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2013年9月11日 (水)

学びを語る@本日の朝日新聞

本日の朝日新聞の教育面、「学びを語る」という連載コーナーで、わたくしが登場しております。

http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201309100612.html((学びを語る)大学と就活 専門的な職業教育を増やせ 濱口桂一郎さん)

大学生の就職活動の「後ろ倒し」を安倍政権が企業側に要請している。学生を勉強に集中させる狙いだが、学ぶ内容は文科系を中心に職業と直結していないことが多い。

■労働政策研究・研修機構統括研究員、濱口桂一郎さん

学校では本来、卒業後の職業人生で一番役立つことを学ぶはずです。医学部を卒業できない学生は医者になれない。しかし、文科系を中心に、日本の大学教育の多くは、職業と直接つながっていない。教育界に「企業のための教育なんてけしからん」という考えが根強いからです。だから、「就活は勉強の邪魔だ」との声が出る。

企業側も、特定のスキルを持たないまっさらな学生を求めてきました。「よい素材さえくれれば、あとは会社で教育する」というわけです。正社員に何でもやらせる日本型雇用にとっても都合がよかったのです。

しかし、バブル崩壊後の1990年代から企業は正社員の採用を減らしました。一方で大学進学率は大幅に増加。結果として不安定な非正規雇用になる若者が増えました。一度非正規になると抜け出すのは困難です。ブラック企業に使い捨てられる若者もいる。

今の大学教育のままだと不安定な雇用に陥る学生がどんどん増える。文学や思想など人類の至高の遺産を学ぶのはすばらしいが、ほとんどの職業に役立ちません。専門的な職業教育を増やすべきです。卒業時点で「この仕事ができる」といえれば就職の道も広がります。企業側も仕事内容を限定した職種の整備が必要でしょう。

こういう意見を言うと、大学の先生から「就職のための教育なんて低俗だ」って批判されます。学生の親にも「職業教育を受ける子はエリートじゃない」という意識が残っている。そろそろ、若者をいかに安定雇用させるかという視点で議論するべきです。  (聞き手・千葉卓朗)

千葉記者によるまとめですが、私のやや刺激的な発言を結構使っていただいておりますね。いや、確かにそういう言い方しましたが。

(追記)

ツイートで、いかにもそういう反応がくるだろうなあ、と思っていたようなまさにその反応が多く見られて、ややげっそり。

拙著『若者と労働』の第3章「入社のための教育システム」で論じたような構造的絵解きをきちんとしないまま結論だけ投げ込むと、見事にこういう反応が返ってくるわけです。

そういう(主観的には純アカデミックな)反発それ自体が、まさに「入社システム」によって創り出され、そしてそれを支えてきた日本型システムの一環であるわけなんですが、そういう話をあれだけのインタビュー記事の中に盛り込めるはずもないわけで。

こういう風に読まれて騒がれることまで含めて、新聞側の狙いが当たったというべきでしょうか。

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コメント

はじめまして

いつも気になっているところですが、職業教育と教養教育はいつも対立する運命にあるのでしょうか?

それがいい形で混じり合うということを考えるのは無理なのでしょうか?


あと、一つ気になることですが、東京大学などいわゆる一流大学で職業教育を行おうと考える人たちはいないのでしょうか?

この職業教育は極端な話し、東京大学は必要ないけど他の大学は必要、という議論なのでしょうか。

東京大学は,日本の大学の中では,むしろ職業教育 for Proffesionals の意識が比較的強い方なのかもしれませんけどね.もともと,明治政府が官僚・法曹の育成を,強く意図して設立された大学ですし.かつて,東京大学法学部がエリートの代名詞であったのは,当時の政府の危急の問題であった,欧米列強との不平等条件の是正,そのための西洋近代法制の導入,という背景があって,大量の官僚・法曹を必要とした政府が東京大学法学部を特別に優遇したというのが契機であったようですし.

教養重視の起源は,新渡戸稲造が一高の校長を務めていた時代にある,といいますが.実学・実益を重視する東京大学に対する反発という形で,京都大学を中心に広まった,という歴史的経緯のようで.ちなみに,日本における教養というのは,かっては修身ともいわれていて,学を修めることで身を律するといった,儒教的色彩の濃いものですね.西洋における教養,リベラル アーツなどとはまた趣を異にしているものだと思います.

もともと,教育というのは,宗教のものだったわけで,「学ぶことで神や仏に近づく」という発想は自然とあったわけですが.大学というのも,もともとは,カトリック教会の組織であったわけで.熱心なクリスチャンとして知られる新渡戸稲造が,教養の重視を唱えたのも自然ですね.ただ,現代のほぼ完全に世俗化している大学,特に国公立大学にあって,教養重視を唱えるのは,非常な違和感を感じますね.一体全体何の宗教の教義なのかと.

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