョブ型であれば職務が明確であるわけで、当該職務ができないということは、恐らくそれができないのだったら、他に回せよという可能性がなくなるわけで、確かに解雇の可能性は高まるだろうと一般的には思います。
 
ただし、実は解雇規制というのは、基本的に欧米でも似たようなもので、非違行為と能力と経営上の理由というのが三大理由であります。その能力を理由にして解雇というときに、日本的なメンバーシップ感覚で物を考えるとかなり間違うのではないかと思います。
 
ジョブ型社会では、この仕事がこのようにできないということが正当な理由になるわけですが、逆に日本的なメンバーシップ型ですと、言わば人間性とか、みんなと仲良くしないとかというのが、つまりそういったことも含めて能力と判断される。とはいえ、解雇自体が非常に抑制されるので、それがゆえに大企業であれば簡単に解雇されるわけではないですが、中小零細企業になれば、実はそういう仲間と溶け込まないとか、言うことを聞かないという理由で割と解雇されている例は大変多くございます。
 
ジョブ型になるということは、そういう個々の仕事と直接関わらない人間性みたいなものを理由にした解雇は認められにくくなるということを理解していただきたいのです。つまり、会社だけにとって都合のいいようなルールもあり得ないし、労働者にとってだけ都合のいいようなルールもあり得ないというところから出発しないとまずいのではないかと思います。
 
以上です。
 
・・・・・・

○濱口統括研究員 1点目、2点目は、先ほど申し上げたことの繰り返しになるかと思いますが、実は日本も法的な基本的な枠組みは同じで、試用期間というのはあります。そして試用期間というのは、言わば解雇権を留保している。
 
ただ、実態的にはなかなか難しい。難しいというか、正に就職ではなくて就社なので、この仕事ができますねといって雇ったのならば、その仕事ができないねというのが正当な理由になりやすいのですが、そうでない、むしろ大学校時代に勉強したことは全部忘れてこいと。一から教えるといって雇って、それで試用期間に駄目だというのは、それはお前の教え方が悪いのだろうという話に論理的になる。
 
つまり、何か解雇規制という外在的なものがあって、それによって企業が縛られるというイメージがかなりの方にあるようなのですが、それは間違いですもしそれが厳しいとすれば、それは企業がみずからやっているメンバーシップ型の人事管理のやり方がみずからに対して解雇規制が厳しくなるようにしているだけなのです。これは一般的な解雇の話もそうですし、この試用期間についてもそうだろうと思います。
 
逆に言うと、正にチームワークとか何とかという観点で、学生時代に学生運動をやっていたというような、恐らくこれは外国人から見ると全く理解できないと思うのですが、それが正当な理由になったりいたします。
 
そういう意味からすると、正に頭の整理をし、それを国民に対して示すことによって、この試用期間というのは、この仕事で雇ったのだから、この仕事ができるかできないか。その判断を会社としてしましたと。それであるならば、それは当然そんなに長いことはないので、一定期間ということになるでしょうという話になるのだろうと思います。
 
最後の点は、外国の方々にその話をすると、よほど特殊な、顧客との関係では若干あるのかもしれないですが、仲間との関係で仲良くやれる能力ということをここに持ってくるというのは、多分理解されないだろうと思います。社内的なコミュニケーション能力というのは、やはりメンバーシップ型を前提としたものであると私は思います。それならそうと割り切って、メンバーとして扱うべきでしょう。

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