「ブラック企業現象と労働教育の復活」 @『情報労連REPORT』8/9月号
『情報労連REPORT』8/9月号の特集は、「すべての道は「人権」に通ず」です。
http://www.joho.or.jp/up_report/2013/09/_SWF_Window.html
いまどき「人権」というと、「なにそれリベサヨ?」という反応が返ってきそうですが、いやいや、
人間が人間らしく生きる権利
労働は人権問題の中枢にある
というのが、特集冒頭のタイトルにでかでかと書かれているメッセージなのです。
冒頭記事で若林秀樹さんが言っているように、
いま、人権問題の中枢に労働があるといっても過言ではありません。例えば、国連グローバルコンパクトの10の原則のうち四つは労働に関わるものです。それほど労働は人権問題の中枢にあります。
ところが若林さん自身がそう思っていなかったようです。
私もかつては労働組合の役員をしていました。そのときは、労働組合が人権問題を扱っているとは思いませんでした。・・・
「人権問題」に対する妙に狭い感覚はかなり一般的なようです。
このあたり、本ブログ何回か取り上げてきたことと響き合っているように思います。
その後に出てくる人々を挙げておくと、
職場のいじめで金子雅臣さん。
妊婦いじめのマタハラで小林美希さん。
難病患者関係で大野更紗さん。
その後に憲法改正問題で弁護士の石橋さん等々。
なお、わたくしの連載は「ブラック企業現象と労働教育の復活」 です。
「労働教育」という言葉は、現在ではほとんど死語となっていますが、かつては労働省の課の名称として存在したれっきとした行政分野でした。終戦直後に占領軍の指令で始まり、労働省設置時には労政局に労働教育課が置かれ、労働者や使用者に対する労働法制や労使関係に関する教育活動が推進されたのです。ところがその後1950年代末には労働教育課が廃止され、労働教育は行政課題から次第に薄れていきます。その最大の要因は、「見返り型滅私奉公」に特徴付けられるメンバーシップ型正社員雇用が確立するにつれて、目先の労働法違反について会社に文句をつけるなどという行動は愚かなことだという認識が一般化していったことではないかと思われます。つまり、労働法など下手に勉強しないこと、労働者の権利など下手に振り回さないことこそが、定年までの職業人生において利益を最大化するために必要なことだったわけです。
ところが、近年若者の間で問題となっているブラック企業現象とは、そういう労働者側の権利抑制をいいことに、「見返りのない滅私奉公」を押しつけるものでした。そこで働く若者の側にブラック企業の行動の違法性を明確に意識する回路がきちんと備わっていれば、どんな無茶な働かせ方に対してもなにがしか対抗のしようもありうるはずですが、日本型雇用システムを前提とする職業的意義なき教育システムは、そもそも労働法違反を許されないことと認識する回路を若者たちに植え付けることを必要とは考えてこなかったのです。とりわけ、非正規労働者やブラック企業の若い労働者など、労働条件が低く、将来的にも低い労働条件の下で働く可能性が高い人ほど、労働者の権利を知らず行使することもできないという傾向にあることが、問題意識として大きくクローズアップされてきました。
こうした中、私も若干関わって2008年8月に「今後の労働関係法制度をめぐる教育の在り方に関する研究会」(座長:佐藤博樹)が開始され、翌2009年2月に報告を公表しました。最近では2012年6月に官邸の雇用戦略対話で策定された若者雇用戦略においても、「労働法制の基礎知識の普及を促進する」ことが求められています。
今後、労働法教育に取り組むNPOや高校の先生方、そして企業や労働組合などがこの問題に取り組んでいくための様々な支援が求められます。とりわけ、生徒たちが学校教育段階で的確な労働法の知識を身につけて社会に出て行くことへの支援は重要です。
このため、学校教育とりわけ高校や大学における労働教育を強化し、共通の職業基礎教育の一環として明確に位置づけ、十分な時間をとって実施することが必要です。とりわけ教職課程においては、全員「就職組」である生徒を教える立場になるということを考えれば、憲法と並んで労働法の受講を必須とすべきでしょう。
また、さまざまな生涯学習の機会をとらえ、その中に有機的に労働教育を組み込んでいくことも有効でしょう。労働教育と消費者教育は、今日における市民教育の最も重要な基軸と考えるべきではないのでしょうか。
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